長谷川自然療法院              愛知県常滑市の無痛整体院


                                      
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コラム



以前のホームページで載せていた文章です。
最近は、ブログを使うことが多くなった為、あまり更新していませんが、気が向いたら、書くつもりです。

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2007年



2007年2月7日

うちの子は、6才なんですが、よくオネショをします。
そこで、遠隔治療で、オネショを治してみることにしました。

結果として、この1週間ほど、オネショをしていません。

僕は、遠隔治療について、100パーセントは信じきれていないです。
しかし、最近、遠隔での効果を感じる出来事が、少々あったので、
考え方が変わってきました。

少し前のことですが、1ヶ月間くらい、僕は膝を痛めていました。
遠隔で自分自身を治療したところ、翌々日に痛みが消えてしまいました。
そのプロセスとしては、治療の翌日に、痛みが表面に出てきた感じで、
いったん痛みが強まりました。
しかし、その次の日の朝には、痛みはきれいに消えていました。

「バランス活性療法は、こういう治り方をするんだ」
と、改めて気づきました。

なんだか不思議ですが、面白いです。




2007年1月25日

最近、犬飼ターボさんの本を読みました。

「成功するとは、どんなことか」「そのために、どうしたら良いか」が、
物語形式で、わかりやすく書いてありました。

実際に、セミナーを開催しているそうで、
考え方を見つめたり、感情のブロックを外したり、目標を明確にするなど、
僕が、各種セミナーで、経験してきたことの中に、全て入っているものだと感じました。

ただ、非常に短期間で、優しく体験できるように、工夫されているようで、
すばらしいものだろうな、と思いました。

目標を明確にすることの良い点を、気づかせてもらいました。




2007年1月1日

あっけなく年が暮れて、新年になったように感じます。

この1ヶ月くらい、瞑想に時間を割くことが多くなりました。
その結果、エネルギーの高まり、前向きに考えられるなど、良い効果を感じています。

先日、シンクロニシティの体験がありました。

妻と話をしている時に、ふっと出てきた内容が、

「日本人と外国人との間に生まれた子どものことを、昔は、混血と呼んでいた。
 その後、ハーフとなり、最近では、ダブルという呼び方も出てきた。」

というものでした。

その日、そんなことがあった後で、妻が読んだ本の中に、
僕が話した内容が書いてあり、びっくりしたそうです。

瞑想の効果は、いろいろな形で、表れてくるようで、面白いです。




2006年



2006年3月20日

久しぶりに、このページに書き込みをします。
日々思うことは、ブログに書いているので、このページでは、何か整体に関わること、身体や精神の健やかさに役立つこと、などをテーマに、書いていこうと思います。

まずは、呼吸について。

原則として
鼻から吸って、口から吐く。
鼻から吸って、鼻から吐く。

要するに、吸う時は、鼻で吸うことですね。

鼻から入る空気と、口から入る空気では、行き先が違うと言います。

ヨーガでは、左右の鼻の穴でも、空気(プラーナ)の行き先が違うと考えています。

口から吸ってばかりいると、喉が痛くなったり、喉から胸にかけてが苦しくなったり、頭がボーとしてきます。

目覚めている時には、鼻から吸うことを意識して、習慣にしていくことが、健康の第一歩だと思います。




2006年10月26日

「器を楽しむ余裕、器を広げる努力」

こんな言葉が、思い浮かびました。

今の自分にはできないことを、やろうとするのは疲れることですね。
スポーツであれ、書道などの芸術であれ、
自分の実力以上のことを、晴れの舞台で、表現しようとすることは、
無駄なガンバリだと思います。

普段の練習においては、様々なことに気をつけて、
精一杯の努力をして、実力を高める。

いざ、試合や舞台、本番においては、
自分の持てる能力を楽しむことが、良いなあと思います。

これは、日常の人間関係でも同じでしょうね。

 



2005年

2005年1月1日

2005年が始まりました。
僕がよく訪問するホームページも、1月1日付けで更新されている所が多くあり、妙に感心したので、僕も更新してみました。
やはり、年の初めがきっちりすると、何だか気持ちの良いものだと感じます。

さて、どんなことを書こうかと思っているのですが、まあ、好きなことを好きなように書けば良いので、思いつくままに書いてみます。

年が改まると、昨年のことが古臭いことに感じて、もう振り返る気持ちにならない、というのは僕だけでしょうか。
昨年末には、奈良県の少女誘拐殺人の犯人が捕まったり、紀宮様のご婚約会見が行われたりしましたが、ほんの数日前のことなのに、もう随分前のことのように感じてしまいます。
月日は忘却の彼方へと過ぎ去って行く、ということを感じさせられます。

同世代の人々が、たくさんいることが、うとましく感じることもありますが、同じ時間を共有している人々の大切さもしみじみと感じます。
70代、80代ともなれば、同世代はどんどん亡くなっていき、同じ時代の記憶を持つ人々が少なくなります。
それは、きっと、とても寂しいことなのではないかと思います。
自分の年齢の前後10年位が、世間の話題を共有できる年齢幅だと、僕は思うのですが、そういった年齢層の人々の海に抱かれることで、人は、安心して、存在することが出来ると感じるのです。

そして、そういった時間という切り口とは別に、興味のある事柄を同じくする同志、という切り口もあると思います。
こちらは、年齢に関係無く付き合えるという意味で、また、貴重な出会いであると思います。
そして、この出会いは、国も、時代も越えて発生するという面白さもあります。
書物によって、500年前の武道家の精神性に共感することや、インターネットによって、外国の見知らぬ人とも意見を交換することもできます。

僕は精神的なことや不思議なことが好きなので、そんなような本を読むことが多いのですが、ある人の本を読んでいて、そこで紹介されている違う人の本に興味が出て、その人の本を読んだりと、そういった本を通じた友達紹介のようなことで、たくさんの貴重な情報を得られてきたなあ、と感じます。

浅川嘉富(あさかわ よしとみ)さんという方も、そんな感じで知った人です。
木内鶴彦(きうち つるひこ)さんという、彗星発見の世界的な第一人者の方がいますが、その人が一緒に仕事をした方が、その浅川さんだということです。
浅川さんは、超古代の先史文明、ムー大陸やアトランティスや、世界中に残る洪水伝説などを斬新な切り口で調べ、非常に説得力のある説を展開しています。
昨年は、南米ペルーで発見されたカブレラ・ストーンという、石に恐竜などが線刻されたものの研究・発表で注目を浴び、テレビ・ラジオなどでも取り上げられていました。
本当に好きなことをライフワークとしてやっている方だなあ、と感じさせてくれ、勇気を与えてくれます。

話は変わりますが、小林正観さんの本のタイトルではありませんが、「楽に楽しく生きる」というのが、最近、気に入っています。
精神的にも肉体的にも、楽でなければ、楽しくは生きられないと思います。
しかし、楽といっても、ダラダラすることだとは思いません。
僕であれば、空手の練習をすることはハードだけど、肉体も精神も楽になるのです。
逆に、練習をしばらくしていないと、楽しくないのです。
それと、強がりを言ったりするのは、他人の目を気にして、不自然なことだと思います。自分がどんなことが楽と感じるかを、率直に見つめるといいですね。

そして、先のことは、お任せするのが、楽であり、うまくいくと思います。
何に任せるのかというと、自然の流れに任せる。
例えば、車を運転していて、遠くに見える信号の変わるタイミングを読む。うまくタイミングを合わせて、青信号で通れるように計算して運転する。前の車が予想より遅い。イライラする。煽る。目の前で赤信号に変わる。イライラする。
先のことを計算して、自分勝手な予測を立てると、よくこんなことが起こるように思います。
上記の例で言うなら、まず、最初から、遠くに見える信号を見ない。目の前の車との車間距離、周りの車の動きだけに注意する。悪い意味では無く、目先のことだけに集中すると、うまく自然の流れに乗れ、余裕のある時間を過ごすことが出来ると思います。

とりとめもない内容になってきたので、この辺りで終わりに致します。

2005年1月23日

「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀綸旨 召人 早馬・・・・・」というフレーズは、日本史の授業で聞いた覚えがあります。
調べて見ると、「二条河原の落書」というそうです。

企業の経営状態が悪くなると、真っ先に減らされるのが、宣伝広告費だそうです。
そこからすると、今の時代に流行っているものを知るには、テレビCMや広告などを見ると、ある意味では、参考になると思います。

僕が感じる、「この頃都に流行るもの」は、「パチンコ、貸し金業、医療関係」という所でしょうか。
言葉を換えてみれば、パチンコ=ギャンブル、貸し金業=借金、医療=不健康、ということだと思います。
こういった様相を呈している世の中というのは、健全な社会とは言えないと感じます。

話が変わって、教育とか躾について考えてみると、縛り付けたり、強制したりする方法が、一般的に行われているように感じます。
しかし、その方法では、子どもがある年齢に達すると、押さえつけられなくなると思います。
「タガが外れる」、と言うのでしょうか、いい大人になってからでも、つまらない犯罪を犯したりする人がいますが、その人の本性が出て来ているのではないでしょうか。

例えば、小学生の頃から、勉強を押し付けられると、高校生になる頃には、学校の勉強には飽きてしまうと思うのです。
僕自信の体験から言うと、学校の勉強、いわゆる記憶ゲームみたいなものに、一生懸命取り組めるのは、せいぜい2年間くらいではないかと思います。
その2年間のピークをどこに持ってくるかが、学歴の違いになっていると感じます。
人にも拠るのでしょうが、テレビゲームなども、「一日一時間だけ」などと規制されると、逆に、長い年月に渡り、続けてしまうような気がします。
僕は、小学生の5、6年生の頃に、ゲームセンターのゲームにはまって、かなりやったと思います。
しかし、その結果、「ゲームってこの程度のものか」と感じて、興味を失ってしまい、ファミコンなどが流行った頃にも、全くやることも無く、現在に至っています。

人は、一生涯続けたいことは別として、どんなことでも、ある程度やり切ったら興味を失うのではないでしょうか。
だから、あまり縛りつけ過ぎずに、いろんなことを徹底的にやらせて、見守ることが、子どもが伸びて行く為には、手助けになるのではないかと考えています。
そして、興味を持った事柄については、自発的に行動していくと思うのです。だから、興味を持った対象が何であれ、「自発的に行動する」という体験を積むことが出来るだけでも価値があると感じるのです。
 
パチンコが悪いとは思いませんが、僕には、パチンコなどやる時間が無いほど、他に興味のあることがあります。
「健康」、というキーワードは、僕の興味あるものの中の一つです。
僕がよく見るホームページで、プレマ株式会社さんのホームページがあります。また、その関連のサイトの、このブログもなかなか興味深いです。


2005年1月31日

以前から感じていたのですが、外食、特に安いコンビニの弁当のようなものを食べると、食後、舌がピリピリしたり、口の中が麻痺したような感覚になります。家で作ったものを食べると、そのようなことは無いようです。
そのことを、先日、妻に話したところ、彼女も、最近、食べるものによっては、そんな感じがする、と言っていました。
僕は、それを聞いて、嬉しく思いました。
それは、食べる物に関して、意識を向けてきたことが、効果を表してきているのだ、と感じたからです。
 
我が家では、添加物や保存料などが使われていないもの、または、出来るだけ少ないものなどを選んで購入しています。
はじめの頃は、「こんなに気にしていたら、食べる物が無いなあ。」と思っていたのですが、その気になると、ちゃんとした物が、たくさん売られていることに気づきました。
また、無添加食品などを扱う店も、たくさん存在することを発見しました。
それは、同時に、昔ながらの日本の食材やお菓子などの良さを、再確認することにもなりました。
特に、日本人は、味噌、塩、醤油だけでも、品質のしっかりしたものを使ったほうが良い、と何かの本で読んだことがあります。
  
そして、以前は、商品ラベルの原材料の欄など見ることが無かったのですが、今では、自然に目が行くようになっています。
食品によっては、原材料欄に5行くらい、聞き覚えのない名前が並んでいることがあります。
 
食べ物以外にも、我が家では、洗濯、台所、歯磨き、シャンプーなども、添加物の少ない、石けん洗剤などを使用しています。
歯磨きなどは、違いがよく分かります。一般の歯磨き粉を使うと、歯磨きの後、口の中が痺れてしまって、しばらくの間、何か飲んだり、食べたりしても、味が分からないものですが、石けん歯磨きは、そのようなことがありません。

もちろん、僕だって、いつもこんなことばかり、気にしているわけではありません。
外でラーメンを食べたり、ピザを食べたり、何かと外食をすることもあり、そのおいしさに、感動することもあります。
ただ、日常生活では、極力、自然に反しないものを摂取したいと、心がけています。

ちなみに、無添加食品などを扱っている大手チェーンとしては、アニューという店が、優れていると思います。
それから、石けん類に関しては、大手では、太陽油脂株式会社シャボン玉石けん株式会社が良いと思います。

2005年2月13日

今年は、スギ花粉の飛散量が、非常に多くなると言われており、マスコミも頻繁に取り上げています。
僕も、今から覚悟して、準備をしようと思っています。

今年は、まだ、あまり症状を感じないのですが、この1週間ほど、右の鼻の穴から黄色っぽい膿のような、鼻水がよく出ています。
少し前に、右の頬骨の辺りに、軽い痛みを感じて、それから上記のような症状が出てきました。
僕の素人判断によれば、微量の花粉により、鼻の奥の粘膜が刺激を受けて、頬骨の辺りに溜まっていた膿が出てきている、ということになっています。
それと、寝汗をかくことが、しばしばあります。
それも、左脚だけとか、腕だけとか、部位が限られた所に出る事があります。
熱があるときには、胴体に汗をかくので、風邪などではなく、春に向けての体のバランス調整ではないか、と、これもまた、素人判断をしています。
 
今年は、1ヶ月前から、「杉茶」という、杉の葉を使った、ハーブティーのようなものを、飲んでいます。
「杉をもって、杉を制す」、という単純なことだと思っていたのですが、漢方の世界では、古くから、鼻炎や気管支炎の治療に、杉を使っていたそうです。
僕は、このお茶きんさんのホームページから注文してみました。
ただ、探してみると、近所のお茶屋さんでも、同じ商品が売っていたので、今度は、そちらで買ってみるつもりです。

 
それと、最近、食事をするときの器の重要性を、少し感じるようになってきました。
以前は、例えば、リンゴなどを切って、タッパーに入れておき、そこからそのまま食べても何とも思わなかったのですが、それよりも、陶器の器などに移して、食べたほうがおいしいだろうな、と感じたのです。
食べ物にあった器というものが、確かに存在する、ということを感じ始めました。

これから、あと何回食事をするのだろう、と考えると、途方も無くたくさんありそうですが、もしかしたら、そんなに多くはないかもしれません。
だから、贅沢ではなく、一食一食、おいしく食べたいと思いました。

2005年2月20日

「第一の人、第二の人、第三の人」、という言葉を聞いたことがあります。
企業や団体において、特に顕著だと思うのですが、第一の人とは、起業家のことですね。
例えば、ホンダの本田宗一郎さん、ソニーの盛田さんや井深さんなど、ある事が好きで好きでたまらなくて、それを追求している人。周りから見ると、ちょっと変わった人。
そして、第二の人とは、第一の人に魅力を感じたり、その打ち込んでいる事柄に共感したりして、周りに集まってくる人々。言いかえれば、見る目がある人。
これら、第一と第二の人たちによって、その企業なり団体なりは、大きく成長し、社会的評価を受けるようになります。 そして、いわゆる優良企業、優れた団体になります。
そこで、現われて来るのが、第三の人です。
この人たちは、その企業・団体の社会的評価が高いとか、安定しているとか、待遇がいいなどの条件に惹かれて、やって来る人々です。
そして、当然ながら、この第三の人が、人数としては、もっとも多くなります。
彼らは、社内で何をするかというと、派閥を作ります。そして、どうしたら自分が、社内で評価を得、出世するかを考えます。
世の中の為に、この会社のこの技術で役に立ちたい、という気持ち以上に、会社で得る給与と休日を使って、快適な生活を得る事に意識を向けるようです。
そして、次第に、第三の人々の勢力が強くなり、会社の社風は変わって行きます。
ここで、第一の人、つまり、創業者が亡くなりでもすれば、第二の人は、去り始めます。
残ったのは、第三の人たちだけになり、会社は傾き始めるようです。
山一証券や三菱自動車は、そんな例に当てはまるのではないかと思います。

