わたしんちの医学革命 表紙 「医療の犯罪」より検証する動物実験を基礎とする医学の科学性について考える
動物実験の誤りを証言する世界千人の医師たちの証言より抜粋1
動物実験の誤りを証言する世界千人の医師たちの証言より抜粋その3
千人の医師たちの証言より 抜粋 その2 読み上げ 読み上げページの説明
医療の犯罪 1000人の医師の証言 より
ハンス・リューシュ編 太田龍訳
医療の犯罪 1000人の医師の証言
ISBN4-87919-135-3 C1036
本体 2,700円(税別) 289頁
選定図書:日本図書館協会選定図書
原書タイトル:
1000 Doctors (and many more) Against Vivisection
by Hans Ruesch
科学的/近代的な医療が、実は病気を作り出している!
科学的/近代的な医療が、実は病気を作り出している犯罪的現実を1930年代から現在まで、 マスコミが絶対取りあげない近代医療のタブー。大反響を呼んだ『世界医薬産業の犯罪』に続く第2段! 科学的装いをこらした近代医療こそが、実は病気を作り出している。―現場の良心的医師1000人の数々の証言で綴る真に“勇気ある書”
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参考サイト 動物実験について
●千人の医師たちの証言から 抜粋その2
下記は医師の証言(論文、インタビュー記事、残されているコメントなど)のみを抜粋したものです。
発言者と引用文献、年月日などの詳細は「医療の犯罪」(書籍)にて確認出来ます。
(himaari)
「動物と人間の生琴器官は、化学薬品に対する感覚反応が大きく違っている。人間に典型的な薬物損傷であるアレルギよ応は、動物実験によってはほとんど予知できない…この疑問は、どんな重要な医学的発見が動物実験によって得られたかを考えてみれば明らかであろう。」
「この番組に招待を受け感謝しております。というのは、今日圧倒的に見られる生体解剖に関しての、偏見と誤解を解く手助けができると思うからであります。実験室で行なわれていることをじかに体験した者として、リユーシュ氏が公に生体解剖者に反論した場に同席した者として、私は生体解剖者に道徳的姿勢はないに等しい、ということを証言できるのです。
彼らが人間の健康維持に寄与していないばかりか、未来の誤謬と恐怖を生じさせ、頭や脳の移植を提唱するなどにいたっては、狂気か精神錯乱を想起させます。ここまでになると、外科医でなく精神科医の出番だと、私には思われるのです。
生体解剖者は、生体解剖は初心者に手先の技術を取待する助けになると主張します。しかし臓器が人間よりずっと小さく、種々の臓券の解剖学的関係が、人間のものと完全に異なってお り、人間とまったく比較ができない猫、犬、ネズミにメスを入れて手先の技術を学ぶことができる、などと思う者は一体いるでしょうか。内臓の粘度、色、メスヘの抵抗度なども同様のことがいえます。まったくのお笑い草です。
正しい外科訓練は長いこと、まず第一に手術室で先生の技術を観察することによって成果をあげているのです。手術チームのアシスタントをし、先生に協力し、手術中に手肋けすることによって。そして人間の肺、人間の肝臓、胆汁管を目の当たりにし、その大きさや粘度を学び、人間の心臓とその機能を観察するのであります。
それでは、なぜ今日でも生体解剖が行なわれているのでしょうか。これには理由が二つあり」
モラージ・デサイはインドの首相だったとき、国が外国通貨を喉から手が出るほど欲しい状況にあってなお、ベンガルザルの輸出を初めて禁止した。彼は完七八年六月二十盲のニューヨーク、ナショナル・プレス・クラブで、当惑したアメリカ人新聞記者たちに、ヒューマニズム、倫理、医学の面で、すばらしい教訓を与えた。 質問「首相が深く人間のニーズを考慮されているというのに、研究にべンガルザル輸出を禁止するという立場は、なぜなのか。ご説明をお願いします。」
