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| 医者が患者をだますとき〈女性篇〉 | ||
| 1, 本の著者紹介 2, 著者 はじめにより 3,訳者あとがきより 4, 巻末付録 医者がよく使う薬について 5, 第1章 医者通いはなぜ危ないか 現代のドン・キホーテ だから女性はきをつけなければならない 現代医学の致命的欠陥 「現代医学の進歩」という幻想 6 第2章 診察室ほど危ない場所はない 昔は患者のためのものだった 病院経営に役立つ 「創造的診断」 薬をきちんと飲みなさい」に要注意 「自覚症状がなくても治療を受けてください」 医療で生計を立てている人たち 「とりあえず検査しましょう」 7 危ない医学信仰、危ない医学教育 医療信仰は幻想でしかない ほとんどの人は医者を信頼し、崇拝に近い態度をとる。 外科医に共通している信条は、「疑わしきは摘出せよ」である。 医師免許を持たない 「名医」 医者が受けている教育 8 第4章 医学界と女性差別 女性に対する医学界の差別 女性の医療従事者への差別 婦人科医療は女性に対する報復? 今なおつづく壮大な人体実験 今なお残る医療被害 医学界に利用される女性たち 9美容外科が生み出す悲劇, 医者を畏敬の対象にしてはいけない 健康診断は患者の 青田買い=@ ほとんどの医者は、現代医学がつくり出した神話を信じている。 簡単な検査にも問題がある なぜ幻想か? 理由が二つある。 検査漬け医療はなぜ危険なのか 10, 11, 12, 13 |
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| 1 著者 ロバート・メンデルソン 訳者 弓場 隆 発行所 株式会社草思社 2001年4月24日 第1刷発行 ISBN4−7942−1048−5 ロバート・メンデルソン アメリカで「民衆のための医者」として親しまれた医師。イリノイ大学医学部準教授(小児科、予防医学、地域保健学)、イリノイ州医師免許委員会委員長、ヘッドスタート計画(アメリカ政府教育事業)医療部会会長、ラ・レーチェ・リーグ(国際母乳連盟)医学顧問、マイケル・リース病院院長。すでに故人となっているが、「医者が患者をだますとき」は全米ベストセラーとなった。本書はその続編である。 弓場 隆(ゆみば たかし)翻訳家。神戸大学卒。医療問題、健康問題に詳しい。訳書には、ロバート・メンデルソンのr医者が患者をだますときj rそれでも医者にお産をまかせますか?J(小社刊)r自然の恵み健康法』(春秋社)r父親よ、わが子と向き合って人生を語れ』くPHP研究所)「リーダーシップ人間力の鉄則」(ダイアモンド社)他多数。 top |
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| 2 はじめに 前著『医者が患者をだますとき』 (小社刊) を読んだ人は、わたしが現代医療システムを忌み嫌っているのはもうご存じのことと思う。このシステムとわたしは三十年近くにわたって静かな闘いをつづけてきた。一見したところでは害がなさそうでも、実際には生死にかかわるほど危険な儀式が、「医療行為」という名のもとに医療現場で日常的におこなわれている。わたしはそのことを前著で公表し、医者が患者の信頼を踏みにじっていることに対して世間の人びとに警戒を呼びかけた。 前著を書き終えたとき、わたしはこう思った。「よし、これで胸のつかえがおりた。もう本を書く必要はなかろう」と。しかし、出版後に執筆の 副作用≠ェ現れた。講演の依頼とテレビ‥ラジオ番組の出演の依頼が殺到したのだ。 わたしはアメリカ中を何週間も駆け回り、インタビューを受け、スタジオに集まった人たちや電話をかけてきた視聴者たちの質問に答えた。これらの人びとが自分の信頼していた医者から受けた悲惨な医療被害について語るのを聞いて、わたしは何度も悲痛な思いをし、同情せざるをえなかった。全米向けのトーク番組にほんの数回出演した時点で、わたしは前著で指摘した過剰医療、乱診乱療、不正医療が氷山の一角にすぎないことに気がついた。 出演した番組のほとんどが女性向けだった。彼女たちの話を聞いていて、わたしは長い間それとなく感じてはいたものの、的を絞って述べたことのなかったある事実を生々しいほどはつきりと確認した。その事実とは、薬禍と手術禍はすべての国民に害を及ぼしているが、主な被害者は女性だということだ。 医療被害の男女比率が女性の側にひどく偏っていることは、前著の執筆の際に統計資料を調べていたときにすでに気がついていた。しかし、たんなる数字では実際に起こつた悲劇の人間的側面が見えてこない。ところが、トーク番組の電話を通して聞こえてくる数々の悲痛な体験談によって、女性が受けている医療被害の実態が浮き彫りになった。一人称で語られる乱診乱療、不正医療、死亡事故、過失傷害などの体験談が、統計の数字を裏づける結果になったのだ。 ほとんどの場合、電話をかけてきた女性本人が被害者だったが、それ以外にも、夫や愛する人の早すぎる死や大きな苦しみのために人生が台なしになつてしまったという訴えも数多くあった。悲しみに沈み、時には怒りに満ち、しばしば絶望に打ちひしがれる彼女たちの声は、信頼していた医者に裏切られ、身も心もずたずたに引き裂かれた無数の女性たちの気持ちを代弁していた。 残念ながら、わたしが彼女たちにしてあげられることはほとんどない。それは自分でも承知している。しかし、まだ医療被害にあっていない女性たちが同じ運命をたどらないように助けてあげることなら、もしかしたらできるかもしれない。わたしがこの本を書かなければならなかったのは、そういう理由からである。 top |
