加納から新加納(2004.09.25)

 そろそろデジタルカメラのメモリが少なくなってきた。余裕を持って来たはずなのだが、何故か一枚が使用不能になってしまっている。できれば追加購入したい。ごく一般的なコンパクトフラッシュメモリ(以下CFと略す)なのでほとんど心配していなかったのだが、なかなか街道筋に電器屋がない。時々見付かるものも、電気工事屋に近いもので、扱っていなかった。パナソニックの店はあったのだが、あいにく松下はSDカードを売りにしており、CFは扱っていないと言う。SONYのメモリスティックならいざ知らず、CFなら扱っても良いだろうに、と思ったのだが、たしかに松下製品にCFを使っている製品は無い。さて困ったぞと。

 やがて岐阜駅の南側大通りに出たので、一旦街道から外れてメモリを買いに行くことにした。先ほどの加納一里塚探しで1時間近くも消費しているので、できれば先を急ぎたいところだが、このまま進んでも写真が撮れないのは困る。
 今時、CFなど、コンビニでもスーパでも扱っているのだが、それは都会の話で、岐阜では違うらしい。自宅の近所にあるコンビニと同じ系列の店にもかかわらず、こちらでは扱っていなかった。そう言えば東海道を歩いていたときも、都会のコンビニなら、どこでも扱っている充電式電池が、三重県では全く入手できなかったのを思い出す。同じ系列のコンビニエンスストアでも、都会と田舎でこんなに違うのか。と言うか、岐阜県の県庁所在地ともあろう40万人都市岐阜市が田舎だったとは。

 岐阜駅に出てみた。駅構内の店舗を丹念に回ってみるものの、どこも扱っていない。私の住む川崎なら、普通の駅構内のDPEでもキヨスクでも扱っている。本屋でも、文房具店でも。それが、岐阜駅ではどこにも無かった。仕方が無い。商店街のある新岐阜まで足を伸ばしてみよう。
 一軒だけ見付かったカメラ屋は、すでに商売する気が無く、近隣住民の憩いの場となっていた。CFが1枚だけあったのだが、今時珍しい64MB品。とりあえず場所だけ覚えておき、最悪に備えることにした。とりあえず購入する手もあったのだが、今なら4倍の容量の256MB品が購入できる値段である。
 名鉄デパート、Loft等を見て回るが扱っている店が無い。そもそも、デジタルカメラを見かけない。まだ岐阜市には普及していないのか。銀塩カメラやDPEは見かけるのだが、デジタルカメラを扱っていない。そんなに地方格差というものがあるのをあらためて知った。どうなってんだ、と呆れるやら腹が立つやらで店員に聞いてみると、郊外に出ればPCショップやら巨大カメラ屋やらあるそうなのだが、街の中心部には、そういう店が無いのだと言う。ホントか? そこそこ活気があり、人波もあるのに、ここは中心地では無いのか。その郊外の電器屋とやらを尋ねると、とても自動車が無いと行けない場所のようだ。
 諦めて街道に戻ることにした。先ほどのカメラ屋の前を通過するが、やはり購入する気になれなかった。郊外にならばある、という言葉を信じるならば、この先、国道21号線の近くを歩くことになる。その辺りにきっとあるだろう、と考えたからである。

 再び岐阜駅を通過し、元の中山道に戻ると、1時間以上を無駄にしていた。
 
 デジタルカメラが普及していない街 岐阜
 
 
 加納宿脇本陣前に、何故か『象』を発見。皇女和宮御仮泊所跡、歌碑などがあり、国道157号線を渡ると、いよいよ複雑な七曲に突入する。
 
 何故か『象』
 
 
 七曲り直前にコンクリート製の古い建造物があり、ちょうど前にベンチがあったので、一旦荷物を降ろして休みを取った。何かの役所だろうかと思ったのだが、どうも使っている雰囲気では無い。どちらかと言うと廃墟である。宿内の説明看板があったので、この先の曲り方を確認していると、前方からウォーキングの集団がやってきた。この集団達もこの建物は何だ、と騒いでいる。ふと見上げると、入り口の上に、擦れて読めない状態になっている看板があるのに気付いた。旧役場跡のようである。それにしても、加納町が岐阜になったのはずいぶん昔のことである。このまま、特に使われることもなく残っていたのは不思議である。
 
 何の建造物かと入り口上を見ると『場・役・町・納・加』

 一瞬、何のことか判らなかった

 
 
