けんちゃんと流星急行

第二部 現実への旅




PartV

江ノ電で江ノ島へ

― だいじなビー玉 ―





 横浜の町をはなれて、ぼくらは江ノ電に乗っていた。
 横浜市電で横浜まで戻って、みかん色の東海道線で藤沢まで行き、小田急線線に乗
りかえて、終点の片瀬江ノ島でおりた。小田急線の色は、東海道線によく似ているけ
ど、ちょっとちがう。
 片瀬江ノ島の竜宮城みたいな赤い駅舎を出て、江ノ電の江ノ島駅まで少し歩いた。
 長い橋がかかっている島を指さして、あれが江ノ島だとけんちゃんが教えてくれ
た。海から吹いてくる風が気持ちいい。
 前に何度もおばあちゃんの家に行ったことがあるらしくて、けんちゃんは、乗りか
えのし方もしっかり覚えている。
 江ノ電は、緑色だし、汽車じゃなくて電車だけど、外も中もぼくらの青ネコ号そっ
くりだ。
 駅で電車を見るなり、けんちゃんは言った。
 「変だ。江ノ電なのに、パンタグラフがある。トロリーポール式だったのに。Zパ
ンタになっている。変だ。普通の電車みたいだ。変だ」

 江ノ電は、海辺の線路をゆっくりと走ってゆく。
 村長さんはまたねている。やっぱり眠たくなるようなゆれ方だから、ねたくなるの
はわかるけど、こんなにすてきな海の景色も見ないでねちゃうなんて、もったいない
な。
 けんちゃんはやっぱり、窓の外なんか見ないで、運転室をのぞきこんでいる。なつ
かしくないのかな? この景色。
 雨がやんでよかった。さっきまでのかみなりがうそのようだ。横浜の都会の真中と
はちがい、このあたりはもっと風通しがよくて、のんびりとしている。
 海の見えるすてきな町で、けんちゃんがお母さんに会えたらいいなと思った。
 でも、それでけんちゃんとお別れになるなんて。 村長さんはすっかりそのつもり
だ。それに、けんちゃんのためには、その方がいいに決まっている。
 でも、さっきのおばさんの話だと、けんちゃんは ぼくくらいの年のときにお母さ
んと別れて、それからずっと会っていない。施設を逃げ出して行方不明? それが十
年も前のことだって?
 けんちゃんって、一体・・・?
 十年もどこかでフラフラしていたようには見えないし、どこから来たのかと聞いて
も、「あっち」と答えるだけ。それに横浜駅で会ったあのサングラスの男は・・・?
 だめだ、だめだ。ぼくが考えたってわかることじゃない。お母さんに会えばきっと
わかるさ。そして、お母さんに会えば、さよなら。ぼくはきっと泣くだろう。けん
ちゃんは泣くだろうか?
「次は、長谷」
 ああ、次の駅でおりなくっちゃ。いやだ、いやだ。もうちょっと乗っていたいよ。

 けんちゃんは、由比ガ浜の海に向かって走っていった。ぼくらは必死で追っていっ
た。
 けんちゃんは、砂がまだ濡れていないところで立ち止まって、そしてひざをついて
すわりこんでしまった。けんちゃんは、砂をにぎってさらさらと指の間から落としな
がら、海を見ていた。
 ぼくらも由比ガ浜の、砂の上にこしをおろした。
 無理もないよね? せっかくここまで来たのに、おばあちゃんの家にお母さんはい
なくて、おばあちゃんももう亡くなっていたなんて。
 おばあちゃんの家は、庭にたくさんのひまわりが咲く、すてきな家だった。あの家
でお母さんに会うことができたら、そして、お母さん達と暮らすことができたら、ど
んなによかっただろう。でも、その家はもう他人のものになっていて、入ることさえ
許されない。おばあちゃんと親しかったというとなりの家の人がくわしく教えてくれ
た。
 環さん一家は三年ほど前までその家で暮らしていたけど、病気がちだったおばあ
ちゃんが亡くなって、ちょうどその頃、家を継いだおじさんが借金で大変なことに
なって、家を手放さなければならなくなったそうだ。それで、環さん一家は、社宅暮
らしの一番上のお兄さんのところに身を寄せることになった。新しい住所もわかって
いる。
「江ノ島に、行きたい」と、けんちゃんが言った。
「え? 今から出発したら、東京のこの住所まで、暗くなるまでには行けるんでしょ
う?」
「江ノ島に、行きたい」
 けんちゃんはくり返した。
「どうする? 村長さん」
「行くべ。せっかく来たんだべ。わしも行ってみたいべ」
「1952年8月21日木曜日、江ノ島に行った。ビー玉を、なくした」
 楽しい思い出があるんだね。それにしても、日にちや曜日まで、よく覚えてるな
あ。

