




11月7日
シンポジウム報告。八木幹夫さんは、菅沼稔さんの車で午前7時に相模原を出たはず。ばくきょんみさんは、高崎まで電車。そこから乗り継ぎのバスにうまく乗れるかが問題。高島芳幸さんは、何度もきているので問題無し。10時少し前、ぱくさんから電話。「群馬温泉・やすらぎの湯行き」に乗り継いでもらう。ほどなく八木さんたち到着。八木さんとは久しぶりだが、ヒゲなど蓄えてすっかり自由人になっていた。予定通りにぱくさんも終点に到着。車で3分ほどの「やすらぎの湯」に迎えに行く。11時には高島さんも到着して、これで無事にパネリスト全員が揃った。ちょっと心配なのは、降り始めた雨と開始時間の13時という時間。やがて、出品作家を中心に続々と参加者の皆さんが到着。事務局長の工藤政秀さんも作品2点を携えてやってきた。菅沼さん、田鶴浜洋一郎さん、小出英夫さんも作品持参。会場セッティングや打ち合わせ、電話応対など、この時間はいつも大混乱。やはり、少々入りが遅いので15分遅らせることに。常連の奥様たちや詩作教室の皆さん、予定されていた顔ぶれを確認しながら開演。高島さんの作品をバックに客席から見て左から、菅沼稔、八木幹夫、ばくきょんみ、高島芳幸、富沢という並び方。だんだん用意した客席が埋まり始めた。質問は三つ。「美術と詩ーイメージが立ち上がるときー」というテーマに沿って自己紹介をまじえてそれぞれに語っていただくこと。詩人にとって美術とは、美術家にとって詩とは?最後に、皆さんの今後の活動とテーマのまとめをお願いします。最初は緊張気味だったが、客席の熱気とともに皆さん舌もなめらかに。高島さんの「イメージが先にあるのではなく、作品行為の結果として現れるもの」という発言や、ぱくさんの、家族の言語と日本語、そして英語という言葉の体験などが語られ、八木さんは、それらを引き取りつつ自説を展開。菅沼さんは、色彩もイメージとして発見されるもの、と語ったと思う。テーマが深まるほどに難解になるところを八木さんが巧みに軌道修正するという役回り。ぱくさん、休憩時間に会場に見えていた同胞の方の挨拶を受けていたが、なんと、ぱくさんのご両親と同郷の方であったとか。後半は、残り時間を気にしながら進行している私の思惑をよそに、皆さん絶好調。わずかな質疑応答の時間を残しておいたのだが、小出さんを皮切りに続々と質問者が手を挙げる。当初予定の閉宴時間を1時間もオーバーするという事態に。後は懇親会で、ということで活発なシンポジウムは無事終了。パネラーの皆さん、客席の皆さん、ありがとうございました。懇親会は、パネラー全員に出品作家、ぱくさんと同郷のキムさんも参加され、総勢20名ほど。キムさんの韓国の酒席の作法などご教授いただきながら盛大な酒宴となりました。やがて、ぱくさん、菅沼さんと帰路に。皆でお見送りして、更に酒宴は続きます。「銀猫」の飯島章、井田秀樹、中里諒子に、いつもお手伝いしながら参加してくれるYさんなど。そろそろ終盤というところで、酔いつぶれていた山本伸樹さんが復活。もう何人ゲストルームで酔いつぶれていることやら。最後は田鶴浜洋一郎さんと山本さん。田鶴浜さんは、ゆらゆらと舟を漕ぎ出し、伸樹さんはまだ元気。翌朝、自宅で寝ていた私に工藤さんから電話。もう相模原に着いたという。早朝に「まほろば」を発っていたのだ。残りの宿泊組も私が出社?する頃には書き置きを残して去っていた。まるで、青春時代のような身のこなしではないか。以上、報告記とする。


ソウルへ(「環流日誌」の始めに)富沢 智 高崎駅行きの定期バスに乗るのは、思い出せないほど久しぶりのことだった。2005年8月16日。お盆のUターンラッシュが予想されたため、いつも利用する新宿駅行き高速バスでは、羽田空港午前11時という集合時間にはリスクが伴うと判断したのだった。上越新幹線8時15分発に乗車。在来線の通勤快速でも上野まで1時間30分ほどなのだが、JRは新幹線の本数を増やし在来線を減らしてしまった。民営化の正体見たりだが、今はそういう話ではない。 mahoroba営業案内
