環流日誌


日韓現代美術展「還流」
−増殖する空間・現代詩資料館「榛名まほろば」での試み−
 日韓各地で、その地域文化の担い手として活動している施設、あるいは地域へ視覚芸術を発信する場として活動している画廊等、日本では栃木の大谷石資料館や、群馬の現代詩資料館や各画廊などその地域の象徴的な場所、韓国の大都市ソウルのギャラリーや、韓国の伝統的な街慶州の民家を改築したギャラリー等、幅広い活動を行う施設など14箇所で日韓作家による展覧会をおこないます。多くは、限られたスペースの小規模な街角の画廊です。それらでは、日本と韓国人が数人ずつで作品を展示します。また、大きな空間を持つ場では、地域の人々とワークショップや、シンポジューム、音楽家や、詩人とのコラボレーションを予定しています。地域の行政、教育関係機関との連絡を密にし、地域の行事などと共同開催や、行事の中に組み入れてもらうことで活動の効果をあげていきます。そのような活動を日韓の参加者で運営、活動していく中から情報も人もネットワーク化されていきます。それらの活動を通して私たちは個人、地域、社会、国の持つ差異を感じ取るはずです。差異を意識することは、互いをそれまでより深く知ることにつながります。  両国のさまざまな場所で、参加者も、時間もずれていく中で、2005年、日韓国交40周年になる8月に韓国プサンのマリンギャラリーからのスタートし、人や作品が行き来することで徐々にネットワークが作られていきます。ギャラリーや地域の要請で幾つかの新たなる活動が入ることも考えられます。時間と空間が14箇所の活動は、流動的であることもまた重要な要素だといえます。そして、最終2005年12月25日、かかわった人と場所と地域に新たなるネットワークと、それぞれの国や地域について考える契機となるならば、視覚的な表現を通して参加・運営していく私たちの目的はささやかに完了するはずです。(日韓現代美術展「還流」事務局)
  展覧会日程・会場
B現代詩資料館榛名まほろば 10月16日(日)〜11月6日(日)(無事終了。)
CGoto Gallery(テグ)   12月1日(木)〜12月7日(水)
           〒700-441 2107-20,Namsan1-Dong,Jung-Gu,Daegu, KOREA Tel:053-427-5190
  DGallery GOTMI(慶州)   12月5日(月)〜12月25日(日)
            〒780-871 744-2 Hwasan,cheonbuk-myeon,Gyeongju-si,Gyeongsan ,KOREA Tel:054-774-4680
  シンポジウム:「美術と詩 −イメージが立ち上がるとき−」
  パネリスト: 八木幹夫(詩人)ぱくきょんみ(詩人)高島芳幸(出品作家)菅沼 稔(出品作家)富沢智(まほろば館長・詩人)
  日  時:11月3日(木)13:00〜15:00(無事終了。)
  会  場:現代詩資料館榛名まほろば
  
12月5日
「環流」展は、韓国、慶州会場でフィナーレに向かっている。それにしても、日本の9,11体制の出現は予想外のことであった。向こう4年間は確実にこの体制が続くかと思うと暗澹たる気分になる。今回の「環流」展でも少なからぬ影響があったと小耳に挟んだ。日韓というだけでなく、広くアジアの国々との交流において微妙な空気が流れていて、どうもそれが楽しい方向に行きそうもないのが気がかりだ。日本はいつまで「脱亜入欧」から抜け切れないのか!と韓国では呆れているらしい。日本の一部には「脱米入亜」を唱える意見もある。もっとも、米の豪腕に腰が引けて当面は「親米入亜」と言うことらしいが。心配なのは御用マスコミの論調に引き回されることだ。私は、台湾、中国(上海のみ)、韓国(ソウルのみ)に行ってみただけだが、日本のマスコミに知らずに刷り込まれた印象とは全く違う出会いを体験した。民間レベルではいつだってそうなのかもしれないが、だとしたら、よほど個人として注意する必要がある。ご近所ゆえの意地の張り合いが政治問題になるとしたら政治家が馬鹿なのだ。今回の楽しい思いだけを書き留めておけばよかったのだが、1ケ月が経過して少々目線が浮き上がった。参加していただいた日韓の作家、関係者の皆さんに感謝しつつ、今後の活動の発展を切にお祈りします。ありがとう。そして、カムサハムニダ。富沢 智

11月7日
シンポジウム報告。八木幹夫さんは、菅沼稔さんの車で午前7時に相模原を出たはず。ばくきょんみさんは、高崎まで電車。そこから乗り継ぎのバスにうまく乗れるかが問題。高島芳幸さんは、何度もきているので問題無し。10時少し前、ぱくさんから電話。「群馬温泉・やすらぎの湯行き」に乗り継いでもらう。ほどなく八木さんたち到着。八木さんとは久しぶりだが、ヒゲなど蓄えてすっかり自由人になっていた。予定通りにぱくさんも終点に到着。車で3分ほどの「やすらぎの湯」に迎えに行く。11時には高島さんも到着して、これで無事にパネリスト全員が揃った。ちょっと心配なのは、降り始めた雨と開始時間の13時という時間。やがて、出品作家を中心に続々と参加者の皆さんが到着。事務局長の工藤政秀さんも作品2点を携えてやってきた。菅沼さん、田鶴浜洋一郎さん、小出英夫さんも作品持参。会場セッティングや打ち合わせ、電話応対など、この時間はいつも大混乱。やはり、少々入りが遅いので15分遅らせることに。常連の奥様たちや詩作教室の皆さん、予定されていた顔ぶれを確認しながら開演。高島さんの作品をバックに客席から見て左から、菅沼稔、八木幹夫、ばくきょんみ、高島芳幸、富沢という並び方。だんだん用意した客席が埋まり始めた。質問は三つ。「美術と詩ーイメージが立ち上がるときー」というテーマに沿って自己紹介をまじえてそれぞれに語っていただくこと。詩人にとって美術とは、美術家にとって詩とは?最後に、皆さんの今後の活動とテーマのまとめをお願いします。最初は緊張気味だったが、客席の熱気とともに皆さん舌もなめらかに。