国指定の一里塚探索の旅 part2 2003.12.28〜2004.01.05


 年が明けた3日、長崎島原にて、次の目的地への旅立ちの朝を迎えた。島原では、特に島原街道を歩いたりする時間もなく、観光的なものといえば普賢岳災害の記念館など訪ねたぐらいであった。結構、楽しめたのだがここで紹介するような内容でもないので、割愛する…



■旅立ちの朝 2004.01.03

 さて、旅立ちの朝に話を戻す。
 年末、ここ島原に来るときには、大分方面から高速に乗っていたので、そのまま鳥栖JCTを経由して長崎自動車道に乗り大村湾のほとりを抜けてぐるっと諫早湾を半周する格好で島原に来たのだが、今度は宮崎・鹿児島方面に向かう予定である。すると、ここからわざわざ佐賀県を抜けるのは非常に無駄である。別に佐賀を差別するわけではないが、佐賀県を通過しない方法を取ることにした。再びフェリーの登場である。ここ島原半島には、さまざまなフェリーが営業されている。半島の北側、国見町多比良港では、「有明フェリー」が熊本県の長州港に、一日あたり24本も出航している。島原港からは、「九州商船」と、「熊本フェリー」が熊本新港に対して、三角島原フェリー(国道フェリー)が、三角港に出ている。そう、島原は長崎県なのに、長崎市よりも熊本との繋がりが強い地域なのである。時刻表を見て、とりあえず九州商船の一番安いヤツで熊本に渡ることにした。9:40発の便は、特割便であり30%OFF対象なので、自動車と運転手+大人一人でわずか2695円で熊本まで渡ることができた。
 島原外港、背後は、以前大災害を起こした眉山(普賢岳)

 餌付けされているカモメ達 フェリー出航ともに群がる

 熊本新港は、陸地から離れた所に人工的に作られた島にできた新しい港であった。熊本港大橋という橋一本でのみ繋がった島であり、まだこれから開発が進みそうな場所である。このまま真っ直ぐ進むと、九州自動車道の御船ICというところに繋がるのだが、島原の叔父に教えてもらったことによると、国道501号線に乗り換えて宇土に向かい、その先の松橋(まつはせ)ICから入る方が良いとのことである。ここはひとつ地元の方の言うことを信じて進んだが、確かに快適な道である。途中、若干細い区間があり不安に陥るが、交通量が多いわけでもなく、道の譲り合いをしてもそれほど問題が無い。あとはほとんど信号も無く、あっと言う間に高速道路に乗り入れることができた。あとは一路鹿児島を目指すのみ。
 高速に乗ってすぐ、八代ICが近付く。実は、ここにも立ち寄りたかったのだが我慢をして通過した。あと3ヶ月たらずで九州新幹線が開業する。どんな駅になっているのか見てみたかったのだが、あまり寄り道をしていると、今日中に佐多岬にたどりつけない。高速の上から見物することにした。ほとんど見えなかったが、八代ICと八代JCTの間で、新幹線の高架らしきものと巨大な駅らしきものを見ることができた。この先、道は急激に内陸に向かって進む。JR鹿児島線、九州新幹線は、西海岸沿いに川内、水俣などを経由して鹿児島に向かうのだが、高速道路は内陸の人吉を経由して鹿児島に向かうことになる。
対面の交通量が多くなり渋滞が始まっていた。もうUターンラッシュが始まっているらしい。こちらは逆方向なので、何の問題も無い。明日の戻り方向も、ここは通らないから大丈夫だろう。道は一旦、宮崎県に入る。えびの市だけをかすめて、鹿児島県へ。



■大隈半島(鹿児島の右側)

 さて、ここで我々がどこへ向かっているのかを説明する。
 実は、最後の国指定一里塚ではない。それは明日の予定である。明日、宮崎県日向港から出航するフェリーに乗る前に通過すれば良いと考えており、今日の目的は別にある。佐多岬である。佐多岬は、鹿児島県の右側の半島、大隈半島の突端にある、九州本土の最南端に位置する。しかし、なぜ今回無理を承知で訪ねて来ているかというと、この佐多岬の先端に行く道路が、じきに閉鎖されてしまうからだ。この先端に向かう道路は、道路公団でも鹿児島県でもなく、個人(私企業)である「いわさきコーポレーション」が作った道であるのだが、維持費の問題から、今年の2月で閉鎖が決まってしまっているのである。ここが閉鎖されると、もう二度と佐多岬に行くことはできなくなる。あとは船をチャーターするしかない。(南日本新聞の記事・リンク切れの可能性もあり)

