鵜沼から太田(2004.10.31)

 街道を進む。国道から外れたためか、静かな古い街並みが続く。空は曇り若干暗くなってきている。本日をここで終わらせるなら、ちょうど駅も近いし宿泊地もありそうな場所である。しかし、午前中、博物館へ行ったとは言え、ちょっと一日の行程としては少なすぎる。もう一つ先を狙うか。

 旧宿場に入ると、道路が細いため完全に分離された歩道は無くなるのだが、石畳風舗装で歩道部分が区別されており歩きやすい。雰囲気もなかなか良い。一本南の国道側が現代の幹線になっているためか、こちらの旧街道は多少寂しい。サークルKなどの店もあるにはあるのだが、人っ子一人いない。そのためか、このコンビニエンスストア・サークルKは、本日で閉店と書かれている。改装では無く、完全に閉店のようだ。確かに客は誰もいない。従業員が二人で外を見ていた。

 芭蕉の句碑、鵜沼宿の案内などの看板を過ぎると、大安寺大橋。それほど大きな橋ではないが、なかなか味わいのある橋。橋のたもとには、道標があり、岐阜市へ二里一丁、太田町へ二里八丁となっている。
 
 大安寺大橋と常夜灯と道標
 

 次の交差点で今歩いている道はさらに右へ分岐して行き、さらに細くなった道を進む。と小さな交差点があり、ここを左へ折れるようだ。
 
 
 街道は直進、さらに細くなった路を行く
 
 最終的に突き当たるように地図では描かれているが、
 実際には、この写真のように斜めに自然に進むように三角州がある。
 小さな社は、お地蔵さん
 
 道は急に上り坂になった。ずいぶん急な坂であり、あっと言う間に街並みが眼下に広がる。辺りは宅地化が進み、名古屋のベッドタウンとなっているようだ。少し前の地図では単なる山だったはずなのだが、現在の地図では辺り一面が道路に変更されている。このまま住宅地の脇の道を登って行くと「うぬまの森」へ行けるようだ。
 
 あたり一面宅地造成 山の斜面は家だらけになっていた
 

 途中、住宅ばかりで道を間違えたのかと不安になるが、やがて池に出たところで携帯電話のGPSを働かせ、道を確認すると、とりあえず間違っていないことが判明した。犬を散歩させている住民らとすれ違いながら池のほとりを進むと右手に大きな森が見えてきた。駐車場の中に入るとそこが日本ラインうぬまの森公園。ここで次の一里塚となる。一気に登って来たため、秋の夕暮れとは言え汗ばんでいる。ベンチで一旦休憩を取り、水分補給を行う。地図を確認すると、森の中に入って行ったところに一里塚があるようだ。
 
 うぬまの森公園の石碑 中山道は左側の石畳を進む
 
 こっちの真っ暗な森を進む 
 夕暮れも迫り、ここから先、こんな状態。ちと不安…

 
 さらに辺りは暗くなりかけており不安を抱きながら、森に向かって進む。するとすぐに一里塚があった。
 南北両側に北塚、南塚が残っている、と書かれているが、薄暗いのと、薮に覆われているので、良く判らない。北塚、つまり現在の進行方向に対して左側、看板のある側は、直径10メートル高さ2メートルで原型を保っているとか。それに対して南塚は、太平洋戦争中に航空隊の兵舎建設により半分が壊されているらしい。どこが壊されて、どこが原型を残しているのか、全く判らなかった。
 
 うとう峠の一里塚 「北塚」

 かなり画像補正で明るくしたが、実際にはかなり暗い

 
 
 森の中の道は整備されており、噂に聞くような悪路ではなくなっていたが、それでもこの時間に通るのは若干の不安になるような山道であった。石畳部分を過ぎると、しっとりと湿って滑りやすそうな斜面を下って行く。
 ようやく空が見え初め、うぬまの森を通過。登場した看板には「坂祝町」の名前がある。この「日本ラインうぬまの森公園」は、各務原市が整備しているが、それを抜けたということか。坂祝町側は、小さな看板だけかと思っていると、国道に沿って巨大な「姫街道うとう峠入り口」の看板があった。
 路が無くなってしまったのか、と思うと、急に階段で下り、何と水路の脇の細い通路を伝って、JR高山本線、国道21号線を横断するようになっていた。水路トンネルを抜けると目の前に木曽川が広がり、階段を登ると国道脇の歩道に出た。国道の反対側を見ると、先ほどの巨大な「姫街道」看板が国道に向かって建っているのが見えた。

