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「暴れん坊将軍」、また3月から新シリーズが始まるんかいな?これもなかなかの長寿番組にならしゃいましたもんやな〜。 |
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御所サマにおかせられましては、「暴れん坊将軍」が御気に召しておいででござったか? |
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そら、もーめちゃオモロイやないか〜!何と言っても「成敗!」言うてお庭番に悪人をたたっ斬らせるところなんぞは胸がすぅとしますのや〜。マロにもお庭番がいてくれたら「成敗や!」言うて北条時宗のワカゾウめをばっさりと斬って捨てて、胸をすぅとさせることがでけましたんやけどな〜。 |
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…、御所サマがお庭番を持っておられたら今頃大相撲では力士たちが鷲のポーズをとりながら土俵をぐるぐる回って、朝青龍が外人横綱にカウントされることも無かったでしょうな。 |
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なんや?マロでは蒙古襲来を撃退でけしません、そう言いたいのんか?マロかて権力さえあれば吉宗さんのようにやな、国政を改革してやな、経済を建て直してやな、国防予算をバーンと付けてやな、大陸からのミサイル防衛網整備計画をやな… |
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…御所サマ、拙者そろそろ寝てもよろしゅうござるか? |
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ま、そう言わんと、茶でもひとつどや? |
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要するに御所サマは同じ将軍として果敢にリーダーシップを取って日本の経済建て直しに尽力し、現代でも評価の高い徳川吉宗がうらやましい…というわけですな? |
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んー、まぁそやから「暴れん坊将軍」も楽しみなわけなんやけどな〜。初めの頃は悪事を働くものどもの裏で中尾彬の尾張の殿さんが糸を引いてたりしてましたけど、それもみごとに撃退して改革を進め、悪を挫くヒーロー将軍、…ええやないか! |
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…、では今宵はその悪の黒幕である尾張の殿様、徳川宗春のお話をするでござる。その上で吉宗は本当に正義の将軍なのか、尾張の殿様は悪の黒幕なのかを考察していただきたいでござる。 |
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なんや、吉宗さんやのうて、黒幕の話かいな?そやけど尾張さん言うたら将軍さんの親戚やろ?それが何で将軍さんの足を引っ張ることするんや? |
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まずは吉宗と尾張徳川家との微妙な関係から知っていただかねばなりませぬな。
8代将軍徳川吉宗という人物は徳川嫡流ではなく、紀伊徳川家の出身だったのでござる。まだ少年であった7代将軍徳川家継が世継ぎの無いまま死んで、徳川宗家の血統が断絶したので、紀州藩主であった吉宗が将軍になったのでござる。 |
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ほう、つまり本家の血筋が絶えたから、分家が入って本家を継いだわけや。それはまぁよくある話やな。 |
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紀伊徳川家というのは尾張徳川家、水戸徳川家と合わせていわゆる御三家と呼ばれる家柄でござるが、御三家の筆頭は尾張徳川家、しかも家康の遺言では、宗家の血が絶えた時は、尾州もしくは紀州が宗家を継ぐようにということでござった。すなわち将軍継承の優先権は紀伊家ではなく尾張家にあったのでござる。これは兄弟の順序、すなわち尾張家が一番のお兄さんだからでござった。 |
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ふ〜ん、するとホンマは尾張さんが将軍を継がんならんとこを紀州の吉宗さんに横すべりして持ってかれた、言うわけやな?その恨みで中尾彬の宗春さんが吉宗さんをこかそ思うていろいろ糸を引いとったわけや! |
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いや、実際に吉宗と将軍職を争ったのは、宗春ではなく、兄の継友でござる。宗春が尾張藩主になったのは享保15年、享保という元号は吉宗が将軍に就任した年に改元されたわけでござるゆえ、尾張と紀州の将軍争いからすでに15年が経過していたわけでござる。尾張藩主を継いだ時、宗春は34歳、中尾彬と言うよりはNHK大河ドラマ「徳川吉宗」の中井貴一の方が雰囲気近いでござろうな。 |
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ふ〜ん、まぁ15年も時が過ぎよるのやったら今さら跡目争いの恨みつらみ言うのもどないやろか、言うとこやな。 |
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だがしかし、尾張と紀州の将軍跡目争いと言うのは実は根が深いものがござってな、5代将軍徳川綱吉の頃にすでに端を発しているのでござる。それに関連してかいろいろととやかく言う話もござりましてな…。 |
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な…なんやねん、いろいろやら、とやかくやら、そのオブラートで物を包んだような物言いは? |
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ま、あんまりこの辺を深く探るとだんだんトンデモ本のような世界に埋没しかねないので、あまり気にするような話では無いのでござるが、徳川吉宗が将軍に就任する当時の御三家の当主を見ると、吉宗は紀州の5代藩主、尾張の徳川継友は6代藩主でござったが、御三家の中で、唯一将軍後継の権利が無かった水戸の徳川綱條は3代藩主…。 |
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んん?将軍後継レースに参加しとらん水戸に比べて尾張と紀州はころころと殿さんが代わっとる言うことか?尾張と紀州の戦いは綱吉さんの頃からやと言うてあらしゃったが、なんぞ関係があらしゃいますのか?
