蔵王火山

蔵王は東北でも特に有名な観光地です。山形県と宮城県の県境にあります。この蔵王が,スキー場としても有名です。この蔵王が、意外に活発的な火山なのです。先日カムチャツカから来たロシア人研究者が蔵王に行ったところ、火山の火口まで車で行けて、店で食べ物まで売っているのに驚いていました。さて、今回は民話の話ではありませんが、その蔵王火山の由来を考えたいと思います。
蔵王はどんな火山か?
蔵王火山は今現在は火山活動の兆候もなく,静かな火山です。しかし、実は東北地方ではとりわけ活発的な火山なのです。この数百年間の火山活動の記録をさかのぼってみると,東北地方ではとりわけ噴火の記録が多いことがわかります。わかっているだけで40以上の記録があります。噴火記録の中には信憑性の乏しいものもあります。逆に記録に残っていない噴火があるかもしれません。いずれにせよ、歴史時代に、かなりの回数噴火していることは確かです。ほとんどの噴火は現在観光の中心となっているお釜で起きています。ただ、最も新しい噴火はかなり東側のかもしか温泉というところで1940年に発生しています。
江戸時代〜大正時代にはかなり蔵王火山の活動が活発だったようで,1620年から1694年にかけてと、1794年から1906年にかけて断続的に噴火が起きています。また、平安末期から鎌倉時代にも活動の記録が多く、1100年代から1350年までの記録があります。それより古い奈良時代から平安時代前期の記録もあります。記録がないからといって噴火がなかったとは言えないのですが、記録を信じるならば100年から300年程度の噴火が発生せずに、その後再び火山活動が活発になることがあるようです。ですから、蔵王が静穏な状態になってからまだ100年も経っていませんので、今後いつかまた噴火活動が始まるかわかりません。
江戸時代などに発生した蔵王の噴火は,これまでの調査によると,現在の桜島の噴火によく似ていたようで,「ブルカノ式噴火」と呼ばれる噴火様式だったようです。仙台あたりから望む蔵王の噴煙は,あたかも現在鹿児島から望む桜島のようなものだったでしょう。
昔は噴火があると,その火山に対して位を奉授する習慣があり、蔵王火山にも平安時代より何度も位が奉授されました。
「蔵王」って?
蔵王とは何かというと,蔵王権現という権現の名前です。本家本元は奈良県にありまして,奈良県南部を貫く大峰山系の中の山上ヶ岳という山があります。ここは霊山として知られており、別名金峯山と呼ばれています。ここに金峯山蔵王堂があります。この金峯山は日本独自の宗教文化である「修験道」の開祖である「役小角(えんのおづぬ)」の縁の地です。
修験道というのは,山界に住み修行により験力を得るというものです。原始宗教,仏教,呪術を統合した,特異な宗教です。日本各地の霊山,例えば白山などは,修験道の霊場です。役小角はその開祖であり,大峰山系を修験の場としました。役小角は西暦634年に生まれたとされています。小角は若い頃から山に籠もって修行を続け,次第に験力を身につけてゆきます。675年,小角は山上ヶ岳にて,修験道の守護神とも言うべき金剛蔵王権現を感得します。小角が人々の災いを取り払うために孔雀明王経や不動明王経を唱えていますと,弁才天や地蔵菩薩が現れたが,小角の求める威力を秘めた神仏とは異なっていたので,さらに祈りを続けました。そうしたところ、突然すさまじい雷光,雷鳴とともに,真っ赤な火炎の中から,憤怒の形相の神が現れたといいます。この神は青黒色の顔を持ち、顔は怒りに燃えた降魔調伏の三眼を輝かせています。小角はこれこそ我が求める神と悟ったのでした。以上のようなエピソードがあります。
蔵王山の山頂付近にはいくつかのピークがありますが,「熊野岳」というピークがあり,ここに蔵王権現がまつられています。また,地蔵岳という別のピークには地蔵菩薩がまつられており,熊野信仰がこの地に根付いていたことを示しています。蔵王からほど近い宮城県名取市にも,熊野神社や那智神社があります。
なぜ「蔵王山」なのか?
蔵王山は,平安時代までは刈田嶺と呼ばれていたようです。蔵王と呼ばれるようになったのはもっと後のようで、はっきりしているのは江戸時代からです。なぜ蔵王権現がまつられ,蔵王山と呼ばれるようになったのでしょうか?ここからは想像ですが,噴火の様が伝説の蔵王権現の姿そのままだったからでしょう。雷鳴,雷光とともに火炎の中から現れる憤怒の形相の青黒い顔。これはまさしく蔵王火山のブルカノ式噴火の噴煙をそのまま言い表しているようです。
まさしく蔵王山頂には噴火の度に,そんな姿の蔵王権現が光臨するのです。

(蔵王噴火想像図:仙台市青葉城付近より望む)