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強羅からの出発は8時過ぎだったが、電車・バスの連絡が良く9:30に箱根峠に向かって箱根町を出発。
国道を右に曲がるが、分かりづらく、近くの家から出てきたおじいさんに尋ね確認する。石畳を昇る。三島方面に向かう人はあまりいないらしく、途中誰にも会わなかった。ここを上りきって国道を左に歩いていくと新しい歩道が作られ旧東海道のゲートが見つかった。石を積み重ねただけの近代的な地蔵6体がある。ここを通り抜け、旧街道の石畳に入っていく。木立に囲まれ薄暗くいかにも旧街道らしい。 |
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兜石、明治天皇小休跡碑などを通り 明るく開けた場所にでる。遠くの山々が美しく、人家の庭を通り抜けさせてもらい国道にでる。 紅葉が一部分真っ赤に色づき コスモスが風に揺れてきれいに咲いていた。復元した西坂の石畳 ここは平らな石畳で歩きやすい。、杉木立を過ぎると雲助徳利の墓があった。雲助の親分の墓で石に徳利が彫ってあった。国道に出ると横断歩道今日のわきに竹屋食堂というソバ屋さんがあった。ここは東海道を歩く多くの人たちが利用しているお店らしい。とろろそばと雲助団子が美味しかった。
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道の反対側に山中城址公園。ここは秀吉の小田原攻めのさい半日で落とされた北条の出城だった。石を使わない土だけの山城は珍しいようです。広い斜面上の山城に芝が植えられて、本丸跡・西の丸跡などとてもきれいに整備されていた。公園を一巡りして駒形諏訪神社の境内にもどったがここもかなり広い。 |
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六地蔵を捜すが、分からずにあきらめて進むと地図とは大分離れた所にみつかった。国道と交差したところが富士見平。芭蕉の碑があリ、ここから富士山はよく見える。残念ながら電柱や電線もずい分立っている。上長坂・下長坂(こわめし坂 汗と背中の熱で米がおこわになったと言う伝え)の急な坂を過ぎて松雲寺で一休みする。 ここからの富士山はとてもよく見えた。 |
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しばらく道路の右側に富士山が良く見えた。初音が原の杉並木。石畳歩道で江戸から28番目の錦田一里塚。いよいよ三島も近いはず黙々と歩くが、街中に入り三嶋大社を目指すがなかなか着かない。やっと見えてきた。
今日はあと三島駅に向かう。川沿いの文学碑道路を通り三島駅に着いた。これで2日間の箱根越えが無事終わり、疲れも心地よいものに代わっていた。 |