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40 (単行本未収録作品)

はじめに

 このカテゴリーでは、

(1)単行本に収録されたことがない作品
(2)同人誌でのみ公開された作品

などについて扱っています。



 調べてみると吾妻ひでお作品のなかには、まだ一度も単行本に収録されていないものがけっこう存在するようだ。僕がここで言う「単行本」とは、プロの出版人の手によって発行され、商業ベースの部数が印刷・製本されて、全国の書店に並ぶ、ごく普通の書籍のことである。
 だから、比較的に発行部数が少なく、一般の書店への流通はなく、そのため、誰でも簡単に購入できる書籍とはいえない(いえなかった)であろう同人誌や、それに準ずると思える図書は、ここでは「単行本」から除外して、このカテゴリーで紹介してゆこうと思っているしだいです。
 さて。ではいったい、どんな作品がこれに該当するのだろうか。
 なんと、デビュー作もそれに含まれているのだ。
 この点をずっと、僕は不思議に思っていた。なんだってまた、よりにもよって、最も重要かも知れない”デビュー作”が、一度も単行本に収録されていないのだろう? その題名『リングサイドクレージー』はあちこちで言及され、広く知られているようなのに?
 疑問は、1981年発行の同人誌・『妖精の森』を入手した時、あっさり解明できた。
 どうも原稿が紛失している(!)らしい。
 この、原稿が紛失、ないしは行方不明になっているという事態は、吾妻ひでお初期作品にけっこう見られるらしい。非常に残念なことではある。逆に言えば、そういう作品群を早いうち、1980年代初頭の時点で掘り起こし、保存し易い形で再記録しておくことに尽力した人々の業績は、21世紀となった今になってふりかえると、本当に有難く貴重なものになっている。
 ここでは、そうした先人たちの営為に深く感謝しつつ、できるだけ時系列にそって、これらの作品群のあらすじを紹介させて戴こうと思います。


最期の男


(1966年?)

 この作品については『逃亡日記』(p.106)などに言及があり(画像は同書のp.93から)、それによれば、秋田県でやっている同人クラブ『砂時計』において発表、前編のみで終わったらしい。その内容はSFで、
「宇宙人が侵略してくる」
というものだったようだ。
 コピー新聞のアリス(1977年9月?)で発表された自伝マンガ『吾妻ひでお伝!』には、ナレーションで、
「本格的にマンガ始めたのは高校二年生のころだった(中略)初めて描いたSF大長編は3Pでいやになってやめてしまった。」
という説明があるのだが、あるいはこれが、そうだったのかも知れない。
 ここで分かる事は、吾妻ひでおが学生時代、初めてペン入れした(?)マンガ作品がもう既にSFであったこと、そしてその内容は、人類の危機を描くものであったらしい(?)こと、といった点だ。
 こうした傾向は、もしかすると、必ずしも楽観的な未来ばかりを描いていたわけではないらしい巨人、かの手塚治虫による諸作品の影響だろうか? (本人談によればこの作品の主人公は、「手塚治虫調のオッサン」だったという。)既存の伝統や体制がその絶対的だった安定を失い、世界に微妙な揺らぎが発生していたらしい当時の世相も関係があるのやも知れない(例えば、女性の社会的地位や役割の変化、性道徳の見直し、ひいては、超大国アメリカの軍隊がどうしたことかアジアの小国であろうベトナムに戦争で勝てず苦しんでいたことなど)。
 作品の細部は今もって不明のままになっている。しかし、そのマンガ人生の始まりにおいて「世界の終末」のようなものをもし描こうとしていたのだとすると、吾妻ひでおは、古きものの消滅と、それに伴い生まれ出でてくるであろう”新しい未来”を夢見ていたのだろうか……?



殺し屋マック




(1968年?)

 『地を這う魚』のp.124 に登場しているこの作品は、週刊少年サンデーの編集者にみてもらい、
(もしかして「少年サンデー」でデビュー?)
と期待し胸躍らせたものの、不採用に終わったらしい。
 これまた内容は不明なのだがその縮小された部分的な画像は『吾妻ひでお大全集』のp.188 で紹介されている(上のものがその一部)。
 推理小説ふうギャグ(?)といった雰囲気を感じさせるこの16ページの作品では、注目すべき事に初めて(?)”美女”が出演し、副主人公をつとめているようで、のちに吾妻マンガで重要な地位を得るに至る”美少女”たちの系譜はここに始まったのでは? と思わせる点が、その特色のひとつと言えようか?。



すぷりんぐ


(196*年?)

 『地を這う魚』p.146 (上の画像はそこから)に見られるこの作品は、「まんが王」でのデビューをかけて親友の「ゆきみちゃん」と競いあった16ページのものらしい。「ちょっと大人っぽい」内容の故なのか、けっきょく吾妻ひでおは親友に敗れ、この『すぷりんぐ』が陽の目を見ることは無かったようだ。
 題名が英語(spring = 春、ということだろう)だったりするところからしても、当時の小学生むけマンガ雑誌には合わぬ実験的なところがあったのかも知れない?
 しかし作者の”大人向けギャグ漫画”的な志向は、それでも変わることがなかったのか、このころの他の作品でも、題材えらびに特色があるように感ぜられる。
この作品は、後日に全体が公開されている。



我れらのアイドル ポップタン



(1969年?)

 未完におわっているらしいこの作品は16ページほどの長さであるらしく、『吾妻ひでお大全集』p.189 で部分的な画像が縮小され紹介されている(上の画像はそこから)。
 トビラを見ると主人公は女性で(これだけでも当時の”少年”マンガにはまだまだ異例の事だったろうと思われる)、あまつさえ、その装束が目を引く。
 念のため説明すると、これは建設工事現場で働く人のいでたちでは、ない。当時を知っている者なら一目で分かる、学生運動の闘士のスタイルである。手に持っている角材は「ゲバ棒」と呼ばれ、デモ行進などの最中に警官隊や機動隊と衝突した場合には”武器”として用いられたものだ。
 かような”革命ねーちゃん”(などと当時だったら呼ばれたのではという気がする)をヒロインに起用するあたりは、作者の反骨精神のあらわれだったのだろうか? ただし、吾妻ひでおは、『地を這う魚』にある『あとがき その後の登場人物たち』で見ると、学生運動に対して特に賛同していたという訳でもなく傍観していたらしい様子がうかがえる(p.197)。
 キャラクターデザインで面白いのはそのヘアスタイルだ。ショートカットでありながら後頭部に1本、ぴんと伸びた髪があって、その先端には鈴が付いていたりする。なんとも現実離れしているが、この個性的なありさまは強烈で印象に残りそうに思う。
 家にはカネも食いものも無く、それでいてどうにかしようとするでもないダメな兄(顔は作者自画像らしい)が登場しているみたいで、このへんは後に発表される『ちびママちゃん』に通じるかのようだ。
 しかし、学生運動(などの政治色)が前面に出ると、大手出版社は、児童向けマンガ雑誌にそうした作品を採用し掲載することは敬遠したのではあるまいかという気がする。そのへんを考えると、デビューしにくい運命にあるヒロインなのかも知れない。
 だが、女性でありながら少年マンガ(だろう)の主人公に立候補したこのヒロインは、のちのちになって次々と名乗りを上げる、吾妻マンガの美少女たちの先駆者として、重要な立場にいるのではないだろうか?
 明確な根拠の無い推理だけれど、僕はこの人が『ざ・色っぷる』へと発展したのでは? と、ちょっと思う(ゲバ棒をキンソウ棒に、ヘルメットを月桂冠に、それぞれ置き換えた姿を、何となく連想してしまうのだ)。




ミニミニマンガ


(週刊少年サンデー 1969年3月30日号 ~?)