高島さんの「イメージが先にあるのではなく、作品行為の結果として現れるもの」という発言や、ぱくさんの、家族の言語と日本語、そして英語という言葉の体験などが語られ、八木さんは、それらを引き取りつつ自説を展開。菅沼さんは、色彩もイメージとして発見されるもの、と語ったと思う。テーマが深まるほどに難解になるところを八木さんが巧みに軌道修正するという役回り。ぱくさん、休憩時間に会場に見えていた同胞の方の挨拶を受けていたが、なんと、ぱくさんのご両親と同郷の方であったとか。後半は、残り時間を気にしながら進行している私の思惑をよそに、皆さん絶好調。わずかな質疑応答の時間を残しておいたのだが、小出さんを皮切りに続々と質問者が手を挙げる。当初予定の閉宴時間を1時間もオーバーするという事態に。後は懇親会で、ということで活発なシンポジウムは無事終了。パネラーの皆さん、客席の皆さん、ありがとうございました。懇親会は、パネラー全員に出品作家、ぱくさんと同郷のキムさんも参加され、総勢20名ほど。キムさんの韓国の酒席の作法などご教授いただきながら盛大な酒宴となりました。やがて、ぱくさん、菅沼さんと帰路に。皆でお見送りして、更に酒宴は続きます。「銀猫」の飯島章、井田秀樹、中里諒子に、いつもお手伝いしながら参加してくれるYさんなど。そろそろ終盤というところで、酔いつぶれていた山本伸樹さんが復活。もう何人ゲストルームで酔いつぶれていることやら。最後は田鶴浜洋一郎さんと山本さん。田鶴浜さんは、ゆらゆらと舟を漕ぎ出し、伸樹さんはまだ元気。翌朝、自宅で寝ていた私に工藤さんから電話。もう相模原に着いたという。早朝に「まほろば」を発っていたのだ。残りの宿泊組も私が出社?する頃には書き置きを残して去っていた。まるで、青春時代のような身のこなしではないか。以上、報告記とする。

本多真理子「レッドラインコネクション」
10月31日

現代美術がメシより好きだという人がふらりとやってきた。朝の掃除をしたり、常連の奥様の相手をしているうちに風のように帰っていってしまった。なんだろ、あの人。土曜日は「群馬詩人クラブ」の幹事会。引き継ぎのため、いつもの倍のメンバー。新しい代表幹事になった関口将夫さんは画家さんだ。建物全部を包む人がいなくてよかったね、だって。落語家の立川志ん朝さんは、呆然と眺めつつ、なにやらネタが閃いた様子。商業デザイン会社を経営しているYさんが新聞を見てやってきた。だいぶ参考になったということで、話が弾んだ。さて、いよいよ「シンポジウム」だ。

高島芳幸「用意されている絵画」
10月24日
今日の上毛新聞・文化欄に「環流」が大きく取り上げられている。明日は都合で開館が夕方になる。ちょっとタイミングが悪いが仕方がない。埼玉から来てくれた人がいて、電話で道案内をしたのだが、案内地図が古くて分かりにくくなっている。開館時間も何故かPM4:00迄になっていることも分かった。ここを読んでいる人で、お知り合いがでかけるようでしたら教えてあげて下さい。地図では上宿はT字路になっていますが、真っ直ぐバイパスが抜けています。営業時間はAM10:00〜PM10:00です。月曜定休。よろしく。
10月20日
さきほど、群馬よみうり新聞の取材。昨日は上毛新聞が取材にきた。工藤さんと打ち合わせ中だったので、そのまま電話取材に応えてもらった。一昨日には、菅沼稔さんから小品到着。今日は、地元の画廊に教えてもらったというご夫婦が熱心に眺めていった。何故かそれぞれの作品が「まほろば」に溶け込んでいるようで、植木や傘立て、めだかの水槽まで作品かと思えてしまうらしい。あちこちに居る本多さんのハムスターが好評だ。たぶん一番材料費の安い高島さんの作品が注目を集めている。皆、小首をかしげ、それから腕組みして立ち止まるのだ。
10月16日
昨日の続きから。高島さんは、喫茶の大壁面に裾を折った白い紙を一定の間隔を空けて52枚貼り付けた。タイトルは「用意されている絵画」。その一枚一枚には言葉が隠されているという哲学的な作品。本多さんは、黒い霞網を張ったポールを立て、赤い糸で言葉と絵を浮き立たせ、その糸が幾重にもアヤトリ状に芝生に達する、もしくはその逆かという作品。小出さんは、それらの作業を見守りつつ小品の配置を私と相談したり、全体の調和を整える作業。さて、どうにかオープンを迎えられそうになった。お泊まりの3人はひとっ風呂とばかりに近くの日帰り温泉「やすらぎの湯」へ。その間に、ささやかな前夜祭の料理を並べていると、はらりと高島さんの貼った紙が落ちた。はて、これもどこかであったことのような。本多さんの作品も初めて見たような気がしないのが不思議だ。そんな話をしながら乾杯。カウンターには常連の奥様たち。本多さんはどんなお酒もぐいぐい飲む。お強い。帰宅して時計を見ると午前3時半だった。さて、オープン初日。近所のこどもたちが本多さんの作品に大喜び。昼には信木総一郎さんがお嬢さんを連れてやってきた。本多さん、小出さん、高島さんの順で昼過ぎには皆さん、よろしくね、と帰っていった。常連さんの他に葬式帰りの団体さんなど、興味深そうに作品を眺めていた。今夜は隣の公民館でJAAZ演奏会があるので、カミさんにリーフレット配りをしてもらう。早速、何組か立ち寄ってくれた。
10月15日
昨日はお昼頃に宅配便、航空便の車が次々と入ってきた。韓国からは、Lee Hye YoungさんとBae Jung Sunさん。国内からは、足利桂子さん、藤川真由子さん。藤川さんのスチールオブジェは、可愛い椅子と風船。これはウケルな。一応、到着分を暫定的な位置に配置した。小出英夫さん到着。同時に喫茶のお客さんも切れ目なく入り始めた。小出さんの作品は、竹とアクリルを組み合わせたものだが、今朝、触ってみるまで金属板だとばかり思っていた。暗くなって、山本伸樹さん到着。いわき市から一般道を軽自動車でやってきた。小出さんの作品が置いてあった軒先を、あ、ここはボクの場所。一輪車にごろごろ積まれたコンクリートの拳。常連の奥様たちがやってきて、先ず見つけて大喜び。やはり、いい場所だったようで。小出さんは中庭に作品を移動。直ぐに帰らなければという山本さんを交えてお話。7時過ぎ、山本さんはいわき市へと帰っていった。お客さんが引けて、遅くまで小出さんと真面目にお話。小出さん、今夜は一人でゲストルームにお泊まり。今朝のこと。小出さんとコーヒーを飲んでいると子どもたちが逃げ込んできた。小学生同士の諍いだったが、うちのカミさんは同校の教員です。早速、自宅に電話して収拾してもらう。本多真理子さんと高島芳幸さんが前後して到着。宅配便で橋本憲治さん、山本一樹さんは、不思議な立体作品を持ってやってきた。本多さんは黙々と中庭になにやら構築し始めた。高島さんは壁面の計測開始。ちょっと昼食のお客さんが入って、ただいま皆さん、遅めの昼食中です。今夜は大前夜祭の予定。
