けんちゃんと流星急行

第二部 現実への旅




PartX

都電は東京の空の下を

― 昭和のシンデレラ? ―





 次の朝、ぼくらは東海道線を東に向かって乗っていた。前の晩と同じ、みかん色の車両だ。
 ぼくのとうさんもいっしょ。ぼくらのために、休みをとってくれたんだ。
 村長さんは言った。
「ススムちゃんがいてくれると安心だべ。わしはぼうっとしとってどうもいかん。アキラはしっかりしとるが、まだ子どもだ。だれかに後をつけられとるかもしれんし、わしだけではどうもいかん」
 たしかに、とうさんがいっしょにいてくれたほうがずっと安心だ。村長さんは汽車にゆられるとすぐにいびきをかいて眠ってしまうし、時刻表の見方も、地図の見方もなんだかあやしい。
 けんちゃんの方がまだしっかりしている。発車時刻も、到着時刻も、運賃も、おりる駅も、乗りつぐ駅も、けんちゃんに聞けばなんでもわかる。日本中の鉄道路線図が頭に入ってるのかな?


 東海道線は大きな川を渡った。
「今の川、何て川?」
 とうさんに聞いたら、けんちゃんが答えた。
「多摩川です。ここから東京都大田区です。さきほどまでは川崎市でした。きのうは、横浜市と、鎌倉市と、藤沢市に、行きました」
 けんちゃんの頭の中には、鉄道路線図どころか日本中の地図がそのまま入っているらしい。
 でも、けんちゃんはきのうとはずいぶん様子がちがう。何だか子どもみたいにビクビクしている。
 そう言えば、昨日行った横浜市と、鎌倉市と、藤沢市は、けんちゃんにとっては昔行ったことのある所だった。何しろすごい記憶力だから、色々と勝手がわかっていたにちがいない。でも、東京は?
「けんちゃん、東京ははじめて?」
と、聞いてみると、
「けんちゃん、東京ははじめて」
という答えが返ってきた。
 けんちゃんが「はじめて」のこと、「はじめて」の場所が苦手なことはよくわかっていた。一つだけ「はじめて」でも苦手じゃないことと言えば、「はじめて」の乗物に乗ること。
「とうさん、けんちゃんは東京はじめてなんだって」
と言うと、
「とうさん、けんちゃんは東京はじめて」
と、けんちゃんが言った。
「そうか、はじめてなのか」
と、とうさんが言うと、
「わしもはじめてだべ」
と、村長さんが言った。
 村長さんも、きのうとは様子がちがう。子どもみたいにソワソワしている。初めての東京がうれしくてたまらないらしい。
 ぼくは……子どもだけど、東京に来たからって、別にふつうだ。ビクビクもソワソワもしていない。ミヨちゃんにおみやげ話がいっぱいできそうで、ちょっぴりワクワクしていたけど。