大宮で乗り換えて埼京線で新宿へ出ればいいよね。そういうカミさんのルート取りに漫然と従ったのも時間に余裕があったためだ。上野で乗り換えて浜松町からモノレールというのが普通だよな。新宿止まりの埼京線からホームを移動しながら気がついたが、もう遅い。新幹線を使ったのにここまで2時間もかかっていた。この前はモノレールの切符を取り忘れて自動改札を強行突破したっけな。集合時間丁度に羽田空港に着いたが、国際線ターミナルへはバスで移動するとは知らなかった。カミさんは、旅に出るとお尻に羽が生えたように軽快になる。搭乗手続きの長い列に並んだ途端、ちょっと本を買いに行って来る、と言い出した。亭主を並ばせておいてバスで空港ビルまで戻ると言うのだ。そんな時間があるかよ、置いてくぞ。どちらかと言えば慎重な私と、それをいいことに何処に行っても思うがままに行動するカミさんとの組み合わせは、時にケンカもするが総合力では無敵なのだ。
搭乗カウンターで手続きを始めたらカミさんが列の最後尾に並ぶのが見えた。ご一緒に手続きをしますから、ったって、いいのあそこから連れてきて。いいというので引っ張って来たら、あれ、揺れてる。宮城沖地震だった。ちょっと大きいぞ。こういうときは皆、自分のことで精一杯。さっきまでにこやかに働いていた案内穣まで素に戻っていた。まあ、これで、この先不測の事態は起こるまい、と私は考えた。カミさんは、逆に不安になったと、後で言ったのだから面白いものだ。
大韓航空6708便は、定刻13時に離陸した。欧米人の姿はほとんど見えず、韓国人と日本人ばかりということになるのだが、私には全く見分けがつかなかった。しかし、客室乗務員は瞬時に見分けて挨拶を使い分けていた。不思議だ。青い鯨は、日本海上空を快調に飛行していた。客室中央のモニター画面に飛行位置が表示されている。日本海は東海、竹島は独島と表示されている。韓国の飛行機だからね。やがて朝鮮半島上空にさしかかったようだが、B747の中央座席では機外の様子はまるで見えない。韓国風の機内食を食べ終えると、もう着陸時間が迫っていた。なにしろ、1時間40分で金浦空港に着いてしまうのだ。見事なランディングでジャンボ機は自国に舞い降りた。
入国審査の列に並ぶ前にカミさんはトイレへ走る。私も同じく男子トイレに並んだが、女性の方が所要時間がかかりますね。審査の列の短い方に並んだ人たちがあわてて戻ってくる。韓国籍の人と日本人の列が違ったのだが、ここでも全く見分けがつかなかったのだ。ちょっと目つきの鋭い係官が審査ゲートの手前の監視席?にいたが、そう見えたのも気のせいだったか、いつの間にかいなくなっていた。簡単に入国審査は済んだ。
Tomizawaさんですか?出迎えてくれたのは、金鎭さん。今回利用した旅行社の現地ガイドさんで、若い、眼鏡の似合う慎ましい娘さんだった。あっ、ちょっとその前に一服させて。韓国も喫煙者は嫌われているらしい。挨拶もそこそこに喫煙ブースに直行する私。さて、旅行目的のひとつである「日韓友情年2005記念・日韓現代美術展・環流」のソウル会場「SPギャラリー」への道を先ず訊ねないとな。キムさんに住所を示すと、あら、宿泊先ホテルと同じ地区ですよ。なんたる偶然。一気にいい旅になりそうな予感がした。フリープラン旅行は個人旅行と同じで、私たちだけを必要な分だけ案内してくれる。待機していたワゴン車に乗り込むと、愛想のよい運転手が荷物を運転席に移してくれた。一応、簡単な韓国語を頭の中に書き込んでおいたのだが、まだ口からでない。荒川洋治さんの「ぼくのハングル・ハイキング」を読もうと思ってバッグに入れてあったのだが、これも30頁までしか読んでいなかった。歌うような日本語でキムさんが旅行目的を訊ねてきた。冬ソナでもお買い物でもなく、できれば「SPギャラリー」を見ておきたいこと、後はお酒と食事と、韓国の雰囲気を知りたいこと、そうだ、プロ野球を観たいので今夜のゲームを調べて欲しいな。キムさんは、野球を観たいなんてお客さんは初めてだったらしく、ちょっと面食らったらしい。その仕草に、私は瞬時にこの人を信用した。
