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「十力の金剛石」の鉱物学

99/11/17


 「十力の金剛石」は、王子と大臣の子が宝石を求めて虹を追いかけるうちに、宝石の世界に迷い込んでしまうファンタジーです。インドラの網と同様に、物語全体に宝石がちりばめられています。さまざまな自然界のものを、その色彩を基にして宝石に変えて表現するのは、賢治の得意技ですね。色彩の比喩的表現として宝石をもちだすのは、さまざまな作品の中でみうけられます。十力の金剛石の中では、比喩ではなく、本当に自然のさまざまなものを宝石に変えてしまいます。

「お前さっきからこに居たのかい。何してたの。」
 大臣の子が答えました。
「お日さまを見て居りました。お日さまは霧がかからないと、まぶしくて見られません。」
「うん。お日様は霧がかかると、銀の鏡のようだね。」
「はい、又、大きな蛋白石の盤のようでございます。」
「うん。そうだね。僕はあんな大きな蛋白石があるよ。けれどもあんなに光りはしないよ。僕はこんど、もっといいのをさがしに行くんだ。お前も一諸に行かないか。」
 大臣の子はすこしもじもじしました。
 王子は又すぐ大臣の子にたずねました。
「ね、おい。僕のもってるルビーの壺やなんかより、もっといい宝石は、どっちへ行ったらあるだろうね。」
 大臣の子が申しました。
「虹の脚もとにルビーの絵の具皿があるそうです。」
 王子が口早に云いました。
「おい、取りに行こうか。行こう。」
「今すぐでございますか。」
「うん。しかし、ルビーよりは金剛石の方がいいよ。僕黄色な金剛石のいいのを持ってるよ。そして今度はもっといいのを取って来るんだよ。ね、金剛石はどこにあるだろうね。」
 大臣の子が首をまげて少し考えてから申しました。
「金剛石は山の頂上にあるでしょう。」

そうして二人は宝石を探しに出かけます。蛋白石(オパール)、ルビー、金剛石(ダイアモンド)と、宝石がここまででも三つはでてきます。有名な宝石ばかりですね。簡単にこれらを解説しましょう。

    蛋白石(オパール)     化学組成はSiO2・nH2O。水晶(石英)はSiO2なので、それに水が加わったような組成。ミクロスケールでは、ごく微小な球が規則正しく並んでいる。このならび方がきれいだと、きれいなオパールになる。楢の木大学士が探しに出かけたのもこの蛋白石。貝の火と呼ばれるのもこれ。

    ルビー    化学組成はAl2O3。本来はコランダムと呼ばれる鉱物。コランダムのうち、赤いものがルビーで、青いものがサファイア。

    金剛石(ダイアモンド)     化学組成はC。炭素でできている。炭素は常圧ではグラファイトが安定だが、高圧ではダイアモンドが安定。ただし、定圧条件下にダイアモンドをおいても、簡単にはグラファイトに変化しない。キンバライトと呼ばれるマグマの噴出時に、地下深くから取り込まれて地表に運ばれる。

