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さて、いよいよ始まりました「ひげまる偉人伝」、その第1回は黒田如水でござる!
御所サマ、この人選、なかなか絶妙にござりましょう? |
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クロダジョスイ?…なんやキザったらしい名前やな?
なんでこないなオッサンをチョイスしやはりましたのや? |
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生き様でござるよ!男の生き様!男はかくありたいものだ、という見本のような人物で
ござる! |
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へぇ〜…。マロにはただのむさいオッサンにしか見えへんのやけどな〜。
プロフィール見ても、ナニが男の生き様なんか、よーわからしまへんけどな〜? |
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秀吉を警戒させたその謀才、というところがミソでござる。
ある時秀吉が近習を集めて戯れ話に自分の後誰が天下を取るか当ててみよ、と言ったそうでござる。戯れ話だから遠慮は要らん、思うままの人物名を挙げてみよと…。 |
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一番人気はやはり家康さんであらしゃいましょう?太閤さんかてそう思おてあらしゃったのではないんかいな? |
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左様、多くの者が徳川家康の名を挙げ、またある者は前田利家、ある者は蒲生氏郷、伊達政宗と名だたる武将の名が挙がったと申します。
と・こ・ろ・が!…なんと秀吉は誰もが挙げなかった一人の男の名を挙げたのでござるよ!
「余の後を襲うのは、あのちんばめよ!」
…と。 |
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ちんば?びっこを引いておったゆえ、太閤さんはそう呼んでおらっしゃったんやな?
しかしなぜかいな?このオッサンのどこが、…そんなにすごいのや? |
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それは追々申し上げるとして、如水は軍師として一流の武将でござった。あの「和製諸葛孔明」と謳われた竹中半兵衛の亡き後をしっかりカバーして秀吉を支え続けてきたのでござる。そしてそれは本能寺で信長が斃れたという凶報が秀吉の下に伝わった時に起こったのでござる! |
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な…なんや、思わせぶりな言い方やないか?信長さんが倒されてどないしやはりました言うんかいな? |
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もし、御所サマが秀吉の陣営にいて、この凶報に遭ったらいかがなさりましょうや?
場所は備中高松、前面には毛利の両翼、吉川元春と小早川隆景率いる敵の大軍が、そして今は信長の威風に靡いているとは言え、いつまた毛利方に寝返るかわからない中国地方の小豪族達に囲まれて、いったいこりゃどーなっちゃうのボキたち?…てな心境に陥って茫然自失になってしまうのではござりませぬか? |
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マロ?そら、もー大喜びにきまっとるがな!将軍を敬わぬ信長なんぞは、地獄に落ちてしもうたらええのや〜!ひょ〜っひょっひょっひょっひょっ! |
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個人的な好き嫌いはよろしい!客観的にいかがか?…ということでござる! |
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そら、こんな感じやろか〜…。マロはどないしたらええのや〜。周りは敵だらけなんやで〜。絶体絶命やないか〜。もう誰も信用でけへんやないか〜。おかずはなんや〜。納豆や〜…。 |
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…、はい!もういい!信長横死の報に悲嘆にくれている秀吉に近づいた如水は、秀吉の膝をほとほとと叩きながらこう囁いたそうでござる。
「殿の御運、開け参らせる時が参りましたな!」
つまり天下を取るチャンスが来たのだ、抜かりなくやろうぜ!ってことを言ったわけでござる。 |
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そらまた、えらいドライなことを言わしゃったもんや…。 |
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そこでござるよ!たしかに如水の言は客観的に見て正論でござる。信長が斃れ、畿内は政治的空白が生じている。今真っ先に光秀を討ち、京に旗を立てた者が信長の天下統一の事業を継承する権利を手に入れられる。それは秀吉も解っていたのでござる。
しかし人には情というものがある。自分を可愛がってくれた信長の死を悲しみを持って受け止めている自分に平然とチャンス到来などと言う。この男はなんて恐ろしいヤツなんだ…と、秀吉は心の底で恐怖したのでござる…。 |
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そら、デリカシーに欠けるオッサンやと言うことはわかったけど、それと男の生き様はあまり関係無さそうやが? |
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いや、つまり如水はその才能をひけらかし過ぎたおかげで、秀吉から警戒され、天下平定後は不遇な境遇に置かれざるを得なかったということを解ってもらいたかったのでござる。
そして秀吉の気持ちが解ったからこそ、彼は早々と隠居してしまうのでござる。
…しかし秀吉の死後ついに、彼が男の生き様を見せる時がやって来たのでござるよ…! |
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ほーほー、これからが本題言うことであらしゃいますな?