韓国プロ野球は、いまはあまり人気がなく、そもそも全斗喚大統領時代に大衆操作の一環として華々しく始めたものですね。ふーむ、この人はなかなかインテリじゃないか。右側通行の広い道路は漢江(ハンガン)に沿ってソウル市街地に向かっているらしい。ソウルオリンピックに合わせてできた道路だという。漢江に架かるいくつもの橋と走行する車の流れは日本の都市風景と変わらない。車も日本車と同じグレードのピカピカのものばかりだ。現代(ヒュンデ)とその傘下のキアというメーカーがほとんどだというが、なるほど日本車を見つけようとしても見つからなかった。高級外国車は、ここでもベンツ、BMWだとか。
最初の立ち寄り先は「新羅免税店」。移動中の車の灰皿はテープで封印されていた。ちえ、これじゃあ煙草も日本と同じだと観念した。コースになっているだけですから。数年前の上海旅行では、何軒も土産物店に連れ込まれ、ついにプッツンした経験のあるカミさんは、このキムさんのニュアンスにすっかり安心したようだ。私は、ところで喫煙所は?ブランドショップが複雑に並んでいる通路を辿って屋上に出た。まだ日は高く、真夏の暑さまで同じだ。そこはヨンさまファンには感激の場所だろう。休憩スペースを除いて屋上全体が大きなヨンさまパネルで埋まっていた。まあ、しかし暑いので皆冷房の効いた休憩スペースで休んでいる。その暑い屋上の一角に喫煙スペースがあって、ソウル市街や遠く板門店に続く山並みを眺めながら、私は、この国でも犯罪者のように煙草を吸っているのだった。
エルルイホテルは漢江のほとり。帰宅ラッシュの車列が4車線を埋めて永東大橋に向かう道路際の高台にあった。メインポールに韓国、日本、中国の国旗を掲げた15階建てほどの高層ホテルだ。キムさんが、今夜の野球のカードと「SPギャラリー」の場所を調べてくれていた。キムさんと明朝8時という約束を交わしてチェックイン。日本との時差はない。蝉がやかましく鳴いていて、かささぎが一羽、窓から見える巨木の葉隠れにいた。地図を見ると「SPギャラリー」への目標として教わったギャラリアデパートまでは歩いていける距離だった。ホテル脇の道路沿いを歩き始めた。しばらくすると公園があった。漢江沿いの道路が住宅街に入る道路と分かれて細長い緑地帯として作られた公園らしい。こっちかしらね。地図を見ながらカミさんはどんどん住宅街に入っていく。そろそろだな。カミさんは、どこの国に行こうとも相手を選ばずに道を訊ねる。ほうら、工事中のおじさんをつかまえた。地図を指し示して、ここへ行きたいと訊ねるのは難しいことではない。最終的には人類共通のボディーランゲージがある。そのおじさんも身振り手振りで、こう行って、こう行けと教えてくれたのだ。その通りに行くと広い大通りに出た。ギャラリアデパートは、海外有名ブランドショップが出店する韓国VIP御用達のお店とみた。一帯はなにやらそれにふさわしい高級な雰囲気が漂っている。えーっ、こんなところに「SPギャラリー」はあるのかよ。ちょっとひるんだが、その駐車場係りの若いお嬢さんに訊いてみた。身振り手振りとブロークンイングリッシュで。どうも分からないらしいので、片側4車線の大通りの反対側を眺めたり、しばし歩きながら探してみたが、まあいい。簡単に見つからない方が面白いじゃないか。さあ、野球場へ行こうか。
LGツインズの本拠地、蚕室(チャムシル)野球場は、ソウルオリンピックのメイン会場、蚕室総合運動場の一角にあった。私たちのいたギャラリアデパートからは、エルルイホテルに戻ってほぼ同距離を南下した場所だ。面白いことに、タクシーにも二種類あって一般タクシーと割高だが外国語にも堪能な運転手が乗っている模範タクシーがあるらしい。まあ、私たちはどちらでもいい。一般タクシーを拾った。カミさんが指し示す場所を運転手はしばし眺めていたが、無言で走り出した。後で気付いたのだが、私たちが利用していた地図は、ホテルに常備してあったもので、全て日本語で書かれたものだった。共通の微妙な間は、そのせいだったのだ。夜空に独特の照明を輝かせてスタジアムが見えてきた。右側通行の感覚がないので、信号手前で右側に停車したのにはとまどった。ついでに初めてのウォンの支払いだ。3500ウォン、というメーターの数字が見えたので4000ウォンを渡すと早く行けと急かす。へんだな、と思いながらも歩きだしたらカミさんが呼び止められた。ドアを閉めて行けというのだ。そうか、自動ドアじゃないのか。お釣りよこさなかったね。むう、やられたね。まあ、タクシーの運ちゃんじゃあしょうがねえよ。らしくっていいんじゃない。
