はじめに

このカテゴリーでは、
(1)特殊な作品(広告ほか)
(2)収録作品の紹介が既述の書籍
(3)画集
(4)ドキュメンタリー作品
などについて紹介しています。

このカテゴリーでは、
(1)特殊な作品(広告ほか)
(2)収録作品の紹介が既述の書籍
(3)画集
(4)ドキュメンタリー作品
などについて紹介しています。
(少年チャンピオン 1974年7月22日号)


掲載誌の現物を調べる事ができたのだが(画像はそのコピー)、この作品は見開き2ページの読み切り広告マンガで、『フシ穴にご用心の巻』が終わった次のページから始まっている。そのあとに1ページ、スポンサーであるナショナルの広告が入っていて、そこに読める文言は以下のとおり。
「水陸両用ラジオ<新発売>マリン1号
防水型FM-中波 9石 2バンドポータブルラジオ RF-622 標準価格 17,900円」
『フシ穴にご用心の巻』からナショナルの広告までの計12ページは初出時では2色カラーで印刷されている。
家電大手のナショナルが広告媒体マンガとして白羽の矢を立てたくらいだから、『ふたりと5人』の人気は相当なものだったらしい。
なお、この号では(『フシ穴にご用心の巻』のページで)ハシラを見ると「吾妻ひでお先生におたよりをだそう。ご住所は***」として当時の自宅住所が明記されており(p.33)、別のハシラで「『ふたりと5人』のにがお絵と感想文を送ってください。あて先=102 東京都千代田区***編集部『ふたりと5人』係です。」という告知がある(p.35)。





この絵はがきは5枚組みのものなのだが、発売元や発売時期などの詳細が全く分かっていない。書籍『マジカルランドの王女たち』(1982年12月)ではその巻末に白黒で紹介収録されているので、それよりも以前に存在していた事だけは間違いないだろう。また、ここで登場している阿素湖素子は『やけくそ黙示録』(1981年2月~5月)での中学生の姿をしているので、1981年2月よりは後に作られたのだろうと思える。
しかし、それ以上に発売(? それさえも定かではない)された時期を絞り込むのは難しそうだ。ポロンは『オリンポスのポロン』(1977年10月~1979年3月)と『おちゃめ神物語コロコロポロン』(1982年5月~1983年2月)とでは容姿がだいぶかわっているのだが、ここに描かれている肖像はどちらかと言えば前者のそれに近いような気がする。してみるとこれは1982年5月よりも前に描かれたのではないか……と考えることができそうだけれど、それがこの絵はがきの発売時期を判断する参考にし得るかどうか分からない。というのは、この5葉のイラストレーションが、絵はがき発売のため同時期に描き下ろされたものかどうかが不明だからである。もしかしたらそれぞれの肖像は描かれた時期がばらばらに異なるのかも知れない。(資料提供:大西秀明氏(吾妻ひでおFC「シッポがない」事務局長))


(奇想天外社 1982年3月25日初版)
教科書サイズ(A5)の堅表紙製本、収録作品は以下のとおり。
●『完全なるプティアンジェ』
●『完全なるプティアンジェ 怒濤編』
●『くっきーちゃんのワンダー・ウォッチング』
●『ラナちゃんいっぱい泣いちゃう』
●『ミセスの冒険』
●『銀河タクシー69』
●『変星(哀しき農夫)』
●『海から来た機械』
●『九月怪談』
●『愛玩儀式』
●『蛮人ヒロコの逆襲』
●『吾妻ひでおの MAD SCOPE』
●『猫日記』
●『ダーティしでおの大冒険』
●『普通の日記』
●『ローリング・アンビバレンツ・ホールド』

(サンリオ 1982年12月15日発行 サイズ 297×212cm 正味76ページ)
画集であるが、マンガや短いインタビュー、作者自身によるコメントなども収録。イラストは水彩画のほか、白黒原稿に製版時着色をほどこしたもの、白黒原稿、鉛筆画もあり。マンガには細かい脚注を付しているものもある。収録されているマンガ作品は以下の通り。
・番外編ななこSOS
・吾妻ひでおの青春日記 SF玉手箱
・都立家政の長い午後
・こうして私はSFした
・こうして私は漫画家した

カバー画は『不思議の国のアリス』のパロディのようだ(表に、ななこ、ミャアちゃん、シャンキャット、阿素湖素子、ドンちゃん、ドードー鳥(?)が描かれ、裏表紙にはナハハ、三蔵、不気味などが描かれている)。
この書籍にあるキャプションによれば、月刊OUT1978年8月号の表紙、魚の背に乗っている少女は「アンドロイド」であるらしい。

(太田出版 太田COMICS芸術漫画叢書 1992年9月28日初版)
『失踪日記』で冒頭(『イントロダクション』の次)、『夜の1』として収録されているマンガは、この書籍のために描き下ろされ発表されたもので、ここでは『夜を歩く』という題名(筒井康隆『夜を走る』をもじった?)になっている。
飯田耕一郎、いしかわじゅん、大塚英志の3名が巻末に解説を記しているが、いしかわじゅん『アミダクジの果てー吾妻ひでおに代わってのあと書き』は以下のような書き出しで始まっている。
「本来ならば、ここは、吾妻ひでお自身が、あと書きをかくべき場所だ。
しかし、吾妻はいない。
吾妻ひでおは最近、全然表舞台に出てこようとしないのだ。」
『失踪日記』のp.65『街の1』にあるとおり作者は1992年4月に2度目の失踪をしており、翌1993年に『ガス屋のガス公』が社内報に発表されているので、この書籍はそうした出来事のさなかに出版されたものという事になる。
(1993年3月8日発行)