そやが綱吉さんの跡を継いだんは尾張さんでも紀州さんでもない、甲州さんやったろ? |
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左様、綱吉の跡目は甥である甲府宰相松平綱豊が継ぎ、6代将軍徳川家宣となるのでござる。ではなぜ綱豊と言う歴とした後継者がいたのにもかかわらず、このころから尾張と紀州で後継争いが始まっていたかというと、実は将軍綱吉、後継者である甥の綱豊が大大大大大っ嫌いだったのでござる!ひょっとすると綱吉が
「ぼかぁ綱豊なんか将軍にさせたくないんだもんね!やめやめ!」
などと言い出す可能性だってあったのでござる。 |
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…わからん、マロにはさっぱりわからん。そないに嫌いなんやったら最初から世継ぎに指名せんかったらよろしいのや! |
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ところがそうは参りませぬ。松平綱豊の父親、松平綱重は綱吉の兄でござる。長兄である4代将軍家綱が世継ぎ無く没した時、次兄の綱重も故人となっていて、末弟の綱吉が5代将軍になったのでござるが、本来の継承順位から言えば、綱重の子である綱豊が5代将軍になるべきでござった。当時綱豊が幼少だったということもあって綱吉が将軍になったのでござるが、そのような引け目があったため、世継ぎの無い綱吉としては綱豊を無視するわけにはいかなかったのでござる。しかもそれを強硬に支持していたのが、水戸のご隠居、光圀公でござったので、なおさらでござるな…。 |
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なるほど、左様な事情で尾張さんと紀州さんは、
「ひょっとしたら、ひょっとするぞ!」
言うわけで色々画策しとったんやな?
で、いろいろやらとやかくやら言わしゃる話はどうなったんや? |
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まずは御三家筆頭、尾張3代藩主徳川綱誠(つななり)でござる。綱誠は御三家筆頭と言うだけではござらぬ、その母千代姫は3代将軍家光の娘即ち現将軍綱吉の姉という関係で将軍家とも非常に血が近かったのでござるが、なんと木苺の食べ過ぎでお腹を壊して急死してしまうのでござる! |
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き…木苺?! |
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綱誠の急死によって尾張4代藩主を継いだのはわずか11歳の吉通でござった。これで尾張は将軍後継者レースから一歩後退でござる。
替わりに一歩リードした紀州の殿様はこれまた3代藩主の徳川綱教(つなのり)でござるが、なんと綱教の正室鶴姫は将軍綱吉の娘だったのでござる。即ち綱教は将軍の娘婿というわけで、俄然紀州は尾張に1馬身も2馬身も差をつけたのでござる。
実は将軍綱吉には徳松という実の息子がいたのでござるが、幼くして死亡したのでござった。この時から将軍後継レースがスタートしたと言ってもよいのでござるが、綱吉は娘婿の綱教を後継者にするか、もしくは綱教と鶴姫との間に生まれた子供を養子にする意向だったようでござる。 |
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そら、紀州さん圧倒的に有利であらしゃいますな。そやけどそこで水戸の黄門さんから物言いがついたと言うわけやな?筋で言えば甲州の綱豊さんが次の将軍さんになるべきであらしゃいませぬか?と。 |
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左様でござる。そんなこんなで綱吉もはっきりと綱教を後継者に指名できず、ぐずぐずしていた所に思いがけない不幸が訪れるのでござる。
子供の無いまま鶴姫が病死、そして綱教も後を追うように他界するのでござる…。 |
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ええええ?そらまたなんとお気の毒さんなことであらしゃいましょう〜。綱吉さんも相当ガックリきたんやないかいな? |
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紀州の不幸はそれだけに留まりませなんだ。綱教には子が無く、弟の頼職(よりもと)が跡を継ぐのでござるが、なんとこの徳川頼職、藩主就任は5月でござったが、その年の9月にはあの世へ逝っちゃったのでござる!
