
雨乞い踊りと
花の窟神社
日照り 今から五十余年前の夏日照りで田圃は水不足で百姓の人々が大変困り、雨乞いを神仏に祈願する日々が一ヶ月余り続いていた。ある日花の窟神社の奉仕団の世話役であった今でいう肝玉母さんが、青年団長の私に有馬(現、熊野市有馬町)の百姓は皆困っている。このままでは米の収穫は皆無になるので、青年団で音頭をとって雨乞い踊りをしてもらへないかともちかけられた。雨乞い踊りは話に聞いたことはあったが皆目わからないので、肝玉母さんが昔から有馬に伝わる雨乞い踊りのいわれを語りはじめた。
雨乞い踊り 「夕方、花の窟神社を出て、往復五十二キロ余りの奈良県下北山村にある池峰神社の神明池の水を竹筒四本に汲み取って、休みなしで夜通し歩いて明朝有馬に帰り、花の窟神社(イザナミノ尊は稲を作りはじめた)に水をお供えして神主に御祈祷をしてもらい、日暮れを待って蓑・笠を身につけた百姓、青年団員、村民が神社の境内で夜通し雨乞い踊りをして祈願することなんだ。必ず雨が降るということはないが、願いがかなえられたこともあったという古老の話もあるので、道中は大変だができる限りの協力をするから青年団員に話をしてやってほしい」、との強い願いで、私自身参加したことのない行事で不安を感じながらも引き受けることにした。
約束事 お水取りについて伝えられている約束は@参加者は最低十六人で二つの組みに分けて五郷村に待機して交替する。A往復とも歩く。車を利用してはいけない。B池峰神社の祭神の怒をかう行いをして(例えば池に石とか木片を投げる、等)汲み取る。C汲み取った水を四本の竹筒にいれて各自一本づつ持ち、前二人後二人(予備)並んでお互い話をしてはいけない。お伴は懐中電気を照らしながら四人を守り、距離をおいて歩く。出発日は肝玉母さんと相談して参加者を青年クラブにあつめて役割、時間、約束ごとの確認をする。
内緒話 前日になって、ある団員から五郷村まで車で夜おそく出発したら、誰にも知られないし楽にいけるという内緒話があり、私と団員でS製材所の車を頼み午後八時の出発を待った。参加者は誰一人反対する者もなく、元気で舗装されていない凸凹道を車の荷台にゆられながら五郷村の郵便局で全員下車して、交替団員(二班)は池峰神社からの到着を待つことにした。
お水取り 一班は暗い国道をお互いに話をしながら懐中電気をたよりに北山川沿いに池峰神社へと、はじめての道を歩きつづけ三時間半ほどでたどりついた。明神池は山頂にあり、周囲は檜、杉の大木におおわれ身も心もあたりの静寂さに吸い込まれてしまうのではないかという気持ちで、祭神を怒らしたら「ばち」があたるのではないかという不安にかられた。わいわいと騒ぎながら祭神を怒らす行動をさんざんした後、用意した竹筒四本に水をくみ取り無言で同じ道を歩きつづけ、夜が明ける頃五郷村で二班に引き渡し、解放された後の一本の煙草の味は今でも忘れられない。歩きながら朝飯をたべ、午前九時頃花の窟神社に到着し大勢の人々の出迎えをうけ、明神池の水を神前にお供えして神主に御祈祷していただき、夜の雨乞い踊りのはじまりまで全員歩き疲れて青年クラブで寝てしまった。
日暮れとともに蓑・笠をまとった人々と輪になって雨を念じながら夜更けまで踊ったが、願いはかなえられなかった。
再びお水取り 翌日になって雨乞いが実現しなかったのは、お水取りの連中は某製材の車で行ったからだとの話題が広まって、行動のすべてが無駄になってしまった。肝玉母さんからは何の咎めもなかった。心機一転して五日後に二回目のお水取り行事をすべて歩いて行うことを確認し、二班を中心に一班からの参加希望者を含め、五郷村待機組の出発時間を遅らせ、先発組は夕方から五十二キロ余の道程を池峰神社にむかって出発し、前回同様の行動で竹筒に水を汲み取り大事にしながら五郷村での待機組に引き継ぎ、無事にお水取り行事を終わった。
雨 心身の疲れを忘れ、夕方からの雨乞い踊りをまちわびている時、肝玉母さんより花の窟神社にすぐに来いとの連絡を受けて外にでると、雲がもりあがっているような感じなので行ってみると、大勢の人が集まって沖合に竜巻が起こっていると騒いでいた。見ると花の窟神社前の沖に、凄い竜巻が海水を吸い上げながら魔見が島の方に移動している。初めて見る情景に鳥肌がたち圧倒されて、事のなりゆきを見守るだけで何もすることができなかった。前回同様雨乞い踊りが始まると、ポツリポツリとふりだした雨に喜びを身体全体に感じながら、雨の勢いも忘れ無心に踊り続けた。長い日照りで降った雨量は雀の涙ほどであったが、百姓の人々の喜びと昔からのお水取り行事は私達の村にとってはとても大切な伝統であるとともに、自分の信仰に対する転機でもあったような気がした。
以来農業水路設備の完成で、雨乞い踊りは行われたことはない。
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