10月13日
案内状の最終投函。資料室を整理して、いよいよ到着分の全ての梱包を解き始める。Kim Kyung Sunさんの立体はプチプチシートでぐるぐる巻きになっている。慎重に接着テープだけをカッターで切り離す。葉っぱの上に不規則に並べられた色とりどりの卵。さて、これはどこに置こうか。Choi Mi Jaさんの木箱を開ける。立体作品かと思っていたが、小品が3点入っていた。輸送用の木箱と分かったが、なかなかいい形をしている。Kang Kum Jooさんのリトグラフは、天空のイメージか。Bae Jong Sunさんは、「記票」というタイトルの平面作品。赤錆色に白い線で数式らしきものが。Choi Mi Jaさんの作品は、立体のような平面のような不思議なもの。Yun Seung Whanさんは、焼けこげた金属が飛び散ったような作品。そんなはずはないのに、これ、どこかで見たような気がする。現在、韓国作家の作品は8点。梱包材を脱いだままの服みたいな状態にして片付ける。のりパネでネームプレートを作る。喫茶が閑なのは困るが、こんな日は丁度いい。
10月11日
韓国から2点。Kim dong inさんと、Yun Seung Whanさん。Kimさんの梱包は、お菓子の箱みたいで→OPENとあるテープを剥がしたらスルっと出てきた。なにやら隠し絵にも見える小品。そこへ八木幹夫さんから電話。昼には山本さんから搬入日の確認電話。夕方には工藤さんからも電話あり。村内文化団体宛てに案内状発送。
10月9日
Coi Mi Jaさんから木箱に入った作品到着。これで韓国作家の作品が4点になった。おそるおそる何点か梱包を解いてみた。繊細な小品2点。Hyang Mi Kimさんの作品は、素材の分からない地に記号や文字、貝殻や小石を碁盤の目状のなかに配したもの。Kim Yang Mookさんの作品は、何という技法なのか、白壁に消え入るように竹の一節が見える。作品そのものが丁寧な扱いを要求するものだ。展示を委ねられるということの怖さを感じた。喫茶のお客さんが来たので中断。何故かお客さんは来始めると来るもので、閉店間際まで続いた。なにげない会話の中で、私の書いた文章の中に迂闊な表現があることに気付いた。この「環流日誌の始め」に署名入りで書いた文章は、私の個人誌「水の呪文」にも掲載したものだが、その後半に「バカチョンカメラ」と書いてしまっている。全く不用意に書いた言葉だったが、民族差別用語として問題視された経緯があることを確認した。もちろん、そのようなつもりは毛頭無いということは文脈で分かっていただけると思うが、書いたことは事実だ。不愉快な思いをされた方にはお詫びします。(本文・削除訂正しました)
10月8日
韓国から2点到着。Kim Yang MookさんとKim Kyung Sunさん。さて、壁面はまっさらにしてあることはあるが、梱包は再利用できるようにしておかないとマズイような気がするな。その前に「水の呪文」と一緒にポスターとシンポジウムの案内チラシを発送しておかないと。昼過ぎ、工藤さんからポスターとチラシが届いた。早速、ポスターを折り始める。昨日からメール便の宛名書きとシール貼りを進めていた。カミさんと丁度やってきた井田秀樹に手伝ってもらう。259通。あっ、全部入れたら足りなくなる。関東近県を目安に入れたが、地元の分の計算が甘かった。そこへ地元画家への情宣をお願いしていた今井敬二夫妻がやってきた。古い友人で、二人とも画家さんだ。仕方がないのでシンポジウムのチラシを関係方面に流してもらうことした。夕方、宅配便で発送終了。工藤さんに電話。ポスター100枚を追加で送ってもらうことにした。
10月4日
搬入のトップは韓国からだった。国際郵便で、Hyang Mi Kimさんから小品が届いた。そろそろ館内の常設作品の撤去を始めようと思っていたところだった。とりあえず、梱包のまま置いておく。午後、山本伸樹さんが下見にやってきた。新宿からの高速バスで来たという。ちょっと迷いましたね。ええ、行き過ぎたみたいです。迷わなければバス停からは5分という距離。挨拶もそこそこに山本さんは屋外を歩き回り始めた。やはり、常設のオブジェの存在感が気になる様子。玄関下のスペースを使わせてもらっていいですか。どうぞ、どうぞ。お客さんの相手をしたり、郵便局員と商談したりしているうちに帰りのバスの時間がきてしまった。同じバスで、新宿へトンボ帰りするという。新宿始発10時30分「伊香保温泉号」は、13時には広馬場に着く。広馬場発15時が、新宿行き最終バスだから、約2時間の滞在時間がとれることになる。お気をつけて。14日の搬入には、いわき市から一般道を6時間かけて来る予定とか。これは毎日なんらかの動きがありそうだ。その都度更新するつもりです。よろしく。
10月3日
1日の土曜日、出品作家の高島芳幸さんがやってきた。同じく出品作家の本多真理子さんが下見にきたのは9月初めのことだった。いよいよ「日韓現代美術展・環流」の「榛名まほろば」の会期が迫ってきた。だというのに、どうも私の中で全体のイメージが湧いてこない。高島さんは、壁面の寸法を測ったり、乱雑な資料室の書架の寸法を測ったりしている。いったい、どんな展示作品をイメージしているのだろう。私は、現代美術に詳しいわけではない。何人かの絵描きさんと縁があり、何度か展覧会を企画したというだけで、勝手な好み以上の美術論を持ち合わせているわけではない。「インスタレーション」という言葉を聞いたことがあると思いますが・・・。そう言って高島さんは、遠くを見た。ふむ、本多さんも、そう言ってたな。「一般的に設置することを意味する普通名詞であるが、70年代以降、『絵画』や『彫刻』といった指示句では一括できない作品を指示する際に、多く用いられるようになった用語である。」(森本志郎)。以下、専門的な記述があるが、非常に広範にかつ曖昧に使用されている用語らしい。なるほど、イメージがつかめてきたぞ。今日、細部の確認のために、工藤政秀さんに電話。今週末から作品搬入が始まり、会期中も増え続け、11月3日の「シンポジューム」にピークに達するということ。オープニングセレモニーは行わず、「シンポジューム」をメインセレモニーとすることを確認。

