静かな心 

 
 かなしみが 潮のように満ちてきて、
 眠れない夜がある。
 かなしみが 潮のように引いていき、
 守られている私に 涙する。



悩み、苦しみを消し去り、
穏やかな静けさを取り戻すために



「瞑想のおすすめ」では、座る瞑想と歩く瞑想が
書かれていましたが、ここでは、日常の生活の中に
瞑想を生かすことを、お話ししましょう。
悩みや苦しみを 瞑想により克服する方法です。

世の中が、楽しいことばかりで、
「ああ、私は幸せだわ。」
という人は、ここを読む必要はありません。
ごく普通に生活している、ほとんどの人は、
悩み、不安、怒り、欲望、憎しみ、嫉妬、悲しみなど
苦しみの種は尽きないと 感じていることでしょう。

また、ほとんどの場合、その感情や考えに振り回され、
怒ったり、悲しんだり、苦しんだりしていることさえ
気づきません。

人生って、ほんの少しの幸せと、多くの苦しみが集まっている。
人生って、不平等。
人生って、不安だらけで、生きているのが辛い。

そう思っている人は、ぜひこのページを
読み進めてください。



 朝、お布団の中で

目がさめるのは、あなたが生まれること。
あるいは地球の誕生。もっと遡れば、宇宙の誕生と同じです。
すべてが「無」から 生成される時です。

まず眠りの暗闇の中に、誕生の種が生まれます。
ぼんやりした意識、おさな児のようなまどろみ。
しだいに自我が形づくられ、あなたはこの数秒間で、
誕生から今までの成長、歴史のすべてを体験するのです。

ここで、何も考えずに目覚めた人は、次へ進みましょう。
でも、これからの通勤ラッシュのことや、会社の上司のことや、
イヤな同僚と会うことを考えたら、不幸な一日になります。
また、昨日、お友達から言われた イヤな話しや、
車をぶつけたことや、妹とケンカしたことなど、
過去の不幸を考えても、今日一日は
不幸な一日となります。

そんな時は、そのまま考え続けては いけません。
考えに 流されないようにしましょう。

通勤ラッシュのことを考えたら、
「私は通勤ラッシュのことを考えている。考えている」
と、頭の中のことを そのまま言葉に変えて 念じましょう。
口に出す必要は ありません。

通勤ラッシュの光景を想像したら、
「光景を想像している、想像している。」
と、念じましょう。
二度繰り返すのが コツです。

やがて会社の上司のことを 考えるようになったら、
「私は上司のことを 考えそうだ、考えそうだ。」
と、念じましょう。
「考えそうだ」を、二度繰り返します。

ふつう、こうして念じていると 考えていることは
消えてしまうものです。
もう考えることがなくなったら、心がスッキリします。
透明な澄んだ感覚を 味わいながら、

「澄んでいる、澄んでいる」
と、念じましょう。

朝の目覚めは、ぜったい「気持ちよく」目覚めることに尽きます。
ここから一日を スタートさせられた人は、
今日一日、きっと気持ち良く 過ごせるはずです。



 朝、お布団から出る

さあ、ここから一日の活動の始まりです。
ここで 何も考えずに、布団から出られた人は 幸運です。
次に進みましょう。

でも、「ああ、今日はイヤな会議がある。」とか、テストとか、
体重測定があるなんて 考えそうになったら、いけませんね。
ここでも 思考の言葉を、追い払いましょう。

会議のことを考えたなら、
「私は会議のことを 考えている、考えている」
と、頭の中のことを そのまま念じましょう。

会議で 書類の準備をしている自分を 想像したら、
「想像している、想像している」
と、念じてください。

イヤな気持ちになったら、
「イヤな気持ち、イヤな気持ち」
と、念じてください。

そうすると、不思議なことに 考えや想像やイヤな気持ちは
消えていくものです。静かな何も考えない状態に なります。
すると、もう念じることは なくなります。
透明な澄んだ感覚を 味わいながら、

