「エビス様」
すべての指示を済ませて白楡の森の庵を訪れたエビスを、布団の上に座っていたましろは変わらぬ笑顔で出迎えた。
「すみません、このような時間にお訪ねして…………」
真夜中もとうに過ぎた時間である。
だがましろは、いいえ、と首を振って、傍らに膝をついたエビスの手を取った。
「私もエビス様にお会いしとうございましたから……」
ましろはエビスの骨張った手をそっと自分の頬に当てる。
「ま、ましろ殿、起こしてしまったのでしょう? どうかお休みになってください」
共に過ごす夜を幾度か重ねても、未だにましろと触れ合うと酷く狼狽するエビスは目元を赤くして、もう片方の手で華奢な肩を抱き身体を横たえようとした。
「エビス様は?」
覆い被さるような形になったエビスにまっすぐ顔を向けて、ましろは訊ねる。
「私は…………私は、此処にいます。あなたが目覚めるまで」
そう言って身体を離そうとしたエビスの手を、ましろは両手で柔らかく握った。
「でもエビス様も今まで働いていらしたのでしょう?」
いつになく言い募るましろに、エビスは少し困ったような−−−−だが、優しい笑みを浮かべる。
ましろの元に向かう前に身は清めてきたが、あの無惨な殺戮現場の残滓が自分に残っているかも知れない、と思ってしまうエビスだった。
そもそも邪の気を帯びていればこの清涼な結界に入れるわけがないのだから、それはエビスの杞憂であるのだが、それが判っていてもましろにあまり触れてはいけないという気持ちが先に立つ。
「私は、此処にいますから。ずっと。ですからましろ殿は−−−−」
「エビス様……」
早くお休みに、と言いかけたエビスの言葉を、ましろは小さい声で遮った。
常に相手のことを思い遣るましろがそのようなことをするのは初めてのことで、エビスは口を閉ざして眼の開かぬ白い顔を見つめる。
いつもより顔色が少し悪い気がする。
エビスの心には、四代目がましろの元に行けと言った事も引っ掛かっていた。理由はましろが知っていると。
あの無惨な死体の山とましろ殿に何の関係があると言うのだ。
こうしてましろ殿が自分に離れてほしくないと訴えるのも、そのせいなのだろうか。
………………と。
じっと見つめるエビスの視線の先で、ましろの頬に仄かな血の色が昇った。
「今日、わかったのですけれど…………私…………あなたの御子が」
「………………え」
それを聴いたエビスの脳内は真っ白になる。
彼の人生の中で始めてのことであった。
「それは………………その…………」
言葉もろくに出てこない。
ましろはそんなエビスの手を自分の腹部に持っていった。
「……はい、ここに」
「あ……」
ましろの平らな腹部に手が触れると、小さな鼓動が掌を通じて確かに伝わる−−−−エビスはそれを感じて思わず声を上げる。
「エビス様にも伝わりましたか? まだ、小さな…………本当に小さな命ですけれど」
次の瞬間、エビスはましろの身体を抱き締めていた。
「ましろ殿…………わたしは…………わたしは……」
驚きと喜びと畏れ。様々な感情が綯い交ぜになって、きちんとした言葉にならない。
巫女であるましろには大きな負担となりはしないのだろうか。
この乱れ始めた世の中で、邪を退ける封印の巫女の役目はますます重くなると言うのに。
だが嬉しい。この上もなく。
人の命の始まりに、自分という人間がこれほどまで歓びを感じることが出来るとは思っても見なかった。
そして、ましろが愛しくて愛しくて、本当に愛おしくてたまらない。
気がつくと、エビスの頬にましろの手が添えられていた。
そして、その手は濡れている。
「エビス様」
ましろの唇が、静かに涙を流していたエビスの眦に触れた。
「今宵は、一緒に居てくださいますね?」
