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御油宿と赤坂宿は短いので、朱印状は両宿で一宿と数えられていた。
この両宿は歓楽宿として、栄えた宿です。
当時は「御油や赤坂吉田がなけりゃ親に勘当うけやせぬ」などと江戸時代の様子を謡われていたようです。
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赤坂宿見附は東西に分かれていたが、東側の見附は関川神社の前に移築されていたようだ。
神社境内には町の天然記念物の樹齢800年という楠が残っている。 また、芭蕉句碑 「夏の月 御油より出でて赤坂や」が鳥居脇に立っていた。 |
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本陣跡は立派な門が整備されている。また街並みの図や赤坂宿の祭りなどわかりやすく説明板が掲示されていた。
連子格子の尾崎屋の軒行灯は昔の街道の面影を残していた。 |
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浄泉寺は石像百観音の霊場として知られている寺だが、本堂前の大蘇鉄は広重の「赤坂宿」の中庭に描かれているものを移植したといわれている。
旅籠大橋屋は1715年頃の建物で二階建ての連子格子の江戸時代の旅籠のまま残っている。
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家並みもまばらになり長閑な街道の遠方の山藤などを眺めながら歩いて行くと、道端に一里塚跡があった。 |
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街道沿いにある寺社には立派なしゃち鉾や鬼がわらが門前に置いてあるところが多かった。
静かな旧道から大型トラックが行き来する国道T号線にでた。 日本橋から314kmの表示が立っていた。 |