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| 3 訳者あとがき 本書は、(略) の翻訳です。原書の産科医療に関する記述については、昨年末に 『それでも医者にお産をまかせますか?』 (小社刊)という書名で刊行しました。 本書は、産科以外の女性医療全般について書かれた部分の翻訳です。 原書はアメリカでベストセラーとなり、翌年に増補版が刊行されています。以来、二十年が経過しているのですが、増補された部分も合わせて内容を読んでみますと、昨今の日本の医療現場で起こっていることと酷似していることがわかります。戦後の日本はアメリカを「医療先進国」と位置づけて現代医学を輸入してきましたから、これは当然といえば当然かもしれません。 医学の進歩は著しいとよく言われます。たしかに、医療技術は進歩しました。しかし、その反面、医療現場では密室性や封建性の壁が厚く、あまりにも多くのことが何の改善もなされないままになっています。今、本書を翻訳刊行して医療のあり方を世に問うのほそういうわけです。ただし、日米の医療事情に若干の違いがありますので、日本語版では最近の情報などを訳注で補いました。 原書の副題は「医者はどのように女性を操るか」 です。「操る」というのは、自分の利益になるように相手を説き伏せることです。それに対し「説得」とは、本人の利益になるように十分な説明をして相手を導くことですから、両者には大きな違いがあります。日本語版のタイトルを、二年前に刊行された 『医者が患者をだますとき』 の 「女性篇」としたのは、医者が患者を意図的にだますつもりはなくても、女性を心理操作して危険を伴う治療を受けさせて医療被害が発生した場合、結果的にだましたのと同じことになるからです。 著者のロバート・メンデルソン博士はアメリカでは 「民衆のための医者」と呼ばれ、ラ・レーチエ・リーグ (国際母乳連盟) の医学顧問として多くの母親に育児指導をするなど、多くの人びとから敬愛された小児科医ですが、すでに故人となっています。医学者としては、医学部の準教授 (教授と助教授の間) として予防医学、地域保健学、小児科学を専攻し、医学と医学教育に功績があったとして栄えある賞を数多く受けています。さらに、民間病院の院長、州の精神保健局小児科上級顧問や医師免許委員会委員長などの要職に就き、アメリカ政−仰のヘッドスタート計画 (就学前の子どもを対象にした教育事業) の医療部会会長にも抜擢されています。 このようにメンデルソン博士はアメリカ医学界の重鎮ともいえる人物だったのですが、自ら「医学界の異端者」を名乗って患者の側に立ち、現代医学の矛盾と問題点を鋭く指摘しています。批判の対象は多岐にわたり、内科、外科、産婦人科、小児科、精神科、美容外科などに及んでいます。博士は臨床医としては小児科医でしたが、病院長や医師免許委員会委員長などを歴任している経験から、全診療科の実態をつぶさに分析していたと思われます。また、医師免許というのは、日本でもそうですが、診療科別ではありませんから、複数の診療科についての詳しい知識が必要になります。とくにアメリカの場合、医師免許は数年ごとに更新しなければなりませんからなおさらです。 本書の主題は、医療行為を含めて医療現場における女性差別の問題です。博士の主張は時には過激な言い方のようにひびくのですが、よく考えてみますと、「飲む・切る・浴びる」という医療行為のほうが過激であり、正鵠を射たことを言っているのではないかと思われます。 博士は医者を現代のドン・キホーテ≠ニ表現しています。独りよがりな正義感に駆られ、現実と虚構の区別がつかなくなって非常識な言動をする人物、という意味です。 ある医者がテレビで、「わたしは患者さんの正常値には興味がありません。興味があるのは基準値からはずれた異常だけです」と公言したことがあります。でも、健康とは、器械で測って単純に数値化できるものなのでしょうか。たとえできたとしても、基準値に作為が施されていたらどうなるでしょうか。 西洋に、「医者と葬儀屋は健康の@@恐れる」という格言があります。医者と葬儀屋はボランティア活動ではなく営利事業をしているのですから、人びとが健康になると自分たちは失業してしまうわけです。 以前、製薬会社の営業マンをしている知人からこんな話を聞いたことがあります。「医者は欲が深いんですよ。わたしの経験では、八割がそうです。高齢者が病気を抱えているというのはたいてい検査値だけの話で、たとえば血圧測定だと半分以1の人が高血圧の基準を満たしてしまいます。そこで医者は降圧剤を処方し、さらにその副作用止めと称して何種警の薬を処方して儲けるわけです。高齢者医療費が高騰する主な原因は多剤併用療法なのですが、これには隠れたねらいがあります。複数の製薬会社の薬を使い、薬を定期的に変えれば、ボケや寝たきりなどの原因がどの薬なのか誰にもわからなくなります。こうして医者は、『原因不明の難病』と診断して特定の製薬会社が訴えられないように配慮する代わりに、法外なリベートを要求するのです。もちろん患者さんは医者を信頼していますから、そんな裏の事情があるなんて思ってもみないわけです」 私事で恐縮ですが、かつて公立高校の教諭をしていたとき、同僚の生物の教師が「血圧とは、脳の下垂体がバソプレシンというホルモンを放出し、体の必要に応じて自然に決定されるのだから、薬で人為的にコントロールするのはおかしい」と言うので、わたしはなるほどと思い、それをきっかけに血圧測定だけでをく健康診断を受けるのはやめました。自分の健康状態は自分がいちばんよく知っているわけで、それを機械の数値に基づいて他人に決めてもらう必要はないと判断したからです。 当時、わたしは、全生徒の三分の一近くが何らかの異常を指摘されている現状に疑問を感じたことがあります。異常を指摘しておかないと、あとで問題が発生したときに校医の責任が問われるという事情もあるのでしょうが、これでは異常を指摘されないほうが異常だと思ったくらいです。教育の主な目的は、子どもが将来、社会に出て生きていくために必要な知識を提供することです。ところが教育現場では、医療に関する知識を何も教えず、黙って「お医者さま」 におまかせすれば無病息災という御利益が得られるかのような指導をしています。国民医療費が国家予算の三分の一を超え、多額の税金が投入されているというのに、これは奇妙な話です。 本書のなかに、「医者は薬についてほとんど知らず、病気についてはもっと知らず、患者については何も知らないのに、薬をいくらでも投与する」というボルテールの警句が紹介されています。これについて、年配の内科医の奥さん (娘さんも医者) にお話をうかがったところ、「そのとおりです。医学博士といっても、ネズミの研究で学位を取ったようなもので、患者のことはよくわかっていないのが実情です。わたしのこともわかっていないくらいですから」と言われました。 もちろん博学で誠実な医者もたくさんいらっしやいます。本書の意図は、医者の人格を攻撃することではなく、一人でも多くの人が医療被害にあわないように医療の基礎知識を提供することです。 医者と患者の関係は知識ではなく信頼に基づいているのですが、治療のリスクが明るみに出たために崩れてしまうような信頼関係なら、早く崩れたほうが世のため人のためです。 昨今、医療事故についての報道が盛んになりました。しかし、それは人的ミスを指摘しているだけで、治療法の正当性を問いただしているわけではありません。患者が手術を受けたあとで重い後遺症に苦しんでいると、医者は「手術を受けなければ、あと半年で死んでいたところです」という言い方をよくします。しかし、そこで納得するのではなく、医者の説明が真理なのか保身の術なのかを見極めることが健全な姿勢であると思います。 私たちは「医学の進歩」という美辞麗句に眩惑されて、健康な人間ですら病気になってしまうような危険な治療を「人を癒す医術」と勘違いしているのではないでしょうか。本書を訳していて、そう思えてなりませんでした。読者の皆さんはどのようにお考えでしょうか。 二〇〇一年三月 訳者しるす top |