大きな通りを少し歩くとスタジアムの入り口だ。アメリカンスタイルのチキンフードの店が見えたが、隣のコンビニ風の店に入った。ビールとおつまみを買って入ろうというのだ。まだ頭の中はウォンに切り替わっていない。1000円でお釣りがくるはず。知っている人には言わずもがなだが、ウォンと円では0がひとつ違う。ここは10000ウォンを出すべきだった。若い店員は、めんどくさそうにお釣りをよこした。さて、入場ゲートは何処。紙コップにあけてもらったビールを持って明るい方へ。まあ、日本の球場の外野席売場と同じだね。一人3000ウォンだから300円でした。係員に気持ちよく迎えられてスタンドへ。大音響でロックが鳴り響く応援席のそばだった。お客さんの入りはよくないが、もともと私はパリーグファンだから違和感はない。なにしろ、あの川崎球場でロッテ・オリオンズのゲームを観ていたくらいだからね。
蚕室スタジアムは、大リーグ仕様の天然芝の美しい球場だった。球団所属だと思われるチアガールが、応援団長というより専属アナウンサーみたいな人の合図でチャンスの度に派手な踊りを披露する。この日はホームのLGツインズがタイムリー安打で着々と加点。ゴロゴロゴロゴロ、パッパゴーゴー、みたいなリズムでチアガールが踊りまくり、それにあわせて観客も赤い応援グッズをうち振る。その光景がオーロラビジョンに映し出されるのも同じだ。相手は、現代(フュンデ)ユニコーンズ。帰国してから調べてみたら韓国プロ野球も1982年の誕生以来、ずいぶん変遷があったらしい。その中で、釜山のロッテ・ジャイアンツは変わっておらず、球団マークもユニフォームも千葉ロッテ・マリーンズとそっくりだった。
さて、最前列の席に座ろうとしてビールを座席に置いた途端、こぼしてしまった。照れ隠しに頭をかかえていると、さっと読んでいた新聞紙を差し出してくれた人がいた。一人で仕事帰りに観戦中という紳士だった。思わぬ事態に私は当惑したが、有り難く濡れた席に敷かせていただいた。これはお礼を言わなければならないが、サンキューでは失礼な気がして笑顔でアリガトウと言ってはみたものの、まだ足りないと思った。とにかくビールを飲まないと野球場にいる気分がでない。トコトコと球場内の売店へ。もうウォンの感覚にも慣れ始めたかな。球場の様子を落ち着いて眺めると、ちゃんとOBビールの生樽を背負ったお兄ちゃんもいた。地元チームが勝っているためもあって、スタンドは大盛り上がりだ。鼻ピアスをしたお姉ちゃんとか、生意気そうなお兄ちゃんたちがぶらぶらしているのもほほえましい眺めだ。ホームランは飛んでこなかったが、外野手や審判におねだりするとボールがもらえるらしい。攻守交代の合間に低いフェンスから身を乗り出して選手の名前を連呼するのだ。合計4個投げ込まれて、そのたびに奪い合いになるのだが、先ほどのお兄ちゃんたちが、ゲットしたボールを小さな子どもにやっているのを見た。いい奴らじゃないか。
誰かがしきりに私を呼ぶらしい。振り向くと、最初から大騒ぎで観戦していた親子4人連れの若い奥さんが発砲スチロールの皿を差し出していた。スルメとお餅みたいな食べ物が入っていた。食べなさい、と言ってるらしい。なんと嬉しいことではないか。ひとついただいて、おいしいと身振りで伝えると、もっと食べろとすすめる。こりゃあ、こんどこそお礼を言わなきゃ、人として恥ずかしい。アンチョコを出して、しっかりと舌先に書きとめた。攻守交代の時間には、応援席では様々なお楽しみがある。今日はオーロラビジョンのカメラの前でキスすると何かもらえるらしい。まあ、このあたりのノリもアメリカに近い感じだ。途中でトイレにも入ってみたが、あの川崎球場と比べては失礼なほど綺麗だった。4対0でツインズの勝ち。スコアボードに選手名がでるが、これはハングルなのでさっぱり分からない。勝利に沸く応援席では、まだ楽しいイベントがあるらしかったが、そろそろ出ようぜ。私は、先ほどの奥さんの肩をそっと叩き、思いきって言った。カムサハムニダ。今度は奥さんが戸惑ったように、にっこりと微笑んでくれたのだった。
