この本は、自閉症を持つ人の「姉」によって書かれたものです。今日、ドナ・ウィ
リアムズの自伝をはじめとして、自閉症に関わる手記は数多く出版されています。そ
の多くは、親や高機能の本人によるものであり、自閉症が「きょうだい」によって語
られた例はあまりなかったのではと思います。
自閉症の弟・力男さんの世界、家族の苦悩、そして姉である彼女自身の成長のドラ
マが、率直な、しかし決して感傷的にならない、むしろドライでユーモラスな口調で
語られていきます。驚異的な記憶力等、他の人よりも優れた能力も持ちながら、やは
り社会に対応していくことができないもどかしさ、度々起こる激しいパニック、自
傷、偶然見かけた失態等が、包み隠さずリアルに描かれていきます。この切なさ、
生々しさは、三つ年上と、比較的年の近い姉による文章であるからこそ、切実と伝
わってくるものなのかも知れません。
「はじめに」で、彼女はこの本を書くまでに、心の中に大変な葛藤があったことを
告白しています。
実を言うと、この本を書こうと決心するまで、かなりの月日を要した。ためらいや
不安が、頭をもたげた。しかし、私はもう自分に嘘はつけなくなっていた。やらなけ
ればならない、それがたとえ微力であっても、私はやろう、そう決心した。(p.3)
これは、「きょうだい」ならではの葛藤だったのでしょう。障害を持つ子が生まれ
たとして、親であれば、無条件に自分の人生を捧げることもできるでしょう。また親
には、その子が生まれる前に過ごしてきた、決して短くない自分自身の人生の歴史も
あり、大人なりに培われてきた精神力もあります。
しかし、「きょうだい」にとっては、ちょっと事情が違ってきます。自分の人生は
自分のものと割り切っていても、親がそのように配慮してくれたとしても、障害のあ
る家族の存在は重く、決して逃れることはできません。そして、年が近い分、その人
と共に生きる年数は、親よりずっと長いのです。
子供の頃には、周りの子の心ない言葉に何度傷つけられることでしょう。島田さん
は同級生に何度も、「島田の弟ってバカなんだって」と言われたそうです。大人であ
れば、親に面と向かって「おたくのお子さん、バカなんですって」とは言わないもの
でしょうが、子供は残酷なことを平気で口にします。言われた彼女もまだ忍耐力の十
分でない子供だったのですから、受けた傷も大きかったと思います。
三十年の時を経て、様々な葛藤に苦しみながら、彼女自身も成長していきます。や
がて、両親の努力も実を結び、その中で、力男さん自身も、パニックが少なくなり、
趣味の世界も広がり、自立した生活ができる可能性が生まれるほどに成長していきま
す。そしてついに彼女は、「この本を書こう」という境地に至ります。
その間に、世間の自閉症に対する見方も少しずつ改善していきました。それには医
療、福祉関係者の方の尽力もあったのでしょうが、彼女の家族のような、自閉症の人
の家族の努力の成果でもあることを忘れてはなりません。彼女の家族、それはその子
のためにじっと耐え忍ぶだけではなく、勇気をもって前向きに「行動する」家族で
す。彼女の両親とその仲間は、周囲の偏見と戦いながら、自閉症者のための入所施設
「しもふさ学園」を設立し、長い苦難の道を辿りながらも、新しいシステムを模索
し、発展させていきました。
このような家族の姿を間近に見てきたからこそ、彼女はこの境地に至ることができ
たのかも知れません。そして今、この本を書いた彼女自身も、大きな影響力を持っ
て、自閉症の理解への道を拓こうとしています。
この本は、自閉症に全く興味も知識もなかった人、偏見を持っていた人にも、楽し
みながらじっくりと共感して読んでもらえる本です。ぜひ多くの人に読んでもらいた
いと思います。
余談ですが、島田律子さんは、オーストラリア留学、スチュワーデス、エッセイス
ト、タレント等、華やかなキャリアの人で、独特の華やかなオーラの持ち主です。
彼女自身はそうした自分の生き方を反省しているようなことも書いていますが、私は
実は、雑誌『Hanako』にエッセイを連載していた頃から、彼女の文章のファンでした。
彼女の文章にこのようなかたちで再会できたことを嬉しく思います。島田さんは今、
「きょうだいの会」の設立を構想しているとか。今後の活躍を期待しています。
(遠野阿璃子)
ご参考に:ShimadaRitsuko.com(島田律子さんのオフィシャルHP)
http://www.shimadaritsuko.com/index.html
『私はもう逃げない』−自閉症の弟から教えられたこと−
島田律子著, 講談社, 2001年, 四六判, 270頁, \1600, ISBN4-06-211005-9.
