サイト名: へちま苑 制作者: 葦村午之助
メール: yoshi.uma●gmail.com(●を@に書換えてご使用ください)
メール: yoshi.uma●gmail.com(●を@に書換えてご使用ください)
〜南方大平原探索
■■4 アトリエ再開
■夜半の嵐――アランヤ村吹き戻し
三人は、ウォルフの群れを退けたあと、埋もれた遺跡を抜けた。
旧街道を北へ進み――。
八月二〇日の暮れ方、アーランドに到着した。
城門前。
冒険者ギルドはすでに終業している時刻だ。今日のところはひとまず宿に落ち着くことにし、冒険者ギルドへの報告は明日、ということになった。
「じゃ、ミミちゃん、わたしたち宿屋に行くから」
トトリ、メルヴィアと城門前で別れる。ミミはアーランドにある自分の屋敷へ帰る。
城門を入ったとき、
「うちに泊まっていきなさい」
と二人に言おうとして、結局言いそびれた。
一人になって、改めて周りを見る。見慣れたアーランドの街だ。
石橋を渡って職人通りに入る。
見上げると、暮れかかった夏の夕陽。足元を見ると、赤く染まった石畳に、自分の影が長く伸びている。
(ま、いいわ。トトリもすぐに村に帰るわけじゃないし)
明日、冒険者ギルドで会ったときに屋敷に誘えば――。
と思った。
しかし、である。
明日ありと 思う心は 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
翌日、ミミは約束の時間より一時間早く冒険者ギルドに来てしまった。トトリたちはまだ来ていない。
(またやっちゃったわ)
それでも、新しく来ている依頼の確認でもしながら待っていればいいか、と思っていたが。ふと目を惹いた光景。
(何あれ?)
広いロビーの一隅に、二、三〇人ばかりの冒険者たちが固まっていた。
中心にいるのは仕事着のファンシーコート姿、受付嬢のクーデリアだ。小さい身体で身振り手振り、金髪のポニーテールを揺らし、ただならぬ表情で、ボードに貼った地図を示しながら、冒険者たちに向かって何か説明している。
集まっている冒険者たちも、緊張した様子で聴いている。
ミミが入ってきたときは、すでに説明の終わり際だったらしい。その一隅に注意を向けたとき、クーデリアは説明を終えて、冒険者たちは解散した。
冒険者たちは慌ただしくギルドを出て行く。
ミミは、地図をはがしているクーデリアに近寄って、
「何かあったの?」
「ええ、アポステルの群れが……って、あんた、久しぶりね。トトリを追いかけてアランヤ村に行ってたって聞いたけど、戻ってきたの?」
「トトリじゃなくて、錬金術士の冒険者を追いかけて、よ。で、あの娘がアーランド南方大平原を探索するっていうのに付き合って、昨日、アーランドに帰ってきたところ」
アーランド南方大平原、とミミが言ったとき。クーデリアの碧眼が注視の光を帯びた。
「アーランド南方大平原を抜けてきたの!?」
「え、ええ」
思わず、クーデリアの勢いに気圧される。
「アポステルの群れに遭遇しなかった?」
訊かれて、ミミは、埋もれた遺跡であったことを思い出した。トラップを発動させてアポステルの群れに追いかけられていた、あの白衣メガネの若い男だ。
「遭ったわ。三〇体くらいの群れに」
「三〇体? その数は間違いない?」
「ええ、まあ、三〇体前後。一〇体ってことはなかったし、五〇体はいなかったわ」
「そう。で、あなたたちはそのときどうしたの?」
「戦略的撤退。逃げたわけじゃないわよ」
「そう」
と、しばし黙考。
「さっきの話。冒険者たちが集まってたでしょ?」
「何なの、あれは?」
「南方大平原でね、アポステルの大群が目撃されたの。数は五〇〇体。目下、アーランドに向かって北上中。こんなのがアーランド周辺まで来たら大変な被害が出るわ」
「ご、五〇〇?」
「確かな数字よ。目撃情報が届いたあと、複数の偵察を出して確認したから。あんたが見た三〇体っていうのはその一部ね。
原因は――推測だけど、埋もれた遺跡の盗掘防止トラップを発動させた馬鹿がいるみたい。アポステルはそこから湧いて出たのよ」
また、あの白衣メガネの若い男が思い浮かんだ。トラップのアポステルは元はもっとたくさんいたらしい。