年表を見て戴ければ分かるとおり、この書籍は『ガス屋のガス公』発表の翌月に出版された。当時、作者はまだガス屋さんをしていたものと思われ、あとがきマンガにもそれらしき描写がある。
収録作品は以下のとおり。
●不条理日記 立志篇
●不条理日記 しっぷーどとー篇
●不条理日記 回転篇
●不条理日記 帰還篇
●不条理日記 永遠篇
●不条理日記 転生篇
●不条理日記 SF大会篇
●普通の日記
●なさけない日々
●猫日記
●こうして私はSFした
●こうして私はまんが家した
●こうして私はキャラクターした
●こうして私はメジャーしそこなった
●SF玉手箱
●どーでもいんなーすぺーす いもむし以上
●ダーティしでおの大冒険
●宇宙の英雄マッド・ファンタスチック SF大会
●都立家政の長い午後
●ローリング・アンビバレンツ・ホールド
●木彫の剣
●吾妻ひでおのみたされた生活
●るなてっく 外伝2
●陽はまた昇る
(描き下ろし 1993年3月)

「最近私は がてんな仕事をしている。(なぜかは聞かないでほしい…。)」
という書き出しで始まる2ページのこのマンガでは、当時の作者の日常がうかがえる。
「でもオレって こんなんでいいのかなぁ」
という呟きがあるのだが、作者の予感した疑念はこの12年後の同じ3月、『失踪日記』発表による人生の大逆転となって答えが出るのだった。
(月刊OUT 1994年3月号付録)








このカレンダーは、「コスプレ奥さま」の連載開始とほぼ同時期に、別の雑誌で発表されたもののようだ。カレンダーは2月から始まって12月で終わっている。サイズはB5。
(資料提供:大西秀明氏(吾妻ひでおFC「シッポがない」事務局長))
(イースト・プレス 2005年3月8日第1刷)

収録内容は以下のとおり。
●夜を歩く
●街を歩く
●アル中病棟
(巻末対談:吾妻ひでお×とり・みき)
*画像は2006年2月28日第11刷のカバーとコシオビ。
「89年11月 わたしは某社の原稿をほっぽって逃げた」
というくだりで幕が開く。
しかしこの一歩は、予想もしなかった地獄へと道が続いており……。
「’92年4月 せっかく仕事に復帰していたのに またもや私は 原稿を落して逃げてしまった 頭から何やら 湧いてきたせいだ」
運命はなおも作者を試練の日々へ引きずり込む。全てをゼロに戻されてしまったような境遇で、「時間」いがいにもはや何の財産も持たなくなった作者は自身と世間を見つめなおす。そして……。
「97年暮れ 喫茶店でコーヒー飲んでいると」
作者は手が震えるのに気付く。それは過度の飲酒によって肉体が、あまつさえ精神さえもが崩壊しようとしている前兆だった……。
この驚くべき内容のドキュメンタリーは、出版されるやすぐさま広く人口に膾炙(かいしゃ)するようになり、昔日に吾妻マンガのファンだった人々のみならず、これまで全く吾妻マンガを読んだことが無かった人々をさえ読者とせしめ、日本中を驚かせた。
のちに翻訳がなされ、ドイツ語版、フランス語版、スペイン語版が出版されている。
(角川書店 2006年7月10日初版)

2004年7月7日から2005年2月16日までの日記をイラストおよびマンガ混在の形式でつづっている。途中に収録されているインタビューによれば、山田風太郎(1922~2001)や古川ロッパ(1903~1961)のそれのような、"人に見せないことを前提とした日記"が、執筆開始前には作者の脳裏にあったらしい(p.54)。
”これでようやく「夜を歩く」「街を歩く」「アル中病棟」の3部作が上がった(全204P) ただ ちょっとした問題が残っている 出版してくれる会社が無い”
という状況(2004年7月27日(p.26))で不安と苦悩の日々だった頃から、この日記は始まる。やがて、
”「失踪日記」ってタイトルで来年3月頃出してくれる”
という事にまでこぎつける(2004年12月19日(p.153))のだが、
”俺の本ほんとに出るのか?”
とうなされる(2005年2月16日(p.192))のだった。そしてついに、
”’05・3月 失踪日記発売”
の日がきて……(あとがき)。
"漫画家という人生"が、どんなものか。
ここにはその「現実」が、克明に記録されている。
(平成20年8月25日 初版発行)

これは単行本『うつうつひでお日記』に加筆修正がなされ、角川文庫から発売されたもの。

冒頭にある『まえがき③』の1ページと、巻末にある『文庫版あとがき』4ページが描きおろしである他、『ひでおのロリアル探検隊』3篇を収録。一番最後には江口寿史によるあとがきマンガがある(氏は『うつうつひでお日記』を読んで、「愛人をアシスタントにしてんのか あのおっさんは!?」と誤解したという)。
(コミックチャージ 2007年7月17日号)

最初のページで「ロリアル(ロリでアル中)しでお 57歳」なるナレーションが入っている。編集者たちとの雑談がきっかけとなり、このルポ漫画の連載が始まって……。
(コミックチャージ 2007年9月4日号)

「ロリ道一筋30年」という作者自己紹介で始まる今回は、東京都の池袋へ進撃、そして……。
(コミックチャージ 2007年12月4日号)