ソウルへ(「環流日誌」の始めに)富沢 智

高崎駅行きの定期バスに乗るのは、思い出せないほど久しぶりのことだった。2005年8月16日。お盆のUターンラッシュが予想されたため、いつも利用する新宿駅行き高速バスでは、羽田空港午前11時という集合時間にはリスクが伴うと判断したのだった。上越新幹線8時15分発に乗車。在来線の通勤快速でも上野まで1時間30分ほどなのだが、JRは新幹線の本数を増やし在来線を減らしてしまった。民営化の正体見たりだが、今はそういう話ではない。
 大宮で乗り換えて埼京線で新宿へ出ればいいよね。そういうカミさんのルート取りに漫然と従ったのも時間に余裕があったためだ。上野で乗り換えて浜松町からモノレールというのが普通だよな。新宿止まりの埼京線からホームを移動しながら気がついたが、もう遅い。新幹線を使ったのにここまで2時間もかかっていた。この前はモノレールの切符を取り忘れて自動改札を強行突破したっけな。集合時間丁度に羽田空港に着いたが、国際線ターミナルへはバスで移動するとは知らなかった。カミさんは、旅に出るとお尻に羽が生えたように軽快になる。搭乗手続きの長い列に並んだ途端、ちょっと本を買いに行って来る、と言い出した。亭主を並ばせておいてバスで空港ビルまで戻ると言うのだ。そんな時間があるかよ、置いてくぞ。どちらかと言えば慎重な私と、それをいいことに何処に行っても思うがままに行動するカミさんとの組み合わせは、時にケンカもするが総合力では無敵なのだ。  
搭乗カウンターで手続きを始めたらカミさんが列の最後尾に並ぶのが見えた。ご一緒に手続きをしますから、ったって、いいのあそこから連れてきて。いいというので引っ張って来たら、あれ、揺れてる。宮城沖地震だった。ちょっと大きいぞ。こういうときは皆、自分のことで精一杯。さっきまでにこやかに働いていた案内穣まで素に戻っていた。まあ、これで、この先不測の事態は起こるまい、と私は考えた。カミさんは、逆に不安になったと、後で言ったのだから面白いものだ。  
大韓航空6708便は、定刻13時に離陸した。欧米人の姿はほとんど見えず、韓国人と日本人ばかりということになるのだが、私には全く見分けがつかなかった。しかし、客室乗務員は瞬時に見分けて挨拶を使い分けていた。不思議だ。青い鯨は、日本海上空を快調に飛行していた。客室中央のモニター画面に飛行位置が表示されている。日本海は東海、竹島は独島と表示されている。韓国の飛行機だからね。やがて朝鮮半島上空にさしかかったようだが、B747の中央座席では機外の様子はまるで見えない。韓国風の機内食を食べ終えると、もう着陸時間が迫っていた。なにしろ、1時間40分で金浦空港に着いてしまうのだ。見事なランディングでジャンボ機は自国に舞い降りた。  
入国審査の列に並ぶ前にカミさんはトイレへ走る。私も同じく男子トイレに並んだが、女性の方が所要時間がかかりますね。審査の列の短い方に並んだ人たちがあわてて戻ってくる。韓国籍の人と日本人の列が違ったのだが、ここでも全く見分けがつかなかったのだ。ちょっと目つきの鋭い係官が審査ゲートの手前の監視席?にいたが、そう見えたのも気のせいだったか、いつの間にかいなくなっていた。簡単に入国審査は済んだ。  
Tomizawaさんですか?出迎えてくれたのは、金鎭さん。今回利用した旅行社の現地ガイドさんで、若い、眼鏡の似合う慎ましい娘さんだった。あっ、ちょっとその前に一服させて。韓国も喫煙者は嫌われているらしい。挨拶もそこそこに喫煙ブースに直行する私。さて、旅行目的のひとつである「日韓友情年2005記念・日韓現代美術展・環流」のソウル会場「SPギャラリー」への道を先ず訊ねないとな。キムさんに住所を示すと、あら、宿泊先ホテルと同じ地区ですよ。なんたる偶然。一気にいい旅になりそうな予感がした。フリープラン旅行は個人旅行と同じで、私たちだけを必要な分だけ案内してくれる。待機していたワゴン車に乗り込むと、愛想のよい運転手が荷物を運転席に移してくれた。一応、簡単な韓国語を頭の中に書き込んでおいたのだが、まだ口からでない。荒川洋治さんの「ぼくのハングル・ハイキング」を読もうと思ってバッグに入れてあったのだが、これも30頁までしか読んでいなかった。歌うような日本語でキムさんが旅行目的を訊ねてきた。冬ソナでもお買い物でもなく、できれば「SPギャラリー」を見ておきたいこと、後はお酒と食事と、韓国の雰囲気を知りたいこと、そうだ、プロ野球を観たいので今夜のゲームを調べて欲しいな。キムさんは、野球を観たいなんてお客さんは初めてだったらしく、ちょっと面食らったらしい。その仕草に、私は瞬時にこの人を信用した。  
韓国プロ野球は、いまはあまり人気がなく、そもそも全斗喚大統領時代に大衆操作の一環として華々しく始めたものですね。ふーむ、この人はなかなかインテリじゃないか。右側通行の広い道路は漢江(ハンガン)に沿ってソウル市街地に向かっているらしい。ソウルオリンピックに合わせてできた道路だという。漢江に架かるいくつもの橋と走行する車の流れは日本の都市風景と変わらない。車も日本車と同じグレードのピカピカのものばかりだ。現代(ヒュンデ)とその傘下のキアというメーカーがほとんどだというが、なるほど日本車を見つけようとしても見つからなかった。高級外国車は、ここでもベンツ、BMWだとか。
