そばの知識

 植物としてのそば

 蓼(タデ)科一年草の一種で原産は北アジアと言われている。 荒地にもよく育つ特徴を持っており、救荒作物としても重要な食物であるが、いわゆる雑穀である。 種をまいてから75日程で収穫できる。
昼夜の寒暖の差が大きい地域のものが美味しいといわれる。 夏そば、秋そばがありそれぞれ8月と
11月頃が収穫のシーズンであるが主に新そばといえば秋そばを指す。

 そばの花は5枚の花弁と外側5本、内側3本、計8本のおしべと、先が3本に別れた1本のめしべから構成されてます。そして花には2種類あり、めしべのほうがおしべより長いもの、逆に短いものがあります。そして同一株からは同じ種類の花だけが咲きます。 このようにめしべとおしべのの長さの関係が違う花をヘテロスタイリーと呼ぶそうです。 そしてヘテロスタイリーの特徴として違う形状の花の花粉でしか受精しないことです。つまり他家受精であり、1本のそばだけでは実がならないのです。 

 次の特徴として普通の植物は夜間には成長しないが、そばは昼夜ともに成長する。日中に蓄積した栄養分を使用して夜間も成長するのです。 美味しいそばが取れる条件として昼夜の寒暖差が大きいことが必要と言われます。 夜の気温が低いとそばも夜間に成長できずにその分のエネルギーが消費されずそばの実に蓄積されるのです。 そして発芽から約30日すると最初の花房が出てきます。 そして花を開花させながら更に成長を続けます。 つまり成長しながら下から順に開花、結実していきます。 最終的に1株で500個以上の花を開花させ次々に結実していきます。

 そばの実の色は最初赤色をしていますが成熟とともに徐々に黒く変化してきます。 黒く完熟するとそばの実は脱粒性が強いために少しの衝撃でも落下してしまう性質を持っているので、約6〜7割くらいの実が黒くなったら刈り取り、束ねて全体の実が完熟してくるのを待ちます。 驚く事に蕎麦は刈り取られても茎は伸び成長を続け完熟するらしい。 そして最終的な収穫をする。 

 つまり良いそばがとれる為には昼夜の寒暖差が大きいことが必要です。昼は強い日光が射し、午後になると一面に霧がかかるような山間部はそばには最高の場所、つまり霧下そばで有名な信州戸隠や北海道等の地域は美味しいそばにとって最適なのです。

 ちなみに私の住む静岡県は現在ではお茶の産地として知られておりますが、静岡の老舗の親方が言われるにはお茶の栽培に向いているところはそばにも向いているそうな、静岡も県も昔はそば畑が多かったらしいのだがお茶のほうが儲かるから作らなくなったとか。
私の知り合いの近所の方が試しにそばを栽培してみたら茎の部分が異常に成長して物部分に栄養が行かず実ができなかったとの話がありますがやはり山のほうで栽培しないと駄目らしい。最近そば打ち仲間より静岡産の玄そばという物を見せていただいた。殻の色は私たちがいつも見ているものより白っぽくて大きな実であるが、殻を割ってみると中の実はひどく小さいのだ。 これは先に書いた茎の異常成長と関連するのかもしれない。しかし碾いて打ってみたらとても美味しかったとの報告を聞いている。

 蕎麦・名前の由来

 そばといえば一般的に 「つるつる」 と食べるいわゆる 「そば」 正確な呼び方は 「そば切り」 を連想すると思います。 しかし 「そば」 は蓼科の植物である蕎麦の名前であり、その実を加工した食品、つまり 「そば切り」 を指すものではないのです。 しかし「そば」と言うだけでだけはなぜか 「そば切り」 の意味として通用してしまいます。 例えば 「うどん」 を食べたくて 「むぎ」 が食べたいといっても 「むぎ」 で作った何をたべたいのかさっぱりわかりません。つまり「そば」はそれ程日本人にとって食生活に密着した一般的食品なっているのです。
 さて、そんなそばが日本に入ってきたのは五世紀中頃らしいのですが、当時は既に麦が栽培されていたと思われ、麦と蕎麦を区別するために当時は 「蕎麦」 と書いてソバムギと呼んでいたそうです。 それがいつの間にか 「蕎麦」 と書いて 「ソバ」 とだけ呼ばれるようになったそようです。 また実が黒い事から久呂無木(クロムギ)との異名もあり、さらにソバムギに関しては曽波牟岐(ソバムギ)と書く場合もあったそうです。
その他にも様々な仮説がたくさんあります。 