返答「我々が真の人間性をもつならば、生き物のいかなるものにも残虐行為を押しつけるべきではないのです。これはインドがつねに持ち続けた哲学であります。ですから、我々は動物を残虐な目に合わすことを欲せず、そのために輸出を拒否するのです。調査研究だけが人間の至福の解答ではありません。人間の至福と人間の健康は、自然法に従うことでよりよく成就できるのです。というのは、これにはいかなる薬も必要ないからです。私は薬というものを長いこと使っていませんし、今も使うことはありません。」
医学生は、パスツールが前世紀に犬を実験した成果で狂犬病の問題″を解決した、と教えられている。彼ら、そして一般の人々は、パスツールとその継承者たちの誰も狂犬病の原因ウィルスが何なのか突き止めていないということ、そして狂犬病はいまだに死滅したわけではなく、ヨーロッパ全体に増加しているということを、知らされていないのである。
パスツールのワクチンがたった犬の命でも救ったのかどうか、科学的に何も証明されていないということ。
その@で、パスツールのワクチンのために何人かが実際に死亡したことが科学的に証明されていて、そのために、長いことこのワクチンは、新しいよりよい〃ワクチンを求めて使用が停止されたことも、知らされていない。
「実験室という条件の下に、動物の腫瘍を使用した実験から得られた結果は、我々の理解にある人間の孔がんとはほとんどまったく関連性がない。」
「…去年のアメリカの健康管理制度の業績を見ると、ブタ感冒プログラムにかぎらず、憂慮することばかりだ。このプログラムが九月に開始されてから、アメリカ食品医薬品局(FDA)が作成した報告書によれば、普通の風邪を治癒、あるいは予防する薬は存在しないが、アメリカの製薬会社は、三万五〇〇〇種の異なった風邪薬を市場に提供してきており、消費者はそれに年三億五〇〇〇万ドルもの支払いをしていることが指摘されている。」
「この間題については世界中でもほんのひとにぎりしか比較研究が発表されておらず、その結果は、気の滅入るものである。動物と人間の間の一般的な類似性、あるいは進化の法則を調べても、何の助けにもならない。たとえば、人間に関しての副作用ということになると、猿は犬よりずっとモデルとして悪いものだということが示されている。実際、猿にとって無害の物質こそが人間に害を与えるものなのである。だから、動物実験がいかに注意深く行なわれても、それをするからといって、未来の薬害の大惨事を予防できる、と考えるのは妄想といえる。」;
「もちろん、動物と人間の間には、多大な相違がある。
その1、動物を扱うときには心理学的、M神経学的効果を慧にテストすることは不可能である。そういうわけで、人間に新薬をテストすることが、いかなる新薬にとっても試験法の不可欠な部分でなければならないのである。人間は一人一人違うので、一〇〇人にはまったく安全であった薬でも、遺伝的に何らかの異常があったために一〇一人目の患者が死亡することもある。薬の効果が遅れて表われる可能性もある。これらはすべて、すぐに結果の出るものではない。たとえば、フェナセチンは、極めて安全な薬だと思われていたが、四十年も使用されて初めて、その危険性が明らかとなった。」
やっと抗生物質の性質に気づくようになった医師の数が増えてきているが、あまり長い間誤った道を歩いてきたために、その進路を変更する力も勇気も持たず、どうしていいのやら分からないのだ。
ローマの保守的新開『イル・テンポ』紙(一九七六年七月三十一日)によれば、ノーベル賞受賞者ジェームズ・パニエリは、抗生物質はその恩典となる面をはるかに超える被害を与える、といった。とりわけ慢性病、特殊な感染症、アレルギー反応、細胞繊維の中毒やビタミン欠乏症をあげている。
「一つの薬でも、動物の種によってその反応は異なっている。動物実験の結果は、薬の代謝に相違があるので、人間に当てはめて推定することが難しいのみならず、新治療薬の開発の重大な妨げになる。」