以前、ある日本の漫画家が、「韓国の漫画が面白くないのは、国が援助し過ぎるせいだ。」と言っていました。
日本の漫画家は、売れるまでは、低待遇、低評価、好きでなければ続けられません。それでも、やりたい人たちが、漫画を書き続けるから、純粋に良い作品が出てくるのでしょう。
ところが、国などが助成すると、その助成金などを求めてやってくる、さほど漫画が好きではない人々が漫画業界に集まってくるのでしょう。
そうすると、業界全体のレベルが下がってしまいます。
こんな例は、テレビ業界でも、職人の世界でも同じようなものだと思います。
 
先日、ニュースで、医師の平均給与について載っていました。勤務医が1300万円位、開業医が2千数百万円位だったと思います。
平均ですので、ばらつきはあるでしょうが、こういった給与につられて、医師を志す人が出てくる事は、予想出来る事だと思います。
日本の医師のレベルが、どうなのかは知りませんが、人の心と体を扱うのに適さない人々が多数いるように感じられます。
ここにも、第三の人々がたくさんいるのでしょう。

公務員であれ、医師であれ、どんな職業にしても、あまりに待遇を良くしてしまうと、質は下がるのではないでしょうか。

2005年3月27日

3月に入ってから、何かと不具合が多かったです。
まず、ドアに中指をはさまれて、怪我をしました。今でも、爪の中に、内出血のような、黒い血の色が透けて見えます。
次に、発熱の為、3日程フラフラしながら過ごしました。それでも、寝込む事はなく、日常生活を何とか送りましたが。
そして、花粉症の症状が出て、それをきっかけに、また、熱が出ました。
3月というのは、行事もさることながら、肉体的にも変化の時期なのかな、と感じました。

身体的な変化が作用したせいなのか、3月の上旬の1週間くらいの間、気持ちが落ち込んでしまい、
「これがひどくなると、うつ病になるんだろうな。」と、思うほどでした。
何とも、生きているのが嫌になってきて、前向きなことを考えるのが億劫になり、何とか日常生活を耐えているようでした。
だからといって、実際に、死ぬという行動をおこすつもりは、さらさら無いことは、自覚している状態。
何かをしたいが、その何かが見出せず、自分のエネルギーを浪費しているようで、そんな状態なら、生きていても、死んでも、そんなに違わないではないか、ということを悶々と考えていました。

ある意味では、人は、エゴ、欲望が強く、はっきりしていればいるほど、ギンギンに、力強く生きていられるのでしょう。
食欲、金銭欲、名誉欲、物欲、権力欲、性欲、出世欲など、欲が強いほど、生命力が強いのでしょう。

僕自身を振り返ってみると、そういった欲が無いわけではないけど、非常に薄まってきているような気がします。
ただ、知識欲はあるようです。
しかし、知識といっても、経済とか法律とか、そういった人の作った事柄ではなく、宇宙の成り立ちとか、他の天体にも生物はいるのか、人の死後はどんななのか、坂本竜馬は誰に殺されたのか、ナスカの地上絵は何なのか、など、答が出ないような事柄についての知識欲が、辛うじて強い程度です。

それと、この世の中で、やりがいのあることは、クリエイティブな事柄だけではないのか、とも思うのです。
もちろん、人のお世話をしたり、サービスを提供することなど、人の役に立つことは重要なことだと思います。
しかし、会社を大きくするとか、出世してお金を一杯稼ぐとか、言ってみれば、ライブドアの堀江さんのような価値観は、あまり意味がないように感じます。

「文学とは、物言わぬ神に、言葉を与える作業である。」というようなことを、作家の芹沢光次郎さんが書いていました。
文学、音楽、絵画、彫刻、料理、体術、話芸、発明などは、全て芸術であり、見えない世界から、自分というフィルターを通して、目に見える、音に聞こえる状態にする作業。
その作業こそが、自分の存在感を感じさせてくれ、その作品ならば、多くの人に、心から紹介したいと思うのではないでしょうか。
やりがいを感じない、ということは、そこに、自分という色が着いていない、自分というフィルターを通していないことが、大きな原因なのだと感じます。

僕自身、これを是非紹介したい、という作品を持っていないことが、虚しさの一要因だと感じています。
「人の役に立つからやる」という前に、自分が楽しめなければ、続かないのでしょう。
そして、自分の作品を見てくれる、他の人々がいるから、やりがいが出るのであり、だからこそ、他人への感謝の念も生まれてくるのだと思います。

どうも、まだ、不安定な心の状態を表すような文章になりました。

2005年4月3日

「人生とは、証明し続けることである」、というようなことを読んだ事があります。
「自分は馬鹿ではない」、「人から良く思われている」、「自分は有能である」など、色々な事柄を、無意識に気にしながら、証明し続けている。
時として、証明できないことがあると、「あの人」のせいにしたり、自分自身を激しく否定したり、イライラしてどうしようもない状態になることがあります。

何を証明するかは、両親がどのような価値観を持っているかが、大きな要因になると思います。
つまり、両親の価値観に沿わなければ、愛してもらえないということを、幼児期に知った時から、その価値観に反しない自分を証明し始めるのでしょう。
しかし、どれだけ努力したとしても、ある人の気に入るような状態になることは、出来ないものです。
そこで、子どもは、「どんなに頑張っても、まだ、駄目だ」、という自己否定の気持ちをつかむようになります。
そのような両親との関係を通じて、「他人の価値観に沿わなければ嫌われる」、という恐れを無意識の内に持つようになり、他人の目を、第一の判断基準にするようになります。
そうして生きる人生は、他人の価値観に沿うていることを証明するだけのものであり、時が経つにつれ、自分の中で、葛藤が生じるようになるのではないでしょうか。
両親や他人から、「良い子だ」、という評価を受けるということは、要するに、その人自身の定見が無い、操り人形のようなものでしょう。

家庭の中で、特に、押し付けるような教育をした場合、子どもの反応は、3種あるのではないか、と考えます。
 1つは、逃げる。これは、うまく世渡りができる子。
 1つは、服従する。これは、エネルギーに乏しく、おとなしい子。
 もう1つは、反抗する。これは、元気で、自分なりの価値観を持とうとする、たくましい子。
この中で、一番可哀想なのは、服従する子でしょう。なぜなら、最終的に、精神的な破綻を生じるからです。

では、どんな教育をしたら良いのか。
自分の持っている価値観を大切にしながらも、相手にそれを強要しないことだと思います。
それと、似たようなことですが、何であれ、哲学を持つ事が大切ではないでしょうか。

例えば、「医食同源」という言葉、つまりは、哲学を持っていれば、食べ物に対して、無頓着ではいられなくなります。
また、あなたが、「身体には、適応能力がある」、と考えるならば、少しくらい熱が出ても、汗をかいて、熱を下げられると考えるでしょう。
このように、様々な現象に対して、どのような考え方を持っているかが、はっきりしていれば、マスメディアなどの情報に惑わされて、付和雷同することもないでしょう。
そういった姿勢を、子どもに見せることが、教育の基本ではないでしょうか。
言葉や態度に表裏があり、豹変するような生き方を見せるのと、言行一致した態度を見せるのでは、子どもにとって、人間に対する見方が、全く違ったものになるでしょう。
 
僕が、昔から疑問に思うことがあるのですが、「テストで良い点をとったら、何か買って欲しい。」と言うと、大人は、動機が不純だと言います。
しかし、世の中で、仕事をしている人の大半は、お金をもらう為ではないでしょうか。
子どもだって、勉強を好きだと言う子は、ごく一部でしょう。それなのに、勉強に関しては、何かストイックなものを求めて、無償の行為でなければならないと考えられています。
大人だって、「仕事が好きで好きでたまらない、お金はいらない」という人は、少ないでしょう。それどころか、「俺が、こんなに辛い思いをして仕事をしているのは、お前たちの為だ。」、などと言う人もいるでしょう。
大人が、世の中で見せている姿と、子どもに求めることのギャップが、子どもの人間不信につながるのだと思うのです。
山元加津子さん、という養護学校の先生がいますが、彼女は、子どもとの信頼を、自然に、築いている人だと感じました。
彼女の本を読むと、人間関係の原点を教えてくれるような気がします。

2005年4月10日

日本は、資源の少ない国であるのに、これだけの豊かさを享受出来ているのは、輸出産業のお陰だと思います。
自動車、電気製品などの産業による、技術立国です。

そういったメーカー、商社などの外貨を稼いでくれる企業は、家庭に例えるなら、父親のようなものだと思います。
世界を相手に、厳しい社会の中で、仕事をしてくれる存在があるから、国内で、世界中の食べ物を食べられ、一流ブランドの洋服も着、また、北欧風な住居に住んだりと、世界の水準から見れば、贅沢な生活を送ることが出来るのだな、と感じます。

そして、行政機関や国内向け事業と言うのは、家庭内を取り仕切る、母親のような存在ではないかと思います。
もっとも、行政機関は、贅沢に慣れきった、プライドだけ高い奥さんのように感じますが。

それと、芸術、芸能、スポーツなど、必要不可欠ではないけれども、世の中を明るく、活気あるものにしてくれる分野がありますが、これは言ってみれば、生きがいを与えてくれる、子どものようなものだと感じます。

こうやって考えてみると、日本を代表する世界的な企業に対しては、改めて、感謝の念が湧いてきます。
また、こういった企業の従業員が、たくさんの給与や福利厚生を受けることに対しては、当然なことだとも感じます。

そのような世界に冠たる企業が、この国に生まれたのは、日本の自然、風土、文化、伝統、人間関係などの国内の土壌があったればこそでしょう。
僕自身は、武道という面から、この国の文化の奥深さを感じています。

国内だけにいると、なかなか日本の価値に気付きにくいかもしれないです。
ともすると、日本の悪い所ばかりが目に付き、「他にすばらしい国があるのではないか」、と考えたりするかも知れません。
しかし、パック旅行ではなく、1ヶ月くらい海外に滞在してみると、日本の良さをしみじみと感じると思います。
以前、イラクで武装勢力に拘束された人たちがいましたが、彼らの発言の中で、「日本に帰りたい」、というのがあったように思います。
「解放されたい」、ではなく、「日本に帰りたい」、という気持ちが自然に湧いてくるような、懐かしくも居心地の良い場所が、日本なのでしょう。

同時に、世界は、日本のようには甘くないと感じます。
「譲り合い」、というのは、日本人、もしくは、マナーを知る国の人々との間で成り立つものだと思います。
最近、竹島や尖閣諸島などの領土問題がニュースになっていますが、中国や朝鮮の人々に対しては、日本式の礼儀は通じないと思います。
相手を見て、対応の仕方を変えねばならないと思います。
個人に例えて見れば分かりますが、相手が、話も通じず、無理を通して、恫喝してくるなら、唯唯諾諾と従わず、警察なり弁護士なりに相談するのが当然なのです。
 
製造業などの企業は、特許権を巡って裁判になることが多いようです。
アメリカや、最近では韓国などとも、特許を巡る裁判についてニュースで見かけることがあります。
国際競争とは厳しいものだな、と他人事のように見ていることが多いのですが、この前ネットで見つけた記事には、他人事ではなく驚きました。

それは、「剣道は、韓国が起源である」、というものでした。そして、韓国は、kendoではなく、kumdoとして、世界に普及させ、オリンピックの競技化を目指している、というものでした。
興味を持って調べて見ると、他にも、柔道、茶道、盆栽、折り紙、桜、日本食、錦鯉など、世界で評価を得たものは全て、韓国が起源であると言っているようです。
また、漫画、アニメ、ゲーム、お菓子、芸能関係まで、パクリまくっているようです。興味のある方は、このサイトをご覧下さい。
しかし、こういった事柄は、なぜか、日本のマスメディアでは取り上げられません。
インターネットの普及により、隠していたことが暴かれる時代になったのだなあ、と感じます。

話は変わるのですが、ローマ法王が、先日亡くなりました。
それに関連して、青山圭秀さんのサイトのエッセーで、気になる話を見つけました。以下引用です。

「十二世紀のアイルランド。太古の昔から民間信仰と神話に彩られ、あらゆるものに魂の宿る世界。そうした非キリスト教的世界に生まれた聖者マラキは、しかし、熱烈なカトリック教徒となった。
二五歳で司祭となった彼を有名にしたのは、後の大司教という地位や、教会内での目覚ましい働きではない。彼は、一つの預言を残したのである。それは、これから生まれてくるであろう歴代ローマ法王の性格を、逐一言い表すものだった。
たとえば、マラキが没して四年後に誕生したケレスティヌス二世はテベレ川に臨む城砦都市に生まれたが、この法王をマラキは「テベレ川の城」と呼んだ。同様に、徴を意味するSegni 伯爵家に生まれたイノケンティウス三世は「徴の伯爵」、靴造りを生業とするオッサ家に生まれたヨハネ二二世は「オッサの靴職人」……。
こうしてマラキの預言した112人の法王のうち、110番目「太陽の労働」は、東欧は労働者の国に生まれたヨハネ・パウロ二世であるといわれている。そして111番目は「オリーブの光」、112番目については次のように記載されている。
『聖なる教会が最後の迫害を受けるあいだ、ローマの人ぺトロが法王位につく。彼は多くの苦難のさなか、小羊たちを司牧する。その苦難が去ると、七つの丘の町は崩壊し、恐るべき最後の審判が下される。終わり──』
七つの丘の町とは、ローマにほかならない。この預言は、ローマが壊滅することを言っているのか、それとも教会の崩壊を言うのか……。いずれにしても、聖者マラキは、『恐るべき最後の審判が下される』ことを預言している。」

 

色々な預言が、世の中にはありますが、共通しているのは、この10年位の間に、大きな変化が起こる、ということのようです。

2005年5月15日

普段、ニュース以外に、テレビを見ることは少ないのですが、今日は、バラエティの番組を少し見ました。
10年位前は、お笑い番組が好きで良く見ていましたが、今日見た、お笑いの番組も、時代や出演者は違えども、昔と同じような感じで、しかし、今の時代を反映していて、面白かったです。

番組の中で、ヨーガを取り上げていたのですが、少し前から、アメリカのハリウッドスターを中心に、ヨーガが流行っている影響で、日本でも何回目かのブームが来ているようです。
少し前には、オウム真理教の影響により、ヨーガに悪いイメージが付いてしまいましたが、アメリカ文化の力のお陰ではありますが、ヨーガのイメージが良くなったのは、喜ばしい事だと思います。

何年か前に、ヨーガを深めていた時期があったのですが、その時に、ふと、弘法大師・空海について知りたくなり、司馬遼太郎さんの空海に関する小説を読んだ事がありました。
その本を読んで感じた第一印象は、「密教はヨーガと同じじゃないか」、ということでした。
詳しい事は分かりませんが、密教における、ある姿勢をとり、ある呪文を唱え、あるイメージを描き続ける、というのは、ヨーガにおける基本的なスタンスと同じだと感じました。
そして、密教自体が、いわゆる仏教というよりも、インドの修行法とお釈迦さんの教えを融合した、新しい修行のシステムだとも思いました。

ある人は、「日本の武道の原点は空海である」、と言っていますが、確かに、武道以外にも、日本の文化の多くのものに、密教的な要素が取り入れられているのではないかと思います。
そういった意味では、ヨーガというのは、新しいものではなく、日本の伝統芸能などを深めて行けば、ヨーガのエッセンスに出会うことが出来るのだと思います。

