或る農学生の日誌
99/11/17
この農学生の日誌はあくまでもフィクションなのですが、かなり賢治自身の体験や感じたことが含まれているように思えます。特に、この農学生の好きなことは、賢治の趣味と一致しています。
序
ぼくは農学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌を公開する。
どうせぼくは字も文章も下手だ。ぼくと同じように本気に仕事にかかった人でなかったらこんなもの実に厭な面白くもないものにちがいない。いまぼくが読み返して見てさえ実に意久地なく野蛮なような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方ない。ぼくらは空想でならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事をまじめにしているともう考えることも考えることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所謂田舎臭いものに変ってしまう。
ぼくはひがんで云うのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくを軽べつする人がきっと沢山あるだろう。そんなやつをぼくは叩きつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかそうでなければ妬むことしかできないやつらはいちばん卑怯なものだと思う。ぼくのように働いている仲間よ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世界から無くしてしまおうでないか。
という話で、あまり明るくないのですが、日誌の中は明るく生き生きした部分がたくさんあります。特に、私はその楽しく生き生きとしている文章の内容に興味があります。農学校での地質実習に関する部分が楽しそうに描かれているからです。地質に関する文章をピックアップしてみましょう。
四月二日 水曜日 晴
今日は三年生は地質と土性の実習だった。斉藤先生が先に立って女学校の裏で洪積層と第三紀の泥岩の露出を見てそれからだんだん土性を調べながら小船渡の北上の岸へ行った。河へ出ている広い泥岩の露出で奇体なギザギザのあるくるみの化石だの赤い高師小僧だのたくさん拾った。それから川岸を下って朝日橋を渡って砂利になった広い河原へ出てみんなで鉄鎚でいろいろな岩石の標本を集めた。河原からはもうかげろうがゆらゆら立って向うの水などは何だか風のように見えた。河原で分れて二時頃うちへ帰った。
そして晩まで垣根を結って手伝った。あしたはやすみだ。四月三日 今日はいい付けられて一日古い桑の根堀りをしたので大へんつかれた。
どうも農作業と比べて、地質と土性の実習は楽しいようです。生き生きとした表現になっています。かなり賢治の実感がこもっているように思えます。特に、四月二日の文章に書かれているのは、大部分が「地質」の話です。地質時代区分でもっとも新しいのが第四紀ですが、その第四紀の中の古い方が洪積世です。洪積、沖積という言葉は厳密には堆積物の堆積の仕方を表していると思いますが、一般には、この時代の堆積物を洪積層というようです。第三紀とは第四紀の前の時代で、6500万〜160万年前を指します。恐竜が滅びた後、人類が現れるころまでと考えればよいでしょう。四月二日の舞台となった場所は実在の場所で、これはまさしく「イギリス海岸」です。ここで産する胡桃の化石については有名ですが、他に「高師小僧」というのがでてきます。とてもそれらしくないのですが、鉱物(?)の名前です。鉱物マニアの間ではとても有名なものです。ミミズのような形をした赤色〜褐色のものです。実体は、木の根などを水酸化鉄が置換してできたものです。高師原台地という産地名からとった名前です。
五月二十日
いま窓の右手にえぞ富士が見える。火山だ。頭が平たい。焼いた枕木でこさえた小さな家がある。熊笹が茂っている。植民地だ。
修学旅行での風景です。これは、賢治自身が北海道を旅したときに見聞したことが表されているのでしょう。えぞ富士「火山だ。頭が平たい。」というのは、いかにも地質学者賢治らしい見方です。
一千九百二十五年十月二十五日
今日は土性調査の実習だった。僕は第二班の班長で図版をもった。あとは五人でハンマアだの検土杖だの試験紙だの塩化加里の瓶だの持って学校を出るときの愉快さは何とも云われなかった。谷先生もほんとうに愉快そうだった。六班がみんな思い思いの計画で別々のコースをとって調査にかかった。僕は郡で調べたのをちゃんと写して予察図にして持っていたからほかの班のようにまごつかなかった。けれどもなかなかわからない。郡のも十万分一だしほんの大体しか調ばっていない。猿ヶ石川の南の平地は十時半ころまでにできた。それからは洪積層が旧天王の安山集塊岩の丘つづきのにも被さっているかがいちばんの疑問だったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露頭を丘の頂部近くで見附けた。結局洪積紀は地形図の百四十米の線以下という大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木の育ち工合や何かを参照して決めた。ぼくは土性の調査よりも地質の方が面白い。土性の方ならただ土をしらべてその場所を地図の上にその色で取って行くだけなのだが地質の方は考えなければいけないしその考がなかなかうまくあたるのだから。
ぼくらは松林の中だの萱の中で何べんもほかの班に出会った。みんなぼくらの地図をのぞきたがった。
萱の中からは何べんも雉子も飛んだ。
耕地整理になっているところがやっぱり旱害で稲は殆んど仕付からなかったらしく赤いみじかい雑草が生えておまけに一ぱいにひびわれていた。
やっと仕付かった所も少しも分蘖せず赤くなって実のはいらない稲がそのまま刈りとられずに立っていた。耕地整理の先に立った人はみんなの為にしたのだそうだけれどもほんとうにひどいだろう。ぼくらはそこの土性もすっかりしらべた。水さえ来るならきっと将来は反当三石まではとれるようにできると思う。午后一時に約束の通り各班が猿ヶ石川の岸にあるきれいな安山集塊岩の露出のところに集った。どこからか小梨を貰ったと云って先生はみんなに分けた。ぼくたちはそこで地図を塗りなおしたりした。先生はその場所では誰のもいいとも悪いとも云わなかった。しばらくやすんでから、こんどはみんなで先生について川の北の花崗岩だの三紀の泥岩だのまではいった込んだ地質や土性のところを教わってあるいた。図は次の月曜までに清書して出すことにした。
ぼくはあの図を出して先生に直してもらったら次の日曜に高橋君を頼んで僕のうちの近所のをすっかりこしらえてしまうんだ。僕のうちの近くなら洪積と沖積があるきりだしずっと簡単だ。それでも肥料の入れようやなんかまるでちがうんだから。いまならみんなはまるで反対にやってるんでないかと思う。
この部分も生き生きと描かれています。地質がどうにも大好きなようです。土性調査より地質のほうが面白いというのは、これは全く賢治自身の趣味ですね。確かに、地質調査はパズル解きのような側面が強く、頭を使うので、興味を持てばものすごく面白いと感じることができるものなのです。この実習と似たような実習は、現在でも各地の大学で行われていますが、果たしてこんなに楽しく興味をもって実習をする学生がどれほどいるのでしょう?