 佐多岬が有名になったのは、かつて日本テレビ系列で放送されていた「進め電波少年」で、お笑いコンビの「ドロンズ」が、ロバのロシナンテ(本名:木村嘉夫)と一緒に、北海道の宗谷岬から日本を縦断した企画で、ゴールになったときである。(あんまり有名でもないか・・・) その、ソテツなどの南国の植物が自生する、とても日本と思えない映像を見て、いつか行ってみたいと思っていたのだ。それが永久に行けなくなるとしたら、多少無理をしても行かねば、と今回の旅に組み込んだのである。幸いなことに妻を説得するまでもなく、突端嗜好の妻は喜んで同行したのであった。

 何故、と聞かれても困るが、先端があれば行ってみたくなるものだ。本土最東端の根室岬、本土最北端の宗谷岬、本土最西端の神崎鼻、当然すべて行ったことがある。「最」じゃなくても、有名どころならば、北から順に、野寒布岬、スコトン岬(礼文島)、知床半島カムイワッカ、積丹岬、地球岬(室蘭)、襟裳岬、大間岬、弾崎(佐渡)、犬吠崎、石廊崎、伊良湖岬、羽豆岬(知多半島)、大王崎、潮岬(三重県串本)、室戸岬、佐田岬、長崎鼻(指宿)、と言った、主要な先端はすべて網羅している。龍飛岬と足摺岬と、ここ佐多岬が当面の目標だったのだ。

 九州自動車道を加治木JCTで分岐し、東九州自動車道に入る。一応有料道路なのだが片側二車線だ。全然混雑していないから充分である。右手に桜島を眺めながら隼人町を進み、国分というICで下りる。 あとは錦江湾(鹿児島湾)に沿って南下する。ここまで来ると、久々の「田舎」を実感する。まだ燃料切れのランプが点灯していないのだが、妻がしきりに心配する。ぜ〜ったい大丈夫、となだめるが、確かに先ほどから一軒もガソリンスタンドが無い。あっても休日で、4日より営業となっている。ようやくロープの張られていない店を見つけて入るが、店の奥で従業員が手で大きくバツを示している。どうやら店は営業していないらしい。たまたま休日に書類の整理でもしていたのだろう。さて困った。まだ多少余裕はあるが、どんどん僻地に進んでいるわけだ。垂水市まで行けば大丈夫だ、とたかをくくっていたが、そろそろ心配になってきた。だめなら多少遠回りになるが、一旦、鹿屋市街に寄って行けばなんとかなるだろう。ふと見ると、何気に給油しているトラックが停車しているスタンドがあった。試しに停車して見ると、おばさん(従業員というより、本当に農婦といった感じのおばさん)が「いいよ〜」との返事。これ幸いと満タンを指示する。ついでにトイレを借りようと訊くと「う〜ん、家の中にはあるんだけどね〜」と変な返答。ちょっとこっち来なさい。と奥に連れて行かれ、その家の中のトイレでも紹介されるのかと思うと、隣の家の裏の空き地に連れて行かれた。「ここなら見えないから大丈夫。誰も住んでいないし」とのこと。
「……?」ここでしろってこと? 聞きかえそうとすると、おばさんは、とっとと給油に行ってしまった。せっかくの紹介だからさせてもらったが、全然、見えない位置じゃなく、国道から丸見えなんですけど。久しぶりに他人から強制された立小便を堪能すると、車に戻った。もう給油は終了していた。

 給油を済ませることができたら、もう鹿屋市に立ち寄る必要は無い。最短距離を行くために、一旦国道を離れて海岸沿いの道を進んだ。意外に時間がかかっており、少しでも早く到着したい。
 根占(ねじめ)という町は予想外に大きな町であった。以前、ここに指宿に渡るフェリーがあったらしいが、やはり同じ「いわさき」資本であり、とっくに廃止されている。港のすぐ先に、本土最南端の道の駅「根占」があった。
 本土最南端の道の駅 錦江湾をはさんであれに見えるは開聞岳
 