太閤さんの死後、…関ヶ原の合戦やな? |
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左様、石田三成挙兵の報を如水は居城の豊前中津で知るのでござる。彼は明晰な頭脳で諸情勢を分析し、一か八かの大博打に打って出ることを決意するのでござる。
即ち、徳川方と石田方の両軍はおそらく濃尾平野のどこかで衝突するであろうこと、決着が付くまでに最低でも3ヵ月は掛かるであろうこと、そして九州を始め西国諸国の大名達はこぞってどちらかの陣営に出陣しており、どこもかしこもほぼもぬけの殻であろうこと…。 |
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つまりどういうことであらしゃいますのや? |
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徳川、石田両軍が濃尾平野でにらみ合いをしている間に九州を平定し、その兵力を以ってもぬけの殻の山陽道を一気に突き進み、京、大阪を制圧、その頃には徳川か石田かのどちらかが勝者となっていようが、長きに亘る戦いでへとへとのはず、その勝者を叩き潰す!そして…。 |
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て、天下や!天下を狙ったいうことなんやなっ?! |
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さすが御所サマ!陰謀渦巻く鎌倉武士団の上に君臨していただけのことはありますなっ!
如水は今まで卓抜した才能を持ちながら、若い頃は主家の小寺家のため、その後は秀吉のために使い、それを自分の為に十分発揮することはできず、また秀吉という天下人に恐れられたおかげで不遇であった。しかし人生50年を過ぎてついに己の才能をフルに発揮して名を千載に残せるチャンスがやってきた!人生の5尺玉を派手に打ち上げる時がやってきたのでござるよっ! |
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はぁぁぁぁぁ〜、人生の5尺玉かいな〜。
マロの場合は派手にやらかそ思うたら、コッパミジンコんなってしもうたんや〜。
…それにしてもや、さっき西国一円もぬけの殻や言うたな?
なれば如水さんとこももぬけの殻やったんやないか? |
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おおせのとーり!如水は隠居の身、黒田家の当主である倅の長政はこの時、軍勢をすべて引き連れて徳川家康に従って上杉討伐に行っておりましたからな。 |
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それでどないにして九州を平定するつもりであらしゃったんや? |
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実は黒田如水、名だたるケチでござってな、金銀をしこたま溜め込んでおったのでござるよ。その金銀を城の座敷にどざぁぁぁぁっとぶちまけて、それを褒美に志願兵を募ったのでござるよ!