アメリカで注目されているものを見てみると、日本発やアジア発のものがたくさんあります。
ヨーガ、禅、武道、健康法、食事など、少し思い浮かべるだけでも出てきます。
食事に関しては、もう30年くらい前に、アメリカ政府の報告書で、もっとも良い健康食は、いわゆる、昔ながらの日本食だ、ということが述べられています。

青い目の人々が、日本食を食べ、武道やヨーガで体と心を磨き、西洋医学ではなく東洋医学を用いて病気を癒す事などに着目している一方で、日本人が、ファーストフードや不自然なスポーツに興じ、一面的な医学だけを信奉しているのは、歯がゆい感じがします。
 
こうなると、もっともっと、アメリカで、東洋的なものが流行って、アジア的な自然との調和という価値観が広まることが、日本人の目を覚まさせるには、近道なのかもしれないですね。

最近、食養法について、玄米菜食、マクロビオティックなどが、テレビ番組で取り上げれることが多いようです。
大東流霊的食養道というサイトを読みましたが、なかなか面白かったです。
  

2005年5月29日

ニュースというのは、しばらく話題になったかと思うと、また、すぐに、次の話題に移っていくので、結局、結末はどうなったのかが、はっきりしないまま、忘れてしまう事柄が多いようです。

考えて見ると、次から次へと話題のネタが、よく尽きないものだと思うほど、たくさんの事件、事故、犯罪、などがおこっているようです。
そして、ニュースの特徴として、否定的な事ほど、大きく報道されるようです。
しかし、これは、裏返して言えば、世の中全体が、肯定的な出来事で満ちている、ということだと思います。
電車事故が起こらないこと、家族が仲良く暮らしていること、警察官が犯罪を犯さないことなど、当たり前のことが、当たり前のように、世の中では、行われています。
しかし、それが、一旦崩れると、電車事故の悲惨さ、親が子を殺す酷さ、警察官のモラルの問題などの形で、注目を集めるのだと思います。

また、例えば、インフルエンザが流行して、100万人の患者が出た場合、大流行と言えるかもしれません。
しかし、日本の人口1億2000万人の内、100万人というのは、100人に一人以下です。
残りの99人は、インフルエンザに罹っていないのに、ニュースでは、脅威を煽るような悲観的な報道になることが多いようです。注意を促すつもりが、行き過ぎた警報になるのでしょうか。

ニュースを見るのも、否定的な面だけでなく、肯定的な面も見なければ、バランスのとれた見識が育たないと思います。
膨大な肯定的な出来事の土台があるから、否定的なニュースが目立つのだ、と思うのです。

最近のニュースで、橋梁談合事件というのが、連日、報道されていました。
年間発注額3500億円ということらしいのですが、確かに、談合を廃して、徹底的な競争を行えば、かなり安くなると思います。
しかし、それでは、価格競争力の弱い企業は潰れ、失業者が出ます。
また、価格を下げれば、下請けが苦しむことになり、仕事の質も下がることになります。

先日、一家心中の事件がありましたが、その事件の遠因として、ゼネコンによる下請けへの単価の引き下げがあったようです。
質の良い仕事にこだわった職人が、単価に合わない仕事を受けることを繰り返した結果、借金を重ねて、それを苦に犯行に到った、という内容でした。
適当に手を抜いて、質を落とした仕事をする業者が、生き残り、しっかりとした仕事をする業者が、滅んで行く。
これは、この国の持つ査定基準、価値判断が狂ってきていることを表している、と感じられます。

談合を廃して節約できる額なんて、公務員の人件費30兆円だか40兆円だかを、1パーセント減らすだけで解決するのに、重箱の角をつつくようなことに感じられます。
医療や警察、介護など、人員が必要な現場以外の、事務系の人員は、大幅にカットできるのではないでしょうか。
リストラが出来ないのなら、そういった事務系の人たちの給与を、一割減らせば、かなりの国庫負担を減らせるはずです。

ある人の話では、国家公務員の有能な連中は、この国の財政が破綻寸前だと分かっているので、天下りなどで、お金を得た後、海外に移住する人が多々いる、ということです。

副島隆彦さんという人が、「預金封鎖」という本を書いていますが、なかなか信憑性のある話のようです。

2005年6月20日

朝、眠りから目覚めた時の気分を観察すると、今の自分の生活の状態が分かると感じます。
「ああ、また、一日が始まるのか。」とか、「やっと、目が覚めた。さあ、やろう。」など、朝のもうろうとした気持ちは、嘘の無い、自分の本心を訴えているような気がします。

以前、新聞記事の中で、鬼頭隆さんという童話作家の方が、
「童話にかかわるようになって、助かった、救われた、という思いなんです。印刷関係の仕事をしていた若いころと違って、この二十数年、朝、目が覚めて、やだなあ、と思うことが一度もないんですから。」
と、語っていました。
 
僕自身、振り返って見ると、朝、すっきりと、待ち遠しいような思いで、目が覚めた期間は、トータルで、2〜3年くらいだと思います。
そういう時期には、必ず、何か、寝食を忘れて打ち込めるようなことがありました。
回りから見ると、睡眠時間が短く、顔色も悪く見えたかもしれませんが、本人にとっては、苦しみ以上に、遣り甲斐や喜びを感じていたと思います。
また、直感が冴える、ことわざの意味が深く分かる、集中していて呼吸を忘れたような状態になる、など、ある種の修行の初期段階に感じるような、能力の解放を感じ、大袈裟かも知れませんが、人間という生き物の神秘をも感じました。

人生全般が、うまくいっている時には、朝、自然に目が覚める。
逆に言えば、朝を制することが出来れば、その日一日を充実したものに出来るのかもしれません。
お寺や神社、ヨーガの修行は、早朝から始めます。また、早起き会という会もあるようです。
これらは、朝を制することから、人生を変えようという意味合いがあるのかな、と感じます。

民間医療で、気功や整体などがありますが、自分の能力で人を治す、癒すと考えている間は、小さな力しか発揮できないと思います。
自分がパイプ役になり、力まずに治療をすれば、自分以外の大きな力が、必要ならば、治し、大きな癒しを起こすのだと思います。

同じように、自分はこんな会社を作り、こんなことをやるという、自己実現的な生き方も、小さな自己実現かもしれないと思うのです。
強烈な思いで望み、行動すれば、その願いは、叶うと思うのですが、何か、小さな我欲を感じてしまいます。
もちろん、そういった自己実現も、やりがいのある人生だとは思います。
しかし、好き嫌いを言わず、スムースな流れに乗って、パイプ役として、やるべきをやる、そうすると、結果的に、大きな力を伝えるような働きをすることになるのかな、という思いが湧いて来ました。

エイトスターダイヤモンドの田村熾鴻さんのエッセイが興味深かったので、載せてみました。意外な所で、繋がりがあるのだなあ、と感じました。

 

2005年7月13日

宇宙飛行士の野口さんが搭乗する、ディスカバリーの打ち上げが、迫っています。

幼い頃、テレビアニメを見ると、宇宙をテーマにしたものがたくさんあり、宇宙へ飛び出す事に憧れがありました。
あの当時、不思議なくらい多くのアニメが、宇宙を旅する事などをテーマにしていましたが、他の国では、どうだったのでしょうか。
僕の知る限りでは、子ども向けアニメで、あれほど宇宙が出てくるのは、日本くらいだと思うのですが。
これも、日本国の特殊性の故かもしれませんね。

ところで、昔、元TBSの社員の秋山豊寛さんが、日本人初の宇宙飛行士として、ソ連のソユーズ宇宙船で、飛び立った頃のことを思い出します。
あの頃、僕は高校生で、宇宙飛行士という存在が、遠い世界のもののように感じました。

秋山さんは、宇宙から帰還すると、間もなく、TBSを辞めたそうです。
その後、福島県の田舎で、農業をやりながら、環境問題にも取り組んでいるそうです。

宇宙へ行った人の多くが、その後、今までの経歴を捨て、シンプルな生活に入ったり、伝道師になったり、と、普通の人から見たら、人変わりしたようになるそうです。
秋山さんも、どんな心境の変化があったのか分かりませんが、エリートコースを捨てることに、ためらいは無かったようです。

あるインタビュー記事で、その秋山さんの記事がありまして、内容は、「アメリカのアポロ月面着陸は嘘であり、世界中の宇宙ロケット関係者は、みんな、そのことを知っている」、というものでした。

それまでにも、僕は、月面着陸は、どこかのスタジオで行われたものだ、と聞いたことがありましたが、「まさか、そんなことは無いだろう」と思っていました。
しかし、この記事を読んで、考えが変わりました。
少し長いですが、以下に引用します。

(引用開始)

かつて90年、ソ連(ロシア)の宇宙船ソユーズで日本人初の宇宙飛行を経験し、ロシアの宇宙開発事情に詳しい秋山豊寛・元TBS宇宙特派員(A)に、筆者(S)はインタビューした。以下に内容を紹介する:

●ぶっつけ本番の怪●
S「ほんとに常識なんですか」
A「みんな知ってるよ、宇宙飛行士なら。だから、プーチンがああ言ったのも、とくに『報復』を意図したものじゃなくて、ただ口が滑っただけかもしれない」
S「いつからご存知なんですか」
A「ロシアで宇宙飛行士の訓練を受けてるときに知った。訓練を始めて5〜6か月後かな」
S「訓練を受ける前は知らなかった?」
A「そうだ。私も『月面着陸神話』を信じ切ってた(笑)」
S「タブーじゃないんですか、『神話』をこわすのは?」
A「表向きはタブーだ。でも、この虚構を理解できないやつは宇宙飛行士じゃない」
S「ロシア人宇宙飛行士から聞いたんですか」
A「そうだ」
S「どんなふうに」
A「訓練は宇宙飛行そのものにかかわるものと、ロシア語会話とが平行して進められる。初めは私はロシア語がぜんぜんわからないから、同僚の宇宙飛行士たちとも通訳を通してしか話せないし、通訳はタテマエしか訳さない。でも、そのうちロシア語が上達して来ると、冗談とかプライベートな会話とかも直接可能になって来る」
S「じゃあ、最初はジョークとして聞いたんですか」
A「いや。真顔で質問した(笑)。飛行計画全体を話していたときだ。当初、通訳からは、宇宙飛行を終えたロケットのカプセルはロシアの大地に『着陸』すると聞かされていた。米国は海洋国家なので『着水』だが、広大な国土を持つロシア(ソ連)の場合、機密保持の意味もあって、カプセルは自国領内に着陸させて回収するというわけだ」
S「理にかなってますね」
A「でも、広大な国土のどこに『落ちる』かわからないから銃を持って行く、銃の使い方も訓練する、と聞いておかしいと思い始めた。『カプセルは地上のクルーに何日も発見されない場合がある。その場合、狼や熊が襲って来ることがあるから、それを追い払う銃が要る』というのだが、なんかおかしい」
S「なぜ」
A「月に宇宙船を着陸させるほどの技術を持つ国が、なんで地球上で予定どおりの地点にカプセルを着陸させられないんだ? 『広大な国土のどこかに着陸』というと一見、機密保持に気を配っているようだが、要するに、上から乱暴に『投げ落とす』ってことだろ? その程度の技術しかないのかってことになる」
S「それは地上での話ですよね」
A「もちろんそうだが、地上でできないことは月面上でもできない」
S「そうとは限らないでしょう」
A「いや、待ってくれ。重要なのは、SF映画に出て来るような上品な着陸方法は、ロシアでも米国でも絶対にできないってことなんだ」
S「上品な着陸?」
A「お尻を地面に向けて、エンジンの噴射を少しずつ弱くしながら垂直に降りて来る」
S「ああ、わかります。『サンダーバード』の1号も3号もそうやって戻って来ますね」
A「そんなの、地球上のどこでも実現してない。アポロ計画でも10号まではぜんぜんやってない。なのに、11号になると急に、月着陸船が垂直噴射しながら月面に降りたことになってる」
S「でも、月面上は重力が地球上の1/6だから可能だ、とNASA(米航空宇宙局)は説明してるようですが」
A「重力が弱くても、空気がないから」
S「空気?」
A「月面では空気抵抗がない。だからパラシュートは使えない」
S「でも、とにかく重力が1/6だから、って、日本の宇宙開発関係筋も説明してますよ」
A「百歩譲って理論上可能だとしよう。でも、事前に実験してないよね」
S「え? いや、あの11号の着陸自体が実験みたいなものでしょう?」
A「ぶっつけ本番?」
S「ええ」
A「有人飛行で?」
S「有人?」
A「ロシア(ソ連)のルナ2号は無人宇宙船だったから、軟着陸に失敗して月面に激突してもどうってことなかった」
S「激突したんですか」
A「もちろんだ。ロシア人の宇宙飛行士はみんな苦笑しながら認めたよ」
S「じゃあ、失敗なんですか」
A「無人だから軟着陸できなくても人は死なないし、とにかくロシアが先に宇宙船を月に到達させたという実績は残る。だから失敗じゃない。でも、米国の場合は有人飛行だから、失敗して激突すれば宇宙飛行士が死んで、米国の威信は地に落ちる……というか、月に落ちる(笑)。そんな危険なことを、事前に予行演習もせずにやれるかね?」
S「しかも世界中で生中継してますからね」
A「そうだよ。地球上でも月面上でも一度も成功していないアポロの『お尻噴射型』垂直着陸を、人を乗せて、ぶっつけ本番で国家の威信を賭けて、全世界に生中継しながらやったんだ。もし失敗して宇宙飛行士が死んだら、全世界に『死んだ』というニュースが流れる。イチかバチかの大ばくちだ。会社の経営なら(当時のNASA幹部は)背任罪じゃないの?」
S「なるほど。そう考えるとありえないですね」
A「ありえないよ、絶対に、国家の威信を賭ける場面では」
S「(02年の)日韓共催のワールドカップ(W杯)サッカーも国家の威信がかかってましたよ。(02年6月14日には)開催国のうち日本が先に(昼間の試合で勝って)予選リーグ(L)を通過して決勝トーナメント(T)に進出すると決めてしまいましたから、もし夜の試合(予選L最終戦の対ポルトガル戦)で韓国が負ければ、韓国は史上初の決勝Tに進めない、ぶざまな開催国になるところでした」
A「あれは審判を買収すればなんとかなるよね、あなたが前日にインターネットで予言(小誌02年6月13日「暴動は金曜日?」 < http://www.akashic-record.com/y2002/wcup.html#04referee > )したとおりでさ?」
S「韓国の名誉のために申し上げますと、いまのところ買収の証拠は挙がってません」
A「だれが見たって買収だよ(笑)。あなたもネットで言ってるとおり、韓国チームは相手チームに退場者が出ないと決勝点が取れないんだから、ポルトガル戦でも(決勝Tの)イタリア戦でも。ポルトガルは『退場者2名』だよ。前代未聞だろ? (決勝Tの)スペイン戦ではスペインのゴールが何回も取り消されたし……あんなこと偶然で起きるわけない。(決勝戦でダウンを奪われた韓国人選手が金メダルを取った、88年の)ソウル五輪のボクシングの不正判定みたいに、そのうち暴露本が出るだろ」
S「なぜ日本のマスコミは報道しないんですか。日韓関係に配慮したんですか」
A「まったくだらしないよな。放送の公共性も調査報道の重要性も完全に放棄してたよね、02年W杯に関しては。だから、米国のマスコミが『アポロのウソ』を言えないのも仕方ないのかもね」

