サイト名: へちま苑   制作者: 葦村午之助  
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トトリのアトリエ豊漁祭提出作品
アーランド城の抜け穴
抜け殻クーデリア

■■1 慈善家貴族の夢、だったのか現実だったのか……

 一一月三〇日。
 アーランド職人通り、錬金術士ロロナのアトリエ。
 そろそろ夕方になろうという頃。
 ロロナの留守中、アトリエを預かっている弟子のトトリが調合を終えて、そろそろ釜の火を落とそうとおもっていたとき。
 アトリエに客があった。

「トトリ、ここにあいつが来てる、って聞いたんだけど」
 冒険者のミミである。
 今日はいつもの豪華な皮鎧に緋色マントの冒険者の衣装ではなく、訪問着のドレス。髪もサイドポニーではなく、きちんと結っている。
「あ、ミミちゃんその服かわいいね」
「べ、べつにあなたに見せるために着てきた訳じゃないわ。ちょっと、知り合いの家に呼ばれて、行ってきたの。で、あいつは?」
「クーデリアさんなら、ミミちゃんのすぐ脇にいるじゃない」
「え? きゃっ。存在感がないから気がつかなかったわよ」
 ソファにぐったりと身を沈める小柄な女性。暗色のベストにフリル・金糸のファンシーコート。金髪をポニーテールに結い、背はトトリよりも小さい。
「クーデリアさん、ロロナ先生が最近、アランヤ村に入り浸ってピアニャちゃんにつきっきりだから」
「ロロナさんに会えなくて気が抜けてるわけね」

 五年前、母ギゼラを探すために冒険者免許を取り、錬金術士トトリは冒険者となった。ついに船を手に入れ外洋に出、東の大陸まで到達したのが一年前。東の大陸、雪深い最果ての村で、母ギゼラの墓を見つけた。
 最果ての村は、リヒタィンツェーレンという塔に封じられた悪魔を鎮めるための生け贄たちの住まう村である。何年か前、船が壊れ、この村にたどり着いたギゼラは、村人を助けるためにその悪魔と戦い、悪魔を塔に追い戻したらしい。しかし、自分も深傷を負い、いまわの際、
「自分の息が絶える前に船に乗せて海に出してほしい」
 と言った。村人たちはその願い通り、瀕死のギゼラを船に乗せ海に出した。最果ての村にあるギゼラの墓は記念碑である。墓のなかにギゼラの遺体はなかった。
 トトリはアランヤ村に帰り、母の消息を家族に報告したのだが……。そのとき、最果ての村から、女の子が一人ついてきた。それがピアニャ。
「あの村に居たら、いつか悪魔に食べられちゃうもん。ピアニャ、絶対に帰らないよ」
 という。
 しかしその後、ふたたび最果ての村に向かったトトリ一行がリヒタィンツェーレンの悪魔を倒したあとも、ピアニャは最果ての村に帰らず、アランヤ村のトトリの家に居着いてしまった。
 ピアニャには錬金術の才能があった。ロロナが錬金術を教えたところすぐに覚え、自分で応用まで利かせるようになった。
 ロロナは、
「トトリちゃん以来の弟子だよ」
 と意気込んで、ピアニャに錬金術を教えはじめ、アランヤ村に入り浸り。一時、そのことでトトリとピアニャに悶着があったほどだ。
 お陰で、アーランドのロロナのアトリエはトトリに丸投げなのである。

