地学と宮澤賢治
更新:2000年1月5日
更新内容:春と修羅 序 を追加。
目次
地学に関わる賢治の作品
(賢治文学作品について地学的解説をします)
地質学という言葉は多くの人がご存知と思います。高校などで学ぶ地学のなかの一分野と考えて頂いて結構です。地層,岩石,鉱物,化石などを観察するフィールドワーク主体の学問分野です。
さて,この地質学と宮澤賢治が関係あると言うと、「えっ?」と思う方もいらっしゃることでしょう。実は関係があるどころではなく、地質学は賢治作品の根底をなす一つの重要な要素なのです。賢治の作品の中には地質学に関わる様々なことがあらわれてきます。中にはずばり地質学のトピックを題材にしているものもあります。たくさんあります。また,作品中にあらわれている賢治のものの見方考え方は,フィールドで自然を観察し,洞察をおこなうという地質学者の見方と共通するものがあります。
賢治は学生時代に地質学を学び、そして地質学を愛していました。そしてす
ぐれた地質学研究者としての才能を持っていました。賢治は子供のころから鉱物採集などが好きで、「石っコ賢さん」と呼ばれていました。そして,盛岡高等農林学校の学生〜研究生時代には、優れた地質学の研究を行っています。土壌,肥料の研究も行っているのですが、賢治の作品を眺めていると、どうやらその中でも地質学が一番好きだった様に思われます。そして彼は極めて優秀な学生だったようです。最終的には盛岡農林高等学校地質学研究科を修了しています。その後の花巻農学校教諭時代は様々な科目を担当していたが、地質も教えていたようです。生徒たちと調査に出かけたこともあったようです。「台川」や「イギリス海岸」は,その当時の生徒たちとの実習や調査を描いたものです。そしてその「イギリス海岸」は「銀河鉄道の夜」のプリオシン海岸のモデルとなったようです。
賢治は生涯を通して地質学に関わり、それを愛してきました。その間に多くの文学作品を執筆していたのです。そのことを頭において賢治の作品を読むと、地質学との関わりが作品の至る所に見えてきます。
ちくま文庫宮沢賢治全集10巻掲載の宮沢清六氏編の宮沢賢治の年譜をもとに,賢治と地学の関わりの歴史を紹介します。
| 1896年8月27日 | 現在の花巻市豊沢町に生誕。 |
| 1906年 10歳 | 花巻川口尋常高等小学校在籍中から,鉱物採集をしていた。 |
| 1909年4月 13歳 | 県立盛岡中学校入学。寄宿舎に入る。野山を歩き、鉱物標本や植物採集に熱中。 |
| 1910〜1911年 15〜16歳 | しばしば岩手山に一人で登山。短歌の創作を始める。 |
| 1915年4月 19歳 | 盛岡高等農林学校農芸科第二部(大正7年に農芸化学科に改称)入学。 |
| 1916年 20歳 | このころ短編を執筆。農芸化学科第二部二年生の同級生11名とともに、盛岡付近の踏査を行い、「盛岡付近地質図」(五万分の一)を作った。 |
| 1917年 21歳 | 八月、岩手県江刺郡の地質調査をした。このころ多くの短歌と短編。 |
| 1918年 22歳 | 卒業論文 「腐植中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値」を提出、盛岡高等農林学校本科卒業。同校研究生となり,地質、土壌、肥料の研究をする。 岩手県稗貫郡土性調査を嘱託される。稗貫郡内を他の二名と調査し、「地形および地質」と「地質土性図」を作成。 盛岡農林高等学校実験指導補助を嘱託される。童話「蜘蛛となめくぢと狸」など。 |
| 1920年 24歳 | 盛岡高等農林学校地質学研究科を修了。 早池峰山麓、大迫、小山田付近の地質調査。 |
| 1921年 25歳 | 1月に上京。秋に妹トシ病気の報に帰宅。冬より群立稗貫農学校(のちに県立花巻農学校)教諭となる。 |
| 1923年 27歳 | 北上河岸の第三紀層より偶蹄類の足跡と胡桃の化石を発見。 |
| 1925年 29歳 | 東北大学早坂一郎教授らとともに胡桃化石の本格調査を行う。その成果は翌年の学術雑誌に掲載。 |
| 1926年 30歳 | 花巻農学校を退職。羅須地人協会を設立し、土壌、肥料、地質などを農民に教える。 |
| 1928年 32歳 | 次第に体が衰弱し,病床生活に入る。 |
| 1931年 35歳 | 病気が一時回復。東北砕石工場の技師となる。 |
| 1932年 36歳 | 再度の病床生活の中、肥料設計相談、高等数学の勉強などをした。「グスコーブドリの伝記」を発表した。 |