さて、王子と大臣の子は、虹を追いかけるうちに不思議の世界に迷い込んでしまいました。それは宝石の世界です。

 にわかにあたりがあかるくなりました。
 今までポシャポシャやっていた雨が急に大粒になってざあざあと降って来たのです。
 はちすずめが水の中の青い魚のように、なめらかにぬれて光りながら、二人の頭の上をせわしく飛びめぐって、
  ザッ、ザ、ザ、ザザァザ、ザザァザ、ザザア、
  ふらばふれふれ、ひでりあめ、
  トパァス、サファイア、ダイヤモンド。
 と歌いました。するとあたりの調子が何だか急に変な工合になりました。雨があられに変ってパラパラパラパラやって来たのです。
 そして二人はまわりを森にかこまれたきれいな草の丘の頂上に立っていました。
 ところが二人は全くおどろいてしまいました。あられと思ったのはみんなダイアモンドやトパァスやサファイヤだったのです。おお、その雨がどんなにきらびやかなまぶしいものだったでしょう。
 雨の向うにはお日さまが、うすい緑色のくまを取って、まっ白に光っていましたが、そのこちらで宝石の雨はあらゆる小さな虹をあげました。金剛石がはげしくぶっつかり合っては青い燐光を起しました。
 その宝石の雨は、草に落ちてカチンカチンと鳴りました。それは鳴る筈だったのです。りんどうの花は刻まれた天河石と、打ち劈かれた天河石で組み上がり、その葉はなめらかな硅孔雀石で出来ていました。黄色な草穂はかがやく猫睛石、いちめんのうめばちそうの花びらはかすかな虹を含む乳色の蛋白石、とうやくの葉は碧玉、そのつぼみは紫水晶の美しいさきを持っていました。そしてそれらの中で一番立派なのは小さな野ばらの木でした。野ばらの枝は茶色の琥珀や紫がかかった霰石でみがきあげられ、その実はまっかなルビーでした。
 もしその丘をつくる黒土をたずねるならば、それは緑青か瑠璃であったにちがいありません。二人はあきれてぼんやりと光の雨に打たれて立ちました。

あられがトパァズやサファイアやダイアモンドです。高価な宝石ばかりです。サファイアは上で説明したとおり、ルビーの仲間でコランダムの青いものです。トパァズは化学組成がAl2SiO4(OH,F)の鉱物で、無色透明〜淡黄色,淡青色のきれいな鉱物です。ペグマタイトと呼ばれる鉱床で産し、日本では滋賀県田ノ上鉱山などが有名な産地です。
 天河石(アマゾナイト)は、きれいな水色の長石の一種です。インドラの網では、空の色を表現するのに使われています。硅孔雀石は化学組成〜CuSiO3・nH2O、ただし非晶質の銅鉱物です。碧玉は瑪瑙の一種です。微細な石英の集合体です。不純物を含み、不透明なものを指します。紫水晶は、文字通り水晶の紫色のもの。紫になるのは不純物として鉄が含まれるためについた色です。琥珀は松脂のような木の樹脂が化石化したもので、鉱物としては珍しい有機結晶です。霰石は炭酸カルシウムですが、同じ化学組成の方解石とは結晶構造が異なるものです。緑青は銅の錆びたものですね。

次ででてくるのは土耳古玉、つまりトルコ石(ターコイズ)です。銅、アルミニウム、燐からなる鉱物で、その水色はターコイズブルーと呼ばれる美しい色です。


 はちすずめが度々宝石に打たれて落ちそうになりながら、やはりせわしくせわしく飛びめぐって、
  ザッザザ、ザザァザ、ザザアザザザア、
  降らばふれふれひでりあめ、
  ひかりの雲のたえぬまま。
 と歌いましたので雨の音は一しお高くなりそこらは又一しきりかがやきわたりました。
 それから、はちすずめは、だんだんゆるやかに飛んで、
  ザッザザ、ザザァザ、ザザアザザザア、
  やまばやめやめ、ひでりあめ、
  そらは みがいた 土耳古玉
 と歌いますと、雨がぴたりとやみました。おしまいの二つぶばかりのダイアモンドがそのみがかれた土耳古玉のそらからきらきらっと光って落ちました。
「ね、このりんどうの花はお父さんの所の一等のコップよりも美しいんだね。トパァスが一杯に盛ってあるよ。」
「ええ立派です。」
「うん。僕、このトパァスを半けちへ一ぱい持ってこうか。けれど、トパァスよりはダイアモンドの方がいいかなあ。」
 王子ははんけちを出してひろげましたが、あまりいちめんきらきらしているので、もう何だか拾うのがばかげているような気がしました。
 その時、風が来て、りんどうの花はツァリンとからだを曲げて、その天河石の花の盃を下の方に向けましたので、トパァスはツァラツァランとこぼれて下のすずらんの葉に落ちそれからきらきらころがって草の底の方へもぐって行きました。
 りんどうの花はそれからギギンと鳴って起きあがり、ほっとため息をして歌いました。
  トッパァスのつゆはツァランツァリルリン、
  こぼれてきらめく サング、サンガリン、
  ひかりの丘に すみながら
  なぁにがこんなにかなしかろ。
 まっ碧な空でははちすずめがツァリル、ツァリル、ツァリルリン、ツァリル、ツァリル、ツァリルリンと鳴いて二人とりんどうの花との上をとびめぐって居りました。
「ほんとうにりんどうの花は何がかなしいんだろうね。」王子はトッパァスを包もうとして一ぺんひろげたはんけちで顔の汗を拭きながら云いました。
「さあ私にはわかりません。」
「わからないねい。こんなにきれいなんだもの。ね、ごらん、こっちのうめばちそうなどはまるで虹のようだよ。むくむく虹が湧いてるようだよ。ああそうだ、ダイヤモンドの露が一つぶはいってるんだ。」
 ほんとうにそのうめばちそうは、ぷりりぷりりふるえていましたので、その花の中の一つぶのダイヤモンドは、まるで叫び出す位に橙や緑や美しくかがやき、うめばちそうの花びらにチカチカ映って云うようもなく立派でした。
 その時丁度風が来ましたのでうめばちそうはからだを少し曲げてパラリとダイアモンドの露をこぼしました。露はちくちくっとおしまいの青光をあげ碧玉の葉の底に沈んで行きました。
 うめばちそうはブリリンと起きあがってもう一ぺんサッサッと光りました。金剛石の強い光の粉がまだはなびらに残ってでも居たのでしょうか。そして空のはちすずめのめぐりも叫びもにわかにはげしくはげしくなりました。うめばちそうはまるで花びらも萼もはねとばすばかり高く鋭く叫びました。