 そのロロナのアトリエのなか。
 ソファで屍のようになっていたクーデリアが、碧眼を、じろっ、とミミに向けた。
「人のことはどうでもいいでしょ。だいたい目上の人間を『あいつ』呼ばわりって、どういう了見?」
「『目上』っていうのは相手の顔が、自分の目の上にあるから『目上』っていうのよ。あなたの場合、背伸びしたって顔が私の目の下にあるじゃない」
「あんですってえ!?」
「ミミちゃんっ。クーデリアさんも」
「ぐぐぐ……ふん、今日のところはトトリに免じて勘弁してあげるわよ。で、なに? 珍しいわね。あんたがあたしに用なんて」
「冒険者ギルドに行ったら、今日は休暇をとってるっていうじゃない。それであなたの家に行ったら、留守。急ぎの用があるならロロナさんのアトリエに行くように言われたの。
 妙な話を聞き込んだから。すぐに確かめようと思って、あなたを捜してたのよ」
「どんな話?」
「じつは、元アーランド国王は共和制移行以来アーランド城の隠し部屋に監禁されていて、その元国王を救出するために、某所からアーランド城へ向けて抜け穴が掘り進められている。
 そして、冒険者ギルド取締役のクーデリア・フォン・フォイエルバッハが突入部隊の冒険者を集めている、って。本当?」
「なんなのよっ! その阿呆な話は!」
 水揚げされた魚のようになっていたクーデリアに生気が戻った。
「だいたい何? 『冒険者ギルドの取締役』って? あたしは冒険者手続き担当のただの受付嬢よ!」
 するとミミが唇をゆがめて、
「へえ。ただの受付嬢にしては、ずいぶんと大きな権限をお持ちじゃありませんこと?」
「嫌味な物言いね。あんたの冒険者免許の発行を渋ったこと、まだ根に持ってんの? 執念深いったら……いやいや、それより、なんなの? その抜け穴とかいう話は? ジオ様(王様の名前よっ)が監禁? それだったら人の手なんか借りなくても、あたしが一人で討ち入りするわ!」
「じゃ、冒険者は集めてないのね?」
「どっからそんな話が出てくるのよ!?」
「私はてっきり、あなたが仕事疲れからおかしな妄想に取り憑かれて、救いがたい妄想犯罪に手を染めはじめたのだと思ったわ。本当にそうだったらよかったのに」
「あんた、やっぱりまだ冒険者免許のこと根に持ってるわね!?」
「もう、ミミちゃん、クーデリアさんを煽らないで」
「はいはい。順を追って話すわ」
 ミミは椅子を持ってきて、ソファの正面に座った。トトリも手近な椅子に腰掛ける。

「私の冒険者としての名声は、最近、貴族のあいだではそれなりに知られているの」
「くだらない自慢なら、ほかに行ってやってちょうだい」
「ここが肝心なところなのよっ。黙って聞きなさいっ。
 私の名声を聞きつけて、ときに、私個人に相談を持ちかけてくる貴族もいるの」
「へー、そうなんだ。ミミちゃん凄いね」
「この娘と同じように、『自分は貴族だー』って威張ってる連中は、貴族同士のつながりが強いのよ。いざ荒事ってときにも、まず貴族仲間を頼るの」
「今日、私が呼ばれて行ったのは、貴族A氏の家」
「慈善家で有名な人じゃない。ここ二年くらい、あっちこっちに多額の寄付をしてるって。そのくせ暇を持て余してる割に面倒くさいことはやろうとしないから、『ばらまき慈善家』って、半分悪口だけど」
「A氏の奥様からの手紙で、『余人にはできない相談があります。どうか高名な冒険者であるシュヴァルツラングのご当主に来ていただきたい』って」
「あんたも偉くなったものね」
「なんでも最近、A氏が詐欺に遭ったのに、それをどうしても認めようとしないので、そのことで相談がある、って」
「認めようとしない?」
「『私は詐欺などに遭っていない。いずれ近いうちに今の政府が転覆して、アーランド共和国のすべての欺瞞が白日の下にさらされ、私が正しかったことが証明される』って」

「救いがたいわね。本人だけは幸せなんでしょうけど」

「ことの起こりは、私が貴族のあいだで有名になりはじめたことよ。
 A氏は貴族でお金持ちだけれど、それまで公職に就いたり社会活動を行ったりしたことはなかったの。それが、私が有名になり始めたのを見て、自分も何かで名声を得たいと思うようになった。『さすがは貴族だ』って言われるようになりたいと思ったそうなの。これが二年くらい前の話。
 アーランドに勲章の制度ってあったわよね?」
「そんなのもあったっけ」
「A氏は名声の成果として勲章に目をつけたの」
「まさかA氏が慈善活動を始めたのって……」
「ええ。勲章ほしさに」
「あたしの家も名前を金で買った成金貴族だから人のこと言えないけど。勲章を買うための慈善活動だったの?」
「はじめ、友人に、
『勲章がほしいなら自分が顔が利くから手を廻してあげよう』
 って言われたけれど、
『それじゃ駄目だ。自分の功名の成果として欲しい。まず名声を得ないことには。勲章だけ手に入れても意味がない』
 って、断ったら、
『それじゃ、慈善活動でもはじめるかい?』
 って入れ知恵されて、はじめたそうよ。
 それであるとき、『自分は元侍従長の執事だ』となのる人に会うことになって、さっきの国王救出と抜け穴の話をされて、
『穴掘りの資金が不足しているので、もし賛同いただけるなら、指定の銀行口座に六〇万コール振り込んでほしい。国宝陛下はあなたのご助力にきっと報恩してくださるから』
 って持ちかけられたらしいわ」
「で、手柄ほしさに振り込んだの?」
「二ヶ月くらい前に」
「明らかに詐欺でしょ。A氏もよくだまされたわね。いくら手柄が欲しいからって、そんな眉唾な話」
「ええ私もはじめそう思ったわ。でも、くわしく話を聞いてみると、よくわからないのよ」
「なにが?」
「A氏はその抜け穴に実際に案内されて、なかを歩いた、っていうの。抜け穴は何キロメートルもある長い地下道だった、って」
「ちょっと、そこのとこ、詳しく話して」

