新加納から鵜沼(2004.10.31)

(※タイトルは、前回の使いまわし。新加納からのスタートです)

 博物館見学を終えて※1、再び名鉄美濃町線にて新岐阜方面に戻る。新岐阜駅まで戻ってから各務原線に乗り換えて、中山道スタート地点の新加納に戻ることになるのだが、共有駅である田神駅で乗り換えることができそうであり、降りてみることにした。路面電車と普通列車の共有駅が、どういう構造になっているのかも興味があった。
 美濃町線では、整理券方式であり、降車時に精算することになっているので、運転士に対して整理券を見せたのだが、そのまま降りて駅で精算するように言われた。プラットホームに降りると、低いホームと、普通列車用の高いホームが一直線に並んで設置されていた。ホームの間に上下線乗り換え用の踏切がある。各務原方面に乗り換えのため、線路を渡る必要がある。線路を渡ると改札があり、多分ここで精算をするのだろう。精算してから新加納駅への切符を購入すれば良いのだろうが、ホーム自体は何の境界もなく繋がっているので、そのまま乗っても良いのだろうと、高いホームの方に移り電車が来るのを待った。

※1 博物館&名鉄美濃町線に関しては、別途紹介予定です。
 
 「田神駅」 向こう側(各務原側)の低いホームが美濃町線用、
手前の(新岐阜側)の高いホームが各務原線用
 

 やがて通常の通勤タイプの列車が入線し乗り込む。今までの欲求不満を解消するような走りで、市内の住宅密集地を走り抜け、細畑、切通、手力、高田橋と、懐かしい地名を冠する駅を経由して行く。東海北陸自動車道の下をくぐると降車の準備をし、ドアに向かう。新加納駅に到着するが、確か無人駅だったはず。どう精算するのかと先頭車両の運転席脇に降りた人に尋ねる。運転士とは別に車掌が居た。整理券を見せ、「美濃町線の小屋名駅からなんですが・・・田神乗り換えです」と正直に言う。「えーっと小屋名ね・・・ちょっとお待ちください」車掌は手元の何やら紙を調べるが、判らずに運転士に尋ねる。運転士も首をひねる。あまりメジャーな乗り換えではないらしい。困った顔をしながら、電話(無線?)の受話器を取り、どこかに連絡を入れる。当然のことながら、列車は発車できない。乗客からは冷たい視線を感じる。30秒ほど待たされて、ようやく精算金額が判明した。2人分を釣り無く渡す。合計で2分以上、私達のために停車させてしまった。「すみません」と何度も謝るが、決して私が悪いわけでは無い(と思う)のだが、やはり田神で精算しておくべきであったようだ。
 電車は急いで発車し、それを見送るようにホームを降りると踏切を渡った。いよいよスタート地点である。GPSを起動し衛星捕捉を開始し、カメラの時刻を修正する。再開地点に到着したが、まだ衛星が完全に捕まっていないため、しばらく一里塚跡付近でウロウロしていた。

 新加納一里塚碑、新加納の説明看板前で終了したため、まずはここで写真を一枚。さて、ずいぶん遠回りをしてしまったので、もう正午である。昼食もまだなので、本日の行程は、あと実質4時間ぐらいか。鵜沼は当然越えるとして、太田宿までたどりつけるだろうか。
 
 本日の本当のスタート地点 新加納一里塚
 
 
 昨日の不安定な天気から一新、秋晴れである。さっそく江戸に向けて歩き始める。しばらく進むと広い通りに合流するが、この道は確か以前の国道21号線のはずである。今では南の方に新線ができたため、県道に格下げになっているが、私がまだ岐阜県に暮らしていた頃は、これが国道だったと思う。当時、既に今の21号線は完成していたが、バイパスと呼ばれていた。

 さすがに幹線道路だっただけのことはあり、賑やかな通りではあるが、なかなか手頃な飲食店が見当たらなかった。そろそろ昼食の時間である。那加駅前を通過し市民公園を過ぎると突然、あの有名な「ナッシー」が。写真で見た場所とは違ったが、やはり今でも中山道を歩く人を出迎えるように見張っている。市役所まで来ると右手には岐阜県唯一の飛行場が。航空自衛隊岐阜基地の飛行場である。
 
 憧れのナッシーと、御対面♪
 
 
 道路の反対側にファミリーレストランがあったが、付近に信号機も横断歩道も無いので車が途切れるのを待って急いで横断する。わざわざ入るつもりで渡ったのに、考えてみれば昨日の夕食もファミリーレストランだったので、別なところにしようかと、再考すると、反対側にイタリアンレストランがあった。自動車が途切れるのを待って、再度渡る。ポモドーロという小さな店であったが、結果的には、なかなかよさげな店であった。

 昨日、伊能忠敬展で購入した本、午前中の県立博物館で購入した本、パンフレット等で、かなり荷物が無駄に重くなっている。早く宅配便にて送付したいところだが、なかなかコンビニ等が見当たらない。再び重い荷物を抱えて店を出た。
「那加桐野外二ケ所大字入会地」とか言う不思議な地名を過ぎると蘇原六軒町、いよいよ一里塚である。本日ようやく一里目であった。
 
