苦とは 

 
 生きることが苦しい時、辛い時、
 御仏の教えには、生きるヒントがいっぱい。



-------- 目次 -------

○お釈迦様のご家族
○四苦八苦
○苦しみ解決法
○感謝
○あなたが生まれてきた理由
○神様は敵か味方か
○願いは叶うか
○不道徳か
○般若心経

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○お釈迦様のご家族

今から2500年ほど前のインドで、お釈迦様はお生まれになられました。
「この世は苦しみに満ちている。
なんとか多くの人々を、苦しみから救えないものか。」
そう考えられて、家を出て 求道の旅に出ることを、決意なさいました。
その時、お釈迦様には妻があり、妻のお腹には 赤ちゃんが宿っていました。
「私と可愛い赤ちゃんを捨ててまで 出て行かれるのですか?」
と美しい妻は、お釈迦様を引きとめました。
「家族の愛を振り切るのは 辛いことだが、
私の意思はかわらない。」
とじつにアッサリとお釈迦様は、妻子と家族を捨てて旅立たれたのでした。
苦しんでいる人々を救いたいなら、まず家族を幸せにするべきでしょう。 なぜ、こうも冷たく家族を捨てられたのでしょう。

その後、お釈迦様は たいへんな難行、苦行を積み、 ついに悟りを得るのですが、その前から、家族を捨てたあたりから、 お釈迦様には、もうすでに救いの道が 見えていたのです。

人の悩みの約九割が、家族にまつわる悩みと 言われます。
アッサリと家族を捨てたために、お釈迦様は 多くの人々の苦しみを救い、 後世にまで残る、すばらしい宗教を築くことができました。
なお、お釈迦様は、決して冷たい心で 家族を捨てたのではありません。 嫌っていた訳でもありません。その後、家族はお釈迦様の弟子となり、 ともに活動していますが、家族だからと特別あつかいしたり、 親しくもしていません。

現在の人々に、「この世で一番大切なものは何ですか?」
という質問をしたら、きっと、お金や健康と同じくらいに「家族」と 答える人が多いでしょう。それがもっとも 優等生の答えに なっている かもしれません。
現在の「優しいお父さん像」というのは、家族を大切にして、 家族にだけは 優しさを振りまき尽くす、そんな父親像です。 他人と家族を 別けへだてすればするほど、 「優しい」と、思われているフシがあります。

お釈迦様は、すばらしく優しい方でしたが、誰にでも優しくて、 家族であっても他人であっても、別けへだてなく優しかったのです。 そういう優しさの根源は、一つには「人類愛」という 大きな立場からの愛です。
家族だけ愛するという、小さな愛ではないのですね。

もう一つ、とても重要なことは、家族だからと溺愛しないことです。
どんなに可愛い我が子でも、一人の人間として尊重してあげることです。
お釈迦様のご家族は、それぞれが宗教家として 宇宙の真理を  一番大切なものとしていながら、 ゆるやかな愛で結ばれている、そんなご家族でした。
私たちが、見習わなければならないのは、 家族がべったり愛しあう、溺愛の家族関係でなく、 もっと、あっさり緩やかな愛で 結ばれあう家族の姿です。
人として尊敬しあう、大人の関係を 家族の中心とするべきなのです。 もしそうなったら、多くの悩み、問題が解決します。
例えば…

ご相談「夫が浮気して、家を出ていきました。」
答え→べつにいいじゃないですか。慰謝料もらって離婚すれば。

ご相談「高校生の娘が妊娠してしまって・・・」
答え→べつにいいじゃないですか。初孫を抱けるのですから。

ご相談「息子が三浪してるのに、ちっとも勉強しなくて」
答え→べつにいいじゃないですか。行ける大学に行けば。

という具合に、解答がとても楽になります。
お釈迦様が家を出た時には、すでに「べったりした愛」が、 家族を苦しめる、元となっていることを 解っていたのです。


○四苦八苦

「この世は苦しみに満ちている。」
と、お嘆きになられた お釈迦様ですが、さすがに苦しみについては、 深く考えておいでます。
苦しみには、「生老病死」という 四つの避けられない苦しみと、 ちょっと頑張れば避けられる 四つの苦しみがあって、 合わせて八つの苦しみがある。このことを「四苦八苦(しくはっく)」 という、とお決めになられました。