「澄んでいる、澄んでいる」
と、念じましょう。

でも、このまま続けると、
「澄んでいる」と、考えている自分を 念じたり、
考え続けることになります。
心が静かな時は、呼吸を観察しましょう。

息を吸っているなら、
「息を吸っている、吸っている。」
と、念じましょう。

息を吐いているなら、
「息を吐いている、息を吐いている。」
と、念じましょう。

もう、あなたの心に マイナス思考の言葉も
プラス思考の言葉もない、透明な静けさだけの 心になります。

やがて、布団から起きあがりましょう。
「起きあがる、起きあがる」
と、念じながら起きあがります。

布団から出る時は、
「布団から出る、出る」
と、念じましょう。



 生活に生かす瞑想

以上が、生活の中で 瞑想をいかすことの 基本です。
あとは、同じような心の中の操作を、日常生活で続ければ良いのです。
「あれっ?これでいいの?」
と、思われた方もいるでしょう。

「ええー、めんどうくさーい。」
と、思われた方もいるでしょう。

動作や考えていることの 一つ一つを言葉になおして
念じ続けるのです。
そして、動作や考えのないときは、呼吸を意識して念じます。

このような瞑想を「ウィパッサナー瞑想」といいます。



 嵐のはじまり

朝、着替えの時、

「どんな服を着ていこうかしら?」

ここからが危ないのです。
洋服の選択から始まって、「その服、似合っていないワヨ。」
と、同僚から言われる場面を想像し、その同僚の悪い面が
どんどん浮かんだりします。その後イライラしながら
洋服を選んで、洋服を着て、イライラしながら、顔を洗ったり
歯を磨いたりします。

そして、ハッと気づいた時は、もう頭の中では会社の中の
社員の勢力争いや、お友達のランキング表が浮かんだり、
もうメチャクチャになっているのです。

でも、気づいたのは ラッキーでした。
気づいた時から、瞑想に戻りましょう。
社員のことを考えていたら、
「社員のことを考えている、考えている」
と、念じましょう。

そして、イライラしているなら、
「イライラしている、イライラしている」
と、念じましょう。

そして、髪をといているなら、
「髪をといている、といている」
と、念じましょう。

お友達のことを考えていたら、
「友達のことを考えている、考えている」
と、念じましょう。

髪を束ねたら、
「髪を束ねている、髪を束ねている」
と、念じましょう。

動作のひとつひとつ、考えていることのひとつひとつを
念じながら行うと、それまで考えていたことは 消えてしまい、
イライラも解消されています。

このように、頭の中でぐちゃぐちゃ考えることや、
イライラすることは、まず気づくこと、次にそのことを
念じ続けることで 解消することができます。



 穏やかな心

先ほどの例で、ほんとうは、

「どんな服を着ていこうかしら?」

この時点で瞑想に入れば、イライラしなくてすんだのです。
考えることは、ほとんどがマイナス思考へと 進展しやすいものです。
考える時は、要注意です。

「服を探している、探している」
と、念じます。

同僚が、「その服、似合っていないワヨ。」
という場面を想像したら、
「想像している、想像している」
と、念じます。

少しムカッときたら、
「むかっとしてる、むかっとしてる」
と、念じます。
すると、それ以上のイライラに発展しないのです。
また、これ以上は無駄な考えは 湧いてきません。
おそらく洋服を選んで、着替えするだけでしょう。

このように、絶えず自分の動作や、考えていることを
瞑想していれば、感情の起伏が少なくなり、
マイナス思考を しないようになります。



 思い出したら行う

ほんとうは一日中、瞑想できたら良いのです。
でも、それは無理です。
はじめから大きなことを目指さずに、思い出した時に
瞑想すれば良いです。

特に、何かを待っている、ちょっとした時間に瞑想してみましょう。
例えば、
信号を待っている時、呼吸に注意を向けましょう。
「私は、吸っている、吸っている」
「吐いている、吐いている」
「あ、青だ。歩き出す、歩く、歩く」

エレベーターを待っている時、呼吸に注意を向けましょう。
「私は、吸っている、吸っている」
「吐いている、吐いている」
「あ、きた。乗りこむ、乗りこむ」
「立ち止まる、止まる」
また呼吸に戻って、
「私は、吸っている、吸っている」
「吐いている、吐いている」

こうして、ずっと瞑想を続ければ良いですが、
ふつうは どこかで途切れてしまいます。

でも、次に何かを待つ時、ふたたび呼吸に戻りましょう。
コピー機の前で、
「私は、吸っている、吸っている」
「吐いている、吐いている」
そして、できる限り瞑想を続けましょう。