●ソ連沈黙の理由●
S「でも、なんでソ連はいままで黙ってたんですか。アポロ11号の『成功』直後に『できっこない』って言えば……」
A「そんなこと言って、だれが信じる?」
S「信じるでしょ、みんな?」
A「ロシアの言うことなんて西側のマスコミは信じないよ、とくに当時はソ連だったから」
S「でも、米国の言ってることを『科学的に不可能』って証明することはできますよね」
A「一般大衆は専門知識がない」
S「西側の科学者にはあります」
A「当時のソ連には言論の自由も学問の自由もなかった。国営放送は大凶作でも『豊作』って報道するし、学者も……たとえばルイセンコなんていうヘンな学者が独裁者スターリンを後ろ盾にしてデタラメな遺伝学を唱えたりしてた。ソ連は国内的にも対外的にもウソをつき続けてたんだ、『社会主義体制のもとで、人民はみんな幸せ』ってね」
S「いまの北朝鮮みたいに?」
A「そのとおり。だからソ連は(ルナ2号の)『激突』を『着陸』と発表することぐらい、どうってことないと思ってた。西側の記者が『現地取材』して確認する心配もないし(笑)」
S「なるほど。いつも大ウソつきのソ連が『米国の月面着陸はウソ』と言えるはずがない、と思ったから米国は堂々とウソをついたんですね」
A「そうなんだ。それに、ソ連が米国のウソをばらすと、ソ連のルナ2号も実は『激突』だったとバレるしね」
S「ようやく納得できる御意見を頂きました」
A「え?」
S「副島隆彦さん(常葉学園大教授)が例の本の中でいろいろ書いておられますが、私があの本を読み始めて最初に抱いた疑問は、『もし米国の月面着陸がウソなら、なぜソ連はずっと黙っていたのか』ってことでした。副島さんはこの疑問にちゃんと答えてないんです。『ソ連が黙ってる(気付かない)はずがない』っていう言い方で副島さんに反論する人たちに対しては『急にソ連を持ち上げるのはおかしい』としか、おっしゃってないんですよ」(副島著『人類の月面着陸は無かったろう論』徳間書店04年刊 p.82,p.100)

●国家的威信●
S「結局、米国にとってのアポロ計画って、なんだったんでしょう」
A「韓国にとっての(02年の)W杯サッカーと同じだよ。国家の威信、というか体面を守るためのイベントだね」
S「アポロ計画自体はウソじゃないですよね」
A「もちろんロケットはちゃんと打ち上げられてる。でも、月には行かないで、地球のまわりをグルグルまわってただけだ」
S「じゃあ、無人宇宙船を月に送ることも……」
A「米国はできてないね、ソ連はできたけど。いや、米国も、アポロじゃなくて、サーベイヤー2号(66年)は月に送り込んでる。もちろん着陸じゃなくて激突だけど。でも、結局ソ連(59年のルナ2号)のあとだからさ。米国は威信を賭けて何がなんでも『人類月に立つ』っていう『史上初』の派手なイベントをやる必要があった。場所が場所だけに、ジャーナリストが『裏付け取材』をすることはできないし、キューブリック(68年に『2001年宇宙の旅』を監督)に頼んだかどうかはともかく、あんな不鮮明なTV画像ぐらい、どこの映画スタジオでも作れるだろ」
S「キューブリックはあのあと、米国を離れて英国で『ひきこもり』をやりますよね。もしかすると、国家的機密にかかわってたから、米国人との接触を避けたかったのでしょうか」
A「彼のことはよく知らないが、アポロ計画にかかわった宇宙飛行士のなかに、地球に戻ったあとヘンな行動をとるやつが多いのは確かだ。急に宗教に目覚めて伝道師になったり、政治家になったり……NASAの中でじっとしてると、何かまずい雰囲気だったんじゃないか」
S「なんで米国は国家的威信を賭けたんですか、実現不可能な計画に?」
A「ケネディがバカだったからだ」
S「え!?」
A「(ジョン・F・)ケネディ大統領(61年当時)はうっかりできもしないことを、やる、と言ってしまった。一度おおやけに言ってしまった以上、計画を実行しないと、米国の国家体制そのものが内外から弱く見られてしまう。米国では、(自国を含む)西側(諸国)の自由主義体制のほうが、(ソ連など)東側(諸国)の社会主義体制よりすぐれてるってことになってたから」
S「現実にすぐれてたでしょう、経済的には豊かだし? なにも無理して不得意な宇宙分野で勝とうとしなくても……」
A「でも、宇宙開発の分野で社会主義国家のほうがすぐれてるってことになると、西側の国民は動揺する。東西冷戦時代だからね。『社会主義のほうがすぐれてるんなら、米国も社会主義革命すべきだ』って考える若者が増えかねない」
S「米国は血筋でできた国じゃないですからね。イデオロギー立国ですから」
A「血筋って?」
S「日本やフランスは血筋でできた国ですから、社会主義国家になろうが独裁国家になろうが、日本は日本、フランスはフランスです。でも、米国やソ連は血筋とは無関係に、多民族をイデオロギーで人工的に束ねてできた国ですから、自国の体制が(敵国の体制より)弱いってことになると、国がもたないんでしょうね」
A「そうか。だから、フランスは米ソみたいに、できないことを『できる』って言ったりしないんだ? 少々劣ったところがあっても国がもつから?」
S「ええ。でも、フランスも米国とかアングロサクソン諸国(英語圏)に対抗意識を持ってることは持ってるんですけどね」
A「それ(米国への対抗意識)はたしかにある。冷戦時代、フランスの宇宙飛行士はソ連で訓練を受けてた」
S「いかにもフランスらしいですね」
A「そうだ。フランスは米国に首根っこを押さえられたくないからね」
S「じゃあ、日本は首根っこを押さえられてるんですね、秋山さん以外の日本人宇宙飛行士は全員NASAで訓練してもらってるわけですから?」
A「そういうことのためにも、米国は『月面着陸神話』を維持する必要がある。あれがウソだったということになると米国は世界一の宇宙先進国ではなくなるわけで、そうなると国際宇宙ステーションの共同開発とか、各国との宇宙協力でも主導権をとる理由がなくなる」

●フランスの沈黙●
S「でも、欧州諸国はうすうす気付いてますよね、米国のウソは?」
A「うすうすどころか、はっきり気付いてるよ(笑)。科学者じゃなくても、政治家も官僚もみんな知ってる。だから独自に欧州宇宙機関(ESA)を創ったんだ」
S「なんで欧州諸国は黙ってるんですか、米国のウソについて?」
A「黙ってることが利益になると思えば、黙るよな」
S「利益?」
A「たとえば今年(05年)、土星の衛星タイタンの探査はNASAとESAが共同でやったが(Hotwired日本版05年3月3日「太陽系探査が目指すもの」 < http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20050303302.html > )、米国が欧州独自の宇宙開発を邪魔するような、横柄な態度をとれば、ESAはいつでもばらすだろう、どうせ公然の秘密なんだから。でも、いまのところ『ばらされたくなかったら、協力しろ』って言って米国を脅したほうがトクだと思ってるから、黙ってるんだろうね、きっと」
S「でも、それはあくまで表向きのことでしょ、政府間の?」
A「もちろんだ。民間人には関係ない。残念ながらソ連と違って、フランスには言論の自由があるから(笑)」
S「でも、フランスでは文化人や芸能人はみんな政府(文化省)の援助を受けてますし、大学はすべて国立大学ですよ」
A「え、私立大学はないの!?」
S「ええ。フランスには『原発反対文化人』は1人もいません。文化省は文化人に対して当然『カネを出せば口も出す』わけで、ある程度の統制は可能です。原発推進が国策だから、この問題では完璧な言論統制が行き渡ってます。何度世論調査しても、国民の9割が『原発賛成』です」
A「なんだ。フランスってそんな国だったのか。北朝鮮みたいだな」
S「それは言い過ぎでしょう」
A「フランスがその調子じゃあ、米国のウソは当分続くね」

【05年4月1日夕方配信の後編に続く。】

(05年3月30日、福島県田村市の秋山邸にて。敬称略)

(引用終わり)

世界で行われていることの重要な部分は、庶民とは関係無いところで、行われていると感じますね。

2005年9月5日

今、整体師になるべく、勉強をしています。
バランス活性療法という技術です。

以前やっていた、ほぐしとは、随分考え方が違います。

この療法の特徴は、
・バランスチェック
・無痛整体
・自然治癒力を引き出す
の3点にある、と思います。

バランスチェックとは、筋肉反射を利用した診断方法です。
オーリングテストというのをご存知の方は、分かり易いと思うのですが、患者さんの体に何かを問い掛けると、それに反応して、筋肉が硬くなったり、柔らかくなったりします。
それを応用して、いろいろな情報を聞き出すことが出来ます。

例えば、腰痛の患者さんがいた場合。
原因は何か。骨格か。筋肉か。内臓か。などを問いかけます。
治療方法は、何か。手技か。修正か。調整か。
どれから、始めるか。
どの順番でやるか。
それぞれの方法を、何回やるか、または、何呼吸やるか。
うまく出来たか。
あと何回治療するか。
次回は、いつ治療するか。
などを問い掛けながら、人それぞれに違った内容の、オーダーメイドの治療法を組み立てていきます。

もう1点、無痛整体ということに関して。
この療法では、施術をして、患者さんが、痛みを感じるというのは、「体が、その治療法は嫌だ、と言っている」、と考えています。
そして、人体は、ほんの軽い刺激によってでも、自然治癒力を引き出すことができるので、患者さんが気持ち良い施術法を用いています。
その結果、施術者も疲れないので、体を壊すことが無い、という副次的効果もあります。

「施術者が治す」、というより、患者さんの身体が知っている、「こうしてくれれば治る」、という情報を、いかに的確に引き出し、実行に移すかが、施術の良し悪しに繋がるようです。

やっと、バランスチェックの微妙な感覚が分かり出してきて、面白くなってきました。
あとは、良い結果がたくさん出てくれば、より楽しくなってくると思っています。


2005年10月23日

楽天で、ブログを始めてから、こちらのページの更新が、滞りがちになっています。
そこで、ブログに書いた内容、もしくは、少し加筆したものも、掲載して行こうと思います。


ここ数年、さっきまで覚えていた事が、次の瞬間には、全く思い出せない、ということをよく経験します。
「あれ?何をやろうとしてたんだっけ?」という感じです。
少し前までは、「何で思い出せないんだ!」という怒りを持ちながら、必死に努力して、思い出そうとしていました。

しかし、最近は、あきらめることが、多くなってきました。
「時の流れの中で、そのうち思い出すだろう」という感じです。
そうして、何かをやっていると、「ああ、あのことだった」と思い出すことが、多くあります。

記憶を追いかけることを止め、次の現実に向かって行くと、必要なことであれば、螺旋状に戻ってくる感じで、新たに現われてくるような気がします。

同じく記憶に関連することですが、「夢で見たのか、現実で見たのか、定かでない」ということも、体験することがあります。

十代、二十代の頃には、現実と夢との違いが、はっきりしていたと思います。
夢が妙にリアルに映像として残ることや、現実に見ていながら、上の空でいることなどの影響で、このような感覚に襲われるのかな、と自己分析しています。

何にしても、力任せに押さえつけて方向付ける、という手法から、流れを感じて乗っていく、という技法に移る時期なのかな、と感じます。
そういえば、最近、特に、合気道への興味が増してきたのも、その変化の表れの一つかもしれません。

変化と言えば、漢字を見る時に、その漢字の意味を自分なりに、解釈することが、増えてきました。
例えば、「親」という字は、「木のうえに立って見る」、「姑」は「女が古くなった」、「飲」は「食べものに欠かせない」などなど、自分勝手な解釈なのですが、こんなことを考えることが、多くなりました。
もっとも、本来は、旧字体で解釈するべきでしょうが、こうやって見るだけでも、面白く読める気がします。






2004年

2004年01月04日

 早いもので、もう2004年になってしまった。ホームページの更新は習慣化しておかないと、とてもじゃないが、続けることはできないと感じた。

 全て物事は、やるかやらないか、という2つに1つの選択と、それを継続させていく時間の積み重ねによって、気が付くと、全く異なった結果が現れている。
 仕事をすること、空手の練習をすること、読書をすること、その他もろもろ、「今日やる」、ということを繰り返していくことで、気付いた時には、完成に近づいているんだね。
 食事やトイレ、寝ることなどは、毎日やってるのだから、ちょっとした意識の持ちようでいいんだろうね。

 意識といえば、例えば、料理をする時に、おいしくなる様に念じたり、誰かが喜んでくれるのを楽しみにしながら作ると、味が全く違うとよく言いますね。
 それと同じようなことで、どんな簡単な仕事であれ、それを行う時に、誰かに喜んでもらうとか、世の中の役に立てるようにとか思いながら、つまり、仕事の作業の向こう側を思いながらすると、結果は全く違ったものになるのだと思う。

 今年は、そんなことを意識しながら、いろんなことをやってみようと、新たに思いました。


2004年01月12日

 今年の冬は、暖かいように感じますが、たまに、寒さが身にしみるような日もあります。

 ところで、この「寒さが身にしみる」のような身体を使った言葉を、ある人は、「身言葉」と表現していました。
 骨身にしみる、腹が据わる、五臓六腑にしみわたる、など、少し思い起こせば、いくらでも出て来ます。
 しかし、日常的に、これらの言葉を使うことが少なくなったことも、現実として感じます。
 また、「情けは人の為ならず」などのことわざも、本来の意味とは違った使い方をしている人が、多数いるようです。

 このように昔から使われてきた言葉が、誤用されたり、廃れたりしていくのは、なぜなのでしょうか。
 思うに、ある言葉の表現なり、ことわざなりが、存在するということは、その国、または、文化の人々が、実際にそのように感じてきた、ということなのでしょう。
 骨身を惜しまずに働く、とか、目から鼻に抜けるような人物、とか、腰の入った動き、とか、その他にも、日常的に使っていた人たちは、体の各部分をよく感じていたから、それらの表現がしっくりしていたのでしょう。
 現代では、これらの身言葉は、伝統芸能や武道、伝統工芸などの世界でしか、日常的には使われなくなったのではないでしょうか。

 同じように、ことわざなども、実感としてピンと来ないものが多くなったと思います。
 例えば、上にも書きましたが、「情けは人の為ならず」。これは、「他人に施したことは、回りまわって、自分に返ってくるのだ」、という意味ですが、現代では、「人を甘やかせてはいけない」、というような解釈が、出回っているようです。
 
 良し悪しの問題ではなく、ここ数百年に渡って、受け継がれてきた言葉が、途絶えつつあるということは、文化の断絶を意味していると言っても過言ではないでしょう。

 ことわざや身言葉を振り返ってみると、この日本に生活してきた人々の豊かな感性やすばらしさを再認識出来るのではないでしょうか。


2004年01月28日

 先週は、いわゆる胃腸風邪のような症状で、苦しんだ。下痢が続き、体力が落ちてしまった。
 インドに行った際に、体験した下痢に比べれば、たいしたことは無いが、体力が落ちると自分が自分でなくなってしまうようだ。

 自分自身による、自分及び周囲への考え方は、その時々で、変わることが多々あると思う。体調の変化だけでも、まったく世界が変わってしまう。

 昔、テレビ番組の制作の仕事をしていたことがあるが、今思い返してみると、よくあんなことが出来たなと思えてしまう。
 もっと、振り返ると、大学受験のための勉強をしていた頃の生活などは、今では、とてもとても出来そうに無い。

 その一方で、すでに出来てしまったことに対しては、「大したことはない」とも感じている。

 しかし、自分が、まだ、やったことのない仕事や状況に対しては、恐れにも似た緊張を感じてしまう。

 きっと、どんな経験でも、飛び込んで、しばらくやってみれば、出来るようになり、当たり前と感じるのだろうが、飛び込む前には、不安をつかみやすいのだろう。

 今やっている仕事や経験が、当たり前で、「自分はこんなことしか出来ない。」と、卑下しがちになるが、飛び込む前の自分を思い出してあげれば、もっと自分を褒めてあげられるのではないだろうか。
 