 単行本『地を這う魚』p.113には、少年サンデーの編集者から話をもちかけられ、「漫画の上のちょっとした空スペースに4コマ載せ」る為の原稿を執筆したいきさつが語られている。この件に関して作者たる吾妻ひでおが明確に記憶しているのは手塚治虫『0次元の丘』の上部に掲載された時のことのようで(月刊OUT昭和53(1978)年8月号(p.48『やけくそインタビュー』))、その現物である週刊少年サンデーを調べてみると、『0次元の丘』の上には以下の画像の6篇が確認できた(順に、p.18,22,26,30,36,40。いずれも右側ページに掲載されたため、右から左へ読むようになっている。)。








 週刊少年サンデーの上部余白はせいぜい19×149mm、台詞を入れるフキダシなどを描き込むゆとりは無い。絵も、こまごまと入り組んだものはおそらく適さない。完全なパントマイム(無言劇)で、極力シンプルな、分かり易いものにする必要がありそうだ。殆ど「アイディア」だけで勝負しなければならないようなこの仕事は、前衛ギャグを探究するうえで、吾妻ひでおにとって挑戦意欲をそそられるものだったのではないだろうか。



 なお、この週刊少年サンデー14号(1969年3月30日号)からは、いろいろ当時の事が分かる。吾妻ひでおの師事していた板井れんたろうによる『ドカチン』は11号で連載終了しており、この14号に板井マンガは載っていない。また、少年サンデー新人まんが賞の第一次予選通過者のなかには「溝呂木*」と名前があって(p.273には「みぞろぎ*」とある)、もしかすると1970年代末に無気力プロでチーフアシスタントの立場におられた溝呂木さんと同一人物なのではないかと思うのだが、詳細不明。



SFコミックス<リュウ>Vol.5(1980年)



 表紙の画像からも分かるとおりこれは、『ぶらっとバニー』が連載されていた雑誌なのだけれど、この号はその背表紙に「吾妻ひでお特集」とある。これは(表紙に文言があるが)「作家別SFまんが史 吾妻ひでおの巻」という企画で、仕事上のつきあいが長い編集者であるW氏によるインタビューの他、主な作品のカタログ的な紹介、キャラクター事典、アイディアノートの公開などがその内容。吾妻マンガでは『エスパーの六大超能力!』、『宇宙ラッシュ!』、『人類抹殺作戦 (秘)指令「Z」』、『好き!すき!!魔女先生』(第1話)が再録されている。ここでは、それらのマンガ作品を順に紹介してゆこう。

エスパーの六大超能力!
(まんが王 1970年1月号付録)



 大変残念ながら、見開き2ページを50×97mmというサイズに縮小してある為、細部はよく分からない。ここで取り上げられている”六大超能力”は、以下のとおり。

(1)テレパシー能力
(2)透視術、千里眼能力
(3)サイコキネシス能力
(4)テレポテーション能力
(5)ポストコグニションム能力(注:ポストコグニション、の誤植と思われる)
(6)プロコグニション能力

 見ると、いずれも情けない例ばかりが描かれているようで、カッコいい場面は1つも無い! ……このへん、後に超能力テーマのシリーズとなる『ななこSOS』を予期させると言うべきであろうか……?

宇宙ラッシュ!
(まんが王 1970年1月号付録)



 その題名のごとく、みっちり描き込まれている1コマまんがなのだけれど、これまた見開きを63×49mmというサイズに縮小してあるゆえ、ちょっと「読む」のは難しい。
 どうせ人類は、宇宙に進出するほど文明を進歩させてもなお、地上にへばりついて生活している時とさほど変わらない有様で、あさましい混乱をさらすに決まってる……といった風刺のようなものを僕は感じるのだが、どうだろうか。題名の下には「希望にみちたきみたちの未来図」と一言そえられているが、どうしても皮肉にきこえる……。
 なお、宇宙空間もいつかは混雑するであろう、という”未来予測”はある程度的中している(?)ようで、2009年2月にはアメリカの通信衛星とロシアの軍事衛星が衝突するという事故が本当に発生したそうだ。
 そして。
 奇妙な事に、このマンガの右下すみを見ると、「ガス管の工事」をやっている男たちが居たりする……。吾妻ひでお自身の未来予知だったのか、これは!?!?!?



人類抹殺作戦 (秘)指令「Z」
(まんが王 1970年1月号付録 )



 この作品はSFのオムニバスで、4つの部分から成っている。以下、順に紹介させて戴こう。題名についてだが、画像のように、”(マル秘)指令「Z」”という文言はトビラには無いようだ。こちらが吾妻ひでおオリジナルの題名なのかも知れない。

(付記:この作品は後に単行本『地を這う魚』(角川文庫)へ収録されました。)

 初出誌である『ビッグマガジン No.1 SF』の実物が入手できたので調べてみたら、”(秘)指令「Z」”(まるひしれいゼット)というのは掲載誌の目次にも書いてなくて、トビラの左下隅に写植で貼りこまれているだけなのだった(画像参照)。そのトビラのページの柱には以下のような文言が読める。
”人類抹殺の最終作戦、「指令Z」がだされた! はたして人類の運命はーー!?”
 で、最終ページの柱にある文言が、次のとおり。
”「指令Z」をフンサイせよ! それがきみたちにあたえられた命令だ!(M情報局)”



 このへんから察するにやはり、 ”(秘)指令「Z」”は、編集部により掲載時に付け加えられたのではないかと思えるのだが、どうなんだろう。)

 初出時の出版物の版型がやや小ぶり(A5)で、原稿もそれに合わせたサイズだったのか、再録に当たっては側面に関係者インタビューなどが、底面には「吾妻ひでおのミニ年代記」が載せられている。

作戦No.1 ただいま落下中

「そのときーー彼女はなんとなく 幸せな気持ちに なったのでありました」
 濃い霧につつまれて周囲の景色は定かでないが、自殺の名所となっているらしい崖っぷちに、1人の娘が立っている。その胸中は失恋による絶望で満ちているらしい。ついに彼女は飛び込む! ……のだが、なぜか、いつまでたっても「底」に着く気配が無い。腕時計を見れば、もう既に1時間が過ぎているというのに???
 そこへ、なんたることか、やはり落下している真っ最中らしい男子学生から挨拶された。空中を漂うような状態で、娘はその学生から話を聞くことができたのだが、それによると……。

*アイディアが秀逸。疑似科学考証もちゃんと入っているのが、おとぎばなしとは異なる点だろう。マンガならではの、およそ現実離れした光景また状況が個性的だ。「人生」は例えるなら、「底」に着くのを待つ間の事で……といった戯画にもなっているのでは、などと考えたら読み込み過ぎであろうか。
 こともあろうに小学生むけ(だろう)のマンガ月刊誌で自殺テーマ(!)のSFをやってのけるというブラックユーモアが、なんとも吾妻マンガらしい(?)妙味に感ぜられる。「だから自殺なんか、すべきじゃない」と読めそうなオチになってはいるのだが。
 台詞にある「オーモーレツ」というのは、TVのCM(丸善石油)で流行した言葉からきているのだろう。

作戦No.2 ミッドナイト



 夜中であろう、少女が1人、部屋でラジオを聞きながら勉強している。しかし突然、その受信状態がおかしくなった。聞こえてくるのは何と、宇宙人からの呼びかけである! それには催眠効果があるらしく、少女は命ぜられるままに、屋外へと出てゆく。そして彼女を待っていた運命は……。

*大昔のアメリカの、怖いSF映画か何かをほうふつとさせる出だしなのだが、どっこい、吾妻ひでおは定石を逆手にとって、読者をガクッと脱力させるオチを用意している。これも、「本当に恐ろしいのは侵略とかじゃなくて、こういう……」といった含みを感じさせるのだけれど、何にしても吾妻ひでおは、どこか大人向けなギャグを描く傾向があったように見える?
(なお、ここで欄外の年代記によれば、結婚式場内部の描写に関し『吸血鬼ちゃん』で抗議の電話が入ったとあるのだが、ひょっとしてこれは『ふたりと5人』の誤りではないだろうか?)

作戦No.3 ザ、スペースレデイandジェントルマン



*これは題名のごとく、宇宙での、女と男の物語。人類は結局、地上での生き様を遥か星の彼方にまで引きずっているようだ。女たちは欲張りで自分勝手だったり、不平をこぼしていたり、自分を実際以上に美しく見せようと細工をしたりしている。いっぽう男たちは、トンマな事をしでかしたり、女に利用されたり、子供っぽい悪事をはたらいたり、他の世界でSM趣味(?)を目撃して複雑な表情をしたりしている。
 これまた大人向けブラックユーモアという感じのものが多く、なかでも「NHK」に受信料を請求され苦々しく思うといった描写は、自分でそれを支払った経験は無いであろう子供たちに共感を覚えさせたとは考えにくい。
 1コマ漫画はキャプション(絵に付いている説明や、台詞)さえ上手く訳せば、他国の読者にも一発で通じ易いという長所があるのではないかと思うのだが、これもそうした点で大きな可能性を持っている作品なのではないだろうか。
 ただ、いかんせん日本では何事につけても気ぜわしい傾向があるのか、「じっくり観る」読み方を求められる1コマ漫画という様式が外国の様には根付きにくいみたいで、その辺が吾妻ひでおにとっては不利にはたらいたかも知れない?