はじめの「生老病死(しょうろうびょうし)」とは、…
生きる苦しみ
老いる苦しみ
病気になる苦しみ
死ぬ苦しみ

この四つで、宿命とも言われます。次の避けられる苦しみというのは、 運命と申しますか、いざ出会うと なかなか避けるのは難しいですが、 頑張れば、何とかなりそうな苦しみです。

愛別離苦(あいべつりく)…愛する人と別れる苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく)…憎い人と会わなければならない苦しみ
求不得苦(ぐふとくく)…求めても得られない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく)…考えたり感じたりしすぎて苦しいこと

以上のように別けていました。
「ああ、今の私の苦しみは、愛別離苦なんだわ。」とか、解って いただけたでしょうか。解ってもどうなるものでもないのですが…。

例えば、「地震で家が壊れてしまった。」とか「空き巣に入られた。」 などのように、災難や事故は 苦しみの中に入っていません。
そうなりますと、どうしようもないからです。
人間の方も、それらには対応が上手で、あきらめるしかない訳です。 もちろん、そこから先には いろんな苦しみがあって、 立ち直るのに たいへん苦しむ場合もあります。

お釈迦様が苦しみと定めたものは、どうしようもない災難は別として、 何とかしたいのに、どうにもならないことを「苦しみ」としました。
この八つの苦とは、「自分が望むようにならないこと」が苦しみの 定義なのです。

この世が、自分の思ったとおりになってくれない。
だから、悩む。だから、苦しい。
皆様の、お悩み、苦しみはいかがでしょうか?


○苦しみ解決法

思ったようにならないことに対して、どうすれば解決できるのか?
小さな時から教わってきた解決法は、どんなことがあるでしょう。
まず「努力」です。
「人の二倍も三倍もがんばりなさい。」
「努力は、いつか報われる」
と、教わってきませんでしたか?

それでも解決できなかったら、
「努力が足りない」
「根性、集中力、誠意が足りない」
「才能がない」
「愛がない」
「運がない」

こうして、ないものと足りないものを列挙して、 また頑張って苦しむか、不完全燃焼のまま諦めて、不幸を味わうか、 どちらかです。

例えば、以下のようなご相談には…

ご相談「夫が浮気して、家を出ていきました。」
答え→あなたの愛が足りなかった。愛で連れ戻しましょう。

ご相談「高校生の娘が妊娠してしまって・・・」
答え→親として失格。話し合う努力を。

ご相談「息子が三浪してるのに、ちっとも勉強しなくて」
答え→叱咤激励。良い家庭教師か塾を探す。時には息抜きを。

このようなお答えになるでしょうか。
いずれも、さらに悪化しそうな予感がします。

ここに、もう一つの苦しみへの解決法があります。
それは、お釈迦様の考えた方法です。
「思い通りにならないから苦しい…、
その思いを捨てよう。現実を受け入れよう。」
と、いうものです。

例えば、「その思いを捨てよう。」というのなら…

ご相談「夫が浮気して、家を出ていきました。」
答え→夫は家にいて、妻を愛しつづけるもの、という固定観念を
捨てましょう。夫は自由だし、あなたも自由なんです。

ご相談「高校生の娘が妊娠してしまって・・・」
答え→娘は妊娠しないという固定観念を捨てましょう。
高校生が子供を産んではいけない訳でもない。

ご相談「息子が三浪してるのに、ちっとも勉強しなくて」
答え→四浪がいけない訳ではない。

「思いどおりにしたい。」という「思い」を捨てた時、 人は、大きな自由を手に入れることができるのです。
さらに「思いどおりにならない現実」を、 「受け入れよう」とした場合は、どうなるでしょう。