2004年02月08日

  仕事の関係で、車に乗っている時間が多いのですが、最近、マスクをしているドライバーをよく目にします。

 インフルエンザが、流行っていたようなので、そのせいなのか、または、もう花粉症の対策なのだろうか、と考えていました。

 ネットで、2chなどを覗いてみると、もう花粉症の症状が出ている人が多数いる様子でした。
 
 かく言う僕も、10数年来、毎年のように花粉症で辛い思いをしています。
 
 ただ、一度だけ、辛くなかった春がありました。
 その時は、2月下旬から4月下旬まで、スペインのマヨルカという島に滞在していて、日本に帰ってきた時には、花粉の季節もほぼ終わり、多少ムズムズする程度でした。

 お金と時間が許すなら、春のこの時期は、海外を放浪したいものです。

 甜茶、ルイボスティー、シジューム茶、にがり、他にもいろいろなサプリメントなどが売られていますが、今年は、ルイボスティーでも飲んでみようかと思っています。
 なかなかおいしいので、嗜好品としても楽しめます。
 
 また、今年は、空気清浄機も用意しました。ヤフーのオークションで、2000円でした。

 この春は、どのような体験になるか、楽しんでみようと思います。
 

2004年02月14日

 今、午前5時です。
 午前3時頃に、子どもがヤンチャを言っているので、目がさめました。

 最近、家の3歳の子は、夜中までパソコンで遊んでいることが多いです。それに付き合っている、家の奥さんも大変だと思います。

 今日も、パソコンをやってて、眠くなってきて、ヤンチャを言ったようです。

 人は、どうしていいか分からなくなると、自分がされてきたように、人に対して行動するのでしょうね。
 例えば、怒鳴ったり、暴力をふるったり、何か物でつってみたり、それぞれの行動パターンは、成長の過程で、自分が体験してきたことに起因するのだと思います。

 子どもは、根本的には、愛されているかどうかを確認したくて、ヤンチャを言うような気がします。

 それで今日は、子どもの好きな人形を並べて、「みんな、君のことが好きなんだよ。お父さんも、お母さんも大好きだよ。」、と言い続けてやることで、落ち着いてきたようで、しばらくして寝てしまいました。

 僕たちの育ってきた環境からすると、怒鳴ったり、力ずくで躾けようとしてしまいがちですが、それは子どもにとっては、ストレスなだけで、根本的な解決にはならないのだろうと思います。

 誰かが誰かを思い通りにすることにより、思い通りにされた人が、ストレスを受けて、同じような行為を誰かに繰り返している、ということが、世の中では、多々あるのではないでしょうか。

 溜め込むのではなく、協調して、流れを作っていくことが、大切だと感じました。


2004年02月29日

 寒さの峠を越えて、日々暖かくなっていくことが、確信できるようになってきました。
 それとともに花粉症も、そこここで取り上げられるようになってきています。

 僕は、ルイボスティーというアフリカのお茶を、この2週間ほど飲んでいます。花粉症対策に、と思って、飲み始めました。

 結論から言って、このお茶は、僕には、様々な効能を発揮しているようです。
 
 まず、体重が減りました。2キロくらいは減ったと思います。

 それに伴い、お腹の脂肪が取れました。 下腹には、まだ付いていますが、みぞおちから臍にかけては、すっきりとしました。
 こんなにすっきりとした腹を見るのは、3年ぶり位だと思います。

 それから、疲れにくくなりました。睡眠時間が、4〜5時間でも、すっきりとした気分でいられます。

 そして、肌がすべすべになりました。

 あとは、便通が良くなりました。どっさり出るようになりました。

 要するに、若返ったような感じです。
 このお茶は、老化を促進する活性酸素を、除去する能力が高いので、このような結果になったのだと思います。

 しかし、一点だけ危険だと思ったことがあります。

 朝、昼、晩と飲んでいたのですが、昼間どうしても眠くなることがありました。眠くなるというレベルではなく、意識を失うような感じでした。

 夕方、車で帰宅する時など、意識が朦朧として、駐車場に止めるなり、シートを倒して、寝ることも有りました。
 
 春の陽気のせいだろうと思っていたのですが、どうもおかしい。

 ある日、そんなことを考えながら、帰宅後、眠気を感じながら、ビールを飲みました。 
 すると、体に力が湧いてきて、眠気が消えていきました。

 「ああ、そうか。血糖値が下がっていたのだ。」、と気付きました。

 そこで、ルイボスティーについて調べてみると、「糖尿病の人の血糖値を下げる働きがある」、と書いてありました。
 
 紅茶や緑茶は、効能が弱い代わりに、毒にもならないけれど、このような薬効のあるお茶は、毒にもなり得るので、よく調べて摂取しなければならないのですね。

 そうして、ルイボスティーは、帰宅後に、500ml〜1リットル飲むようにした所、昼間の眠気はなくなり、夜の寝つきも良くなり、快適な状態が続いています。




2004年03月23日


 またしても、気が付くと、3月も下旬になってしまっていた。

 「光陰矢のごとし、少年老い易く学なり難し」、という言葉を習ったのは、中学生の頃であったろうか。その頃は、何のことか分からず、時間の経つのがゆっくりと感じられたが、この年になって、ようやく実感を持つようになってきた。

 「学生時代の友人は、一生の友達でいられる」、という言葉も、中学、高校時代によく聞いたが、やはり、その当時は、実感がなかった。

 思うに、若い頃の時間経過は、密度が濃いのだろう。その密度の濃い中を、何であれ、同じ場所で、同じ事を体験することが、既に、人間関係を強く結びつける要因になっているのだろう。

 もちろん、大人になってからでも、親友と呼べる存在は出来るが、僕の場合は、仕事関係では、そういう人々は出来づらい様に感じる。
 趣味や志が似ている人たちと、仲良くなることが多いようだ。

 若い頃は、年が近いことが、友人になる要素だったが、年を重ねるにつれて、主義・嗜好が似た人と仲良くなり、その代わりに、年齢の幅が広がってきているようだ。

 大人にとっての、深い人間関係の代表が、夫婦関係ということになるだろうか。
 これが、うまくいかないと、人生が暗澹としたものになるだろう。
 幸い、我が家は、うまくいっているようで、気楽に過ごすことが出来ている。

 気の合わない人と過ごさなければならない、というのは、一種の拷問だろう。
 
 僕の場合、そんな人間関係の中でも、会話、特に、言葉の最後の部分に意識が向く。
 例えば、相手が、「じゃあ、よろしくお願いします。またね。はい。」、と言った時の、最後の「はい」に、意識が向いてしまう。
 その「はい」という言葉が、無感情で、エネルギーの乏しい場合を、よく経験する。
 だから、自分が話すときには、最後まで気を抜かずに、最後こそ気を入れて、言葉を発するようにしている。
 
 この世には、たくさんの人がいるのだから、気の合わない人とは、付き合わない方がいいだろう、と思う。
 それと同時に、どんな人とでも、問題なく付き合えるような透明な考え方も持ち合わせると、人生がより楽になると思う。

 「ちょっと地球に、70年ほど遊びに来た。」、というような感覚で、過ごしてみると、出会うもの全てに、気楽に対応できるのではないだろうか。


2004年04月04日

歯は大切ですね。最近、若いころに比べて、歯茎が痩せてきているのを感じます。
 日々、老化を感じることが多くなってきましたが、歯は毎日、何気なく使っている道具で、あまり気づくことが無いのかな、と感じます。

 歯といえば、歯医者の思い出があります。
 僕は、親知らずが、4本とも生えていたのですが、下の2本は、生え方が悪く、虫歯になってきたので、抜きました。
 
 1本目は、その当時、住んでいた三重県のM大学の口腔外科で、抜いてもらいました。
 これは、悲惨な体験で、もう2度とここでは治療したくないと思いました。
 具体的に言うと、時間にして、約2時間。
 担当医は、経験の浅い女医さん。
 治療中に、研修医か何かが、見学にきて、医師が説明をするというモルモット状態。
 そして、抜歯作業がうまくいかなくなってきて、やっと、経験のある医師が助っ人に入り、終了。
 このような様子で、大変にしんどかった。
 また、麻酔の効く範囲が広く、顔の半分が感覚がありませんでした。
 その挙句に、上の親知らずが、抜歯して盛り上がった傷口に当たり、物を食べると、痛くてたまりませんでした。
 後に、地元の人に聞いてみると、その大学は、腕が悪いことで評判だったそうです。

 2本目は、東京の大学病院でした。
 このときは、高田馬場の中馬歯科という、手塚治虫さんなども治療に来ていたという、先生のところで診てもらい、その紹介でした。
 紹介してもらう時に、「以前、大学病院では、ひどい目に遭っているので、モルモットになるようなことは、勘弁願いたい。」、と先生に伝えたところ、理解して頂けて、ベテランの担当医に執刀して頂けました。
 
 2本目の抜歯は、さすが、東京の一流の先生は違うと感じる体験でした。
 その大学病院の先生は、麻酔が専門で、歯茎の治療部分の周辺だけの局所麻酔で、体へのダメージが大変少なかったです。
 そして、歯茎をメスで切り開くことなく、親知らずを砕いて、その破片を取り除くという手法で、術後、鏡で見てみると、歯茎にポッカリと穴が空いていて、後のダメージが非常に少なくて済みました。
 M大学の、メスで切り開き、グチャグチャといじり回して、糸で縫う、という手法とは雲泥の差でした。
 治療時間も、1時間程でした。
 
 やはり、治療を受けるなら、競争により、腕が磨かれた、ベテランの方にお願いしたいというのは、患者なら誰でもが思うことなのではないでしょうか。

 逆に、こちらが何かをしてあげる時には、誠意を持って、真剣に尽くさなければ、相手の方に対して、申し訳無いことだとも、気づかされた体験でした。


2004年04月07日

 一般庶民が、日々、暮らしていく上で、避けて通れない事柄の一つに、「お金」に関する諸々があると思います。

 お金については、みんなそれぞれ、いろいろな思いがあるのではないでしょうか。

 僕の場合は、「お金が不足している」、という感覚が、少年期から今まで続いているように感じます。

 お金は、無い人から見ると、「裕福な人が羨ましい」、となるのでしょうが、持っている人には、また、その人なりの苦労も多いのでしょうね。
 残念ながら、僕には、持てる者の苦しみは、分かりませんが。

 インド哲学から言えば、お金は神様からの贈り物である、そうです。
 つまり、働いたから、当然に収入を得るというわけではないそうです。

 働くこととお金に関して、僕の思い方の中に、「嫌なことをする場合はお金をもらうことに抵抗がないが、好きなことをしてお金をもらうのは申し訳ない」、というのがある。
 これは、多くの人が、そう思っているのではないでしょうか。

 そして、よく言われることで、「自分で稼いだお金は使うのが惜しい」、というのがあります。
 きっと、それは、自分が嫌なことをして稼いだお金だから、そのお金に執着が生じて、惜しい気がするのではないか、と思います。

 その逆に、好きなことならば、お金を頂かなくてもやりたい。
 そのことをするだけで、満たされてしまう。
 お金というご褒美で、補填しなくても、自分の心が満足だ。
 もし、お金が頂けたら、それはラッキーだ。

 このような心持ちであれば、頂いたお金に対して、執着が少ないのでしょう。
 そして、そのお金が、必要なところへ出て行くことに対して、ウェルカムできるのではないでしょうか。

 そういう性質のお金が、必要なところへ必要なだけ、自然に流れていく様が、まさに、神様からの贈り物と呼べるものでしょう。

 お金に対する考え方を見ると、自分にとって、人生において、何が重要だと感じているかが、見えてくるような気がします。

 ちなみに、僕は、必要なお金は必要ですが、「たくさん欲しい、もっと欲しい」、というような貪欲さは無いようです。
 それよりも、日々、自分にとって心地よいことを経験することが、大切だと感じています。 
 

2004年04月18日

 4月だというのに、もう蚊が出てきた。例年、こんなに早くから、でてくるものなのだろうか。
 季節は、変わり始めると、一気にいろいろな所で、変化を起こすようだ。

 変化と言えば、この1週間ほど、腰に痛みがある。数ヶ月に一度、このような痛みが、やってくるようだ。
 これも、季節の移り変わりに合わせて、体が変化しているのかもしれない。

 体の変化と、人の成長には、関係があるのだと思う。
 先週、ラジオで、片岡鶴太郎さんが対談をしていた。
 昔の鶴太郎さんのイメージは、脂ぎっていて、汚いお笑いの人、という感じだったが、ここ何年かは、ドラマなどで見せる、静かな深みのある演技が、すばらしいと感じていた。

 今、彼が取り組んでいるのは、絵画であるという。ここ10年ほど熱中しているそうである。

 僕が思うに、彼にとっての転機は、30代に情熱を傾けたボクシングであったと思う。

 ボクシングという体を絞り込むような行が、肉体的にも精神的にも無駄なものを省き、本来持っていた感性を掘り出すことに、寄与したのだと思う。
 
 ボクシングも絵画も、やらされているのではなく、彼自身の内側から、ふっと湧いてきた、「やってみたいな」という気持ちに従って、追求してきたのだろう。
 そして、その道だけでなく、人間性においても磨かれたのだと思う。
 
 キーワードは、自分の中から、湧いてきた、やってみたいな、という気持ちを大切にして、実行すること、だと思う。

 鶴太郎さんは、年を重ねる毎に、成長していく良い例だと感じた。

 また、同時に思うことは、年を重ねても、若い頃の純粋性を保つことの難しさである。
 僕自身、10代のころは、例えば、電車の中で、お年寄りに席を譲ることに、気恥ずかしさやその他諸々の考えもなく、簡単に出来たことが、今は、体が動く前に、いろいろなことを考えて、出来ないことが多い。

 世の中を見ていても、大人が起こす、倫理の欠如した事件が何と多いことか、と思わされる。
 
 ちょっとしたボタンの掛け違いが、長い年月の内に、当初の自分とは、全く違う価値観を持たせてしまうのだろう。

 日々、生まれ変わった気持ちで、物事を見るような、新鮮さを忘れず、人生のバージョンアップを計りたいものである。

 

2004年04月25日

 最近、ここ常滑では、住宅地の分譲が盛んです。
 この不況と言われる最中でも、欲しい物に対しては、皆さんお金を出すのに躊躇は無いのだなあ、と感じます。
 マイホームを持つことは、ここ数十年の日本社会が作り出した、一般的な夢なのでしょうね。

 僕などは、50坪くらいの更地を見ても、「これで、1000万円以上もするのか。」という思いがでてきます。

 斎藤一人さん曰く、「土地の上には空がついています。どうして、その空までも売買できるのか。意味が分からないものにお金を使いたくないのです。」
 彼は、億万長者ですが、賃貸マンションに住んでいるそうです。

 経済的に、余程の余裕があれば、マイホームを持つことも楽しいだろうと思いますが、「数十年に渡るローンを背負うこと」、「大きな物を持つこと」、「その物を維持すること」、などを考えると、僕には重過ぎて、背負うことができそうにありません。
 それよりも、賃貸のマンションなどで、いろんな所に住んでみたいと思っています。

 東京に、トータルで9年ほど住んでいましたが、その間に住んだ場所は、6箇所ほどになると思います。
 東京という街は、どこに住んでも、便利で、それぞれに面白い面があるので、楽しかったです。
 今にして思えば、あの街は、巨大なレジャーランド、テーマパークのような感じがします。
 何か専門的に深めてみたいことがあれば、情報、体験、コミュニケーションなど、必要なものは、すぐに集まります。
 しかし、家族、特に子どもが出来てからは、生活するのが不安になりましたが。

 マイホームを持つことも、どこに住むかを決めることも、その時々の自分の生活スタイル次第であり、固定した考え方では、うまくいかないのでしょうね。

 話は変わって、高岡英夫さん、及び、彼の「ゆる体操」が、世間で注目され始めているようです。
 僕は、5年ほど前から、ゆる体操をしていますが、要するに、頑張らずに、リラックスして力強い、肉体と精神を養成するものだと感じます。
 そういった意味合いを持つ、高岡さんやゆる体操が、時代の波にあってきたということは、世の中全体が、20世紀とは違った価値観に移り始めているのだとも感じます。