作戦No.4 カンヅメ物語



 男が、特売の缶詰をいくつも買う。狭い部屋へ持ち帰り、嬉々としてその蓋を開けてみるのだったが、
「!」
 中から出てくるのはおかしなものばかりで、とても食えそうにない。
「不当表示だよ!」
 頭にきた男は、買った店へ文句を言いに行くのだけれど……。

*一体どこからこの話のアイディアが出てきたのか定かでないが、(食料品の)不当表示うんぬんというのは現実に社会問題となったことがおそらくあって、そのへんから発展させた風刺的な空想なのではあるまいか。
 また、当時は少年だった僕の記憶だと、1969年からだか始まった「おもちゃのカンヅメ」(森永製菓の菓子で当たる、景品)というのがあって、これになぜか心惹かれて、何とか1個手に入れたいと願った覚えがある(中味はけだし平凡な駄玩具だったのだろう(?)けれど、缶詰になっているという点が、何だかすごく面白かったのだ)。
 缶詰、というのは子供にとって、不思議な魅力のあるアイテムだったのかも知れない。
 なお、最初の台詞にある「ありがと あんしんだ」というのは、「ありがと やんした」の誤植ではないかと思う(似た台詞は『幕の内デスマッチ!!』にもあって、主人公がそのPART.5で「ありゃあたんした」と言っているコマがある)。
(「作家別SFまんが史 吾妻ひでおの巻」ではこの後、『好き!すき!!魔女先生』の第1話を収録してあるが、当サイトでは紹介済みなので割愛します。)



 この『人類抹殺作戦(秘)指令Z』が掲載された『ビッグマガジン No.1 SF』の全体を、ちょっと見てみよう(画像が、その表紙と裏表紙)。
 大きさは207×151mmのA5版で、全206ページと厚い。付録としてはなかなか豪華なものに思われる(巻末の編集後記によれば「本誌二冊ぶんのボリュームというねらい」であったようだ)。表紙と裏表紙には映画『2001年宇宙の旅』からスチル写真が用いられているが、どうしたことか「写真 M.G.M」としか記されていない。このぞんざいなクレジットは他の写真にしても同様で、映画『猿の惑星』、『ドゴラ』、TV番組『タイムトンネル』など、洋画も邦画もとりまぜて数枚が使われているにもかかわらず、それらの詳細を併記してはいないようだ。これが当時は著作権表示の通例であったのだろうか。



 こうした点はこの雑誌の執筆者名に関しても見られ、収録されている漫画と挿絵はその作者名が記されているのだが、文章の部分については全く何も明らかにされていない。ひょっとすると外注ではなく『まんが王』編集部の記者が自分で調べ、まとめあげて書いたのかも知れないが、もしもそうだったとすればさぞ大変だったろう。文章ページ『迫力企画 恐怖と戦慄のSF! =きみをSFの世界へ招待する=』は(挿絵も多く使われているとはいえ)32ページあり、いかに文章でメシを食っている人間が手がけるにしてもいささか分量が多いからだ。文章ページでは、木星あたりに空飛ぶ円盤の基地があるかも知れないとか、中世欧州でのペスト大流行は宇宙人による細菌兵器攻撃だったのかもと仮説を述べ、地球空洞説を紹介し、宇宙生物、超能力、未来兵器、ロボット、現実の宇宙開発の歴史、SF用語辞典、新作映画の紹介などをしており、内容はかなり充実しているように思う。にわか勉強の付け焼刃で書ける記事ではとてもなさそうなので、寄稿されたものではないかと考えられるのだが……。文章では、ショート・ショートさえ3編収録されているが、これも作者名は明記されていない。



 (蛇足ながら、ここで紹介されているのは『宇宙船02(ゼロツー)』という作品1本きりなのだけれど、このイギリス映画(原題"MOON ZERO TWO")は特撮マニアでさえ知ってる人は多くないのではなかろうか?)
 この出版物は表紙をめくるとまず、米アポロ計画による人類初の月着陸成功(1969年7月21日)の写真があり、現実(当時の読者にとっての現在)を導入部にしている。人類はかように「未知」へと赴くが、その逆、すなわち、我々にとって未知の領域からこちらへの来訪者があるかも知れない……というわけで、『S・F怪奇の世界』(引用者注:原文のまま)をご覧に入れよう、という構成だ。
 もちろん、漫画が殆どの大部分を占めているし、大物、石森章太郎の作品さえ載っている(ただ、これは週刊少年サンデー1962年49号に発表されたものの再録であるようだ)。
 筋金入りの”SF者”であろう吾妻ひでおが、デビューして間もない頃にこうした「SF」本で作品発表できたのは、作者にとって幸福な事ではなかったろうかと思える。



同人誌『妖精の森』




 さて、時系列がちょっと乱れるかも知れないのだが、ここで同人誌『妖精の森』について紹介させて戴きたい。
 この書籍はおくづけによれば1981年7月31日に発行、定価700円で発売されたもので、およそ222ページある、けっこう厚手のものだ。紙質は大手出版社のマンガ単行本よりもむしろ良く、これをこの価格で頒布できたというのは、すごいのかも。
 巻末にある「解説」(高沢よしお)によると、収録作品は『妖精の森』をのぞき全て、原稿が紛失ないし行方不明という状態なのだそうで、どうも掲載誌から複写、加工し、本にまとめたらしい。まだパソコンは殆ど普及などしておらず(しかもそれは8ビットの、絶望的に原始的な性能のものだった)、当然レタッチソフトの類など存在しなかった筈の当時、これを手作業でこなすのは、さぞやえらい手間だったろうと思う。本の完成は「一年と二ヶ月遅れ」になったとあるが、やはりそのへんの事情ゆえだろうか。
 カバーは表題作『妖精の森』のイメージから描き下ろされたものであるらしく、女の子の顔立ち、奇妙な脇役たちのキャラクターデザイン変更など、元の作品と比較してみると面白い。「虎馬書房」発行ということで、トラみたいなウマが後には描かれている。

 

 で、カバーを外すと中はこんな感じ。「ナハハ」の原型になったキャラクターと作者自画像、そして後ろではトラみたいなウマがウヒョヒョと笑っているのだった。



 ひもといて「もくじ」を見ると、次のような記述がある。

企画 編集 大日本吾妻漫画振興会
協力 はあど・しゅーる新聞社
    知佳舎
装丁 スタジオG1

 この書籍に収録されている作品は、以下のとおり。
●妖精の森
●フータロウ
●雪の日の物語
●ネズミのデイト
●リングサイドクレイジー
●色情狂室
●恋人がいっぱい
●野性の王国
●らりるれラリ子
●天災は駆け足でやってくる
●高校生無頼帳 求めよさらば…
●どっこいドジ太

 それでは、この順に、そのあらすじを紹介させて戴きましょう。


妖精の森


(鏡 第1号 1972年7月15日)

 若い男女の2人組、ペンペンとルナ。彼らは1本の樹の根元に並んで腰を下ろし、手を取り合い、仲睦まじく語り合うのだった。突然、ルナが言う、
「結婚してくれるでしょ」
「えっ」
「こんな身体にしといて すてる気?」
「手 手を握っただけじゃないか!!」
 娘は怒るわ、涙をこぼすわで、青年を困らせる。結局、彼女の家族を説得して結婚するべく、
「あした家に来てねー」
と約束させられてしまった。
 かくて青年ペンペンは、彼女の家をたずねてゆく。行ってみるとそこは、森のずいぶんと奥まった所で……。

*この作品が掲載されたのは「バンパイアクラブ」の会誌で、商業誌ではなかったらしい。のちに有名なキャラクターにまで成長する「ナハハ」の原型が登場(ただしこの時にはまだ、頭髪と口髭、さらにシッポがある)。ここに描かれる奇妙な世界は、『オーマイパック』の第1話を連想させるが、もしかすると両者はどこかでつながっているのだろうか?
 「ナハハ」はその後、人間に生まれ変わり(?)、人間の世界へ帰化して(?)、色々な吾妻マンガに出演するようになる。が、この物語では妖精たちの世界を統率していた(?)彼の後を追って(?)、他の奇妙奇天烈な連中も少しずつ、人間の世界へやってくるようになったようだ(1980年頃の吾妻マンガには、ぐねぐね・ぬとぬとの、何なのやら正体の分からぬ未知の生命体(?)がしばしば姿を見せている)。
 しかし、この『妖精の森』の頃には、ナハハ(の原型である「オヤジ」)も、珍妙な妖精たちも、豊かな表情を持っており、けっこう多く喋っている(だからだろう、異形ではあっても彼らは、どうやら僕ら人間と殆ど同じように感じ、考えているらしいことがうかがえて、ユーモラスな親近感がある)。
 ところが、人間界へ居を移した「ナハハ」は、日を経るごとに表情と言葉を失ってゆき、おそらくは彼と同じ森を故郷にしていたのではと思える謎めいた生物(?)たちも同様で、「顔」さえ持たない者もだんだん増えていったような気がする。
 彼らが森を後にして人間界へやって来たことは、彼らにとって幸福だったのだろうか、僕には良く分からない。あるいは彼らは好き好んで人間界へやって来たわけではなく、その故郷である森を少しずつ失い、追われて、やむなく移住したのだろうか。
 吾妻ひでおの宇宙において、何かの”森林伐採”が進み、開拓がはかどるのと反比例して森が失われていったのでは、という気が僕はする。彼ら、ユーモラスな妖精達はどこへ行ってしまったのだろう? 21世紀になって彼らの姿をあまり見かけなくなったように感じられるのはさびしい。彼らが絶滅などせず、たくましく元気に今も生き延びていることを願ってやまない。
 とはいえ、もし仮に、森の面積が昔日より減少してきているのだとしても、豊かな海は、そこにあるようだ。『地を這う魚』では、人間が”常識”で定めている限界などまるでお構い無しに、海洋生物たち(?)が自由気ままに泳ぎ回っている。侵略されているのは無限の未知を含み持つ自然ではなく、退屈な法則ばかりで構築されている僕ら人間の文明社会のほうであるかのようだ。
 吾妻ひでおの宇宙が、金属製メカニックとコンクリートだけになるなどということは、絶対に無いだろうと思う。