 食事をするところもあったのだが、ちょっと豪華な料理が多く、軽食という感じではない。多少空腹を我慢してでも、やはり先を急いだ方がよかろうと、トイレだけ借りて先を急いだ。
 地図で見て、もうそろそろ半島の先端に近く、すぐだろうと思っていたのだが、直線距離で20Km、道に沿ってならば40km近くありそうだった。
 佐多町に入る。5km程進むと役場があり、国道はここで終わった。道は県道になり海沿いから内陸に向かい始める。道路標識の佐多岬までの距離がカウントダウンを始めた。あと一山越えると佐多ロードパークの入り口である。



■佐多岬

 ほとんど分岐が無いので、突然現れた三叉路に驚いてスピードを落とす。左手には日本最南端の郵便局が。右を見ると目的の有料道路入り口ゲートがあった。

 
 予想を裏切らない道路だった。往復で1000円の料金を払う。他に道が無いのだから往復料金しかありえない。半券付きを渡され、途中のゲートで渡すように言われた。路面は予想通りのボロボロで、修復を諦めたかのようである。道の両側には自生ソテツが。まるで亜熱帯のような不思議な世界に迷い込んだ雰囲気がある。
 途中、いくつかの分岐があり、有料道路とはいえ、地元では生活道路として使われているようである。やがて途中のゲートというのがあったが、電話ボックス程度の小屋に陽気なおじさんがいるだけであった。田尻という集落を抜けると、もうあとは山道になった。ここから先は、完全に観光道路のようだ。北緯31度線と書かれた大きな看板を越えると、やがて行き止まりになり、比較的大きな駐車場のスペースがあった。

 駐車場には30台程の車がいた。2002年の利用車数が26,600台ということだから、1週間あたりわずかに512台である。観光客など、ほぼ週末だけだろうから、土日それぞれが200台程度なのだろう。すると、この瞬間に30台もいるというのは、やはり最後の姿を見に集まってきた物好き達なのではなかろうか。しかし、もしかしてこの正月休みが最後のチャンスだから渋滞しているのではないだろうか、という心配にはほど遠く、世の中、それほどの物好きは多くないらしい。
 しかし、最後のチャンスに、これだけしか集まらないようでは、やはり維持していくのには無理があったのだろう。

 あとは徒歩で先端に向かう。トンネルがあり、その入り口で入場券を販売していた。ここまでは自動車の有料道路代で入れるが、ここから先は各々の入場券が必要だそうだ。いい商売をしている。みやげ物屋も兼ねている販売所で券を買うと、そのまま、ほとんど照明が点いていない薄暗いトンネルを進んだ。トンネルの先には、再びちょっとした駐車場がある。ここまで車で来られなくはないが、トンネル内でのすれ違いが危険なため、手前を終点としたのだろうか。人が歩くだけにしては大きなトンネルであった。トンネル先の広場からは夕陽が沈むのが見えた。奥の方に道標があり、もっと先まで歩いて行くらしい。いきなり細い道となる。薩タ峠のような道である。多少、手すりが用意されてはいるが、単なる山道である。上ったり下ったりしながら進むと途中に神社があった。きっと本土最南端の神社なのだろう。

神社で初詣を済ませると、今度は上り坂になった。途中、廃墟となったレストランらしき施設がある。昭和40年代には年間20万人が訪れたという話だから、当時はこんな施設も繁盛していたのであろう。そういえば、有料道路入り口に、この先レストランはありませんの表示があった。

展望台はこの先との表示があり、さらに進む。何かの装置?を撤去した空間があったり、碑を撤去された展望台らしき場所があったり、かなり怪しい山道の先に、ようやく展望台が見えてきた。その手前に、海が見下ろせる空間があり、「本土最南端」の碑が立っていた。本土の東西南北端の各市町村と姉妹関係にあるらしい。看板の前で写真を撮る。
 歩いて行ける最南端…おや?まだ先に灯台もあるし電柱が立っているのが見える

 展望台 中央の細い部分の内部が螺旋階段になっている

展望台に入ると、やはり廃墟であるが、それなりに営業しているようで、マンゴージュースとビールだけを販売していた。売店を廻りこむと上に上がる螺旋階段があり、ぐるぐる廻りながら上る。ずいぶん回る。まだ回る。ようやく到着すると、見晴らしの良い展望階に着いた。うっすらと種子島らしきものが見える。当然、屋久島も見える位置にあるのだが、残念ながら屋久島方向は曇っており見えなかった。