 固定からゆるみへ。会社人間から意志ある個人へ。厳しさから優しさへ。考えから感性へ。
 こんなことを感じました。 


2004年5月2日

 家では、簡単な浄水器を使っています。商品名は、東レのカセッティ・トレビーノという、市価3000円くらいの物です。
 アパートに住んでいるせいか、カートリッジの汚れ具合がひどいようです。先日、カートリッジを交換した時に、写真を撮ったので、アップします。



 上の画像は、新品のカートリッジです。


   
 この画像が、家で約3ヶ月使用したカートリッジです。

 ねずみ色に変色しているのが、分かると思います。
 マンションやアパートの場合、屋上の貯水槽に、一旦、水を貯めておいてから使用するため、一戸建てに比べて、汚れが酷いのでしょう。
 僕の実家も、同じ浄水器を使っていますが、5ヶ月ほど使用していても、僕のところよりも、かなりきれいでした。
 カートリッジの汚れなどを見てしまうと、やはり浄水器は必要なのだと感じます。

 一般的に、食べ物、飲み物などに関して、無頓着な方が多いように感じます。
 ブランド物や車などには、惜しげも無くお金を使うのに、資本である体に対しては、インスタントラーメンやコンビニ弁当、炭酸飲料など安物を与えていることに、違和感を感じないのが不思議に思えます。
 そのように、虐げられても、文句も言わずに、健康を維持しようとする体に、日に一度くらいは感謝したいものです。
 考えてみると、心臓は、生まれてから死ぬまで、休むことなく動き続けているのですね。このことだけでも、驚くべきことだと感じます。

 
 話がすこし飛ぶようですが、良いものを体験するのは、若い時に限るなあと思います。
 味覚、嗅覚、聴覚、視覚、触覚の敏感な若い時代に、すばらしいものを体験することが、一番そのものを味わうことが出来るのだと思います。
 
 しかし、自分の経験から見ても、若い頃は、お金が無かったり、質より量に走るきらいがあるためか、ジャンクフードなどで済ますことが多々あるようです。
 また、何が良いものかの分別も、経験不足のために分からなかったとも感じます。
 それゆえにこそ、年上の方の助言には、素直に耳を傾ければ良いのですが、そこが若者の至らない所なのでしょう、うまく受け取れないことが多いようです。

 若者の特権は、破壊すること。そして、大人とは、若い頃の償いに、世の中の役に立つように行動する者。こんな風に感じます。
 この伝で言うと、僕は、ようやく大人になりつつあるのかな、と感じます。
 


2004年5月9日

 忘れるという能力は、すばらしいものだと思います。

 物忘れ、ど忘れ、忘れ物など、忘れることは、否定的に使われることが多くあります。

 しかし、誰しも、忘れてしまいたいような出来事や記憶を持っていると思います。
 それらを解決してくれるものの1つが、忘れるという能力だと思います。

 忘れるという能力を、うまく使いこなせれば、大変便利なものだと思います。

例えば、
 「昨日は、3時間しか寝てないから、今日は、ボーとする。」とか、
 「この前、あいつに嫌なことを言われて腹が立つ。」とか、いろいろあると思いますが、それらを忘れてしまえば、今、目の前に起こっていることに、対応することだけに、自分のエネルギーを使うことが出来ます。

 「昨日、3時間寝た自分」を忘れてしまえば、今、目の前にある仕事を、今の自分がやり遂げるだけ。
 「この前、あいつに嫌なことを言われた自分」を忘れてしまえば、今、目の前にいるその人と、今の自分がコミュニケーションをとるだけ。

 以前に起こったことと、今をリンクさせないツールの1つが、「忘れること」だと思います。

 「ああ、今日も昨日と同じような仕事をするのか。」と思うと、嫌気がさしてきますが、昨日の仕事を忘れて、今日初めて取り組むと思えば、新鮮さが出て、楽しくなるのではないでしょうか。

 もちろん、そんなことを考えずとも、人生は一瞬一瞬初めてのことしか起こっていないのですが。

 忘れることも覚えていることも、肯定面、否定面どちらもあると思います。
 どちらを選ぶかは、趣味の問題なのでしょうね。


2004年5月15日

 最近、イネ科の花粉が飛んでいるようで、花粉症の症状が出ています。目のかゆみ、鼻水・鼻づまりなど、命にかかわることではないけれど、つらいものです。

 先日、車のタイミングベルトを交換しました。僕の車は、10年落ちの、走行距離10万キロを超えた、クラウンなのですが、タイミングベルトは、以前、交換したと思っていたので,安心して乗っていました。
 しかし、先日、ディーラーで、タイミングベルトの交換時期だと、教えられて、まだ、変えていなかったことに気づきました。

 タイミングベルトに限らずですが、車の消耗部品について、「まだ、いいだろう」と、思うことが多いのですが、このベルトに関しては、経験者を身近に見ているので、早めに変えなければと、焦りました。

 費用は、4万2000円位と、かなりつらい出費でしたが、ベルト交換後の乗り心地は、ずいぶん違いました。
 発進時に、ガクンという衝撃があったのが無くなり、スムースに加速するようになりました。そして、何より、安心して乗っていられることが、一番大きな点だと感じます。

 タイミングベルトについて、2chで情報を検索しました。参考資料として、良いと思います。こちらです。
 

2004年5月21日

 イネ科の花粉が猛威を振るっている。目が非常に痒く、鼻水・鼻詰まりもひどい。
 考え方を変えてみても、物理的な不快感は残るようだ。

 花粉症と風邪は、似ているところが多い。初めて花粉症になった頃、やけに長引く風邪だな、と思った。

 風邪は万病の元、とよく言われている。確かに、風邪をこじらせると、大変なことになるようだ。つまりは、強力な毒である、というのだろう。
 しかし、そうであればこそ、風邪は万病を治す薬、とも考えられると思う。薬とは、もともと、草冠に毒、と書いたという。毒は、使いようによっては、薬になるということだろう。
 
 風邪についての考え方は、西洋医学と東洋医学では、違うようだ。
 西洋・現代医学では、熱が出たら、熱を下げようとする。下痢をすれば、下痢を止めようとする。
 東洋・伝統医学では、熱が出たら、熱を出し切るようにサポートする。下痢をすれば、円滑に下痢という症状を過ごせるようにする。

 症状という字は、病が正しくなりつつある状態、という意味を持っている。
 熱が出ること、汗が出ること、咳、痰、下痢、鼻水などは、体が正しい状態へと戻ろうとする、自律的な働きである。
 つまり、症状即治療。体は全て知っている。体は宇宙のメッセージ。

 風邪などは、そういった症状の経過している状態なのである。
 その症状の経過をうまく過ごすことが出来れば、体の不調を整え、潜在的な病気を治してくれる。しかし、下手な経過をたどれば、長引かせ、悪化させ、他の病気を引き起こすことになるのだろう。
 
 自分の体は、自分で責任を取らねばならない。自分の体を、他人任せにすることは、おかしなこと。

 斎藤一人氏曰く、「私は、この世の中に健康な人が一人でも増えるためには、保険料を安くすべきだと思います。・・・・・・・今、医療費は年間で約二十五兆円もかかっています。平均すると、年間一人頭二十万円かかっているのです。だったら、健康で、一年間一度も保険を使ったことがないという人に半額でもいいから返してあげるのです。健康ならば10万円のお金がもらえる、ということになれば、みんな必死になって健康管理をして、健康になっていくはずです。」

 医療を安価で受けられるということは、すばらしいことであるが、行き過ぎてしまった観がある。

 ビートたけし氏曰く、「昔は、病院は担ぎ込まれるところだったけど、今は、自分で歩いていく。」

 病院に行くときは、担ぎ込まれて、手遅れで、そのままあの世へ行きたいと考えている。



2004年5月26日

 先日、ラジオで、「未来バンク」という組織についての話を聞きました。

 これは、「市民の方から出資金を預かり、環境に優しい商品を購入する人や、環境に優しい事業を営んでいる方に、低利(年利3%)で融資を行っている非政府・非営利の市民団体」だそうです。

 私たちは、銀行などにお金を預けているわけですが、その預金の使われ方については、あまり関心をもっていないのではないでしょうか。

 環境を破壊するような事業、例えば、長良川の河口堰などは有名ですが、そういった事業の資金は、郵便貯金の預金などから出ているそうです。

 一方では、「環境破壊はいけない」と強く認識していながら、他方では、何の考えもなく、郵便貯金などに預けている。
 自分が望まないような事業のために、その資金を知らず知らず提供しているという矛盾が起こっているのですね。

 そこで、自分たちのお金を自分たちが望むような方向性で使ってもらえるようなお金の流れを作っていこう、という動きの一つが、未来バンクだということです。

 方法としては、応援したい活動に資金を提供するというポジティブな方向と、進めたくない事業などに資金を提供しないというネガティブな方向があるそうです。
 日本では、まだ、ネガティブな方向での動きはないそうです。しかし、世界的には、このネガティブな方法が効果をあげている例が多いそうです。
 例えば、アパルトヘイトを行っていた南アフリカに対して、資金の流れを止めるという活動などは効果があったそうです。

 これからは、儲かれば良いという事業から、みんなが未来に残していきたいことに、お金が集まるような社会になっていくとことを期待したいです。

 同じような動きで、「ap bank」というのもあります。
 これも、普通の銀行ではなく、「櫻井和寿、小林武史、坂本龍一の3人が拠出した資金を、自然エネルギー、省エネルギー、環境に関するさまざまなプロジェクトに融資する機関」「金利は1%、運営資金も自分たちで拠出する非営利組織」だそうです。
 有名なミュージシャンの、多額の資金とそのネームバリューにより、大きな反響を呼びそうな活動だと思います。

 こういった動きが広まっていることに、日本も、まだまだ、捨てたものではない、と感じました。

2004年6月8日

 もう先月のことになりますが、小泉総理の再訪朝は、大変な話題を呼びました。
 いろいろな意見がありますが、個人的には、年金未納問題をはぐらかすための話題作りのように感じました。
 そして、その成果についても、多くの人が不満を感じているようです。
 しかし、支持率が下がらない。これが、非常に不思議なことだと常々感じます。

 「日本の再建のためには、小泉さんが総理でいることは良くない」、というのが、有識者の一致した見解です。
 しかし、支持率、言い換えれば、日本人の潜在意識は、彼を支持している。

 これについて、興味深い話を小耳にはさみました。
 経営コンサルタントの船井幸雄さんが言うには、
 「小泉さんは、今までの体制・資本主義を壊すために存在している。やることなすこと、今までの日本の常識・利益から考えれば、良くないことばかりである。景気も回復しない。彼自身は、そんなことは考えていなくても、結果的に破壊する方向に向かっている。破壊の役回りなのである。」
 おおよそ、このような内容だったと思います。
 
 長い目で見れば、小泉さんによる破壊の後に、彼が予想したこととは全く異なる形での、新しい時代が来るのではないかと思います。
 しかし、一般的な人間の視野からすると、腹の立つことが多いですね。

 増田俊男さんという、国際社会を見抜く優れた目を持つ方がいます。彼の予想は、あまり外れることがないようです。
 また、実行力もある方です。例えば、ハワイがアメリカの州になった頃のドサクサにまぎれて、白人が先住民から奪った土地を、訴訟によって取り返すことに成功させたり、また、今は、日本への原爆投下に対しての、アメリカ大統領による謝罪を得ようとする運動をしているそうです。
 彼の時事直言というコラムは読んでみると、目からウロコが落ちます。彼の小泉批評には、「なるほど」、と頷かされました。
 
 もう一つ船井幸雄さんのホームページをリンクしておきます。


2004年6月20日

 先日、NHKラジオのインタビューコーナーで、覚 和歌子(かく わかこ)さん、という人が出ていた。
 彼女は作詞家で、沢田研二さんや山下久美子さんなどの有名歌手に詞を提供しているそうです。
 また、映画「千と千尋の神隠し」のテーマソングも作詞したそうです。

 僕も、あの映画を見ましたが、テーマソングの中の「生きている不思議、死んでいく不思議・・・・」というフレーズが印象的で、どんな人が作ったのだろうと思っていました。

 そのインタビューの中で感じたのは、非常に力の抜けた人で、どんな人とでも打ち解けられるような人柄だろうな、ということでした。

 また、話の内容では、彼女が作詞をするときのスタンスで、「まず、歌い手についてのいろいろな情報を集めて、インプットする」そうです。彼女は、それを「初期化」と呼んでいるそうです。
 そして、あとは、「ただただ、降りてくるのを待つ」そうです。
 そうして、降りてきたものを形にする時が、なんともいえず、心地よいのだそうです。

 そのような形で現われた歌詞は、自分自身で、何度読み返してみても、飽きることも無く、新鮮な感じがするそうです。
 逆に、ひねり出すようにして、作った歌詞は、すぐに飽きてしまうそうです。

 このような感覚は、まさに優れた芸術家の感性だと思います。
 一流の芸術家は、自我が無く、自分はパイプに過ぎないということを知っているのでしょうね。

 自己顕示欲が強く、何事も「自分の力でやり遂げたんだ」、と思いたいような人は、あまり優れた作品を残していないように思います。
 また、最初は、優れた作品を出していても、周りから、すごいすごいとはやし立てられ、いつしか、自分の力で作品を制作しているのだ、と思い始め、没落していく芸術家もたくさんいることと思います。
 一流の芸術家であり続けるには、謙虚さを維持することが必要なのだと思います。

 そして、それは、芸術家だけではなく、どんな職業をしていようと、人間としてすばらしい存在は、どんなに成功しても自惚れず、どんなに失敗しても自己を卑下しない、というような精神的な健全さを持ち合わせているものだと思います。

 自分が頑張ってやっている、という段階では、たいしたことは出来ないですね。
 スポーツにしても、武道にしても、楽器の演奏にしても、頑張って息を詰めて練習している内は、準備体操みたいなもので、あきらめて、手放して、力が抜けた所から、自然の力、大きな力が入ってきて、滑らかに力強く動けるものなのですね。
 初めから頑張らずに、自然に任せて、ただ、やり続けることの方が、近道であり、21世紀的なやり方だと思います。
 

2004年6月27日

 僕は、不思議なこと、精神世界的なことなど、未知な事柄に興味があります。

 空手の修行も、強さを求めるという段階から、日々心に積もっていく汚れを落とす、という意味合いが強まっています。
 今の練習スタイルは、1つの形を繰り返し行うというものです。
 30分程休み無く繰り返していくと、練習前にはあった、心の中のわだかまり、こだわり、葛藤などが消えていきます。「ああ、あんなことは何でもないことだな。」という心境になります。
 さらに言えば、肉体と精神のエネルギーの高まりを感じるのです。普段の自分以上のものを、自分の中に確認することが出来、安心するのです。
 すると、傲慢な意味では無く、回りの人や事柄が小さく見えます。言いかえれば、普段は、余計な色眼鏡をかけて見ているということでしょう。

 これは何も空手の練習に限ったことではないと思います。人によってさまざまだと思います。場合によっては、空手の練習が、毒になる人もいると思います。
 人それぞれ、自分の力を解放する手段は違うと思います。キーワードは、「なぜか、そのことを、やりたい」だと思います。
 僕自身、空手の練習は、辛くて辞めたいと思ったこともありましたが、なぜか、続けています。なぜか、武道に興味があるのです。
 そして、武道を深めていくに従って、気功、ヨーガ、瞑想、祈りなど精神的な事柄に、必然的につながって行きました。