 最初の立ち寄り先は「新羅免税店」。移動中の車の灰皿はテープで封印されていた。ちえ、これじゃあ煙草も日本と同じだと観念した。コースになっているだけですから。数年前の上海旅行では、何軒も土産物店に連れ込まれ、ついにプッツンした経験のあるカミさんは、このキムさんのニュアンスにすっかり安心したようだ。私は、ところで喫煙所は?ブランドショップが複雑に並んでいる通路を辿って屋上に出た。まだ日は高く、真夏の暑さまで同じだ。そこはヨンさまファンには感激の場所だろう。休憩スペースを除いて屋上全体が大きなヨンさまパネルで埋まっていた。まあ、しかし暑いので皆冷房の効いた休憩スペースで休んでいる。その暑い屋上の一角に喫煙スペースがあって、ソウル市街や遠く板門店に続く山並みを眺めながら、私は、この国でも犯罪者のように煙草を吸っているのだった。  
エルルイホテルは漢江のほとり。帰宅ラッシュの車列が4車線を埋めて永東大橋に向かう道路際の高台にあった。メインポールに韓国、日本、中国の国旗を掲げた15階建てほどの高層ホテルだ。キムさんが、今夜の野球のカードと「SPギャラリー」の場所を調べてくれていた。キムさんと明朝8時という約束を交わしてチェックイン。日本との時差はない。蝉がやかましく鳴いていて、かささぎが一羽、窓から見える巨木の葉隠れにいた。地図を見ると「SPギャラリー」への目標として教わったギャラリアデパートまでは歩いていける距離だった。ホテル脇の道路沿いを歩き始めた。しばらくすると公園があった。漢江沿いの道路が住宅街に入る道路と分かれて細長い緑地帯として作られた公園らしい。こっちかしらね。地図を見ながらカミさんはどんどん住宅街に入っていく。そろそろだな。カミさんは、どこの国に行こうとも相手を選ばずに道を訊ねる。ほうら、工事中のおじさんをつかまえた。地図を指し示して、ここへ行きたいと訊ねるのは難しいことではない。最終的には人類共通のボディーランゲージがある。そのおじさんも身振り手振りで、こう行って、こう行けと教えてくれたのだ。その通りに行くと広い大通りに出た。ギャラリアデパートは、海外有名ブランドショップが出店する韓国VIP御用達のお店とみた。一帯はなにやらそれにふさわしい高級な雰囲気が漂っている。えーっ、こんなところに「SPギャラリー」はあるのかよ。ちょっとひるんだが、その駐車場係りの若いお嬢さんに訊いてみた。身振り手振りとブロークンイングリッシュで。どうも分からないらしいので、片側4車線の大通りの反対側を眺めたり、しばし歩きながら探してみたが、まあいい。簡単に見つからない方が面白いじゃないか。さあ、野球場へ行こうか。  
LGツインズの本拠地、蚕室(チャムシル)野球場は、ソウルオリンピックのメイン会場、蚕室総合運動場の一角にあった。私たちのいたギャラリアデパートからは、エルルイホテルに戻ってほぼ同距離を南下した場所だ。面白いことに、タクシーにも二種類あって一般タクシーと割高だが外国語にも堪能な運転手が乗っている模範タクシーがあるらしい。まあ、私たちはどちらでもいい。一般タクシーを拾った。カミさんが指し示す場所を運転手はしばし眺めていたが、無言で走り出した。後で気付いたのだが、私たちが利用していた地図は、ホテルに常備してあったもので、全て日本語で書かれたものだった。共通の微妙な間は、そのせいだったのだ。夜空に独特の照明を輝かせてスタジアムが見えてきた。右側通行の感覚がないので、信号手前で右側に停車したのにはとまどった。ついでに初めてのウォンの支払いだ。3500ウォン、というメーターの数字が見えたので4000ウォンを渡すと早く行けと急かす。へんだな、と思いながらも歩きだしたらカミさんが呼び止められた。ドアを閉めて行けというのだ。そうか、自動ドアじゃないのか。お釣りよこさなかったね。むう、やられたね。まあ、タクシーの運ちゃんじゃあしょうがねえよ。らしくっていいんじゃない。  
大きな通りを少し歩くとスタジアムの入り口だ。アメリカンスタイルのチキンフードの店が見えたが、隣のコンビニ風の店に入った。ビールとおつまみを買って入ろうというのだ。まだ頭の中はウォンに切り替わっていない。1000円でお釣りがくるはず。知っている人には言わずもがなだが、ウォンと円では0がひとつ違う。ここは10000ウォンを出すべきだった。若い店員は、めんどくさそうにお釣りをよこした。さて、入場ゲートは何処。紙コップにあけてもらったビールを持って明るい方へ。まあ、日本の球場の外野席売場と同じだね。一人3000ウォンだから300円でした。係員に気持ちよく迎えられてスタンドへ。大音響でロックが鳴り響く応援席のそばだった。お客さんの入りはよくないが、もともと私はパリーグファンだから違和感はない。なにしろ、あの川崎球場でロッテ・オリオンズのゲームを観ていたくらいだからね。  
蚕室スタジアムは、大リーグ仕様の天然芝の美しい球場だった。球団所属だと思われるチアガールが、応援団長というより専属アナウンサーみたいな人の合図でチャンスの度に派手な踊りを披露する。この日はホームのLGツインズがタイムリー安打で着々と加点。ゴロゴロゴロゴロ、パッパゴーゴー、みたいなリズムでチアガールが踊りまくり、それにあわせて観客も赤い応援グッズをうち振る。その光景がオーロラビジョンに映し出されるのも同じだ。相手は、現代(フュンデ)ユニコーンズ。帰国してから調べてみたら韓国プロ野球も1982年の誕生以来、ずいぶん変遷があったらしい。その中で、釜山のロッテ・ジャイアンツは変わっておらず、球団マークもユニフォームも千葉ロッテ・マリーンズとそっくりだった。  
さて、最前列の席に座ろうとしてビールを座席に置いた途端、こぼしてしまった。照れ隠しに頭をかかえていると、さっと読んでいた新聞紙を差し出してくれた人がいた。一人で仕事帰りに観戦中という紳士だった。思わぬ事態に私は当惑したが、有り難く濡れた席に敷かせていただいた。これはお礼を言わなければならないが、サンキューでは失礼な気がして笑顔でアリガトウと言ってはみたものの、まだ足りないと思った。とにかくビールを飲まないと野球場にいる気分がでない。トコトコと球場内の売店へ。もうウォンの感覚にも慣れ始めたかな。球場の様子を落ち着いて眺めると、ちゃんとOBビールの生樽を背負ったお兄ちゃんもいた。地元チームが勝っているためもあって、スタンドは大盛り上がりだ。鼻ピアスをしたお姉ちゃんとか、生意気そうなお兄ちゃんたちがぶらぶらしているのもほほえましい眺めだ。ホームランは飛んでこなかったが、外野手や審判におねだりするとボールがもらえるらしい。攻守交代の合間に低いフェンスから身を乗り出して選手の名前を連呼するのだ。合計4個投げ込まれて、そのたびに奪い合いになるのだが、先ほどのお兄ちゃんたちが、ゲットしたボールを小さな子どもにやっているのを見た。いい奴らじゃないか。  