| 1933年 37歳 | 9月21日午後1時半永眠。 |
だれでもそうだと思いますが、私も宮澤賢治の童話には子供の頃に出会っています。「どんぐりとやまねこ」や「銀河鉄道の夜」。物心つくかつかないかのころに絵本で出会っているので、いったい何時であったのかもよく憶えていません。しかし特に賢治の童話が気にいったという記憶はありません。
小学校の国語の教科書に「やまなし」が載っていて、「クラムボン」とはなんぞや、と先生に考えさせられた憶えがあります。結局いろいろ考えたけれど、決まった答えはなし。日本の教育では、どんな問いでも一つの正解があるというように教える傾向があり、この答えが出ない「やまなし」の授業は私にとっては衝撃、とまではゆかないまでも、心に残るものでした。というより、その後ずっと「クラムボンは本当はなんだったのだろう?」ということが何年間も忘れられず心に引っかかっていたようです。思えばこれが賢治作品との本当の出会いだったのかもしれません。
子供の頃は賢治が優れた科学者の目を持っていた事はまるで知りませんでした。もちろんそれは,私に科学者の目がなかったからです。それに,子供向けにアレンジされた童話では,そんなことは伝わってきません。高校生のときに,原稿に忠実な文庫本を読んだ覚えがありますが,何を書いてるのかよくわからない,わかりにくい文章だと思ったものでした。印象としては、現実ばなれしていて、カフカのようなシュールレアリズム文学みたいなものと感じていました。しかし、その印象は、後に私の中で訂正されました。賢治の文学は、たとえ空想世界を描いたものでも、科学、思想、生活に裏付けられ地に足のついたものであるという風に変わりました。
そのように変わったのは大学で地質学を学び, 卒論研究をしていたころです。もう一度,賢治の童話を読んで驚きました。なんと至る所に地質学に関する記述が書かれている!しかも極めて専門的なことが!実は賢治は地質学を学んでいたというではありませんか. それだけではなく, 立派な地質学の仕事もしているとか.そうか!賢治と自分は,実は同業者だったのか!急に親近感がわき,賢治に傾倒しはじめたのでした。
とりわけ「グスコーブドリの伝記」は私が一番好きな作品です。私は火山を研究する者のひとりです。グスコーブドリの生き方は私自身の生き方に大きく影響を与えていることは間違いありません。自分の生き方の哲学は、グスコーブドリのそれとかなり重なります。
10年ほど前,地学と賢治文学に関する本を知人が紹介してくれました。「宮澤賢治 農民の地学者」 築地書館。なんと著者名をみて私は驚きました。宮城一男先生。当時は弘前大学の教養部長です。彼は私の大学の研究室の大先輩なのです。専門も私と全くおなじ「岩石学」。なかなか面白い本でした。
このサイトでいろいろと地学と賢治文学の関わりを紹介したいのですが, 詳しい解説はほとんど宮城先生が本の中でされてますので, 二番煎じになってしまいそうです。できるだけ彼の紹介していないものについても扱うつもりです。宮城先生と私は、時代は違うとはいえ全くおなじ専門で、同じ研究室を卒業しています。このサイトでの作品解説が宮城先生の執筆図書と同じような内容になるのは,模写したためではありません。私が宮城先生の影響を受けていることは否めませんが、同じ立場の人間が同じ作品を観た為におきたことだと考えてください。このサイトの文章は、できるだけ宮城先生の本の関連部分を読まずに作成するようにしています。
賢治の作品が極めて地学的であるのに、私は宮城先生以外にそのような観点から論じた研究を知りません。誰か教えてください。
なお,G−Searchのサイト「宮沢賢治の宇宙」の中では地質学と宮沢賢治との関わりが紹介されています。
地学に直接関係のある賢治の作品はたくさんあります. ここでは、いくつかの作品について,地質学者からみた解説,感想などを紹介したいと思います。これらの作品では文学を通して、地学を学ぶことができます。中には、賢治自身が教材として著したのではないかとも思われる作品もあります。ですから、私のこの解説について、特に学校(小、中、高、大学)で理科教育に関わる方に興味をもっていただけると幸いです。私は地学の専門家ですが、文学については素人なので、賢治文学の専門家の方などからご意見をいただけるとありがたいです。また,今後随時とりあげる作品を増やして行く予定です.