太田昌孝著『多動症の子どもたち』などの好著を含む大月書店の「子育てと健康シ
リーズ」に、障害受容を療育の側から語った1点が加わった。著者は福島大学大学院
教授をつとめる臨床心理士。「福島ADHDの会とーます」でペアレントトレーニングの
指導にあたっている。この本を、親の立場から読むと、どのような感想がわくだろう
か。まずは、本書からいくつか引用すると−−
「子どもの発達の支援を専門とする職業には、親ならば子どもの発達を促すためにど
んなことでも受け入れるものだという思いこみがあります。その背景には他人である
われわれがこれほど子どもの指導に腐心しているのだから、親はもっと努力して当然
という思いがあるのでしょう。こういう(手応えのない←引用者注)親に出会うと、
私たちはよく「障害が受容できていない」と言います。」(p.26)
(上記引用部分の内容を否定して)「それぞれの家族は、いろいろな家庭の事情を抱
えながらも、障害をもつ子どもの子育てに懸命に取り組んでいるのです。」(p.28)
「障害による悲しみを癒すことにのみ注意をむけると、障害の否定的な面が強調され
ます。現実には障害のある子どものいる家族の大半は、ごく普通の家庭生活を送って
います。子どもの障害をきっかけに知り合った人びとと、他の家族が経験しないよう
な深いかかわりをもつ家族もいます。障害には否定的な面だけでなくもっと違う側面
もあるのではないでしょうか。」(p.35)
「親によっては障害を知ることのつらさ以上に、いとおしさのほうが大きい場合もあ
るのです。障害をもつ子の親を支援するためには、親としての普通の感情にも注意を
向ける必要があります。」(p.43)
(面接調査の結果)「多くの意見が障害の告知の際に心理的なケアだけではなく、子
育てやこれからの発達にかんする具体的な情報を求めていました。/(略)障害告知
によるショックや混乱は避けられない自然な反応だと考えられていますが、(略)専
門的な配慮の欠如が、その反応を強めている例が少なくない(略)。」(p.44)
(親のジレンマを説明して)「同じ子どもに異なる見立てがなされる状況では、親は
子どもがどういう状態なのかがよくわからなくなります。異常ではなく単に発達の遅
れを期待する気持ちが強まるのもそのせいです。しかし、親の多くは子どもの障害に
気づいています。気づいていながら、障害と認めたくないのです。」(p.57)
「親のジレンマから、ドクターショッピングという現象も生じます。(略)これは一
般に障害が受容できていない典型的な状態と考えられます。今ではセカンドオピニオ
ンを求めるのは普通になっているのに、(略)専門家からは批判的に見られます。し
かし私は親が子どもの障害を認識する過程でドクターショッピングに積極的な意味が
あると考えます。」(p.59)
「「障害」という言葉には独特の重い響きがあります。その言葉を使って子どもの状
態を説明すると、周囲の人びとには子どもの実像と違う姿が浮かびます。そういう現
実を前にして、親はすんなりと障害を公表できるでしょうか。」(p,73)
(専門家が慢性的悲哀を親の当然の反応と考えず神経症的な症状とみなすことに関連
して)「私たち専門家は親と話すときに、知らず知らずのうちに障害を受け入れるこ
とを求めます。そのため、親は専門家の求めに従って、強い自分を演じるのではない
でしょうか。あるいは、気が弱くなっているときに励まされるとかえってつらいとき
があります。だから親は悲哀を感じているときに、それを隠すのかもしれません。」
(p.77)
「障害受容を到達点のあるものとして考えるのはナンセンスだと思います。」(p.85)
「障害受容は本来個人的体験であり、障害を受容するか否かは個人の主体性に委ねる
べきです。」(p.86)
「まず忘れてはならないのは、私たちが見る子どもの見方と家族の見方が違うことで
す。私たちは障害の部分からその子どもを見ます。(略)親にとって障害は部分でし