−−−−

「来た来た。ああ、とうとう来た。十力の金剛石がとうとう下った。」と花はまるでとびたつばかりかがやいて叫びました。
 木も草も花も青ぞらも一度に高く歌いました。
 「ほろびのほのお湧きいでて
  つちとひととを つつめども
  こはやすらけきくににして
  ひかりのひとらみちみてり
  ひかりにみてるあめつちは
  ……………     。」
 急に声がどこか別の世界に行ったらしく聞えなくなってしまいました。そしていつか十力の金剛石は丘いっぱいに下って居りました。そのすべての花も葉も茎も今はみなめざめるばかり立派に変っていました。青いそらからかすかなかすかな楽のひびき、光の波、かんばしく清いかおり、すきとおった風のほめことば丘いちめんにふりそそぎました。
 なぜならすずらんの葉は今はほんとうの柔かなうすびかりする緑色の草だったのです。
 うめばちそうはすなおなほんとうのはなびらをもっていたのです。そして十力の金剛石は野ばらの赤い実の中のいみじい細胞の一つ一つにみちわたりました。
 その十力の金剛石こそは露でした。
 ああ、そしてそして十力の金剛石は露ばかりではありませんでした。碧いそら、かがやく太陽丘をかけて行く風、花のそのかんばしいはなびらやしべ、草のしなやかなからだ、すべてこれをのせになう丘や野原、王子たちのびろうどの上着や涙にかがやく瞳、すべてすべて十力の金剛石でした。あの十力の大宝珠でした。あの十力の尊い舎利でした。あの十力とは誰でしょうか。私はやっとその名を聞いただけです。二人もまたその名をやっと聞いただけでした。けれどもこの蒼鷹のように若い二人がつつましく草の上にひざまずき指を膝に組んでいたことはなぜでしょうか。
 さてこの光の底のしずかな林の向うから二人をたずねるけらいたちの声が聞えて参りました。
「王子様王子様。こちらにおいででございますか。こちらにおいででございますか。王子様。」
 二人は立ちあがりました。
「おおい。ここだよ。」と王子は叫ぼうとしましたがその声はかすれていました。二人はかがやく黒い瞳を蒼ぞらから林の方に向けしずかに丘を下って行きました。
 林の中からけらいたちが出て来てよろこんで笑ってこっちへ走って参りました。
 王子も叫んで走ろうとしましたが一本のさるとりいばらがにわかにすこしの青い鈎を出して王子の足に引っかけました。王子はかがんでしずかにそれをはずしました。

と、まあ。露こそが十力の金剛石だったわけですね。なんとも教訓深い..

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