 東海道線は品川駅に着いた。
 降りたとたん、村長さんは、
 「わーい! 東京だべ!」
 と、大声で言った。
 そう、東京に来たんだ。ぼくもなんだかうれしくなってきた。ところが、けんちゃんにはそんなことはどうでもいいらしい。
「ちがいます。東京駅ではありません。品川駅です。東京都電に乗りかえます」
   村長さんがバカっぽく見えるくらいに落ち着いた口調でけんちゃんは言った。
 ところがけんちゃんは、品川駅で汽車を降りたとたん、クラクラとたおれこむようにして、ホームにすわりこんでしまった。
 とうさんが助けようとしたけど、けんちゃんはいつものくせでピシャリと手をはらいのけてしまった。
 おりる人はたくさんいたので、通行のじゃまになった。
「何やってんだよ、ホームのど真中で!」
 ぶつかりそうになった通りすがりのおじさんにどなられた。
 けんちゃんは、その声に反応して「ああっ!」と短い叫び声をあげた。
「だめだよ、こんな人がいっぱいいるとこでそんなふうにしたら」
と、ぼくは言ってしまった。
 こんなことにはもうなれていたけど、みんながふり向いていくのがはずかしくて、何だかイライラしてきたんだ。だいたい、こんな暑い日に長袖の白衣なんて着てるのは変だからただでさえ目立つのに。
 すると、けんちゃんは
「だめだ、だめだ、だめだ、だめだー!」
と、もっと大声で叫び始めた。
「アキラ、そんなふうに言ってはいけない。けんちゃんがかわいそうだ」
 父さんに言われて、ぼくははっとした。そう、だめだってことは、きっとけんちゃんもわかっているけど、どうしても都会の人ごみにはがまんできないんだ。それをわざわざ言うなんて、ぼくは何ていじわるだったんだろう。
「ごめんね……」
 けんちゃんはまだ、立ちあがることができない。
 ホームを行く人たちの目は冷たい。人指し指を2回まわしてパーをしていく人もあった。指差して「クルクルパー」なんて言っていく子どももいる。一番多いのは、何にも言わずに、ただ冷たい目で見ていく人たち。ひどい所だなあ。東京って。
「おーい、ちょっと見てくれないか? 路線地図だべ」
 村長さんの声がした。
「路線地図だって。見てみようよ」
 とうさんが手を出すと、けんちゃんはその手をしっかりと握って立ち上がった。
 なるほど、東京の路線地図はおもしろい。特に、けんちゃんにとって。
 とうさんはけんちゃんに、小松川三丁目までの行き方を聞いた。けんちゃんは、路線地図を指差しながら、ていねいに説明した。もう泣いていない。何とか落ち着いたみたいだ。
 国鉄の品川駅から東京都電の品川駅に行く短い道を、けんちゃんが歩くのは大変だったけど、とうさんがしっかり助けてくれたから何とかたどりつけた。
 やっぱりぼくのとうさんはすごいと、ぼくは思った。とうさんはけんちゃんみたいな人をどうやって助けてあげればいいのか、よくわかっている。ぼくよりも、ずっと。


 「品川」から「小松川三丁目」まで行くのにわざわざ都電だけ使うのはちょっと変だ。
 途中まで山手線を使って乗りかえたほうが速く行けるに決まっている。でも、けんちゃんがとにかく早く東京都電に乗りたいと言った。
 とうさんの工場から川崎駅へ向かう途中、自動車の中から川崎市電の路面電車が見えた。けんちゃんは、あれに乗りたいと言ったけど、会社の人に運転してもらっていたので、そんな無理なことは言えなかった。そのかわりに、品川から東京都電に乗ると約束したんだ。
 東京都電は東京のど真ん中の道の真中をガタゴトとゆっくり進む。
「東京タワーだべ!」
 村長さんが大声を出した。やっぱりちょっとはずかしい。
 けんちゃんは、運転席の横に立って「ガタンゴトン、ガタンゴトン、チンチンチン…」なんて言いながら運転のマネをしている。電車のマネはなかなか上手い。
 ちょっとやめてほしい気もするけど、こんなに楽しそうなのにやめてなんてとても言えない。
 だめだ、だめだ。気にするのはもうやめよう。けんちゃんとずっと一緒にいながら、他人の目なんて気にしてはいられない。こういう人もいるんだ! 文句あるか! って気持ちにならなければ。


 東京都電は、東京の深いところをゆっくりゆっくり進んでいく。
 いくつもの高架の下をくぐり抜け、車やバスの渋滞の中をかき分けて、ビルの谷間をぐんぐん進む。
 とうさんが工事中のビルを指さして言った。
  「アキラ、あれが霞ヶ関ビルだよ。日本で一番高いビルになるんだ」
   東京の空はぼくらの村の空よりもせまい。そしてとても低いような気がする。
 たくさんのビル、たくさんの車、たくさんの人。たくさんの音、たくさんの声、たくさんの色。すべてがいそがしく動いている。ぼんやりのんびりしている人は一人もいない。
「あ、新幹線」
と、けんちゃんが指さす方を見上げると、丸い目の新幹線の横顔が見えた。でもすぐに見えなくなった。都電は新幹線の高架の下をくぐっていったので。こんな都会の真中で道の上を線路が走っているなんてちょっとこわいなと思った。
 東京都電は「新橋」を過ぎ、「銀座七丁目」、「銀座四丁目」、「銀座ニ丁目」と、銀座のど真ん中を通っていく。
「アキラ、よーく見ておけ。ここが本物の銀座だべ」
 村長さんは大はしゃぎで、銀座が出てくる古い演歌を歌い始めた。
 そんな大声で歌わないでよ。おまけに音痴で、ひどい声なんだから。東京の人たちが見て、聞いて、ほら笑ってる。
 テレビのドラマで見た東京が今、目の前にある。
 ビルの上の大きな地球儀には、「森永チョコ」と書かれている。「銀座四丁目」の交差点のかっこいい時計塔は、デートの待ち合わせとかするところだっけ。屋上が楽しそうなデパ−トもたくさんある。