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| 4 巻末付録 医者がよく使う薬について 現代人は薬漬け社会に生きており、麻薬密売人よりも医者によって薬物依存者にさせられている人のほうが多いというのが現状だ。 アメリカでは年間推計一〇億万枚もの処方箋が書かれているが、わたしの見るところでは、その過半数が不要である。救急病院の医療スタッフによると、処方薬の多くは危険であり、時には致死的ですらあるという。 事実上すべての薬がある程度の毒性を持っている。製薬大手イーライ・リリーの創業者であるイーライ・リリー自身が、「副作用のない薬は薬ではない」と言ったことがある。 これはつまり、治療の対象である特定の臓器に限定して影響を及ぼす薬はないということである。ほとんどの薬には幅広い作用があり、人体のすべての臓器に影響を及ぼす薬もある。副作用にはかすかな不快感もあるが、身体に大きなダメージを与えて人を死に至らしめるおそれもある。医者からもらった薬を飲んだために、患者が当の病気よりも重大で危険な副作用に苦しむことは決してまれではない。 すべての薬に関する副作用情報は、添付文書に書かれている。しかし残念ながら、多くの医者はその種の情報をわざわざ研究しないし、たとえ研究したとしても患者には知らせない。そんなことをしたら、どの患者も服薬を拒否しかねないからだ。 思慮分別のある患者なら、医者が処方するすべての薬について質問するはずだ。具体的には、薬の名前、処方の理由、作用、いつ服用するか、服用期間はどれくらいか、食べ物との関連で効能・効果が減少するか、他の処方薬や大衆薬との飲み合わせによる弊害(薬物相互作用)はあるか、アルコールとのかね合いはどうか、過剰に服用した場合の副作用はどうか、どのような副作用が現れれば服用を中止すべきか、医者に報告すべき重大な副作用は何か、などだ。医者はそれらの質問にすべて答えたあとで、処方箋を書かなくなるかもしれない。 以下略 top |
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| 5 第1章 医者通いはなぜ危ないか 現代のドン・キホーテ 医療の世界には女性差別が染みついている。医学部の入り口から病院の霊安室に至るまで、すべてそうである。女性が受ける医療被害の根底にあるのが、女性差別の風潮であることは明らかだ。そして、この事態をよりいっそう深刻にしているのは、女性が男性にくらべて七倍も頻繁に医者通いをしているという現実である。医者通いをすればするほど、ますます大きな危険にさらされるのだ。 読者はこのような考え方に違和感を覚えるかもしれない。しかしそれは、医学界が「健康と長寿のためには医療機関で定期的に受診する必要があります」とさかんに言いふらし、世間の人びとを教化しているからだ。 残念ながら、医学界のこのような主張は真実ではない。 たばこのパッケージに警告表示が記載されているように、診察室の入り口にも「定期健康診断は健康に害を及ぼすおそれがありますから気をつけてください」と張り紙をしておくべきだろう。なぜか? 医者は人びとの健康管理に必要な知識をほとんど何も学んでいないからである。 医者は現代のドン・キホーテ≠ニでも呼ぶべき存在である。ただし、風車に向かって槍を振りかざすのではない。 医者は、本当の病気よりも想像上の病気と闘うことのほうがあまりにも多い。問題は、克服すべき想像上の病気を医者がしつこく追い求めると、人びとが医療被害にあうおそれがあるということだ 本当は病気ではない自然な生理現象なのに、医者はそれを「治療を要する病気」と診断することがよくある。実際、この方面での現代医学の独創性には際限がない。 医者は病気を探し求め、発見し、治療することを教わっているだけで、人びとの健康管理を手伝う方法を教わっていない。その結果、定期健康診断を受けるために医者のもとを訪れると、受診者がどんなに健康であってもあまり関係ない。衣服を脱いで無防備な姿勢で診察室にいること自体、「どうぞ、わたしを病気だと言ってください」と医者に哀願しているようなものだ。 結局、問診・視診・触診・聴診・検査で心理的に参ってしまい、別にどうということのない 「異常」を指摘されて、それを治療するために薬を処方される。やがてその薬の副作用が数多く現れ、本当に病気になってしまうのだ。 だから、女性は気をつけなければならない 女性は、子宮頸がんの予防のためには細胞診が欠かせないと誇張して教え込まれ、この検査を年に一回受けることを勧められる。実は、この検査は効果の疑わしい不要な儀式″ であり、婦人科医が金儲けにいそしむための口実でしかない。 このひどく不正確な検査の結果、がんの疑いが少しでもあれば、婦人科医は子宮摘出手術を受けさせるために、「万「 がん細胞が子宮の周辺に転移するといけませんから、子宮を摘出しておいたほうが安心です」という言い方をする。婦人科医は子宮摘出手術をおこなう際、患者には何も言わずに卵巣と卵管まで摘出することがよくある。しかし、このような処置は、早発性閉経に伴う不快感の増大を招くだけでなく、性機能障害を引き起こしやすい。おかげで、精神科医は大忙しである。 これは当の女性はもちろん、夫にとっても迷惑な話だが、婦人科医はそんなことは意に介さず、「更年期障害を和らげるためにエストロゲンを毎日きちんと服用してください」と指示する。こうして女性は、必要もない検診と薬の補充のために何年も婦人科に通いつづけることになる。 しかし、女性が本当に不運であれば、それだけではすまない。今度は外科医のメスが待っているのだ。おこなわれるのはハルステッド手術と称する過激な乳がん治療で、乳房といっしょに胸筋と腋裔リンパ節が大きくえぐりとられる。 ここで女性が教えてもらっていないことがある。