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Tea Bar Hekiraku の「へきらく」、漢字で書けば「碧落」。ここでは、私が
この名前を付けた理由と、この言葉が登場する往時の文献を紐解いてみます。


"Tea Bar Hekiraku" = 「碧落」、この命名について深いふかい地の底を   奈落とよぶように   碧落とは雲の涯の   遠い天の奧処をさすことばだと   だれがはじめにいったことだろう・・・。』 作家 藤井重夫氏が1975年に書いた『終りなき鎮魂歌』という 小説の最初に出てくる文章です。 15年ほど前にはじめてこの文章を目にして以来 「碧落」という言葉が強く僕の中に残りました。 澄んだ青い空や、美しい夕焼け、 または雨上がりで雲や月などの輪郭がはっきりとした キリッとした空を見上げるたびに 僕は「碧落」を感じます。 実際には目にすることは出来ないけれど、きっとそこにある。 そんな儚いけど、勇気のもてる言葉、 それが僕にっとての「碧落」なのです。 お店の屋号にふさわしいかどうかは分かりません。 でも屋号はもう一つの自分の名前だと思っています。 そして僕には「碧落」以外の言葉は考えられませんでした。 このホームページに訪問して下さった皆様も 少し難解かもしれませんが、素晴らしい意味のある 「碧落」という言葉と 『 Tea Bar Hekiraku 』を覚えていただければ嬉しいです。
「長恨歌=ちょうごんか」by 白居易( =白楽天、唐時代中期 772-846 )より 寵臣安禄山の謀反により自らは蜀に逃れ、その途上で兵により最愛の楊貴妃を失った 唐第6代の皇帝玄宗、その怨恨の情を綴った七言百二十句八百四十字からなる大叙事 詩が「長恨歌」です。その終段、上皇となって長安に戻った玄宗の、今でも亡き貴妃 を慕って寝もやらぬ様に胸打たれた修験者が、部下達に命じて、楊貴妃の亡霊の居所 を探させたというくだりに「碧落」という言葉が登場しています。         ---------- 排空馭気奔如電  空を排(ひら)き気に馭して 奔(はし)ること電(いなずま)の如く 昇天入地求之遍  天に昇り地に入りて 之を求むること遍(あまね)し       上窮碧落下黄泉 上は碧落を窮め 下は黄泉                両處茫茫皆不見  両處 茫茫として 皆見えず 「大空をおしひらき、大気に乗じ、いなずまのように速く走り/天に昇ったり、地の  下に入ったり、くまなく探し求めた/上は大空のはて、下はよみの国まで、世界の  はてからはてまで探したが/両方ともただ涯もなく広がっているばかりで求めるも  のは見当たらない」                             ---------- しかし結局、修験者は海上はるか仙山にて貴妃を発見するのです。なのに彼女が出来 ることはただ泣くことばかり。「もう帰ることは出来ません。でもどうぞ、昔あの方 に頂いた小箱とかんざしの、その蓋と半片とをお持ち帰り下さい」と。それに重ねて、 あの時に誓った二人だけの言葉を言付けるところで、この叙事詩は終っています。   ---------- 在天願作比翼鳥  天に在りては願わくは比翼の鳥と作(な)り 在地願為連理枝  地に在りては願わくは連理の枝と為らんと ---------- この詩は安禄山の事件の約50年後に作られました。他の詩では玄宗帝や楊貴妃のこと を批判的に歌っている白楽天ですが、ここでは、悲しい結末に終った二人の濃やかな 愛情への感動をその美しい韻律の中に表しています。               この詩は作者の生前中から広く人々に愛唱され、日本にも伝わり、「和漢朗詠集」や 「源氏物語」など多くの作品に引用されています。 -----以上、前野直彬編『唐詩鑑賞辞典』(東京堂出版)を参照しました。----- 白楽天は大のお酒好きでしたが、お茶をもこよなく愛し、自ら栽培もしました。彼は 茶の効用や楽しみを沢山詩っています。 看風小溢三升酒  風景を眺めて少なくとも三升の酒を呑み 寒食深炉一椀茶  今日は寒食(冬至後105日目)、炉にあたり、一椀の茶で覚ます -----以上、中国政府公式HPの茶文化についての特設ページを参照しました。-----
「北国紀行」by 尭恵=ぎょうえ( 古今伝授の師、室町時代 1430-? )より ・・・筑波蒼穹の東にあたり、富士碧落の西に有て、絶頂はたへに消え、裾野に夕日 を帯。朧月空に懸り、扁雲行尽して四域に山なし。                  ♪ 浪の上の昔を問えば隅田川 霞や白き鳥の涙に ♪ -----以上、新日本古典文学大系 巻51(岩波書店)を参照しました。----- 「続万葉集」とも言われる「古今和歌集」の解釈を中心に、和歌の道を、師から弟子 へ秘説相承の形で伝授することを「古今伝授」といいました。現在岐阜県郡上市大和 町にその記念舘(東氏の館跡)があります。尭恵はその一人として、京から郡上に来 て滞在し、更に鎌倉の先の芦名の東氏への伝授に出向いたのですが、「北国紀行」は その途上で書かれたものです。当時は隅田川のほとりから筑波山も富士山も見えた訳 です。昔の空は、晴れればいつでも碧落だったのでしょうね。          
「柳樽=やなぎだる」( 最初の川柳撰集、江戸時代中後期 1800年頃 )より ♪ 吉原に居るに 碧落までさがし ♪ ---------- 「あの子を探して、江戸の町々を隅から隅まで探す同郷の男・・・。可哀相に、あの 子が今居る吉原遊郭だけは思い付かない。」(解釈A)              ---------- 「いい人がどこかへ出掛けて見当たらないって、あちこち大騒ぎして探してる。気の 毒にね、その人は吉原遊郭で浮気の最中なのにさ。」(解釈B)          ---------- ここの「碧落」は原意の「あおぞら」から発展して「世界の涯(はて)まで」すなわ ち、或るものを真剣に捜し求める行為の深遠さを表す言葉になっていて、前掲の「長 恨歌」から来ています。茶を飲みながら、このような川柳を詠い、それを味わえた往 時の人々、そんな素養とゆとりが羨ましいですね。                さて、この歌の解釈、あなたはAですかBですか、それとも?。         


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