「それなのになぜ我々は、理論派や純粋主義者が作り上げた動物実験をやめることができないのだろうか?」
「新薬は、競合品が開発される前に市場化するとき、収益は最高になる。こうしたシステム下では、長い期間をかけてどのくらい有効な幅があるか、また毒性の危険性はどのくらいかテストするのは実用的でない。ときには、最小の臨床治験で薬が市場化されることになるのである。」
「医学界は健康の大きな脅威になった。」
「(動物実験者たちは)動物が人間とはまったく相違しているというのに、ナチ以外の誰もその他 の人間にしないような実験を動物に行なっている。その結果をどうやって人間に当てはめるというのだろうか。」
『公的医学は、自己の破滅を予告する兆候を無視し続けている。しかし、再びヒポクラテスの良識を思い起こそうという風潮も起きている』というような勇気ある意見をいう者があっても、健康管理権威筋から黙殺されてしまう。」
「動物実験から人間への影響についての絶対的な予見は何もできないことに反論する者は誰もいない。生物静学の第一人者の意見では、動物から人間に予見の確率をあてはめることは不可能であるという。それゆえに、現在では(CIVIS。タロード・ベルナールから百五十年も経った後−・)科学的な基礎をもつ予見の可能性はまったくないのである。この点に関しては、状況は運だめしのゲームより悪い。というのは、後者の方は成功のチャンスがあるのだから。今日の我々の知識段階では、動物実験を手段にして医薬品を人間に処方したときに、その医薬品のおよぼす影響、有効性あるいは安全性を科学的に見極めることはできないのだ。サリドマイド薬禍の例は、その好例である。医薬品が原因となった災禍を、動物実験を通じて予防するのは、今までもできなかったと同様、今日においてもできない。」
毒物学専門家アンリ・プラダル博士へのインタビューが掲載された。
アンリ・プラダルは産業実験室で十二年の経験があり、もう黙ってはいられない事柄について発言するために、そこを辞職した。
プラダル博士は、敷物にした安全テスト≠ェ、すべての詐欺の元になっていたということを説明し忘れた。しかし彼が言うことは、どの産業社会にもあてはまるものである。
たとえば、
医学に従事する者は、知らされていないというよりも、ほとんど実験室で手渡される日誌や小冊子だけから、つまりそこに掲載されている広告から指示を受けていた。それを使用すれば、人間の病気への勝利、自分の権力の実証、進歩の印を意味すると我々は説得されてしまう。
いったい、どこからこの盲目的信頼が生まれるのだろうか?
「それは、全権を持つ製薬業界、そしてそこから数十億を作り出す醸造所(化学製品工場)によって我々に押しつけられた幻想と、また一万一〇〇〇以上の医薬品を認可した公衆衛生局、政府の省庁や健康保険協会の持つ権力によっている。しかし、世界保健機関が認めたように、その認可医薬品の一〇〇分の二しか価値のある可能性のあるものはなかった。
医師たちは自分の鼻先より先が見えないのである。彼らは、製薬業界を攻撃するということは、医学界を攻撃することであると確信させられているのである。
人々がついに病気の原因を突き止めたとき、医薬品の販売数は急減する。しかし、我々はまず彼らにそれを理解させねばならない。」
「発がん性、これは長年詳細な研究がなされてきたというのに、薬品やその他の化学製品の発がんテストで満足のいくものはいまだに開発されていない。だから、現在使用されている方法が、現在あるものの中では最良ということになるのだ。それを向上させる研究をさらに進める必要性がおおいにある。動物実験の成果を人間に当てはめる方法は、特殊な問題を引き起こす。」
「近代医学は健康を否定するものである。人間の健康管理を供与するように組織されておらず、制度として自己によいようにのみ組織されている。それが治癒する人の数よりさらに多くの人々を病気にしてしまう。」