 最近、読んだ本で、「地球大革命と世界の盟主」(白峰由鵬著 明窓出版)というものがあります。
 概略としては、宇宙空間のフォトンベルトという光の粒のエネルギー帯が、太陽系に近づいており、近い将来、地球はその帯の中に包まれ、その時に何が起こるかについて、述べたものです。
 NASAやロシアの宇宙観測によると、既に、太陽系の他の惑星には、影響が出てきており、この地球にも、徐々にその兆しが出てきている、ということです。
 南米の古代文明のマヤ文明では、非常に精密な暦を作っていました。そして、その暦は、2012年12月22日で終わっているそうです。これは、ちょうど、フォトンベルトが地球を多い尽くす日と一致するそうで、何か大きな流れを感じさせます。
 この本は、フォトンベルト3部作の第三段で、僕は、前2作も、この1年ほどの間に読んできました。最初は、「この内容はどうだろう?」と、少し懐疑的な気持ちもありましたが、最近は、「そんなこともあるかもしれない」と思っています。

 考えてみれば、普段の私たちの生活も、不思議なことに満ちていると思います。毎日、同じように太陽が昇り、月も満ち欠け、何十年も生きるつもりの人が、ある日あっけなく亡くなり、いつ死んでもよいという無頼な生活をしている人が、長寿を全うする。
 先日も、ニュースで、どこかの放送局のアナウンサーが、ヘリコプターでリポートしている時に、そのヘリコプターが墜落して、パイロットも含めて全員が死亡した、と伝えていました。
 僕も、一時期テレビ番組の制作をしていたので、局のアナウンサーになることがどれだけ大変なことで、また、アナウンサーというものが、どれだけエネルギッシュで輝いた存在かを知っています。
 そんな健康で、生の象徴ともいえるような人でも、あっけなく死んでしまう。
 そういったニュースを見ているだけでも、この世の不思議、宇宙の法則を感じてしまいます。

 小林正観さんの本の中で、
 『1800円出して1時間40分の映画を観に行くとします。波乱万丈、次から次へと色々な事件が起き・・・、と映画は続いて1時間40分を十分に楽しませてくれるわけですが、よく考えてみると、50年映画、70年映画というのが、私たちの前には存在している。・・・・・・・・
 登場人物がたくさん。それも個性的な人、魅力的な人、ちょっと悪役っぽい役割の人、おもしろい人、優しい人、温かい人、などなど。
 ストーリーも波乱万丈です。「ある程度はラストシーンが想像できる」などという平凡なストーリーはひとつとして、ない。
 ・・・・さらに、立体映像でもあり、湯気の立ったおいしそうなお茶を、手にとって飲むこともできるし、みずみすしい果物を手にとって食べることもできる。・・・・・・
 この映画の主演も監督も、脚本を書いたのさえ、自分なのです。そんな興奮に満ち、どう展開して行くかわからないおもしろいストーリーの総天然色立体映画が、なんと、無料。
 そう考えたら、自分の目の前の日々がどう展開して行くのか、毎日、見たくて見たくて仕方ありません。・・・・これまでの人生の波乱万丈さを考えたら、どれほど興味深いストーリーを自分が用意したのか、知りたくて仕方がなくなります。』

 という内容のものがあります。僕も全く同感です。

 そのストーリーを楽しむ為には、「こうでなければ、嫌だ」とか、「そんなふうにはなって欲しくない」という執着があると、楽しむどころか、恐ろしくて、先を見たくもなくなるかもしれません。

 良寛禅師のいう、「災難に逢ふ時には 災難に逢ふが良く候 死ぬる時節には 死ぬるが良く候」という心境であれば、人生を楽しめるかもしれません。

2004年8月1日

 前回の更新から、1ヶ月ほど経ちましたが、ここのところ、大変暑いですね。
 多くの人々が、異常気象だ、環境破壊が原因だ、とメディアなどで話しています。
 
 体に異常を感じることで、ようやく普段の生活のあり方や考え方を振り返ったり、健康のありがたさを実感したりするのと同じことだなあと感じます。
 気象や環境などの規模の大きなことも、会社や自分の体などの身近なことも、サイズの違いだけなのですね。

 ただし、自分の体一つの問題であれば、意識を変えて、行動を変えれば、1日1日改善されるかもしれませんが、環境問題のような規模となると、現象として表れてからでは、もう遅いのかもしれません。
 自然環境を改善させるには、多くの人々が、意識を変えて、一丸となって、今すぐに行動を変えねばなりませんが、余程ひどい事が起こらない限り、一度に多くの人が、意識を変えることは無いと思います。
 また、それほどひどい事が起こった時には、本当に手遅れなのでしょう。

 世界中には、古代の遺跡からオーパーツと呼ばれるものが、たくさん出土しています。オーパーツとはOut Of Place Artifactsの略で、「場ちがいの加工品」という意味だそうです。
 例えば、南米マヤ遺跡の水晶ドクロ、古代ギリシャのコンピュータ、ナスカの地上絵など、他にも興味深いものがたくさんあります。
 ある研究者によると、地球上では、現代のような科学技術の水準を持った文明が何度も現われていると言います。
 ある文明は、核戦争により滅び、ある文明は、環境破壊による地軸の移動、いわゆるポールシフトにより滅び、と原因はさまざまですが、ある程度まで発展しては滅ぶことを繰り返しているそうです。
 ポールシフトに関して言えば、地磁気の減少により、近々起こる可能性があるというデータもあります。
 また、文明の発展についても、人類が発生してから数十万年前からつい200年前くらいまでの発展に比べて、この100年ほどの発展は、目覚しいものがあります。
 人類に数十万年の歴史があるとして、なぜこの100年間に、目覚しい発展をしたのか、なぜ、1500年代にこのような発展が起こらなかったのか、など疑問が出てきます。

 今、本物技術と呼ばれるものが、たくさん出てきています。時代を大きく変えるような技術が出てきているのですね。
 谷村新司さんのラジオを聞いていた時に、江本勝さんの「水からの伝言」についての話題が出ました。
 「例えば、水を入れた容器に、バカヤロウと書いた紙を貼ったり、言葉で言ったりしたものと、ありがとうという言葉を言ったり、貼ったものを比べてみると、前者は、結晶の形がグチャグチャになり、後者は、綺麗な形になっている、というような研究結果があります。
 そして、人体の60〜80パーセントが水分です。だから、ひどい言葉を言ったり、聞いたりすると、体の中の細胞も悪影響を受けるのです。
 子どもを育てる時には、良い言葉を伝えてあげないと、結晶が壊れてしまいますよ。」

 このような内容でした。

 江本さんについては、10年程前から書籍などで、このような研究をしていることは知っていましたが、行動を振り返ってみると、人に対して酷い言葉を使ったり、荒々しい態度で接したりしていたなあ、と思いました。
 知っていることと、行動とは別なのですね。
 僕も子どもを持つ身になって、言葉と態度の大切さを痛感するようになってきました。
 
 
 話は変わりますが、たまに言葉がふっと湧いてくることがあります。最近、出てきたものは、
 「幸せになりたければ、真っ直ぐに幸せになればいい。」
 「2段階方式の幸せではなく、今、すぐに幸せ。」
 これらの言葉から感じたのは、お金を得てから、地位を得てから、安定してから、など、前提条件を揃えてから、幸せを得ようとするのではなく、今、その場で幸せを感じるのに、障害となっているものを認識して、取り除いてやることが近道だよ、ということでした。
 

2004年8月15日

 今日は、8月15日です。
 テレビを見ると、アテネ五輪と終戦記念日についてのニュースが目に入りました。

 「オリンピックのある年には、事故や犯罪が増える」、という内容をどこかで読んだ記憶があります。そんな角度から見てみると、ここ最近、大きな自動車事故や殺人などの犯罪が多いような気もします。

 波動の世界から見ると、世界の多くの国々が、自国の選手を応援する気持ち、裏返して見ると、相手の選手が負ければ良いという否定的な思いを、多くの人々が発している状態であると言えます。
 また、負けた側の人たちは、がっかりしたり、悔しい気持ちを持ってしまいます。

 何も波動などと言わなくても、過剰な競争意識が、殺伐とした雰囲気を作り出すことは、私たちの身の回りでも感じられることと思います。
 そして、そういった雰囲気の中で過ごしていれば、間違いなどを起こし易いということも、経験上理解できることと思います。

 人が思ったことや発した言葉は、発せられた相手やその場だけではなく、世界中に波動として伝わると言われています。
 電波などが世界中を駆け巡るのと似ているのかもしれません。
 そうして見ると、オリンピックの年には、普段は見られないうな荒れた波動が、世界中を駆け巡っているといえます。 その結果、事故や犯罪が増えるというのは、あながち否定できないことだと思います。

 しかし、オリンピックで演じられる技術はすばらしいものだと思います。選手と国を分けて、オリンピックを開催すれば、国というしがらみが無くなり、個人の技術を競いあう、純粋なスポーツに近づくと思います。
 そんなスポーツの世界で活躍する人の一人に、野球のイチロー選手がいると思います。彼は、既に日本という国籍を超えているように感じます。

 イチロー選手の言動から感じるのは、過去にとらわれない、ということです。
 過去の良かったことを思い出して、それを目指すというのは、一般的な人に、よくある考え方だと思います。
 僕自身も、うまくいかないことがある時には、過去にどのようにして乗り越えただろうかと考えます。
 しかし、過去は過去であり、今とは状況が違うわけであり、それを参考にするということは、過去にとらわれていることなのですね。
 「いつも、より良いものを目指す」、こんな気持ちで、イチロー選手はやっているんじゃないかな、と思いました。
 過去を見ずに、今、より良いものを目指して行く。そうすると、とらわれることなく、新しいことを受け入れ、違いのある現実が生まれてくる。そんな気がします。


 話は飛びますが、日本の伝統的な良さを、色濃く残しているのは、日本国内よりも、むしろ、日系移民として移っていった人々にあるのではないかと、最近思うことがあります。
 先日、南米パラグアイの駐日大使として、日系人の田岡功さんという人が選ばれたいう記事がありました。
 南米の諸国では、日系人の勤勉さ、誠実さなどが非常に尊敬の念を得ていると聞きます。
 ある国では、日本からの旅行者に対して、「日本人の尊厳を損なうような行動をしないように」、と地元の日系人社会から注意を促すということがあるといいます。
 どちらが本家の日本人なのかと思ってしまうような話ですが、現実はそうなのでしょうね。
 日系ジャーナルというホームページを見ると、日系人社会を鏡として、改めて日本人について、教えられるような感じがしました。


2004年9月8日

 僕たちは、日々、何がしかの行動をして、時間を過ごしています。
 学生さん以外の大人は、大抵、仕事と言われる行動に、一日のうちの多くの時間を費やし、お金を得ています。
 仕事と言われる行動をすることを、「働く」と呼んでいます。

 「働く」という言葉は、「はた楽」、つまり、「周りの人々が楽になる」、ということから来ていると言います。
 「はた迷惑」という言葉の反対語だと聞けば、合点がいくと思います。

 「周りの人々が楽になる」、ような行動が、働くことであるなら、いわゆる仕事というものだけが、働くことになるのでしょうか。お金を頂くからやっていることだけが、働くことなのでしょうか。

 世の中には、無償で、空き缶を拾ったり、雑草を刈り取ったり、時には、命がけで人を救助したりする人たちがいます。
 それとは逆に、たくさんのお金を頂いていても、汗もかかず、責任感も無く、時の経つのを待っているような人もいます。

 このように見てくると、「働く」ということは、自分がどのような人生を送って行くか、ということによって多種多様なものになると思います。

 例えば、野球のイチローは、一般的な意味での「働く」という意識は持っていないと思います。彼は、野球が好きで、野球を通して自分の限界に挑戦しているのだと思います。
 その結果、彼は、すばらしいプレイを披露して、人々は興奮し、感動する、ということがおこっているのだと思います。

 また、他の典型的な例では、別にやりたいこともないけれど、ちゃんと、人並み以上の生活はしたい、という人がいます。
 このような例では、大企業、または、公務員など安定して、待遇の良い就職口を見つけることが、まず、大切なことのようです。
 そして、大過無く、無事に過ごし、給料が上がること、休みが多いことを望みます。
 また、その仕事自体には、興味がないので、いつもつらそうです。そして、責任や負担が増えることを嫌います。
 人生の生きがいは、仕事以外の時間であり、定年後の悠々自適であるようです。

 この2つの例を、振り子の2つの頂点とするなら、多くの人たちは、その振り子の間のどこかの点にいるのではないかと思います。

 今やっている仕事が、自分にとって、どんな意味を持つものなのかを、自分に問う方法として、2つあると思います。

 1つは、お金を貰えなくても、その仕事をするかどうか。
 もう1つは、明日、自分が死んでしまうとしたら、今日、その仕事をするかどうか。

 お金が貰えなくても、明日死ぬとしても、今やりたいことがあるとしたら、それは何か?
 逆に、もしも、何もしなくても、十分なお金と時間があるならば、何をするか?
 それを自分自身に問い掛けてみると、何か出てくるかもしれません。


 ところで、人間の脳は、アンテナのようなものだと言われています。送信も受信もできるアンテナです。
 だから、自分が疑問に思ったことを意識し続けていると、感度が良ければ、すぐに答えをキャッチできます。

 この宇宙は、想念のシャワーが降り注いでいるようなものです。これは、善も悪も無く、無限の種類のものが飛び交っています。
 アーティストが、曲やデザインや小説などを作るのも、その人のレベルに応じた想念をキャッチしている、ということだと思います。
 
 人それぞれのレベルに応じて、一瞬一瞬、いろんな想念を受け取っています。集中するということは、ちょうど意図的にチャンネルを合わせているようなものです。


 話を戻しますが、今度は、働くことに付随してくる、お金について考えてみます。
 なぜ、イチロー選手は、何億円もお金を貰っているのでしょう。なぜ、一日中、汗だらけで働いても、数千円しか貰えない人がいるのでしょう。
 誰が、この人の働きは、月給20万円だ、と決めているのでしょう。
 どこの誰に、そんなことを決める権利があるのでしょうか。

 こんなことを言うと、馬鹿かと思うかもしれませんが、これは、「宇宙から地球を見た場合には」、と付け加えておきます。

 どんな物であれ、食料であれ、地球から無料で取り出して、それをお金を媒介として、やり取りをしています。
 芸術だって、想念のシャワーからインスピレーションという形で、無料で得たものです。

 もう一度言いますが、なぜ、ある人の行動が、何億円もの価値があり、また、ある人の行動は、時給800円なのか。
 これは、ただ単に、地球上の人々が決めた、限られた取り決めだと、僕には感じます。

 お金は、現代社会で生きる限り、必要なものです。
 しかし、人間の決めたお金の為だけに、仕事を考えるなら、つまり、その人の人生の有り様を考えるなら、宇宙存在である人間とは、ギャップが出てくると思います。

 年を重ねるにつれ、そのギャップは大きなものとなり、自分が自分でなくなっていくことにすら、気づかなくなるでしょう。

 彗星が飛んでくる、隕石が落ちてくる、風が吹く、川が流れる、雲が形を変えながら浮かんでいる。これらは、宇宙現象です。
 僕たちの存在も、宇宙現象です。
 お金を貰えるからといって、隕石は落ちてこないし、風の吹き方も変わりはしません。
 「あっちに行くと、たくさんお金を貰えるから、あっちへ落ちよう」、という隕石があれば、それは、隕石とは別のものになります。

 宇宙現象としての自分は、何なのかを問い掛けてみる。
 そして、すぐにでは無くても、全部ではなくても、生活の中で、自分なりの宇宙現象を表現することが、自分にとっても、周りの人にとっても、楽を振りまくことになると思います。

 極論すれば、何もしなくても、その人らしさが伝わってくれば、働いているのだと思います。

2004年10月9日

 最近、浅見帆帆子さんの本を読みました。
 内容としては、意識、心の持つ力、プラス思考による精神レベルの向上、善行によるエネルギーの蓄積、本音の願望実現、といった所がキーワードだと感じました。
 西洋的な願望実現哲学と、東洋的な気の流れに乗ることの重要性を融合したような考え方ですが、シンプルで分かりやすかったです。