一階に下りると、最南端到達記念証を売っていた。105円という微妙な値段だが、これも縁起物だ。最後の記念に購入した。売店は、もうすでに店じまいの準備をしており、売上金をビニール袋にいれて結んでいたらしく、わざわざ解いておつりをくれた。道の駅で食事を我慢してきたのが良かった。あと少しでも遅れたら、記念証も購入できなかったわけだし。ま、別にとりたてて欲しい物でもなかったが。

来た道を戻る。展望でのんびり見物していたためか、辺りにはほとんど人影が無くなっていた。確かに店じまいするわけだ。トンネル手前まで戻ると、荷物搬送用のロープウェイがあった。かつて繁盛していた頃は、こんな装置を使って食材やら土産物やらを運んでいたのだろう。そこにいると、老夫婦がやってきた。どこにいたのだろうか。我々が最後だと思ったのだが、途中の神社にでも寄っていたのだろうか。トンネルをくぐり駐車場に戻ると、もう、ほとんど車は残っていなかった。本土最南端のバス停とか、本土最南端の電話ボックス、本土最南端の野良猫(未確認情報)などの写真を撮っていると、本格的に誰もいなくなってきた。あと車が私の他に1台。もしかしたら切符販売の従業員かもしれない。あと、歩き客がいたが、バスなんかとっくに終了していることを知ってあせって従業員に下りる手段を尋ねていた。あきらめて歩き始めたようだが、この時間から8キロをどう下るのだろうか。

 ロードパークを下ると、途中一箇所あったゲートでは、もう上り車線にはゲートが降ろされていた。こんな早くに閉じるとは知らなかったので、ぎりぎり間に合った幸運を喜んだ。
 さらに下のゲートまで戻ると、Uターンするように側道に入った。この先にレストランがあるらしい。行ってみると、同じく「いわさきコーポレーション」の経営する(実際は佐多町との第三セクターらしい)佐多ビーチホテルである。ちょっと高そうだが、本土最南端のレストラン(くどい)だし、記念になるかと入ってみると・・・見事、断られてしまった。席は空いているのに食材が無いらしい。すると、本土最南端の道の駅(しつこい)まで戻るしかなさそうだ。もう、完全に陽が暮れていた。

 ハンディGPSによる記録 北緯30度59分36秒は展望台に書いてあった値と一致 
なんだか ちょと嬉しい



 もう、これから行ってみるという人もいないだろうが、参考までに書いておくと、ロードパークは自動車専用道である。自動車でないと入場できない。世の中の多くのサイクリスト達が困っていたらしい。他の東西北端は自転車で行けるのに、南だけが自転車で入れない。深夜の侵入などが絶えなかったという。また、自転車を分解しバスに乗車、停留所先で再び組み上げて先端まで自転車を担ぐ、というつわものまでいたという。

■都城へ

 来るときもほとんど自動車を見かけなかったが、戻りも同様であった。前にも後ろにもライトが見えない。錦江湾を挟んだ対岸は、鹿児島、指宿などの明かりがまぶしいが、おそらくこちら側は、真っ暗に見えるのだろう。
 一本道であるから、来た道をそのまま戻るしかない。もちろん他に道が無いわけではないが、無難な道はこの道しか無さそうだ。すると、さきほど逃した道の駅根占を通ることになる。結局、夕食はそこで取ることになった。

 夕食を終えると、一路、都城市を目指す。今回の旅の最終目的地、一里塚のある街である。もうとっぷりと暮れているから、今日は見ることができないが、この辺りで宿泊できそうな街と言ったら、鹿屋か都城しかないから、一気に都城まで進んでしまおうと考えたのである。今、走っている国道が269号線であり、このままたどると都城に行けるはずである。鹿屋市で220号線に乗り換える方法、501号線を使う方法なども考えられるが、269号線が、結構、走りやすく、全く車が走っていないので、このまま269を進むことにした。地図だけを見ると、いくつもの峠越えをするように思ったのだが、全体に高い場所を走っているらしく、さほど高低差も無いまま、いつのまにか県境を越え、あっと言う間に宮崎県都城市に到着してしまった。