「須田町駅です。1系統から25系統に乗りかえます」
と、教えてくれたのはけんちゃんだった。
 都電がブレーキで停車しかけたそのとき、けんちゃんはいきなり大きな声を出した。
「たまきるみこちゃん!」
 同時にけんちゃんは、ぼくのとなりに座っていた人の手が読んでいた雑誌を取り上げ、そのままホームへおりてしまった。
「おい、何するんだ!」
 その人は怒って、着いておりてきた。
 父さんと村長さんがその人にペコペコあやまっていたけど、その人は怒るのをやめない。
「ひとの物を盗るなんて、ドロボウじゃないか! 警察に突き出してやる!」
 その通りだ。いくらけんちゃんでもこんなことをするのはひどい。そう思ったので、ぼくはけんちゃんから無理やり雑誌を取りあげて、その人に渡した。
「ごめんなさい、返します」
 ちょっとくしゃくしゃになってたけど、ようやくその人は怒るのをやめた。
 表紙には「昭和のシンデレラ/環ルミ子さん(21)」という大きな見出しが出ていて、すごい美人のお姉さんの写真が大きくのせられていた。
 たしか、前の日、東海道線で誰かが見ていた週刊誌の表紙にもそんなふうに書いてあった。
 それは大人には恥ずかしい雑誌だったらしくて、怒っていた人はちょっとバツの悪そうな顔してた。そして、
「返してくれればいいんだよ」
とごまかし笑いをして、次の都電に乗って行ってしまった。
 いつものことだけど、それからがたいへんだった。
 けんちゃんは、雑誌を取られたからと大声で泣いていた。東京都電のせまいホームには人がいっぱいで、みんながけんちゃんを指さしていやな目で見ていた。ぼくは雑誌を持ち主にもどしてあげたのだからいいことをしたのだと思っていたけど、こんなふうに泣かれると、何だかまちがったことをしたような気になってしまう。
 売店で同じ雑誌を買ってきて渡したら、とたんにけんちゃんは泣きやんだ。
「たまきるみこちゃん!」
 けんちゃんはそう言って表紙をじっと見ていた。
 このきれいなお姉さんは、やっぱりけんちゃんの妹なんだ。江ノ島の神社でビー玉をなくした人。ところで、「昭和のシンデレラ」って?」


 「須田町」で都電25系統に乗りかえると、車窓の風景はずいぶんと変わってきた。銀座のはなやかさとはちょっとちがった、何というかシブい感じ。
 「浅草橋」、「両国」を過ぎると、だんだん高いビルは少なくなってきたけど、やっぱり東京は都会だ。何もかもがごちゃごちゃとしていて、空は低くて晴れているのにどこまでもグレーだ。
 「亀戸駅」を過ぎると、細くて錆びた煙突の工場が立ち並ぶ町が続いた。
 でも、ぼくたちはもう、窓の外なんてろくに見ていなかった。
 窓の外を見ているのは、けんちゃんだけだ。けんちゃんは、電車に乗ると、もう雑誌のことなんてどうでもよくなったらしく、「見せてね」というとすぐに渡してくれた。「須田町」駅でトローリーバスがちょっとだけしか見られなかったのが残念がってたけど、「浅草橋」でまた見えたので満足したようだ。いつものように、運転室のとなりに立って、運転のマネをしながら窓の外を見ている。
 ぼくら三人は、「昭和のシンデレラ/環ルミ子さん」のページを読むのに夢中だった。



 
「昭和のシンデレラ」環ルミ子さん(21) 早川財閥の御曹司を射とめる!

