畑仲哲雄 1998年3月21日
少年事件は一向に止みそうにない。いったい何が彼/彼女らを暴走させているのか、教育関係者ならずとも多くの人がを痛めている。
だが、この問題についてマスコミが真正面から取り組んでいないテーマがある。それは事件報道の「アナウンスメント効果」である。アナウンスメント効果というのは、報道が実社会に影響を与える現象を指すのだが、本稿では少年事件をめぐるアナウンス効果について仮説を立ててみたい。
少年による残虐な事件が全国的に頻発している。中学教師がナイフで刺殺されたり、交番の警官が襲われたりと、ショッキングな事件は数え上げればきりがない。去年の「酒鬼薔薇少年」による連続児童殺傷事件もかすんでしまいそうな勢いである。そん中で、事件報道が呼び水となって、さらなる事件を誘発しているかのような印象を抱いたのは、私だけではあるまい。
社会のありのままを映すべきニュースが、逆に社会に大きな効果を及ぼしてしまう現象を「アナウンスメント効果」という。これは、もともと選挙報道で用いられてきたジャーナリズム用語だ。
アナウンス効果とはなにか。まずここから入ろう。
たとえば選挙のゆくえを予測する分析記事で、「優勢」と報じられた候補者にさらに票が集まることがある。これを「勝ち馬効果」という。逆に「苦戦を強いられている」と伝えられた候補者に判官びいきで票が集まることもある。こちらは「負け犬効果」と呼ばれる。これらはみな、中立公正な客観報道の立場をとっているはずのニュースが、人々の投票行動に影響を与えてしまうアナウンスメント効果の典型例である。(ただし、アナウンス効果など存在しないという学説もあり、あくまでも仮説の域を出ないことをお断りしておく)
今回、提示してみようと思う仮説はとは、子供たちへのアナウンス効果と、マスコミ内部で起きているアナウンス効果の2つである。
●アナウンス効果はあくまでも仮説だが
子供たちが荒れる原因は、学校が楽しくないことや、それを文部行政が加速しているのは言うまでもない。教師の質の低下や家庭教育の空洞化、地域社会の希薄化も一因だろう。それらは総合的に考えなければならない重いテーマである。だが、たくさんの少年がキレまくっている要因について、情報流通という視点で書かれた論考は驚くほど少ない。
ニュースが社会に大きく影響してしまうという点では、選挙報道も少年事件報道も基本的に同じではないだろうか。
選挙報道にあたって報道各社はとても注意深くなる。特定の政党や候補者が不利にならないよう公平に紙面を割き、公約や争点などを有権者の投票活動の一助になるデータの提供に努める。それは、客観報道を前提としていて、政治的中立というのが日本のマスメディアの立場となっているためだ。
だが、いくら注意を払っても、「自民優勢」などの予測記事が流れると、結果的にそれが追い風になったり逆風になったりしている可能性が大いにあり得る。もちろん、有権者がそんな情勢分析を見たとしても、どれほどの影響があるのかは、定量的には分からない。
だが、私が注目しているのは、当事者への影響である。
例えば「当選圏内にあと一歩か」と報道された陣営の運動員が異常に燃えて候補者を当選させてしまったり、「当確間違いなし」とされていた陣営の運動員の緊張が弛み落選してしまうことが、時として起きると言われている。むるん因果関係の証明が困難なのは言うまでもないが、選挙事務所では運動員を引き締めるために「あともう一頑張り」というムチを入れることは珍しいことではなく、私の印象では、一般の有権者よりも当事者へのアナウンス効果が大きい。
●選挙報道と少年事件報道との相違点
さて、話を少年事件に戻そう。
少年事件のニュースは、基本的に当事者の子供に向けて語られているのではなく、子を持つ親をはじめ大人社会に向けて発信されている。朝日新聞などはたまに子供に語りかけるような社説を掲げることがあるが、それは例外中の例外。マスメディア全体としては、少年事件報道を大人に向けて語っているのだ。
しかし、そうした情報に接しているのは必ずしも大人だけではなく、子供たちにも等しく伝えられている。つまり、本来、大人に向けた膨大な量の少年犯罪に関する情報が、子供たちの脳にも連日連夜インプットされ続けているわけだ。噛み砕いていうと、キレた少年は全体のごく一部なのに、来る日も来る日も「きょうも少年がキレた!」「きょうも少年がキレた!」という情報が流されているのである。
これは、前述の選挙事務所の例とダブって映らないだろうか。つまり、有権者に向けて送り出された選挙情報が、当事者たる選挙運動員に大きく影響するのであれば、大人たちに向けて送り出された少年事件情報が、当事者の少年たちに影響するのではないか、ということだ。