それは、ハルステッド手術よりも小規模で、胸の形もそれほど崩れず、治療成績も同じくらいかより良好な乳がん治療が選択肢として存在するという事実だ。 女性が教えてもらえそうにないことが、実はもう一つある。乳房にがんが発生したそもそもの原因は、婦人科医が投与しつづけたエストロゲンなのだ。 このシナリオで繰り広げられている数々の治療は、現代医学が女性に押しつける無情で冷酷で危険な医療処置ばかりで、まるで食指がまったく動かない最低のフルコース料理のようだ。しかし、それよりも 大きな悲劇は、自分が治療を受けている病気の多くが、実は医者がつくり出したものだということに当の女性がまったく気づいていないことである。 現代医学は近寄りがたいほど威圧的で神秘的な雰囲気を漂わせているために、ほとんどの患者は疑念を差しはさむことなく医者の指示どおりに薬を飲み、手術を受けるはめになる。 top 現代医学の致命的欠陥 前著の冒頭で、わたしがなぜ現代医学を信じないのか、その理由をいくつか大まかに述べた。女性の身にふりかかる医療被害をわたしがなぜこれほどまでに切実に訴えるのか。ここでもう一度その理由を述べておく。 ・医療の当事者である医者が、人びとの健康をおびやかしているもっとも危険な存在である。 ・現代医学の治療はめったに効果がない。それどころか、治療しようとする病気よりも治療のほうが危険という場合がよくある。 ・医者は、本当は病気ではない患者に危険な治療をし、それによって本当の病気をつくり出し、自分が及ぼした被害を取り繕うためにさらに危険な治療をする。そしてその結果、患者はよりいっそう危険な目にあう。 ・現代医学は、患者の生命が危ぶまれている場合以外にはおこなうべきでない危険な医療処置を軽症の治療の際にもおこなって、患者を危険にさらしている。 ・ほとんどの医者が知らず知らずのうちに製薬会社の手足となって働かされている。その結果、効果の疑わしい非常に危険な薬の大規模な臨床試験のために、おおぜいの患者がまるで実験動物のように利用されている。 ・医者、病院、薬、医療機器という、現代医学を構成するこれらの九割以上がこの世から消えてなくなれば、現代人の体調はたちどころによくなるはずだ。 以上がわたしの確信である。 わたしは現代医療システムを一種の宗教と見なして「現代医学教」と呼んでいるが、医学界の異端者によるこのような見解は、同業者の反感を買うことがよくある。 典型的なコメントは次のようなものだ。「あなたの言っていることには部分的には賛成だが、そこまで断定的な主張を展開すべきではない。そんな極論ともとれるような言い方をしていると、あなたは世間の信頼を失ってしまうだろう」 信じられないのは、わたしの主張に激しく反論する多くの医者が、わたしが世間の信頼を失わないように気づかってくれていることだ。もちろん、彼らの本当のねらいがどこにあるのかくらい、わたしはよくわかっている。彼らは自分だけは他の医者たちとは別だから、「無罪放免」という評価を得ようとしているのだ。 しかし、わたしはその手にはひつかからない。もしわたしが「この医者だけは現代医学の破壊的な影響を受けていないから別だ」と認めれば、全米の医者がわれ先にわたしの主張に賛成し、「自分はいい医者だが、他の医者はひどい」と言い出すだろう。そうなれば、わたしの闘争は負けである。 もちろん、すべての医者、あるいは大多数の医者が意図的に不正医療をおこなったり、間違った指導をしたり、だまそうとしたりしているわけでは決してない。 たしかに医者のなかには愚か者、ペテン師、役立たず、悪人といった不届き者がいることは事実である。しかし、それはどの職業集団にも言えることだ。 わたしが批判しているのはそういったことではなく、現代医療システム(または現代医学教)なのだ。 医者は医学部で洗脳され、医者になってからも同一の規範に従うことを求める医学界の圧力を受けながら医業を営んでいる。現代医学の伝統と教義は、医者の行動に微妙な影響を及ぼし、その結果、すべての患者が身の安全をおびやかされるのだ。 このことは前著である程度深く掘り下げて書いたので、ここでは繰り返さない。興味のある方はそれをお読みいただきたい。要するに、わたしがなぜ医者の職業集団を一般化して述べているかというと、程度の差こそあれ、すべての医者が医学生のときに教え込まれた独断的見解の影響を受けているからである。 医学部では、聞こえのいい偽善的な言い回しを使って物事の本質を覆い隠しながら、数々の不正医療を医学生に教え込んでいる。わたしはその実能昔よく知っているだけに、それを憂慮している。 医学生の人格と行動は医学部での洗脳教育によってゆがめられる。その結果、高い代償を払わされ、時には生死にかかわるような状況に置かれるはめになるのは、ほかならぬあなた自身なのだ。 わたしが自分自身を含めて医者の職業集団のほかに例外を認めるわけにはいかないのは、こうした理由からである top 「医学の進歩」という幻想 医者は医療技術の進歩について誇らしげに語るのが大好きだ。話題にのぼるのは、特効薬、高度な手術、最先端のCTスキャン、分娩監視装置、心電計、脳波計、レントゲン撮影装置などである。 しかし、年間何千億ドルもの国民医療費を拠出してきた結果、一体どういう効果があったと言えるのだろうか。これまで医学教育に何年間も投資し、病院などの医療機関が何億ドルもの設備投資をおこない、数々の高度医療機器に代表される医学の進歩によって、はたして人びとの健康増進に貢献したと言えるのだろうか。 この間題を論じるには、百年前と現在の死亡率の比較がもっともわかりやすい指標になる。この百年間で衛生状態と栄養状態の改善、豊かな社会に伴う清潔な生活環境、マラリアやチフスの撲滅といった疫学の快挙によって多くの人命が救われたことを除けば、「医学の進歩」についての医者の自慢話には根拠がない。 新しい医療技術、薬、手術が開発される前と今をくらべると、国民の健康状態はむしろ今のほうが悪くなっている。国民医療費が高騰し、医者と病院のベッドの数が増えたにもかかわらず、あるいはだからこそ、アメリカ人は他の先進国の国民にくらべて健康状態が悪いのである。 世間の人びとが見てきたのは医学の進歩ではなく、医学の進歩という幻想なのである。 新たに開発された医療処置が、のちに病気を引き起こす。そしてそのたびに、さらに新しい医療処置が開発される。その繰り返しである。いわゆる「医学の進歩」 の大半は、有害な医療処置が別の有害な医療処置を生み出してきたというだけなのだ。 