 8月××日、早川財閥の御曹司で馬術の日本代表選手でもある早川徹さん(25)が婚約を発表した。お相手は環ルミ子さん(22)。ルミ子さんが勤務している飲食店を徹さんが訪れたのをきっかけに交際がスタート。
徹さんには財界政界の名家の怜嬢との縁談が数多くあったが、自分の妻は自分で決めると主張し、見合いを断固として断ってきていた。そこへ笑顔が魅力的なルミ子さんと出会って一目惚れをして、六ヶ月の交際の後、プロポーズしたということだ。
 ××日、婚約披露パーティーが都内のホテルで行われた。出席者は二人の友人がほとんどで、早川家の家族の姿はほとんど見られなかった。その理由はどうやら環ルミ子さんその人にある。
 アイドルタレントかと見まちがうほどの美貌とセクシーな魅力の持ち主のルミ子さん、実は財閥の御曹司の夫人には不向きなタイプと言えるかも知れない。学歴は中卒。しかも、成績不振で登校拒否となり、中学校へはほとんど通っていないらしい。中学校卒業後は都内の飲食店に勤務。釣銭の計算ができないのでレジをまかされることはないが、持ち前の笑顔と明るさで看板娘になっていた。
 つまり、環ルミ子さんは早川家の財力につり合う上流階級の令嬢にはほど遠い女性である。せいぜい下町のおねえちゃんといったところか。
    当然、早川家は大反対。ところが、徹さんは「結婚は自分が決めた女性と」と主張し、婚約披露パーティーを強行した。
 さて、公になったとたんにルミ子さんに関する憶測や噂が巷にとびかっている。計算がまったくできず成績も最低だったことから精神薄弱者にちがいないとか、庶民的を通り越して下品であるとか、露骨な誘惑で徹さんを陥落させたとか、ルミ子さん本人に関する心ない噂は絶えない。また、彼女の家族についても色々と噂が聞こえてくる。ルミ子さんの父親は昭和二十年に戦死し、母親が女手一つでルミ子さんを含め六人の子どもを育ててきた。ルミ子さんには五人の兄がいるが、そのうち二人は奨学金で大学を卒業した後、職についてまともに暮らしている。しかし、他の三人はとてもまともとは言えないようだ。二人は定職にもつかずブラブラしているし、残りの一人は行方不明になっている。
 婚約発表までしたとは言え、ルミ子さんの前途はまだまだ多難である。徹さんの姉(27)によると、早川家の人々は、「望まざる嫁だ。何とか理由をつけて結婚をやめさせたいが、本人の意思が固いので困っている」と話している……



 村長さんは、恥ずかしい雑誌を広げて、声を出してその記事を全部読んでくれた。それより前のページに水着の写真とかがあって、なるほど恥ずかしい雑誌かもと思った。
 とうさんは、もうちょっとまじめそうな雑誌を買って、「環ルミ子さん」の記事をじっと読んでいた。
「アキラの言うとおり、この人は本当にけんちゃんの妹なのか?」
「たぶん」
「でも、何年も会ってないんだろう?」
「わかるよ、けんちゃんなら。妹の顔を忘れるはずがない。それに、この人の顔、今のけんちゃんに似てるよ」
「んだ。きのう、駄菓子屋のおばちゃんも、男五人に女一人のきょうだいだって言ってたべ」
 村長さんは、水着のページを見るのをやめて、言った。
「もし、この人が本当にけんちゃんの妹なら、今は会わないほうがいいのかもしれない」
 とうさんは言いにくそうに言った。
「どうして?」
「アキラにはわからないかも知れないけど、妹さんが幸せな結婚ができるかも知れないというときに、あんまり事情を複雑にしないほうがいい」
「え? どういうこと?」
「とうさんの考えすぎかもしれないが、世の中には色々な無知やかんちがいがあって、まちがったことでも、ほとんどの人がそう思ってたら、多数決でそっちのほうに決まってしまうことがある」
 そう言いながら、とうさんは何だかつらそうだった。
 ぼくにはとうさんが何を言いたいのかよくわからなかった。まちがってたら、直していかないと、みんなでバカになっていくだけじゃないかと思った。そんなことを言うなんて、とうさんらしくない。もう一つの雑誌に何か書いてあったのだろうか?
「わかるか? アキラ?」
「わからない」
「変だけど、世の中ってそういうものなんだ」
「わしにもさっぱりわからん。ススムちゃんは昔から頭がよかったが、たまにわけのわからんことを言う」
 村長さんも言った。
「けんちゃんはお母さんに会いに来たんだから、このまま行くしかないよ。妹のこととどういう関係あるかわからないけど、とにかく、けんちゃんはお母さんに会うんだ。もうすぐそこにお母さんがいるんだから」
「そうだね、アキラ。とうさんはばかなことを言った。でも、こういう雑誌の記者がつけてくるかもしれないから、気をつけよう」
 雑誌の記者? 横浜駅で話しかけてきたあのサングラスの男もそうなのだろうか?






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