そう言って微笑んだましろの顔を。
エビスは、一生忘れることがないだろうと思った。
四代目火影は、三代目の前に立っていた。
「そうか…………金の封印が」
水晶玉を前に、三代目は指を組み合わせる。
「じゃが、赤子は残った…………そうじゃな?」
「はい。胎内の子供には異常ないということです…………ただ、子を産み出すまでの体力が母親に残っているかどうか」
母親の精神は既に壊れていた。何も見ず、何も聴かずに、ひたすら助けを求め続けている彼女は、腹の子が動いた瞬間だけ穏やかな表情を浮かべるという。
彼女の命を繋ぎ止めているのは、我が子を愛しみ守ろうとする母の根源たる想いだけかもしれない。
「銀の封印は壊れ、金も一時期失われている。金の血を受け継ぐ子が生まれるまで、封印の綻びを埋めねばなるまいな…………」
「はい、それはわかっています。そのためにも始めに封印を行った地を探さねばなりませんが……残念ながらその伝承は失われ、知る手だてが今はありません」
淡々と答える四代目の声を聞きながら、三代目は口にした煙管から長く煙を吐く。
「大いなる禍を三つに分かちた場所か…………それほどの気を持つ霊場ならば、見つからぬはずもないが…………もしかしたら、彼の時に殆どの力を使い切ったということも考えられる」
ゆらゆらと立ち上って消える煙を見つめて、三代目は言った。
「じゃが、あれより百年余りの時が経った。その力は少しでも戻っているやも知れぬ。いずれにせよ、人だけでは封印は不可能………天と地と人、この三つを合わせねば」
三代目は音高く煙管の雁首を灰入れに叩きつけ、赤く燃える煙草を落とす。
「出来るか…………巫焔」
四代目火影の以前の名を呼び、見上げる三代目の眼に、彼は何の気負いもなく−−−−むしろ笑みを浮かべて頷いた。
「はい。それが、私の役目ですから」
「−−−−ハッハッハ! ついに……ついに俺が覇王となる時が来た!」
強風が吹く封印の地に独り立つドウマは、天を見上げて哄笑した。
「待っておれ、愚民ども! 今よりお前らの真の支配者が誕生するのだ!」
髪を逆立て、血走った眼は赤く染まり、口元から涎を垂らして喚き立てる姿は、狂人か悪鬼のようだった。
禍から与え続けられた邪気と血に酩酊しているドウマは、己の異様さに気づかない。
彼の足元にあるのは、金の髪を持つ男の首。
「これだ! これをお前に与えれば、自由になれるのであったな!」
自分の前に口を開けている洞穴に、ドウマはその首を右手で掴むと掲げて見せた。
『ソウ、ソノ首ト血ヲ』
舌舐めずりし、腕を伸ばす気配が穴の奥から伝わる。
「血、おお、血もここに残らずある!」
ドウマが左手を地面に当てると、ぼこりと巨大な蛭が地中から現れた。ドウマは口寄せで召還した大蛭に、殺した者の血を吸わせていたのだ。
『ソレヲ我ニ与エ賜エ……』
禍の哀願とも取れる言葉に、ドウマはますます気分を昂まらせる。
そうだ、大いなる禍と恐れられたこのあやかしも、俺の前に助けを請うているではないか!
俺は人を超え、もはや神の領域に達しようとしているのだ!
ドウマは禍の声の裏に潜む嘲笑には気づかず、己の傲慢な自負心を際限なく膨らませていった。
「では、与えよう、お前にこの血と首を! 有り難く受け取るがいいっ!」
ドウマは首と大蛭を宙に向かって放り投げた。
「そして俺の下僕となる契約を結ぶのだっ!!」
落ちていく蛭を、ドウマが放った数本の手裏剣が切り裂く。
血で膨れ上がっていた体は風船のように破裂し、貯めた血は滝のように洞穴の中へ金の首と共に吸い込まれていった。
「ハッハッハッハ!!」
その光景を見ながらドウマは笑い続ける。
これで、これで俺は! 総ての力を手に入れるのだ!