例えば、
ご相談「夫が浮気して、家を出ていきました。」
答え→裁判で戦って慰謝料を獲得するのも、
ほかの楽しみを見つけるのも、主導権を握るのはあなたです。

ご相談「高校生の娘が妊娠してしまって・・・」
答え→娘の結婚と 孫を抱けるという二つの喜びが一度にやってきた。

ご相談「息子が三浪してるのに、ちっとも勉強しなくて」
答え→人生勉強をしていると思えば良い。
勉強がきらいなら、就職しますか。

という解決法になります。

悩み、苦しみとは、「思い」があって、思いどおりにしたいけど、 思いどおりにならないこと。 現実を受け入れた瞬間から、悩み、苦しみは消滅するのです。


○感謝


お釈迦様の発見した、悩みの解決法は、

「思い」を持てば持つほど、悩み、苦しみは大きくなります。
「思い」を捨てれば、楽になります。
目の前の現状を、受け入れれば、悩み、苦しみは解消されます。

これがお釈迦様の説いてまわったことです。
はじめは、現状をしかたなく受け入れていたものが、 しだいにレベルを高めていきますと、 喜びを持って受け入れる、幸せを持って受け入れる、 そして、感謝の心で受け入れるというところまで、 人間は受け入れる心を高めていけます。

最高の受け入れる心は、「感謝」です。
今、置かれている状況が、実はありがたさに満ちていると 気づくのです。

目が見えること、耳が聞こえること、食べることができる、 話すことができる、自分の足で歩ける、ありとあらゆることが、 実はありがたいこと。この世界を受け入れた瞬間から、 世界は幸福に満たされているのです。


○あなたが生まれてきた理由

そうだ、世界は幸福に満たされているんだ。
と解った時が、あなたがこの世に生まれてきた理由がわかる瞬間です。
あなたは、今、この時のために生まれてきたのです。 これまで、遠い遠い道のりを、さ迷い続け、悩み続けて歩いてきた あなたは、ようやく今、ここにたどり着いたのです。

「おかえりなさい。ごくろうさまでした。」

私たちの人生は、生まれる前に すべてのシナリオを書いて この世に出てくるのです。
どんなことも自由に選択できるこの世界で、時には自分で選び、 時には親が選んだ道ですが、いろんなことが重なり合って、 いろんな偶然や出来事もあって、さまざまな運命の糸が絡み合い、 時には苦しく、時には楽しく この世界を歩き続けてきたあなたは、 今、ここにたどり着いたのです。

これまでの悩みや苦しみを、ごくろうさまでした。
もう悩まなくて良いのです。努力目標は必要ありません。
頑張らなくて良いのです。
これからは、今ある現状を受け入れ、感謝すれば それでよいのです。

でも、これまでのように夢や目標を立てたい、それに向かって 頑張りたいという人は、それで良いのですよ。
あなたのやりやすい方法で生きてください。
どのように生きても、それは運命として決まっていることです。 夢や目標が達成できないからと、悩まないこと、苦しまないことです。 現状を受け入れ、感謝することを忘れないでください。

目の前で起こることが、「気に入らない」、「不幸だ」、 「悲劇だわ」と、嘆いたり 怒ったりする以上に、 その現象をじょうずに乗り越える方法があることを、 思い出してください。それは、現状をみとめること、受け入れること、 さらには感謝することです。

自分の思いどおりにならないことを、自分の思いどおりにしようと 努力したり悩んだりするのでなく、それを静かに受け入れましょう。 それが結果的に一番楽な生き方で、自分にとって悩み、苦しみの 一番少ない生き方なのです。


○神様は敵か味方か

神社やお寺とは、本来、感謝する場だったのです。
「ここまでぶじに生きてきました。ありがとうございます。」
これが、祈りの本来あるべき姿です。

ところが現状は、願いごとの場のようになっています。
お正月は「一年がよい年でありますように」「商売繁盛」 「家内安全」などです。受験の季節には、合格祈願。 車を購入すれば、交通安全祈願。寂しくなれば縁結びの祈願など。 そういう、願いごとしかしない人が多いですね。