「メイドさんの案内で行くアキバ体験ツアー」に申し込んでみた探検隊。東京都の秋葉原で目撃し、思わずねだって買ってもらった或るお土産は……。

表現手法の観点で自作を分析、反省するところから記述が始まり、『便利屋みみちゃん』、『失踪日記』についても言及あり。そこに語られる、創作者の日常とはいったい……?
なお広告には『うつうつひでお日記その後』が、本書の続編として2008年9月25日発売予定である旨の情報がある。
(角川書店 2008年9月25日初版発行)

「2008年9月25日初版発行」とおくづけにはあるが、これは最初の発売予定日で、実際にこの本が店頭に出たのは9月30日だったようだ。題名どおり内容は日記だけれど、画集にもなっている。マンガとしては「まえがき」1ページ、「あとがき」4ページが描き下ろしである他、あちこち加筆されているのがわかる。
「あとがき」にあるとおり、もともとは公式サイトに発表されていた日記が書籍として1冊にまとめられ刊行されたもので、収録されているのは2006年12月から2008年3月まで。前作の「うつうつひでお日記」(および「うつうつひでお日記DX」)に扱われているのが2004年7月~2005年3月なので、その後に続く2005年4月~2006年11月は抜けている。
これは残念。
なぜならこの空白の期間には、以下の如き重要な出来事があったからだ。
(1)公式サイトの開始(2005年3月4日)
(2)第34回日本漫画家協会大賞受賞(2005年5月11日)
(3)第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞(2005年12月16日)
(4)第10回手塚治虫文化賞大賞受賞(2006年5月10日)
(5)2006年星雲賞ノンフィクション部門受賞(2006年7月8日)
(上記のうち、例えば「第9回文化庁メディア芸術祭」で吾妻ひでおは挨拶に壇上で、「ホームレスは結構楽しいです」発言をしてしまい大爆笑され、この瞬間の映像はNHKのニュースに字幕つきで全国(あるいは世界中へ)放送されたりしており、その時の事を回想した絵日記が公式サイトでは公開されていた。)
過去の記事は月ごとの更新により読めなくなってしまうため、現在のところ「幻」となっている。
同様に、開始直後の公式サイトの内容や、一番最初の看板画像がどんなものだったか、なども今は見ることができないので、ファンとしてはこうしたデータも、次の機会にはぜひ書籍にまとめて欲しいと思う。

さて。
最初に述べたとおりこの書籍は画集にもなっているのだが、その画題は実にさまざまだ。現実の生活の中から描写しているもの(p.32 飛行機で帯広へ行く、など)。現実からヒントを得て発展させた幻想(p.12 ハトの競売、など)。TV番組の映像から記憶を描いたもの(p.84 ツンツン少女、など)。そうかと思えばおなじみのキャラクターたちが登場してくれていたりもする(p.21 みみ、p.62 ななこ、p.107 ミャアちゃん(?)、p.108 チョコレート・デリンジャー(?)、など)。しかし最も多く描かれているのはやはり、多様な美少女たちのイメージだろう。
何もかもが恐ろしいかのようなこの世界にあってただ一つ、「美」だけが安らぎを与えてくれる、といった信念とそこから始まる探究は、吾妻ひでおの場合、「少女」という画題へ結晶していっているようだ。

それにしても「少女」は、複雑で扱いにくい対象に思える。その女性美はまだ未完成のそれであり(ということは、これから未来への可能性を持った美、ともたぶん言えるのだろう)、いっぽう、描き留めておかなければ時と共にやがて失われていってしまうあどけなさ(これは消滅してゆく美、という点で前者と正反対だろう)も、おそらくそこにはある。この、二律背反だか矛盾だかを内包しているような美を、吾妻ひでおは描こうとしているように感ぜられる。
「ああー 女の子が可愛く描けない」
とかと叫んでいる(p.136)のはひょっとすると、見る者に今後の期待を抱かせるような美であると同時に、いつか消えてしまう宿命にもある美のはかなさを、一体どう表現すれば良いのか? といった悩みなのかも知れない。

こうした点に、作者の本質が見えるような気が、僕はする。吾妻ひでおは「ギャグ」にこだわってずっと創作してきているけれど、この「ギャグ」も、発せられてしばらくすれば霧のように消えてしまうものなのではないか(1つのギャグで1年以上ずっと笑っていられる、といった事はたぶん無いはずだ)? やがては消え、失われてゆくもの(そしてそこに、生きてゆくうえで人を励ます力を持っているもの)にあえて取り組み、これを探究するという態度は、常に新しいものを求めて果てしなく実験を続ける、作者の前衛精神に重なるように思うのだけれど、どうであろうか。
日記本文におびただしく登場するさまざまな書名にしても、SFや推理小説に始まって時代小説(藤沢周平)、マンガに劇画、はてはドストエフスキー(!)まである。もうこうなってくると、およそものを読まない無精者の僕みたいな人間は開いた口がふさがらず「一体この人は、地上にある本を全部読んでやろうと企んででもいるのだろうか」と驚く。万事において、凡人なら諦めてしまうようなことを、不屈にもずっと続けているのだ。
芸術家とはこういうものなのだろうなと思う。
読了した時、溜息が出た……。