この数十年間に過激な薬物療法や手術などの医療処置がいくつも開発され、その多くが女性に押しつけられてきた。私はそれらの医療処置の効果に対して疑問を抱いているが、その疑問はそれぞれの医療処置の長期的作用が表面化するまで解明されないだろう。 医者が勧める毒性の強い処方薬を飲み、根治的手術と称する過激な手術を受け、不要な放射線を浴びたために死んでいった患者が、治った患者よりも多いことについては十分な証拠がある。 しかし、それは始まりにすぎない。 潜在的な医療被害の多くが表面化するのは、これから何年も先のことになるだろう。 前著の刊行からの二年間で、数々の重大な変化を示唆する医療改革がアメリカ医学界の代表的機関によって発表され、期待できる兆しが現れた。その例をいくつか紹介しよう。 ・アメリカ医師会は定期健康診断を国民に推奨してきたが、それを撤回した。定期健康診断は、病気を発見するよりつくり出していることのほうが多いというのがわたしのかねてからの主張である。 さらに、同医師会は倫理規定を改正し、医者同士が互いの医療ミスをかばい合うことをやめ、同僚の不正医療に気づいたときは率先して報告するよう要請した。同医師会が発足して以来の快挙である。アメリカがん学会は、乳がんを発見するためおこなわれてきたマンモグラフィー(乳房レントゲン撮影法)がしばしば不要な手術の原因となヶ、がんを発見するよりむしろつくり出す作業になっているという事実を、遅ればせながらようやく認めた。 また、子宮がん検診で必ずおこなわれている細胞診も特別な必要性がないかぎり、以前のように推 奨しないことを決定した。 ・国立衛生研究所は、前回帝王切開で出産した女性はそれ以降の出産でもすべてこの有害な方法で出産しなければならないという産科の固定観念を排除した。 ・アメリカ食品医薬品局(FDA) は二十年近く遅れてようやく約三〇〇〇種類の薬を市場から回収すると発表した。 なぜか? 国民がそれらの薬に何億ドルも出費してきたにもかかわらず、製薬会社はいまだにその有効性を証明できないからである。 テレビやラジオの記者たちは、以上の改革は前著での告発がきっかけになったのだから、「あなたの功績ですよ」と言ってくれる。前著を書いたことで見当違いな批判をいやというほど聞かされたわたしにしてみると、そう言われることはたしかに光栄である。 (中略) しかし、わたしはその功績を受け入れる前に検証しておきたいことがある。 医学界の指導者たちが発表しているそれらの医療改革が、はたして現場の医者のレベルにまで浸透しているかどうかだ。 わたしはそれを疑わしく思っている。 医学界が危険で不要な医療処置を自主的に取りやめるのは、さらに危険で不要な医療処置に取って代わられる場合に限られるからだ。 アメリカ医師会、アメリカがん学会、国立衛生研究所、アメリカ産科婦人科学会、アメリカ食品医薬品局が宣言した医療改革に前進が見られないわけではない。わたしはそれについては一定の評価をしている。もしこれらの機関が新しい規則を順守するのであれば、国民は今までのように医療被害にあう可能性は低くなるだろう。しかし、口先だけで実行が伴わなければ何の意味もない。 医学界の指導者たちの宣言を現場の医者が実践しているという確証が得られるまで、わたしは気をゆるめるわけにはいかない。 top |
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| 6 第2章 診察室ほど危ない場所はない 昔は患者のためのものだった 現代の女性は、危険で不要な薬漬けと過剰な手術の犠牲になっている。医者の手にかかった女性たちの身にふりかかっていることを見ると、わたしは気分が悪くなってくる。また、多くの場合、医療被害にあった女性たち自身も気分が悪くなっている。 誤解しないでいただきたい。女性に対する乱診乱療のほとんどは、医者の金銭欲や無能ぶりが原因ではない。 本当の原因は、医者が人びとの健康管理について教わっていないことである。 医者は、ほとんどの人が病気を抱えていると教え込まれている。医者は人びとの健康状態を判定する唯一の職業に従事している人間であり、診察を受けに来た人が不健康であると想定している。だから、医者は患者が病気であることを確信し、患者にもそう確信させるような症状をいともたやすく見つける。 医者から「診察を受けに来てよかったですね」という言い方をされたとき、以上のような事情を思い起こしてほしい。「診察を受けに来てよかった」 のは、患者のほうなのか、それとも医者のほうなのか、どちらなのだろうか。 人は年をとって死と直面すると、その年齢にまで達していない人よりもはるかに明晰に生を見つめることがある。著名な内科医フレデリック・ステン医師は、七十一歳でがんに冒されて死の床に就いていた。ステン医師は現代医学について自分なりに最終評価をおこない、「ニューイングランド∴ジャーナル・オブ・メディシン」 に投稿した。 以下、「死にゆく医師の考察」と題して掲載された同医師の文章の一部である。 ほとんどの医者は、かつて医学の根本精神であったヒューマニズムを失った。医療機器、効率優先、検査結果の精度へのこだわりが人間一人一人に対する温かみ、共感、同情、思いやりを排除した。 今や、医学は氷のように冷たい科学となりはてている。医学の魅力はもう過去のものだ。死にゆく者にしてみれば、機械いじりの好きな医者から安らぎを得ることなど望むべくもない。 (中略) 当時の医者は患者を人間として診ていたから、症例としてカルテに走り書きをしてそれでよしというようなことはなかった。(中略) 当時のかかりつけ医は、医者の助けを必要とする人たちといっしょに過ごし、その人たちをよく知り、悩みを聞き、助言だけでなく安らぎを与えることを心がけていた。そして、共感、親切、安心感、良識によって数多くの病を癒した。 当時の医者は直感力と判断力を使って患者を診察することを教えられていたし、自分にもそう言い聞かせていた。これらの貴重な診断技術を駆使することで、最新のコンピュータを導入した不正確な結果が出ることの多い臨床検査よりも正確な診断をした。 当時の医者は製薬会社の営業マンと癒着していなかった。だから、現在年間何トンと販売されている医療用医薬品と称する毒性の強い化学物質は、当時はめったに使われなかった。 当時の医者は検査結果よりも自分の知恵、知識、判断力を重視していたから、患者を検査漬けにするようなことほめったになかった。 当時の医者の間では、手術は危険な治療法であるという認識があった。だから、手術は恐れられ、忌避され、あくまでも最後の手段と考えられていた。 