神社やお寺で祈るのは、神様や仏様に祈ります。
この世を造った存在に対しての祈りですね。
今のあなたを造った方です。

そんな神様に、「彼氏がほしいです、お願いします。」
と、ペコリと頭を下げて祈るとは、どういうことでしょう。
神様とは完全な存在なのですね、完全な世界を造られます。
あなたは今、彼氏がいません、ちょっと寂しい「なんとかしてよ」と 思っている。神様は彼氏がいないことから、何かを学びなさいと 言っておいでなのです。寂しさから何かを学びなさい。 今ある状況を受け入れることにより、彼氏がいるより  もっと多くのことを学べますよ、と完全な世界を造られました。

でも、あなたが丁寧に頭を下げながら、願いごとをするのは、
「神様が造った世界が不満ですから、違う状況ににしてください」
と言っているのです。
神様に対して、宣戦布告したのですね。
「あなたの造った世界が不満で受け入れられない。」
と言うのも同然です。いくら頭を下げられても、言ってることが 宣戦布告では、神様が味方してくれると 考える方がむりですね。

神仏に対して、願いごとはしてはいけません。
それは人間の傲慢です。
謙虚に、今の幸せを感謝しましょう。
そうすれば、もっと多くの幸せを与えてくださいますよ。

同じようなことを、私たちは日常の中でも行っています。
小さい時から「夢や希望を持って生きなさい。」と教えられてきたの ですから、「あれもほしい」「これもほしい」と、欲望のかたまりに なっていても仕方ございません。
「願いを持って、それに向かって 努力しましょう。」と教育されて きました。そして努力した結果、わずかの幸せを手に入れますが、 ほとんどは満たされない空しさと、悩みと苦悩の連続という人生を 歩みます。

願いとは、今ある宇宙への挑戦です。
努力は神との戦いです。これでは、幸せは遠のくばかりです。
「あれがほしい」「これもほしい」と思うことは、 感謝を忘れ、神に文句を言っているだけなのです。 そして、思いどおりにならないからと苦しんでいるのです。
宇宙や神様を相手に戦争をしているのですから、 これでは、苦しむばかりで、幸せからどんどん離れていくはずです。

もし、願いごとが叶っても、それは一時的なもの。
得たもの以上に、多くの失うものがあります。


○願いは叶うか

「強く願いなさい、潜在意識に願望を植えつけなさい。」
「思いは実現する」という願望達成法があります。
春名寺の述べていることと、まったく反対のことをするわけです。
強く思えば必ず実現するというなら、世の中で癌で死ぬ人はいなくなります。 癌患者は、誰よりも生存することを願い、健康になることを  強く強く願いながらも、病状はむなしく悪化していきます。

会社の経営者は、誰よりも会社を 倒産させたくないはずです。
不渡りを出したくない という願いは、人の何十倍も強いでしょう。 それでも、手形が不渡りになる時はなるし、会社は倒産するのです。
「強く願えば、必ず思いどおりになる。」
というのは、間違っているとしか思えません。
むしろ、強く願えば願うほど、その反対にものごとが動いて行くように  なっているのかもしれません。

ある癌患者さんの例があります。
その方は、不幸にも医師から余命3ヶ月と宣告されたのです。 それは、たいへんな苦しみで、毎日毎日死ぬことを考え続けて、 その恐怖心から逃れたくて、
「えーいくそ、もうどうにでもなれ!」
と、病院を抜け出し、好きな車を購入して、全国をドライブしまくって 遊んだそうです。 とにかく癌のことを考えたくなかった、癌から逃げたのです。
そして、温泉につかり、夜にはご馳走を食べて、酒を飲んで寝たのです。

やがて、余命の3ヶ月が過ぎてもなかなか死なない。
それどころか、何だか元気になってきたぞ。
「おかしい?」
というので、病院で再検査してもらったら、 なんと癌が小さくなっていました。
「奇跡だ」と医師が驚いているのに比べ、 その人は癌を克服するコツをつかんだような気になりました。 その後も、全国の温泉巡りをして、毎日の健康を 「ただただ、有り難い。」と、感謝し続けたのです。
癌のことや、健康になりたいとは、あえて考えないように 努力しています。 そして、今も健在で 温泉とグルメとお酒の本を出版するに至りました。