かない(略)そしてそれは個性と分かちがたく結びついた一部なのです。」(p.87)
「私は専門家というのは指導する立場ではなくて利用され、活用される立場でありた
いと思います。親は本来よりよいサービスを選ぶ権利があるのですから。」(p.90)
などなど、療育関係者に向けて、言わば療育者の心得を書いた本と言える。
この本が、「現代のエスプリ」や「月刊実践障害児教育」のADHD特集号と異なるの
は、いずれも医療・教育・家庭の連携を言いながら、これらの雑誌が、医者の側のひ
とりよがりと自己満足を表明しているにすぎず、家族や障害をもつ当の子どもたちは
彼らの操作の対象としてしかとらえられていないのに対して、この本では、家族の主
体性を最重要視し、それを発達臨床の柱にすえて、それぞれの家族にはすべて固有の
事情と固有の存在のし方があることを前提にして、支えていこうとしている点である。
しかもそれが、自身の体験から得られたこととして語られている。
もちろん、世間にいいかげんな心理士はいるし、きちんとものを考えている医者も
いないわけではないが、総じて日本における医療の側の傲慢と心理の側の謙虚を、親
としてこれらの本や雑誌を読むと感じてしまう。本書の著者が「一回きりの診断と告
知が発達障害の障害告知ではない」(p.94)と言っているのはうなずけるし、「面接調
査で子どもの障害を認識したきっかけを聞くと、意外に医療機関での診断ではなく、
信じられる専門家との出会いであった」(p.94)というのも、親の実感と一致する。こ
の場合の専門家とは、施設の職員や養護学校の教師などである。
著者が、告知をする専門家の望ましい態度としてあげているのは、まず、同情のた
めに説明があいまいになってはいけないということ、つまり率直、明快かつ親の立場
を理解した暖かいものであるようにということ、つぎに、単に診断名を伝達するので
はなく、療育についての適切な情報を提供すること、たとえば将来の見通しについて
の助言や最新の正確な医学的知識、障害者福祉の現状、親の会の情報などを伝えるこ
と、であるが、これはさすがに理想論にかたむきすぎている。現実にここまで対応し
てくれたら、神様にめぐりあったようなものだろう。
それでも、このようなことを考えてくれている専門家がいることには、勇気づけら
れる。ならば、親も、子どものためにきちんと勉強し、しっかり情報を集めなければ
ならない。バークレー博士が言うように首尾一貫した親、論理的、科学的思考のでき
る親になるために。そうすれば、こうした専門家との出会いに恵まれたとき、その恩
恵にめいっぱいあずかることができるだろう。
本文 100ページとちょっとの分量は、もう少し薄ければさらによかったが、人に読
んでもらうために手渡すのにも向いている。もっとも、日本の現状では、親から療育
関係者に直接手渡すと、相手は自分への非難や批判ととる場合があるかもしれないが。
(Red Panda)
『子どもの障害をどう受容するか』−家族支援と援助者の役割−
子育てと健康シリーズ17
中田洋二郎著, 大月書店, 2002年, A5判, 102頁, \1300, ISBN4-272-40317-6.
【目 次】
1. 家族との出会い
はじめに
発達に障害のある子どもとの出会い
障害を持つ子の個性と能力
障害児訓練施設でのある家族との出会い
乳幼児検診のジレンマ
それぞれの家族の事情
2. 障害受容と障害の告知
障害と喪失感
価値観の変化としての障害受容
障害受容の段階的モデル−長所と短所
障害の告知と心的外傷
3. 「見えない障害」の受容
発達障害のわかりにくさ
見えない障害
見えない障害と親のジレンマ
親のジレンマ−自責の念
親のジレンマ−夫婦の葛藤
親のジレンマ−子の障害を隠す
4. 障害受容と慢性的悲哀
「慢性的悲哀」再考
障害受容の表と裏
家族の障害受容に対する専門家の役割
障害告知のあるべき姿
あとがき
参考文献
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