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32 ひでおランド/Hideo Collection

はじめに

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 このカテゴリーでは、読み切り短篇や、非常に短いシリーズを紹介させて戴こうと思う。当ブログではまだ取り上げていない書籍としては、『PLAY COMIC SERIES ひでおランド』全2巻(秋田書店)と、『ACTION COMICS Hideo Collection』全7巻(双葉社)が当てはまるだろうか。これらの具体的な書名は以下の通り。

●あめいじんぐマリー(ひでおランド 1)
●贋作ひでお八犬伝(ひでおランド 2)
ひでお童話集(Hideo Collection 1)(既述)
十月の空(Hideo Collection 2)(既述)
●すみれ光年(Hideo Collection 3)
●天界の宴(Hideo Collection 4)
●大冒険児(Hideo Collection 5)
●陽はまた昇る(Hideo Collection 6)
ときめきアリス(Hideo Collection 7)(既述)

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 吾妻ひでおは(実質的な)デビュー作『リングサイドクレージー』以来ずっと短篇を描いているし、少年マンガ雑誌に発表されたそれら諸作品は1970年代の単行本(『シッコモーロー博士』など)で既に収録されている。しかし吾妻マンガの短篇は1980年代に入り、新たな特徴を持つようになってきたと思う。
 「架空の生物」あるいはそれに準ずるようなキャラクターたちが数多く、表舞台に出てくるのだ。

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 最初、単行本『海から来た機械』のカバーを見、「ひょっとしてこれは渥美マリが主演しヒットした1970年代の映画タイトル(『いそぎんちゃく』、『でんきくらげ』、『しびれくらげ』など)が元ネタのパロディなんだろうかと考えた。でもその収録作品はべつに、女で破滅してゆく男たちの物語とかではないし、性をテーマにしてさえいないように思える。また、性を扱った『純文学シリーズ』(『陽射し』など)では、皆無とまでは言えぬにしても、「正体不明な生物」たちはまだ、それほど頻繁には姿を現していないようだ。よって、これはどうも誤解だったらしい。

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 で、話を元に戻すけれど……。
 そういった「ぐねぐね、ぬとぬと」の、何だか分からないが実在しないであろう生物らしきもの達と共に、もうひとつ、この時期に目立ち始めるものが登場している。
 機械だか生物だか分からないキャラクターたちだ。

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 精密な機械が自分の意思を持つようになる、という進化(?)のアイディアはたぶん珍しくも新しくもないであろうと思われるし、この古典的だろう特性を持つキャラクターは『ラ・バンバ』(1971年)で吾妻マンガにもう登場している。僕がここで言うのは、そうした「進化型」キャラクターの事ではないのだ。

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 最も顕著な例かと思えるのは『海から来た機械』でヒロインに拾われるそれなのだけれど、機械(無機体)と生命(有機体)の境界のあいまいなところへ分類されそうなこのキャラクターを見て、僕は、その奇妙な構造や形態といった外見から観察できる要素よりも、それが内側に持っている「意味」みたいな点が気になった。

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 ふつう機械は、特定の用途というのがまず先にあって、その実現の為に設計され完成するので「何の為に存在しているのか?」という理由がきわめて明確だと思う。
 いっぽう生物は、ここがいささかはっきりしない。
 ミミズは土を耕して植物を助け、植物は光合成を行なって他の生物を助けている。彼らの存在理由というかその使命は、ある程度分かりやすい。

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 ところが、あれもできる、これもできるという多機能生物である人類くらいになると、「何の為に存在しているのか?」という理由がどうも分かりにくい。しかもその所業を見ると創造的というよりは破壊的であるような気もする。
 で、このへんから逆に考えると、「何の為に存在しているのか?」がよく分からないキャラクターというのは(外見がどうであれ、それが生物だろうと機械だろうと)、実は「人間」に非常に近いのでは、と思うのだけれど、どうだろう?
 有機体なのか無機体なのか、正体の分からない変なもの。それによって作者は(意識してか無意識にか知らないけれど)、「人間」を描こうとしているのでは……と僕は思った。『帰り道』だと怪物が元は人間だったという描写もあるものだから、なおさらそんな気にさせられる。

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 もう、いったいどう考えたら良いのか分からないような登場キャラクター(なかには生殖器をもっている自転車なんてのまでいる)ないし幻想は、面白さと恐ろしさ、楽しさと不安、美しさと醜さ、さまざまな混沌(こんとん)を、外見にも内部にも持っているように見える。
 こういったキャラクターや表現は、1970年代の吾妻マンガには見られなかったのではないかと思う。
 "奇妙な生物"キャラクターは21世紀となった現在の吾妻マンガにも、コマのすみにちょこっと登場している時がある。
 吾妻マンガの底に、なにが「ずしり」と感じる手ごたえがあるのは、人間の存在についての考察があるからなのではないか? 僕は、そんな気がしているのだけれど……。



悪い宇宙人をやっつけろ!!