 浅見さんの名前は、数ヶ月前に何かで見かけましたが、その時には、あまり興味が湧きませんでした。
 しかし、この数週間の間に、3、4回名前を見かけることがあり、「この本を読む時期だ」と感じて、読むことになりました。
 そして、僕にとっては、非常に良い影響を与えてくれる内容でした。

 このように、物事には、流れがあると感じます。
 それは、自分の気エネルギーが満ちているとき、言いかえれば、元気ハツラツとしている時には、快い偶然が続き、元気の無い時には、不快な偶然が続く、といった具合です。

 偶然とは、必然と必然の重なりあいだと思います。
 例えば、毎日同じ時間に、車で会社に出かける人が、交通事故に遭う場合、その人にとって、その時間にその場所を通ることは、必然です。
 そして、事故の相手方にとっても、どんな理由であれ、その時間にその場所を通ることは、必然です。
 その二人の必然の出会いが、事故という形になる。
 しかし、もし、どちらか一方が、出かける時に、忘れ物を取りに戻っていたとしたら、事故は起こり得ない。 
 自分では選択していないように見えても、実は選択をしていることが、現実の世界で起こってきているのだと思います。

 ボーとしていると、気づかない内に、流されるように時間が過ぎ、望まないような結果を得てしまうことになるのでしょう。
 何か資格を取る、旅行へ行く、洋服を買う、など、目標がはっきりしていると、行動に無駄が無くなります。
 そして、気エネルギーに満ちて、元気で、肯定的であれば、グッドタイミングな事柄に出会い、結果が出るのが早いのだと思います。

 結果が出るまでのプロセスは、次のようではないかと思います。
 結果 ← 行動 ← 決める ← 考える ← 思う ← 心に浮かぶ ← 虚・空
 
 元気で明るければ、肯定的なことが心に浮かび、考え方、行動、結果も快いことになります。
 その逆であれば、心に浮かぶことが、恨みや復讐など否定的になり、どんな手段を使ってでも、という考え方になるでしょう。
 虚・空という領域には、善も悪も無く、全ての可能性が詰まっているのだと思います。そこから、どんなことを引き出してくるかは、その人の精神レベル次第なのだと思います。

 また、たとえ自分がプラスの行いをしていたとしても、他人から恨まれたり、自分の良心に反することをしたりすると、プラスのエネルギーが漏れるのではないかと感じます。
 周りの人から喜ばれ、支えられ、出会った人全てと笑顔の関係でいられる時、その人の望む成功が実現される、と思います。
 

2004年11月14日

 先日、漫才師のトミーズ雅さんのラジオを聞いていました。
 トミーズといえば、僕の少年期には、全国区で活躍されていました。
 今は、関西地方を中心に活躍されているようです。

 そのラジオ番組の中で、雅さんがこう膜下出血になった時のことを、話していました。
 簡単に言うと、後頭部を強打したことにより、頭蓋骨の骨の中に血が溜まるような症状だそうです。

 1月程は、検査でも異常が無かったため、普通に生活していたそうですが、どうも体の調子が異常だということで、再度診てもらった所、こう膜下出血であると分かったそうです。
 この話の中で、興味深かったことは、市販の鎮痛剤を飲むと、全く頭の痛いことも感じなくなってしまう、ということでした。
 雅さんが、再度検査を受けた日の2日後には、ハワイへのロケがあったそうです。
 もし、彼が、ロケがあるからといって、その時に、鎮痛剤を飲んで、やり過ごしていれば、飛行機の中で、気圧の変化の為に、命を失っていたかも知れなかったのです。

 薬というのは、体からの大切なメッセージを、遮断してしまうことが、往々にしてあると思います。
 痛みは、痛みとして感じることが、生きることの基本だと思いました。


 もう一つ、芸能人の話題で、島田伸助さんの暴行事件がありました。
 内容は省略しますが、この事件に関する他の芸能人や関係者の声を聞いていて感じたことがあります。
 要するに、マネージャーや下の地位のものは、殴られたり、蹴られたり、怒鳴られたりするのが、当たり前だという意見であると思います。
 そして、こういったことに耐えられないのなら、やはり女性のマネージャーは駄目だ、という意見です。

 確かに、東京の厳しい芸能界では、昔ながらの男社会の慣習として、封建的な部分が多々あると思います。
 また、今回の被害者の方は、少し過敏な人かもしれません。
 僕も、短い間ではあったけれども、番組制作をしていて、当たり前のように、怒鳴られたりしました。
 しかし、殴られたり、蹴られたり、怒鳴られたりすることが、当たり前の感覚の方が、おかしいのかもしれません。

 今回の事件は、そういった、男社会で当たり前のことが、実は、異常なことではないのか、という疑問を投げかけていると思うのです。

 この事件に限らず、最近の報道を見ていると、有名企業であれ、何であれ、今までの世の中では常識的とされてきた、異常行為に対して、光が当たって来ていると感じます。
 時代の変化なのだと思います。

 太く短い人生とか、よく言われますが、太さや長さとは違う、好きな色、手触りの心地よい人生などもあるのではないかと思います。 


2004年12月19日

 「おでーんでんでん、ちくわに、はんぺん がんもどきー おいしい おいしい おでんだよ」

 こんなフレーズの出てくる映画を、小学生の時に、子ども会の集まりで、見た覚えがあります。
 内容は、うろ覚えですが、父親が事故か何かで亡くなって、一家を支えるために、母親がおでんの屋台を引いて頑張る。
 しかし、小学生の長男は、おでんの屋台のことを、友達にからかわれて、母親に反発する。
 だが、何かのきっかけで、母親の頑張りに感謝の念が芽生えて、母親を手伝って、「おでーんでんでん、ちくわにはんぺん がんもどきー おいしい おいしい おでんだよ」、と高らかに声を張り上げる。

 感動的な物語で、一緒に見ていた保護者たちの多くが、泣いていたようでした。
 この映画は、おそらく昭和40年代のものだと思うのですが、その当時、一家の大黒柱が亡くなれば、その家族は路頭に迷うかもしれない程の打撃を受けていたようです。
 父親だけでなく、家族の誰が亡くなったとしても、その死は、経済的にも、精神的にも、大きなショックだったと思います。

 一方、今のご時世を見てみると、生命保険などの充実によるものでしょうか、父親が死んだとしても、贅沢をしなければ、今の生活レベルを保つことは不可能ではないようです。
 マイホームを建てる時には、契約書の中に、生命保険の加入用紙も入っており、ローン途中で父親が亡くなったとしても、その保険金により、残りのローンはチャラになると聞いたことがあります。

 もちろん、保険制度の優れた面は、認めるけれども、中には、「早く死ねばいいのに」、と思う人や、また、実際に殺してしまう人も、事件報道で見かけることがあります。

 昔は、家族の一人でも欠ければ、悲しみと生活の苦しさが伴い、それだけ、死のインパクトが強かったと思います。
 今は、「もし、世帯主が死んでも、今の生活レベルは落としたくない」、「だから、保険には入っておこう」、「これで安心だ」、というエゴが強く出ているように感じます。
 何だか、人の死が、軽くなっているような気がします。

 死が軽くなるということは、生も同じく軽いものになっているのだと思います。
 例えば、天にも届くほどの大きな木が生える為には、その根は、地獄にまで届くかと思われるほど、深く張らなければ、倒れてしまうでしょう。

 死というものの痛み、悲しみ、それに伴う生活の激変、そういったものがあるが為に、生きていることのありがたさや大切さを感じるのではないかと思います。
 そうして、この大切な人生を、何に使おうかと、考え始めるのだと思います。

 「夢中になれることが無いことが、人生の最大の悲しみの一つだ」、こんな言葉が、僕の中から、ふと湧いてきました。
 十代、二十代では、感じなかったけれども、長く生きれば生きる程、この言葉が、しみじみと感じてくるのではないかと思います。


 







2003年

2003年05月04日

 その時に感じたことや、知り得た情報などについて書いて行きたいと思います。自分自身に対するメッセージにもなればと思っています。

2003年05月05日

 改めて思いますが、インターネットは便利ですね。疑問に思ったことを瞬時に調べることが出来てしまう。かなり詳しいことまでわかる。まさに人々の善意の塊だと感じます。
 また、人は自分の知っていることを皆と共有したいと心底から思っており、一般社会の秘密主義・閉鎖主義などは、人間の本質にはそぐわないものだとも感じます。

2003年05月08日

 蚊やムカデなど、虫が多く出てくる季節になった。昨年まで東京に住んでいたので、ふるさと常滑にはこんなに虫がたくさん居たのか、と改めて驚かされる。息子は、虫を見つけて喜んでいるようだ。

 若い頃は、都会に憧れ、街には楽しいことがあるのではないかと思っていたが、今は、自然を周りに感じられることの方が、豊かなことだと思うようになってきた。
 生まれた時から、周りに自然があると、その有り難味を感じなくなるのだろう。一度、外に出て、実感してみないと、いつまでも無いものねだりは続くのだと思う。

 虫に関することで思い出したが、昨年の夏は、我が家では体に害の少ない蚊取り線香を使っていた。しかし、これは殺虫作用が無く、蚊を追いやるだけの働きしか無かった。こちらに戻って来てからは、キンチョーの蚊取り線香を使い出した。「どうして、気持ちが変わったのだろう?」と思い返してみると、東京では、自然が少なく、「少しでも体に良いものを使おう」、という意識があったが、こちらでは、自然が豊かなので、「少しぐらい環境に負担をかけてもいいな」、と思っている自分がいるからのようだ。

 環境は、人の意識に大きく影響を与えるのだと思う。


2003年05月11日

 昨日、知人に誘われて、「あえの会」という食事会に、参加させてもらいました。この会は、食事の意義を問い直す意味で、旬の物や自然のものを、その持ち味を引き出して調理して、皆で頂くということで、毎月1回行われているそうです。

 参加されている方は、60代の方が多く、僕の大先輩の方達ばかりでした。そのせいか、配膳のお手伝いなどをさせて頂いていた時、なんだか自分が小学生に戻ったような感じがしました。

 料理は、たけのこご飯や若竹汁、和風サラダなど、あっさりとして体に優しい味付けで、とてもおいしかったです。
 
 こういった料理を毎日作ることは、現在の生活環境では難しいかもしれないが、時々体験することによって、体に優しい料理の基準を体に覚えさせ、日々の食事の良否の判断に役立てることが出来るのではないかと思いました。
  
 このような善意の集まりが、草の根的に広がっていくことで、大きく世の中が変化していくことに繋がるのだと感じました。


2003年05月27日

 先週から体調を崩していた。3月にも同じような症状があったが、花粉の影響なのかもしれない。例年、春には花粉症にかかる。今年の症状は、水のような鼻水がでて、熱が出て、粘りのある鼻水が出て、回復するという感じだった。この間、約1週間くらいだった。これと同じような症状が、今回、5月のこの時期に出た。おそらくイネ科の花粉に反応したのだと思う。

 花粉症に関して、面白い話を読んだ。それは、花粉やウィルスなどは、体に溜まった毒物を排出する働きがあるというものだ。
 現代人は、食品添加物、排気ガス、洗剤などにより、体内で分解できない物質が蓄積している。肝臓や腎臓が体内に入ってきた毒物を無毒化するが、その量が多かったり、毒性が強くて全部は処理出来ないのが実態である。そうなった場合、体内でこれら処理しきれない毒物を体外に出す必要がある。例えばその一つが風邪という現象で、インフルエンザウィルスなどを体内で活発化させ、咳や痰などで強制的に外に出すようにするというのである。花粉もその一つで、体内で処理しきれなくなった毒物を、杉花粉でアレルギーを起こすことによって、涙や咳、痰とともに外に出しているというのである。

 この説からすると、花粉症というのも、体が正常な状態に戻ろうとする作用であり、一概に憎むべきものではないのだと思った。
 理解を深めていくと、自然の摂理に対して、感謝の思いが湧いてくるものである。


2003年06月06日

 昔から偏見があって、テレビに頻繁に出ている人たちは、本当の意味で、一流の人たちではないと思ってきました。
 今でも、幾分そう思っているのですが、「優れた人もいるのだなあ」、とも思い始めました。

 先日、野坂昭如さんと石原慎太郎さんの本を読んだのですが、それは、まさに僕の偏見を露呈させるような体験でした。
 一読して、豊富な知識と分かり易い文章、強い意志などが感じられました。

 有名人の本には、ゴーストライターが執筆する場合も多くありますが、彼らの場合は、本職が物書きであるので、本人執筆間違いないと思います。

 特に、野坂昭如さんなどは、テレビで見ていると、酔っ払いがクダをまいているようですが、やる時にはやる人だと感じました。

 偏見を一旦脇に置いて試してみることは、自分自身の幅を広げる意味で大事なことだと、改めて思いました。


2003年06月14日

 資本主義、消費社会について考えてみると、不思議な点が出てくる。

 この社会では、企業は維持・発展をしていかなければならない。他社との競争に勝たなければ、生き残れない。
 その経営努力の中でも、「不必要な物を必要とさせること」というのは、僕の感覚からすれば、「無駄」の一言で終わるものが多々見受けられる。

 大体において、地球の資源が有限であるのに、「たくさん消費すればするほど、安く・お得になる」、ということ自体おかしなことではないだろうか。
 有限な自然を基準にすれば、「たくさん消費すればするほど、割高になる」、というのが当然ではないだろうか。
 例えば、地球の資源が100だとして、1消費する人より、10消費する人が「安くて、得して、上得意客」というのは、どう考えても矛盾しているように感じる。
 10消費する人は、10倍の料金どころか、1000倍にしても足りないのではないだろうか。なぜなら、100しかないのだから。

 そして、恐ろしいことには、我々自身がたくさん消費する自分に対して罪悪感もなく、それどころか、「メリットを受けて当然である」、「社会に対して貢献している」、などと錯覚してしまうような価値観が、世の中を覆い尽くしていることである。

 僕の先生の一人の言葉に、「地球から奪うものを少なくすればするほど、健康で幸せな人生を送ることができる。」というのがあります。
 究極的には、食事さえもほとんど取らないというのが、搾取しない生き方の理想だそうです。

 そこまで極端でなくても、不必要な物を購入しないことだけでも、精神的な充実を感じられ、地球に優しく、巡りめぐって、自分自身に対して益することになるのだと思います。


2003年07月18日

 二日ほど前から、腰の左側部分が痛い。恐らく、その前日の空手の練習で痛めたものだと思う。4日ぶり位に、近くの武道場で練習をしたのだが、このように痛めたことは、記憶の中では、かつて無いものだった。練習後に、水シャワーを浴びたことにより、冷えて強張ってしまったのだろうと思う。

 このようにして、徐々に肉体は衰えていくのだろと感じた。老化も、肉体を持つことにより体験できることの一つと思えば、有り難い事ではあるが、実際の心境としては、驚きと不便さを感じる事のほうが多いようだ。
 もっとも身近な存在である身体に対して、もっと感謝を捧げよう。

 身近なものへの意識に関して言えば、とかく、日本人は、身近なものに対して厳しすぎる所があると思う。謙譲の精神に由来を持つのであろうが、例えば、家族に対して冷たく、ご近所さんには愛想笑いをする。また、日本人に対しては、評価が厳しく、外国の人たちに対しては、異常にへりくだったりする。
 もっとも、この頃の10代の若者たちには、この傾向は少ないのかもしれないが、その結果、謙譲の美徳も持たぬ、ただの傲慢が増えたようにも感じる。
 身近なものに対して、正当な評価をして、笑顔のある生活をしたほうが、喜び多い人生になると思う。

 最近は、外国人による犯罪、国際的な紛争などにより、日本人としての意識、日本の良さなどを正当に評価できるようになってきたようにも感じる。
 不幸がなければ幸福を感じられないのは、残念ではあるが、何が幸せかを感じるには、良い機会だと思う。



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