秀吉によって戦乱の世に終止符が打たれたとは言え、当時はまだ殺伐とした戦国の気風が色濃く残っていたころのことでござる。たちまち怪しげな連中が続々と集まってきたのでござる。その数4千! |
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ふぅ〜ん、なかなかやるやないか。そやけどなんや?つぎはぎだらけの古具足をつけている者、兜だけを被っている者、農耕馬に乗って紙の陣羽織を着ている者…、ロクなもんがおらぬようやが、そんな烏合の兵4千で九州制覇はちとお骨折りなことであらしゃいましょう? |
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ところが如水には強い味方が九州にいたのでござる。他でもない、熊本城主、加藤清正でござる。清正は倅の長政とは親友の間柄で、如水のことを「黒田のおやっさん」と呼んで慕っていたのでござる。この猛将、加藤清正と連携し、如水はいよいよ活動を開始するのでござる。 |
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そやけど、この時日本は徳川さんにつくか石田さんにつくかで真っ二つに割れとったんや。
如何にドサクサ紛れや言わしゃっても、どっちかに味方せんことにはどないにもならしませんのと違いますやろか? |
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そこは如水のこと、抜かりはありませぬ。九州の大名はほとんどが石田方の西軍でござったが、倅の長政が徳川方の東軍に従軍していたこと、朝鮮出兵の折如水は石田三成のせいで秀吉の勘気に触れたことがあり、三成とは人間関係がうまくいっていなかったこともあり、一応は東軍に味方すると触れて、西軍方の諸城を攻略することにしたわけでござる。もちろん三成からも誘いの使者がござりましたが、九州のうち7カ国をくれれば味方してやるぞ、なんて言って煙に巻いておりますな…。 |
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で、いよいよ出陣というわけや? |
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左様!慶長5(1600)年9月9日、如水は例の4千の応募兵を率いて出陣したのでござる。
中津城を真っ先に出た如水は、城外のはずれにあるお堂に床几を据えて、その前を通り過ぎる兵士達に一々声をかけたそうでござる。若者に対しては
「あっぱれな武者ぶり!頼りにしておるぞ!」
そして老人に対しては
「さすが幾度もの戦いで生死の境を潜り抜けた古強者は面構えからして違うものじゃ、俺はうれしいぞ!」
などと一人一人に声をかけ、大殿様から直接声をかけられた兵士たちは感激してモチベーションは一気に高まったのでござる! |
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ああああ、それや、それなんや〜。マロももう少し下々の者に優しい声をかけてやっておれば、すべての御家人を味方に付け、北条の奴輩をけちょんけちょんにでけたやろにな〜…。 |
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…、ま、御所サマには出来ぬ芸当でございましょうな。
いつもうひょうひょ奇声を発しているお方が左様な言葉をかけても気味悪がられるだけでござりましょう…。 |
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…、早う続きを話さんかい! |
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さぁそれからの如水軍の戦いぶりはみごとなもので、わずか10日ばかりの間に九州各地の西軍方の諸城を半数ばかり陥れてしまうのでござる。その間如水は甲冑も着ず、ただ采配を持って馬に乗り、トコトコと出かけていくだけでござるが、戦えば必ず勝ち、途中何度も中津城の傍を通過したのでござるが、一度たりとも城で休息することなく、北へ南へ東へ西へ、忙しく動き回ったのでござる。
しかし、なんとここに至って如水に思いもかけぬ誤算が生じたのでござる! |
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ひょ〜っ、ひょっひょっひょっひょっ!そう来んとおもろあらしゃいません〜!
