年表
年表
畠山重忠の年表です
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長寛二年 1162 誕生
畠山重忠誕生、幼名は氏王丸(生誕地は現在の埼玉県大里郡川本町大字畠山)
治承四年 1180 源頼朝、石橋山で挙兵。
五月
父、叔父(小山田有重)が在京中のため平氏側として石橋山の合戦に頼朝討伐のため出陣。
しかし着陣前に頼朝の軍は破れ、安房に逃走。
八月二四日 小坪合戦
頼朝敗戦を知り帰還してきた源氏側である三浦一族の三浦義澄(母方の伯父)・和田義盛(従兄弟)の
軍勢に遭遇。
三浦は小坪の峠に三百騎、畠山は稲瀬川の辺に五百騎で対陣、戦闘の末、勝利を収める
同二六日、衣笠合戦
重忠、河越重員・
江戸重長らと三浦衣笠城を攻撃
同年10月
頼朝に従う
武蔵の長井の渡で頼朝に参会。
寿永三年 1184 宇治川の合戦(先陣争い)
木曽(源)義仲軍と合戦、勝利する
重忠、宇治川の瀬踏み仕る
重忠、流された大串重親を救い対岸に投げ上げる、大串重親、徒歩立ちの先陣の一声を名乗り挙げる
義仲は逃れるが近江国粟津(滋賀県大津市)で討たれる
寿永三年 1184 一ノ谷の合戦 鵯越の逆落とし
重忠、愛馬三日月を背中に括り、木の枝を杖代わりに崖を下る。
文治五年 1189 奥州征伐
七月一九日、征伐に出発。
八月七日、阿津賀志山辺の国見駅に着く。
翌八日
前哨戦。箭合わせ
翌九日
大木戸の合戦。三浦義村、葛西清重ら七騎抜け駆け、重忠先登を許す
翌一〇日
阿津賀志山合戦。重忠、城将国衡の首を獲る
元久2年 1205 二俣川 鶴ヶ峰の合戦
六月一九日、重忠、北条時政から「鎌倉に異変あり、至急参上されたし」との命を受け、菅谷館を出発する
翌二〇日、重保、稲毛重成に招かれ鎌倉に到着する
同二二日、重保、由比ガ浜にて三浦義村郎党により討たれる
重忠、二俣川で戦う。重忠、郎党一三四騎討たれる