「そのアポステル群北上への対応策として、討伐隊を組むことにしたの。冒険者に有志を募ることにしたわ。さっきのがそれ。で、あんた、南方大平原を探索してきたのよね? 地理はわかってるのよね?」
「ええ」
「協力してくれない? 緊急なの」
「私も冒険者だし。協力することにはやぶさかではないけど……」
「そう。じゃ、三〇分後に出発するから。それまでにアーランドの城門前に行って。あとはベテランの冒険者が指揮することになってるから、彼の指示に従って」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。ずいぶん急な話ね。私、今ここでトトリと待ち合わせ中なの。一緒に南方大平原探索の報告をしようと思って」
「いいわ。あんたが急な用事ですぐ出掛けなきゃいけなくなったことは、あたしがトトリに言っとくわ。それに南方大平原探索の報告はトトリから聞いておくから。
あんたは用意して、すぐ城門前に行って。今回の討伐、南方大平原を知ってる冒険者は一人でも多い方が助かるの」
「だからって」
と、言い合いの相手がクーデリアだけだったなら、ミミもこの緊急要請をしのぎきったかもしれない。ところが、さっきクーデリアから説明を受けていた冒険者数人がまだ残っていて、彼らもミミに、
「ぜひ同行して欲しいのですが」
と持ちかけてきた。
「うっ」
真剣な面持ちで頼られて、断り切れず、ミミは依頼を受けてしまった。
ロビーの入口を見る。
(トトリが時間より早く来るってことは……なさそうね)
仕方がない。すぐに屋敷に戻って旅支度をし、城門前へ向かった。
三〇分後、集まった冒険者たちとともに出発。
昨日通ったばかりの旧街道を南下。
寝る間も惜しむ強行軍である。
道中、指揮官のベテラン冒険者にアーランド南方大平原の地理を説明する。
その情報から、ベテラン冒険者がアポステルの群れとの対決地点を特定する。
予定の地点で対決。アポステルたちを撃退した。
アポステルたちがちりぢりになって退散する。それでもかなりの数だ。このまま放っておくと各所で被害が出るだろう。追討のため、いくつかの組に分かれることになった。ミミは探索の実績を考慮され、南方大平原を南下する組。
そして、逃げるアポステルの一群れに追いつき討伐したとき、黄金平原の北端まで来ていた。
(もうここまで来たら……)
アーランドに戻るよりアランヤ村に行った方が早い。報告のためにアーランドに戻ってから、またアランヤ村に行くのは迂遠だ。
アーランドを出て、すでに一〇日になる。トトリがあのあとアーランドに数日滞在したとしても、馬車でアランヤ村に戻るとしたら、ミミがアランヤ村に着くころにはトトリも村に戻ってきているはずだ。
(このままアランヤ村に行くわけにいかないかしら)
組の冒険者たちに事情を話したところ、
「そういうことなら、あとは戻って報告だけだろうから、君はこのまま行ってもらっていい」
とのこと。
申し出に甘え、組を離脱する。黄金平原を南に抜けて、アランヤ村に向かった。途中で採取や探索をするわけではないので、アランヤ村には早く着いた。
2011/02/01
■結婚詐欺――天然で残酷なんです
アランヤ村に戻ってすぐ、高台のトトリのアトリエに行ってみたが、工房は閉まっていた。
村の酒場〈バー・ゲラルド〉へ行って訊いてみる。
「トトリならまだ戻ってないな」
というマスターの回答。
(しかたないわね。待ちましょう)
と思った、その翌日だ。アランヤ村に馬車が戻ってきた。
村内にメルヴィアの姿を見かけた。
ミミはふたたび高台のトトリのアトリエに行ってみた。
が、
(おかしいわね)
やはり留守である。
メルヴィアと一緒にトトリも戻ってきたと思ったのだ。
あるいは酒場に挨拶をしに行ったか、そうでなくても、酒場に行けばメルヴィアがいるだろうと思った。メルヴィアなら何か知っているだろうと。
高台を降る。
バー・ゲラルドに入ってすぐ、店の中にメルヴィアを見つけた。メルヴィアも店に入ってきたミミに気づく。と、
「あれ、ミミちゃん。何でこっちにいるの?」」
さも意外そうな言いよう。ミミがアランヤ村にいないのが当然のような物言いに、ミミは、かちん、ときた。険悪な声で、