誰かがしきりに私を呼ぶらしい。振り向くと、最初から大騒ぎで観戦していた親子4人連れの若い奥さんが発砲スチロールの皿を差し出していた。スルメとお餅みたいな食べ物が入っていた。食べなさい、と言ってるらしい。なんと嬉しいことではないか。ひとついただいて、おいしいと身振りで伝えると、もっと食べろとすすめる。こりゃあ、こんどこそお礼を言わなきゃ、人として恥ずかしい。アンチョコを出して、しっかりと舌先に書きとめた。攻守交代の時間には、応援席では様々なお楽しみがある。今日はオーロラビジョンのカメラの前でキスすると何かもらえるらしい。まあ、このあたりのノリもアメリカに近い感じだ。途中でトイレにも入ってみたが、あの川崎球場と比べては失礼なほど綺麗だった。4対0でツインズの勝ち。スコアボードに選手名がでるが、これはハングルなのでさっぱり分からない。勝利に沸く応援席では、まだ楽しいイベントがあるらしかったが、そろそろ出ようぜ。私は、先ほどの奥さんの肩をそっと叩き、思いきって言った。カムサハムニダ。今度は奥さんが戸惑ったように、にっこりと微笑んでくれたのだった。  
球場の前は広い大通りで、見渡したところ飲食街の雰囲気ではない。野球帰りのお客さんで賑やかな屋台がでていた。今夜の食事はここでいいや。OBビールもいいが、ハイトというビールが人気だとキムさんから聞いていた。私好みの焼き肉料理と一緒に注文する。 二人のおばちゃんが仕切っているようだが、ちょっと物珍しそうに私たちを見た。けれども嫌な視線ではない。日本のどこの屋台にもいるようなおばちゃんなのだ。焼きそば風の麺料理もみえたが、腸詰めを炒めたような料理はボリュウム十分だった。想像していた通りの味で、辛さもジワリと効いてくる程度。黄色と赤のテーブルクロスが派手だが、別に好みの問題だろう。何の木だか分からなかったが、大樹の並木の下だ。月を眺めながら、在日を扱った映画のタイトルを思い出そうとした。「月はどっちに出ている」だったかな。  注文してないのに肉入りスープがきた。サービス、と言っておばちゃんが、娘みたいな仕草で置いていった。ええー、いいのかしら。それじゃ、みんなの飲んでるあれ頼もうか。氷水で冷やされて美味そうな韓国焼酎、真露。そう、それ頂戴な。すっかり嬉しくなって飲んでいると、またサービスが。今度はムール貝のような、それにしては小ぶりな貝料理だった。お勘定も明朗会計。指をたてて、数えながら、ちゃんと2品サービス。カムサハムニダ。ホテルまでのタクシーも気分がいいから釣りはいらないよ。カムサハムニダ。  


翌朝、ホテルのロビーでキムさんを待つ。朝食を食べて観光予定だ。ちょっと、遅いね。フロントに呼ばれた。キムさんからの電話だった。遅刻しました、ごめんなさい。いいよいいよ、気をつけてね。ホテルの通用口が喫煙所になっていて、そこで煙草を吸っていると、次々と従業員が出勤してくる。キムさんが急ぎ足でやってきた。ごめんなさい、と深々と頭を下げる。キムさんは、30代の独身女性。兄と弟がいるという。いい男はみんな結婚しました、これはという男には必ず女がいます。などと、明るく話す。ところで、キムさんにとって結婚の最大条件は何かな?うーん、やっぱり経済力ですね。正直なお言葉でした。  
ホテル前の大通りを徒歩で横断する。道一杯に車が走っているが、ちゃんと信号で止まってくれるのは、上海とは大違いだ。キムさんも中国料理は口にあわないというように、味覚など、感覚的なものは同じアジア人でも共通するものがありそうだ。私たちは台湾にも行ったことがあるが、あの漢方薬みたいな味付けには閉口したものだ。食文化は大事だ。 信号を渡って直ぐのお店で朝食。ソロンタンの専門店だった。牛肉入りのスープにご飯を入れて食べる。金のお椀に金の箸。ん、軍隊小唄の一節みたいだな。スープは辛くないので、食べ放題のキムチを入れて丁度よい味加減。朝食には最適な料理。ご馳走様でした。  
地下鉄、清潭駅まで3人で歩く。大きなホテルも見えるが、駅周辺のオフィス街といった道。とりたてて見るものもないので暑さばかりが身にしみる。キムさんに切符を買ってもらって乗車。自動改札だけど、ひとりずつ通過するアーム方式だった。平日の10時頃だから座れるという混み具合。座席が金属製なのが不思議だったが、大きな火災事故があったためらしい。シルバーシートに中吊り広告、冷房の効いた車内風景は全く東京と変わらない。と、台車にダンボール箱を乗せた人が、ちょっと異常な勢いで網棚に置き忘れた新聞紙を回収にきた。別の電車でも似たような人を見たのでキムさんに訊いてみた。そういう商売があるらしい。こっちです。ひとつ乗り換えて、梨花女子大前へ。日本のように到着駅のアナウンスも案内放送もないが、これはこれで気にならない。  
梨花女子大と延世大学は、韓国の有名私立大らしいが、ここが観光スポットなのは、おしゃれなブティックや雑貨店が軒を連ねる若者文化の街ということらしい。なるほど、ちょっと工事中の道路が歩きにくいが、華やかなお姉さんたちが歩いている。キムさんもこちらの大学なの?いえいえ、私、違うんですう。いいなあ、この人。とにかく暑いし、一服したいなあ。「Coffee Bean」というお店があった。JAZZが流れていてアメリカ人の姿が見えた。私は外のテラスに座った。キムさんと通りを見ながらお話。私にはこの視界の中で、誰が日本人なのか見分けがつかないんだけど、キムさんには分かるの?そうですねえ、あそこの2人は日本の方ですねえ。そう言われてみれば、そうだな。なにで見分けるわけではなく、なんとなく分かるのだという。ちょっとためらったが、在日の人はどんな感じなのか訊いてみた。あのお、日本人と同じ感じなんですねえ。なるほど、在日とはそういうことか、と思った。キムさんには、在日の友人はいないということだった。  