 ぼくらは再び江ノ電に乗って、江ノ島へ向かった。
 けんちゃんはめずらしく、運転席を見ないでロングシートに座っていた。そして
じっと海を見ていた。なつかしい風景なのだろう。
 稲村ケ崎で、けんちゃんと同じくらいの年のお兄さんたちがぞろぞろと乗ってき
た。みんな日焼けしていて、なかなかかっこいい。おにいさん達は、海のことや、流
行の映画や歌の話題で、うるさいくらいに盛り上がっていた。女の人の話題も聞こえ
てきた。
 ぼくも大きくなったら、都会の大学に行って、夏休みにはこうして仲間を楽しくワ
イワイできたらいいななんて思った。
 けんちゃんはじっと海を見ている。この暑いのに長そでの白衣を着ているけんちゃ
んは、だれがどう見ても変だ。でも、けんちゃんには他人の目なんて全く気にならな
い。気にしているのは、ぼくの方だ。
 けんちゃんはじっと海を見ている。家族との楽しかったことを思い出しているの
か、自分だけの世界にどっぷり入っているようだ。それが、けんちゃんの世界の楽し
み方なのだろう。みんなとワイワイ・・・なんて楽しみはけんちゃんの世界にはない。
 この旅で、けんちゃんはお母さんに会えるのだろうか?
 会ったら一緒に暮らすのが、けんちゃんにとって本当に幸せなことなのだろうか?
 もしかしたら、けんちゃんの幸せはぼくらの村にもうあるのかも知れない。大好き
な汽車を運転することが 一番の幸せなのかも知れない。だって、たぶん けんちゃ
んは、ぼくらの村をはなれたら、運転士さんにはもうなれない。
 ぼくらの村で、「手引書」に書いてあることをわかっている人に囲まれて、守られ
て、そして信頼されて、尊敬されて、役に立ちながら生きていくほうが幸せなのかも
知れない。
 ・・・いや、家族がいるのなら、一緒に暮らすべきだ。きっと 何があってもお母さ
んが守ってくれる。こんなにも長い間、はなればなれになっているなんて不しあわせ
なことだ。
 ・・・わからない、わからない。けんちゃんのためにはどうすればいいのか・・・?
 けんちゃんにはわかるのだろうか? どうするのがいいのか、けんちゃんは自分で
決められるのだろうか?


写真提供:江ノ島マニアック

 弁天橋という名の長い橋を通って江の島へ渡り、青銅の鳥居をくぐって、参道
の坂道を上り 朱色の鳥居にたどり着いたときには、ぼくも村長さんもくたびれ果て
ていた。
 参道はお祭りのような人混みで、けんちゃんが歩くのには大変なところだ。でも、
まちの駅の近くの商店街を歩いたときよりは、いくらかましだった。たぶん、この道
は、前に確かにけんちゃんが歩いたことのある道だから。
 けんちゃんは、まわりを見ないで、参道の石だたみをまっすぐまっすぐ踏んでいっ
た。
 あんまりまっすぐで、人をよけようとしないので、ぶつからないようにぼくが気を
つけてあげなければならなかった。それでぼくは何度も人にぶつかって、あやまって
ばかりいた。
「どこまで行くの?」
「奥津宮」
「ええっ?」
 地図を見ると、向こう側の海の見える所で、まだずいぶん歩かなければならないよ
うだ。
「まだ、上り坂が続くの?」
「まだ、上り坂が続くの」
「だいぶ、歩くの?」
「だいぶ、歩くの」
 ぼくはため息をついた。でも、
「ちょっと休憩するべ」と、村長さんが言うと、
「ちょっと休憩するべ」と、けんちゃんも言った。
 ぼくらはほっとして、石段の上に腰をおろした。村長さんは、近くの店でラムネを
買ってきてくれた。
 コーラを一びん一気に飲んでしまった村長さんは、
「ちょっとその辺を見てくるべ」と言って、その辺を見てすぐに戻ってきた。
「アキラ、いいもんがあった。あれに乗るべ」
 着いて行って見ると、確かにいいものがある。「江ノ島エスカーのりば」。神社の
形の駅舎がなかなかかわいい。
 「待たずに乗れる/頂上まで五分」という看板を見て、つかれもふっとんだ。渡り
に船とはこのことだ。ロープウェーだろうか? リフトだろうか?
 ぼくはわくわくしながら、けんちゃんを呼びに行った。
「おもしろい乗り物があったよ。乗ろうよ。頂上まで五分で行けるんだって!」
 乗り物と言うのでとりあえず、けんちゃんは来てくれた。ところが、きっぷを買っ
て、いざ乗ろうとしたとき、ちょっとがっかりしてしまった。
 エスカレーター? わざわざお金をはらってエスカレーターに乗るなんて・・・
 ぼくはうっかり、村長さんについて、けんちゃんより先に乗ってしまった。
「けんちゃんは、歩く」
「え?」
 ぼくはエスカレーターを駆け下りようとしたが、
「あぶない、やめとけ」と、村長さんに止められた。
「植物園前」
 けんちゃんはそう言うと、背中を向けて行ってしまった。
 エスカレーターは、上へ上へと上っていく。ちょっと・・・どうしよう?!
 一人にしちゃいけない。変な人に連れて行かれてしまうかもしれない。人にぶつ
かって大さわぎするかも知れない。