「私の勝手でしょ」
「いや、そうじゃなくて……」
返答が、いつものメルヴィアらしくなく、どこか歯切れが悪い。余所者あつかいされたと感じたミミは、この〈大きい女〉にトトリのことを訊ねるのがたまらなく腹に据えかねたが、背に腹は代えられないと思い直し、
「トトリは?」
と訊いた。訊かれたメルヴィアは、
「は?」
間抜けな声を出して、理由(わけ)のわからな気な顔をした。が、はっ、と気がついた様子になり、
「トトリから聞いてない? アーランドで錬金術のアトリエを開業した、って話。ロロナさんのアトリエがあったでしょ。ロロナさんの不在中、そのアトリエを預かっていたクーデリアさんから経営を任された、って」
「え?」
今度はミミが間抜けな声を出した。
「な……な、なんですってえええええ!!」
「あ、ミミちゃん、口蓋突起が見えたわよ」
指摘されて、あぐっ、と口を閉じる。頬を紅らめて、
「いいのよっ。見られて困るものじゃないからっ。で、トトリがアーランドで開業したって!?」
「聞いてないのね。道理でこっちに戻ってきてるわけだわ」
「聞いてないわよっ。なんで私に一言もないよのっ!!」
「あー、トトリのことだから、言うの忘れてて、言ったつもりになってるのかもねー。
ていうか、もしかして、あのあとトトリと会わなかったの? アーランドに着いた翌日、冒険者ギルドで待ち合わせしてたでしょ? あたしはほかに用事があったから行かなかったけど」
「会わなかったのよっ。あの日、待ち合わせの時間より早くギルドに行ったら、あの小さい受付嬢に捉まって、緊急要請だ、って、アポステルの大群の討伐に編制されたのよっ。おかげでアランヤ村に逆戻りよ!!」
「それはタイミングが悪かったわねぇ」
「――っ」
押し黙った。怒りの行き場がない。
無言のまま、くるりときびすを返す。どしどしと音がしそうな調子で、酒場を出て行く。メルヴィアが後ろから、
「ミミちゃん、アーランドに戻るならトトリによろしくねー」
と掛けてきた声を無視する。
扉を出ようとしたとき、酒場の扉が向こう側から開いた。
若い女の人が一人、入ってきた。メルヴィアと同い歳くらい。緑のチュニックに革のサンダル。腰までの細い直毛・栗色の髪。
ぶつかりそうになって、すいっ、とミミが避けた。
「すみません」
と一言言い置いて、脇へ。
女のほうも会釈して、ミミの脇を通り過ぎる。酒場に入って来る。そのときミミが相手の顔を見た。
色の白い、鼻筋の通った、目元の涼やかな。清楚な感じの美人である。
メルヴィアの知り合いらしい。ミミが扉を出るとき酒場の中を振り返ると、その美人とメルヴィアが、親しげに何か話していた。

そのあと。
宿へ行って荷物をとってくる。
村の広場の隅でたむろしている馬車に飛び乗り、
「アーランドまで、すぐ出して」
馬車の傍ら。ぐてー、としていた長髪痩身の若い御者が、
「今日は休みだよ。今朝帰ってきたばっかりなんだ。せめて明日まで待ってくれ」
その言い草と御者の態度に、ミミがあっさりキレた。それ以前にトトリのことでキレかかっていた矢先。この御者の対応はとどめになった。
「出しなさい!! あんたの仕事は馬車を出すことでしょ!? 仕事に責任を持ちなさい!! 私はどうしてもすぐにアーランドに戻らなきゃならないの!! 出さないって言うなら考えがあるわよ!!」
御者の眼前に、ぎらぎらと光る白刃が降りてくる。家宝の鉾。一触即発、ミミの気迫に殺気が籠もる。
「わ、わかった」
やばい客だと思ったらしい。言われたとおり馬車を出す。この「やばい客」を早く降ろしたかったのか。馬車を飛ばしに飛ばして七日。恐ろしく短い日数でアーランドに到着させた。
九月一三日である。
ミミは速い仕事に満足して、馬車代定価二〇〇コールのところ、一〇〇〇コール払った。
「また利用させてもらうわ」
目の下に隈の浮いたやつれ顔で御者が、
「もう二度と乗ってくれなくていいよ」
――さて、城門前から橋を渡り。
職人通り、武器屋の隣の赤い屋根、川が左に折れるその角の家、ロロナのアトリエに直行した。
アトリエの煙突から煙が出ている。
(中にいる!)