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(リュウ Vol.21 1983年1月号)

 未来なのだろうどこかの部屋で、ブザーが鳴り続けている。
「…………はあ~~い」
 ベッドから起き上がった全裸の美少女がそちらへ行くと、TV電話らしいものの画面に中年男の姿が映った。
「あら おはようございます長官」
「おはよう ちえみちゃん ゲホゲホゲホ」
 なんともなまめかしいオープニング。しかし彼女が主人公というわけではなく……。

*『マッドくん』事件簿その1。タイトルに「空想科学探偵漫画」と併記されているけれど、まあその通りの内容で、じつに古めかしい。が、もちろん冗談であって、懐古趣味の味わいと言うよりは、時代錯誤をわざとやってギャグにしてあるようだ(既に書いたですが僕は無気力プロへ出入りを許されていた頃、「空想科学小説」という語を本気で用いて、吾妻先生に笑われてしまった経験があります……)。
 「自爆装置」、「科学局長官」、「異次元怪獣」、「凶暴怪光線」など、1980年代にはもう完全に古びてしまいもはや"未来"を感じさせる力を失っていた単語がおびただしく使われる。また、自家用車感覚の航空機や、瞬時に変身するように着用するパワード・スーツ、奇妙な叫び声をあげる雑魚の戦闘員たちなど、これまた斬新とは言いがたかったろうアイディアが次々と登場(そしてこれらが、あまりにも情けない方法で敗れたりしている)。「賞金稼ぎ」というアメリカ西部劇みたいな商売は映画『STAR WARS』のシリーズでも登場しているので、そのへんのパロディも入っているのだろうか。
 いやはや、実にしょーもない。しかし最大最強の極めつけはやはり、何の必然性があって物語に登場しているのか良く分からない美少女(そして、それでもやっぱり美女が出てくると喜んでしまう僕ら読者)なのかも知れない……???
 「ちえみ」という名前はこのころの吾妻マンガに時々出てくるようだが、やはり芸能人の「堀ちえみ」からとられたものか。



地球一の科学者は誰だ!?

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(リュウ Vol.23 1983年5月号)

 前回と同じような出だしで幕が開く。が、今回は賞金うんぬんというわけではないらしい。「ワンカップ星人」からの挑戦状が届き、地球の名誉の為に戦わねばならないようだ。しかし誰が地球代表となるかで全員がもめる。かくて、まずは地球人どうしでの戦い、一番速く対決場所にたどり着く為の宇宙レースが始まった。

*宇宙船の名称にちゃんとワケがあったり、変な伏線があったりと、ふざけているみたいに見えて裏には巧妙な設計があるようだ。
 第1話で「Dr.かばね」(姓? 屍!?)と呼ばれている坊主頭の科学者が今回は「Dr.マサジ」と呼ばれているみたいだが、ひょっとすると彼は「かばねマサジ」というのがフルネームなのだろうか。
 なお昔日には行水(ぎょうずい)という習慣が日本にあって、シャワーなど無かった時代にはよく行なわれていたらしいのだが、そういう「昔」を描いているのではと思えるコマがある。



大地震の謎

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(リュウ Vol.24 1983年7月号)

 二〇××年、とつじょ大地震がメガロポリス・トーキョーを、メガロポリス・ホッカイドーを、全世界を襲い、善男善女の心胆を寒からしめた! 被害は最小にとどまり、事件はおさまったかにみえたが……しばらくして人々は、世界がいつものように動いていないことに気がついた。太陽は天の一点から動かず、あまねく世界を照らし、いっかな夜はおとずれようとしないのだった!!

*6ページ目で全ての読者があぜんとさせられるのではないか!? まいった……。



宇宙のドレイ商人

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(リュウ Vol.25 1983年9月号)

 二人きりの夏休み旅行に出ているマッドくんと、ちえみちゃん。しかし突然、大型旅客宇宙船はその船内が無重力状態となる。なにか事件があったとみたマッドくんたちは原因を調べに行くが、亜空間飛行を終えたとたん、何者かに攻撃を受けたようで……。

*宇宙船は松本零士『銀河鉄道999』の、悪役キャラクターはSF映画『STAR WARS』のパロディか?



ひどく貧乏な怪物たち

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(リュウ Vol.26 1983年11月号)

 ちえみちゃんがシャワーを浴びて戻ってくると、室内に巨大な怪物がいた。びっくりして逃げる彼女だったが、どうやらマッドくんのつくりだした生物らしい。
「今 ちょっとたのまれて制作してるものなんだ」
という話だが、はてその目的は?

*これが最終回。「お菓子を食べればいいのに……」というちえみちゃんの台詞は、ご存知マリー・アントワネット(Marie Antoinette)が言ったとされる(もっとも、創作であるらしい?)それのパロディだろう。
 悪役が結末で倒されず事件が解決していなかったり(それでも物語にはオチがついていたり)、SF映画の定石を風刺するようなギャグがあったり、いろいろ実験が行なわれ、ユニークなシリーズになっていると思う。
 マンネリズムとは思いつつも逆にそれで安心し、むしろそうした勧善懲悪の英雄譚を好むところがある(ような気がする)僕らのこの日本社会では、常に新しいものを模索するという方針が評価されにくいかも知れない。吾妻マンガの主人公たちがいわゆる「悪」と戦う事にさほど関心が無いかに思えるのは、彼らにとって脅威となりまた敵になるのは"やられる為に出てくる悪役たち"ではなくて、世の中のそうした特性だからなのだろうか……?
(このあと単行本『ひでおランド1』では、『シャン・キャット』『ふらふら少年漂流記』を収録しているが、既述であるため割愛します。)



あめいじんぐマリー

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(描き下ろし 1985年4月)

 学校の教室だろう、メガネをかけた美少女が生徒机で居眠りしている。
「また徹夜で発明でもしてたのかな 摩理ちゃん?」
 教師らしき男からそう言われ、
「いけな~い」
と笑って舌を出す少女。教室にいる一同は笑うが、
「でも学校の机って眠りづらいわね 実用一点ばりで美しくないし不便だし……」
と彼女は言い出して……。