26歳の若さで妻子は無く、跡目はこれまた弟の松平頼方(よりかた)が継ぐのでござるが、これが後の8代将軍吉宗でござる。 |
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そらまた紀州さんは踏んだり蹴ったりやな〜。おかげで紀州さんも将軍後継レースから脱落というわけかいな…。 |
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吉宗は後に8代将軍になるとは言え、この時点では部屋住みの身分からいきなり紀州藩主になったばかりで、とてものこと将軍後継候補にエントリーはできなかったのでござる。しかも打ち続く紀州徳川家の不幸、
実はこの年、宝永2(1705)年は、3代綱教、4代頼職が相次いで死去した年であるわけでござるが、さらにご隠居の2代光貞も頼職の死の直前、8月に死去しているのでござる。 |
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そら、なんぼなんでも不審とちがいますか?そないにバタバタ続けて亡くなられはるなんて、…まさか、毒殺?! |
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…、ま、左様な憶測が流れても無理からぬほどの事態でござったわけですな。これで御三家はガタガタ、よって将軍継嗣は甲府宰相松平綱豊改め徳川家宣に決定し、6代将軍となったわけでござるが、尾張と紀州の軋轢はまだまだ続くのでござる。 |
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な、な、毒殺やろ?毒を盛ったり盛られたり、盛られたら盛り返せ!…言うてな!将軍の座を巡って恐るべき陰謀と闇の戦いが繰り広げられとったんやな?
なんちゅうことや!親戚同士が互いに毒殺合戦とは、ホンマ、怖いことであらしゃいますな〜! |
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…御所サマ、本当は毒殺合戦の方が楽しいのではござらぬか? |
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うひょ?…うひょひょひょひょひょひょひょひょっ!
そないなことあらしまへん!マロも同じ将軍としてやな、神聖な将軍職を巡って血で血を洗うが如き抗争劇は、こりゃ、正視に堪えられるわけあらしゃい… |
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はいもーけっこう!
さて6代将軍綱豊改め家宣には家継という幼い1人息子がおりましたが、これがもう本当に虚弱体質のちびっ子で、ちょっと緊張するとすぐ高熱を発して寝込んでしまうと言う有り様でござった。そこで家宣は尾張4代藩主徳川吉通を江戸城西之丸に入れて、家継を後見させ、家継に万一の事あらば吉通に将軍職を継いでもらおうと考えたのでござる。家宣はこのことを側近として重用していた新井白石に諮問するのでござるが、白石はそのようなことは世の乱れの元となると強硬に反対し、結局家宣の個人的な腹案と言うことで終わってしまったのでござる。 |
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とは言えやな、そないな話はすぐにうわさとして広まるもんや。吉通さんはどっかからかその話を聞いとってうきうきしとったんやないか?それを白石のおかげでワヤになったと聞かされて、がっかりさんにならしゃいましたんと違うか? |
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左様、徳川吉通という人物はけっしてバカ殿ではなく、むしろ英邁な資質を備えていた形跡がござるが、この頃から行状が乱れだした様でござる。将軍後見人もさることながら、彼にとって一番の悩みは実は彼の生母、本寿院という女性でござった。このマダムは、藩主の母親であることをいいことに真昼間から酒宴を催し、その欲望の赴くまま次から次へと若い男を引っ張り込んではなにやらかにやら…と、かなりのご乱行が評判になっていた女性でござる。 |
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ふむ、要するにぐれてしもうたというわけやな?家庭内の問題で悩んどったとこに将軍になれるかもしれないという自分の未来にとって一筋の光明が灯ったのもつかの間、その話がわやにならしゃって、やけっぱちにならしゃったというわけや。 |
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かなり大酒を飲んで泥酔しては暴れたりしておったようでござる。
そんな中、6代将軍家宣は治世わずか3年で死去、7代将軍はひ弱な家継坊ちゃんが就任したわけでござるが、なんとこの年、正徳3(1713)年7月26日、従三位権中納言尾張4代藩主徳川吉通25歳は食事を終えた直後に突如吐血して急死!後を継いで5代藩主となったのは吉通の嫡男五郎太わずか3歳でござったがなんとなんとこの年にこれまた急死! |
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やっぱ毒殺やったんや!紀州毒殺ドミノ倒しから尾張毒殺ドミノ倒しへと攻守交替いうことであらしゃいましょう?そうに違いないいやきっとそうなんやっ!事件の黒幕はひょっとして、ひょっとすると吉宗さんではあるまいな?