フータロウ


(冒険王 1972年 夏の増刊号)

「わー たいへんたいへん チコクチコク」
 1人の少女が大慌てで、道を走っている。そこへ一陣の風が吹き、何かが飛んできて少女の頭部にはり付いた。どうやら少年のようである。
「なによあんた 人の顔にくっついて どいてよー」
と必死になる少女だが、
「ぼく フータロウ 友達になろうよ」
と少年は笑顔で答える。
「離してったら」
 少女は何とかして少年を追い払おうとするが、どうにも捕まえる事ができず……。

*少年・フータロウは謎めいたキャラクターだが、この物語の主人公はむしろ、彼にさんざん振り回される少女(あとで中村京子というのがその名前であるらしいとわかる)のほうだろう。
 ドタバタの大騒ぎの後に訪れる、ちょっぴりさびしい結末。この独特の雰囲気は、まさにこのころの吾妻マンガの基調をなすものだったように思う。
「からだが大事だよ 山ちゃん」
という台詞は、ビールのCMで言われていた台詞のパロディではないかと思われる。
 また、作者にごく近しい重要人物が、御芳名だけ(?)出演しているようだ。



雪の日の物語




(少年サンデー 1976年9月 増刊号)

 炎天下の道を、1人の青年が歩いている。その暑さに耐え切れず、道を曲がって日陰に入った。ちょっと一服……と思ってタバコをくわえたけれど、
「マッチが ねえよー!!」
と不運を嘆く。そこへ、
「おじさん マッチ買ってください!」
と、幼い少女が現れた。これは丁度いい、と思ってマッチを買ったが、はて、見れば女の子は、ひどく暑苦しい服装をしている……?
 突然、彼女はふらっと倒れ、気を失った。抱き上げてみると、その小さなからだは冷えきっている。
 びっくりした青年は、少女を抱きかかえて自宅へ急ぐ。するとどうしたことか、彼までが寒くなってきた。見れば雪までが降り始めている。これはいったい……?

*アンデルセンの有名な童話『マッチ売りの少女』がヒントになっているのだろう。この作品については『失踪日記』(p.140)に言及があり、
「哀愁のあるラストシーンだったけど」
編集者(?)から、
「8ページでこんな感動オチはない!」
と言われ、描き直しとなったらしい。はたしてオリジナルはどのような物語だったのだろう? 恨めしや編集者。
 かつて『マッチ売りの少女』を読んで、ヒロインを何とか助けてあげたいと願ったような父性愛の強い(?)読者にとってはとりわけ、強く引き込まれるマンガになっているのではないだろうか。
 この頃には100円ライターというものが既に出回っていたのではないかと思われるが(『ふたりと5人』で『愛すスケートの巻』(少年チャンピオン 1973年2月19日号)では、100円ライターうんぬんという台詞がある)、マッチもまだまだ現役だったろう。



ネズミのデイト




(少年マガジン 1972年12月5日 増刊号)

 ネズミ君はデイトの最中である。その相手に、
「キスしよう」
とせまるのだったが、
「あんたみたいに話題の乏しい人キライ」
と言われ、ぶちのめされてしまった。
 反省したネズミ君は、話題をさがそうと勉強を始めたのだったけれど……?

*かなり物語性の強いギャグマンガである。なんとか女にモテようと、あれやこれや必死になって手を尽くし、とうとう行き着いた所は……。異性に振り回される、男という生き物の悲哀がつよーく出ている一品!? 人間が全く登場しないだけになおさら、おとぎ話として寓意が面白く強調されているのではないだろうか。



リングサイドクレイジー



(まんが王 1969年12月号付録 最新版プロレスなんでも百科)

「全国の血にうえたプロレスファンのみなさま こんばんわ おまちかねの 文部省もすいせんする プロレスアワーの時間です」
 TV中継をしているのだろう、アナウンサーがレスラーたちを紹介、そして試合が始まった。
 一方のレスラー「チッチャイ アント ババァ」は女性観客から大変な人気があり黄色い歓声が飛びまくっているのだが、対する覆面レスラーの「ザ・テスト イヤー」は悪役なのか、観客から浴びせられているのは罵声ばかり。女性ファンたちに愛想を振りまく「チッチャイ アント ババァ」を見ているうち、「ザ・テスト イヤー」はとうとう完全に頭に来て……。



*この8ページの掌編こそは、吾妻ひでおの実質的なデビュー作だったらしい。書籍『地を這う魚』では台詞の一部分でさらりと言及されているだけなのだが(おそらく、p.178 で言い渡されているのがそうではないかと思われる)、やはり非常に重要な作品にあたるだろう。
「処女作を見ればその作家の全てが分かる」
と誰かが言っていた。その真偽はさておいて、この『リングサイドクレージー』からは色々な事が読み取れるようだ。
 まず最初に目に付くのは絵柄で、かなり写実的であるのに気づく。人気者のレスラー(ジャイアント馬場がモデルか?)の顔などもそうなのだが、こうした写実的な顔を、幾つかの角度から描き、それが「別人」になってしまわないようにするのは、ある程度の画力、デッサン力がないと難しい(下手くそなアマチュアだった僕にはとてもそういう事は出来ませんでした)。また、敵役のレスラー(ザ・デストロイヤーがモデルか?)もそうだが男の裸を描くのは、女性のヌードより結構厄介で、皮膚の下にある筋肉や骨を理解していないと説得力のある絵にはならないのだが、それもちゃんとやってのけているようだ。
 観客の頭部も、斜め後方から見たり、下から見上げた角度で描いている所があるが、これらも、頭蓋骨の形状や首の筋肉などを立体的に把握できていないと難しいはずなのだ。若き日の吾妻ひでおは正攻法な人体デッサンの基礎を踏まえた上で、自分の絵柄を模索していたのではないだろうか。



 さて、物語なのだが、題名にあるとおりこれは(リングで戦っている)レスラーについての話では、ない。「クレージー」なのは「リングサイド」で試合を観ている観客たち、アナウンサーの言葉にしたがえば「血にうえたプロレスファン」なのである。
 こうした、群衆という、ひとかたまりの集団が持つ狂気ないし愚かさを描いて見せるブラックユーモアは、このしばし後に発表される『ウェルカム宇宙人』にもあって、僕ら人類が、個人はまだしも群れを成すと、えてしてしょうもない事をしでかすものだ……というイメージが、作者にはあるのやも知れない。
 自身も格闘技ファンであるらしいのだが、いわば御同輩であろうスポーツファン(或いは単に人々)の集団となると、作者は、一緒に大騒ぎしてその熱狂の中に身を置き大勢の他人達と共に一丸となるその「一体感」を楽しむ、という嗜好は無いのか、そこから一歩身を引き冷徹な目で全体を見ているかのようだ(例えば『便利屋みみちゃん』では、作者の分身でもあろうヒロインが、野球場の熱狂の渦の中で全く落ち着いているという回がある)。
 筒井康隆の短篇『東海道戦争』でも、”群衆”が描写されているけれど、冷静なブラックユーモア(そしてもしかすると、いくばくかの孤独)は、通じるものがあると見るべきだろうか?
 とはいえ、吾妻ひでおの”群衆”に対する視線には、底意地悪く高慢に歪んだ蔑みや嫌悪は、無いように思える(筒井康隆の『東海道戦争』と同様に)。というのはこの大混乱を冷静に見守り、報じているアナウンサーの名前が「木印(キじるし=気違い、を意味する俗語にひっかけているらしい)」となっていて、「しょせん人間はみんな同じ」という、諦念の入った苦笑のようなものが、その裏側にあるように感ぜられるからだ。
 かなり大人向けのギャグマンガで、吾妻ひでおはそのスタートを切ったと思える。
 なお、この作品の初出時の題名は「リングサイド・クレイジー」であったらしい。トビラを見ると描き文字にこの「・(ナカグロ)」は無く、当時はマンガの題名部分のみを別のプロがレタリングするという分業体制はまだ徹底していなかったのではと考えられ、してみるとオリジナルの題名は「リングサイドクレイジー」で、編集者が「・(ナカグロ)」を付したのかも知れない(?)。



色情狂室 序章


(マンガストーリー 1974年4月20日号)

 学校の職員室だろう、男が一人で弁当を食べていると、女生徒が部屋に入ってきた。
「せ 先生!」
「おー 山口くん どーしたんかね」
 見れば彼女の服はひどく破れており、その涙ながらに語るところを整理してみると、どうやら、
「体育館の裏でB組の木下クンにむりやり」
抱かれてしまったらしい……。