 苦しくなったら行う

今、とても悩んでいることがある時、苦しみがある時、
それを瞑想で解消しましょう。
悩みや苦しみは、その「思い」を捨てたら楽になれます。
事実を受け入れたら、解消します。
それは「苦とは」のページに書かれていますので、
まだ読んでない人は、ぜひ読んでみてください。

長年付き合ってきた彼氏にフラれた。・・・
悲しい、くやしい、辛い・・・
いくら悲しんでも、彼は帰ってくれません。
そんな苦しみは、早く捨てた方が良いのです。

彼氏と楽しく過ごした日々を思い出したら、
「私は思い出している、思い出している」
と、念じましょう。

楽しくなったら、
「楽しくなっている、楽しくなっている」
と、念じましょう。

でも、フラれたことを思い出して、悲しくなったら
「悲しんでいる、悲しんでいる」
と、念じましょう。

それだけで、悲しい思いは スッと消えてしまいます。
ふつうなら、いつまでも終わることのない悲しみに
ずっと浸っているのに、心の中で念じるだけで、
あっけなく解消されます。

静かな心に、またふいに現われる悔しさがありました。
彼の言葉が思い出されたのです。
「オレ、B子が好きになったんだ。だから、お前とは
 もう付き合えない。」
心の中には、B子への恨みがムラムラと湧いてきます。
べつに彼女が悪いのではない、誰が悪いのでもない、
ただ縁がなかっただけなのに、それでも恨みは消えません。

そんな時、
「私は恨んでいる、恨んでいる」
と、念じましょう。
でも、そう簡単には消えてくれません。

「私は彼とB子の姿を想像している、想像している」
と、念じましょう。

「私は恨んでいる、恨んでいる」
と、念じましょう。

「彼の姿が消え、B子の姿を想像している、想像している」
と、念じましょう。

「私はB子を恨んでいる、B子を恨んでいる」
と、念じましょう。

「こんな感情は醜いと思っている、醜いと思っている」
と、念じましょう。

「B子が消えていく、B子が消えていく」
と、念じましょう。

「恨みの感情も消えていく、消えていく」
と、念じましょう。

そんなに簡単にいかないかもしれません。
もっと、ずっと時間がかかるかもしれません。
でも、自分の心の観察を続け、念じることによって、
必ず感情は消えてなくなり、穏やかな心が戻ってきます。
ぜったいに戻ります。

悩みや苦しみが、心の中で湧きあがるたびに、
この瞑想を行って 消し去りましょう。
一回一回、コツコツと消し去りましょう。

もし、悩みや苦しみに かき回されて、
瞑想するのを忘れても良いのです。
それで、普通なのですから。
気づいた時に、瞑想して、悩みや苦しみを
消し去りましょう。



 瞑想の効果

苦しんでいる時に、「私は苦しんでいる、苦しんでいる」
と念じたら、苦しみは消えてなくなります。

悲しんでいる時に、「私は悲しんでいる、悲しんでいる」
と念じたら、悲しみは消えてなくなります。

怒っている時に、「私は怒っている、怒っている」
と念じたら、怒りは消えてなくなります。

憎んでいる時に、「私は憎んでいる、憎んでいる」
と念じたら、憎しみは消えてなくなります。

嫉妬している時に、「私は嫉妬している、嫉妬している」
と念じたら、嫉妬は消えてなくなります。

不安に思っている時に、「私は不安に思っている、不安に思っている」
と念じたら、不安な思いは消えてなくなります。

頭の中の、ごちゃごちゃした考えや、
胸を焦がす感情が消えた後は、澄んだ静かな心が現われます。
穏やかで、優しい気持ちになります。
体の力みが消え、リラックスした状態になります。
そんな心境は、すべてが良い方向に導かれるものです。

すべての「苦」から開放されます。



 立場の逆転

怒っている時、私たちは怒りに支配されています。
悲しんでいる時、悲しみに支配されています。
つまり、私たちは 感情にいつも支配されて、
感情の奴隷になっているのです。

「楽しいことって、そんなに多くないものだよね。
 世の中って、辛いことが多いよね。」
そう考えているあなたは、正しいかもしれません。
いろんな感情がある中で、喜びは一つだけれど、
ほかには、怒りや悲しみや、不安や後悔など
多くのマイナス感情がありますから。

そして人間の考えることは、なぜかマイナスの方へ
マイナスの方へと 行ってしまうものです。
それは、言葉の持つ宿命で、ものごとを分断し、
分析して、名前を付けたものが 言葉だからです。