「たった二十五年前には、連邦で誕生した一〇万人の子供のうち三件の奇形があった。今日では誕生件数わずか一〇〇〇件のうち五件も奇形となっている。つまり、二十五年間で奇形発生件数は一〇〇倍増加したことになる。」
「動物の器官は、しばしば人間のそれとは異なった反応をする。動物の胎児に損傷を与える多くの調合剤は、人間の胎児には損傷を起こさない。しかしまったく反対の作用をするものもあり、そのために大きな危険をはらむのである。だから、多くの医薬品が時限爆弾になるということを無視することはできないのである。」
「今日のドイツの平均的な市民は、第二次世界大戦前の数年より五倍も多く薬を服用している。
では市民は五倍も健康になっているだろうか? もちろん否である。平均して、西ドイツの人々は、その時よりも今日の方がはるかに病気にかかる頻度が増えている。」
「不幸なことに、未来のいつか予測できない時に、数多くの化学物質の健康に与える影響を知ることになるであろう。なぜかというと、時間が経つにつれ、そして堆積するにつれ、作用は遅くなるからである。」
「世界中で何は何百万という人々が飢餓に苦しんでいるとき、そして我々の経済状態がこのように困難なとき、議会は目的もない動物研究に、毎年何十億ドルという助成金を計上している。」
「心理学者が行動について学ぶため、という根拠のもとに過酷な実験を動物にすることを正当化できるだろうか? 私は自分自身、実験動物に与えた苦痛のどれも、人間にほんの少しでも役に立ったものがあったと信じることはできない。ああ、何と悲嘆すべきことか。私も動物たちに苦痛を与えたことがあったのだ。」
「私の個人的意見では、実験の多くは、サディスト、ばか、あるいは連邦政府の助成金に貪欲 な者たちが監督している…。刑務所や、その他の収容所でなされた昨今の実験を見ると、科学者のある者は、明らかに低級動物では物足りなくなってきている。このナチ的心性を止めさせるのは早ければ早いほどよい。」
「薬が人間にテストされて動物実験が減れば、薬はより安全でよりよくなる。人間へのテストには適正な慎重さをもって臨まなければならないが、終局的には薬の副作用に関して安全性が高まるし、新薬やよりよい薬が出現する可能性を高めることができるであろう。」
「私は、自分の犬が科学者の手にかかるくらいなら、むしろ肉屋に屠殺してもらう方がましだと思う。研究者たちは、文明人の仮面をかぶっているが、その心と手は野蛮人のものである。
その実験の意味がどうであろうと、実験がいかに陰惨なものであろうと、彼らはその結果が正当化できるものであると主張する。彼らの日常生活は、カエルの脊髄を針でつぶしたり、ウサギの皮を剥いだり、猫の脳を切除したり、犬をバラバラに切断することが中心になっている。
肩をすくめず、日もそらさずに。」
「毎月何百万という患者が、恩恵を受けるはずの治療から、実際には害を受けている。」
「多くの人々がポリオ・ワクチンを受けたが、それには猿から発見された発がん物質餌SV40ウィルスが含まれていた。このウィルスが人間におよぼすかもしれない害は、二十年あるいはそれ以上経たないと表面に浮上しないかもしれない。」
「我々が目にしている身体的向上は、一つには自発的に、また一つには社会、経済、衛生状況の向上によるものであって、薬は何の関係もない。」
「サリドマイドは、薬害の元祖でもなければ最後のものでもない。サリドマイドが十三年前によくないと分かってからも、その他の薬によるかなりの数の悲劇が起こっている。」
「動物実験が、本当のところはどの程度効果的で信頼できるものか、という私の質問に、あいまいな返答しか返ってこなかった。」
「実験室の動物から入手した腫瘍の種類と小児がんの種類との間には、何の関連性もない。」
ドイツの上級医学顧問であるG・ブッ7ヴアルト博士は、最近、天然痘予防注射の効果の研究で、それが脳炎を引き起こすことを確証し、そのために、ドイツにおける強制的予防接種が排斥されることになったのである。いくつかの論文で、多発性硬化症は、天然痘予防注射の後遺症の疑いがあることに言及している。