(角川書店 2009年3月5日初版発行)
奥付だと上記のようになっているが、書店へは3月2日(月)に出ていたようだ。
内容は、「作者の自叙伝をもとにした幻想譚」とでも言うべきか。かつて『COM』という雑誌が存在したのだけれど、それを、発売されていた当時に読んだ経験があるような読者にとっては、とりわけ興味深い本になっているのではないかと思う。「とりわけ」と言ったのは、これが特定の一時代(1968年頃)に、特定の領域(プロの漫画家を目指す)で生きた青春を描いている作品である事は確かだが、それでも内容には、ちゃんと”普遍性”があると思うからである。その”普遍性”とは、誰の人生と青春にも必ずつきまとうだろう様々な本質(が、あちこちに描き留められている事)だ。
いっぽう、もしも、「どうすればプロの漫画家になれるのか?」という、就職情報的なアドバイスを得ようとしてこの本を読むなら、あてが外れて失望するのではないかと思う。現在のマンガや出版の事情は、もはやここに記録されているそれとは、あまりにも時代が違い、おそらくさほど(直接的には)参考にならないだろうからだ。
また、起伏に富むドラマや、入り組んだ筋立てを期待して、「立身出世のサクセス・ストーリー」を求めて読んでも、たぶん失望させられるだろうと思う。これはそもそも実話を元にしているのだし、読者をフィクションの世界へ引き込んで登場人物に感情移入させ、喜怒哀楽を疑似体験させようという娯楽物語として執筆されてはいない(少なくともそれが主眼になってはいない)だろうからだ。
読者しだいではなかろうか? と僕は思う。
この本から、何を、どれほど得られるか、は。


(comic新現実 vol.4 2005年4月)
印刷工場で働く主人公、「あづま」。しかし仕事がどうにも合わず、辞めてしまう。彼は漫画を描きたがっており、友人たちと同様に、漫画家のアシスタントになりたい、と考える。そんな折、「いててどう太郎」先生がアシスタントを募集していると雑誌で見て……。
*作者たる吾妻ひでおは1968年4月、18歳の時に上京、最初は印刷工場に就職したらしく、このマンガはそうした史実をなぞって始まっているようだ。スクリーントーンを全く使わず(!)作画されているのに驚かされるが、これは、この物語の舞台となっている当時に一般的だったマンガの描き方を ”再現” しているのかも知れない(日本でスクリーントーンが画材として広く普及し始めるのは1970年代になってからではないかと思われる)?
登場するキャラクターの多くが、その性格を誇張したような動物の姿で表現され、「その他大勢」的な脇役達は、平凡な人間の姿をしているという、かわった演出がなされている(これはジョージ・オーウェル(George Orwell)の小説『動物農場』(Animal Farm )をもじった手法だろうか?)。
また、有機体(生物)ではないだろう物品が、生きているかのように描かれたり、魚が地上や空中をまるで海の中のように自由に動き回っていたりして、ますますこの物語が現実の事なのか空想なのか判然としなくさせている。こうした奇妙な手法に僕はヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch)の絵画を連想するのだけれど(ついでながら p.134 では看板に、「ボッシュ」と書かれているみたいだ……?)、それと関係があるかどうかはともかく、吾妻マンガでこうした情景が明確に出てくるのは『夜の魚』(1984年)あたりからだろうと思う。題材としてはやはり同様の、デビュー前の時期の自叙伝が根底にあるらしい『都立家政の長い午後』(1979年)という作品があるが、ここにはまだ、こういった表現は用いられていない。
夜眠っている間に何か不安な夢をみているような世界が描かれている前者に対し、後者の幻想は陽気で、かつもう少し現実的なようだ(作者の友人たちは皆、普通の似顔絵で描かれ、人間として登場している)。本シリーズ『地を這う魚』の表現手法は、これら2者の中間的なものと言えようか。
「赤羽」(p.2)という地名は東京都北区に実在し、かつては陸上自衛隊十条駐屯地などがあった場所。電車に「新次穴」とある(p.9)のは新宿のことで、「臀部駅」とあるのは西武新宿駅のことか(ここから出る西武新宿線には、高田馬場、都立家政、上井草などの駅がある)。
コボタンという喫茶店は、ここから南東へ直線距離で800m ほど行った地点に存在したらしい。「ぐらこん」「COM」については既述のとおり。
「奴々」と「ぐずり」は何なのやら……??? 「いったい何の役に立つのか分からない」(自分の作っている物と、その作る仕事に意味や価値を見出せない)という、若者ならではの苦悩が生み出した幻想なのだろうか。
「他界母駅」(p.15)は高田馬場をさしていると思われる(「吾妻ひでお大全集」p.290 、高沢よしおによる年譜で見ると、「この頃は高田馬場に下宿していた」のだとか)。
「不負谷」(どうも渋谷を指すらしい)でのチラシ配りのバイト(p.19)については『ひでおと素子の愛の交換日記』に回想が記されている。
できもしない事をつい「やれる」とウソついてしまうあたり、職探しで苦労した経験のある読者ならば苦笑し共感してしまいそうなエピソードではある。
なお、本シリーズ全体を貫く竜骨の、伏線とおぼしきくだりがこの回にあるようだ……。

*「あっ いててどう太郎先生 アシスタント募集してる」と雑誌の公募に気づく場面がある(p.15)。週刊少年サンデーの1968年5月5日号から同年10月27日号までをざっと調べてみたのだが、1968年6月16日号(25号、上の画像)で『おらあグズラだど』の途中に1コマ入っている広告(p.266)が、これだったのではないかと思われる(下の画像、オレンジの枠で囲った部分)。