*校内で昼間に、男子生徒が女子生徒を強姦するくらいだから、この学校の滅茶苦茶ぶりがうかがえる。しかし相談された教師が調べてみたら、実情はもっと複雑でそのうえ!……というブラックなギャグ。
 女生徒の名前は「山口モモ江」であることがのちほど分かるのだが、べらぼうに有名な少女歌手を連想させたに違いないこの名前はあまりにもやばかったのか、このシリーズにおいて彼女の出演はこの1回きりになっている(ただし彼女の髪型などの容姿は、その歌手に全く似てはいないのだが)。



色情狂室 第一章




(マンガストーリー 1974年5月4日号)

 授業が始まる。教師は男子生徒に朗読をさせてみるが、どいつもこいつもマトモに読めない。女子生徒も負けず劣らずムチャクチャだ。とうとう教師が呆れて言う、
「えー 諸君! 高校生がこんなことで良いのだろうか? 先生は哀しい! 処女なんかおらんのだろ」
 問うまでもない事に思われた。が、ただ1人、頬を染めながら起立する美しい女生徒がクラスにいて……。

*女生徒の名前は「山口モモ割」とあり、彼女はこのあと最終回まで、このイカれた学校に咲く一輪の花として、まともなマドンナ役をつとめる事になる。女性の日本髪に「桃割れ」というのがあるが、特にこの女生徒の名前と関係は無いだろう。今回、ひょっとして沖由佳雄の似顔絵か? と思えるような男子生徒が1コマ出演している。


色情狂室 第二章




(マンガストーリー 1974年5月18日号)

 アズマ先生が和式便所でしゃがんでいたら、ノックの音がした。男子生徒が個室のドアを開け、
「質問があります」
と言う。
「高校生の恋愛はどこまで許されるべきでしょうか 悩んでるんです」
 質問はいたって真面目なようにきこえる。ところがそこへ、彼の相手である女生徒が現れて……。

*記述が前後するが、この回では本編中に「山口モモ割」の出演は、無い。この段階だとまだ、毎回、各話ごとに異なる女生徒が登場する、という構成だったのだろうか。教師が「アズマ先生」という名前で初めて呼ばれており、前回に引き続き、けっこう真面目なところを見せている?



色情狂室 第三章




(マンガストーリー 1974年6月1日号)

 アズマ先生の住むアパートへ、女生徒が訪ねて来た。
「おーわがクラスただ一人の処女 山口くんじゃないか」
先生は彼女を、散らかり放題の自分の部屋へ上がらせる。山口モモ割は性について本当にまだ何も知らないらしく、どうも、そのへんを質問しにやって来たらしい。はたしてどうしたら良いものやら、アズマ先生は苦労するのだが。

*これ以降、山口モモ割は毎回登場するようになり、周囲のイカれた連中との対比もあって、ますます可愛らしさを発揮している。連載当時、読者から人気があってレギュラー出演するようになったのだろうか? なお。どうもこの回から女子生徒の制服が、セーラー服からブレザー型に替わったようである。



色情狂室 第四章




(マンガストーリー 1974年6月15日号)

 今日は試験の採点をしている、アズマ先生。ところが、どの生徒もヒドイ点ばかり。やがて、1人の女生徒がやって来て問う、
「先生 私のテスト どうでしたか?」
いつもの通り赤点だ、と答えると、その女生徒はいきなり……。

*答案用紙の文字からしても、アズマ先生が教えている科目は「現国(現代国語)」であるらしい。(アズマ先生の妄想ではあるが)山口モモ割のなまめかしい姿が、前回に引き続きちょっとだけ描かれている。彼女の両親も今回1コマ顔を見せる。冒頭の歌は「しあわせのうた」の一節であるようだ(この歌は別のシリーズ『ネムタくん』でも登場)。台詞にある「タイマン」はこの場合、「怠慢」の事だろう。


色情狂室 第五章




(マンガストーリー 1974年6月29日号)

 体育館で女子生徒たちがバレーボールの試合をしているようだ。アズマ先生もこれを見物していたのだが、選手交代で山口モモ割がコートに出る。体育着姿の彼女はたまらなく魅力的で、男子生徒たちもアズマ先生も目が釘付け。しかしそこでアクシデントが発生し……。

*若い女性の”ショートパンツ姿”による健康的なお色気というのは、吾妻マンガで時々登場する。この回あたりから、アズマ先生も男子生徒たち同様、山口モモ割に恋する者の1人となってきている。



色情狂室 第六章




(マンガストーリー 1974年7月13日号)

 授業が終わった。
「みんなより道しないで帰れよ」
とアズマ先生は忠告するが、どの生徒も……。
「山口君はまっすぐ帰ってね」
と言うのだったが、
「でも あの…… デイトにさそわれちゃったから」
という返事が返ってきて驚かされる。
「となりの高校の人で、とてもマジメそうな人なんです」
と彼女は言うのだけれど。



色情狂室 終章




(マンガストーリー 1974年7月27日号)

 アズマ先生が教室へ来て見ると、どうしたことか生徒たちが1人もいない。
「今日は暑いからプールでやることにした」
のだそうで、先生も否応無しに引き込まれる。しかし水着姿でいる事が災いしたのか、みんなサカってしまって全然授業にならない。
「学生は気らくでいいね わしら給料安くて結婚もできんのに」
 そう嘆いている先生のところへ、突然お見合いの話が来た。喜び勇んで出かけるアズマ先生だったのだが?

*けがれ無き乙女、山口モモ割の運命はいかに? 意外なラブストーリーとして、微笑ましい大団円になっている!?



恋人がいっぱい




(週刊明星 1976年4月25日号)

 青空を窓から眺め、1人の娘がつぶやく、
「せっかくのお休みなのに 恋人もいないし 一人ぼっちじゃつまんないな~」
 その彼女が雑誌をめくっていたら、気になる事が書いてあった。
「ん!? 恋人紹介します まじめにお付合いしたい人……か」
 彼女は意を決し、さっそく電話をかけてみる。そして自分の希望を伝えるのだったが……。

*男女の出会いというものは意外になかなか無いのが現実なのか、縁結びサービスとでも言うべき取り決めは昔からいろいろ存在するようだ。そして残念ながら、それによって予想もしなかったトラブルの発生する場合もあるらしいけれど、これは現実的な警告も含んだコメディと言うべきか???



野性の王国




(週刊明星 1976年5月30日号)

「一度お見合いしてみないか」
両親からそう言われ、娘のヒロミは嫌がる。すでに結婚を誓った彼がいるのだ。
「とにかく顔みるだけでも」
ということで引き受けてみたら、なんと相手は「犬」だった! 散歩の途中でみそめた、ということらしい。頭に来て半狂乱となるヒロミだったが、両親はこの話に乗り気な様子で……。

*もうこれは、なんというか、実に、どうしてまた『週刊明星』でこういうマンガなわけ~!? とびっくり仰天。
 何の関係も無いかも知れないが、当時、1976年には、「オリバー君」と呼ばれる、人間とチンパンジーの中間みたいな染色体を持つ謎の霊長類が話題になり、それと人類の混血は誕生しうるかどうかを実験すべく、日本で女性の協力者をつのったという史実がある(そして女性からの応募が本当にあったらしい)。調べてみたらこの「オリバー君」の来日は1976年7月15日で、7月22日にはTV出演したようだ。作者(の自画像だろう)がTVに背を向けて
「信じがたい話だな~」
と言っているコマが最後にあるが、はて……。



らりるれラリ子




(少年サンデー 1975年10月20日 増刊号)

 遅刻しあわてた女生徒が、廊下を走って教師に叱られる。と、少女の手に持っていた何かが吹っ飛んで、彼の顔に当った。なんと、見ればそれはパンティーだった! 洗濯したのがまだしめっているので、走りながら乾かしていたと言う。あきれた先生が話をきいてみたら、彼女は転校生・裸里野ラリ子なのだった。中学三年生にしてこの有様、しかし彼女に翻弄される犠牲者は、先生だけではなかった……。

*同人誌『妖精の森』にある解説によれば、これは「少年マンガ版「やけくそ天使」として描かれた作品だとか。発表当時、削除された過激なネームも復活してあります」とのこと。僕はこの作品が雑誌で発表されたものをその表紙だけ見た事があるのだけれど、もし記憶が正しければタタキ(読者の興味をより強めるべく、トビラに編集者が写植で貼りこむ文言)には、なんたらかんたらの「どHまんが!」と書いてあった。いったいサンデー編集部は吾妻ひでおに何をさせようと考えていたのであろうか……。



天災は駆け足でやってくる




(ビッグコミックオリジナル 1975年8月1日 増刊号)

 道を歩いていた1人の男が、呼び止められる。
「こら待てー きさま!」
 何かと思って振り向いたら、いきなり婦人警官からキックをみまわれ、投げ飛ばされ、おまけに手錠をかけられてしまった。
「ホホホ 女と思ってあなどったのが不覚だったわね」
 しかし男は、何も身に覚えが無いらしい。だのに彼女は、さっぱり話を聞いてくれず……。

*「真相」がよく分からない、災難ギャグ。男の言う事をそのまま信じるなら、婦警は何か勘違いをしているのではと考えられる。あるいは、彼女の頭が少し壊れているのか。自分で勝手に量刑していたりするので、どうも後者ではなかろうかという気がするのだが、はて? もしかすると彼女は本物の警官などではなく全ては芝居で、手の込んだ恋のアタックだったのかも知れない……などという推理も可能だろうか。
 権限を持つ人が「自分は優秀でかつ絶対に正しい」と信じ込み、自身を正義と考えて突進するという迷惑な話は現実にあるやも知れないが、それを「天災」のように諦めねばならないとしたら、これは大変な恐怖になってしまうことだろう。かような災難は、笑えるフィクションだけであって欲しいものではある。
 確認してみると、「改正刑法草案」が作られたのが1974年5月(だからこのマンガが発表される1年ちょっと前)のことで、かなり物議をかもしたようだから、編集部が時事問題としてこれに注目し、吾妻ひでおに「コワい刑事政策、みたいな感じで1本描いてくれ」といった指示注文がついたのだろうか?