例えば、「愛」という言葉は すばらしいのですが、
それを、「子供への愛」、「我が子への愛」、
「我が子が可愛いことへの愛」という風に、細かく分類するに
したがって、愛の幅が狭くなり、その他の愛はなくなり、
とても排他的で わがままな愛に変っていきます。

言葉を多く使えば使うほど、人は不幸になります。
人間が、言葉で考える動物である以上、悩みや苦しみに
支配されるのは、仕方のないことなのです。

でも、ここで瞑想をした場合、どうなるでしょう。

悲しみに浸っている時、
「私は、悲しんでいる、悲しんでいる」
と、念じます。

怒っている時は、
「私は、怒っている、怒っている」
と、念じます。

と、なりますね。
ふつう、悲しみに支配されていたり、怒りに支配されているのが、
悲しみや怒りから、抜け出して、一歩離れて観察しているのが
分かりますか?

「私は、悲しんでいる、悲しんでいる」

と、念じることができるのは、悲しんでいる自分を 観察している
もう一人の自分がいるのです。
その自分とは、これまでの自分より ずっとレベルの高い自分です。

たぶん、悲しみはやがておさまり、
怒りは、やがて静けさに変るでしょう。
これまで感情に支配されていた自分が、
今は、感情を支配することができるのです。

感情と自分の 立場が逆転したのです。



 ちょっと注意すること

苦しいときに「苦しい、苦しい」と念じ続けていると、
逆にどんどん苦しくなることがあります。
悲しいときに「悲しい、悲しい」と念じ続けていると、
どんどん悲しくなることがあります。

それは苦しみや悲しみの中に、どっぷり入ってしまって
感情に巻き込まれてしまったからです。
巻き込まれながら、なおも「苦しい、苦しい」と念じ続けていると、
ほんとうに苦しみが倍増していって、苦しみの深みに入ってしまいます。

たいせつなのは、感情から一歩離れて、巻き込まれずに
「私は苦しんでいる、苦しんでいる」
「私は悲しんでいる、悲しんでいる」
と、実況中継することです。

この「一歩離れる」ことが、すべての苦しみから脱出する手段ですから、
自分が離れているか、離れていないかを、いつも観察しましょう。
惰性で「苦しい、苦しい」と念じると、つい感情に巻き込まれますから、
気をつけてください。



 失敗を許しましょう

すごく悲しんでしまった。わけも判らずに泣き続けていた。
すごく怒ってしまった。もう頭の中が飛んじゃって、
カーッとなって、あとはワケ分かんなくなった。

・・・わたしには、瞑想がむりなんじゃない?

そんなことは、誰だってあります。
普通のことで、なにも心配する必要はないし、
だから瞑想がむりってことも ありません。

自分を責めたりしないで、静かに瞑想に戻りましょう。
「瞑想は、むりなのかな?」
と、考えたら、
「むりかなと考えている、考えている」
と、念じましょう。

まだ怒っている余韻が残っていたら、
「まだドキドキしている、ドキドキしている」
と、念じましょう。

そして少し落ち着いたら、
「少し落ち着いてきた、落ち着いてきた」
と、念じましょう。

やがて、心が静かになったら、
呼吸に戻ります。

息を吸っているなら、
「息を吸っている、吸っている。」
と、念じましょう。

息を吐いているなら、
「息を吐いている、息を吐いている。」
と、念じましょう。

このようにして、失敗した自分を責めることなく、
ただ静かに瞑想に戻り、呼吸に戻りましょう。
これは、「失敗を許す」という、とても大切なことを
学んでいることになります。

自分や他者の「失敗を許す」ことは、とても難しいことですが、
それを瞑想により、何度も、何度も練習して、
じょうずに許せるように なりましょう。
それは、優しさを学ぶことです。



 怒り

とても怒りっぽくなることが、誰にでもあります。
なんだかイライラする。
お母さんや家族に、すぐあたる。
彼にあたってしまう。

怒った後で、自分がイヤになったり、がっかりしたり、
ふがいなさに 自己嫌悪になったりします。

そんな時に、瞑想を続けていますと、微妙な心の変化が
見えてきます。イライラや怒りっぽさの前に、
心の痛みがあったり、恐れがあって、
その苦痛を避けるために 怒ったり、
他者を攻撃したりすることが、多くあります。