*(注:以下、結末に言及している部分があります)
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 「正義の美少女科学者」が「あめいじんぐマリー」を名乗って怪事件に立ち向かう。定番と言えそうな設定ではある。で、そういうヒロインが、これまた定番と言えそうな悪役と戦う。定番でないのは、敵の変な武器と、ヒロインの変な戦法だけだろう(?)。
 作者は大衆が、読者達がどんな要素を喜ぶかを、ちゃんと分かっているのだ。しかしそういった「正義の科学者」タイプの主人公の物語が既に先人たちにより描き尽くされているだろう事をもまた痛感し、それをどう逆手にとって活かすかに芸を発揮せんとしたように見える(劇中にちょこっと顔を出す『発明ソン太』は浅野りじによる1961(?)~1966(?)年の、『日の丸くん』は大友朗による1958(?)~196?年の少年SFマンガで、この時すでに20年以上前の作品だった)。
 とはいえ「定番」をなぞるとなると、やはり全く新しい何かが生まれる、という事は望みにくい。とどのつまり"何も変りはしない"かのようだ。それに疲れたのか、最後にヒロインの摩理は眠ってしまう、彼女が登場した最初の場面と全く同じように。
 (あるいは、「所詮全ては夢でしかない」といったあきらめの寓意(ぐうい)か、この物語が実は、ヒロインが居眠りしているほんの短い時間に見た「夢」でしかなかった、ともとれるような終りかたで幕になっている。)
 平凡な受け手である僕ら読者が、非凡な送り手である作者の邪魔をし、才能を存分に発揮することを阻害してしまうかのような理不尽。この社会に、創作の自由と可能性はどこまであり得るのか。笑わされつつ、ちょっと考えさせられもする短篇になっていると思う。
(単行本『ひでおランド1 あめいじんぐマリー』は、ここで終わっている。)



くっきーちゃんのワンダー・ウォッチング

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*このシリーズは以下の7編からなる。

1.あめあがり(月刊少年マガジン 1981年8月号)
2.ひかげのこびと(月刊少年マガジン 1981年9月号)
3.しょくじのじかん(マンガ奇想天外 No.9 1982年1月号)
4.でんちゅうさんのジョギング(同上)
5.タバコおばけ(月刊少年マガジン 1981年10月号)
6.わにさんのおともだち(月刊少年マガジン 1981年11月号)
7.なにかしら?(月刊少年マガジン 1981年12月号)

 これらのうち、1~4は1ページのイラストレーション的なマンガで、5~7は3ページの掌編。児童向け絵本みたいな雰囲気でまとめられた小品集となっており、『わにさんのおともだち』以外は全く台詞が無い。それでなおさら不思議な感じに仕上がっているのだが、とにかくとっても可愛らしい。
 なお単行本『海から来た機械』では、1と2へ製版時色指定で着色したバージョンが収録されている。
(単行本『ひでおランド2 贋作ひでお八犬伝』では、この作品の前に『贋作ひでお八犬伝』『不気味が走る』『エスパー三蔵』『島島ランド』が収録されているのだが、既述であるため割愛。)



吾妻ひでおの MAD SCOPE

*このシリーズは以下の7編からなる。

1.ジェニーはご機嫌ななめ(GUTS 1980年11月号)
2.枯葉(GUTS 1980年12月号)
3.酒場でDABADA(GUTS 1981年1月号)
4.サンタが街にやってきた!(GUTS 1981年2月号)
5.灰色の季節(GUTS 1981年3月号)
6.恋のぼんちシート(GUTS 1981年4月号)
7.ツッパリ・ハイスクール・ロックンロール(GUTS 1981年5月号)

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 これらのうち4だけが見開き2ページ、あとは全て1ページの読み切り掌編になっている。「何々スコープ」というのは1950年代に横長の画面が映画で流行し始め、日本でも各社がいろいろな名称を付していた事にならっているものと思われる(例えば東宝だと映画『大怪獣バラン』(1958年)の冒頭で TOHO PAN SCOPE というクレジットが表示されている)。このマンガの1も映画『キングコング』(1933年)のパロディで始まっているのだが、2でいきなり歌謡曲ネタ(?)になり、5では人生指南(のようでいて全然指南になってはおらず、おまけに怪獣映画ネタが混在している)へ脱線、7でやっぱり歌謡曲パロディにおさまった。掲載された『GUTS』が集英社の公式サイトによれば1969年に創刊されたロック音楽愛好家の為の雑誌だったらしいので、こうした音楽マンガ(?)への方針変更がなされたのだろうか?
 ともあれ、そんなわけでいささか説明が難しい……何でもあり、の実験結果とでも言うべきか???



銀河タクシー69

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(小説club増刊ベストコミック 1978年10月号)

 夜の歩道に立ち、1人の娘がタクシーを拾おうとする。やっと1台停まってくれたが、乗り込んでみたら運転手が、車内のバックミラーを利用しておかしな事をやっているのだった。
「あたし降りる~~」
と叫んで車外を見たら、なんとタクシーは地球を後にして宇宙空間を飛んでいた!

*トビラのタイトルが手描き(?)みたいなのだけれど、これはそういう事をレタリングのプロに任せて分業する方法が導入される以前、1950年代(?)の出版物で行なわれていたやり方を模しているかのようだ。しかしなぜそのようにしたのか理由は不明。一説によれば「夜に女が1人でタクシーへ乗ったら、その運転手が雲助(くもすけ、悪い奴のこと)で……」といった展開は、昔の安物エロ雑誌ではお定まりの筋書きの1つだったとかで、そうした懐古パロディの一環としてこのようにしたのかも知れない?
 そう言えばこの作品には、日本の出版物だと絶対に描けないはずのところがちゃんと描いてあるコマが1つあって、それを実に巧妙なアイディアにより、修正されるのをうまく(以下省略)。



KOTATU

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(JUNE 1985年3月号)

 娘が電気コタツを用意、それでのんびりTVを観よう……として入ってみたら、コタツの中には……。

『スクラップ学園』シリーズの主人公に似ている(?)けれど、こちらのヒロインは巻き毛なので別人らしい。アメリカ映画『ライトスタッフ』(The Right Stuff 1983年)のパロディと思しき部分がある。



もぉにんぐ

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(劇画悦楽号増刊 まんが笑学校 1983年7月5日号)

 バス停で、セーラー服の少女が腕時計を見ながら、バスの来るのを待っている。ところが彼女のところへいきなり現れたのは、人間のような脚が生えた、大きなチューブで……。

*台詞も、コマを割る枠線も全く無い短篇。何か夢を見ているような、不思議な雰囲気にまとまっている。
 決まりきった退屈な日常が、望んでもいないのにやって来る……といったイメージなのだろうか?