で、なんや?どないなアクシデントが如水さんの身ぃにふりかかったんや〜? |
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な、なんとたったの1日で関ヶ原の勝敗が着いてしまったのでござる!これは如水にとって大きな誤算でござった。関ヶ原の戦いがあったのは9月15日、如水の元に密書が届いたのはその7日後でござった。その時如水は自分が天下を握るチャンスが去っていったということに気付いたのでござる。そして如水は密書を読むとすぐに細かく破り、火中に投じたのでござる。重臣の1人が今の密書には何とかいてあったのかたずねると、
「なんの、おなごのことよ…」
と如水はけろりとして言ったそうでござる。 |
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ほう、天下の権をおなごに例えたわけや、おなごに振られた、つまり天下の権を握り損ねたと…。 |
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ところが如水、がっかりして戦いをやめると思いきや、ますます活動を盛んにするのでござる。関ヶ原で家康が勝ちを収めたとは言え、大阪城には西軍の総帥である毛利輝元が健在で、これがどう出るかわからない。毛利がその気になれば、国許に敗退した土佐の長曽我部、薩摩の島津と連携して家康に対抗することが出来るのでござる。 |
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つまり、徳川と毛利、それに如水の北九州を加えれば天下は三分、形勢は面白いことになる…と踏んだわけや。 |
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さて次第に軍勢を大きくしていった如水はついに1ヶ月余で豊後、豊前、筑前、筑後を平定し、肥後熊本の加藤清正と連合して薩摩を攻めようとしたのでござる。
1ヶ月!たったの1ヶ月でござるぞ!なんたる早業!やはり如水は天才、今まで他人のために使っていたその才を、ついに自分の天下取りに使うときが来たのでござるっ! |
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そやけど、家康さんはそれを黙って見ていたんかいな?なんぼ戦後処理に追われとった言わしゃっても勝手に九州を切り取りまくっとる如水さんをほっておいてええもんやろか? |
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その辺は如水だけあって抜かりはござりません。10月25日、如水は筑後柳川城を落とすのでござるが、この日、上方で戦後処理をしている家康に経過報告の手紙を書いているのでござる。 |
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ふむ、この攻伐事業はすべて家康さんのためなんや、と念には念を入れて家康さんに思わせとこかいな…言うことやな? |
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「九州はそれがしと加藤清正でほぼ平定し、あとは薩摩の島津のみとなりました。しかし島津は大敵ゆえ、早急には攻められませぬ。しばらく準備し、明春、加藤清正と共に討ち入りたい。このことお許しくださるように」…という趣旨の手紙を書き、家康の許しを貰っているのでござる。 |
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家康さんもずいぶん簡単に許したものや、如水さんがホンマは何をたくらんでおるんか、知っておらっしゃったんやろ?家康さんはなかなかのタヌキであらしゃいますからな〜。 |
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家康のタヌキぶりはさておき、この如水の工作は結果的には失敗でござった。実は如水に攻められる側の島津が一枚上手だったのでござる。島津は関ヶ原から国許に敗走するとすぐに国境を固め防戦の用意をする傍ら使者を家康の元に送って謝罪外交を展開するのでござる。罪を許せ、しかしながら封土を削るな、一尺一寸でも削れば国を挙げて応戦する…という恫喝を含めた巧妙な謝罪でござった。 |
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家康さんは考えたわけやな。今島津が反抗すればせっかく手ぇに入った天下が再び騒然となり、各地に英雄豪傑が起こらはってついには掌中の天下を失うはめになるやも知れん…。 |
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なおかつ、黒田如水という曲者がござる。天下が騒然となれば如水はきっと島津を攻めるどころか逆に手を結び加藤清正を先頭立てて上方に押し上ってくるに違いござらん!かくして家康は腸の煮えくり返る思いで、島津の降伏を受け入れるのでござる。
そしてその瞬間、如水の夢は潰えたのでござる。 |
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それは残念さんであらしゃいましたな〜。そやけど、本心はどうあれ家康さんのために九州の西軍方の諸城を攻略しはったんや、この功績で黒田家は筑前52万3千石の大大名にならはったいうわけであらしゃいましょう? |
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それは違うのでござる。筑前52万3千石は如水の功績ではなく、倅の黒田甲斐守長政の功績に対してあて行なわれたものでござる。長政は父譲りの謀略を駆使し、多数の豊臣系大名を家康に加担させたばかりか、西軍の諸将をも調略してその内応を取り付けた抜群の功労者だったのでござる。関ヶ原の合戦がわずか1日で終わったのは長政の周到な根回しによることが大でござった。家康は戦後、長政の手をおし頂き、