神様やこの宇宙は、願いや努力をあまり評価しないようです。
努力をして頑張っている人が、世の中にはたくさんおいでますが、 なかなか幸せというには、程遠い、疲れきっている人が ほとんどのように思われます。
人の幸せと不幸せの分かれ道は、「神様が味方しているか、 敵になっているか」の違いのように思えるのです。

神様を味方にするには、ありとあらゆることに、不平不満を言わず、 グチ、悪口、文句を言わず、 否定的に考えないこと、これに尽きます。

さらに、ありとあらゆることを肯定的にとらえること。
「うれしい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう。」
という言葉を多く使うように努力すれば、 神様は、よろこんで味方してくださいます。


○不道徳か

これまで読んできて、理解はできるが、「ちょっとおかしいぞ」 と、思う人はおいでませんか?

・人間から、夢や希望、さらには努力まで取ってしまって、 それで生きていけるの?
・夢もなくなったら、楽しみはあるの?
・何にもしないで、ぐーたら遊んでいて、生きていけるのか?
・努力を否定するなんて、不道徳なのでは?
・私は今、病気で苦しんでいるので、感謝できません。

という声が聞こえそうです。
これまで「希望と努力」をモットーに、頑張ってこられたのですから、 急にそれらを捨てなさいと言われても、タバコ好きな人に 禁煙させるようなものでしょう。
でもね、タバコ好きな人は「タバコぐらいは自由に吸わせてくれ」 と言いますが、あれやこれやと苦労して吸っているのが現実で、 本当の自由とは、タバコをやめた時に自由になれるのです。 吸っているほんの一時の幸せのために、ずっと苦労の連続をしている のですが、それが解りません。

「希望と努力」も、タバコと同じで、一時的に手に入る幸せのために、 ずっと多くの苦労をしていることが 解らずにいます。
タバコをやめた時、不安はあります。不自由にも感じますが、 それを乗り越えたら、ずっと大きな自由が手に入るのです。

神様や宇宙に、身を委ねて生きる人、わがままや希望を言わずに 穏やかに静かに暮らしている人ほど、悩みや苦しみと無縁の生活を しています。
悩みもなく、苦しみもなく、いつも笑顔を絶やさず、穏やかに暮らして いる人が大勢おいでます。思いどおりにしようという考えを、 まったく持たず、淡々と生きている人ほど、楽に穏やかに、 優しい生活をしているのです。

ぐーたら遊んでいる訳ではありません。
町内会の役員や、会社役員、いろんな世話役を依頼されて、 忙しくなさっておいでます。世話役に限らず、趣味やボランティア活動に 励んだり、もちろんお仕事に頑張っている人も多いですが、 生活のために頑張るとか、仕方なく頑張るとか、努力するということはなく、 ほとんどの方が、他者のために励むことを、喜びとしているのです。 神様や宇宙に感謝しながら、喜びとともに生きておいでます。

病気であれば、「病気もまたよし」と受け入れ、 病気をしてはじめて解ることを学びます。いろんな人の助けを、 ありがたく感謝しながら、療養生活に幸せを見出しているのです。
「生老病死」を受け入れる、生きるもよし、老いてもよし、 病気になってよし、死ぬならそれもよしと受け入れれば、 すべてが楽になるのです。

いちいち「不幸だ、辛い、なぜ?」なんて考えない、 評価しないのです。


○般若心経

お釈迦様は、人類史上で最高の発見をしました。
それは、

「思い」を持てば持つほど、悩み、苦しみは大きくなります。
「思い」を捨てれば、楽になります。
目の前の現状を、受け入れれば、悩み、苦しみは解消されます。

ということです。
ところが、その後の仏教は、おかしな方向に歩み出します。
「願いごとを叶えましょう、そのかわり料金を払いなさい。」
という現世利益を唱えるようになったのです。
今、お寺のほとんどが、「○○にご利益があります」と、宣伝しています。 ご利益や願いごとをエサにして、民衆を操っているように思います。