 少し進むと、加納城大手門跡の碑がある。ここを右に曲った突き当たりが加納城跡らしいのだが、中山道は左へ曲る。高札場跡をすぎると、踏み切りの標識が見える。左手には、道標があり、ここを右に折れる。問屋場跡などを見ながらしばらく直進すると、名鉄加納駅の前を通過する。ちょっと期待してしまった加納の中心街であるが、全く何も無いのどかな宿場街であった。商店街など皆無である。
 少し広い通りに突き当たったら左に曲り、すぐ右に折れる。明治十八年と書かれた道標を見ながら進むと薬局に突き当たり右へ。橋を渡ると、元の道筋に戻るので、左折して終了である。 
 
 問屋場跡…って、ふつうの民家じゃん
 
 
 名鉄名古屋本線を、茶所駅の脇、踏み切りで横断する。ちょうど各駅停車の列車がやってきて遮断された。かつては名鉄の一人勝ちと言われた地区であるが、普通列車しか停車しないという不利と、JR東海道線高架化により南口が充実したことから、近頃では、この地区もJR乗車が増えたそうである。JR東海道線の高架を抜けると、もう宿場の雰囲気は無くなる。しかし、あちこちに石碑などは残っている。「伊勢ちかみち・木曽路」と書かれた道標などがある。
 
 木曽路・伊勢ちかみち の道標
 
 

 道標の先を見ると道の両側に立つ木が見える。細畑一里塚である。以前、自動車で通過したときに見たのだが、こうして歩いて通過してみるとまた感慨深い。
 
 細畑一里塚
 

 左手に薬局がある。どうやら由緒ある薬局らしく、屋根のところに年季の入った看板が掲げられている。実際に営業しているのは隣の新しい店舗のようである。
 
 古い薬局の看板
 
 
 やがて広い通りに交差する。国道156号線である。この国道は、名古屋〜岐阜を繋ぐ大幹線国道である22号線の続きにあたる国道であり、岐阜から関、美濃、方面へつながり、さらに白鳥、荘川、を経て富山県高岡市を結ぶ国道である。国道沿いに、名鉄各務原線の細畑駅が見える。ここから鵜沼までの間、ほぼ各務原線と平行に歩くことになる。

 地名が細畑から切通になる。少し坂になっていることから考えると、昔は切通しになっていたのだろうか。今となっては住宅地でその面影は感じられない。巨大な鳥居が見えてくる。その根元には石の道標があり、「左木曽路」と書かれている。
 
 くぐってはいけない鳥居 左下に道標「左木曽路」
 

 角の店でお茶を購入する。左に折れた路は、徐々に右に曲がり、やはり名鉄に沿って進むことになり、名鉄の駅「手力」がある。「ハンドパワー!」などと、下らないことを言いながら進む。

 やがて高田橋駅という、川の上にプラットホームがある珍しい駅を横目に通過すると、辺りの景色は田んぼ一色になり、各務原線はJR高山本線と近付き、さらに街道もそれに接近する。東海北陸自動車道をくぐる辺りまで来ると、かなり接近した線路に並行する。
 やがて新加納駅が遠くに見え、間宿、新加納に到着である。比較的新しい石灯籠を過ぎ、右折する。現代の道は、真っ直ぐ進むことができるが、昔はここで枡形になっていたそうである。道標で左折し、少し進むと新加納一里塚がある。一里塚付近に、絵図が描かれた説明板があり、その絵図によると、昔の枡形の突き当たりには高札場、御典医と書かれている。振り返って見てみると、「今尾医院」があった。偶然なのか、それとも末裔なのか。
 
 新加納一里塚跡と街道絵図
 
  
 矢印のところに『御典医』と書かれている。
 
  
 御典医の場所に『今尾医院』が。
 

 本日は無駄な行程が多く、ここで終了することにした。いや、無駄なとは言うものの、CF探しに1時間、加納一里塚探しに1時間であるが、この2時間では、次の宿、鵜沼までたどり着けないかもしれない。だから、ちょうど良い頃合なのかもしれない。

 新加納で名鉄を待つ。普通の人ならば新岐阜方面を選び、乗り換えて本線、というのが一般的なのであろうが、ここは犬山回りを選ぶことにした。その理由は名鉄小牧線に乗ってみたかったのだが、来た電車を見ると何と常滑行きの急行。何のことはない。これに乗ればそのまま新名古屋駅まで連れて行ってくれるのである。急行列車のため座席も良く、一旦座ったら乗り換える気がしなかった。そのまま素直に名古屋に向かうことにした。小牧線は、次の機会にしよう。次のスタートが新加納である限り、きっと小牧線に乗るチャンスはある。
 


 


河渡から加納 六日目はじめに

2005.05.02 第一版