| 今月の御寺(古寺古社巡礼) |
このページでは、毎月私が訪れた数百ヶ寺というお寺の中から素晴らしく私が感じた寺を、写真と供に一ヶ寺ずつ紹介していく予定です。日本の伝統文化であり、日本人の心を捉えて止まない神社仏閣、これを読んで頂いて、実際に足を運んでみたいなと思っていただければ幸いです。
| 宇治平等院 |
宇治平等院鳳凰堂は十円硬貨のデザインにもなっており、日本で最も有名な寺院の一つでしょう。これを創建したのは、平安時代ゆるぎない権勢を誇った藤原道長の子藤原頼通でした。父道長のほうが有名ですが、権勢を誇った歳月は頼通のほうが長く、栄耀栄華を極めました。しかし、そんな頼通も年を取ると体も弱り、死の恐怖を感じ始めます。当時、貴族は造寺造仏をすることで、極楽浄土に行くことを願いました。頼通もそうした思いから、宇治の山荘を改修し、現在の鳳凰堂を作りました。頼通はここに、極楽浄土の再現を試みました。完成した鳳凰堂は現在とは違い、金や朱漆をふんだんに使い、内部の装飾も煌びやかな、まさにこの世の極楽浄土でした。最近発掘調査も行われ、渚も改修され、平安時代の面影を伝えています。内部の阿弥陀如来坐像も、創建当時の物であり、如来の瞑想に沈む目は千年近い時を見て、何を思い、何を感じているのでしょうか。その美しい表情を見ていると、心のうちが見透かされているように感じ、優しさの中にもほんの少しの厳しさも覚えます。この宇治という地は、宇治川というあの世とこの世を分ける特別な川沿いに位置します。時代が下って、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた晩年、大坂から伏見に城を築き移ったのも宇治川沿いの神聖な地伏見、「不死身」にあやかろうとしたからとも言われます。同様に権勢を欲しいままにした頼通も晩年は、自分の業の深さなどを自覚し、この宇治の地を選んだのであろう。死と人が向かい合わなければならなくなった時、人の恐怖は推し量りがたいものでしょう。池に移る鳳凰堂を見ていると、その恐怖をまるで打ち消すかのように、頼通が必死で鳳凰堂を完成させた様子が目に浮かぶようです。平等院内には、源平の争乱の中、源頼政が自刃した扇の芝もあり、近くには宇治川先陣争いの地橘の小島や興聖寺、宇治神社、宇治上神社などもあり、何度いっても違う顔を見せてくれ、大変風光明媚なところである。 宇治平等院鳳凰堂、鳳凰が翼を広げたようなその美しさは世界のどこにもないものであり、日本の、世界の宝でもあります。源平の争乱をはじめ、多くの戦乱の中でも耐えてきた平等院、これを後世に伝えていくのは私たちの責任でしょう。