瞑想は、そんな自分の心の弱さを しっかり認識できます。
弱さを認めたとき、自分を思いやることができるのです。

また、見当はずれに怒っている時や、その直前に 怒りを観察し、
怒りを止めることもできます。
怒ってしまった後でも、自己嫌悪にならずに、
「わたしって、弱いなア・・・」
と、思いやりをもって 観察することができるのです。
瞑想は、なによりの「癒し」になります。

「おそれ→怒り→自己嫌悪」という悪循環から 
抜け出すには、瞑想しかありません。



 無常

お釈迦さまの、たいせつな教えが、この「無常」です。
この世で 永遠に変らないものはないんだよ。ということです。
私たちは、私たち自身や、この体も、仕事や恋人のことは
全部よく分かっていると思っているけれど、
そういうものは、時の流れとともに 変ってしまうものなのです。

人が人生で味わう苦しみの、ほとんどすべてが
この「無常」にさからう心理から きていると言われます。
親が年老いて死ぬのが悲しい。子供が大きくなって、
遠くの大学に 行ってしまうのが悲しい。恋人のこころが変って
去っていくのが悲しい。定年で仕事をやめるのが悲しい。
老けていく肉体が悲しい。・・・

すべて「無常」です。

無常を食いとめようと努力しても、無常を無視しようとしても、
それは辛いことです。
かといって、無常と正面から向いあうのも、また辛いことです。

けれど、瞑想を続けていくと、無常の変化を 自然の一部として
迎えることができるのです。喜びではないにしても、
苦しさ、辛さは ゆるやかなものになるでしょう。



 受け入れる

私たちの世界は、とてもせわしない競争社会です。
勝ったか負けたか、手に入れたか 入れられなかったか。
そんな結果ばかりを追いかけています。

この瞑想をやっていると、できごとや思考というものを
冷静に眺めることができます。そして、できごとや思考に
どう反応するかも 眺められます。
その結果として、できごとや思考に 巻き込まれなくなるという
瞑想の 素晴らしい効果があります。

人生には、いろんなことが起こりますが、その結果や内容を
コントロールしようと、やっきになるから
悩みや苦しみが生じます。
そこで瞑想が生きれば、冷静な対応ができるはずです。

じっさい競争に負けても、恋人にふられても、試験に落ちても、
それでも元気でいられるということは、とても大切なことです。
だって、競争に永久に負けないことはないし、
恋人とはいつか別れるものだし、
試験はいつか受かるか、別の方法があるものだから。

人生で、もっとも大事なことは、結果を求めることではなくて、
結果を うまく受け入れることなのです。

そんな大きなことでなくても、日常には細かな結果があふれています。
目玉焼きがうまくできたか、どうか。
お化粧がうまくできたか。
ストッキングがでんせんしていた。
電車で席に座れなかった。
そんな細かな結果や内容に、いちいち喜んだり怒ったりして。
喜ぶのは良いのだけれど、怒ったりがっかりすると、
しだいにストレスとなって、心に蓄積します。
その結果、夕方には重い気持ちで、どんよりした気分になり、
体は疲れでいっぱいです。

もしも、目玉焼きで失敗して、「あーん、がっかり!」
というのを、瞑想でやってみましょう。

目玉焼きを作っています。
「あ!黄身がつぶれた、つぶれた」
「少しがっかりしている、がっかりしている」
「あ、裏がこげてる、こげている」
「火を止める、止める」
「少しイライラする、イライラする」
これで終わってしまいます。
イライラしているな、と観察することで イライラは
消えていくものです。イライラなんて、恐くありません。

普通ですと、ここからイライラがどんどん変化していき、
自分が料理が苦手なことや、フライパンが悪いとか、
誰かのせいにしたり、ずっと頭の中に ごちゃごちゃの思考が
渦巻いて、嵐のようになっていきます。

瞑想していると、ただ結果を静かに受け入れることが
できるのです。



 あるがままに

マイナス思考の もう一つの源泉は、判断や評価をすることです。
「こちらの方が高級だわ」、「あたしの方がキレイ」、
「足が細いか」、「失敗」、「好き」、「安い」、
「勝った」、「負けた」、・・・