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 画像は、この作品が最初に掲載されたらしい「まんが笑学校」の表紙(資料提供:大西秀明氏(吾妻ひでおFC「シッポがない」事務局長))。これを見ると右下には「吾妻ひでお夫人」の御芳名があり、どうもこの雑誌において共演なさったようである。
(単行本『ひでおランド2 贋作ひでお八犬伝』ではこの後、『マイ・タウン』『赤い風』『夢の少女』が収録されているが、既述であるため割愛。巻末にはイラスト2葉が入っており、東映の変身ヒーロー番組(しかし空中には魔法少女アニメの小道具らしきものが混じっているようだ)と、石森章太郎『サイボーグ009』(1964年~)のパロディが描かれている。)
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すみれ光年前史

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(描き下ろし 1984年11月)

 細胞なのやら、生物なのやら……「何か」が分裂を繰り返し、増えている。やがてそれは、全く同じ顔をした、裸の娘たちへと形を整えてゆく。そしてそのうちの1人が言った。
「まだまだたりない! もっと大きく大きくならなきゃ」
 すると別の娘が、
「もう無理よ」
「限界だわ」
「刺激がないもんね」
と口々に言い出し……。

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*単行本『Hideo Collection 3 すみれ光年』の冒頭にあるのが、この作品。
 この後に収録されている『すみれ光年』の1年後に描き下ろされたらしく、内容としてはその補足説明のような印象がある。後から構想が膨らんでこれが執筆されたのか、それとも最初からあったのだが構成上カットされ『すみれ光年』では描かれなかった部分なのか、そのへんは定かでない。ともあれ、『すみれ光年』を理解するヒントと助けになっているようだ。
 なぜこういう題名なのか良く分からない。「光年」というのは本来、距離をあらわす天文学の単位であろうけれど、ここでは歳月をあらわす言葉のように用いられている(?)。また「すみれ」は普通、植物の名称(すみれ科)をさすだろうに、ここで植物が登場しているわけでもない。「すみれ」に著しい特徴があるとも思えず、虫媒花(ちゅうばいか、昆虫を利用して受粉し遺伝子を交換する花)であると同時に閉鎖花(へいさか、自家受粉をする花)をもつける植物は、「すみれ」だけではないだろうと思われる。
 また、ここで登場する娘たちは『すみれ光年』に登場するヒロインと良く似ているが、『すみれ光年』に先行する物語のようなので、別にヒロインの「複製」というわけではなさそうだ。
 はて……?



すみれ光年

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(漫画アクション増刊 スーパーフィクション 12 1982年11月9日号)

 学校の昼休みだろうか、校庭で生徒たちがボール遊びをしている。いっぽう、その複製のような世界が存在するらしく、そこには誰もいない。突然何の前ぶれも無く、1人の女生徒が消えてゆき、複製のような別の世界へと移動する。
 驚き、戸惑う女生徒。
 するとそこへ誰も乗っていないのに1台の自転車が走り寄って来た。その自転車はまるで生物みたいに息を荒げ、女生徒の上へのしかかって……。

*(注:以下、結末に言及している部分があります。)
 ありとあらゆる無機体(生物ではないもの)がこの世界では生きて(?)おり、しかも皆一様に男性性器を持っているという怪奇な幻想。口がきける「ボール」が登場し、ヒロイン(そして読者)に事情を説明する。それによれば、
「人間に奉仕するため生存している」
「もともとはみな単一の形をした生物だったのですが 人間の役に立ちたい一心で形を変えていったのです」
という事らしい。
 オス型の生殖器(?)を持っていながら出産(分裂による自己増殖)をするというのは、僕らの知っている「生物」の形態からは外れているようで、なんとも奇妙だ(また、『すみれ光年前史』に登場するものは女性型が基本であるかのような描写になっているので尚ややこしい)。
 とはいえ、そうした機能や構造はさておき、彼らの"内側"には、不思議と納得させられるような要素もある。考えてみれば、僕らのいるこの現実の世界にしても、
「何の為に生物が存在しているのか?」
という理由は、はっきりしない。生物は互いの為に「奉仕」している部分があるかも知れないが、しかしなんだってそんな事をしているのだろう?
 なぜ細胞は分裂を繰り返し、自己を複製してゆくのか?
 なぜ生物は自己と同じ種を保存しようとするのか?
 いったい生殖の意義と価値は何なのか?
 ……全ての人を等しく納得させられる答えは、誰も知らないのではないかと思える。そして答えの出る見込みが無いとしてもやはり人間と言う生物だけはそれをふと考えてしまう。
 なぜ、という理由のはっきりしない「存在」と、目的のはっきりしない「生殖」。答えは不明のまま、いつまでも、いつまでも、いつまでも無限にそれは続いてゆくのだろうか。
 この物語でヒロインが経験する、果てしなく続く、いつ終わるとも知れないセックス(のような営み)の悪夢は、僕らのいるこの世界と共通するものを持っているという意味では"現実的"で、現実を複製し模したような状況なのかも知れない……。