合成ビタミンは、動物に前もって行なった安全テスト〃から適切な警告を引き出すことができなかったために健康に重大な損傷をもたらし、今日でもなお損傷を起こしている。実際、広くもてはやされたビタミンでさえも、製薬会社にのみ恩恵をもたらしたのである。チューリッヒ大学のグィド・ファンコーニ教授は、小児科開業医で、歴史に残る著書『医学の変速』(7バー社、ベルリン、一九七〇年)を出版した医学的権威として名声を博していた。その著書の中で、彼は、合成ビタミンKとスルフォンアミドが「急性溶血性貧血」(これは白血病の前駆症状であり得る)の原因になるとして非難した。また腎臓障害、高血圧や心臓疾患を含む多くの健康障害の原因として、ビタミンDの過剰摂取をあげている。
彼は、子供の発育を妨げる特発性高カルシウム血症は、ビタミンDの摂り過ぎに起因するのではないかと思う、と言っている。ついでだが、体内のカルシウム量が上がって代謝異常を起こす高カルシウム血症は、しばしば心臓欠陥や肺動脈の重い損傷とつながりがあることが示された。
「アメリカ最大の研究実験所で、何年にもわたって仕事をしてきたが、私は動物を使ったことはない。私は動物を使用しても、医学の前進に成果はまったくないと心底から思っている。」
「人間が動物の実験と同じ状況にあったとして、人間が同じような反応を示すかを前もって指摘できる動物実験などない」
「人間のウイルス・ワクチンの安全性に関して結論として出せるのは、人間の細胞から生成されたワクチンより、動物の細胞から生成されたワクチンの方が、人間への発がん性の危険が大きい、ということだけである。ワクチンの発がんの可能性は、もしそのワクチンが処方される動物と同種の動物細胞から生成される場合は減少する。」
「どんなに経験を積んだ医者でも、移植をせずに生存できる予想期間と、移植器官が終局的に拒否反応を示すまでの表面的な受容期間とを正確に秤にかけることはできない。患者は、移植手術は、疾患を治癒することも、移植を受けた者が健康になることも決してない、ということを知るべきである。移植手術は皆、早期の診断と治療の失敗の告白である。」
「迷信から人間を解放した科学は、それ自身史上最大の偽りであり、血なまぐさい迷信に変身した。これは、近代文明の生んだ悲劇の証なのではないだろうか。科学は、常識の最も輝かしい形態であったこともあるが、神として生まれ変わった。一般民衆(平信徒)と科学者(聖職者は、どちらも同じように、科学がこういうとか、それを必要としているなどと、神(科学)からいわれてきた……他の神々は聖職者に去勢することを求めたが、ただ科学だけが、科学者に人間的感情をすてるように求めている。」
天然痘の予防注射は、予防注射の傷が原因で腫瘍ができた三八人の症例に示されるように、悪性腫瘍という形でがんを引き起こす。これは一九六九年、『Medica−News』の第一真に報告されている。南カリフォルニア大学のウィラード・L
・マーメルザード医師は、第二回国際熱帯皮膚病学会で、これらの患者の誰一人として発がん性のある化学物質に接触のあった者はおらず、誰一人として予防注射の後に傷を負うとか器具による外傷を受けた者はいなかった、といっている。
「人間にする実験は、新治療法あるいは新薬開発に必須の段階であることが多い。……肺、心 臓@ 臓、脳を初めて手術した外科医は、動物実験から得た知識が人間に完全に適用できたことがなかったので、必要に迫られて人間で実験しなければならなかった。」
「我々は、科学の分野においてはまさに魔術師の弟子のように、我々に毒をもたらす発見を自慢する。未来の世代が、我々の研究が引き起こすおおいなる災害に対処するには、多くの時間と勇気を必要とするであろう。」
「動物と人間では薬に対する反応が違うので、動物研究から得られた知識は、多くの場合、人間には関連性がないし、ほとんどの場合、決まって不適切で人を誤らせることさえある。」