高校生無頼帳 求めよさらば…




(トップコミック 1972年1月1日号)

 ひたすら女が欲しい、主人公。カネでどうにか解決しようとするも、学生の懐はあまりにも寒い。あれやこれやと必死に手を尽くすのだったが……?

*「初の青年マンガ。たった一回で終わった哀しい作品」と、同人誌『妖精の森』の解説にはある(それで初出の時の題名が『高校生無頼帳 1 求めよさらば…』であったらしい)。なぜこれ1度で終わったのか理由は不明。
 画風が独特だ。青年マンガらしく、少年誌のマンガに比べると1つ1つのコマが小さめで、そのせいもあってか全体的に描線が細い。また、抑揚を控えめにしたペンタッチや、ベタ(墨汁で黒く塗りつぶすこと)無しの「カケアミ」だけで絵に濃淡をつけている手法は、勢いよりも丁寧さを追求した感じだ。吾妻マンガのなかでも、かなり珍しい作品なのではないだろうか?



どっこいドジ太 その1




(小学館Book 1973年10月号)

 ここは「ムッチリ学園」である。学帽を目深にかぶった少年が、なんとも行儀の悪いことに、両足を机の上へ載せ、ふんぞりかえっている。教室に入ってきた少女が彼を見て驚き、そして言う。
「あら!? ちょっとあなた なに…? そこわたしの席よ」
「うるせえ! ブス」
 少年は口も悪いようで、おまけに、
「女は床にでも すわってればいいのだ」
と暴言。これを聞いて怒った少女は、思わず彼に平手打ちを食わせ、そして……。

*実は彼が転校生であり、ドジ太という名前だと、後で分かる。どうも徹底的な男尊女卑の価値観を持った少年のようで、担任である美貌の女教師・美鈴もヒドイ目にあう事になるのだった。
 日本ではおそらく1960年代末から世に広く浸透していった女性解放運動はその後少しずつ結実してゆき、また国連は1975年を国際婦人年と宣言している。とはいえ、こうした社会の動きを、空理空論に基づく秩序破壊、伝統ある醇風美俗(じゅんぷうびぞく)に腐敗をもたらす忌むべきものとする見方も、現在よりはるかに強かったろうと思われる。
 そういう時期にあえて”男の優位”を護ろうと立ち上がった(?)主人公・ドジ太は、少年読者達からは拍手を贈られ、いっぽう少女達からは嫌われたかも知れない。なんにせよ、吾妻マンガの中でも大変有名であろう『ふたりと5人』の主人公・おさむが、いつも女性キャラクターからマゾヒスティックにやられてばかりなのに比べ、その正反対のように攻撃的なイタズラをしでかすのがドジ太なのだった。この点、彼は吾妻マンガ作品群において珍しいキャラクターなのではないか?



どっこいドジ太 その2




(小学館Book 1973年11月号)

「ちょっと カバン持ち 遅いわよ」
「宿題見せてほしかったら 早くして!」
 少女たちが居丈高に、少年たちへ命じ、まるで家来のようにあれやこれやとこき使っている。その、やられっ放しで全く情けない男どもの有様を、ドジ太は独り横目で見ていた。
「しかしこの学校は なまいきな女が多いな」
 そして、何やら決心したらしい彼だったが……?

*ドジ太は一匹狼のようで、誰の協力も求めず単身、多くの少女達を敵に回し戦っている。やらかすイタズラの是非はさておき、この男っぽさは見ていてなかなか痛快で、いかにも少年マンガらしい楽しさにあふれたシリーズではある。
「”威張る”ことが悪いのであって、”女が威張る”のが悪いんじゃないでしょっ!」
と言われてしまいそうだが、それはやはり大人の視線での判断で、まだドジ太の年齢ではそこまで分別がないとしても仕方ないのかも知れないね。




どっこいドジ太 その3




(小学館Book 1973年12月号)

 1人の少女が、落しアナにひっかかった。
「ドジ太のしわざね 出してよー」
 穴の底から少女は叫ぶ。が、やって来たドジ太はこれを断り、
「おまえは日頃から なまいきだから こうだ」
と言うや、犬と猫と蛇を穴へ投げ込む。少女が大騒ぎするのを笑いつつドジ太が去って行くと、
「あの失礼ですが… 道子と言います あなたにお話が」
と、呼び止められた。見れば声の主は女の子だ。
「へー なかなか かわいいね」
 ドジ太は彼女の話をきく事にしたけれど……。

*強敵の出現によって、無敵の主人公・ドジ太も危機に陥る。ところが、そういう状況下でこそ、日頃とは違う、彼の意外な側面が明らかになってゆくのだった。登場人物たちがそれぞれ作用し合うことで、物語はますます奥行きと立体感を増してゆく。正攻法な人物配置や構成が楽しい。




どっこいドジ太 その4




(小学館Book 1974年1月号)

 女番長ミッチーが朝起きてみると、家の庭にはドジ太が来ている。
「あっ あねさん おはようございます」
「ドジ太 人の家で何やってんの?」
「洗たく あっしは子分ですから なんでもやります」
 嬉々として家事をこなすドジ太だが、ミッチーはうっとうしくて仕方がない。挙句の果てに、外出しても、ついて来るのだった。困り果てるミッチーだったが……。

*自分よりも強い、となると、すんなり敬愛するタイプなのか、ドジ太が女の子に尽くしている様はまるで別人みたいになんとも珍妙で、微笑ましい。セリフから、どうも彼が小学生であるらしい事がうかがえる。


どっこいドジ太 その5




(小学館Book 1974年2月号)

 給食の時間なのだろう、ドジ太たちは食事をしている。しかし女番長ミッチーはどうも早食いであるらしい。驚いたドジ太が、
「あねさん もう食べちゃったの?」
と言い、なおも食べ続けようとしたら、はて、ミッチーが無言のまま、じっと彼を見つめる。困ったドジ太が、
「ど どうぞ」
と彼の分を差し出すと彼女は笑顔になり、
「おっ すまん」
と喜ぶのだが、これまたあっさりたいらげてしまい、
「足りんなー」
と一言。そしてまた、無言でドジ太を見つめるのだった。しかたなく、彼は女親分の為に給食を集めようと、一計を案じ……。

*前回はヘアバンドをつけていたミッチーだが、今回は再びリボンに戻し、初登場の時に近い印象となっている。何を望んでいるのかを自分からは絶対口にせず、ひたすら、男が察してくれるのを受身で待ち、相手が望み通りの行動をとってくれないと怒り出す女の子というのは現実にいるように思うけれど、要求が「食い物」というあたり、ミッチーの子供らしさが出ていると言えましょうか?



どっこいドジ太 その6




(小学館Book 1974年3月号)

 テストの答案が、美鈴先生から生徒たちへ返される。
「また100点かな?」
と自信たっぷりで受け取りに行くドジ太だったが、なんとたったの2点。正解が1コしかなかったのだ。さすがにまいったか、ドジ太は美鈴先生のアパートをたずねる。
「どうしたの? 今日は日曜日よ」
「勉強おそわりに来ました」
これを聞いて先生は大喜び、
「まっ 珍しい やる気になったのね!!」
とドジ太を部屋へあげてくれるのだったが……。

*これが最終回であるらしい。それにしても、善人なのに第1話の初登場から最後まで、ひどい目にあってばかりいる美鈴先生がなんともはやお気の毒。今回も校長先生が出てくるが、この回ではちょっと顔が異なっているようだ。残念ながら、同級生のミッチーは顔を見せていない。
(このあと、解説2ページ、初出一覧とがあって、書籍『妖精の森』は、終わっている。)




葉がくれマック




(週刊少年サンデー増刊号 銭ゲバ 特集 1970年8月23日号)

 野原で、むこうから2人の少年がやって来る。ひとりは後ろから、追い立てられているようだ。手前の草むらにはヒザ上丈のスカートと脚が見えており、どうも女生徒が1人、寝そべっているらしい。少年たちはとうとう、その女生徒のところへたどり着き、立ち止まる。
「な、なんの用だよ。こんなところで……」
と、呼び出されたらしい少年が口を開くや、後ろにいた少年が彼の頭を引っぱたいて言う、
「だまっとらんかい!」
そしてさらに、彼は女生徒へ、
「マック兄(あに)い、アキラをつれてきましたぜ。」
 マックというらしい女生徒が半身を起こした。美少女である。が、その目つきは鋭い。
「ぼ、ぼかあまだ授業があってだな……」
 アキラの口調は怯えている。はたして……?