 寂れたドライブイン街を美濃加茂に向かって進むと、突然歩道が無くなる。信号など全く無い幹線国道の脇の白線のみで区切られた脇道を歩く。かなり危険だ。トラックが対面から突っ込んで来るようにみえる。逃げ道は無く、右手は木曽川。道路を渡ると反対側には歩道があるのだが、渡る手段が無い。しばらく停止して待ったが、自動車は途切れることなく、諦めて再び歩き始めた。暗くなり自動車の大半がヘッドライトを点け始めると、さすがに身の危険を感じ、再び、停止して途切れるのを待った。何とか一瞬の隙があったので走って反対側に渡る。とりあえず、コンクリートブロックで仕切られた歩道があるので、こちら側の方が安心して歩ける。この区間、夕暮れに歩くもんじゃない。そう言えば、東海道で最も危険と言われた天竜川もこんな時間だった。

 岩屋観音辺りで一旦国道を外れるような地図があるのだが、暗くで良く判らなかったので省略して国道をそのまま進むことにした。

 街道左手の小高い山には猿啄城跡があるそうだが、暗くて見えない。この猿啄城は織田信長が美濃攻略の起点とした城だそうで、平成9年に展望台が建てられた。それが城のように見えるはずなのだが、暗いのと山の真下を歩いているため、きっと明るくても見えない位置なのだろう。また、登山道があるのだが、各務原市の方から尾根を伝って行くらしい。こちら側(坂祝)からは登る手段は無さそうだ。

参照:金毘羅山 猿啄城

 勝山西の交差点を過ぎると、目の前に突然、城壁のような堤が国道の両側に見えて来た。道路部分はレールが付いており、道路を遮断することができるような壁である。西濃・大垣市方面だと輪中と呼ばれる施設のようなのだが、こんな場所にもあるのだろうか。
 歴史あるものかと思ったら、昭和58年(1983年)9月28日、台風10号にともなう降雨により美濃加茂市・坂祝町で発生した洪水の後に整備されたものだそうだ。
 
 勝山陸閘 暗くて全景が撮れなかった

 そのため、参考資料を示す

 ちなみに、このように閉鎖することができる。

 

 山裾を離れると坂祝駅前。そしてその先、町役場を少し過ぎると右手に一里塚の碑が建っている。車の交通量が多く、スピードを出しているので、なかなか見るために渡るのが大変である。
 ストロボまで使って何とか碑の撮影をするが、やはり太陽光の元で撮りたい。既に真っ暗になってしまっている。何か国道沿いにビジネスホテルでも無いか、と泣きそうになりながら進んでいたのだが、こういう時に限って全く見当たらない。翌朝に、もう一度戻って一里塚の写真を撮ることを考えると、この辺りで宿泊したい。しかし残念ながら、そのまま美濃加茂まで進むことになる。
 
 悲しいストロボ光に浮かぶ一里塚跡の碑
 

 何かと話題になったパジェロ工場の前を通過すると、美濃加茂まであと2キロ、の看板が出る。やっと目処が立った。ただ今、午後5時40分。暗さに騙されてしまっていたが、まだ、それほど遅いわけではない。あと30分で美濃加茂到着ならば合格点であろう。
 実は、木曽川沿いの方に、本当の中山道があるそうなのだが、完全に暗くなってしまっており、迷うのを避けるため、ここは我慢して国道を行くことにした。(「今昔中山道独案内」では通行不能となっている。現代の道路地図では、一部のみ歩行可能のようだが、一部は完全に路が途切れているようであるが、暗くてよく判らない)

 やがて美濃加茂市との境界を越えると200メートルほどで、国道21号線と分かれて川沿いの方向に進む。徐々に街道沿いらしい雰囲気が出てくる。国道41号線をくぐると、道は左に折れ、やがて本格的な宿場町に出た。右に曲がると各家に灯篭のような明かりが灯り、妙に風情のある宿場町風景であった。
 
 むかしの中山道太田宿 と刻まれ、街道筋のかわいい絵が描かれた石
 
  
 ほんのりと灯る 味わいのある各玄関先のあかり
 
 
 さてと、それほどのんびりと見物している場合ではない。本日の宿を探さねばならない。街道沿いにも旅館がありそうだが、この時間では泊めてくれないかもしれないので、諦めて都心のビジネスホテルを探した方が良さそうだ。そろそろだろうと思って見切りを付けて左へ折れて都心方面に向かうと、ちょうど駅前通であった。大きなホテルらしき建物が見える。とりあえずの目標として向かうことにした。道沿いには飲食店も多く、ひとまず安心。ホテルと思わしき高層建築物を目標にしていたのだが、それは駅の真正面のホテルであった。2階のフロントに向かい、空きを聞くとすぐに部屋を確保できた。一旦部屋に荷物を入れ、すぐに駅前通りの商店街へ向かった。こういう街の場合、何時まで営業しているか不安だからである。すぐ近くの中華料理屋で夕食を取った。
部屋に戻ると、明日の宿を確保した。明日は細久手の大黒屋に泊まらざるを得ないため、今回に関しては前もって予約しておく必要がある。幸なことに平日であったためか、何の問題もなく確保できた。

  


新加納から鵜沼 太田から伏見

2006.01.08 第一版