鳥居本から番場(2002.10.12)
昨日の夕方暗くなってからの街並みとは雰囲気が違っていた。本日も快晴、絶好のコンディションである。早速歩き始めると、「本家合羽所」という看板が掲げられた古い家があった。その家の前に、無人で、「近江中山道道中案内図」を販売している。これは一昨日、博物館でも見かけたのだが、購入し忘れていたもので、ちょうど良かったので購入することにした。三冊組で一冊200円。若干高いが詳しく案内が書かれている。近江の地元の歴史書の多いサンライズ出版が発行している。そういえば、サンライズ出版は、この家のすぐ裏側(国道側)にあるはずである。
合羽は、ポルトガル語の「CAPA」の当て字で、鳥居本合羽は十八世紀半ばに坂田屋の馬場弥五郎が始めたとのこと。明治時代から大正時代には十七軒の合羽屋があったがもう無くなったそうだ。
やがて道は右に折れるが、ちょうど突き当たりに見えるのが有川製薬、「赤球神教丸」を今でも販売している。(外観は、タイトルの写真)
妻が若干腹が弱いので、購入することにした。朝早いせいか店の人が出てくるまで時間がかかってしまったが、こういう観光客も多いのか、非常に対応が良く、いろいろと話を聞かせていただく。多賀大社の神の教えによって作られたと伝えられ、万治元年(1658)以来の記録があるという。木曽名所図会にも紹介されている丸薬は、腹痛のときに直径3ミリの粒を14粒も飲むのだそうな。屋敷は宝暦年間に立てられたものだとのこと。
若干残る松並木のある緩やかなか揺らぎのある道を進むと、やがて国道と合流する。100メートルほど国道を歩くと右手に「摺針峠望湖堂」への道標があるところで峠への道に進む。何か工事をしているのか「全面通行止」の標識があり、ゲートで閉ざされているが、歩行者は入れるようである。初めはなだらかな舗装道路を歩くと、道端は全て栗の木なのか、イガ栗が沢山落ちている。ふと上を見上げたとき、実のつまった栗が落ちてきた。危険だ。とりあえず上を注意しながら、頭を荷物で隠しながら進む。
摺針峠は、自動車道となっているためヘアピンカーブで登って行くが、実際の旧道は直線に登るようだ。しかし薮と木に覆われて下からは良く判らない。しかし、ずいぶん登ってから下を見下ろすと、階段と手すりが見えた。どうやら今でも無理をすれば旧道を登って来られそうである。しかし、わざわざ通る気はしないので、このまま先に進む。
やがて峠頂上に到着し、車道は切り通しだが、階段で自然に登れるようになっている道を上がると背後に登ってきた峠道の向こう側、琵琶湖が見渡せる。しかし、本来の峠茶屋である「望湖堂」は平成3年に消失している。そんな最近の話ならば、今井金吾著の独案内には当然記述があるだろうと調べてみると「今も残る望湖堂は、広重の絵や道中記の挿絵と同じく石組みの上にあり、座敷には先述どおりの額もかかている。ここはただの茶屋ではなく、大名や琉球の使節も休憩したいわゆる茶屋本陣であった。和宮降嫁のさいには書院を建替えたというし、明治天皇も御小休みされたりした。ここからの風景も昔のままである」(p333)とある。非常に残念なことである。
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摺針峠への入り口「摺針峠望湖堂」 |
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摺針峠の旧道か? 階段と手すりが延々と続く |
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遥かに見えるは琵琶湖 さすが『望湖堂』 |
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望湖堂のあったと思われる神明宮を過ぎると峠は下りにかかり、あっと言う間に名神高速が目前に、そして突き当たると小さな道標があり左折する。高速道路の側道という感じの道が中山道である。すぐ脇に高速道路が走っていることを除けば、のどかな山奥の小道という雰囲気なのだが、意外に自動車が走っている。裏の抜け道になっているのかもしれない。左側の斜面を見るとアケビが生えている。さすがに例の「妛原(あけんばら)」という地名がある地区の近くだけのことはある。(正しくは滋賀県多賀町河内)
さらに側道を進んでいくと、ぼちぼち民家が現れてくる。番場宿に到着であろう。
場所の確認のために、何気なく民家の表札を見るとなんと!、「中仙道達也さん」宅。中山道沿いに中仙道さんが住んでいらっしゃる。
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| 3日目はじめに |
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番場から醒ヶ井 |
2005.03.06 第一版