カミさんとキムさんは、それなりにウインドショッピングを楽しんでいるらしいが、私は汗だくで付いて行くのが精一杯。暑いなあ。迷彩服姿の若い軍人さんの姿もあるが、全くプライベートな街歩き。様子のおかしい老婆が、そのうちの一人に取りすがるのを見た。 これはどんなドラマなのか分からなかったが、笑いながら軽くふりほどくと、二人はさっさとCDショップの店内へと入ってしまった。地下鉄の車内でも、無防備に居眠りをしている軍人を見た。滞在2日目の旅行者には、この国のどこに軍事的緊張があるのか全く分からなかった。  
南大門市場は、日本のアメ横という感じ。達者な日本語で呼び込みをしている。人混みを避けながら歩いていると出前のお姉ちゃんが一品落としている現場に出くわした。散乱したキムチをキムさんが拾ってあげた。いま考えると、なにも不自然な態勢で拾おうとするより出前のお盆をいったん下ろせばよかったのに。それはともかく、このキムさんの自然な行いは好ましかった。呼び込み方にもいろいろある。総じて、ここの人たちはしつこ過ぎないのがいい。カミさんはお目当ての店があったらしく、すんなりと入って行く。書き遅れたが、カミさんはこの春にも韓国旅行に来ていたのだ。その間にウォンに対して円 がやや弱くなっているらしく、円でもいいかというと、ウォンで払ってくれという。公認なのかどうか知らないが、通りの一角におばさんたちが並んで座っていて、その場で両替をしてくれるのだ。別の店でお土産を買って、もうここはいいです。  
明洞まで歩く。お土産で膨らんだリュックを背負わせられて汗だくだ。まあ、今日はしょうがない。明洞餃子のお店の前まで案内してもらって、キムさんの仕事はここまで。後で聞いたら、キムさんは別のお客さんを迎えに空港に向かったのだ。餃子のお店は行列ができていた。並んでまでのこだわりはなかったので、裏通りで一服。ここは、銀座か新宿かという人の波。とにかく昼食だ。知らずに入った店は、時間がずれていたせいか空いていた。はて、見たような写真が掲げてある。「オモニの家」というガイドブックに載っている店だった。カミさんが、プルコギがいいよ、というので注文。一人前では少ないから二人前にしろ、とおかみさん。まあ、いいか。先ずはビールで乾杯。よく眺めると店内には、日本の芸能人の色紙がずらり。慣れてやがるな。他に石焼きビビンバとビール3本。 ゆっくり過ごしてお勘定。50000ウォンは高いんじゃない?そんな気がするね。牛肉は高いんですよお。後でキムさんはそう言ったが、カミさんは疑っている。  
地下鉄で清潭駅まで戻る。駅のトイレもきれいだ。ソウルの地下鉄は分かりやすい。駅には番号がついていて、アナウンスがないかわりに乗換駅では小鳥の鳴き声がするのだ。 清潭までは90円だった。無事に乗り換えて後は真っ直ぐ。中学生くらいの子どもたちが乗ってきて、そのうちの一人がカミさんの横に座った。私たちのおしゃべりに、ちょっと不思議そうな顔をしたが、すぐに反対側の仲間とふざけ始めた。さて、出口はどこだっけ。日本と同じ出口方面図があって、うん、こっちだ。朝来た道をホテルまで歩く。まだ日は高く、暑い。途中のコンビニでビールを買う。カムサハムニダ。ようやく普通っぽく言えるようになった。  
ホテルで一休み。洗濯物をめぐって、ちょっとしたトラブル発生。双方歩み寄って円満に解決したので、詳細は書かない。さて、夕食を兼ねて「SPギャラリー」を探しに行こうか。ギャラリアデパートの反対側は、ミニ明洞というか、ソウルの最先端スポットみたいな雰囲気だった。日本料理店やアメリカンフードの店など、ちょっと高そうな店が多い。 「SPギャラリー」を探しながら、適当な食事処も物色する。ネオンが点り、高級車が狭い通りにどんどん入ってくる。歩き疲れたね。ここだ、という店がなかなか定まらず、何度か通り過ぎた焼き肉店に入った。夕食時で店内はぎっしり。若い店員が跳び回っている。 メニューを指し示すと、NO NOという。それはランチメニューらしい。繁忙時とはいえ、そのお姉ちゃんの英語はトゲトゲしく聞こえた。英語はカミさんにおまかせだ。しかし、この兄弟みたいな国で、互いに英語で話さなければならないことに、私は急にしらけてしまった。注文票にチェックする明朗会計。まあ、あのお姉ちゃんにも悪気はなさそうだ。真露1本、付け忘れてる。もちろん、ちゃんと払っておいた。ソウルの夜は、やはり昼間とは違う雰囲気になる。「SPギャラリー」は、今日も見つからなかった。明日の13時には、キムさんがホテルに迎えにくることになっている。こんな近くにいて、ついに 見つからないのでは、と夜道を歩きながら思った。


 エルルイホテルには、喫茶、ナイトクラブにサウナまであったが、私たちはついに、そのどれも利用しなかった。最終日の朝も近くのコンビニで、缶コーヒー、サンドイッチ、おにぎりを買ったのだ。袋も付けるか?というので、そうしてもらったら、チンと少額を打ち込んだ。日本でも問題になっている買い物袋だが、こちらでは有料が定着しているらしい。最初の日に迷い込んだ公園で朝食。ウォーキングの人が数人。離れたベンチでは老人が何人か休んでいる。缶コーヒーも食べ物も、見たとおりの味で、おにぎりの具の肉料理は美味い。
 ほら、鵲(かささぎ)がいるよ。見ると、繁みの中から独特の白い差し羽を付けた鳥が公園の方へチョンチョンと出てきた。鵲はこの国では縁起のよい鳥とされているらしい。直ぐに崔華國の詩を思い出した。/里では昔から鵲は吉鳥と言い伝えられている/朝まだきポプラの巣から飛び出た華奢な姿が/今朝は誰の家の屋根で啼くだろうかと/人々は心の中で希い占うのだ/(ポプラ頌)。まあ、しかし、珍しいことでもあるまい。私たちの座っているベンチに、一人の老婆がゆっくりとやってきて座った。この年代なら日本語を話すかもしれないと思ったが、話しかけなかった。さて、時間がなくなった。もう一度、本気で「SPギャラリー」を探さなければ。