それも、調合の最中とみた。煙突の煙は調合用の釜を使っている証拠。
ノックもなしにドアを押し開け、中に躍り込む。
煮え立つ釜の前に、調合中のトトリの姿。
「ひゃ、ミミちゃん?」
「みつけたわ!!」
二ヶ月半前の七月一日、アランヤ村のトトリのアトリエに殴り込んだときと同じ台詞を吐いた。
2011/02/03
■開業ノススメ――ミ「いったい誰に断って」ク「あたしが許す」
「ええっと。
あの日、わたしがギルドに行ったら、ミミちゃん、討伐隊で出ちゃった後だったでしょ。クーデリアさんから事情を聞いて。その後、南方大平原探索の報告をしたの。
そのときクーデリアさんが、
『免許の更新のためにアーランドまで来るのも大変でしょう』って。
『いっそ、アーランドに住んだらどうか』って言ってくれたんだけど、わたし、アトリエがないと冒険者として役に立てないし……。
そうしたら、
『ロロナのアトリエがあるじゃない』ってクーデリアさんが言い出して。
勝手に使ってもいいのかな、って思ったんだけど、
『あたしが許す』って。
それで、開業したんだよ。その日のうちに」
昼下がり、再開されたロロナのアトリエ。
煮え立つ調合釜を前に、「ミミちゃんいらっしゃい」の挨拶もそこそこに、「言い訳を聴かせてもらいましょうか」とソファに座り込んだミミに、汗をかきつつトトリが言い訳をしてみせた。
「……それで全部かしら?」
「う、全部だけど」
「あんたはっ。なに私に断りもなくアーランドでアトリエはじめてるのよ!?」
「でもミミちゃん、ちょうどいなかったし。戻ってきてから言えばいいかな、って思って」
「そ、それは、まあ……」
言われてみればトトリと顔を合わせるのは、八月二〇日の暮れ方、アーランドの城門前で別れてからはこれが初めてだ。教えようがなかった、というのはたしかにその通りである。苦し紛れ、
「ああっ、もう、とにかく、私も今日から、こっちに戻ることにしたから」
「ミミちゃんも?」
「別におかしくはないでしょ。私は元々こっちの人間だし。それに一流の冒険者を目指すなら、アーランドにいた方が何かと都合もいいからね」
と言いながら、
(これって私のほうが言い訳してる?)
と思った。
「それは、そうかもだけど……」
「私の力が借りたい時は、これまで通り声をかけてくれて構わないわ。それじゃ」
言い置いて、ミミがひとまず帰ろうと、席を立ったとき、
――こんこん。
ノックがあった。
「あ、はーい。どうぞー」
「やあ、お嬢さん、こんにちは」
「あッ」
埋もれた遺跡で遭ったあの白衣メガネの男である。ミミは帰りかけたところをとどまり、トトリにそっと、
(ちょっとトトリ、この男)
(異能の天才科学者マーク・マクブラインさんだよ)
(なにその怪しい肩書き)
トトリの語るところによると。
開業後、絶望峠に採取に行ったとき、この白衣メガネ――マーク・マクブラインとまた出くわしたそうだ。そのあと、マークはアーランドで錬金術のアトリエが再開されたことを聞きつけたらしい。ロロナのアトリエにやってきた。
「はじめ、『錬金術は魔法で科学の敵だ』って言ってたんだけど、錬金術は魔法じゃなくて技術だ、ってこと説明したらわかってもらえて」
今では冒険にも付き合ってもらっているという。とくにマークは遺跡探索の常連で、北方遺跡群については自分の庭のようにくわしかった。
今日、彼がアトリエに来たのは、研究のための材料で足りないものがあったからで。トトリが持っていればと思い、来てみたのだという。
さいわい余分な在庫があったので、それをマークに渡した。
マークが希望の品を受け取って帰っていく。
品物を受け取って帰っていくマークを見て、ミミがふと思いついた。
「そういえばトトリ、ほら、あんたさ。まだこの街来たばっかじゃない」
「うん、まだ一ヶ月にならないけど」
「結構不便な思いしてるんじゃない? 店の場所とか、どこで仕事もらうとかも分かんないだろうし」