2人の兄を毒殺して紀州藩主の座を手に入れ、将軍後継の野望を抱いてライバルの尾張藩主を毒殺、そして次なるターゲットはいよいよ…。 |
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ま、確かにこの後将軍家継はわずか8歳で死去、ここで徳川本家の血筋は断絶し、紀州の吉宗がまんまと8代将軍になったのでござるから、金田一耕介に出てきてもらいたくもなりますな。
さて尾張藩も赤ん坊藩主五郎太に死なれて、吉通の弟、松平通顕が6代藩主に就きまする。名を改めて徳川継友。この継友が8代将軍の座を吉宗と争うことになったのでござるが、その顛末は「ひげコラム」所収の「御三家」を参照いただくとして、吉宗が将軍に就任したことで、尾張と紀州の果てしない将軍後継者争いは一旦幕を閉じるのでござる。…が。 |
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「…が」?「…が」とは一体なんのことやっ! |
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将軍後継者争いに敗れた継友ではござったが、性格は極めて温厚な人物で、将軍吉宗の足を引っ張るどころか、よく将軍を立てておったそうでごる。しかしやはりいきさつがいきさつなので吉宗と継友の間にはどことなくしっくりいかない面もあったようで、吉宗はある日継友を城に招いて、プライベートな酒宴を催し、2人サシで酒を飲んで和解を試みたのでござる。 |
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ふむ、さすが吉宗さんや。将軍自ら胸襟を開いて継友さんとひとつ仲良うしょうやあらしゃいませんかと、ノミニケーション言うやつやな!
それで「…が」とはなんや? |
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継友は下城し、藩邸に戻ると
「今日は誠によい日であった。上様と打ち溶け合って語らい、永年の心のしこりが取れた心地がする。」
と家臣たちに話し、満足げであったといいます。
…と・こ・ろ・が。 |
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うわぁぁぁぁぁぁぁっ!
なんなんやっ!「と・こ・ろ・が」ってなんなんやぁぁぁぁぁぁぁっ! |
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その晩、継友は突如大量に吐血!あっという間に危篤状態に陥るのでござる。そして数日後弟の松平通春を枕頭に呼び寄せると後事を託し、儚くなったのでござった。享年39歳、世継ぎなし…。 |
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やっぱり、や・っ・ぱ・り!吉宗さんは毒を盛ったんや!もー間違いあらしゃいません!なにが「暴れん坊将軍」や!「悪魔の毒々将軍」やないかっ!た、逮捕やっ!等々力警部を呼べっ!今すぐっ!Now! |
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ま、ま、御所サマ、落ち着いてくだされ。確かにこの時は尾張藩家中色めき立ったと申します。舎弟松平通春も継友危篤の第一報を聞いた時に思わず
「毒ではあるまいな?」
と叫んだと申します。
いずれにしろ、継友は死に、松平通春が相続を許され、将軍吉宗の一字をもらい、第7代藩主徳川宗春となったのでござる |
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ほう!いよいよ宗春さんの登場やな!待ってました!これから宗春さんの逆襲が始まるわけや! |
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おっと御所サマ、セッシャこれから「機動戦士Zガンダム」の再放送を観賞いたしますゆえ、今宵はここまでにいたしとうございます…。宗春の活躍は次回のお楽しみに〜♪ |
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そんな殺生なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜 |