『平行線』

−ある自閉症者の青年期の回想−

森口奈緒美著




 著者である森口奈緒美さんは、高機能自閉症とアスペルガー症候群の診断を受けて
いる、1963年生まれの女性です。
 『平行線』は、前作『変光星』の続編にあたる、第二作目の自伝です。二つのタイ
トルにこめられた深い意味、象徴性については、彼女自身にも、解説者達にも感慨を
もって語られています。私が『平行線』のタイトルを知ったときに真っ先に感じたこ
とは、意味的なこと以前に、「へんこうせい」に「へいこうせん」とは、ずいぶん洒
落たつけ方だなということです。お気づきでしょうか? 偶然かも知れませんが、ア
ナグラム、すなわち、言葉の文字を入れかえてちがう言葉をあらわす知的な言葉遊び
が完璧に成立しています。彼女のユーモア、言葉のセンスに敬服してしまいました。
機会があれば真似させていただきたいのですが、なかなか思いつきそうにありませ
ん。ついでに言えば、私のPCで「へんこうせい」と打つと、「偏向性」と変換され
ます。…冒頭から余談で失礼いたしました。


 『平行線』では、高校入学から『変光星』出版の頃まで、すなわち彼女の青年期が
題材となっています。中学校卒業までの少女期を描いた『変光星』の直後に続く時期
が描かれているわけですが、どういう事情か、出版されたのは六年もの沈黙を経た後
となっています。前作を出版当時に読んだ人は、その後の彼女がどのような人生を歩
んだのか、ずいんぶん気になっていたのではないでしょうか。『変光星』の結末は、
罪なき彼女の精一杯の努力の結果の敗北であり、そしてまだ続いていくであろう彼女
の不幸が暗示されていました。カタルシスの得られない悲劇というか、何ともやりき
れない思いが残りました。
 ところが、『平行線』の結末は『変光星』とはちがっています。後半では、音楽活
動、書評が認められたこと、そして『変光星』の出版を契機に彼女の心にようやく平
和が訪れ、希望の光がさしてきます。読者にとっても、二冊読んでようやく救われた
思いになるというものです。『平行線』はしかし、単純なハッピーエンドの物語では
ありません。その境地に至るまでの道はあまりに険しく、陰惨でさえあります。


 森口さんは、『自閉症だった私へ』(原題:Nobody,nowhere)の著者ドナ・ウィリ
アムズと同年齢であり、二人とも女性で、高機能自閉症という障害をもっているとい
う点でもよく似た存在のようにも思えるのですが、二人の世界はまるでちがっていま
す。ドナは母親から虐待を受け続ける劣悪な家庭環境の中で育ちましたが、森口さん
は愛情あふれるお母さまに守られたむしろ理想的な家庭で育っています。こうした家
庭環境の違いや、オーストラリアと日本という社会環境の違いもありますが、二人の
世界には、それ以上に本質的に異なるものがあります。
 ドナ・ウィリアムズの世界にはファンタジーがあり、特に第一作目の自伝には、文
体にもある種ファンタジックな雰囲気があります。ドナは逃避できるファンタジーの
世界を持っており、自己防衛のために自閉症者である自分とは別人である二人の人物
を演じることもできました。それに対して、森口奈緒美の世界はあくまでリアルで
す。森口さんは逃避や自己防衛の手段をもっていませんでした。
 彼女は勇敢にも、生のまま、自閉症のままの自分で、社会に対峙していきます。欺
瞞に満ちた友人達や教師達、必ずどこかに矛盾がある学校/教育システム、彼女に
とっては常に遅れた速度でしか進歩しない社会、そして、無秩序と混乱だらけの世界
そのもの…。こうした過酷な状況の中で、彼女は常にリアルに世界を見つめ、そし
て、自己を見つめていきます。


 優れた長期記憶をもっている彼女は、自らの体験とその背景を赤裸々に再現してい
きます。大げさに演出された筆致ではなく、むしろ冷徹さをもった語り口で、ありの
ままに事実を記述していきます。自閉症者特有の記憶力の良さ、体裁をつくろったり
嘘をついたりできない性質がリアリティをいっそう強烈なものにしているといえるで
しょう。しかし、彼女の文章に高度に結実しているリアリズムは、単なる自閉症者の
性質というより、それゆえの、あるいはそれ以前の彼女自身の優れた洞察力、文学的
才能によるものであると解釈した方が適切かも知れません。彼女の書いたものは、自
閉症者の自己の記録、研究対象のテキストとしてだけではなく、文学的にも価値ある
ものと評価されるべきでしょう。
 モリグチ・リアリズムは、平凡な人たちの鈍感な目には映らない現代社会の実情を
鋭く洞察しています。私は彼女と同年代ですので、彼女が当時の社会をいかに的確な
目で見ているか、実感をもってわかります。『変光星』で、子どもの頃、テレビ番組
で人口増加の問題とが頻繁に報道されていたので、自分と同世代の人は子どもを作る
ことに消極的になるかもしれないという意味のことを書いていましたが、少子化が問
題視されているに現在において、彼女の予感は見事に的中しています。『平行線』に
おいても、教育問題や環境問題等に、鋭い洞察に満ちた記述がみられます。
 彼女の鋭敏な感性が本質を捉えるのはいつも時期尚早で、常にパイオニアたるべく
運命づけられていると、今や彼女自身自覚しています。先駆者ゆえの孤独を知り尽く
したうえで、「扉になる」という希望をもって生きていこうとする彼女の潔さには心
を打たれるものがあります。
 彼女が文中でさりげなく提案している事柄には、自閉症の障害をもつ人だけではな
く、すべての人が快適に暮らせる世界をつくるためのヒント、アイデアがあふれてい
ます。政府が未来を見据えた政策を打ち立てたいのなら、企業がイノベータとして社
会に貢献したいのなら、彼女のような人が求めること、語ることに、真剣に耳を傾け
る必要があります。この場を覚書に利用するのは申し訳ないのですが、私自身にとっ
て非常に参考になる記述がありましたので、一箇所引用させていただきます。