*同人誌『妖精の森』巻末にある解説によれば、この作品は原稿が紛失しているらしい。
 少年マンガでありながら主人公が女の子、それも女番長という設定は、おそらく当時まだ珍しいもので、かつこうした少女像が描かれるあたり、伝統的な性役割に疑問がいだかれつつあった世相が感ぜられるように思う。
 ヒロインの敵役「あゆみ」が、これまた女の子で、とにかく少年たちは物語の中心におらず、添え物になってしまっている。強い美少女、というヒロイン像はやはり、吾妻ひでお新人時代から特色のひとつとなりつつあったのかも知れない。そしてこの事は、同時期の連載作品『ざ・色っぷる』で結実し、あとに続く吾妻ヒロインたちのさきがけとなってゆくようだ。
 題名にある「葉がくれ」を見て、江戸時代の著作である『葉隠』を連想するかも知れないが、このマンガと武士道は特に関係無いだろうと思う。


おーマイ・パック 第3話 壮烈!変身大作戦



(少年チャンピオン 1972年10月2日号)

 作者(?)はカゼをひき、手が震えてペンも使えなくなってきた。そこで市販薬を買い込み、大量に服用する。これで症状は治まった……と思ったら、突然、苦しくなってしまう。ばったり倒れ、起き上がると、彼は吸血鬼になっていた。若い女の血を求め、家から路上へ出たのだが……。

『きまぐれ悟空』終了後に連載された短いシリーズの第3話。なぜかこの回だけが単行本未収録のようだ。第1話と第2話の内容がファンタジーであるのに対し、この第3話は、薬を「いろいろチャンポンで飲んだから副作用が起ったにちがいない」としているあたり、むしろSFマンガと考えるべきであろうか。
 この読み切りの翌週から『ふたりと5人』の連載が始まっている。ちなみにその『ふたりと5人』第1回のトビラには「ふたりの鬼才の大競作集!」という文言があって、井谷好志『いそうろう大将』が同じ号から連載開始したようだ。
 次々といろいろ変身してしまう主人公も厄介なのだが、恐ろしいのは彼ではなく、そんな彼に大もうけのチャンスを見て利用しようとたくらむ女医のほうだ……というヒネリに毒があって絶妙。「変身」は、当時大ヒットしていた『仮面ライダー』の影響からか、このころ巷に流行していたテーマだったように思う。
 最後のコマに手書き文字で「'72.8.27By.H.AZUMA」と記されており、執筆されたのは夏の終わりの時期だったらしい。



風のひょう太郎



(漫画アクション 増刊 がんがん野郎 1974年7月20日号)

 全裸の美女3人が、滝のそばにある池で水遊びしている。これを見ていたペンギンみたいな鳥(?)が、
「ワハッ サクランボたべたい」
と飛び立ち、1人の女の乳首を食いちぎって逃げる。女たちが追いかけると、男がブラジャーをフライパンでいためているのを見つけた。女たちは驚く。
「な なぜかしら この人見てると胸がうずくわ!」
「押したおしたくなるわ」
 興奮する彼女たちと対照的に、男は全く平然としていて……。

*これが第1回のようだが、サブタイトルとかは何も記されていない。トビラには「新感覚ヒョーヒョーギャグ」と書かれている。なんだいこれぁ??? 飄飄(ひょうひょう)ならば、「ふわふわと歩くようす」や「世間ばなれしてつかまえどころのないようす」を意味する言葉だけれど、やはりそれなんだろうか? 女にモテまくっているのに無関心な主人公も不思議なら、その彼がモテてるのも不思議だし、相棒の鳥はペンギンみたいな姿なのに空を飛び、舞台となっている世界がまた時代も地理も定かでない謎めいたものになっている。
 なんとも珍妙な話なのだが、無時代、無国籍というのは『エイト・ビート』の頃まで吾妻マンガの特徴の一つであったろう事を考えると、同時期に執筆された『ふたりと5人』とかに比べ、こちらがより本来の吾妻マンガに近い個性を濃く含有していると言えようか。
 それにしても4色フルカラー、しかもトビラだけではなくて8ページ全部がそうなっているのは、吾妻マンガにはかなり珍しいだろうと思われる。また、この作品は雑誌の中央のページに配置され、しかも版はほぼ正方形に近いB5変型であり、これもまた珍しい事と言えるだろうと思う。



 単行本『失踪日記』によると(p.137)、この作品が発表された雑誌『がんがん野郎』では表紙(上の画像参照)を依頼されたはずなのに、「本が出たら山上たつひこさんの表紙になっていた」ので吾妻ひでおはショックを受けたらしいのだが、全8ページをフルカラーでの新連載だったという点、執筆者としてかなり重んじられていたと考えられるのではなかろうか?



 また、この表紙の左下隅には、吾妻ひでおによるらしい(?)小さな人物画が登場している(上の画像)。このキャラクターは版下での指定による均一な着色がなされており、かつ幾種類かの別ポーズのものがあって、雑誌の本文中にちょこっと出演しているのを見ることができる。ひょっとすると、この人物画が、表紙になる筈だったというものなのだろうか?
 なお、表紙を見ると分かるとおり、この雑誌には吾妻ひでおの高校時代の同級生でもある盟友、松久由宇も『マキ旋風』を執筆、連載している。



風のひょう太郎



(漫画アクション 増刊 がんがん野郎 1974年8月23日号)

 主人公が立ちションしてたら、なぜか刀でさえぎられた。犯人は若い女だったが、独眼なのか左目にマスクをし、鹿皮服みたいなピラピラのついた、勇ましく肌もあらわな装束だ。
「やいやい チンポコ切られたくなかったら有金おいていきな あたいを甘くみるんじゃないよ! このへんじゃ名の通った山賊マラ子だ」
 彼女はそう凄んで見せるのだが、
「切って」
と、男から逆にせまられて……。

*これが第2回なのだけれど、やはりサブタイトルは無い。ついでに主人公の名前もまだ定かではなく、題名によればどうやら「ひょう太郎」らしいと分かるだけ。画像のとおり2色カラーとなり、雑誌の巻末を飾る配置になったのだが、それでも執筆者として優遇されているらしい事は変わっていないと言えそうだ。たった2回で連載終了となったのは残念。女に無関心な主人公という点で、もっといろいろ個性を発揮できたのではないだろうか?



公衆便所で



(コミックVan 1974年11月7日号)

 男が公衆便所へ入る。そこはやたらと汚いうえに、なんと赤ん坊が小便器へ捨てられていた!
「ハハハ どーするんだオイ ヨチヨチ」
と、その子をあやしていたら、すぐ隣では人が死んでいるではないか! 驚いて逃げ出し、個室のほうを使おうと考えてドアをノック。しかし開けてみると中には首吊りした人がいて……。

*今はどうか分からないが、記憶をたどるにこの当時の日本だとまだ、公園などにある公衆便所は昼間でも暗くて、臭くて、およそ考えうる限りこの世で最も不衛生な地点かというようなものが殆どだったのではなかろうか。よりにもよって、そんな舞台を選ぶ吾妻ひでおの(あるいは発注した編集者の)ヘソ曲がり加減も相当なものだと言えそうではある。誰も見たいとは思わなさそうな(作者にしたって誰も描きたいとは感じなさそうな)場所で、想像を絶するあれやこれやの珍奇な光景が展開するこの短編は、吾妻マンガの中でもひときわ突出した怪作なんじゃなかろうか……。なお、台詞は全て手書き文字になっていて活字が無く、トビラのタイトルにしてからがその調子なので、えっれー投げやりな感じが良く出ているようだ。



新年コト初め!?