「A氏は、会員制の図書館に登録してるの。そこで、ある紳士と親しくなったわ。市井のことに詳しくて、おもしろい話をする人だったそうよ。
 その紳士があるとき、
『あなたにぜひ会わせたい人がいる』
 って、A氏をアーランドで一番の宿屋の一番いい部屋に案内したの。そこにいたのが、これも物腰おだやかな品のいい初老の紳士。この人はアーランドが王国だったころの宮廷のことについて詳しかったわ。
 そのときは楽しく話をしただけだった。
 初老の紳士は名乗らなかったから、何者なのかわからなかった。
 それから二週間の間に、紳士に連れられてこの宿屋に行き、老紳士に二回会った。
 四回目にあったとき、老紳士が正体を明かした。
『自分はアーランド元国王の侍従長の執事です。そちらの紳士はじつはわたしの部下です』
 って。そこでその執事が驚くような話をしたわ。
『あなたを名誉を重んじる累代のアーランド貴族と見込んでおねがいする。アーランド城に囚われている国王陛下を救出するのに手を貸してほしい』って」

「その執事によれば、じつは、アーランドが王制から共和制に代わったのは、大臣メリオダス・オルコック一派のクーデターによるもので。メリオダス大臣がアーランドの実権を握るために起こしたものだそうね。クーデターは秘密裏に実行された。そのクーデターで国王は押し込めにされ、アーランド城内の秘密の部屋に監禁された。以来、国王は監禁されたまま。
 その証拠に、国王は共和制移行以来、国民の前に姿を見せていない。
 国王を監禁にとどめたのは、大臣もさすがに、国王殺しには躊躇があったから。
 宮廷内は大臣一派によって掌握され、このクーデターに気づいた者たちもアーランド城内の秘密の一角に監禁された。
 王制から共和制への体制改変が行われ、王から大臣へ実権が移ったわ。
 メリオダス・オルコック本人も大臣を退いたように見えたけれど、実際は、息子トリスタンと自分の腹心たちを後釜にすえ、自分は黒幕として後ろから糸を引いている」
「あたしの個人的な見解を言わせてもらうと。あのじじいなら、それくらいのことやりかねないわ。大臣を辞めてから、ますます人相が悪くなってるし」
「よく知ってるみたいね」
「ええ。元大臣ともその息子とも知り合いよ」
「つまり、このクーデター話はありえない、ってこと?」
「さあ、あたしが知らないだけかもしれないし」
「そ。よくわかったわ。で、話のつづき。
 侍従長は元大臣一派のクーデターに気づいていた。でも、クーデター当初は大臣の動きが迅速だったため、知らないふりをし、身を潜めていた。国王救出の機会を窺っていたけれど、ついに機会はおとずれなかった。
 政権が固まってからは、ただ真相を騒ぎ立てても元大臣一派に握りつぶされるだけ。
 侍従長は、国王を救出するため、国王が監禁された部屋を探し続けた。そして、ついに監禁場所を特定したの。監禁場所は王宮の一階にあったわ。そこで、密かに国王を救出する計画を立てた。城外から監禁場所の真下まで地下通路を掘るの。
 それで穴を掘りはじめたんだけど……。
 もう少しというところで、資金が足りなくなった。
 侍従長は、それまでにも、国王救出のため、いろいろなところに働きかけて、家産を傾けて調査してきた。そのためだそうよ。
 あとはこの地下道がつながれば、国王は救出できる。国王さえ救出できれば、元大臣一派を突き崩せる。
 突入部隊も、冒険者ギルド取締役のクーデリア・フォン・フォイエルバッハが冒険者を集めている」
「そこで、あたしに話がつながるのね」
「そう。それで、なんとしても、元大臣一派に気づかれる前に、抜け穴を完成し、国王を救出したい。資金獲得は急ぐ。六〇万コールを援助していただきたい、って。」