写真提供:江ノ島マニアック

「村長さん、どうしよう?」
「だいじょうぶだべ」
「植物園前って、言ってた」
「植物園前で待ってろってことだろう?」
 エスカーはすぐに「辺津宮」に着いた。ぼくは気が気でないのに、村長さんは神社
におさいせんをしてお祈りをしている。
 ここから道を引き返せば、けんちゃんに会えるだろう。でも、村長さんは、
「心配すんな。子供じゃないんだべ。たまには一人で歩きたいんだろう」と言った。
 だから次のエスカーに乗ることにした。
 「中津宮」では、ぼくもおさいせんをして、お祈りした。
 えーと、とりあえず、けんちゃんが植物園前まで無事に行けますように。
 そして、けんちゃんがお母さんに会うことができますように。
 けんちゃんが幸せになれますように。ついでに自分のことも・・・と思ったが、思い
浮かばなかった。
 最後のエスカーに乗ると、あっという間に「植物園前」についた。
 島のこちら側は、空気もさっぱりしていて、気持ちがいい。
 「ちょっとその辺で遊んでおいで。わしがここで待ってるべ」
 村長さんがそう言ってくれたので、その辺をぶらぶらしてみることにした。
 植物園の前には、背の高いヤシの木が立っていて、南の島に来たような気分だっ
た。植物園の中に見える展望塔もかっこいい。エスカー駅前のガーデンパーラーを抜
けると、「地球が丸く見える丘」という看板が立っていたので、そこの階段を大急ぎ
で上ってみた。
 海が見下ろせるその丘からは、本当に地球が丸く見えた。ぼくは、深呼吸して、海
の上の空気をいっぱいにすった。ちょっと ミヨちゃんのことを思い出した。この次
は二人で来よう。
 大急ぎで植物園の前にもどると、けんちゃんはまだ着いていなかった。まさか・・・
と、思ったとき、白衣のけんちゃんが歩いてきた。
 「けんちゃーん!」
 ぼくはうれしくなって手をふった。。


写真提供:江ノ島マニアック


 白衣のすそを風になびかせてけんちゃんが通ると、みんながふりむく。でも、ぼく
も村長さんも気にしない。じっさい、
「ねえねえ、今の人、ちょっと変だけどハンサムね」
 なんて言うおねえさん達の声も聞こえてくる。
 真夏の江の島で白衣姿っていうのは暑苦しいけど、だまって立っていれば、けん
ちゃんはだれよりもハンサムでかっこいいお兄さんなんだ。
 奥津宮の石の鳥居をくぐると、けんちゃんは、立ち止まって、言った。
「2かける43」
 そして、鳥居に続く石だたみの上を小走りに動いて、
「ここ。2かける43」と言って止まった。
 何のことやらよくわからなかったが、どうやらそこは石だたみが鳥居の神社に向
かって右端から、左へ二個、前へ四十三個の地点のようだ。パッと見ただけで数えら
れるらしい。
 けんちゃんは、その場所に立ったままちょっと考えて、ポケットから一つのガラス
の玉を出した。それがただのビー玉なのか、あのふしぎな玉なのかはぼくにはわから
ない。
 けんちゃんは、ガラスの玉を軽く放り投げた。ガラスの玉は、石畳の上を転がって
いって、縁を越えて 土の上を転がり、石の灯ろうの下にもぐりこんで止まった。
 けんちゃんは、ガラスの玉を追って行って、
「ここを、掘って」と、村長さんに言った。
 ここ掘れなんて、犬じゃあるまいし、村長さんに向かって何だか失礼だな とぼく
は思った。
 でも、村長さんは、
「土を掘るのはなれっこだべ」と言って、灯ろうの下を手で堀り始めた。
 やがて、村長さんは、二つの玉を掘り出した。
 さっき投げたガラスの玉と、土によごれた古いビー玉。けんちゃんはそれをさっと
村長さんの手からうばい取って、
「あった!」と言った。
「あった! あった! あった!」

 けんちゃんは、よごれたビー玉をていねいに水で洗った。
「それも完全真空玉?」と、ぼくは聞いてみた。
「それは、完全真空玉では、ありません」
「それ、何?」
「それ、ビー玉」
「だいじなビー玉なの?」
「だいじなビー玉なの」
 そして、けんちゃんはめずらしく、聞いてもいないことを説明してくれた。
「1952年8月21日木曜日、たまきるみこちゃんが、落とした。なくした。泣いた。急
いでいた。だれも取ってあげなかった」
「たまきるみこちゃんって?」
「妹さんだべ?」
 村長さんが聞くと、
「妹さんだべ」と、けんちゃんは答えた。
 何だか悲しいような ちょっとあったかいような、わけのわからない気持ちで、江
の島を背にして弁天橋を渡った。
 夕陽は左手側にゆっくりとしずんでいった。

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