 坂道を登って、ギャラリアデパートの裏手に出た。この先に画廊があったから、そこで訊いてみよう、と私は思っていた。そのとき、カミさんが通りかかった紳士に声をかけた。ああ、日本の方ですか。なんと、鵲の縁起は本当だった。偶然にも、声をかけた人は現地で暮らす日本人だったのだ。彼はこころよく周囲にいた人に訊いてみてくれたが、知っている人はいなかった。これまでか、と思った。すると彼は、自分はもう時間がないが、自宅に妻がいるから訊いてくれ、という。えっ、いいんですか。すぐそばだと教わった場所に行くと、一戸建ての並ぶ集合住宅だった。守衛室で、メモしてもらった番地を示すと指さして通してくれた。奥さんは日本語が分かるということだったので、そのつもりでチャイムを押した。若い奥さんだった。しかし、どうも日本語が通じない。怪しまれそうなので、カミさんと交代。英語でやりとりして、どうやら事の次第は理解してもらえた。何故か子どもさんの一人が日本語を話せるというので、通訳してもらった。どうぞ、お入りなさい、という身振り。思わぬ展開に恐縮しながら通されるままに居間へ。冷房の効いた飾り気のない部屋には、もう一人子どもがいた。奥さんがジュースを出してくれた。カムサハムニダ。「SPギャラリー」へ電話してくれているらしい。テッコンドー?子どもの衣裳がそう見えた。YES。興味深そうに私たちを眺めながら、元気よく応えてくれた。奥さんは、場所が分かったから車で送ってやる、と言ってくれた。正直、そこまで期待していなかったので驚いた。バイバイ。子どもたちに手を振って、私たちは裏口の路上に止めてあった車に乗り込んだ。カローラクラスの車だが、ちゃんとキーで遠隔操作できるタイプだ。遠くはあるまいと思っていたが、ギャラリアデパート前の信号を駅方向に少し戻った反対側に車は止まった。私たちは、この方角は見落としていたのだった。キム・ウネさん、旦那さん。本当にありがとうございました。カムサハムニダ。
 「SPギャラリー」は、周囲のビル群に比べれば地味な造りのビルの二階にあった。狭い一階フロアの一角に人の指を題材にしたオブジェがあった。午前10時ということもあってか、あまり人気のないビルだ。なんだか私は安心した。アンニョンハセヨ。出迎えてくれたのは、ヨンさまみたいな若い男性だった。「まほろば」の喫茶スペースほどだろうか。パソコンを置いたテーブルとシンプルな応接セットがあるだけで、壁面に10点足らずの作品があった。苦労してたどり着いたといっても、特別な用事があったわけではない。片言の英語で、日本会場のひとつになっていることだけを伝えられれば、それでよかった。彼はどこかに電話してくれて、代われ、という。カミさんの出番だ。どうやら、オーナーさんらしく、これから行くから1時間ほど待っていて欲しい、ということだった。それでは、のちほどということで、私たちは外へ出た。旅先で実用品を買うことが、強いて言えば私たちの趣味だ。ちょっと大きな食器店があった。コーヒーカップとカラフルなコップを買った。ついでに、何度も通り過ぎたギャラリアデパートの店内に入ってみた。豪華な店内は、シャネルやグッチ、縁がないのでスラスラでないブランド品ばかりだ。幸い、カミさんはそういうものを欲しがるタイプではない。まあ、チクチクとつぶやきはしますがね。韓国でもこういう高級店で買い物をするのは、リッチな芸能人かスポーツ選手だとキムさんも言っていた。お客さんの姿はほとんど見えない。涼んだから出ようよ。
 「SPギャラリー」に戻ると、リーさんが待っていた。熟年の美しい女性だった。今回のイベントの件で、事務局の工藤政秀たちと一両日中に打ち合わせをすることになっているとのこと。私たちは、工藤さんとすれ違いになることは分かっていた。ひとしきり、片言の英語でお話。パソコンがあったので、名刺代わりに私のホームページを開いてみた。ハングルは読めないが、同じブラウザなので見当はついた。驚いたことに、見慣れたmahorobaホームページの文字がハングルに翻訳されて出てきた。うーむ、翻訳ソフトが組み込まれているのだろうが、私のパソコンではこうはならないぞ。リーさんに示して、お気に入り登録してもらう。まいったな、この文章も翻訳されて読まれるわけだ。こちらは、翻訳機能がありません。感想は英語でお願いしますね。リーさんと記念撮影。キムさんにも言われたが、年代物のニコンの(削除)カメラだ。ほら、モッタイナイじゃない。 帰国時間が迫ってきた。思えば、この3日間は「SPギャラリー」を探しての旅だった。もし、このまま帰国してしまったら今回のイベント全体に対する私の対応も違ったものになってしまうところだった。リーさん、お目にかかれてよかったです。カムサハムニダ。
 昨日、朝食を食べた店で昼食。行列になる直前だった。ソロンタンみたいな食べ方は、私はよくする。ラーメンライスや鍋料理の残りにご飯を入れたりね。何故かカミさんは、キムチをバリバリ食べている。食い納めだという。ホテルに戻る途中で雨が来た。通り雨だった。13時、キムさんはホテルで待っていた。空港へと向かう車中で、キムさんに南北統一について訊いてみた。直ぐは無理だが、10年位かけて着実に統一されるだろう、ということだった。何で同じ民族同士で戦う必要があるのでしょう、という強い思いが感じられた。プライベートで日本にも旅行することがあるというキムさんは、奈良に行った時、韓国の田舎の風景とそっくりなのに不思議な感じがしたという。温泉と田舎の風景が好きだというキムさん。国際空港というのは建物の中に国境がある。では、ここで。なんだかもう一度会えそうな笑顔だった。カムサハムニダ。  
旅行記はこれで終わりだ。8月18日、金浦空港発、大韓航空6709便は、16時40分、ぐんぐんと上昇中だ。漢江(ハンガン)が見え、高速道路が見えた。やがて、ソウル郊外に広がる田んぼが見え、たちまち、それらは雲間に消えていった。


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