 本日一個目、六軒一里塚跡
 

 
 一里塚を過ぎるとすぐに国道と合流し、名鉄線を陸橋で横断する。国道の高架下付近に三柿野駅があり、反対側が川崎重工業の中工場。そして地名が川崎町。
 三柿野駅は、各務原線でも最も古い駅の一つで開業時の終着駅である。そんなことからか、駅設備も比較的しっかりとしており、特急列車の始発駅にもなっている。また、駅名改称の多さでも特徴がある駅で、開業時の「補給部前駅」から「各務野駅」「各務補給部前駅」「航空廠前駅」そして「三柿野駅」と4回も改称し、5つの名前を持つ。
「・・補給部前」という名称が、場所と時代を物語っている。
 しばらく、名鉄各務原線とJR高山本線に挟まれて進む。三ツ池交差点で、地下道の横断道路をくぐる。何となく道路の反対側(右側)に移ってみた。

 やがて道の両側に駅が登場し、左がJR「各務原駅」で右が「名電各務原駅」 しかし、面白いことに、JRは「かがみがはら(Kagami〜)」で名鉄が「かかみがはら(Kakami〜)」 どうでもいいが、名鉄の方が正しい。さらにどうでも良い話だが、ここが各務原の中心地だと思われることが多いらしいが、何もない町。単に各務原市鵜沼各務原町1丁目、というだけ。

 さらにどうでもいい話だが、名電各務原駅の名称は、開業当時(1926年8月1日)は「各務原鉄道」の「二聯隊前駅」だったが、1938年12月1日に「めいでんかがみはら」に改称し、さらに1965年10月1日に市名に合せて「めいでんかはら」に変更している。

 名鉄駅で、名電という名前が付いた駅は、名電赤坂、名電長沢、名電山中とここの名電各務原だけであるが、他の3駅は全て名鉄名古屋本線の三河方面の駅。何故か一つだけここにあり、その命名が謎。
 名電赤坂、名電長沢、名電山中は、いずれも愛知電気鉄道時代の「愛電○○」という名前が、社名変更によって「愛電」が「名電」に変わっているだけなので、さほど違和感が無いが、各務原鉄道の場合、名岐鉄道に吸収合併され、愛知電気鉄道との合併により名古屋鉄道が発足しているから「名電」の時代とは無関係。単に、国鉄(当時)との区別から「名電」を付けたのだろうが、なぜ「名鉄」ではないのか。
 この辺りの詳細の年表を以下に示す。(名鉄は20社弱もの数の会社の合併により成り立っているが、この話に関係無い会社は省略している。線の上の数字は月)

さらにどうでもいい話だが、名鉄各務原線は、ほとんどJR高山本線と並行して走っているが、JR高山本線は、鵜沼方面が「下り」なのに対して、名鉄は「上り」である。混乱を避けるためか、名鉄では鵜沼行き、新岐阜行き、と行き先で方向を示す方が多い。

 先を急ごう。

 街道は、今度はJR高山本線を跨ぐ。この下辺りに一里塚があるはずなのだが、渡る手前から順に探したものの、なかなか見つからない。記述によると、大きな石碑が立っているそうなのだが、途中から折れているらしい。
 ただし、これもいろいろな説があり、どれを信じるかが問題である。
今井金吾著の「今昔中山道独案内」では、「中山道が先の国鉄高山本線を越えたところ、〔懐宝〕に「左松三、右松五」と記されていた一里塚があったが今はなく、すっかり街並みになっている」とある。本書は江戸基点で書かれており、今進んでいる方向からみると逆になる。従って、高山本線の手前にある、と言っている。確かに示された地図も、そうなっている。
 とろこが、別な書籍「中山道ウォークinぎふ」によると、「山の前一里塚跡」として、江戸に向かって高山本線を越えた左側を示している。「学研文庫の中山道を歩く(下)」では、高山本線の手前右側に一里塚跡碑と書かれている。
 
 高山本線との交差 この辺りに一里塚があるはず。
 
 
 道路の反対側、鉄道の脇、など歩き回ったのだが発見できず、諦め掛けて歩き始めると、脇道の右側の倉庫のような建物の間に建っていた。播隆上人碑が、一里塚の跡だと言われているが、この碑、震災の際に途中から折れてしまい、立て掛けてある状態のまま保存されていた。

 前述の学研文庫では本文中に記述が見当たらないが、同じ出版社で同じ地図で解説している児玉幸多監修の「中山道の歩き方美濃路をゆく」では、「しかしここは国道から左手に外れて地上を進む。線路間際に播隆上人の碑がある。ただ濃尾地震により途中から上下二つに割れ、無残な姿のまま残されているがここはまた一里塚跡でもある」と書かれていた。これが正しく、記述のとおりであった。
 
 本日ニ個目、鵜沼(山の前)一里塚跡
 

 
 難読駅名「苧ヶ瀬駅(おがせ)」を過ぎたあたりで、国道は右へ分岐、街道は直進し、鵜沼宿へ向かう。
 
 国道は右へ、街道は真っ直ぐ進む。

 前を行く軽ワゴン車は、中山道を進む

 
 
 細い道に入るとすぐに、左手に衣裳塚古墳。直径52m、高さ7mは、県下最大だそうだが、実は、西300mに坊の塚古墳と言う前方後円墳があり、本古墳も前方後円墳の前方部が削平されて円墳状に残ったのではないか、との説もあるらしい。
 残念ながら出土遺物が無く、性格な年代も推定できていないとか。
 
 楽しみにしていた古墳だが、単なる薮であまり良い保存状態ではない
 
  
 衣裳塚古墳の航空写真 よくわからん保存状態
 300メートル西にある坊の塚古墳 やはり古墳はこうでなくっちゃ♪
 (岐阜県ポータルサイトより)
 
 街道は徐々に標高が上がり、現代の街並みから木曽川対岸の犬山城などを見渡せるようになり、鵜沼宿に入って行く。

 


6日目はじめに 鵜沼から太田

2006.01.08 第一版