私たちは、いつもいつも心の中で、判断と評価を繰り返しています。
とくに自分への判断や評価は、とてもきびしくて、
しかも気まぐれです。
昨日は「よし」と評価したことも、今日になると「ダメ」に
変ることは珍しくありません。

私たちが、目標やあこがれ、理想というものを持っている限り、
いつもそんな高い存在と 自分を比較して、自分に「ダメ」の
レッテルを 貼り続けています。
「わたしはもっと ○○でなければ」、
「私はとても善良な人ではない」、
「みんな私より ○○がよくできるんだわ」
という、辛い自己批判を 毎日毎日おこなっているでしょう。

でも、瞑想をすると、そんな必要のないことに気づきます。
今の自分を、そのまま受け入れれば 良いのですから。
前から歩いてくる女性の足が太いと思ったら、
「私の方が細いと思っている、思っている」
と、念じ
「喜んでいる、喜んでいる」
と、念じましょう。
角を曲がって、モデルのようにスタイルの良い人と出会ったら、
「私の方が太いと思っている、思っている」
と、念じ
「ガッカリしている、ガッカリしている」
と、念じましょう。

残念な結果でしたが、心にシコリは残りません。
あるがままを受け入れただけです。



 コントロール

私たちは、ものごとをコントロールしたい、という欲求に
いつも苦しんでいます。出来事や他人や、自分の体を
自分が自由にできると勘違いしています。
「○○は、こうでなくちゃいけない」
「○○は、こうあるべきだ」

そして、それができないと自分を責めたり、
他者のせいにして腹を立てたり、落ちこんだりします。

でも、そもそも自分の体さえ 自由にコントロールは
できないのです。すぐ病気になるし、太るし、走ると疲れるし、
肌は荒れるし、小ジワはできるし、・・・
それなのに、他人なんて ぜんぜんコントロールできないし、
まして世界のことなんて、コントロールできっこないのです。

苦労して計画したことが、思いもよらないことになる
なんて、しょっちゅうです。

それなのに、
「私はもっともてるハズなのに・・・」
とか、
「会社は給料を上げるべきよ」
とか、
「せっかくのデートなのに、どうして雨が降るの」
なんて不満をつのらせるのです。

瞑想をしていると、
「私はコントロールしようとしている、」
ということが、他者の目で観察できるようになります。
できっこないコントロールの 願望を知ることができて、
それ以上に発展しないよう、静めることが可能になるのです。

そして、コントロールできないことによる、不快な感情も
静かに眺めることができて、消し去ることもできます。

そういうことは、「すべてのことをコントロールできる」
と思うことより、ずっと大切なことなのです。



 あなたしだい

今や、あなたの人生の一瞬一瞬がチャンスです。
怒りや悲しみに、無自覚に反応し続けるか、
それとも瞑想するか・・・です。

今この瞬間を、ぶつぶつ考えながら過ごすか、
瞑想で、「ぶつぶつ」を観察し、静けさに戻すか、
どちらでも選ぶことができます。

そうは言っても、むずかしいのは確かです。
瞑想ができなくても良いし、
それで、もともとなのです。

気づいた時に、ただ瞑想に戻り、呼吸に戻ると
いうことです。自分をとがめもせず、がっかりもせず、
雑念にまみれることを当然として、すばやく静かに
瞑想に戻りましょう。

誰でも、時々失敗するし、間違えることはあるし、
瞑想は忘れるけれど、それを当然のこととすればいい。
自分を責めもせず、自己嫌悪にならず、反省なんてする
必要はない、ただ気づいたその時に、すばやく静かに
瞑想の道にもどるだけ・・・



 時空を超えて

このウィパッサナー瞑想は、お釈迦さまの説かれた
瞑想法です。あなたが瞑想するならば、
およそ2500年の時を超え、そこにお釈迦さまがおいでます。

「念住経」というお経の中で、お釈迦さまは次のように
おっしゃっています。

「比丘たちよ。
 このウィパッサナー瞑想は、生き物の心身を清めるため、
 心配や悲哀を乗り越えるため、悲しみや憂いを滅ぼすため、
 聖なる道を得るため、涅槃を実現するための、
 ただ唯一の道である。」

と、説かれています。
ウィパッサナー瞑想は、ウィパッサナー観法とも呼ばれ、
あらゆる現象を、ありのままに観察するという意味です。
自己を見つめることにより、こころを清浄し、
意識を磨き澄ますことができるのです。





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