…居住者の健康と安全と独立性が近隣モラルに完全依存しなければならない住居
は、いわば設計思想上の甘えと欠陥が招いたものとも言えるだろう。じっさい、自閉
症の人の鋭敏な感覚が住宅デザインのスタンダードとなるならば、それはきっと、す
べての人にとっての快適な住まいとなるのでは、と思う。
 私は、知覚過敏の人でも住みやすく、学びやすく、仕事のしやすい、≪自閉症者の
バリアフリー≫があってもよいのではと考えている。(p.268) 


 モリグチ・リアリズムは、社会を鋭く洞察するだけでなく、自分自身の内面の闇を
もリアルに描き出していきます。彼女なりに社会に適応しようと努力しているのに、
勉強を続けたいという強い願望があり、恐らくはその能力もあるのに、多数派のため
のシステムはいつも、結果として、彼女の道を閉ざすように機能してしまいます。正
しい診断が得られるまでは、福祉や医療でさえ、彼女にとっては迫害者以外の何者で
もなく、誤った方法によるカウンセリングや投薬ミスによって、精神的にも肉体的に
も傷つけることしかできません。多感な思春期、青年期にこのような状態が長く続け
ば、精神に不調をきたしてくるのはやむを得ないことなのかも知れません。
 人一倍過敏で繊細な彼女は、「日に日に荒れて」いき、「目標と生きる理由を失
い」、自殺を試みるようになります。幾度となく繰り返される自分自身の修羅場の場
面を、彼女は生々しく再現していきます。特に、新興宗教の集会で「手かざし」受け
たのが効きすぎて錯乱し、その帰り道でお母さんを角材で殴打してしまう場面などは
凄惨を極め、読むのが耐えがたいほどです。少し長いですが、引用してみます。


 その帰りの夜道を、母とともに歩く途中のことだった。
 足元にコツンと躓くものがあった。よく見るとそれは、角材だった。
 とつぜん私は、自分の進路を妨害した「それ」に対して逆上した。私は母を睨みつ
け、過去の妄想に行きつ戻りつ、反射的かつ無意識的に、その角材を拾い上げた。
 命が、憎かった。自分がこの世に生まれてきたことが、とことん、許せなかった、
そして私は自分をこの世に産み落とした母を、このとき初めて、心底、憎悪した。
 私は母が、許せなかった。できることなら殺してしまいたかった。そして自分もす
ぐに、死んでしまいたかった。
 私はこの世では、何の価値もない…(中略)
 私は満身の呪いを込めて、母を、手にした角材で強打した。そして、叩き、叩き、
叩き続けた。ダッ、ダッ。骨と棒とが、ぶつかり合う音。関節の、もげる音。私は怒
りに燃えた。大地の奥底から吹き上げる、激しい黄泉のエネルギー…(中略)
 人が自暴自棄に陥るのは、夢を失うからではないだろうか― (p.150-151)


 この後、彼女は睡眠薬を呷って自殺「未遂」をしてしまいます。目覚めて、頭が悪
くなったと悲観する彼女に、「母は、頭の回線は復旧するから大丈夫よ、と言ってく
れた」ということです。この場面では、彼女自身が追い込まれた心の闇の深さに戦慄
を覚えると同時に、お母さんが味わった地獄、そしてそれでも娘を思う愛情の深さに
心を打たれます。


 最近では、ドナ・ウィリアムズの他にも、テンプル・グランディン、グニラ・ガー
ランド、ウェンディ・ローソン、リアン・ホリデー・ウィリー、ケネス・ホール等、
多くの自閉症者本人による手記が出版されており、日本語にも翻訳されています。森
口奈緒美の『平行線』と『変光星』も、各国語に翻訳されて、世界中で読まれるべき
です。彼女の本は、リアリティにおいて、彼らの誰にも引けをとりません。自閉症の
研究者はもちろん、世界中の人に彼女の世界を知ってもらいたいと思います。
 森口さんは『平行線』を出版される前にお母さまを亡くされ、昨年お父さまも亡く
されて、今はお一人になられたとのことです。彼女のホームページには興味深い文章
がすでにいくつも発表されていますが、今後もぜひ執筆活動を続けて、『平行線』の
続編も発表してほしいと思います。今や自閉症者である以前に作家である彼女の、こ
れからの作品に期待しています。
(Autisia)
 ご参考に:  自閉症納言のホームページ(森口奈緒美さんのオフィシャルHP)  http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Cassiopeia/8331/  解説者の一人である杉山登志郎氏 寄稿のページ  「障害児医療から カルテに書かないことE」より 成人期の軽度発達障害(その2)  http://kids.gakken.co.jp/campus/jiritu/medical/backnumber/01_12/top.html       
『平行線』−ある自閉症者の青年期の回想−    森口奈緒美著, ブレーン出版, 2002年, 四六判, 297頁, \2800, ISBN4-89242     -680-6.








書評と紹介のページ

「和と輪と環」トップページ