球場の前は広い大通りで、見渡したところ飲食街の雰囲気ではない。野球帰りのお客さんで賑やかな屋台がでていた。今夜の食事はここでいいや。OBビールもいいが、ハイトというビールが人気だとキムさんから聞いていた。私好みの焼き肉料理と一緒に注文する。
二人のおばちゃんが仕切っているようだが、ちょっと物珍しそうに私たちを見た。けれども嫌な視線ではない。日本のどこの屋台にもいるようなおばちゃんなのだ。焼きそば風の麺料理もみえたが、腸詰めを炒めたような料理はボリュウム十分だった。想像していた通りの味で、辛さもジワリと効いてくる程度。黄色と赤のテーブルクロスが派手だが、別に好みの問題だろう。何の木だか分からなかったが、大樹の並木の下だ。月を眺めながら、在日を扱った映画のタイトルを思い出そうとした。「月はどっちに出ている」だったかな。
注文してないのに肉入りスープがきた。サービス、と言っておばちゃんが、娘みたいな仕草で置いていった。ええー、いいのかしら。それじゃ、みんなの飲んでるあれ頼もうか。氷水で冷やされて美味そうな韓国焼酎、真露。そう、それ頂戴な。すっかり嬉しくなって飲んでいると、またサービスが。今度はムール貝のような、それにしては小ぶりな貝料理だった。お勘定も明朗会計。指をたてて、数えながら、ちゃんと2品サービス。カムサハムニダ。ホテルまでのタクシーも気分がいいから釣りはいらないよ。カムサハムニダ。
翌朝、ホテルのロビーでキムさんを待つ。朝食を食べて観光予定だ。ちょっと、遅いね。フロントに呼ばれた。キムさんからの電話だった。遅刻しました、ごめんなさい。いいよいいよ、気をつけてね。ホテルの通用口が喫煙所になっていて、そこで煙草を吸っていると、次々と従業員が出勤してくる。キムさんが急ぎ足でやってきた。ごめんなさい、と深々と頭を下げる。キムさんは、30代の独身女性。兄と弟がいるという。いい男はみんな結婚しました、これはという男には必ず女がいます。などと、明るく話す。ところで、キムさんにとって結婚の最大条件は何かな?うーん、やっぱり経済力ですね。正直なお言葉でした。
ホテル前の大通りを徒歩で横断する。道一杯に車が走っているが、ちゃんと信号で止まってくれるのは、上海とは大違いだ。キムさんも中国料理は口にあわないというように、味覚など、感覚的なものは同じアジア人でも共通するものがありそうだ。私たちは台湾にも行ったことがあるが、あの漢方薬みたいな味付けには閉口したものだ。食文化は大事だ。
信号を渡って直ぐのお店で朝食。ソロンタンの専門店だった。牛肉入りのスープにご飯を入れて食べる。金のお椀に金の箸。ん、軍隊小唄の一節みたいだな。スープは辛くないので、食べ放題のキムチを入れて丁度よい味加減。朝食には最適な料理。ご馳走様でした。
地下鉄、清潭駅まで3人で歩く。大きなホテルも見えるが、駅周辺のオフィス街といった道。とりたてて見るものもないので暑さばかりが身にしみる。キムさんに切符を買ってもらって乗車。自動改札だけど、ひとりずつ通過するアーム方式だった。平日の10時頃だから座れるという混み具合。座席が金属製なのが不思議だったが、大きな火災事故があったためらしい。シルバーシートに中吊り広告、冷房の効いた車内風景は全く東京と変わらない。と、台車にダンボール箱を乗せた人が、ちょっと異常な勢いで網棚に置き忘れた新聞紙を回収にきた。別の電車でも似たような人を見たのでキムさんに訊いてみた。そういう商売があるらしい。こっちです。ひとつ乗り換えて、梨花女子大前へ。日本のように到着駅のアナウンスも案内放送もないが、これはこれで気にならない。