当時は、今のようにレントゲン撮影装置ががんを国民の間に撒き散らすようなことはなかった。 top 病院経営に役立つ 「創造的診断」 現代医学は綿密なカリキュラムによる医学教育、医療技術、専門医学実習制度によって、この半世紀ほどの間にそれまでの医療のあり方を倣慢にもすべて一変させた。これはなぜなのだろうか。 (中略 この点に関して、医療工場は自動車工場と原理的に同じである。作業がおこなわれていないと経営が成り立たないのだ。ベッドと医療機器の稼働率を高水準に維持することが病院経営者の最優先課題であり、衛生環境や安全性、医療の質の向上などは後回しにされている。 (中略) 病院というと、世間では思いやりに満ちた非営利団体であるかのように誤解されているから、人びとは病院の創造的マーケティングという概念に違和感を覚えるかもしれない。しかし、今や病院とベッドの数が多すぎるのである。したがって、それだけ多くのベッドを満床にしておくためには、病院は創造的マーケティングを展開する必要に迫られるのだ。 (中略) そこで、創造的マーケティングとは、勤務医が「創造的診断」をふんだんにおこなって、勤め先の病院の患者を大量に獲得することを意味する。 創造的診断というのはわたしが考案した娩曲表現で、医者が自分の仕事を確保することを目的として、本当は病気ではない患者を「病気」と診断する卑劣な診療行為を意味する。 医者は健康と病気の基準値を自分の都合のいいように設定するという欺瞞的なテクニックを駆使して、医療処置と高度医療機器の必要性を人為的につくり出す。医者は産学協同の構造のなかで製薬会社、医療機器メーカー、検査会社と癒着している。 さらに、粉ミルクと離乳食の製造元ともたいへん親しい間柄である。 top 人びとの不安をあおる 以前、「食べて排便、寝て排便、そうでなければ便秘です」という広告のキャッチフレーズがあった。便秘をかなり広く定義した製薬会社の広告に使われていた宣伝文旬で、わたしはこれを愉快に思った。 登場するのは家庭着を着た中年女性で、苦しそうな顔をしながらおなかのあたりを片手で押さえ、もう片方の手で掃除機を持って掃除をしたりナベを持って料理をしたりしている姿が措かれていた。「便秘でお困りですか?」という大きな文字を見れば、この女性の抱えている問題が何であるかは明らかだった。 当時、わたしは医学部で洗脳されてまだ間がなかったから、この広告を見ても違和感を覚えることはなかった。しかし、今ふり返ると、このキャッチフレーズが愉快だと思ったことを恥ずかしく思う。というのは、数百万人の便秘ではない女性がこのキャッチフレーズを信じ、便秘薬を買い求めたからである。この薬はそれほど毒性が強くなかったが、価値のない薬であったことは間違いない。人びとに異常がなければ、排便は一日三回でも週に一、二回でもかまわない。 ところが、「毎日規則正しいお通じを心がけましょう」というキャッチフレーズを信じて、一日二回の排便がないというだけで便秘薬を飲むようになると、健康被害が発生する。便秘薬を飲む前は便秘ではなかったのに、いったん便秘薬を常用し始めると、体の自然なリズムが乱れて本当に便秘になってしまうのである。そして、それこそが製薬会社の本当のねらいなのだ。 これは創造的診断のほんの一例である。疑うことを知らない被害者たちが、自分の体が不調であるかのように思い込まされて、それを治療するための薬を飲み、やがて本当に病気になっていくという構図を現代人はよく理解しておくべきである。 これは特殊なケースではない。同様の欺瞞的なテクニックをもう一つ紹介しょう。ジアゼパムという精神安定剤(抗不安薬)は、アメリカでもっともよく処方され乱用されている薬の一つである。ジアゼパムの適応症の一つは不安である。ごく普通の不安を経験する数百万人の女性が、毎年、医者によってジアゼパムの常用者にされている。この薬は大衆薬(一般用医薬品)ではなく処方薬(医療用の不安をあおって金儲けをする製薬会社の典型世間の人びとは便秘薬の広告によって情報操いないようだが、規則正しい排便に関する基準朋販売戦略は、今ではすっかり定着している。 (中略) ジアゼパムにはどういう作用があるか。お答えしよう。ジアゼパムの第一の副作用は不安なのだ。不安を和らげるために医者が処方するこの薬は、不安の原因になり、おまけに、新たな症状をいくつもつくり出すのである。ジアゼパムの副作用を列挙してみよう。 精神錯乱、便秘、抑うつ、めまい、眠気、疲労、倦怠感、頭痛、運動不能、不眠、黄痘、関節炎、性欲減退、吐き気、興奮、発疹、吹き出物、言語障害、ふるえ、かすみ目、尿失禁、残尿感以上のうちで、わたしがなるほどと思うのは「興奮」である。日常生活の正常なストレスを和らげるために医者にこんな薬を飲まされて、ひどい副作用をいくつも経験させられたり薬物依存症にされたりしたら、どんな女性でも怒りのあまり興奮して当然ではないか。 top 「薬をきちんと飲みなさい」に要注意 医者に処方された薬を飲んで病気になる例をもう一例紹介しよう。 ベンデクテンという毒薬は、有効性に関する確固たる科学的根拠がないにもかかわらず、妊娠中の吐き気を軽減する制吐剤として処方されていた。ところが、ベンデクチンの副作用は吐き気なのだ。もしこの薬に吐き気を軽減する効果があったなら、まさに「奇跡」というべきだろう。 しかし、もっと恐ろしいのは、どの医者もベンデクチンに効果があるかどうかを確かめるために、妊婦が下痢、めまい、頭痛、いらいら、@の危険を冒すことを知っていながら、発疹、腹痛、排尿時の痛み、目のかすみといった重大な副作「この薬をきちんと飲みなさい」と言って服薬指導をしていたという事実である。 もし医学界がこのような事態を一掃とは無縁の業界になるだろう。大衆薬打ようという気持ちを持っているなら、製薬業界は発展や繁栄りもはるかに危険な処方薬を製造・販売する製薬会社がこの世に数多く存在するのは、そのような毒薬を患者にふんだんに処方する医者がこの世に数多く存在するからである。 製薬会社が倒産するなどということはありえない。薬物乱用に関するかぎり、犯罪組織の薬物密売人のほうが医者よりもはるかに慎重だ。 製薬会社は医者の手を介しておおぜいの国民をまるで実験動物のように利用し、無数の人びとの循環器系に毒性の化学物質を注入している。もし医者が人びとの健康の維持・増進に貢献しようと本気で思っているなら、製薬会社の天敵として断固聞い抜くはずだが、そんな医者はどこにも見当たらない。 医学界と製薬業界は結託して処方薬を大量に売りさばき、巨額の利益をむさぼっている共謀者なのだ。