 結局、宿探しで2時間も都城市を放浪する羽目になった。


■今町一里塚

 実は、昨晩、都城市を放浪する羽目になったのには訳がある。愛用していたナビが起動しなくなっていたのだ。島原を出る直前に壊れ、まったく起動しなくなり、昨日は久しぶりに地図無しでドライブしていた。特に道案内までは期待していないのだが、目的地をピンポイントで示すこと、自分が今どこにいるかの表示、現在走行中の地域の地図のリアルタイム表示、などには非常にお世話になっていた。昨日の佐多岬のように、目的地が標識で示されているであろう場所に向かうだけならば、ほとんどカーナビなど無くても問題無いが、少し大きな街で、宿探しなどをする場合には、ナビは威力を発揮する。しかも、ナビを信じて(紙の)地図を全く持ってこなかったので、余計に事態は悪化していた。ちょっとした道の曲がり間違いで迷い込み、市内を何度も行ったり来たりする羽目になっていたのだ。
 もうひとつ問題があった。一里塚の場所も、ナビに示していたのである。ほぼ10メートル以内の誤差で目的地を入力できるから、何の問題も無く発見できるであろうと安心していたのだが、肝心のナビが動いていない。昨晩も、道の迷いついでに下見をしたつもりだったのだが、全く違う場所を探していたのだった。

 昨晩、宿を決めて部屋に入るなりまず行ったことは一里塚の場所の確認であった。実は、万が一のことも考えて、一里塚周辺の地図だけプリントアウトしておいたのである。こんなところが、「二重三重の安全策」を必ず考えておくしたたかな私である。さっそく地図を見てみると、なんと国道10号線とばかり思っていた場所が、大隈半島からやってくる時に使った269号線沿いであったのだ。ということは全く気付かずに一里塚脇を通過していることになる。真っ暗な山道とは言え、何の標識も無かったのだろうか。周囲の地形を頭に入れ、さっそく宿を後にした。

 昨日何度か通った交差点で、国道10号線から国道269号線に入る。そのまま鹿児島県との県境に向かい、県境手前1kmぐらいまで進む。あたりに何もない真っ直ぐの一本道である。うっすらと記憶にある風景だ。昨晩は本当に真っ暗だった区間である。遠くに左右に大きな木が生えているのが確認でき、きっとあれだろうと思った。間違いない。左にラーメン店、野菜の販売所がある程度で、辺り一面農地である。早朝とは言え、国道での停車は邪魔になりそうだったので、路地に入りビニールハウス脇の少し広い場所に駐車させてもらい、歩いて一里塚に近付いた。

植えている木は新しそうであるが、塚の中心に生えていないところを見ると、自生のようでもある。国道をはさんで、きれいに左右に塚が存在している。昔からこの幅の道路だったということなのか。

 今町一里塚 国道269号をはさんで両側に立つ

「今町の一里塚は、今町街道と呼ばれた都城・末吉・松山・志布志を結ぶ道筋(現国道二六九号線)にある。この街道は上使(幕府巡検使)一行の、薩摩藩から飫肥藩への通り道にもなっており、昭和十年頃まで緑の松並木が続く美しい光景をかもしだしていた。…(一部省略)…現在はその松並木もなくなっているがこの塚だけは残っており、一里塚としては九州で唯一の国指定史跡となっている」

 見物を済ませると、ひとつ気になる箇所があったので、再び10号線に戻った。昨晩、宿泊先探しで徘徊していたとき、「私が勘違いして一里塚の場所がこの辺」と言った場所近くに「一里塚」と言う名前のバス停があると言うのだ。念のため確認しに戻ると、本当に存在していた。今町一里塚とは全然関係無い場所である。街道も違うと思われる。バス停に名前があるということならば、何らかの地名として残っているのであろうが、あたりを探索してみたものの、何も発見できず、ましてや塚らしきものなど無い。
 
帰宅後であるが、このバス停に関して調べたところ、都城のページでは一切触れられていない。不思議に思いあちこち探索したところ、どうやら、この「一里塚バス停」だとか、先ほどの今町一里塚付近にある「有里バス停」とかは、宮崎交通ではなく、「鹿児島交通」のバス停だった。都城市は、宮崎県に属しているが、鹿児島とのつながりが強いらしく、発見したサイトは、鹿児島県の末吉町のページである。このサイトでは面白いことに、リンク集のところには「鹿児島県の地方自治体」の中に「都城市」が入っている。