−−−−−−−−と。
ぞわり、と空気が動いた。
ずっと吹き続けていた風がぴたりと止む。
ドウマはその変化に気づき、笑うのを止めて洞穴を見た。
洞穴からは今までとは比べものにならない、目に見えるほどの密度が濃い瘴気が滲み出てくる。
「ついに現れるか」
口の端を吊り上げたまま、ドウマは己の下僕が姿を現すのを待った。
大きな鉤爪が洞穴の入り口に掛かる。
「サスレバ、契約ヲ」
頭の中にではなく、耳で聞こえるおどろおどろしい声。
そして、漆黒の闇の中で爛と輝いた二つの金の瞳。
「おおっ!」
ドウマは歓喜の叫び声を上げ、更に目を見開く。
完全に姿を現した禍の姿は、人よりも大きい九つの尾を持つ狐であった。
銀色に輝く毛と金の瞳を持った美しい妖狐。
その耳まで裂けた口が、凶悪な笑いの形に歪む。
「−−−−オ前ノ首デ」
次の瞬間。
ドウマの首は、妖狐の前肢の一振りで胴体から切り離されていた。
自分の身に何が起こったか理解する暇もなく息絶えたドウマの首を、妖狐は旨そうに噛み砕く。
愚かな人間の手によって百年余りの封印から躯を解き放たれた妖狐は、月も沈んだ天に向かって歓びの咆吼を上げるのだった。
東雲の頃、ましろは暖かい眠りから目を覚ました。
傍らに眠っているエビスを起こさぬように、そっと寝床から抜け出す。
素足のまま外に出ると、ひんやりとした朝の空気がましろの身体を撫でた。
こんなに静かな朝なのに、何故かましろの心は落ち着かない。
ましろは真っ直ぐ結界の要である白楡の木の元へ進んだ。
太い幹に身体を添わせ、木の呼吸と合わせて息をすると、少しずつ心が落ち着いてくる。
「…………何か、起こったのですね」
感覚が鮮明になると同時に、白楡の木や周りの木々、踏みしめている大地が感じている緊張がましろにも伝わってきた。
以前ならば、それが何であるかも分かっただろうに、今のましろには視ることが出来なかった。
原因は分かっている。
ましろは幹に凭れながら、そっと自分の腹部に手を置いた。
昨日から鼓動を刻み始めた新しい命。
自分の持つ結界の力の半分は、宿った小さな命に向けられている。
もちろん、だからといって聖なる結界を弱めるわけにはいかない。
「結界を張り直します…………力を貸してくださいね」
白楡に額を当て、ましろは話しかけた。
すると風もないのに白楡の枝がざわざわと揺れ動き、一本の若枝がましろの手の中へ落ちてくる。
「…………ありがとう」
ましろはその枝を持って白楡の木から離れ、社を挟んだ反対側へと歩いた。
白楡の枝の力を借りて、結界を張り直す。
そうやって、ましろの母も、その母も自分が身籠もったときに結界を維持してきたのだ。
ましろは自分が結界の中でもっとも暗く冷たく感じる場所−−−−鬼門に立った。
白楡の枝を額に当て、ましろは気を集中して結界の真言を唱え始める。
真言が進んでいくと気はますます昂まり、チリチリチリ……と鈴が転がるような音がして、ましろを中心に風が起こっていった。
一方、エビスは今まで懐にあった温もりが消えたことで、ましろが出て行ってからそれほど時を変わらずして目を覚ましていた。
「…………ましろ殿?」
エビスは眼鏡を掛けて身支度を整えると、庵の外に出る。
ふと違和感を感じて天を見上げたエビスは、暁と言うにはあまりに毒々しい紅の空に息を飲んだ。
眼の見えぬましろはこの空の色に気付いているのだろうか。
心臓を捕まれるような不安を感じたエビスはましろの姿を探して、社のある境内へと走った。
すぐにましろの気を感じ、その元へと急ぐ。
「ま…………」
白い姿を見つけたエビスは声を掛けようとして、すぐそれを止めた。
ましろの髪が風に靡いて羽のように広がっている。
これは、ましろが巫女としての巨きな気を集中しているいる時に起きる現象であった。
純白の一重を身に纏い、一心に祈り続けるましろはとても神々しく美しい。
エビスはその姿を崇拝するような気持ちで見つめていた。
やがてましろが真言を終えて、額に当てた若木を鬼門の地に突き立てようとした−−−−まさにその時。
突如閃いた稲妻が、結界を掠めて落ちた。
響き渡る轟音にましろの動きが止まり、集中していた気が散ずる。
そして次の瞬間。
ましろの腹部を、地面から突き出た獣の前肢が貫いていた。
「−−−−っ!」
エビスは言葉もなく飛び出すと、なおもましろの身体を抉り取ろうとする凶悪な鉤爪から、その細い身体を奪う。
「ましろ殿!!」
身体から溢れ出す血を全身で押さえるように抱き締めながら、エビスは必死でましろの名を呼んだ。
地面から全身を表したのは、封印の地から解放された妖狐だった。
九尾の妖狐は、最後の封印−−−−己の妖力を封じた結界を壊すため、まずはこの地へ向かったのだ。