スペース・フィッシュ・フラッシュ

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(レモン・ピープル 1982年2月号)

 宇宙ステーションらしき所に様々な宇宙船が集まっている。そこはどうやら酒場であるらしく、宇宙人やロボットやサイボーグたちが、飲んでは騒いでいるのだった。と、そこへ1人の美女が入ってきて、コーヒーを注文。客から、
「よー ねーちゃん いくらだい?」
ときかれて彼女は、
「おあいにくさま あたしはそういうんじゃないの 他を当って」
と答える。しかし相手はガラの悪い酔っ払いだったため……。

*「フラッシュ」というのがヒロインの名前。アメリカの有名なSFマンガ『フラッシュ・ゴードン』("Flash Gordon" 1934年~)あたりからきているのだろうか? 「スペース・フィッシュ」というのは良く分からないが、米俗語でフィッシュ( fish )というと「人・やつ」の他に「だまされやすい人・カモ」という意味があるそうなので、そうした意味合いか。髪型はTVアニメ版『ダーティペア』の「ケイ」にやや似ている感じもするのだが、これの放送は1985年7月からだったので、別に関係無いらしい。
 相手役として登場するアーさん(作者自画像)は、
「何でも屋のドドムラサキ・ドードーって呼んでくれ」
と名乗っているが、「どーどー」という平仮名表記であれば、『妄想のおと』『十月の空』『プチシベール』などで作者名として初出時に用いられていたようだ。
 この作品が発表された『レモン・ピープル』誌には作者も表紙イラストを描いたりしたらしいのだけれど、1998年11月号を最後に休刊したという。
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(単行本『Hideo Collection 3 すみれ光年』ではこの後、『偉大な種』『ホーキ売りの季節』『ぬいぐるみ』を収録しているが、既述であるため割愛。なお『ぬいぐるみ』のトビラは1色の原稿に描き改められたものが差し替え収録されている。)



変星(哀しき農夫)

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(ぱふ 1980年7月号)

 宇宙船だか飛行船だかが、畑の上空で停止。やがてパイロットらしい1人の男が船外へ出て愚痴る。
「くそっ すっかりエンジンが熱くなっちまった」
 彼はバケツを持って地表へ降り、水を探す。そして1人の少女(?)と出会い、
「ねーちゃん 水ないかい」
とたずねるのだったけれど。

*機械が「意思」を持つようになる、あるいは「機械と生物の中間的なもの」というアイディアはたぶん、さほど珍しくないのではと思う。とはいえ、ここで描かれているのは、そういうアイディアがどうのという事ではなく、「自我は持っているのに自由は持てない」非情な人間社会への風刺なのではないだろうか?
 ただし題名を見る限り、哀れなのは畑で量産される側ではない。そういう「変な星」の現状を維持管理している(そしてたぶんそれで満足している?)「農夫」の側なのだ。
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(単行本『Hideo Collection 3 すみれ光年』ではこのあと『狂乱星雲記』を収録しているが、既述であるため割愛。本は、そこで終わっている。)



天界の宴

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*単行本『Hideo Collection 4 天界の宴』には以下の作品およびシリーズが収録されているが、当ブログでは既述であるため内容紹介を割愛。

ぼくとう奇談
不条理日記
メチル・メタフィジーク
どーでもいんなーすぺーす
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大冒険児

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*以下の3篇から成る短いシリーズ。
〇PART 0(描き下ろし 1985年1月)
〇PART 1(漫画アクション増刊 スーパーフィクション 7 1981年7月6日号)
〇PART 2(同上)
 台詞が全く無いが、そのせいもあっていかにも異世界が舞台という感じが出ているようだ。毎回必ず半裸の美女が登場し、主人公は彼女たちを抱くのだけれど、おかしな世界での出来事なので必ず珍妙な経験もさせられる。それで『大冒険(児)』という題名なのは何だか皮肉めいているが、「冒険譚なんてしょせんは……」という考察であろうか? 幸福(美女)も不幸(怪物)も同時に存在するあたり、僕らの住んでいる現実と大差は無いかも???
 「オチは略しました」なんて、とんでもない手書きナレーションが入っていたりするのは、作者の実験精神のあらわれか。ちょっと驚かされる手法ではある。
 単行本『Hideo Collection 5 大冒険児』は、このシリーズを標題とし、始まっている。



大いなる除草

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(ぱふ 1980年11月号)

「学校行く気はしないし 毎日ゴロゴロしてるのにも あきたなあ」
 1人で下宿しているのか、少年が独り言をいう。
「必然性はないけど 漫画でも描いてみよう」
と思い立った彼は、
「おれ むかしから女の子描くのだけは得意なんだよね」
と絵を描き始める。すると突然……。

*筒井康隆『大いなる助走』(1979年?)のパロディであるらしい。



ゆうれい日和

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(漫画アクション増刊 スーパーフィクション 11 1982年9月4日号)

「今日も暑いなァ」
と外へ出た青年は、道端にうずくまって泣いている娘を見かける。
「どうしたの君 こんなところで」
と声をかけてみたら、
「あのう あたし………ユウレイなんです」
という返事で……???