(comic新現実 vol.5 2005年6月)
喫茶店のモーニングサービスで空腹を満たす、あづま。眠るには、電車の座席を利用するのだった。路上で拾った服を着、恩師のもとへ仕事をしに行く。少しずつプロのマンガの世界に触れる事は出来ているが、宿無し生活はもはや限界となる。あづまは友人の寮を訪ねるけれど……。
*ここへきて、仲間のうち5人までが顔をそろえる。人間も、動物も、ロボットのような何かも、それが全く当たり前の事であるかのように、まじり合って共存している、奇妙な世界が描かれる。
あれやこれやと作画資料を集め、当時(1960年代末)の日本社会の情景を再現することも、むろん可能だったろう。多くの読者はそれによって、「懐かしい」「興味深い」と感じ、この物語の中へ引き込まれたかも知れない。しかし、作者はそうしたリアリズムや懐古情緒よりも、
”マンガでなければ描けないような世界”
を構築することに心血を注いだようだ。物語とはまた別に、作画上の手法を通じても、作者は個性豊かな価値観をちゃんと主張していると思う。こうした、作者の独創性の有無が、「記録」と「作品」の違いではないかと僕は考えるのだが、どうだろう。
ここで「ドスト」とあるのは「トースト」の事か。サイコロ状の服は、益子かつみ『さいころコロ助』(昭和32年ころ「幼年ブック」に連載されていたらしい漫画)を連想させるが、はて? この時期に『さいころコロ助』から影響を受けていた、という意味かも知れないが正確な事は分からない(吾妻ひでおは『SF玉手箱』や『不気味が走る』で、この作品について言及している)。
「題刊耶麻」とあるのは代官山か(これは東急東横線に駅が実在する、東京都渋谷区の地名)。「山の手ホテル」の舞台になっているのはJR(この当時は国鉄と呼ばれた)山手線の事らしく、ここは閉じた円状の路線を同じ電車が一日中回っているため、一度乗ってしまえばいつまでたっても終点に着かず、乗っていられる。この特性を利用して仮眠を取るというわけ(『やどりぎくん』では主人公が、ここで雨宿りのため列車に乗り込むという場面がある)。「夜神」は代々木の事かも知れないが、よく分からない。
「フーテン」というのは、この当時雑誌『COM』に連載されていた永島慎二の作品名で、「シリーズ黄色い涙 青春残酷物語 -その4- FUTEN RENSAI GEKIGA」というのが正式タイトルらしい(「COM」1967年9月号掲載分のトビラより)。残念ながら僕はこれを通読した経験が無いのだけれど、永島慎二の分身のようなキャラクターである、ダンサンこと長暇貧治(ながひまひんじ)の目を通し、ほぼこの当時に歌舞伎町(東京都新宿区に実在する地名)にたむろしていた ”フーテン” たちの姿を描いていたようだ。「コートさん」はその登場人物の一人で、短めの髪に真黒なサングラス、そしてダスターコートに身を包んだ、ひときわ長身の男なのだが、よほど実在感のあるキャラクターだったのだろうか(もしかすると『ふたりと5人』のレギュラーである哲学的先輩の黒メガネは、ここに原型があるのかも知れない?)。
あづまと友人たちは、『フーテン』と同じ新宿という舞台で、さながら自身がその登場人物となってしまったかのような青春の日々を生きることになったようである。

(comic新現実 vol.6 2005年8月)
いててどう太郎のもとで働き、修業する、あづま。しかし、いろいろ話しかけてくれる恩師に対し、どうも上手に受け答えができず、会話は砂に水がしみ込むみたいに消えていって、続かない。時間に追われるプロの漫画家の仕事を手伝う日々を生きるのに一所懸命だったけれど、無口が災いして窮地に立つ。いっぽう、「COM」で結ばれた親友たち2人も、勤め先と住みかを替えようとしていた。誘われて決断し、同じ「武蔵野荘」へ行く、あづま。3畳押し入れなしの部屋に住み、親友たちと同じ屋根の下で暮らす生活が始まった……。
*青柳祐介の名前が出てくる(p.58)が、何年何月号の『COM』の事か良く分からない。氏は、1969年4月号の第二回『COM』新人賞で受賞している。
「吐立化成」は都立家政のことらしく、これは東京都中野区に西武新宿線の駅がある。
勤め先にうまく馴染めず模索すること。先人の仕事ぶりに驚くこと。志を同じくする親友たちとの議論。同世代の者たちの流行に対する戸惑い。そして、貧しくても、夢や希望や可能性だけは豊かに満ち溢れている毎日。こうしたことは、親元を離れ独り立ちした直後に、おそらく多くの者が同じように経験する、青春というものの特徴なのではないだろうか。
(以下、このマンガと直接の関係はありません)
無気力プロでは必ず夜食が出て、僕のような「アシスタントのアシスタント」でさえもが、あつかましくも食べさせてもらっていました。吾妻先生が仕事場で仮眠を取られるのを見たことがありますし、夜が明けてひと仕事終えると喫茶店「カトレア」へ行き休憩するのが習慣で、その少し前の時間には、無気力プロのTVがいつも朝の児童向け番組にチャンネルを合わせてあったのも覚えています(いててどう太郎先生が観ていたのは、どうも「ロンパールーム」であるらしい。この番組は「スーパー・サクラン」でちょっと登場)。
吾妻先生たちはデビュー前、手塚治虫に衝撃を受けた人たちが「トキワ荘」に結集したことを手本にしていたのかも知れませんが、やはり先達たちの築いた「型」のようなものは、さまざまな形で、次の世代へと引き継がれてゆくんでしょうか。