「それは大丈夫だよ。一通り街を歩いてみて、お店の人達にもきちんと挨拶したし」
「あ、そうなの。ふーん……」
言葉に詰まる。あとにつづくはずだった「よかったら私が街を案内してあげるわ」の台詞が宙に浮いた。
「ふーん……ええっと」
そのあとの台詞が出てこなくなった。しかたなく、
「それじゃ、私も帰るわ。またね」
今度こそ苦し紛れに席を立った。荷物をとる。
「うん、またね。ミミちゃん」
アトリエを出る。
職人通りを川沿いに歩く。まだ夏の匂いの残る風を頬に感じる。
思った。
(それもそうよね。開業して、それでも二〇日経ってるんだし。あの娘なら、そのくらいのことは済ませてても……)
これからはトトリはアーランドにいる。
――明日くらいに、屋敷に誘おう。
と思った。
思って、立ち止まった。
向こうから、金髪をポニーテールにした小さな女の子が歩いてくるを見たのである。顔見知りではない。全然知らない子だった。
「…………」
険しい形相で、その女の子の金髪ポニーテールを凝視する。暫し。
きびすを返し、来た道を戻りはじめた。向かうのはロロナのアトリエ。
――やっぱり今すぐ誘いに行くわよ。明日までに何が起こるかわからないんだから。
と思った。
2011/02/05
■一八〇日
トトリがアーランドでアトリエを開業してからの話。
ミミはしばしばトトリの冒険を手伝った。アーランド周辺地域、北方遺跡、アーランド東の荒野を探索し、冒険者のランクも上がった。気がつけばトトリのアトリエ――物件自体はロロナのアトリエ――に入り浸ることが多くなっていた。
八月二〇日に開業してから、九、一〇、一一、一二月。トトリはついにアーランドで年を越し、一月、二月。
その二月も終わりにさしかかったころのこと。
午後、ミミがアトリエに行ってみると、トトリが旅支度をしていた。
「冒険に行くの?」
事前にそういう予定を聞いていなかったので、急に調合材料が要り用になったのかと思った。が、
「ううん。一度アランヤ村に帰ろうと思って。今日、午前中にメルお姉ちゃんが来て、注意されちゃって。『半年も家に帰ってないから、一度帰るように』って」
そう言われてみれば、トトリはずっとアーランドにいた。アランヤ村にはトトリの家族がいる。
「そうね。半年も顔を見せていないんだもの。一度戻った方がいいわ」
「あれ、怒らないの?」
「なんで怒らなきゃいけないのよ。あなた、私のことをどういう目で見てるのっ」
「ええっと、断りもなしに帰る用意を始めたから?」
「私に訊いてどうするのよ。べつに怒らないわ。家族が大切なことくらいよくわかってるから。ええ、よくわかってるから……」
言葉を切って、視線を逸(そ)らす。
少しだけ、
(自分もついていこうか)
と思った。トトリの方に向き直り、
「いつ、戻ってくるかは決めてるの?」
「うーん……」
「でしょうね。あんたのことだから。いいわ、私はこっちにいるから、戻ってきたとき、力を貸して欲しいと思ったら、いつでも来なさい」
「うん、ありがとう」
翌日。トトリは城門前から馬車に乗り、アーランドを発って、アランヤ村へ向かった。ミミはその見送り。
(行ったわね)
馬車を見送ったあと、ミミはいつもの通り冒険者ギルドへ――行く前にロロナのアトリエに足が向いた。どうせ誰もおらず戸も閉まっているのだが、習慣というもの。なんとなく足が向いてしまった。
さて、来てみると。
赤い屋根のアトリエの前。
客を一人、見留めた。冒険者風の背の高い男である。
ハンターグリーンの兵装に黒いコート。うなじを隠すくらいに伸びた鳶色の髪。ここからだと髪に隠れて目もとは見えない。顎はやや細い。歳のころなら二〇代後半。一見痩せているようにも見えるが、見る者が見ればわかる武芸者の身体つきだ。
黒コートの男はアトリエの扉をノックして待っていたようだ。アトリエの主(借り主)はさきほど出てしまったので返事のあるはずがない。
ミミがそれを教えようと男の方に歩いていく。