*娘の名前が「ユウレイのキュー子」なのは藤子不二雄『オバケのQ太郎』にひっかけているらしい? 青年は「へかべ一郎」と名乗っているが、こちらに何か元ネタがあるのかどうか不明。「ハンマンライス」は「マ×ナ×××フ」のもじりか。
 少しぽっちゃり体型のキュー子がとっても可愛い。なお彼女にはちゃんと恥毛があって、この時期に作画面で写実が取り入れられ始めていたらしいことがうかがえる。



永遠のセーラー服

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(劇画悦楽号増刊 好色エンジェル 1980年5月5日号)

「第三次コンジローム戦争は 世界に壊滅的破壊をもたらした ここは南極である 今まさに 人類最後のセーラー服が 死にたえようとしている」

*絶滅に瀕した最後の「セーラー服の少女」と、それを追いつめる男たちの物語……??? 「コンジローム戦争」というのは「尖圭(せんけい)コンジローマ」という性行為感染症からか。
(単行本『Hideo Collection 5 大冒険児』ではこの後、『トラウマがゆく!』を収録しているが、既述であるため割愛。)



宇宙のセールスマン 破綻する崩壊

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(漫画アクション増刊 スーパーフィクション 10 1982年6月5日号)

 大型宇宙貨物船にたった1人で乗り組んでいる主人公・山田。離陸したあと船は自動操縦に切りかわり、山田は着陸までもう何もする事が無い。仕方なくひたすら飲んだくれていたら、船内に奇妙な男が1人いるのを発見する。しかし、コンピュータにそいつの重量は出ておらず、つまり「存在するはずがない」のだが……?

*「存在しない物」に何があるかを必死に考えたり、主人公の苦労する姿が笑える。アイディアが絶妙な一品。
(単行本『Hideo Collection 5 大冒険児』ではこの後、『どろろん忍者』『パラレル狂室』を収録しているが、既述であるため割愛。本は、ここで終わっている。)
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SF玉手箱

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(コミックヒーロー 1980 冬の号)

 霧深い夜、アイデアに苦しみながら、いつの間にか知らない通りを歩いていた作者は、路上に店開きし古本を売っている少年を見かける。
「ぼく あじましでお 8歳」
と名乗る彼の前には、ひどく懐かしい少年マンガ月刊誌ばかりが並べられており……。

*『鉄腕アトム』(1952年~)、『鉄人28号』(1956年~)に始まって、作者が少年時代から読んできた、あまたのSFマンガへの賛歌。1960年代になると子供をとりまく文化もめまぐるしく移り変わり、貸本から、付録つき月刊誌、週刊誌、テレビまんが(アニメーション)と、それまで存在しなかったようなメディア形態へ重点が移動してきたようだ。科学技術の進歩により文明が向上してゆく事に人々が強い期待を寄せていた時代でもあったらしく、SFマンガは児童に、未来への夢や希望を与える娯楽として広く普及していたように思われる。世相の推移によってSFマンガの役割も変化してゆき、作者は先人たちの作品群にそれを見出しているようだ。SFマンガにはぐくまれてきた作者が、歳月を経て自身がプロとなった時、SFは少年マンガの主流ではなくなって表舞台から姿を消しつつあったと思われ、これは作者にとって唖然とさせられる変化だったかも知れない(結末のギャグは、"少年時代から憧れてきたマンガの世界が、現在の自分をとりまく創作環境に繋がっていない"という戸惑いや感慨をにじませているかに思えるのだけれど、どうだろうか)。
 『マジカルランドの王女たち』ではこの作品にも脚注が付されており、引用されている各作品の題名や基本的データが分かる。
 オチの一歩手前で最後に言及されている「(忘れられない)ロック冒険記」(1952~1954)は手塚マンガなのだが、作者はこの作品のパロディを自作『幕の内デスマッチ!!』のトビラで描いており、また『AERA COMIC ニッポンのマンガ 手塚治虫文化賞10周年記念』では「絵、ストーリー共に衝撃と感動を受け、その後、SFファンとしての道を進んだ私の原点ともいえる作品です」と語っている(p.199)。

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 画像は、この作品が最初に掲載された「コミックヒーロー」の表紙。この時一緒に収録された吾妻マンガは「二日酔いダンディー」であったようだ(資料提供:大西秀明氏(吾妻ひでおFC「シッポがない」事務局長))。

(単行本『Hideo Collection 6 陽はまた昇る』では、この作品の前に『ローリング・アンビバレンツ・ホールド』『きのこの部屋』を、またこの作品の後に『こうして私はSFした』『こうして私は漫画家した』『こうして私はキャラクターした』『こうして私はメジャーしそこなった』を収録しているが、既述であるため割愛。)



都立家政の長い午後

038
(鏡 第5号 1979年5月)

 巨大な海蛇(?)の背に乗って「こーらくえん」に着いた主人公は、「綿引さん」ところへ原稿を届けに行く。そのあと、今度は大きなカエルの背に乗って、友人たちをたずねるのだが。

*題名はブライアン・W・オールディス(Brian W. Aldiss OBE)『地球の長い午後』(Hothouse (The Long Afternoon of Earth))をもじったものか。
 この作品は画集『マジカルランドの王女たち』にも収録されており、そちらでは欄外にいろいろ脚注が付記されているのだが、それによれば以下のような事が分かる。
●『鏡』はバンパイヤ・クラブの機関誌で、作者は普通の会員として参加、投稿している(詳細不明)。 
●作者は、西武新宿線の都立家政駅と鷺ノ宮駅とのほぼ中間にあったアパートに下宿していた経験がある。
●「綿引さん」は当時『まんが王』の新人編集者で、読者欄『にこにこクラブ』を担当、そのページのカットを、板井れんたろうのアシスタントだった作者へ依頼していた。このころ秋田書店は水道橋にあり、作者は丸の内線「後楽園駅」から徒歩で通った。
●板井れんたろうのアシスタントに採用されたのは作者の方が先で、きくちゆきみはその後だったらしい。
●当時「伊藤くん」は池上遼一のアシスタントをしており、『少年チャンピオン』増刊に作品を発表している。
●「和平くん」は麻雀劇画を描いており、作者の仲間内では比較的収入が安定していたという。
(ここで電話(?)に書いてある「チェックメイトキング2」とは、アメリカのTVドラマ『コンバット!』で、主人公が本部との連絡に使っていた暗号名から来ているようだ。)
●「松久くん」は「クイーン墓村」の筆名でデビューした。
●大和和紀は忠津陽子とともに「ぐらこん北海道支部」で作者の仲間だった。いずれもデビューが早く、作者はじめ男性メンバーたちはその後を追うかたちになったらしい。