「A氏もさすがに信じなかったわ。
『どうしても信じていただけませんか? では、今掘っている抜け穴を見れば、信じていただけますか?』
『さすがに実物の抜け穴を見れば、私も信じましょう』
『ではお見せします。ただし、見せるのは内部だけです。抜け穴の場所は秘密にさせていただく。重大事なのです。これから馬車に乗って出かけますが、その馬車も、外の景色はわからないようにしてあります』
 A氏は、執事と紳士に馬車に乗せられて、抜け穴の場所に向かった。
 執事の言ったとおり、馬車の壁四方についていた窓は、窓ガラスに切子の装飾が入っていて外の景色がわからないようになっていた。
 さらに、アーランドの門を出ると、街の周りをぐるぐると何度も廻ったわ。これは、方向感覚を失わせるためでしょう。
 街を廻り終えてから、馬車に乗っていた時間は、およそ一時間だったそうよ」
「それは、三〇分行って、三〇分戻る、っていう方法もあるわね」
「それはないみたい。私もA氏の話を聞きながらすぐ気がついて、その可能性をA氏に指摘したわ。でも、
『それはない』
 って。なぜなら……。
 A氏の乗った馬車は、座席が前後差し向かいに『二』の字についているタイプのものだった。A氏は前の席に、馬車の進行方向とは逆向きに座ったの。
 馬車の後ろにも小窓がついていたわ。この小窓のガラスも切子の装飾入りだった。ところが、それでもぼんやりとは外の景色が見えたの。そしてその小窓には、一時間、ほぼずっと、アーランドの街が見えていたそうよ。ただぼんやりとした像しか見えなかったから、アーランドの街の東西南北どの面か、そこまではわからなかった」
「じゃ、一時間の間、街から遠ざかりつづけていたのは間違いないのね?」
「ええ、大方。
 抜け穴につく直前、少し道がでこぼこしているところがあった。馬車がひどく揺れたそうね。そして、道が普通に戻ってすぐあと、馬車がいったん停まった。紳士が、
『これから、馬車のまま抜け穴にはいるので、明かりの用意をしています』って」

「下りになり、急に暗くなった。ただ御者席の脇だけが、ぼうっと明るかった。ランプか何か、明かりが吊してあったんでしょうね。
『抜け穴に入りました』
 って紳士が。
 抜け穴の中を馬車で進んだ。カーブしたりはせず、ずっと真っ直ぐ進んだように思えたらしいわ。
 地下道を馬車で進んだのは一時間より少し短いくらい。ある地点まで来たとき、紳士が、
『ここで降ります』
 と言うので、A氏は馬車を降りた。抜け穴はずいぶん広かったそうね。
 左右の幅は、馬車がすれ違うことができるくらい。
 天井の高さは、馬車の屋根に大人が立てるくらい。
 天井、壁には、きれいに漆喰が塗られていた。地面は土がむき出しだったけれど、しっかり圧し固められていた。地面には真ん中に馬車用の軌条が掘ってあったそうよ。
 漆喰塗りの本道は目の前で埋められていた。
『こちらです』
 といわれて脇を見ると、埋め立てられた本道のすぐ横から、小さめの横穴が掘られていたわ。
 こちらは、鉱山の坑道のように土がむき出しで木組みの柱が等間隔に立っている。まだ最近掘ったばかりのようだった。
 御者がランプを下げて前を行く。紳士と執事とA氏がその後につづく。
 横穴はすぐに左へほぼ直角に曲がっていて、そこからは真っ直ぐ奥につづいていた。
 一五分ほどで一番奥についた。まだ掘っている最中だったみたい。土の付いた掘削の道具が置いたままになっていたわ。
『いかがです? まだ抜け穴は通じていません。もう少しなのです。資金援助をしていただけませんか? いや、この抜け穴を見た以上、ご決断をしていただきます』
 これだけのものを見せられて、A氏もその気になったわ。
『わかりました。六〇万コール用意させていただきます』
 帰りの馬車の中で、A氏はいくつか注意を受けたわ。
 一、くれぐれも今日のことは他言しないように。万一ことが漏れた場合、元大臣一派があなたを拉致して、拷問に掛け、情報を引き出そうとすることもあり得る。
 二、年明けにはもう一度連絡する。それまで、絶対に今日のことは他人にしゃべらないように。家族にも。
 三、それと、クーデリア・フォン・フォイエルバッハには、うかつに話しかけないように。そのために元大臣一派に気づかれては元も子もない。また、クーデリアには資金の提供者のことは知らせない。万が一の場合に備え、関係者に余波がおよばないように、情報を遮断する意図からだ。したがって、クーデリアはあなたのことを知らない」