梨花女子大と延世大学は、韓国の有名私立大らしいが、ここが観光スポットなのは、おしゃれなブティックや雑貨店が軒を連ねる若者文化の街ということらしい。なるほど、ちょっと工事中の道路が歩きにくいが、華やかなお姉さんたちが歩いている。キムさんもこちらの大学なの?いえいえ、私、違うんですう。いいなあ、この人。とにかく暑いし、一服したいなあ。「Coffee Bean」というお店があった。JAZZが流れていてアメリカ人の姿が見えた。私は外のテラスに座った。キムさんと通りを見ながらお話。私にはこの視界の中で、誰が日本人なのか見分けがつかないんだけど、キムさんには分かるの?そうですねえ、あそこの2人は日本の方ですねえ。そう言われてみれば、そうだな。なにで見分けるわけではなく、なんとなく分かるのだという。ちょっとためらったが、在日の人はどんな感じなのか訊いてみた。あのお、日本人と同じ感じなんですねえ。なるほど、在日とはそういうことか、と思った。キムさんには、在日の友人はいないということだった。
カミさんとキムさんは、それなりにウインドショッピングを楽しんでいるらしいが、私は汗だくで付いて行くのが精一杯。暑いなあ。迷彩服姿の若い軍人さんの姿もあるが、全くプライベートな街歩き。様子のおかしい老婆が、そのうちの一人に取りすがるのを見た。
これはどんなドラマなのか分からなかったが、笑いながら軽くふりほどくと、二人はさっさとCDショップの店内へと入ってしまった。地下鉄の車内でも、無防備に居眠りをしている軍人を見た。滞在2日目の旅行者には、この国のどこに軍事的緊張があるのか全く分からなかった。
南大門市場は、日本のアメ横という感じ。達者な日本語で呼び込みをしている。人混みを避けながら歩いていると出前のお姉ちゃんが一品落としている現場に出くわした。散乱したキムチをキムさんが拾ってあげた。いま考えると、なにも不自然な態勢で拾おうとするより出前のお盆をいったん下ろせばよかったのに。それはともかく、このキムさんの自然な行いは好ましかった。呼び込み方にもいろいろある。総じて、ここの人たちはしつこ過ぎないのがいい。カミさんはお目当ての店があったらしく、すんなりと入って行く。書き遅れたが、カミさんはこの春にも韓国旅行に来ていたのだ。その間にウォンに対して円
がやや弱くなっているらしく、円でもいいかというと、ウォンで払ってくれという。公認なのかどうか知らないが、通りの一角におばさんたちが並んで座っていて、その場で両替をしてくれるのだ。別の店でお土産を買って、もうここはいいです。
明洞まで歩く。お土産で膨らんだリュックを背負わせられて汗だくだ。まあ、今日はしょうがない。明洞餃子のお店の前まで案内してもらって、キムさんの仕事はここまで。後で聞いたら、キムさんは別のお客さんを迎えに空港に向かったのだ。餃子のお店は行列ができていた。並んでまでのこだわりはなかったので、裏通りで一服。ここは、銀座か新宿かという人の波。とにかく昼食だ。知らずに入った店は、時間がずれていたせいか空いていた。はて、見たような写真が掲げてある。「オモニの家」というガイドブックに載っている店だった。カミさんが、プルコギがいいよ、というので注文。一人前では少ないから二人前にしろ、とおかみさん。まあ、いいか。先ずはビールで乾杯。よく眺めると店内には、日本の芸能人の色紙がずらり。慣れてやがるな。他に石焼きビビンバとビール3本。
ゆっくり過ごしてお勘定。50000ウォンは高いんじゃない?そんな気がするね。牛肉は高いんですよお。後でキムさんはそう言ったが、カミさんは疑っている。
地下鉄で清潭駅まで戻る。駅のトイレもきれいだ。ソウルの地下鉄は分かりやすい。駅には番号がついていて、アナウンスがないかわりに乗換駅では小鳥の鳴き声がするのだ。
清潭までは90円だった。無事に乗り換えて後は真っ直ぐ。中学生くらいの子どもたちが乗ってきて、そのうちの一人がカミさんの横に座った。私たちのおしゃべりに、ちょっと不思議そうな顔をしたが、すぐに反対側の仲間とふざけ始めた。さて、出口はどこだっけ。日本と同じ出口方面図があって、うん、こっちだ。朝来た道をホテルまで歩く。まだ日は高く、暑い。途中のコンビニでビールを買う。カムサハムニダ。ようやく普通っぽく言えるようになった。
ホテルで一休み。洗濯物をめぐって、ちょっとしたトラブル発生。双方歩み寄って円満に解決したので、詳細は書かない。さて、夕食を兼ねて「SPギャラリー」を探しに行こうか。ギャラリアデパートの反対側は、ミニ明洞というか、ソウルの最先端スポットみたいな雰囲気だった。日本料理店やアメリカンフードの店など、ちょっと高そうな店が多い。