(新現実 VOL.4 2007年4月19日)
新たな生活を始めた、あづま、まっちゃん(松久)、わてんちゃん(伊藤)の3人。ヒットしている「あしたのジョー」を分析し、「COM」の入選作を評価する。しかし、自分の「持ち込み原稿」は、どうにも進んでいないのだった。教祖的な存在である「永島慎二先生に会いに行こう!」と3人そろって出かけたら、岡田史子と村岡栄一が先客として来ていた。帰宅したら何だかうちのめされてしまい、そのうえ予想外の苦難が、あづまの身にふりかかる……。
*「佐藤プロの松森さん」とある(p.76)のは、『COM』1967年11月号、『執念に哭け』で第6回の入選者となった松森正のことかと思われる。
「あれが天才 岡田史子か~~」(p.78)と、ここで名前の出てくる岡田史子は、雑誌『COM』1967年8月号の『新人まんが家競作集』で世に知られるようになり、1968年4月号で(同年1月号に発表した『ガラス玉』により)第一回COM新人賞を受賞したらしい。
たばこ屋の電話を使う場面があるが、これと関係があるのか、「ウェルカム宇宙人」では、「現地 高田馬場 4-*-*角のタバコヤ前からナマ中継」という台詞が読める(この所番地は実在し、地図で見ると高田馬場駅のすぐそばで、吾妻ひでおがかつてふと出まかせを言ったという(「ひでおと素子の愛の交換日記」)或る予備校もここに存在するようだ)。25円のインスタントラーメンというのは「武蔵野荘のころ」で言及のあるそれと同じか。
ここでついに、「北風六人衆」の全員が揃う。

(コミックチャージ 2007年10月2日)
冷房など無い3畳間で暑さに苦しみながら、物語のアイディアをねる、あづま。友人たちの部屋をたずねると、つげ義春『ねじ式』に感銘を受けた彼らはひどく興奮していた。友人と2人で、いててどう太郎のアシスタントとして働くが、あづまはその友人の絵のきれいなことにショックをおぼえる。あづま達一同は生活に慣れてきたものの、北海道のそれとはかけ離れた東京の夏の暑さと、カネが無い事とに苦しむ。追いつめられた彼らがふと思いついた苦肉の策は……。
*異性に関しあれこれ出来事があるのは、やはり若者ならではの経験だろう。
ここで、作者・吾妻ひでおは小さな仕事を出版社からもらい、ささやかながら自分の作品が印刷され日本中に公開されるのを初めて経験している。ここをプロデビューとして逆算するなら、吾妻ひでおは高校卒業から1年半ほどで世に出たということになり、異例のスピードに感ぜられる(もっとも、サークル「ぐらこん 北海道支部」の仲間だった女性陣は、それより先にプロデビューを果たし、大和和紀にいたってはその作品『モンシェリCoCo』が1972年にTVアニメ化されていたようなのだが)。
『ローズマリーの赤ちゃん』は映画の題名だが、その原作本が日本で発売された時にはちょっとした演出があって、(僕の記憶が正しければ)本の後半は袋とじ状態で売られていた。で、そこには、「もしここまで読んで、先を読みたくならなかったら、袋を破らないで本をお返しいただければ代金を全額お返しします」といった意味の文言が書かれていた。かような販売戦術も手伝ってか、この作品はだいぶ話題になったらしい。
p.110に名前の出てくる宮谷一彦は、『COM』1967年5月号で、『ねむりにつくとき』によって第二回月例新人入選を果たしている。
人類初の月面着陸(1969年7月20日)に全世界が沸いていた丁度その同じ頃、この人類の偉業(当時に疑う人は稀だったと思われる)に殆ど心が動かなかったとすれば、作者にとっては自分の眼前で今まさにプロの世界へ通じる扉の開き始めた事が、あまりにも重大であって月着陸をさえ凌駕していたということであろうか。

(コミックチャージ 2008年4月15日)
先生が原稿の下書き以前、ネームの段階で苦しんでいるのを目の当たりにする、あづま達。自分ならもっと早くできる、と自信を持っているのだが、作品を雑誌編集者に見てもらうとあっさり不採用で、その自己過信も崩されてしまう。仲間たちはそれぞれに目指す方向が異なり、一途な真摯さゆえの議論も起こる。それでも異性のこととなるとやはり若者、同じような喜怒哀楽を共有するのだった。しかしそこへ、今度は別の出版社から、予想もしなかった話が来て……。