せーしゅんさんか 武蔵野荘のころ

039
(『吾妻ひでおに花束を』1979年12月)

「昭和44年ぐらこん北海道支部の仲間たちは順調に漫画の世界へ足がかりをつかんでいた 会長の川端は井上ひでおきのアシスタント 和平は水島さんのアシ 菊地はすでにデビューしていてセミプロ 伊藤は東京に就職 同級生の松久は佐藤まさあきプロへ 遅れてはならじ とにかく東京へ出ることだ! ぼくは凸版印刷に就職した」

*「北海道 北風六人衆」について、その姓と似顔絵が分かる。『失踪日記』にも言及のある(p.137)このドキュメンタリー(?)作品は、現在発売中の『ぶらっとバニー 完全版2』で対談記事のページへ収録されており、読むことが可能。
 「大判チャイナ」というのは昔日にエビス食品が製造していた、即席ラーメンの商品名であるようだ。
 「ほいとー」というのは秋田方言などで「乞食」を意味する言葉かも知れないが、よく分からない。
 「ぐらこん北海道支部」については無気力プロ発行のコピー新聞に載った『吾妻ひでお伝!』でも語られていたのだけれど、もし僕の記憶が正しければ、
「会費はいったから 飲みに行くべー」
「スパゲティ食うべよ」
などという会話がなされて、
「ど どーゆー会なの ここは!?」
と作者が苦笑してしまった事もあったらしい(?)。この『吾妻ひでお伝!』では作者がさんざん苦労したあげく、
「マンガに生き マンガに死す か……」
とひとりごちつつ「新宿のコボタン」なる喫茶店へ入ってみたらそこで松久由宇と出くわし、
「吾妻 生きてたか!」
と言われて、
「おごってくれ なんかおごってくれ~ カツ丼! ヤキソバでもいい~」
と叫んだという描写があったようなのだけれども、さすがにこちらはギャグだろうと思われる(たぶん……)。

040
(単行本『Hideo Collection 6 陽はまた昇る』では、この作品の後に『吾妻ひでおのみたされた生活』『不条理日記 SF大会篇』を収録しているが、既述であるため割愛。なお、『恐いものいろいろ』という1ページマンガも入っているのだけれど、これは「あらすじ」を紹介するのは難しい……。)



ダーティしでおの大冒険

043
(奇想天外 1980年10月号)

 招待状が届き、SF大会(1980 TOKON Ⅶ)へ行く作者。道に迷いつつも会場へたどり着いたら、(架空の本であるはずの)"くるむへとろじゃんの『へろ』"が本当にオークションにかけられているのを目撃したり……。

*トビラはハヤカワ文庫の原作版『ダーティペアの大冒険』パロディらしい。「青雲賞」というのが出てくるが、『吾妻ひでお大全集』(p.282)によればこれは、一九八〇年関東大学SF連合会議によって始められたもので、第一回目の受賞作はクルムヘトロジャンの「へろ」、その挿絵を担当した吾妻ひでおがアート部門を受賞し、その副賞が青雲線香だったらしい……??? 「実は私がおまえの父だ」は、アメリカ映画『STAR WARS』(帝国の逆襲)で流行した(?)台詞。
(単行本『Hideo Collection 6 陽はまた昇る』では、この作品の後に『宇宙の英雄マッド・ファンタスチック SF大会の巻』(大阪での"対決"など、東宝映画『ゴジラの逆襲』(1955年)パロディでもあるらしい?)を収録しているが、既述であるため割愛。)



冷たい汗

045
(「SF大会本」(虎馬書房)1983年4月1日)

 電車に乗り、ビル街を歩き、会場へたどり着く主人公。おびただしい人の波にもまれ、部屋へ入るが、交わされる会話は全く意味を持っていないかのような感じがして……。

*SF大会(1982 TOKON Ⅷ)での経験を描いたらしいのだが、これまでシリーズ的に毎年発表されてきたものとはまるで印象の違う作品になっている。台詞らしい台詞は殆ど無く、何よりも驚いた事にはギャグが皆無で、主人公=作者(だろう)の孤独や疲労がずっしり伝わってくる。ここに登場する自画像は後にも先にもこの1回きりしか出演していないようで、非常に特異なキャラクターと言えそうだ。

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 画像は、この作品が最初に掲載された「SF大会本」の表紙(大西秀明氏(吾妻ひでおFC「シッポがない」事務局長)のご厚意による)。
047
(このあと単行本『Hideo Collection 6 陽はまた昇る』では『普通の日記』を収録しているが、既述のため割愛。蛇足ながら、この『普通の日記』に関してひとこと(注:以下は作品のあらすじに全く関係ありません)。画像にあるコマでは本棚の上に何かカーブした物体が載せられているのが見えますけれど、これはおそらく沖由佳雄さんの私物で、「空中軍艦」の模型ではないかと思われます。これについては『素子の大泉探訪』(『吾妻ひでお大全集』p.90~)で新井素子による目撃証言があるようで、以下のようなやり取りが記されています。

