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My Profile
神奈川県秦野市。
丹沢のふもとで生まれ、
子供の頃は弘法山に遊び、小学校の遠足はヤビツ峠。
しかし、もともと理論だけは一流の運動音痴。
その後は山と無縁の、というよりはまったく室内型の人生を送ってきた。
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1995年。
タクラマカン砂漠を横断し、楼蘭古城を訪ねる旅の一員に加わった。
(詳しくは番外編「楼蘭王国探検記」をご覧ください。)
砂漠を歩いたのはたった3日間だったが、
人工物のまるでない砂漠を歩き、
やっと遺跡に到達したときの充実感は今でも忘れられない。
今思うと、この感覚が山行に結びついているのかもしれない。
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1996年。
会社の仲間で富士山に登ろうという企画が持ち上がった。
一度は登ってみたいと思っていたので迷わず参加を決め、
キャラバンシューズとゴアテックスのレインウェアーを買った。
午後8時、5合目吉田口集合。
8月も下旬で長袖でも涼しいくらいだった。
ちょうど都心で夕立があり、雲のかなたで稲光が光っている中、
午後9時出発。
山頂までの道のりで覚えているのは
大渋滞でなかなか進まないのと、雨具を着ていても寒かったこと。
山頂直前でご来光を仰いだ。
山頂では眠気と、寒さしか覚えていない。
早々に下山にかかり、5合目でのスイカがやけにおいしかった。
歩く辛さはそれほどでもなかったが、
もう一度という感激はあまりなかった。
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1999年。
20年来の仕事の付き合いのあるK氏と山の話になり、
一度一緒に行こうということになった。
八ヶ岳に登り、その後松本の古民家に住む共通の知人を訪ねるという計画だった。
ガイドブックを読み、地図を求め、準備は万端。
山行の数日前、
室内積木遊びの帰路、寒気を感じた。
近所の医者に行ったがなかなか熱が下がらず、
病院への紹介状をもらい、行ったところ即入院。
病名は水痘。
大人になってからの水疱瘡は重く、
ウィルス性髄膜炎を併発し、結局1ヶ月近くの入院。
後で医者に聞いたところ、本当に危なかったとのこと。
自分でもそのときの記憶は不思議なものとして残っている。
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2000年9月。
体力も回復し、K氏との山行の実現のときがきた。
渋の湯から黒百合平に向かい、快晴の中山展望台から天狗岳を見た。
その日は黒百合ヒュッテに泊まり、
翌日天狗岳に向かった。
あいにく山頂では霧雨で展望はきかなかったが、
砂漠で感じた充実感とおなじものを感じた。
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翌2001年。
北アルプス北穂高岳に行き、
完全に山の虜となった。
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| 呼び名 | 新撰組副長の名前でいろいろな掲示板に時々顔を出しています。 |
| 棲家 | 東京都の山に近い方 |
| 生まれ | 1953年1月21日 |
| 血液型 | O型 |
| 性格 | 血液型のとおり大雑把(そうではないO型の人すいません。) でも心配性のところも… |
| その他 | 山行は最初、師匠K氏との同行が多かったが、なかなかスケジュールがあわず 単独が多くなってきた。 最近は妻を引き込むようになった。(局長の名前で参加しています。) |
| 独り言 | 人のペースに合わせられるほどの経験も体力もない。 また、自分に合わせてもらうのは心苦しい。 マイペースにいける単独行は自分に合っているが、 かといって難しい場所ではお手本となる人にそばにいてもらいたい。 体力のない自分にはできるだけ荷物を軽く小さくできる山小屋泊が向いていると思うが、 テント泊にも、とても魅力を感じる。 |