「SPギャラリー」を探しながら、適当な食事処も物色する。ネオンが点り、高級車が狭い通りにどんどん入ってくる。歩き疲れたね。ここだ、という店がなかなか定まらず、何度か通り過ぎた焼き肉店に入った。夕食時で店内はぎっしり。若い店員が跳び回っている。
メニューを指し示すと、NO NOという。それはランチメニューらしい。繁忙時とはいえ、そのお姉ちゃんの英語はトゲトゲしく聞こえた。英語はカミさんにおまかせだ。しかし、この兄弟みたいな国で、互いに英語で話さなければならないことに、私は急にしらけてしまった。注文票にチェックする明朗会計。まあ、あのお姉ちゃんにも悪気はなさそうだ。真露1本、付け忘れてる。もちろん、ちゃんと払っておいた。ソウルの夜は、やはり昼間とは違う雰囲気になる。「SPギャラリー」は、今日も見つからなかった。明日の13時には、キムさんがホテルに迎えにくることになっている。こんな近くにいて、ついに
見つからないのでは、と夜道を歩きながら思った。
エルルイホテルには、喫茶、ナイトクラブにサウナまであったが、私たちはついに、そのどれも利用しなかった。最終日の朝も近くのコンビニで、缶コーヒー、サンドイッチ、おにぎりを買ったのだ。袋も付けるか?というので、そうしてもらったら、チンと少額を打ち込んだ。日本でも問題になっている買い物袋だが、こちらでは有料が定着しているらしい。最初の日に迷い込んだ公園で朝食。ウォーキングの人が数人。離れたベンチでは老人が何人か休んでいる。缶コーヒーも食べ物も、見たとおりの味で、おにぎりの具の肉料理は美味い。
ほら、鵲(かささぎ)がいるよ。見ると、繁みの中から独特の白い差し羽を付けた鳥が公園の方へチョンチョンと出てきた。鵲はこの国では縁起のよい鳥とされているらしい。直ぐに崔華國の詩を思い出した。/里では昔から鵲は吉鳥と言い伝えられている/朝まだきポプラの巣から飛び出た華奢な姿が/今朝は誰の家の屋根で啼くだろうかと/人々は心の中で希い占うのだ/(ポプラ頌)。まあ、しかし、珍しいことでもあるまい。私たちの座っているベンチに、一人の老婆がゆっくりとやってきて座った。この年代なら日本語を話すかもしれないと思ったが、話しかけなかった。さて、時間がなくなった。もう一度、本気で「SPギャラリー」を探さなければ。
坂道を登って、ギャラリアデパートの裏手に出た。この先に画廊があったから、そこで訊いてみよう、と私は思っていた。そのとき、カミさんが通りかかった紳士に声をかけた。ああ、日本の方ですか。なんと、鵲の縁起は本当だった。偶然にも、声をかけた人は現地で暮らす日本人だったのだ。彼はこころよく周囲にいた人に訊いてみてくれたが、知っている人はいなかった。これまでか、と思った。すると彼は、自分はもう時間がないが、自宅に妻がいるから訊いてくれ、という。えっ、いいんですか。すぐそばだと教わった場所に行くと、一戸建ての並ぶ集合住宅だった。守衛室で、メモしてもらった番地を示すと指さして通してくれた。奥さんは日本語が分かるということだったので、そのつもりでチャイムを押した。若い奥さんだった。しかし、どうも日本語が通じない。怪しまれそうなので、カミさんと交代。英語でやりとりして、どうやら事の次第は理解してもらえた。何故か子どもさんの一人が日本語を話せるというので、通訳してもらった。どうぞ、お入りなさい、という身振り。思わぬ展開に恐縮しながら通されるままに居間へ。冷房の効いた飾り気のない部屋には、もう一人子どもがいた。奥さんがジュースを出してくれた。カムサハムニダ。「SPギャラリー」へ電話してくれているらしい。テッコンドー?子どもの衣裳がそう見えた。YES。興味深そうに私たちを眺めながら、元気よく応えてくれた。奥さんは、場所が分かったから車で送ってやる、と言ってくれた。正直、そこまで期待していなかったので驚いた。バイバイ。子どもたちに手を振って、私たちは裏口の路上に止めてあった車に乗り込んだ。カローラクラスの車だが、ちゃんとキーで遠隔操作できるタイプだ。遠くはあるまいと思っていたが、ギャラリアデパート前の信号を駅方向に少し戻った反対側に車は止まった。私たちは、この方角は見落としていたのだった。キム・ウネさん、旦那さん。本当にありがとうございました。カムサハムニダ。