「馬車が外に出ると夕方だったわ。A氏がもっていた懐中時計で時間を確認すると、午後五時ちょっと過ぎ。
 帰り道も、行きと同じ座席で乗ったわ。A氏は馬車の進行方向の逆向きに前の席へ。後ろの小窓から帰りの間ずっと西日が差し込んで、まぶしかったので、A氏は同乗者二人に断って帽子をかぶっていたそうね。
 そして戻りも同じく一時間。アーランド近くに来てから、アーランドの周りを何度か廻ってから、市門を中にくぐった。
 A氏が指定された口座に六〇万コールを振り込んだのは、翌日のこと」

「ところが、A氏はお金を振り込んだその日から、なにもかも手につかなくなったの。今までやっていた慈善活動もなにもかも。
『国王救出はまだか』
 って、そればかり考えるようになった。
 報せはないか、手紙はないか、訪ねてきた人はないか、使用人にしきりに聞いたり、いつも心ここにあらずの状態。
 毎日出かけていく。行く先は、紳士と初めてあった会員制の図書館。でも、紳士には会えなかった。
 執事の泊まっていた宿屋にも行ってみた。こちらは引き払った後。でも、あのあとすぐに宿を引き払うことは執事に言われていたので、当たり前だったけれども。なんとなく足が向いてしまったのね」
「ったく。タネを植えたらすぐに野菜がなるわけじゃないのよ」
「そんな落ち着きのなくなったA氏を見て、奥様ははじめ、浮気を疑ったの。なにか自分に隠していることがある、って」
「A氏って四七歳だっけ?」
「ええ。奥様は、出かけるA氏のあとを、使用人につけさせた。しかしA氏はいつもの図書館に行くだけ。一度、執事の泊まっていた宿屋に行った。これもべつに人に会うわけではない。らちがあかない。
 怪しいような怪しくないようなA氏の挙動に、とうとう奥様が堪忍袋の緒を切らせた。A氏を問いつめたの」
「で、奥さんに洗いざらいしゃべっちゃったの? 極秘の仕事を絶対任せられないいタイプの人間ね」

「奥様はA氏をたしなめたそうよ。
『だまされたに決まってるでしょう』
 って。でもA氏は納得せず、
『私は抜け穴をこの目で見た。国王陛下の救出は今まさに行われつつある。冒険者ギルドがこの件で秘密裏に動いている。ミミ・ウリエ・フォン・シュヴァルツラングを呼んで話を聞いてみれば、すべてはっきりする。彼女ほどの冒険者なら、この重大事件に関わりを持っているはずだ』って。
 それで、私がA氏の屋敷に呼ばれたの。
 当然、私も知らないわ。それで奥様が勝ち誇って、
『ほら見なさい。シュヴァルツラングさんがご存じ無いんだから、抜け穴もありはしないんですよ。どこかの洞穴にでも案内されたんでしょう』
『そんなものじゃなかった。漆喰塗りで真っ直ぐにつづくあの通路は、明らかに人工的に造ったもので、天然自然のものには見えなかった。長さも相当なものだった』」
「ま、確かに。この辺にそういう地形はないし。アーランド国有鉱山は、一時間で行くには遠すぎるわね」
「A氏が私に食い下がって、
『シュヴァルツラングさん、どうか、知らないふりはやめて、本当のことを言ってください』
 そんなことを言われても、知らないものはどうしようもないわ。A氏はまだ納得できずに私に、
『この件、冒険者ギルドの取締役に話をたしかめてください』って。
 でも、あなたも知らないんでしょ?」
「知らないわよ。それから、あたしは取締役じゃないっての。
 でも、話はわかったわ。
 A氏が六〇万コールを振り込んだ口座と、抜け穴について、裏を取っておきましょう。
 どっちも調べる当てがあるから紹介状を書くわ。まずは口座のほう確認して結果を知らせてくれる?
 A氏にもあとで報告すればいいでしょ。そのときはあたしも行くわ。
 ……あれ? トトリは?」
 いつの間にか、部屋の中にいない。
 すでに外は暗くなっている。部屋のランプに明かりがともっていた。トトリが気を利かせて入れたものらしい。
「ご飯の用意できました」
 次の間からトトリが出てきた。
「あら、ご飯つくってくれてたの?」とクーデリア。
「いま、錬金術でつくりました。食べていってください。ミミちゃんも。もう遅いし」
「そうね。お言葉に甘えるわ」
「トトリの錬金料理、イクセルに聞いて、一度食べてみたいと思ってたのよ。へえ、これがトトリの〈イクセルコース〉?」

 翌日、ミミとトトリは、クーデリアに紹介状をもらって、某銀行に向かった。A氏が六〇万コールを振り込んだ口座のある銀行である。
2010/09/09

(■■2 足跡を辿って――免許と抜け穴 へつづく)
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Yoshimura Umanosuke