「学校運営研究」2002年12月号(明治図書出版)

特集:ADHD・LD指導=絶対必要な学校システム









 親としてこの特集号を読むと、残念ながら、教師を信頼する気持ちが萎えます。そ
の理由は、まず、ここに登場する先生たちの“学力”が頼りなげに思え、にもかかわ
らず、教師はもっと勉強しなければいけない、というその教師の中に自分たちを含め
ていないように思えること。もうひとつは、ADHDやLDの子どもたちへの対応法として、
「法則化」とか「向山型」と呼ばれる方法がオールマイティとして称賛され、これひ
とつあればすべてOKと言っているように感じられること。この特集号は、自己完結的、
自己満足的雰囲気に満ち、読んでいて引っかかるのも、そうしたひとりよがりな鈍感
さです。

 ◆たとえば、つぎのような質問 (p.24) には、いったいどのように答えたらいいで
しょうか? 

 ・ADHDを日本語訳しなさい。
 ・LDの日本語訳を言いなさい。
 ・アスペルガー症候群の日本語訳を言いなさい。

 ADHDもLDも略語なので、このまま「エイディーエイチディー」、「エルディー」と
読むしかないのではないか。Attention-Deficit/Hyperactivity Disorderなら「注意
欠陥/多動性障害」という、当事者の気持ちを顧慮しない無神経な訳語が定着してし
まっているし、Learning Disorder や Learning Disabilitiesなら、どちらも「学習
障害」と訳されるのが普通ですが。「アスペルガー症候群」にいたっては、これ自体
がすでにAsperger's Syndrome の日本語訳になっているのではないか。こういう設問
にとまどわない人がいるのでしょうか。

 上記3問にあと2問をくわえた5つの「超初歩的質問」に全部答えられたのは数名、
1問もできなかったのは7割、というのは、向山洋一さんがこの夏、全国ののべ5千
名ほどの教師に講演したさい質問してみた結果だそうです。「これは驚くべき数字」
とのことですが、全問正解者がいたことは、たしかに驚くべきことに思えます。

 ◆「『注意欠陥』の理解が大切だ。『不注意』とは全く異なる。その逆だ。/注意
が集中しすぎるのである。但し、一つのことだけにだ。」(p.26)という不思議な記述
がありますが、たとえば DSMは「inattention 」という言葉を使っていて、この語に
は日本語版では「不注意」という訳語が当てられています。この inattentionの説明
に「集中しすぎる」という話は出てきません。一点への過集中というのは、自閉症で
はよく言及されることがらですが。

  「それを、ワーキングメモリー(作業記憶)という。普通の人は、五つでも十でも
覚えられる。ところが、ADHDの子は、一つしかメモリーが入らない」(p.26)とありま
すが、五つでも十でも、というのは、話が荒すぎませか? ミラーの“不思議な数7プ
ラスマイナス2”のことを知っている人が記述したとは思えません。また「メモリー
が入らない」というのは妙な言い回しですが、一つしか入らない、と断言できるのか
どうか。

  ◆「バークレー先生はドクターがADHDの診断をする場合に使われる DMSという診断
基準を作ったメンバーのトップです。」(p.49)には、びっくり。こんな話をどこで聞
いたのでしょう。 DSMを DMSと書いたのはご愛嬌としても、トップ云々はまったくの
間違いです。しかも、 DSMはアメリカ精神医学会が作ったものですから、その編集実
行委員会のメンバーの多くは医者です。つまり、この文章を書いた先生は、バークレ
ー博士を医者だと勘違いしているのではないかと想像されますが、バークレー博士は
医者ではなく、サイコロジストです。

 また、アメリカでは医者もサイコロジストもADHDのセラピーをおこない、両者の違
いは、薬を使うか使わないかです。アメリカのサイコロジストは治療者として医者と
対等の位置にいて、日本の臨床心理士とはかなり異なる存在ですが、このようなこと
も、この文章を書いた先生はご存じないかもしれません。

  ◆「ADHDがどんな病気であるのか? LDがどんな病気であるのか? そのことを理解し
ていないのに、指導できるはずがない」(p.36)と書く人が、同時に「ADHDを判断する
には、知能検査しかない」(p.37)と書く。「病気」ではなく「障害」と言うべきだろ
うけれど、それはさて置いても、これを書いた先生は、知能検査でしかADHDを判断で
きない、と思っているようです。また、それでしか判断できないという、その知能検
査とは、具体的には、数ある知能検査のどれのことを言っているのでしょう。

  ◆この特集では、ADHDは注意力がないのではなくありすぎるのだ、という記載がく
りかえし出てきます。話をわかりやすくしようとしているうちに、ADHDの子どもはひ
とつのことに注意を集中しすぎる、というあやまった認識を共有するにいたったのか
もしれません。また反抗挑戦性障害は二次障害、学校が作り出してしまった障害、と
言い切っている記述も目につき、併存障害を二次障害と割り切って理解する単純化が
おこなわれているように思えます。瑣末なことですが、ある執筆者は、別の雑誌でバ
ークレー博士をラッセル教授とファーストネームで表記していますが、なぜでしょう。
このように、この特集に登場する人たちの言うことには、引っかかるところがあちこ
ちに見られます。

 ◆この特集には大きな問題がもうひとつあります。それは、精神医学からの執筆者
が町沢静夫だということ。この人が、そのずさんな知識と無神経な物言いで、ADHDの
子どもをもつ親たちたちの気持ちをどれだけ傷つけてきたかは、今さら言うまでもあ
りません(http://homepage3.nifty.com/hikarinoko/book-shoukai/sub-007.htmlなど
を参照してください) 。

  案の定と言うべきか、この特集でも、リタリンについて「副作用を避けるために一
挙に朝飲むということになると、食欲低下などが生じてくることもある」などとわけ
のわからない文章が出てきます。

 学校の先生や管理職が読者対象と思われるこの雑誌をとおして、教育の現場にも、
マスコミ御用達有名人というだけの人間が権威として浸透し、誤解と偏見を助長する
ことになるのは、親としてかなり耐えがたいことです。

 ◇この特集の指摘に俟つまでもなく、全員とは言いませんが多くの教師はモノを知
りません。ADHDやLDなどをもつ子どもの親たちは、日々、教師や管理職の無知、無理
解、非協力、あるいは教育の現場からの積極的な排除にさえ、さんざん苦しめられて
きました。ですから、先生たちがADHDやLDを理解しようとつとめ、現場での対応を模
索することに対しては、ぜひ成果をあげてほしいと願います。しかし、それはあくま
でも、まずは正確な一般的知識を持つことであり、さらに、その子にあらわれている
症状の特徴やその子が置かれている状況の正しい理解のうえに立った、ひとりひとり
への思いやりある対応でなければなりません。それがほんとうに実現されるのかどう
か、この特集を読むかぎり、こころもとない印象をぬぐうことはできません。

  それこそバークレー博士が言うように、子どもの人生の管理責任者であり最終決定
権者である親ががんばらなくては、とあらためて思った、そんな特集です。

(Black Ice)






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