男もミミに気がつき、目に掛かりそうな前髪を手で避けてミミを見た。
思わず、ミミは歩みをとめた。
男の顔。兇相、というのか。目もとに貼りついた嶮(けん)。こちらを見たその目の鋭さ。そういう表面的な怖さ以上に、ミミはこの黒コートの男から凄まじい圧迫感を感じた。子どもなら泣き出すだろう。
一本の抜き身の白刃を見るようだ。
ぞわり、と肌があわ立った。
ミミも兵法者である。我知らず、男の放つ鬼気に反応した。臍(へそ)の下に力が入る。交感神経が働いて身体に緊張が奔る。血管が収縮して血の気が引く。感覚が鋭敏になる。右手が自由になるように、肩の力を抜く。
男も一流の武人のようだ。普通の人ならわからないくらいのミミの変化――構えをとったことに気づいたろう。
そんなミミの警戒を解くためだったのだろうか、男がため息混じりに、
「いや、アトリエが再開されたと聞いたのでな。来てみたのだが」
その声を聞いて、ミミの臍下(せいか)から力が抜けた。敵意のない声調子だ。
おちついた低い声だった。男の顔つきから、もう少し若々しい声を想像していた。ちょっと意外な気がして、
(この男、見かけより歳がいってるのかしら)
と思った。
そのとき、男が黒コートの左腕につけていた赤地に金糸で刺繍のある腕章が目に入った。王国時代の騎士の腕章だ。
それを見て、思い出した。
ファーのついた襟の高い黒コート、どこかで見たような格好だと思っていたら、王国時代の騎士の兵装である。
アーランドが王国だったころ王宮仕えの騎士があった。それが共和制に移行して廃止された。共和制移行後、騎士の中には冒険者になった者が何人かいる。アーランドの騎士は長らく有事なかったせいで、ほとんどの者はあまり腕が立たない。王制末期には王宮詰めの役人のことを騎士といっていた。冒険者になったのは、例外的に腕の立つ一部の騎士たちだ。その元騎士の冒険者たちが仕事着として騎士の兵装を身につけている、という話を聞いたことがある。
彼もその一人か、と思った。
よく見ると男のコートはずいぶんくたびれ、裾にはかぎ裂きがいくつもできている。相当に使い込んでいる証拠だ。騎士の標準装備だけに物はよいはずだが、ここまで使い込んでいるというのはそれだけ実用しているということだ。
「彼女なら、ついさっきアーランドを発ったところよ」
男に返事をして、ミミは相手の顔を見上げた。ミミの目の高さに男の胸がある。
――あ。
今度は別の理由で驚いた。
この元騎士と思われる冒険者、最初の一目で恐ろしげな印象を与える顔つきをしている。
それがよく見ると、切れ長の目、通った鼻筋、やや細身のあご。恐ろしくいい男だ。匂い立つような、という表現がそのまま当てはまる。
(最初の一目で損をしている人だわね)
ミミにそのように観察されている当の騎士兵装の男はうつむいて、
「そうか」
と低く一言。困り顔。
「次の冒険のためにあるとありがたかったのだが」
「彼女なら、アランヤ村の実家に向かったわ。どうしても欲しいなら、そちらに行ってみてはどうかしら」
ミミの提案に男は嶮のある目もとを陰らせた。
「彼女はアーランドの生まれのはずだが」
この冒険者、勘違いしているらしい。
「ロロナ師ではなく、その弟子よ。今のアトリエ主は。ロロナ師はまだ戻ってきていないわ」
「なるほど……そういうことなら、アランヤ村まで、彼女の弟子に依頼しに行くとしよう。情報をありがとう」
少し残念なような、力の抜けた声だった。
騎士兵装の冒険者がミミの脇を抜けて、職人通りを西へ行く。
身体の運びも練達の武人のものだ。
(さて、私も)
ロロナのアトリエを離れた。
屋敷に戻って冒険の用意をしなければならない。予定している冒険がいくつかある。
(明日からまたしばらく、旅の空の下で早い朝がつづくことになるわね)
第一話 冒険者の朝(了)
2011/02/15
前へ≪ (目次へもどる) ≫あとがきへ
Yoshimura Umanosuke