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ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記

99/11/17


 同じ「〜の伝記」として,「グスコーブドリの伝記」がありますが,両者はよく似た伝記物語です。物語が類似というより,ばけもの世界を舞台にしたペンネンネンネンネン・ネネムの伝記は,人間世界のグスコーブドリの伝記のパラレルワールドのようにも思えます。私はこの物語とグスコーブドリの伝記が好きなので,全体のお話をしたいのですが、ここでは一応地学に関係する後半部分についてだけお話ししましょう。立身出世を果たしたペンネンネンネンネン・ネネムはある休日、部下とともに出かけます。そこに、サンムトリという火山があります。

 「ちかごろは噴火もありませんし、地震もありませんし、どうも空は青い一方ですな。」
 判事たちの中で一番位の高いまっ赤な、ばけものが云いました。
「そうだね全くそうだ。しかし昨日サンムトリが大分鳴ったそうじゃないか。」
「ええ新報に出て居りました。サンムトリというのはあれですか。」
 二番目にえらい判事が向うの青く光る三角な山を指しました。

サンムトリ火山は,グスコーブドリの伝記の最終部でも出てくる火山です。このサンムトリ火山は賢治の童話世界の火山ではありますが,その語感からして,実在の火山「サントリーニ火山」をモデルにしたもののようです。このサントリーニ火山はギリシャの地中海に浮かぶ火山島で,紀元前1400年頃にカトストロフィックな噴火を起こしています。そのとき,ミノア文明は大打撃を受けました。サントリーニ島には当時ミノア文明の都市があり,噴火とともに地中海と火山灰の底へ沈んでしまったのです。後世、プラトンが海に沈んだ王国アトランティスとしたのはおそらく、これでしょう。ところで、日本人として最初にサントリーニ火山の地質調査を行ったのは,田中館修三という人で、1928年のことです。

「うん。そうさ。僕の計算によると、どうしても近いうちに噴き出さないといかんのだがな。何せ、サンムトリの底の瓦斯の圧力が九十億気圧以上になってるんだ。それにサンムトリの一番弱い所は、八十億気圧にしか耐えない筈なんだ。それに噴火をやらんというのはおかしいじゃないか。僕の計算にまちがいがあるとはどうもそう思えんね。」
「ええ。」
 上席判事やみんなが一諸にうなずきました。

 火山内部の気体圧力に対して岩石の封圧が耐えられなくなると,火山爆発が生じるという考え方です。実は、現在の火山学でも、噴火がおきるためのこのような物理的モデルは明確には解っていないと言ってよいでしょう。火山噴火のタイプによるのですが、現在の火山学者は,マグマが減圧して発泡するというモデルで火山爆発を説明することが、最も多いようです。しかし、減圧はどうやっておきるのでしょうか?それもケースバイケースとは思いますが,明確に答えられる火山学者は意外に少ないと思います。もちろん、深い所から浅いところに向かってマグマが上昇することで圧力は減少しますが,賢治が描いたように,封圧に対して内部圧力がうち勝って,周囲の岩石が破壊したときにも急激に圧力の減少が起きるはずです。また、その「内部圧力」にもいくつも考え方があって、マグマ自身の圧力やガスの圧力が考えられます。
 一方、火山の底で、マグマが地下水などと接触して爆発するという火山爆発モデルもあります(マグマ水蒸気噴火)。この場合,水の方が急激に沸騰膨張(気化)し,内部圧力が高まって岩石の封圧にうち勝って爆発が生じるのです。私自身は,多くの火山噴火でこのメカニズムが本質的だと考えています。

その時向うのサンムトリの青い光がぐらぐらっとゆれました。それからよこの方へ少しまがったように見えましたが、忽ち山が水瓜を割ったようにまっ二つに開き、黄色や褐色の煙がぷうっと高く高く噴きあげました。
 それから黄金色の熔岩がきらきらきらと流れ出して見る間にずっと扇形にひろがりました。見ていたものは
「ああやったやった。」と
そっちに手を延して高く叫びました。
「やったやった。とうとう噴いた。」と

 賢治の頃にもあちらこちらで噴火はありましたから,火山噴火はどのように起きるかの記載は新聞記事や学術論文などで記載されていたでしょう。とはいえ、賢治は噴火を生で見てはいませんし、テレビもなかったこの時代に、これだけの噴火の描写表現ができるのは、かなり専門的に勉強していたからこそなせる技でしょう。
 噴火に伴い地震が生じることはしばしばです。特に大規模な噴火では、噴火前から噴火後まで地震が起きる例が多いようです。噴火の推移は火山により様々なのですが,ここではまず爆発的な噴火が起きて噴煙柱が立ち上り,その後溶岩が流出します。このような噴火の推移はいたって一般的と言ってよいでしょう。雲仙普賢岳の1990年代の噴火でも,そのような推移が観察されました。

 ペンネンネンネンネン・ネネムはけだかい紺青色にかがやいてしずかに云いました。
 その時はじめて地面がぐらぐらぐら、波のようにゆれ
「ガーン、ドロドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」と耳もやぶれるばかりの音がやって来ました。

遠く離れているので地震動と空震が遅れてやってくるという科学的記載の細かさです。

それから風がどうっと吹いて行って忽ちサンムトリの煙は向うの方へ曲り空はますます青くクラレの花はさんさんとかがやきました。上席判事が云いました。
「裁判長はどうも実に偉い。今や地殻までが裁判長の神聖な裁断に服するのだ。」
 二番目の判事が言いました。
「実にペンネンネンネンネン・ネネム裁判長は超怪である。私はニイチャの哲学が恐らくは裁判長から暗示を受けているものであることを主張する。」
 みんなが一度に叫びました。
「ブラボオ、ネネム裁判長。ブラボオ、ネネム裁判長。」