「フレミングは、ペニシリン (動物実験なしに偶然見つかった)注)が血液によって作用しなくなるのではないかと危惧していた。ウサギにサンプルを注射したとき、彼の最も恐 てフレミングはだんだん興味を失い、ペニシリンの使用を表面の感染に限った。
後にオックスフォードの科学者フローリーとチェインがペニシリンを復活させ、感染したハツカネズミの治癒にべニシリンが効くことを突き止めた。しかしこの実験では、またも種の選択が幸運″だったのだ。いつものモルモット、ハムスターが使われていたら、ほんの少量の投与でも致命的だったので、ペニシリンは永久に日の目を見ることはなかっただろう。だが幸運はここで終わりではなかった。危険な病状の患者を救うために、フレミングは脊椎にペニシリンを注射したかったが、そうしたらどうなるか結果が分からない。フレミングは猫で実験しようとしたが、フレミングの患者にチャンスを与えるには結果を待つ時間がなかった。患者は注射され、病状は改善されたが、フローリーの猫は死亡してしまった。いまだこの事例の教訓は学ばれていない。」
「二倍体細胞のもう一つの特典は、動物の培養の多くに自然に存在する好ましくないウィルスの汚染の心配がまったくないことである。実際こうした細胞がもっと早期に人手可能であったなら、ポリオワクチンやその後作られたワクチンに、猿の腎臓細胞が選択されたかどうか疑わしい。」
ヘンリー・ウォグロム医師(がん研究の権威。一九六四年)。
「まず始めに、がん研究に多くの努力がなされたことを認識せねばならない。この山のような労力からは、がんにさせたネズミ以外に、今まで何も出ていないのもまた真実であろう。」
「下等動物に実験をすれば基本的な真理が明確にされるので、その後愚者に応用できるとされているが、私自身、病理学者としての訓練を受けているので、私はその考えはまったくナンセンスだと思う。」
「傷には、完全に傷口を洗浄することのみが治療である。患者の状態から感染が起こりうるという状況にある場合以外、抗生物質は必要ない。」
「動物実験は科学的には誤りで、道徳的には悪徳行為である。生物の犠牲という行為はその有用性に対して何の言い訳さえない。だから、人間として人間性に反する曲がった行為である。」
「悲運な無抵抗の動物すべてが受けた苦痛を正当化するに足る議論や考慮など何もない。それにこうした慣行は非人間的であるといっても過言ではない。国は、こうした行為をきっぱり排斥する義務がある。」
「生体解剖は残酷で無駄なことであるので、私はそれに反対する証明書を喜んで郵送する。」
「生体解剖実験が科学的進歩のために必要、有用であるというのはばかげている。生体解剖を取り巻く状況は、気ままにすぎて真の利益を得ることはできない。」
「生体解剖の実用性は、私には完全に突き止められてはいないように思、夏。動物に試験された製品は、人間には効力のない結果を生む。」
「動物実験は法的理由でなされているのであり、科学的理由でなされているのではない。このような研究が人間に与える価値は、意味のないものが多い。ということは、我々の研究も意味のないものである可能性がある。」
「私は生体解剖、動物実験にはまったく反対する。つねにそれが残忍で無用のものと認識してきた。」
「動物は種によって薬に対する感性がまちまちで、動物実験を信頼して人間に通用することはできない。」
「動物実験の数字は毎年上がる一方であるが、それはよりよい薬、あるいはより安全な薬が市場に登場するためではなく、ただたんに、より多くの薬が市場に出回るためにすぎない。逆説的であるが、動物テストの増加は、過去のテストがいかに不十分であったかという認識が大きくなったことを反映したものである。一九六三年の英国製薬業界の薬の毒性に関する専門家委員会は、生物学研究では、特定の種の動物から得る情報が、その他の動物に有効であるとすることはできない、というのが常識になっていると認めている。動物は、年間に市場化をみる何百という新薬のために、人間のためなどではなく、むしろ産業の利益のために死亡しているのである」