「SPギャラリー」は、周囲のビル群に比べれば地味な造りのビルの二階にあった。狭い一階フロアの一角に人の指を題材にしたオブジェがあった。午前10時ということもあってか、あまり人気のないビルだ。なんだか私は安心した。アンニョンハセヨ。出迎えてくれたのは、ヨンさまみたいな若い男性だった。「まほろば」の喫茶スペースほどだろうか。パソコンを置いたテーブルとシンプルな応接セットがあるだけで、壁面に10点足らずの作品があった。苦労してたどり着いたといっても、特別な用事があったわけではない。片言の英語で、日本会場のひとつになっていることだけを伝えられれば、それでよかった。彼はどこかに電話してくれて、代われ、という。カミさんの出番だ。どうやら、オーナーさんらしく、これから行くから1時間ほど待っていて欲しい、ということだった。それでは、のちほどということで、私たちは外へ出た。旅先で実用品を買うことが、強いて言えば私たちの趣味だ。ちょっと大きな食器店があった。コーヒーカップとカラフルなコップを買った。ついでに、何度も通り過ぎたギャラリアデパートの店内に入ってみた。豪華な店内は、シャネルやグッチ、縁がないのでスラスラでないブランド品ばかりだ。幸い、カミさんはそういうものを欲しがるタイプではない。まあ、チクチクとつぶやきはしますがね。韓国でもこういう高級店で買い物をするのは、リッチな芸能人かスポーツ選手だとキムさんも言っていた。お客さんの姿はほとんど見えない。涼んだから出ようよ。
「SPギャラリー」に戻ると、リーさんが待っていた。熟年の美しい女性だった。今回のイベントの件で、事務局の工藤政秀たちと一両日中に打ち合わせをすることになっているとのこと。私たちは、工藤さんとすれ違いになることは分かっていた。ひとしきり、片言の英語でお話。パソコンがあったので、名刺代わりに私のホームページを開いてみた。ハングルは読めないが、同じブラウザなので見当はついた。驚いたことに、見慣れたmahorobaホームページの文字がハングルに翻訳されて出てきた。うーむ、翻訳ソフトが組み込まれているのだろうが、私のパソコンではこうはならないぞ。リーさんに示して、お気に入り登録してもらう。まいったな、この文章も翻訳されて読まれるわけだ。こちらは、翻訳機能がありません。感想は英語でお願いしますね。リーさんと記念撮影。キムさんにも言われたが、年代物のニコンの(削除)カメラだ。ほら、モッタイナイじゃない。
帰国時間が迫ってきた。思えば、この3日間は「SPギャラリー」を探しての旅だった。もし、このまま帰国してしまったら今回のイベント全体に対する私の対応も違ったものになってしまうところだった。リーさん、お目にかかれてよかったです。カムサハムニダ。
昨日、朝食を食べた店で昼食。行列になる直前だった。ソロンタンみたいな食べ方は、私はよくする。ラーメンライスや鍋料理の残りにご飯を入れたりね。何故かカミさんは、キムチをバリバリ食べている。食い納めだという。ホテルに戻る途中で雨が来た。通り雨だった。13時、キムさんはホテルで待っていた。空港へと向かう車中で、キムさんに南北統一について訊いてみた。直ぐは無理だが、10年位かけて着実に統一されるだろう、ということだった。何で同じ民族同士で戦う必要があるのでしょう、という強い思いが感じられた。プライベートで日本にも旅行することがあるというキムさんは、奈良に行った時、韓国の田舎の風景とそっくりなのに不思議な感じがしたという。温泉と田舎の風景が好きだというキムさん。国際空港というのは建物の中に国境がある。では、ここで。なんだかもう一度会えそうな笑顔だった。カムサハムニダ。
旅行記はこれで終わりだ。8月18日、金浦空港発、大韓航空6709便は、16時40分、ぐんぐんと上昇中だ。漢江(ハンガン)が見え、高速道路が見えた。やがて、ソウル郊外に広がる田んぼが見え、たちまち、それらは雲間に消えていった。
自己紹介・ご挨拶
現代詩資料室1
現代詩資料室2
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