 ご存じの通り、現在の火山学の水準でも、いつ噴火するかまで断言できることは滅多にありません。ただし地震災害と違って火山の場合には定点観測ができるので、ある程度火山の地下の、マグマやガスの動きを知ることはできます。

この後、何度も爆発を繰り返します。このように爆発が繰り返されるという記述があることもすごいですね。

 ネネムはしずかに笑って居りました。その得意な顔はまるで青空よりもかがやき、上等の瑠璃よりも冴えました。そればかりでなく、みんなのブラボオの声は高く天地にひびき、地殻がノンノンノンノンとゆれ、やがてその波がサンムトリに届いたころ、サンムトリがその影響を受けて火柱高く第二回の爆発をやりました。
「ガーン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」
 それから風がどうっと吹いて行って、火山弾や熱い灰やすべてあぶないものがこの立派なネネムの方に落ちて来ないように山の向うの方へ追い払ったのでした。ネネムはこの時は正によろこびの絶頂でした。とうとう立ちあがって高く歌いました。

中略

 「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。」
 クラレの花がきらきら光り、クラレの茎がパチンパチンと折れ、みんなの影法師はまるで戦のように乱れて動きました。向うではサンムトリが第三回の爆発をやっています。
「ガアン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」
 黄金の熔岩、まっ黒なけむり。
 「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
  ペンネンネンネンネン・ネネム裁判長
  その威オキレの金角とならび
  まひるクラレの花の丘に立ち
  遠い青びかりのサンムトリに命令する。

  青びかりの三角のサンムトリが
  たちまち火柱を空にささげる。
  風が来てクラレの花がひかり
  ペンネンネンネンネン・ネネムは高く笑う。
   ブラボオ。ペンネンネンネンネン・ネネム
   ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。」
 その時サンムトリが丁度第四回の爆発をやりました。
「ガアン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノンノン。」
 ネネムをはじめばけものの検事も判事もみんな夢中になって歌ってはねて踊りました。
 「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
  風が青ぞらを吼えて行けば
  そのなごりが地面に下って
  クラレの花がさんさんと光り
  おれたちの袍はひるがえる。
  さっきかけて行った風が
  いまサンムトリに届いたのだ。
  そのまっ黒なけむりの柱が
  向うの方に倒れて行く。
  フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
   ブラボオ、ペンネンネンネンネン・ネネム
   ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。

  おれたちの叫び声は地面をゆすり
  その波は一分に二十五ノット
  サンムトリの熱い岩漿にとどいて
  とうとうも一度爆発をやった。
  フィーガロ、フィガロト、フィガロット。
  フィーガロ、フィガロト、フィガロット。」
 ネネムは踊ってあばれてどなって笑ってはせまわりました。

岩漿とはマグマのことです。

 その時どうしたはずみか、足が少し悪い方へそれました。
 悪い方というのはクラレの花の咲いたばけもの世界の野原の一寸うしろのあたり、うしろと言うよりは少し前の方でそれは人間の世界なのでした。
「あっ。裁判長がしくじった。」
と誰かがけたたましく叫んでいるようでしたが、ネネムはもう頭がカアンと鳴ったまままっ黒なガツガツした岩の上に立っていました。
 すぐ前には本当に夢のような細い細い路が灰色の苔の中をふらふらと通っているのでした。そらがまっ白でずうっと高く、うしろの方はけわしい坂で、それも間もなくいちめんのまっ白な雲の中に消えていました。
 どこにたった今歌っていたあのばけもの世界のクラレの花の咲いた野原があったでしょう。実にそれはネパールの国からチベットへ入る峠の頂だったのです。
 ネネムのすぐ前に三本の竿が立ってその上に細長い紐のようなぼろ切れが沢山結び付けられ、風にパタパタパタパタ鳴っていました。
 ネネムはそれを見て思わずぞっとしました。
 それこそはたびたび聞いた西蔵の魔除けの幡なのでした。ネネムは逃げ出しました。まっ黒なけわしい岩の峯をどこまでもどこまでも逃げました。
 ところがすぐ向うから二人の巡礼が細い声で歌を歌いながらやって参ります。ネネムはあわててバタバタバタバタもがきました。何とかして早くばけもの世界に戻ろうとしたのです。
 巡礼たちは早くもネネムを見つけました。そしてびっくりして地にひれふして何だかわけのわからない呪文をとなえ出しました。
 ネネムはまるでからだがしびれて来ました。そしてだんだん気が遠くなってとうとうガーンと気絶してしまいました。
 ガーン。
 それからしばらくたってネネムはすぐ耳のところで
「裁判長。裁判長。しっかりなさい。裁判長。」という声を聞きました。おどろいて眼を明いて見るとそこはさっきのクラレの野原でした。
 三十人の部下たちがまわりに集まって実に心配そうにしています。
「ああ僕はどうしたんだろう。」
「只今空から落ちておいででございました。ご気分はいかがですか。」
 上席判事が尋ねました。
「ああ、ありがとう。もうどうもない。しかしとうとう僕は出現してしまった。
 僕は今日は自分を裁判しなければならない。
 ああ僕は辞職しよう。それからあしたから百日、ばけものの大学校の掃除をしよう。ああ、何もかにもおしまいだ。」
 ネネムは思わず泣きました。三十人の部下も一緒に大声で泣きました。その声はノンノンノンノンと地面に波をたて、それが向うのサンムトリに届いたころサンムトリが赤い火柱をあげて第五回の爆発をやりました。
「ガアン、ドロドロドロドロ。」
 風がどっと吹いて折れたクラレの花がプルプルとゆれました。

無敵に思えたペンネンネンネンネン・ネネムの失墜をあざ笑うかのような五回目の爆発です。


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