「疾病者は、研究ではなく看護を必要としているのである。余りにも多くの医学研究者は、個人の勢力拡大への関心に比べ、人間の幸福、あるいは真理の探求への関心が薄いように見受けられる。」
「生体解剖が廃止されれば、研究者が動物実験に絡む落とし穴や虚偽、また実験結果を人間に適用することで生じる人間の健康への危険を回避することを可能にする効果があり、実際、医学の其の向上を最高に促進させることであろう。」
「過去十年間に、ペニシリンが効かないブドウ球菌系統の数は@@して上昇しており、特に病院では、重症のブドウ球菌感染症が増えている。とりわけ産院で発生件数が多く、この感染は惨事の域に達している。現代の治療法が、このブドウ球菌感染症の蔓延が絶えない悲劇の因となっているのだ。こうした事例は、治療しなくても治癒するたいしたことのない症状に、医者が抗生物質を使用したことに原因があるとすると、さらに悲劇的な展開となる。」
「今日の医学はどんづまりに来ている。もはや変容、修正、再調整もできない。今日の医学は再生のために一度死ななければならない。我々は完全に新しい医学を作らねばならない。」
「我々は、新薬の効果をいかに慎重に動物に実験しても人間への影響についてはたいしたことが分からない、という事実を直視するべきである。サリドマイドが最大限慎重な調査をされたものであることは疑いもない。私自身、それが人間の甲状腺腫を誘発するかどうかの調査に加わっていた。こんな起こりそうもない危険も、英国の製薬販売会社は考慮していたのである。
薬害を起こすことがまったくなく、いいことづくめの薬などありはしない。動物実験はその危険を予防できないし、優れた薬物の使用の妨げになることさえあり得るのである。我々は何らかのリスクを負うこと、あるいはもっと賢明なのは、新薬なしでやっていくことである。」
「実験室で充分なテストをした後で、動物に無害な薬であったとしても、人間には害になることが分かるものも出てくるかもしれない。」
「何種かの動物に特定して行なわれたおびただしい数の薬物毒性テストで得た結果が、人間の患者に適用できることはめったにないのだから、それ自体薬の安全性を評価するには、価値の疑わしいものである。」
「犬にけいれんを起こそうとするのは残酷なことです。ショック療法、臓器除去、腸や尿道の閉塞、その結果、膀胱の破裂などごくふつうに行なわれております。教授と学生たちが思いつくことに、皆さんはあっと驚かれるでしょう。夜中に、私は犬のことが頭から離れませんでした。手術をして生きるか死ぬかの瀬戸際だったと想像してみてください。冷たくすきま凪が吹き込むセメントの床、そこに横たわるあなたの上に、ホースから水をじゃぶじゃぶかけて床を掃除するのです。犬は、手術されてすぐだというのに冷水にびしょぬれになる。たいていの犬は死んでしまうわけです。もし生き残ったとしたら、二日ないし一週間も経たぬうちに他の実験をされてしまうのです。死ぬまで七回もの実験をされた犬もあるのです。」
「我々の間違った生活様式のために起こる病気は、その他の生物に苦痛を押しっけても、治癒を見出すことはできない、と強調したい。その他の生物に苦痛を与えて行なう調査によって、過去に人間にもたらされた長期間の恩典を − この長期間というところを強調したいのだ − 私は一つも知らない。」
「私は獣医になろうと進学した者です。これは自分が信じてきた理想のいくつかを失いたくないと思っている若者の心の叫び、嘆願です。私は最近、人間には真の慈悲や善意があるのだろうかと思うようになってきました。私はセンチメンタリストでもなければ、改革運動をしているのでもなく、狂信者というのでもありません。しかし、私がたった数年間に目撃したことを許容することはできません。」
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