不運にも、その時と、ましろが結界を張り直す時が符合してしまった。
弱まった結界に妖狐は地中深くから入り込んで鬼門に息を潜め、結界が最も薄れる時−−−−新たな結界を張るその瞬間を狙ったのである。
妖狐は己の前肢についたましろの血を舐めると高笑いした。
「コレデ、終ワリダ。小賢シイ奴ラニ奪ワレタモノガ総テ戻ッテ来ル」
封印の血を取り入れたことで妖力を幾分取り戻した妖狐の身体がみるみる大きくなり、金色の瞳がエビスとましろを見下ろす。
「ヨコセ、最後ノ贄ノ血ヲ」
エビスは片手で印を切り、妖狐に巨大な火の塊を叩きつけた。
だが、妖狐にはほとんどダメージを与えることができない。
「くっ…………おのれ……っ」
「…………エビス……さま……」
歯噛みするエビスの胸の中で、ましろの切れ切れの声が聞こえた。
「ましろ殿!」
エビスは大きく跳んで妖狐から離れると、腕の中のましろを見た。
「今すぐ手当てできる場所へ運びますから! どうか気を確かに!」
ましろは震える手を伸ばしてエビスの手に触れる。
「ごめん……な……さい…………」
「何を謝られるのです ましろ殿!」
首を振るエビスの手に、もう片方のましろの手が添えられた。
「エビス…………さ…………の……あか…………」
もう失ってしまった小さな命。
「ましろ殿……いいのです! 私は…………私は、あなたが生きていてくだされば……っ!」
無論、生まれることもなく消えた命を悲しむ心がない訳ではない。だが、エビスにとって、それが偽らざる気持ちだった。
「今すぐ……今すぐ、病院へ向かいます。どうか、もう話されずに……」
動こうとしたエビスに、後から添えた手が何かを手渡した。
「……これ……を……」
エビスが見たそれは、白楡の−−−−ましろの血に染まった赤い枝だった。
「ましろ殿…………」
ましろを見つめたエビスの前に、巨大な影が落ちる。
「−−−−っ!」
妖狐が跳躍してこちらへ飛び込んでくるのを見たエビスは、ましろをかばって再び跳ぼうとした。
「……ごめ……な……さい…………」
ましろの切れ切れの声と同時に、エビスの身体は宙に弾き飛ばされる。
妖狐の尾が、二人を薙いだのだ。
エビスは白楡の幹に身体を打ちつけ、そのまま地面に落ちる。
直ぐさま立ち上がりましろの元へ向かおうとしたが、打ち所が悪かったのか、エビスの身体は思うように動かない。
「ま……ましろ殿っっっ!!」
叫ぶエビスの頭上を再び妖狐の尾が襲い、白楡の木を真っ二つに切り倒してした。
百年の結界を守ってきた巨木が斃れると、一瞬にして境内の空気は妖狐の邪気に染まる。
エビスは這いずってでも妖狐に近づこうとしたが、それすらも今の身体ではままならなかった。
何故だ、何故身体が動かない……っ! 今、この時に使えずして、何のための鍛錬だ!
エビスは己を激しく叱咤し、すべてのチャクラを使ってでも身体を動かそうとした。
「ましろ殿っ!」
靄のように立ちこめる瘴気の下、エビスは妖狐の足元に倒れているましろの姿を発見して叫ぶ。
その声が聞こえたのか。
ましろは、ほとんど血の気の失せた顔をエビスに向けた。
その眼が−−−−初めて見る淡い緑色の眼が開いて、エビスを見る。
「…………エ……ビ……」
ましろは、確かにエビスを見つめて手を伸ばし、そして微笑んだ。
その白い身体が妖狐の大きな顎の中に攫われていく。
「ま……っ……ましろ殿ぉっっ!!」
妖狐は咀嚼を繰り返し、喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。
最後の贄を取り込んだ妖狐は、躯を震わすと巨大な咆吼を上げる。
その咆吼は地面を大きく揺るがし、波動で次々に結界を形作っていた木々や建物が壊れていった。
呆然としたエビスの姿も倒れてきた木の下に見えなくなる。
もはや小山ほどの大きさになった妖狐は、聖域の残骸を一瞥した後、九つの尾を振り立てて、餌である人間が多く住む所へ向かって去っていったのだった。
「…………遅かったか……っ!」
空の異常さに気付いてカカシと共に白楡の森に向かった四代目は、無惨に変わり果てた聖域を前に歯噛みをする。
ひび割れた大地、薙ぎ倒された木々、崩れ落ちた社。
そしてかつての清浄な気の欠片も残っていない、邪気にまみれた空間。
「いったい……いったい、何が…………」
茫然とするカカシに、
「封印されていた“大いなる禍”が復活したんだ」
と四代目が答える。
「大いなる……禍……」
四代目はかつての聖域を進み、血痕の残る地面の前に立つ。
「百年以上昔の話だ。
『かつて、火の国を大いなる禍が襲った。
山は崩れ、川は溢れ、大地はひび割れ、人も動物も区別なく、多くの命が屠られた。
その禍を止めたのが木ノ葉から選ばれた四人の男女。