(コミックギャング 1977年2月号)

 カップラーメンのスープを捨ててしまい、モノを突っ込んで、
「あは きもち いい~~」
などとやってる、どーしよーもない男がいる。
「さて用意はととのった 問題は相手だが……」
と、男はくわえ煙草へ火をつけて一服、あぐらをかき、思案を始めた。
「なんせ一九七七年のカキ初め しんちょうに検討しなくては」
 どうやら彼は芸能人のピンナップを床に並べ、誰が一番いいかを選ぼうとしているらしい。百恵、アグネス、寛子、みどり、宏美と悩んだあげく、「存在感」を求めた彼は部屋を出て、路上で晴れ着の若い女を呼び止めると、いきなり……。

*『ファンキーパーティー』(東京三世社 1989年)という単行本に収録されたことがあるらしいのだが、これは吾妻マンガだけを集めた書籍ではなかったみたいなので(実物未確認)、当サイトでは便宜的に「単行本未収録作品」の扱いで分類しています。
 トビラ部分に「写真」が使われたようで、僕の知るところがもしも正しいとしたら、これは大変珍しく、吾妻マンガでこうした手法がとられた唯一の作品なのかも知れない?
 どんどんとんでもない方向へと話が発展し、驚いた事には結末がSF(?)になっている……(読めば分かります)。新しいもの、独創的なもの、奇妙奇天烈なものを探求するのが本分であるらしい(?)吾妻ひでおが、ギャグの模索を続けるうちに、前衛たらんとした実験から暴走して不条理の方向へと後日に舵を取ることになったのは、べつに進路を誤ったわけではなく、最初から、そうなってしかるべき宿命であったのかも……と、そんな事を考えさせられる一品と申せましょーか。うーん。




いちヌケ君 第1話



(高2コース 1978年1月号)

 居間だろう、1人の男子学生が、コタツから上半身だけ出して寝そべり、テレビを見ている。
「ヌケ男! テレビばっかり見てないで たまに勉強したらどうだ!?」
と、父親らしき人物が彼を叱っても、反応は全く無い。男性はテレビを消してしまうが、そうしたら今度は、画面のガラスに映った自分の顔を見て遊んでいるヌケ男なのだった。
 頭にきた男性は彼を無理やり机に向かわせる。
「ほら 教科書出して!」
 しかし……

*最初の登場場面からしてすでにもう全くやる気が無い主人公。木の枝にぶら下がっている姿は、彼が(動物で例えるなら)ナマケモノみたいな性格なのだ、といった意味であろうか。これは各回4ページ、3回の連載で終了した(だから全部で12ページということになる)短いシリーズなのではあるが、それにしたってとうとう最後まで一言も台詞を喋っていない主人公・ヌケ男の怠惰ぶりは徹底的だ。
 なんだってまた、こういう主人公なんだろうかと思ってしまうのだけれど、これは連載されたのが学研の高2コース、「学力を伸ばし進路を決める総合誌」(表紙にある文言)だったからではないか? その内容の大部分が活字で、しかも勉強と受験の事しか書いてない、どう工夫しても堅苦しい雰囲気をぬぐえない雑誌の中で、突然かくも”頑張らない”学生が姿を見せているといやでも異彩を放ち、読者は気分転換させられる(というか度肝を抜かれる)、という仕掛けになっているように僕には見える。
 この点、連載時の特異な環境から切り離され、単行本に収録された形でこのシリーズを読むと、主人公の印象の奇怪さが弱まってしまうかも知れないという気もする。マンガ雑誌ではない出版物に掲載された作品ならではの、独特な運命というべきか。



いちヌケ君 第2話



(高2コース 1978年2月号)

 教室で授業中らしいのだが、主人公のヌケ男は隣の席の女生徒を黙って見つめるばかり。どうやら彼女に気があるようで、投げキッスをしたりしている。少女は毅然として彼を拒み、無視しようとするのだが、ヌケ男はまるで意に介さず……。



いちヌケ君 第3話



(高2コース 1978年3月号)

「どーすんだよ おまえこの成績じゃ3年はむりだぞ ましてや大学なんて……」 
 教師に呼び出しをくらい、職員室で説教されているらしいヌケ男。
「とりあえず世界史と現国はレポート80枚 英・数は追試を……」
 と、教師は説明するのだがヌケ男は耳をふさぎ、あまつさえ屁をたれるのだった。教師もとうとう堪忍袋の緒が切れて叫ぶ。
「おまえなんか ぜーったい進級させん 死んでもさせん!」
 はたしてヌケ男の運命は?



ぬいぐるみ殺人事件 第3回

(漫画の手帖 16号 1984年3月15日発行)



(これはリレーマンガの一部分として執筆された4ページの作品で、そうした「部分」の「冒頭部分」だけを紹介するのもなんだから、ここでは4ページ全体のあらすじを記そうかと思います。)

<それまでのいきさつ>
 ヒロインの高橋尚美・18歳は、自分のアパートへ帰宅して、見知らぬ男の死体があるのを発見する。いっぽう、盲目の天才中国人・珍東小(チントンシャン)はクリーニング店で働いていたのだが、ヒロインから受注したという怪獣(恐竜)の巨大なぬいぐるみを配達すべく、彼女のアパートへ向かう事になる。ところが当の高橋尚美は、ふと気付いてみたらセーラー服を着て、走行中の列車の中にいるのだった。一体どうなっているのやら、困った彼女は隣の席に座っている人に話しかけるのだったが、それはあの、部屋にあった死体だった。



<第3回のあらすじ>
(あたし きっと何かえたいの知れない陰謀に巻き込まれているんだわ 早く早く 逃げ出さなくちゃ!)
 そう思った尚美は死体をそこへ残し、ちょうどやって来た乗務員からものがれ、車両を出てゆく。次の車両に入ってみると、男が声をかけてきた。
「おや? あなたはまだ ぬいぐるみをお持ちじゃない……これをさしあげましょう」
 そう言われ渡されたのは大きなナメクジみたいに見える「ぬいぐるみ」だったのだが、これがなんだが奇妙な代物で、彼女の背中に貼り付く。するとどうした事か、尚美は自分の意思と関係無しに、服を脱ぎ始めてしまう。慌てて、胡散臭い「ぬいぐるみ」を男に投げ返し、その車両からも逃げ出す。と、誰かが彼女の手をつかみ、引っぱりこんで、ドアを閉めた。見れば、知らない女である。
「尚美さん……あなたって ぬいぐるみ好きでしょ」
「だ 誰?」
「あたし素子よ……あなたもあたしと同じよ 呪われているの!! 見て! 外を!」
 尚美は女の言う通り、窓ガラス越しに車外へ目をやる。すると、何たる事か、巨大な恐竜のぬいぐるみが、まるで生きているかのように、列車と並んで走っているではないか!? そしてそれの背中にまたがり御しているのは、盲目の天才中国人、珍東小なのだった……。

*有名なSF小説のパロディが入っているらしい(似た描写はたしか、藤子不二雄『21エモン』にも出てくる)。
 掲載された『漫画の手帖』はちょっと特殊な出版物で、書店を経由せずに頒布されているようだ。巻末の案内によれば、5回分の購読料を版元へ入金するシステムらしい。16号の版型は181×128mm、全44ページである。





虚空のモナー



(2ちゃんねるぷらす Vol.2)

 作者のもとへ、セーラー服の少女が訪ねてきた。
「あじまセンセー いますかー お友だちのモナーくん 連れてきましたー」
 そう呼びかける少女は、大きな白い猫の手を引いているのだが、作者はなにやら仮装して遊んでいる(?)。
「アシスタントしたいんですって」
「うちはSFできないと使わんよ」
 作者はそのように言うや、いきなり……。

*単行本『失踪日記』カバー裏のインタビューによれば、吾妻ひでお自身はインターネットを使っていないらしい。が、意外や、吾妻マンガにはこのような作品もある。掲載された雑誌『2ちゃんねるぷらす』は現在では休刊してしまっているものの、『2ちゃんねる』は掲示板専門サイトとして日本のインターネットにおいて今も有名だ。「モナー」と呼ばれている猫はそこに登場するマスコット的な存在で、作者自身によるデザインではないキャラクターが主要な役割を果たしている点から言えば、本シリーズは”原作つき”マンガに近いものと考えられようか。前出のインタビューに語られているところでは、「編集者が毎回ネタを持ってきてくれる」らしい。
 この第1話で訪問してくる少女はどうも(『ななこSOS』の)「ななこ」であるらしいのだが、その名前は劇中で一度も呼ばれておらず定かでない(第2話以降では、はっきり「ななこ」と呼ばれており、一種のパラレルワールド出演作と言うべきか)。
 冒頭で作者が見せる仮装は(本作品が掲載された『2ちゃんねるぷらす Vol.2(平成15年6月22日発行)』に写真つき記事があるのだが)、電磁波を防御できるものとして或る組織の成員たちが着用していた白装束を真似ているらしい(同記事によれば『2ちゃんねる』参加者の一部は黒装束で岐阜県清見村へ出向き、これに「対抗」したという)。
 『さらば、愛しき鉤爪』という小説(エリック・ガルシアによる)や、映画『ドリームキャッチャー』(原作はスティーヴン・キング)への言及があり、読者に判じ物を差し出すかのような構成になっている。
 本シリーズは全部で10話が発表されたようで、後日にまとめて再録された。