*ここに出てくる『殺し屋マック』という作品は、『吾妻ひでお大全集』でそのトビラなど、一部分が縮小画像で公開されている(p.188)。
主人公が読んでいる『人間以上』は、この頃に早川書房から刊行されていた版のようで、いわゆる文庫本サイズではなく、外国のペーパーバックの版型を模したような独特の装丁になっており、初期のシリーズはその外見の特徴から「銀背」と呼ばれたらしい(?)。この当時の早川の出版物は推理小説と同様にSFでも、そのカバーに抽象画が1葉使われているだけで他に挿絵などは一切無くて、マニアでなければ手に取ることすら稀だったのではと感じさせる書籍だったような記憶がある(だもんで僕なんぞは、「銀背」を読んだ経験がありません……)。
みやわき心太郎の”ハートコレクションシリーズ”(p.130)は、『COM』1968年10月号の別冊付録である『ぐらこん』に、その第1話(?)が収録されているようだ(ハートコレクション No.1 「あざみ」)。
「漫画の基本はすべて4コマに有り」という考え方は、この頃に大物漫画家たちがほぼ必ず唱道していたらしい。つのだじろうは「COM」(1967年9月号 p.130)で以下のように書いている。
「最近のまんが家志望の連中は、どうして四コマまんがを描かないんだろう? いろいろな本で「まんが教室」があり、各講師の一流まんが家たちが、そろって四コマの勉強をすすめているのに…?」
手塚治虫もしかりで、その著書「マンガの描き方 似顔絵から長編まで」の中で、これを説いていたようだ。
しかし、手塚作品や「トキワ荘」出身のマンガ家たちの作品で育った世代の人たちはこの方法論に疑問を懐いていたのか、1980年頃、竹宮恵子は自身の著した入門書で、なぜそう考えるかを説明していたと記憶する。
ともあれ、誰もがマンガに対し、本当にひたむきだったのだろう……。
*「3段落ちのあるSF」についての詳細は分からないが、僕の記憶が正しければ、『つまんない』という題で、読みきり短篇が掲載された事があるようだ(COM 1969年1月号)。そのあらすじは、以下のようなものだったと思う。
<お人よしの泥棒2人組が、大金持ちの留守宅へ忍び込む。ところが、無人と見えたその家ではおさない少女が1人で留守番していた。独りぼっちでつまんない、と言う純真なその子を可哀相に思い、泥棒たちは計画を諦めて、さみしがっている少女と遊んでやるのだった。
しかし突然そこへ、パトカーがやってくる。少女が警察に通報していたらしい。しかも、泥棒たちには全く身に覚えが無いのに、いつのまにかポケットにはダイヤモンドがごっそり入っていたものだから、びっくり。泥棒たちは唖然として少女を見るが、彼女はいたずらっぽく笑っている。少女の両親も帰宅し、絶対絶命、無実を叫ぶも虚しく、泥棒2人組は連行されてしまう。
ところが警察の去った後、彼女は母親に
「あいつらのポケットへダイヤをいっぱい入れちゃったぞ!」
と言い、母親は、
「いいさあんな石コロ! 帰ればいくらでも転がってるんだから」
と笑うのだった……? いっぽう、逮捕された泥棒たちは、周囲に何も無い雪原のどまん中で、1本の杭へ手錠でつながれていた。どうもおかしい、ここは警察じゃないみたいだし? と、突然、空から何か降ってきた。それは変装に使われた小道具で、あの少女と一家のものらしいではないか!?
……そのころ、1機の円盤が空の彼方へ飛び去ってゆく。あの少女と一家はそれに乗っており、どうやら宇宙人である彼女たちは人間に変装し、遊んでいたらしい。そして少女であろう声がつぶやく、
「つまんないナ……留守番させられる子どもって」
彼女たちは親が不在である間、地球へ来て時間つぶししていたのだった……。>
*ちなみに、吾妻ひでおは週刊少年チャンピオンで1971年7月19日号(30号)から『エイト・ビート』を連載開始しているのだが、その同じ30号で、つのだじろうの『泣くな!十円』がやはり連載開始したようである。

(コミックチャージ 2009年1月6日)
読み切り短篇の原稿を描きあげ、はからずも親友と競い合わねばならなくなった、あづま。しかし友人の原稿を読ませてもらって敗北感にとらわれ、ショックのゆえか、あと何時間で原稿が完成するかを正確に予測することさえ出来なくなる。それでも、同じアパートに暮らす仲間たちとは、その親密さに変わりが無いのだった。みんながカネに困っており、食うや食わずで生きている有様。そんなある日、あづま達は初めて「まんが王」編集長のカベムラさんに紹介され……。
*ここに出てくる『すぷりんぐ』というのが、どんな作品だったのか不明。「ミロ」という喫茶店も繰り返し舞台になるのだけれど、実在したのかどうか分からない("ぐらこん北海道支部"の会誌が「ミロ」という名称だった事は、雑誌『COM』の記事から確認できているのだが……?)。風呂ぎらいのエピソードは、『ハンマー・シャーク』の一場面を連想させる(?)。
「カベムラさん」は壁村耐三がモデルか。氏はのちに「週刊少年チャンピオン」でも編集長を務め、その期間中、1972年7月3日号では部数39万部だったこの雑誌を、1979年1月22日・29日合併号では部数250万部にまで伸ばしたらしい(読売新聞 2009年4月30日 朝刊13面 市原尚士による記事から)。
「NHKですが受信料・・・」という1コマ漫画(p.164)は、同じ物が、のちに発表される『人類抹殺作戦』の中で登場しており、この頃に描き貯めていたアイディアが『人類……』で使われたということか。