彼らは己の力と気、血と身体を使い、禍から国を救うことに成功したのだ。
だが、禍を滅ぼすことは敵わず、抑え込むだけで人の力では限界であった。
あまりに強大過ぎる力を持った禍は、本体と、精神、そして妖力の三つに分けて封印されることとなった。
一つはその精神を銀の柱で。
一つはその妖力を白の柱で。
一つはその身体を金の柱で。
そして三柱の封印を繋ぐのは灼鉄の鎖。
三つの封印はそれぞれ遠く離れた地で為され、結界を張り巡らして封印を施した者の血を継ぐ者達が護っていくのである』
−−−−と、な」
四代目は跪くと、その地面の血痕を慰撫するように触れる。
「…………初めて聞く」
カカシは四代目の赤い頭を見つめて言った。
「……だろうな。これは木ノ葉の中枢とその結界を守る者しか知らぬ話だ」
「ましろ殿はその中の…………白の柱ということか」
四代目は立ち上がって、自分を凝視するカカシに視線を合わせる。
「………そうだ。そして、昨晩俺たちが見つけたのが、金の柱を守る者の死体」
「じゃあ、残りは…………銀の柱、だけ」
そう呟いたカカシに、四代目は軽く息を飲み目を逸らした。
「いいや…………銀の柱はもっと前に壊されている」
「………それでは、もう大いなる禍を封ずる者は居なくなってしまったのか」
カカシは、四代目の微妙な動きが意味することを知らず、視線を下に落とす。
「いや、もう一つ−−−−−−?」
「!」
がらりと木が落ちる音に、四代目とカカシは敏感に反応する。
同時にその音の元へ跳ぶと、折り重なった木の下から人の姿が見えた。
黒い装束。
「エビス!」
四代目とカカシはすぐに倒木を取り除くと、何かを守るように身を丸まらせて倒れているエビスが現れる。
急いでその身体を確認すると、多くの倒木が上にあったにも関わらず大きな外傷はなかった。
エビスは断ち切られた白楡の根本に倒れていたため、その残った幹が倒木を支える形となって直接の危害を及ぼさせなかったらしい。
「エビス! しっかりしろ!」
四代目はエビスの両頬を張って呼び掛けた。
「…………う……」
呻き声を上げて、エビスは微かに目を開ける。
「気付けだ、飲め」
すぐに四代目が丸薬と水をエビスの口に押し込んだ。
朦朧としていたエビスの眼が、徐々にしっかりとした焦点を結ぶ。
と、エビスはすぐに立ち上がろうとして、がくりと膝をついた。
「エビス…………」
カカシがエビスの肩を支える。
「…………妖狐は…………」
「妖狐?」
エビスは顔を上げ、四代目の顔を睨むように見た。
「九尾の妖狐だ。“大いなる禍”の正体…………あいつは、何処に行った」
カカシと反対側のエビスの上腕を持って立ち上がらせた四代目は、首を横に振る。
「まだ分からん…………すぐに場所は知れると思うが」
「…………俺は」
エビスは自分の腕を持った四代目の手をきつく掴み、絞り出すように言った。
「俺は、絶対に…………奴を…………っ」
冷静な面を崩してはいないのに、カカシにはかえってエビスが啼いているように見えた。
カカシはそんなエビスの顔を見ていられなくて、視線を下に落とすと、エビスが握りしめているものが目に入る。
「エビス…………これは」
カカシが問うと、エビスは初めて自分がそれを握りしめていたのに気付いたように、左手を自分の目の前へと持ってきた。
ましろの血に濡れた白楡の若枝。
『……これ……を……』
最後にましろから手渡されたもの。
その枝を持つ手から、微かにましろの波動を感じる。
「これは…………ましろ殿の……」
新たな結界を張るためにましろが渾身の祈りを捧げた枝。
『……ごめ……な……さい…………』
妖狐に弾き飛ばされる寸前にましろが自分に謝った理由を、エビスはこの瞬間、悟った。
「………………っ!」
エビスはその枝を胸に抱き込んで上体を屈める。
「エビス…………」
エビスは俯いたまま、
「……これは、ましろ殿が残した白楡の枝だ…………ましろ殿の結界を張るための気を宿した……」
と話した。
「俺に、託された…………妖狐を封じるための力として………そのために、ましろ殿は俺を安全な場所に飛ばしたのだ」
エビスがあのときましろから弾き飛ばされたのは、妖狐の尾のせいではなかった。ましろが、残り少ない力でエビスをまだ結界を張る力を残す白楡の木の元へ飛ばしたのだ。
だから、エビスは動けなかった。ましろの願いを白楡の木が聞き届け、動けぬように最後の結界を張ったから。
「エビス」
四代目の手が、微かに震えるエビスの背中に置かれた。
「ましろ殿の想いを無駄にはしない…………必ず、妖狐を封じよう」
エビスは、声を出さずに頷くだけだった。
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