ほんとうは、お釈迦様は、「思いを捨てなさい。」と、 おっしゃっておいでたのに、 まるで反対のことを、お寺はしているのです。
皆さんがよく知っているお経で「般若心経」という、素晴らしいお経が あります。仏教のエッセンスと呼ばれるほど素晴らしくて、 お釈迦様は、「般若心経だけは後世に残ってほしい。」と、願ったほどなのです。

よく般若心経の解説の本が出ていますが、 なんだかややこしい、難しい、わからない、という意見が多いですね。
でも、ほんとうはこのHPに書いてあるように、 「思いを捨てれば楽になれますよ。」
と、ただそれだけを書いてあるにすぎません。
お釈迦様は、これを言いたかったのですから。

でも、お寺がご利益を与える立場からすると、 「思い」を捨ててもらっては 収入がなくなって困るのです。
お釈迦様は、「思い」を捨てなさいと言うし、 お寺は「思い」を捨ててもらっては困る。
その間で、般若心経は可哀想にも、いじり回されて、 「空から無限の利益が出てくる」、とか、ヘンな解説がされています。

それでは、ごく素直に、そのまま般若心経を読んでみましょう。

/////////// 般若心経 ///////////

  仏説摩訶般若波羅蜜多心経

 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
 照見五蘊皆空 度一切苦厄
 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
 受想行識 亦復如是
 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
 是故空中 無色無受想行識 無限耳鼻舌身意
 無色声香味触法 無限界乃至無意識界
 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
 菩提薩多 依般若波羅蜜多故
 心無圭礙 無圭礙故 無有恐怖 遠離一切 顛倒夢想
 究鏡涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
 能除一切苦 真実不虚故説 般若波羅蜜多呪
 即説呪曰 羯帝 羯帝 波羅羯帝
 波羅僧羯帝 菩提莎 訶 般若心経

/////////////////////////////////

解説しますと、

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」
観音様が、人類を救済したいと行をしていました。
その時のことです。

「照見五蘊皆空 度一切苦厄」
照らし見るに、五蘊はみな空であると悟ったのです。
これにより、一切の苦厄を彼岸(神仏の世界)にお渡しできると、 お悟りになられました。

何かたいへんなことを発見したようですね。さて、なんでしょう。
いっさいの苦しみをなくして、楽に生きる方法らしいですよ。
観音様の次のお言葉に注目しましょう。

「舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」
舎利子(弟子の名前)よ、お聞きなさい。
色は空(くう)に異(ほか)ならず、空は色に異ならず。
色は即ちこれ空なり、空は即ちこれ色なり。

そばにいたお弟子さんに語りかけています。
色とは、物体や肉体のことで、空とはカラッポのことです。
人間が、どんなに夢を想い、それを追いかけても
それは空なんだよ。
そんな「思い」は捨てなさい、楽になれるよ。
膨大な仏教の経典は、この短い「般若心経」という ただ一つのお経に集約されると言います。
そして般若心経は、「色即是空」という、 ただ一つの言葉に集約されるとも言います。

「思い」を捨てなさい、楽になれるよ。
お釈迦様は、心をこめて訴えているのです。
般若心経の言うことは、ただこれだけで、
もっと極端に言えば、仏教とは そんな教えなのです。

あとの内容は、あれも空、これも空。
眼、耳、鼻、舌、身で感じること、これらはすべて空、というふうに、 これでもかというくらい、「思い」を追いかけることは  カラッポの世界で もがいていると述べます。

最後に、

「羯帝 羯帝 波羅羯帝 波羅僧羯帝 菩提莎訶」
となり、「行こう、行こう、彼岸の世界へ」
ということです。
「思い」を捨てて、楽になって、神仏の世界に行くような、 気楽で穏やかな生活を送りましょう。
・・・と、般若心経は説いているのです。

すべてが「空」なり。






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