 軍艦の模型……違うな。羽のはえた軍艦ーーはある訳ないから、軍艦型飛行機……?
「あ、あれ? 空中軍艦です」
 だそうです。

 いつだったか沖さんの下宿へ遊びにいったら氏がそれを見せて下さった事があって、僕はそこで見たきりなのですけれど、たしか『少年倶楽部』という昔の雑誌の組立て付録を復刻再販したもので、通いの古本屋さんから「こんなのどう?」と言われ、買ってみたという事だったように記憶します。部品は全て紙であるため、かなり大きなものだったにもかかわらず軽量でした。これならもし落っこちてきても危険は無いと判断され、沖さんが無気力プロへ持って行き、本棚の上へ飾られたのではないかと。ご本人におたずねしなくては真相が分かりませんが……。)



陽はまた昇る

048
(東京おとなクラブ 1号 1982年7月7日)

 二日酔いで頭が重い作者は、あたかも1人で三重唱をしているかのような状態なのだった。そこへ電話がかかってきて……。

*実験的な手法が面白い。初出の『東京おとなクラブ』は「同人誌」であるらしいのだが、そうした場ならではの自由が活かされていると思う。「グズベリ」は植物の実で、「すぐり」とも呼ばれるらしい。「ユニゾン」は音楽用語で、「斉唱(せいしょう)」と訳されるようだ。



なさけない日々

049
(東京おとなクラブ 3号 1983年8月30日)

*「まず子供が二人もいるのがなさけない」で始まるこの短篇は、家庭で「お父さん」として頑張りつつ、世間では「漫画家さん」として活躍する作者の日々が描かれている。「保谷には喫茶店が一軒しかない」といった台詞があり、このころ仕事場が保谷(ほうや、東京都保谷市。東京都練馬区の西側に隣接する地区)に移っていた事が分かる。田無(たなし)は、そのさらに西側へ隣接している市の名称。「SF大会ではファンクラブのきれーどころに囲まれ」とあり、その女性メンバー4名の似顔絵が描かれている。「虫封じのおまじない」はいろいろやり方があるらしくネット上にもあれこれ書かれているのが見つかるが、作者はこのオカルト(?)をギャグにして『スクラップ学園』(とても健康ジャズダンス)『チョコレート・デリンジャー』(ハードボイルド+ネオ)に登場させているようだ。



猫日記

050
(OUT 1979年3月号)

*猫たちとの日々を記録した、セミ・ドキュメンタリー(?)。ここに登場しているのはシャム猫(メス)のリンリン、やはりシャム猫(オス)のハック、そして三匹目(どうも「クキ」であるらしい)。
(注:以下はあらすじと関係ありません)
 冒頭に"女房がつれ込むからわが家は猫がたえない"といった発言があるのだけれど、このへんいささか疑問かも? というのは(既述かも知れないけれど、もし僕の記憶が正しければ)かつて沖さんが無気力プロで待っていたら吾妻先生が子猫を抱いて現れ、
「捨てられてたから拾ってきた」
と言っておられた事があるらしいからなのです。
 吾妻夫人にインタビューでもしないと真相は分からなかったりして。
(単行本『Hideo Collection 6 陽はまた昇る』ではこの後『るなてっく外伝』(外伝②)を収録しているが、既述なので割愛。)



木彫の剣

051
(レモン・ピープル 1984年9月号)

*「このお話の主人公は53歳のおばさんです」で始まったものの、
「ま まずいか… まずいかなー」
と心配しつつ、作者は話をすすめてゆく。
(「わしもアニーに会いたい」と書かれた貼り紙が壁にあるのは、女優の森永奈緒美がこの年、TV番組『宇宙刑事シャイダー』にアニー役でレギュラー出演していたゆえか。ちなみに無気力プロから巣立った沖由佳雄は後日、インタビューのため森永奈緒美に会えたらしい。ただし、当日の、それも予定時刻の直前になって雑誌編集部から電話で知らされ大慌てで現場へ駆けつけねばならなかったり、えらい目にあった事をレポートマンガに記していたと記憶する。)
 「このま氏!」と作者が叫んでいるのは「孤ノ間和歩」の事らしい? 「体長わずか40cmの聖子ちゃん」というのは、このころ本当にこういう"大人のオモチャ"が売られていたのだとか(?)。「わたしくらい長くやってると なにを描いても内容は同じです」という手書きナレーション部分のカットは『ふたりと5人』のパロディらしい。作者が枕にしている「のた魚」は、当時「ゼネラルプロダクツ」(通称ゼネプロ)が発売していたクッションか。最後のページ、中段のコマにあるのはTVアニメ『とんがり帽子の***』、ゴジラ映画『怪獣大戦争』(1965年)のX星人(水野久美)らのパロディか。

「シリアスなネタ考えてたんですが…」という作者の台詞があって、題名と内容がまるでかけ離れていて関係ない印象を受ける(「木彫の剣」らしい物はトビラ以外全く登場していない)のは、執筆段階で急きょ変更がなされたゆえらしい? 『木彫の剣』という題名で当初、どのような物語が描かれる予定だったのやら、大変気になるところ。何か、「手作りの素朴な物、ただし攻撃と防御ではおそらく非力であろう運命にある物」といったイメージがわく言葉ではあるのだが……?
(単行本『Hideo Collection 6 陽はまた昇る』ではこの後に『妄想のおと』『夜の魚』『笑わない魚』を収録しているが、既述なので割愛。さらに『恐いものいろいろ(2)』1ページを収録し、本はそこで終わっている。
 また、これに続く単行本『Hideo Collection 7 ときめきアリス』は別カテゴリーで既述のため割愛。)