少年倶楽部

バランス

サイドへの飛び出し

ヒザ裏支持とは、大転子から踵に棒状の感覚ができることが重要である。ゆらゆらと揺れる仕組みは、左の動画のような状態である。一定しないのである。一番重要な部分は顔はあまり動かない。

サイドへの飛び出しは、まさしく飛び出しである。ゆらゆらと不安定な状態から、膝を抜けばよい。進行方向に、身体を回転させ斜めに落ちる。落ちるスピードにあわせる。力は入れない。問題は、一歩目を棒状にした足にできるかどうか。これができないと走り出すことはできない。ヒザ裏支持の人は、バランスを崩しやすいのである。身体がゆるんでいないと立っていられない。もちろんふつうに立つこともできる。ただし、ちょっと気を抜くとふにゃーと揺れ出す。たとえば身体の後ろで指を絡め、腰の後ろにくんだ状態。自衛隊員などの休む姿勢。Aという字のように両足を肩幅に広げてたつ。これも意識しないと指がばらけて腕がぶらーんとほどけてしまう。

ゆるむ人、固まる人

バランスゲーム。商品名は知らない。ピサの斜塔のように、丸い円盤が積み重なったものである。五重塔のてっぺんみたいなもの。丸皿の中心に棒がついており、それを積み重ねる。小さな人形を順番にその皿の上にのせ、誰がバランスを崩すかというゲーム。乗せた場所が悪いと崩れる。ヒザ裏支持は、これに近い。自らバランスをとるのではなく、重量配分にあわせ、勝手に動く。力まないとはこのようなことを指す。常にこの状態にしている人は、動きが素早い。崩れ落ちるときわずかな力を加え、方向を決めてやる。崩すことは一瞬でできる。ゆるんで動ける人は、「さぁ、とびだすぞ。」という自ら気持ちをふるい立たせるわけではない。そんな時間の余裕は少なく、ボールが転がったというような目で得た情報に反応するだけである。小学生などの動きのよい子は、なにか犬がボールに反応しているような感じさえ受ける。

腕は、当然重りとして使われる。ぶらぶらで身体に巻き付くように動く。でんでん太鼓みたいなことも可能である。ホイス・グレーシーの映像を見たことはないであろうか。スワイショウと呼ばれる運動がある。身体を左右にひねる運動である。これも腿前緊張の固まる人に行わせるとラジオ体操のようになる。腕に力入り、1,2 1,2と拍子を取りながら動かす。懸命になればなるほど動作は堅く、遅くなる。間接部は、器械ではない。かなり柔軟であり、力を抜けば、けっこう稼働域は広く速く動く。

目的と概要で、末端から操作してはいけないと書いた。末端とは、手指などを指す。バットでもボール、ラケット、笛、弦楽器、管楽器、ピアノ、習字など何かを指で持ったり、操作するために指先から身体を操作してはいけない。身体から末端を操作するのである。これは、ピアノのように座って両指を動かす場合も同じことであると思う。たぶん、腕を力んで強い音をだすのではなく、身体全体で音を出すのではないかと思う。直立状態よりは、安定していて動く範囲は狭いが、同じことであろう。

ゆるむ必要がある理由は、波が伝わらないからである。池に石を投げ込むと波紋が広がる。冬の凍りかけた池では、波が立ちにくいという様なことである。イメージとしては、津波に近いのかもしれない。津波は、地震により発生したゆっくりとした大きなうねりが、浅瀬に近づくに従い、どんどん加速して家や人を押し流す。身体の背骨に近い部分のゆっくりとした大きな動きを加速していくようなことである。そのとき、間接部は、かくん、かくんと折れ曲がって加速するのではない。ゆるんで、波を伝え、時には、ねじれて伸びていくのである。腕をねじれば、岡島投手のように首が反対方向にねじれるのであろう。

この波を強く大きくするために大きな筋肉が必要となるのであろう。体格、骨格、骨格自体の強さ、筋肉の量。これを柔らかくしなやかに使える黒人が、優秀なのは当たり前である。素早い動作で強い打突力を持つ。このような状態になるのは、不可能に近い。しかし、子供は、体重が軽く、十分なエネルギーを持つ。このような動き方の癖を変えることにより、多少なりともましになるのではないかと考えた。

動作すべてにおいて一定のリズムを刻める必要がある。日本人が、縦のりのヨーロピ系の音楽はのりやすく、黒人のリズム&ブルースでは、のれないのは、固まって動くからである。音楽をめざすか運動をやるにしても、多くのリズムを刻めた方が有利である。そのためにゆるむことが必要となる。わかりやすい例は、ドラムラインという映画の主人公がダイナミックに動く。ドラムを打つのは腕ではないことが理解できるだろう。やはり、この主人公は黒人である。この主人公が、白人の大太鼓の人にコーチする場面がある。白人の動きと比べてみると良い。

目線

顔を動かしてはいけない。当たり前である。目線がぶれれば、動かないボールを動かし、直球を魔球に変える。人間は本来、目でとらえたものに対し、タイミングを合わせ、ピンポイントで当てることは可能なのであろう。顔すらも無表情にする必要があるのだと思う。感情を顔に表しては、目の筋肉にも影響をもたらす恐れがあるのではないか。動体視力が落ちる可能性である。集中することは、重要であろうが、決して歯を食いしばるような状態にしてはいけない。首筋にも力みが入りやすい。

岡島投手が、ボールを指から離す瞬間、ターゲットを決めているのだから後は関係ない。強く見つめて念じたところで、球の軌跡は変えることができない。ロシアの念力実験でも、軽いものを時間をかけて2,3cm動かせる程度であるから、飛んでいるボールは無理であろう。念動力というのか?どのように鍛えるのか解らない。

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