−目 次−
はじめに
第1章 おとなしすぎる赤ちゃん
「お姉ちゃんだよ、初めまして」
ミニカーと紐で一日中独り遊びをする力郎
目が合わない、表情がない、指差しがない
「自閉症の可能性があります」
第2章 家族の混乱と絶望
打ちのめされた家族
「律子が可哀相だ」
祖母が言った怖いこと
第3章 健常児との接触
治るかもしれない、ではなく、絶対に治してみせる!
初めて「お姉ちゃん」と呼んでくれた
「痛いよ!」と言えない力郎
三歳児教育を始めてはみたが
デパートからも、公園からも、脱走が始まった
初めて幼稚園の友達ができた?
オウム返しでしか答えてくれない
「私は可哀相なんかじゃない!」
第4章 パニックと驚くべき記憶力
普通学級か特殊学級か
偉大なる先生の威力
内股歩きの謎
突然の激しいパニック
小学校一年生で漢字の「薔薇」を書く
コンピュータ並みの数字記憶力
第5章 ありふれた大きな喜び
夏休み家族旅行の悩み
「僕は明日もお姉ちゃんとプールに行きます!」
ついに自転車に乗れた!
大好きだった祖父の死
写真館で想い出の写真を撮った日
第6章 アンバランスな成長
自閉症者専門施設を作ろう
健常児と一緒の組み体操
「力郎君がいるから、私は幸せになれない」
パニックを起こす理由
計算とカレンダーと電車の天才
鮮明な記憶がパニックの原因に
カセットのレーベルを丸暗記
一人通学開始で困った寄り道
針のむしろの休日電車ツアー
買い物と乗り物をめぐる謎
一回分の電車代だけ盗む悪知恵
第7章 もう止められない
「菜の花会」の誕生
「菜の花ストッキング」を売りにこないで
パニックを押さえきれない
いじめで鉛筆の芯が目に刺さった
銭湯を覗いて警察に通報される
料理の才能が開花
アソコの毛を指で抜く
第8章 高校三年の進路決断
「弟が一人いるの。弟は自閉症なの」
両親の複雑な思いと期待
オーストラリア留学試験に合格
バス停の衝撃!
第9章 親たちの地を這う戦い
それは大いなる誤算から始まった
地元の人たちの賛成を得るために
「私は何もしていない」
公民館での地元説明会
「下総の山の中に、子を愛する親の花が咲いてほしい」
第10章 新しい家族の絆
ついに完成した「しもふさ学園」
人生で一番辛かった日
力郎のいない初めての夕食
伝染するパニック
崖崩れを親たちが修復した理由
第一回「しもふさ学園」運動会
「レインマン」は力郎そのもの
第11章 趣味の広がり
週末の里帰り
カラオケに自信を持つ
ワープロ一本指打法をマスター
初めての飛行機に興奮
石原裕次郎記念館を目指す
第12章 自立へのステップ
迷走する「しもふさ学園」
新任の園長が園を蘇らせた
「人生の巻き戻しはできない!」
独立した生活ができる可能性
卑怯者というコンプレックス
「恋のから騒ぎ」をきっかけに芸能界へ
第13章 地域と一つになれた実感
パソコンを自在に操る
創立十周年記念「しもふさ学園」グアム旅行
TEACCHプログラムの魔法
チャレンジルームから地域の住人へ
マラソン大会を楽しむ
私の中で何かが弾けた
第14章 穏やかな日常の訪れ
お互いの理解から始まる福祉
力郎が私の家に来る目的
パニックが本当に少なくなった
私は力郎の姉であり、私の弟は力郎である
平凡で当たり前のことが、我が家では喜びだった
解説 佐々木正美(川崎医療福祉大学医療福祉学部教授)
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