  蕎麦はいつから食べてる

 日本にそばが入ってきたのは公式な記録では天平時代まで遡るらしい。 722年は大変な飢饉であり救荒作物として蕎麦(ソバムギ)の栽培が命令されたとの記録が「続日本書紀」に残っているそうです。 
また更に縄文時代の遺跡からそばの花粉が発見されており相当に古くから食用として栽培されていたのではないかとの説もあるそうです。 ちなみに静岡市の登呂遺跡から出土した土器の中にはそばの種子も含まれていたそうである
つまり蕎麦そのものは相当に古くから食べられていた可能性がある。

 そば切りの発祥

 そば切りの発祥の地は古文書等の資料によると現在では信州であることが大方の見方のようである。また、初見としては1574年に長野県にあるお寺より蕎麦を振舞ったとされる記録が見つかっている。それが大都市まで普及し、特に江戸では先に普及していたうどんをいつのまにか凌駕し独自の普及と蕎麦文化の発展を遂げていくことになるようです。 

 そば切りの普及

 上記のようにそばが日本に入ってきたのは遅くとも天平時代のようですが、現在のような 「そば切り」 として一般に食されるようになるのは小さなそばの実を粉にする技術、つまり石臼が一般に普及してからのようです。 それまで一般の人々はそば 「そば米」 として「雑炊」や「粥」のような食べ方であろうと想像される。 そして石臼が普及し始めて製粉したそば粉が簡単に出来るようになると先ずは 「そば掻」 「団子」のようにそば粉を熱湯で固めて食べるようになり、さらに食感が良いことからそば切りが考案されてきたらしいのです。 つまり現在私たちが食べているような 「そば切り」 として一般に食されるようになったのは石臼の普及と密接な関係にあり比較的新しいことのなのです。

 また最初の頃のそば切りは菓子屋で売られていたようで、そのためか茹でるのではなく蒸篭で蒸して食べていたらしいことや、(せいろそばの由来)それがやがて食感の理由からなのか、それとも生産性の問題なのか茹で上げて出すようになった。  やがてうどん屋や街道筋の茶店などが扱うようになったこと、醤油やかつお節が普及する事による「そばつゆ」の普及や食感が良い二八そばの登場により急速に普及していく。 やがて江戸では先に普及していたうどんを凌駕し江戸のそば文化が開花することになる。 つまりそば切りは江戸時代中ごろから大いに普及し、現在に至るようです。


 そばの栄養学

体に良い
 そばが栄養学的に注目されて久しいが、特にビタミンPの一種、現在はルチンと呼ばれる「そばポリフェノール」を豊富に含んでいる。 これは毛細血管の強化やすいぞう機能の活性化、記憶力の強化,糖尿病の予防と抑制に効果があるそうです。特にビタミンCを含んだ食物をいっしょに食べれば効果を強める事ができるそうです。
更にでコリンというビタミンの一種も含まれていて、アルコールなどで弱った肝臓を保護するといわれおり、お酒が好きな方は飲酒後ラーメンをよく食べますが(実は私も)それよりもそばを食べたほうが良いかもしれませんね。
(ポリフェノールとは抗酸化物質で植物が光合成によって作り出す物質)


高栄養バランス
 昔の修験者は山中での修行には携帯する食料としてそば粉を持って行ったといいます。 食べかたは水で練って食べたらしい。 また比叡山の千日回峰行では、その荒行に先立って五穀断ちの期間があるが、五穀に入らない雑穀のそばは食べることが許された。 そばは栄養バランスに優れた食品であり過酷な荒行にも耐えることが出来るといわれる。
 そばの栄養を分析するとまず、必須アミノ酸が豊富で、たんぱく質の質のよさを示すたんぱく価は、理想的とされる全卵のそれに近い。なかでも米や小麦粉に不足するリジンやトリプトファンの含有量が穀類中でも特に高い。ビタミンB群も豊富で、B1やB2は米や小麦粉の約2倍の量が含まれている。
 ただし、このルチンやビタミンB群などは、麺をゆでるときにその多くが溶出してしまうので、そばを食べた後には 「そば湯」 は必ず飲んだほうが良いでしょう。 これらの栄養素は、そばの実中心部だけを碾いた一番粉よりも表層まで碾いた三番粉のほうに多く含まれる。 ルチンに関しては、ソバの実よりも葉や茎に大量に含まれるらしいのですが「そばもやし」として食べればいいと思います。 更にそばの実には食物繊維も白米の2.5倍以上も含まれており便秘などにも効果があるといわれています。
五穀(米・麦・豆・粟アワ・黍キビまたは稗ヒエ)



もりそば、ざるそば、さらもりそばはどこが違うの
基本的には呼び名のとおりそばを盛りつける器の違いです。
しかしそれぞれそれなりの盛り付けの理由もあるようです。
もりそば
ざるそば
さらもり