「我が徳川家の子孫の末の末まで、黒田家に対して疎略あるまじ」
と申したそうでござる。 |
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なんということや!如水さんはこの戦いが長引くものやと、急ぎ九州を平定してその兵を以って中央の覇者と争い、ついには天下を我が物にしたろと思うとったんやろ?そやから牢人どもをかき集めて九州の諸城を落としまくったんやないか!それを我が子が、我が真似をして策士を気取ったがために関ヶ原の戦いは1日で決着してしもうた言うわけやなぁ…そら殺生や…。 |
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長政の活躍を聞いた如水は我が真似をするならするでなぜ天下を狙うほどの目標を持たぬのか、と、側近にこぼしたそうでござる。
また後日、父如水に戦の経過と加増の報告に如水に挨拶に来た長政が、家康から手厚く感謝されたことを話し、
「内府(家康)は私の手を3度頂かれました」
とうれしそうに言ったのでござるが…。 |
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そら息子としては、おもうさん(父親)が喜んでくれはりますやろと思われたんであらしゃいましょう?そやけど如水さんにとっては面白くない話しや…。 |
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うれしげに語る長政に如水はこう聞いたそうでござる。
「内府が頂いた手は右手であったか左手であったか?」
長政は妙な質問をするものだと思いながらも、
「されば、それがしのこの右手でございます」
と自分の右手をかざしながら答えたそうでござる。如水は苦笑し、こう言ったと申します。
「内府がそちの右手をおし頂いている時、そちの左手は何をしていたのだ?」 |
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ふっひょぉぉぉぉぉぉっ!
そら左手でなぜ家康さんを刺し殺さなんだのかという意味やな!
長政さんはこれでやっとおもうさんの真意がわかったわけや。 |
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如水は後に長政に自分が為そうと思っていたことをすべて話しておりまする。人生も先が短い晩年に、自分の才能を試す千載一遇のチャンスが訪れた、人生の最後に天下という夢を追ってみようではないかと…。
「1人息子のそなたではあったが、可哀想なれど捨て殺しにするつもりだった…」
といずれ決戦をするはずであった家康陣営にいた長政に語っているのでござる。 |
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ふぅ〜む、長政さんはそれを聞いてどないな気持ちになったんやろ?おもうさんにはかなわしませんと思うたんであらしゃいましょうなぁ…。
52万3千石の件はこれでわかりましたんやけど、それならば肝心の如水さんへの恩賞はどないなったんであらしゃいますか? |
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…なにもござらん! |
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ほ?
…そないなアホゥなことがあらしゃいますのんか?九州一円を東軍のために征服した如水さんの戦功は誰もが認めるところやろ? |
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たしかに仰せの通り!現にこの時も側近の1人が家康にその旨を言上したそうでござる。すると家康は一言、
「あの老人、何のために骨折ったのやら?」
と申したそうでござる。
もっとも九州のことが片付いた後、祝辞を述べるために上洛した如水が家康に謁した時に、家康から官位昇進とあわせて隠居料として領地を差し上げたいという申し出があったのでござるが、如水はすでに愚息の長政が過大の加封を受けております、我が老後は長政が養ってくれましょう、と、この申し出を辞しておりまする。 |
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なるほどなるほど、一期の思い出に天下を取ってみたかったが、その思惑が外れた以上、もとの隠居に戻って気楽に日々を送りたい…と。爽やかなる心意気や! |
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将軍の座を追われてからも、うじうじ恋々としてござった御所サマとは大違いですなっ! |
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…それで如水さんはその後どうなったんや? |
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さればでござる。上洛した如水は一躍洛中の人気者と相成ったのでござる。何と言っても赤手で九州一円を切り取った英雄として、公家、大名、僧侶が先を争って如水の旅寓を訪問したのでござるが、座談の名手である如水の評判は評判を呼び、果てはなにやら怪しげな連中まで出入りするようになったのでござる。 |
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ほほう、そら剣呑なお話や!家康さんがその気にならしゃれば、なんぼでも難癖がつけられるのと違いますか?「如水は怪しげな連中を引き入れて謀反を企んでいる…」なんてな。 |
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これは御所サマ、なかなか冴えていらっしゃいますな!
