Kyureter氷河上空からみたPobeda


1996年1月4日〜7日(雪崩遭難)・10日(ヘリ救出)


僕は、冬季シベリアの最高峰ポベーダと呼ばれる山に挑んでいました。登れば世界初登頂で いままで10隊近く挑んでいましたが8人もの犠牲者がでて未だ未登を誇っていました 。(今も未登です!!)
1996年の1月7日の午前10時すぎでした。アタックキャンプを出発した僕は、北西壁を登り、あとひとふんばりで稜線に出るところでした。僕ら第1次アタック隊のメンバー4人とロシア側のメンバー3人でロシア側の3人は、僕らより大分下の方にいました。日照時間は、北極圏のため冬季は、3〜4時間しかありません。しかも、この山のふもとのオイミヤコンと呼ばれる人が定住するところでもっとも低い温度(−73度)を記録した場所で−50度は当たり前の世界です。
(地球の寒極は、南極のボストーク基地で−89度)
突然ザイルをつないだパートナーが 猛スピードで落ちてきました。滑落かと思い必死にザイルをたぐりよせました。その数秒後、頭上から想像もつかないほどの雪が押し寄せ自分の足元が崩れ落ちました。雪崩でした!!
ACから望むポベーダ

とっさに学生時代に雪崩で消えた友の顔が浮かびました。そのとき思ったのがこんなところで死にたくないという気持ちでした。雪にもみくちゃにされあちこちにぶつかり45度〜60度ぐらいの斜面を高度差で300m近く落ちたでしょうか。気が付いた時、上半身は、出ていましたが右足はピクリともしません。大腿骨が折れ、骨が飛び出ていたのです。最初、痛みがあまりなかったのですが だんだんじわじわと死ぬほどの痛みに変わってきました。やはり、人間の脳はすごいですね。脳内モルヒネが出てブレーカーの役割をしたんでしょうか。
そこから救出のヘリが来るまで4日間待ち続けなければなりませんでした。しかも、ヘリがくる3時間前に1人亡くなりました。ヘリに乗って遺体の横で号泣したのを思い出します・・・
学生時代のあのときもそうでした・・・
もうあんなつらい思いは、したくないですね。
シベリアの病院を転々とし、 ハバロフスクから新潟に行き そこから東京に戻ったのが1月15日でした。この間、足の骨は、出っ放し・・・
そのため骨が腐り、骨髄炎を起こし 最悪、切断とまでいわれ、 どこまで治るかわからないまま本当にユウウツな日々でした。当時は、大学院生で論文も書き上げていたのですが論文審査があって1ケ月遅らせてもらってなんとかクリアーしました。
今も右足は、90度以上曲げられません。高い代償でしたが、いろいろな人のおかげで今の自分があるんだなと実感します。


「山と渓谷」1996年3月号
「岳人」1996年3月号
「冬季シベリア登山隊1995〜96報告書」


日高のような山並みが続く
(移動中のヘリコプターから)

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