(描き下ろし 2009年3月5日)
あいも変わらずカネが無いのか、他所の家の庭に柿がなっているのを見るや、力を合わせてこれをかっぱらう、あづま達。現状をなんとか打開したいと願い、自分たちで本を出し、それを出版社に持ち込むという計画が語られると、全員が乗り気になる。必死に、そして楽しみつつ自身の人生を開拓してゆく彼らとは関わり無く、世の中はせわしない混沌と賑わいを見せている。あづまとゆきみちゃんは出版社へ出入りするようになり、ついに2人には担当の編集者が付く事になって……。
*さらりと台詞だけで片付いているのだが、「付録で8ページ」と言われているのは(p.178)、吾妻ひでお本格デビュー作となる『リングサイド・クレイジー』(まんが王 1969年12月号付録)のことではないかと思われる。この作品は今日まで一度も市販単行本では公開されたことが無く、多くの読者にとって幻となっているのが真に残念ではある。
マンガに対して独自の理想と哲学を持つ編集者に悩まされるくだりは、出版社へ原稿を提出する立場になった経験をもつ読者からは苦笑をもって迎えられそうだ。ここに豚の姿で登場する「ヒキ」という担当編集者は、もしかするとW氏(このあと吾妻ひでおとは仕事の上で十年以上にも及ぶ長い関わり合いを持つことになった)なのかも知れないが、はっきりした事は分からない。W氏は大学時代、漫研にいて、吾妻ひでおと出会った時はまだ「編集1年生」であり、その最初の仕事が(『まんが王』の読者欄である)『にこにこクラブ』だったので、吾妻ひでおにそのカットを頼んだのが、どうやら馴れ初めであったらしい?(アニメージュ別冊 SFコミックス<リュウ>Vol.5 (1980年) p.174~
にある本人談から)
『失踪日記』にも出てくる(p.128)『真夜中のカーボーイ』についてやはり言及があるが、作者と酒のかかわりも、この『地を這う魚』で見ると、この映画との出会い以降に始まったらしい?
そしてこの『地を這う魚』は、ひとつの結論が述べられて、今回ひとまず幕となっている。
(以下、この作品と直接関係ありません)
コーラの空瓶拾いで電車賃を作る、というエピソードがありますけれど、無気力プロで沖由佳雄さんがこの手の苦労をしたという話は、僕の知る限り一度もありませんでした。唯一の例外は、無気力プロ発行のコピー新聞『ALICE』紙上でチーフアシスタントのみぞろぎさんが「ゼニくれ~! ほっきゃーどー行きたいの~!」と描いておられた事くらいでしょうか。しかし、これはむろん冗談でありましょうし、東京から北海道までの旅費と、都立家政から代官山までの電車賃(現在なら片道約440円)では、話のケタが違いますものね。

(描き下ろし 2009年3月5日)
*題名どおり、作品中の時代からいっきに40年ほどの時間を飛び越して、現在みんながどうしているかを描いている。
努力にもかかわらず、なるようにしかならない世の中。残酷な浮き沈み。何が成功と勝利で、何がそうでないのか分からない様々な人生。
トビラはとりわけ興味深く思った。ひときわ劇的場面といえそうな5つの状況が1コマずつさらりと描かれ、いっきょに並べられている。
ここに、吾妻マンガの強い個性と特色の一面が出ているような気が、僕はした。なぜなら、ここに見られるこういったエピソードこそが、普通のストーリーマンガだったらたぶん「クライマックス」に設定され、独立した5つの物語に仕立て上げられているのではないか、と思えるからだ。
作者たる吾妻ひでおは、そういった正攻法なドラマを描く機会を、なんら惜しむこともなくあっさり見送って、それぞれをたったの1コマ、あまつさえそれを全部ひとまとめにたった1ページで片付けてしまっている。
凡人の読者としてはこの1ページを見、「なんてもったいない事を!?」と仰天させられる。
しかし吾妻ひでおという人は、どうも根本的にそういう漫画家であるらしい。正統的な作劇を否定こそしないにしても、そこに前衛的な可能性はさほど無さそうだとばかりに、興味や熱意を持ってくれないのだ。
これは仕方のない事なのかも知れない。喜怒哀楽で人間を描くドラマはともすれば、月並みな作品にとどまる場合がとても多いのはけだし事実なのだろう。(僕は素人なので正確な予測などできないけれど)出版を商売として計算するならば、そういう凡作の方がむしろ、マンガというものに対して高度な期待や要求はしないであろう大多数の普通の読者からは好まれ、より多くの拍手が得られるのではと思え、惜しい気がする。でも拍手の多寡は、作品の価値に必ずしも正比例はしないのも、たぶん事実だろうと思う。
吾妻ひでおは、拍手喝采よりも、自身の実験の成果を探究してしまわずにはおれない人なのではないか……。そして僕たちは、そういう性分の人物を見て言う、「ああ、この人は芸術家なのだな」と。
実を言えば僕には、このシリーズの題名がなぜ『地を這う魚(ちをはうさかな)』なのか、よく分からない。作品中に夥しく姿を見せている「魚」たちの正体が何なのか、つかめないのだ。全てが単なる幻想であって実在しない錯覚でしかないのか、それとも何らかの寓意を背負ってこういう姿をとっている存在なのか? 退屈で可能性の無いこの現実世界をせせら笑うかのように、魚や海洋生物や、ありとあらゆる動物、実在しないだろう妖精、はては機械だか何だか得体の知れない連中までが、美もグロテスクも、楽しさも不安も、なにもかもがごちゃ混ぜになり、そして何にも支配されず(重力の影響さえ受けることもなしに)そこいら中を漂い、動き回っている。
現実的な光景を描くことは、ある意味ではそれほど難しくないだろう。しかしそうやって現実をできるだけ正確に模して描く事に、その営為のどこに、「創作」があるだろうか? 大切なのはむしろ、
”自分の頭の中にしか存在しない光景を、絵と言う形で取り出して、誰の目にも見えるよう、鮮やかに表現する事”
なのではないか……?
この作品群は物語とはまた別に、視覚効果の点でそういった主張をしているように、僕は感じた。
かような幻想の充満した世界を描いて見せることができるのはやはり、吾妻ひでおの他に誰もいないだろうと思う。
吾妻ひでおも、ひょっとすると「魚」なのかも知れない。「魚」が水中ではなく陸にいるのは、ふつう、おかしな事である。泳がずに、這っているなら、それも変である。そうだ、常識だの平均だの現実だのを基準に判断するなら、何だか変な事をしている……でも「誰がそんなルールを決めた?」とばかりに、あり得ないような事を自由にやっている。自由な、あるいは常に自由でありたいと願い、どこでも動き回っている。実はそういう、「魚」なのかも……。