ある日如水の旅寓に山名禅高(やまなぜんこう)という男が訪ねてきたのでござる。この男は秀吉の御伽衆の1人で如水とも懇意な人物でござる。 |
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おお!山名禅高と申せば室町時代の名家、応仁の乱の一方の旗頭、山名宗全の子孫で因幡鳥取城主やったが、織田方についたり毛利方についたり、あまりのポリシーの無さに愛想を尽かした家来どもに追い出された情け無い男や!そやけど人の好い性格で、秀吉はこれを哀れんで御伽衆とし、捨扶持をくれてやってたわけやな。
その禅高さんが何の用で来らはったんやろか? |
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禅高は如水と面会するなり、ご忠告申し上げたい、などと言い出したのでござる。
「貴殿が門客を集めてご謀反を企んでおられるというもっぱらの噂でござる。加えて宇治や山科あたりに近頃浪人供が数多住んでいるが、実はこれは貴殿が京都を占拠する為に密かに蓄え置きたる人数だといわれております。それがしは信じてはおらぬが、世間ではそのような評判が立っているのです。内府(家康)のご性格は貴殿もよく存じ上げておられようが、あるいは訪客の体を装って探偵の者が紛れ込んでおるやもしれませぬ。お気をつけられよ。」 |
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キタ−(・∀・)−ッ!!
マロにはわかるぞよっ!そう言わっしゃる禅高さんこそ、家康さんの探偵ではあらしゃいませんか! |
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聞くなり如水は畳を叩いて怒気を発したと申します。
「かの年、自分は上方の変報を知るや、兵を挙げて四方を征伐し、ついに九州を平らげた」
そして「もし自分に野心があるならば…」と如水は恐ろしいことを禅高に向って話し出すのでござる。
「九州の兵を率いて山陽道を無人の野を駆けるがごとく攻め上る。先鋒は加藤清正である。あの勇猛な清正が自分の采配で動くならば向うところ敵なしである。やがて我が軍は播州に達する。播州は我が故郷、馴染みの者も多く、この播州に旗を立て、天下に檄を飛ばせば慕い集まるものは10万を下るまい。その兵を以って内府と決戦すれば天下の権はどちらに転んだかわからない…」 |
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おおおおおおおおっ!魂が震えてくるよやないか! |
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「しかしながら…」と如水は続けるのでござる。
「俺はそれをせなんだ。ばかりか自分が力ずくで獲った九州の諸州諸城を一つ残らず内府に差し出し、しかも身一つで上洛し、内府にその戦勝を賀している。それほどまでの俺が…いまさら謀反などすると思うか?」 |
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ずきゅううううううううん!マロは止めを刺されたわいな!
戦国の武家に生まれた者にとっての究極の夢である天下の権、人生も晩年になってその夢を掴むチャンスが訪れ、一期の思い出にと一世一代の勝負に出たんやが、儚く夢は散ってしもうた。それでも自分は満足である。心は秋の空のように澄み切っておるのや…と如水さんは言うてはるのや…。 |
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この言葉は禅高を通じて、実は家康に語りかけておるに違いござらん。事実家康は禅高から報告を聞いて一言「重畳」と微笑しただけで後は何も言わなかったそうでござる。多少疑っていた如水の本心を知って安堵したのでござろう。
その後如水は大封を得た長政に養われながら村童と戯れ、気楽に家臣の家を訪れて茶を飲んだりという隠居生活を楽しみ、59歳で世を去ったのでござる。 |
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いや、見掛けは地味やけど、このオッサン、なかなかの人物やったんやな〜!
なんやマロも胸がすぅ〜っとした気分になったわいな! |
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左様、男子たるものやるときゃ、やる!そしてベストを尽くしてもだめだった時は、うじうじせず潔くあきらめる!人生悔いを残さないことが肝心でござる。
御所サマみたいのはダメダメちゃんでござるな…。 |
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ムキィィィィィィィィィィッ!
…この、スカンタコぉぉぉぉっ! |