一、ごあいさつ

 このたび、新たに平家琵琶のホームページを作りました。平家琵琶といっても、多くの人には馴染みがないものだと思いますが、この平家琵琶(平曲)という音楽は八百年近い歴史をもつ能や狂言よりもはるかに古い伝統文化です。私たちが今、目にする平家物語という古典作品の本来の姿は読み物というよりも、むしろ語り物であったといわれます。このホームページは、語り物である平家物語のすばらしさを知ってもらうと共に、一人でも多くの人に平家琵琶を聞いてもらうために作りました。平家琵琶はすばらしい伝統文化でありながら、伝承者も少なく、希少な物になっています。私は、自分が正当な平家琵琶の伝承者だとか、自分の習っている平家琵琶が絶対に正しい物であるということをいうつもりは毛頭ありません。ただ、古典・歴史離れが進んでいるといわれる日本の若い人たちを始めとする一人でも多くの人に、語り物である平家琵琶(平曲)の雰囲気、古典は読み、暗記するのではなく、耳から聞くことで、親しみやすさを憶えてもらえればとの思いがあるだけです。わかりにくい点や間違っている点もあると思いますが、このホームページを見て平家琵琶に少しでも興味をもっていたただければ幸いです。
また、平成十五年十一月より、平家琵琶ホームページの容量が大きくなったため、これを補うために平曲ホームページを開設いたしました。こちらも併せて御覧になっていただき、より平曲(平家琵琶)に興味を持っていただければと思います。

                      平成十四年一月一日


                             平曲(平家琵琶)弾き語り奏者   荒尾 努

金田一春彦先生による「須田誠舟琵琶の会 須田誠舟君の賛」より
 平曲は平家物語の本文を琵琶の伴奏で語る演奏で、皆さんは小泉八雲の怪談の中に「耳無芳一」という盲僧が平家の亡霊たちに見込まれ、墓地の前で演奏する壮絶な物語を御存じであろう。あそこで演奏されるのがこの平曲である。これは鎌倉時代に生仏という盲僧によって始められ、後世のすべての語り物の元祖であることに歴史的価値をもつ。室町時代に全盛期を迎え、江戸時代には三味線音楽に抑えられたが、幕府の保護で命脈を保った。しかし、明治以降は衰微激しく、昭和の初めごろには二百曲全部を語れるのは、仙台に館山甲午師があるのみになった。私は日本語のアクセントの歴史的研究として館山師にこの平曲をお習いした。館山師は平成元年に亡くなられたが、尋ねてみると館山師が父君の館山漸之進翁から教わった平曲を伝えているのは私一人だという。これは後世に残さなければと思い、「平曲考」「平家正節」(三省堂刊)という二つの大きな本を書いた他に、弟子を三人養成した。中でも薩摩琵琶日本一の名人である須田誠舟君の成長ぶりは群を抜いて、その演奏は見事であり、明治以降最高の平曲家であると信ずる。須田君には弟子がたくさんつき、これで平曲は滅びないだろうと思う。また、彼の誠実な人柄は多くの人に認めるところでもあり、こういう立派な弟子が持てたことはまことに幸せである。