…で、肝心の「一里塚バス停」の件であるが、この鹿児島交通という会社は、昨日何度もお世話になった「いわさきコーポレーション」のグループであり、さすがに経営が危ない?会社で、全く何の情報も公開していなかった。バスの路線図さえ公開していない。

謎の一里塚調査を終えると、都城ICに向かった。いよいよ帰郷の準備である。


フェニックスリゾート

 都城ICから宮崎自動車道に乗る。ほんの2区間で宮崎IC終点なので、10号線、あるいは269号線をそのまま走るという手もあったのだが、少しでも早く移動しておくに越したことはない。本日午後7時までには日向港に到着しなければ帰れないからだ。宮崎から先は高速が無い。一般国道を使わざるを得ないから、渋滞の危険も考えると、高速が使えるところは使って、少しでも早い移動が望ましい。
 宮崎の手前、清武JCTというところで、東九州自動車道というものに乗り換えることができたのだが、分岐せずに宮崎を目指すことにした。せっかく宮崎に来たのだから、まだ実物を見たことが無いシーガイヤ等を見てみたかったからである。東九州自動車道を通ると、宮崎市を避けるように北上してしまい、移動は速いだろうが、その先が完成しておらず、中途半端な僻地で降ろされてしまい、国道まで出てくるのが大変そうなのも止めた理由のひとつである。
 宮崎ICを出ると、そのまま一般道に下りずに一ツ葉道路という有料道路に乗り入れることができた。最初の区間は、単に大淀川を越えるだけのイメージであるが、一旦、地上に降りてから再度入ると、今度は、宮崎の東海岸沿いを走る観光道路であった。椰子の木が街路樹として植えられている、まさに南国のリゾート地である。

 フェニックスリゾートを抜ける一ツ葉道路

フェニックスリゾートの区画を過ぎると、やがて道路は内陸に曲がり国道10号線と合流する。
さてと、あとはひたすら国道10号線をだらだらと日向に向かって走るだけであった。
 



■さらば九州

 JR都濃駅付近から美々津駅付近までは、直線的な道路である。ここに平行したJRもほぼ真っ直ぐである。というのも、ここは、かつてJRのリニア実験場だった区間である。土地に余裕があり数キロに渡る直線を確保できたのが、ここぐらいだったのだろう。美々津では、歴史民族資料館に寄ってみたかったのだが、ちょっと別件で用があったので先を急ぐことにした。まだ時間に余裕があるので、あとで戻ることもできるだろうと思った。
 別件とは、実にくだらない話だが、正月の挨拶まわりを繰り返していたため、そろそろ危なかったGパンのひざが、思いっきり破れてしまっていたのだった。ずっと車に乗っているから、あまり気にしなかったが、これからフェリーに乗ると、丸一日、人目が気になる。どこかで入手しようと思っていたのだが、ここまで、そのような店が一軒も無かったのである。日向市まで行けば何かあるだろうと急いで向かっていたのである。ジャスコの看板があったため、とりあえずそこに向かった。とりあえず安物でもよかったのだが、ジャスコがあったのは、広大な敷地を利用した一大ショッピング街であり、ジーンズ専門店も店を構えており、こんなところで本物のLEVI'Sを入手してしまった。裾上げなどをしていると時間が足りなくなり、遠出の観光はあきらめざるを得なくなってしまった。

 近場を狙い、日向岬に向かった。

 おまけの先端♪

 とりあえず今回の旅のテーマは先っぽ、ということで

 その後、再びスーパーで買い物をして午後7時には日向港に戻った。9時半の出航まで時間があるが、長距離フェリーだけあって、ずいぶん早くから拘束するものだ。その代わり、船内ではいろいろな施設が運用を開始しており、出航前には食堂も終わってしまうようだ。疲れていたので、混雑している風呂も翌日に回し、ビールを片手に早々に眠りについてしまった。

 翌日も、起きてはTVで映画を見、食事をしては寝、また起きては本を読んで、と一日中リラックスをしていると、あっと言う間に景色は東京湾、川崎港に帰って来た。いよいよ明日から平常の生活が始まる。

 青線は戻り方向の旅。海上は、GPSにより測定した結果を元に追加補正した航路。



2004.01.21