●ニュースがどう受けとめられているのか
言うまでもなく、マスメディアは少年事件について「悲しい事件」「あってはならない事件」という意義付けをして伝えている。だが、当の子供たちがどんな気持ちでそれを見聞きしているのかについては、分からない。彼ら/彼女らの中に「自分もキレていいんだ!」という曲解するものが現れても不思議ではなく、ナイフをカッコイイと思っている子供だって多い。こうしたことについては検討すらされてい。
悪いことに中学生くらいの子供は、大人ほど自我が確立していないため、周囲に引きずられやすい傾向がある。アイドル歌手・岡田有希子が飛び降り自殺したときも、子供たちにが各地で飛び降り自殺する事件が相次いだ。これは、子供たちには、大人以上に連鎖反応が起きやすいことを物語る傍証ではないだろうか。
細心の注意を払って報じられる情勢分析記事よりも、衝撃的に伝えたられる少年事件報道のほうが、当事者への影響が大きいというのが私の読みである。
子供への有害情報としてこれまで俎上に上ったものとしては、ポルノやホラービデオが挙げられるが、それらはあくまでも細いチャンネルで流通しているものであり、マスメディアを通じて大量に流されるものに比較すると微々たる量だ。子供が親に隠れてホラービデオを1回みるよりも、日常生活で「キレた少年」の事件を報じる番組を家族と一緒に見ていることのほうが大きな影響があるのではないだろうか。
●過剰な報道合戦は危険だが
次に情報の送り手であるマスコミ内部で起きているアナウンス効果について考えてみたい。
ご存じのように、ニュースには流行り廃りがある。ときには同じニュースが繰り返し繰り返しヒステリックに報道されることがある。記憶に新しいところでは、オウム真理教事件や神戸の酒鬼薔薇事件だ。テレビ・新聞・雑誌……と、メディアは多種多様だが、このときは一時的にどのメディアも同じ方向を向き、報道合戦は加熱した。この時は、メディア同士でアナウンス効果が生まれているような印象を私は抱いた。
記者というものは、ライバル会社の記者を出し抜いて大きな記事を書こうとする。自由競争の中で、こうしたエネルギーが権力の不正を暴露することもある。しかし、これがいったん度を超すと、だれにも止めることができなくなる。報道機関を挙げてのヒステリー状況になれば、記者たち自身が情報洪水の中で翻弄される。つまり、ニュースを報道する記者や編集者自身がニュースに触発されて、よりショッキングで扇情的なニュースを競い合うようになる。これも広い意味で当事者へのアナウンス効果と呼んでもいいのではないだろうか。
付け加えれば、少し前なら「ボツ」になるような些細な事件でも、「関連ニュース」として紙面を飾ることがある。去年から、酒鬼薔薇事件がなければボツになっていたと思われるニュースがたびたび新聞に掲載された。記者や編集者たちが「いま、これが旬だ!」と判断して積極的に記事したためだ。これが特定の報道機関だけで起きる特異な現象ではなく、ほとんどすべてのメディアで同時多発するものだから、たとえ記者たちが異常にヒステリックな状況にならなくても、「旬のテーマ」がなんとなく決まってしまうと、特定のニュースの量は異常に増える。少年事件はその好例だ。
この結果、子供たちの間で起きているアナウンス効果と、マスコミ内部で起きているアナウンス効果の2つが相乗効果を生み、事態をさらに悪化させている危険性がある──。これが今回の問題提起である。
ただし誤解を生じる恐れがあるので、ここであらためて表明しておくと、私は「少年事件を少年に向けて報道するな」「報道合戦を止めろ」と言っているのでは決してない。
むしろ私が苛立っているのは、このようなどん詰まりの状況下で、それでも学校へ行かなければならない子供たちに対して、大人たちの発する情報があまりにも無力であるということだ。「ナイフを持たせるな」のようお手軽な危機回避や、子供の神経を逆なでするような教育関係者のお説教で世の中変われば苦労はない。本腰を入れて論じられてもいい事柄はたくさんある。その中に、もしかするとニュース自身が事件を誘発している可能性があるという今回の問題提起を含めていただければ、幸いである。
投稿者・高名芳夫 1998年3月27日
「アナウンスメント効果」については、極端な例はあってはならないと思われます し、無ければ報道の意義が薄れる結果でもあるのではないでしょうか。投稿者・匿名希望 1998年3月31日
「アナウンスメント効果」と関係しているかどうか、疑問でもありますが、一例をあげさせて下さい。