医者が患者に投与している処方薬の多くは、有効性も安全性も立証されておらず、したがって何の価値もないというのが実情である。 *訳注 ベンデクチンは先天異常を引き起こすおそれがあるという理由で、のちに販売停止になつた。 現在の日本では、プリンベランヤアタラクスPなどが制吐剤として処方されているが、これらの薬も妊娠初期に服用すると先天異常を引き起こすことが確認されている。 top 「自覚症状がなくても治療を受けてください」 医学界は医師過剰時代に対応するために、独自の戟略を数限りなく打ち出した。医者は創造的診断という手法で見事な才能を発揮してきた。基準値を操作することによって、本当は異常ではないのに「異常」と診断して「病人」をつくり出したのである。この手口を使えば、軽症を「重症のおそれあり」、不正確な検査結果のささいな数値の変動を「大病の前ぶれ」、基準値から少しでもはずれていると「生死にかかわる病気の症状」と決めつけることができるのだ。 ほとんどの現代人は食べることが好きである。たぶん、あなたもそうだろう。世界中の多くの貧しい国々と違って、食卓にいつもおいしい食べ物がたくさん並ぶ先進国で生活している人びとにとって、飽食は日常的光景である。食べ過ぎは必然的に肥満を招くが、少々太っている程度なら問題はない。夫から「最近少しぼっちゃりしてきたね」と言われても、妻は気にかけない。夫も決してスリムではなく、内心では「がっしりしてたくましいわ」と妻から言われたがっている。 こんな具合に、二人はおいしいものを食べて夫婦円満である。無理なダイエットをして我慢しなければならないわけではない。脂肪組織が多少増えたくらいのことで心配する必要はない。 ところがである。定期健康診断を受けるために、ふっくらした健康体を医者に見せに行ったとしようう。さて、どうなるか。体重計に乗った瞬間に問題が発生するのだ。医者は体重を確認し、無意味な標準体重表と比較して顔をしかめ、 医者に行くまで、あなたは健康で察室から出るころにはみじめな気分のない危険な薬をもらって帰らずに糊れたように首を振る。せで、ふっくらとした愛嬢のある女性だった。ところが、診っばいになり、太っていることを気に病むようになる。価値だならば、不幸中の幸いと言わねばなるまい。 単刀直入に事実を指摘しよう。 ほとんど無限とも言える創造的診断は、医者の思うがままなのだ。一つの例が「高血圧症」という診断である。 医者が高血圧に注目するようになっつたきっかけは、製薬会社が降圧剤 (血圧降下剤) を開発して医学界に医療処置の格好の口実を与えたことであった。この薬のおかげで、高血圧は医者の金づるとなった。 以前なら健康だと見なされていた無数の人びとが、「高血圧症」と診断されるようになった。 おかげで医者は毒性の強い劇薬の処方を正当化できるようになり、高血圧症を疑われた患者はその恐ろしい副作用が原因で本当に病気になった。 降圧剤の多くは性欲減退とインポテンスを引き起こすだけではない。わたしの見るところでは、性機能障害の原因は心因性よりも降圧剤の副作用による場合のほうが多い。 もちろん、血圧計の加圧帯を上腕部に巻きつけて圧力をかけても日盛りの数値が十分に上がらず、高血圧症と診断するほどではない場合もある。しかし、医者はがっかりしない。それならそれで、今度は「低血圧症」と診断すればいいからだ。一九五〇年代前半くらいまでは、低血圧は病気ではないとして無視されていた。しかし、これはもうう遠い昔のことであるから、そろそろ低血圧を病気として復活させてもいいころだと医学界は判断した。 低血圧の人はたいてい長生きするという研究報告がいくつかあるが、この際それは忘れようということになった。医者が低血圧を病気と診断すれば、それはもう低血圧症という立派な病気なのだから、その治療としてビタミンBlの栄養注射をすることになる。しかし、もしかりに低血圧が病気だったとしても、栄養注射などなんの役にも立たない。 top 医療で生計を立てている人たち 医者が食欲にも子どもにまで手を伸ばしたことは、想像に難くないだろう。 手に負えない子どもに業を煮やした現場の教師たちは、医者と心理学者の協力を得て「注意欠陥多動性障害(ADHD)」を拡大解釈し、かなり高い割合で未成年者が該当するように操作した。その結果、教師だけでなく親にとっても都合のいい安易な治療法が開発された。数百万人の活発で正常な子どもたちにりタリンという中枢神経刺激剤が処方されたのだ。しかし、その作用によって子どもたちはまるでゾンビのようにされてしまった。 子どもを産んでも安全であると医者が考える年齢もかなり狭められてきた。今や女性は何歳で妊娠してもたいてい危険と言われる始末だ。もし妊婦の年齢が医者の基準と比較して少しでもずれていると、産科特有の魔術のような医療処置をこれでもかと受けさせられるはめになる。しかも、そのなかには胎児異常を確定するための羊水検査まで含まれていることがあるが、こんな危険な検査はめったにおこなうべきものではない。この検査を熱心に推奨する医者のなかには、「三十歳以上のすべての妊婦はこの検査を受けてください」 帝王切開の適応症もかなり創造的約と公言する者すらいる。病院によっては帝王切開率が全出産の五割を上回っているところすらある。 そもそも一その適応症のほとんどは、お産という自然な生理現象に対して産科医が麻酔分娩や分娩誘発などによって医療介入することが原因なのだ。 当然のことながら、創造的診断はどれもたいへん儲かる。おかげで製薬会社の工場はフル操業だし、どの病院でも満床状態である。さらに、葬儀屋は死者が増えて思わず笑みがこぼれるという。医者にとっても好都合であることは言うまでもない。 たんなるキビヤ吹き出物が今では「座癒(アクネ)」と診断できるようになり、皮膚科医の地位が向上した。皮膚科医は治癒率八割を誇っているが、キビヤ吹き出物が気になる十代の若者は、医者に近寄らずに洗顔を励行していても同じ結果が得られるだろう。 *訳注 りタリン (塩酸メチルフエニデートの商品名) は一九五五年に食品医薬品局に認可された向精神薬の一種で、現在の日本でもよく使われている。九六年の世界保健機関 (WHO) の推計によると、アメリカの全児童のほぼ五パーセントがこの薬を飲んでいる。ADHDと診断された子どもがりタリンなどの向精神薬を長期服用するケースがアメリカ国内で激増していることについて、 クリントン大統領夫人 (当時) が専門家や関係機関と論議し懸念を表明している。 **訳注 日本では四十歳以上の妊婦のほぼ半数が羊水検査を受けている。 ***訳注 帝王切開率はアメリカでは二五パーセント程度、日本では七〜一〇パーセント わたしの友人で、ノースウエスタン大学で都市コミュニケーション論を専攻しているジョン・マクナイト教授は、このような医療のあり方に対してうがった見方をしている。彼は大学でこう教えているという。 「医療、福祉、介護、愛情という名のもとに、健康人が病人として扱われるケースがますます増えている。医療サービスというのはうわべだけで、それによって収入を必要としている医者、看護婦、薬剤師、および病院や製薬会社などで働いている多くの医療サービス提供者がいるという現実が覆い隠されている。医療における顧客とは、実は患者よりもむしろ医療従事者のほうなのだ」 現代医療システムの必要性を満たすために、国民はなんと高い代償を払わされていることか。 top 「とりあえず検査しましょう」 ここで、創造的診断について最後の警告をしておきたい。あなたのかかりつけ医がその方面での「名医」 である場合、「頭痛で因っています」などとは口が裂けても言ってはいけない。それ以外に心配な症状がないなら、医者にかかる必要はなく、国民の七割がそうであるように月に一回ほど解熱・鎮痛剤を服用すれば事足りる。 (中略)。しかし、創造的診断が得意で良識が少し欠如に「とりあえず検査しておきましょから始まって、さまざまな病気の可能性を指摘し、あげくのはてには脳腫瘍という疑いまでかけて患者を検査漬けにするおそれがある。 医者が創造的診断に使う病名を列挙してみよう。 水痘、ジフテリア、狸紅熱、耳下腺炎、単球増加症、インフルエンザ、肺炎、肝炎、静脈洞炎、扁桃炎、脳炎、腸チフス、ブルセラ病、デング熱、紅斑熱、レビトスピラ症、天然痘、黄熱、野兎病、炭症、マラリア、髄膜炎、アレルギー性鼻炎、胃腸炎、ポリープ、低血糖症、甲状腺機能克進。 頭痛はこれらの病気に共通する症状ではあるが、それ以外の随伴症状がないならば、患者はどの病気にも該当しないことが多い。 おっと、医者が疑う見当違いな病気がもう一つあることを指摘するのを忘れていた。伝染病だ! top |
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| 7 2 (2) 第3章 危ない医療信仰、危ない医学教育 医療信仰は幻想でしかない 医者はうるさい患者から質問されたとき、自分のくだした診断や勧めた治療に自信がなければないほど、学位の権威を振りかざすものである。患者を納得させるだけの返答ができないと思ったとき、医者はその質問をかわすためにこんな決めゼリフを用意している。 「医学的知識のない方にはわかりません」 たいていの場合、どんなにしつこい患者でもこの一言でやり込めることができる。だが、医者はこの手をしょっちゅう使うわけではない。その必要がないのだ。ほとんどの患者は、はじめから医者の態度と学位に恐れおののき、治療方針について質問しようという気持ちすら抱かないからである。しかし、医者がこの決めゼリフを吐くときは要注意だ。相当に危険な治療を勧めている可能性がきわめて高い。 ほとんどの人は医者を信頼し、崇拝に近い態度をとる。 現代医学は人びとのそういった心情からその権力の大部分を得ている。 (中略) 世間の人びとが現代医学に対して抱いている畏敬の念はたいてい的外れなのだが、しかしそれこそが現代医学の基盤となっている。医者は自分が全能者であるかのような雰囲気を漂わせているために、人びとは医者もただの凡人にすぎないということが見抜けないのだ。 人びとは危険なカルト教団から脱会するのと同じように、医療信仰をやめて現代医学の危険な治療から身を遠ざけたほうが身のためだ。 人びとは心のなかに描いている、親切で、優秀で、信頼できる、心優しい医者というイメージを捨て去り、医者の実像を見据えなければならない。そうすれば、医者が映画やテレビドラマに出てくる正義感の強い人物ではないことがわかるはずだ。 とはいえ、演技がうまいという点では医者は役者と同じである。どうやら、医学部は医学生に患者の健康管理の方法を教えることよりも、演技派の役者を養成することに重点を置いていると言えそうだ。 八年から十年におよぶ医学教育と研修の間に、医学生は自分が全能者であることを患者に信じ込ませる方法を教わる。若い医者は人の生死を決定する絶大な権力を数年間にわたって行使しているうちに、自分が全能者であると本気で信じ込むようになる。 (中略) はっきりした必要性もないのに、 もっとも頻繁におこなわれている手術の一つに子宮摘出手術がある。 (中略) 婦人科医は金儲けのために子宮摘出手術にいそしんでいると一部で批判されている。この手術で利益を得るのは婦人科医だけだからだ。たしかに金目当てという面もある。 しかし、不要な手術がおこなわれる理由は、別のところにあるとわたしは確信している。 医学生は医学部で指導教官の披露する手術の技量に情熱をかき立てられることと、外科の実習をする数年間でメスに対する揺るぎない信念を叩き込まれることだ。 外科医に共通している信条は、「疑わしきは摘出せよ」である。 だから、わたしは医学生に対して皮肉たっぷりに「試験でどの治療法が正解か迷ったら、テキストで習ったなかでもっとも危険な処置を選択しなさい」と指導しているほどだ。 ニューヨーク・タイムズ紙の医療関係の記事を担当しているジェーン・ブロディ記者は、手術よりも簡単で費用がかからずリスクの小さい治療法が可能なときですら、婦人科医がやたらに手術をしようとすることの弊害について次のような実例を報告している。 (中略) 医師免許を持たない 「名医」 医師免許を持っていない、あるいは医学部で学んだことのない人物が医療行為をしたとして逮捕されたという記事がときどき新聞に掲載される。しかし、わたしの知るかぎりでは、その無資格の人物が患者に害を及ぼしたとか、患者の信頼や尊敬を得られなかったという例は一つもない。では、どういう罪を犯したのだろうか。 それは、医学部に行かなくても「名医」 になれることを立証してしまったことなのだ。 このことを見事に示している具体例を紹介しよう。医学部に一度も通ったことのない素人に、外科医が手術室で助けを求めたという実話である。 ニューヨークの(中略) 医者が受けている教育 医者は自分が医学部の出身であることを鼻にかけ、患者を見下したような態度をとるが、医学部の出身であるということは、実際にはそれほどたいしたことではない。 わたしも医学部の出身だし、いくつかの大学の医学部で教鞭をとってきた。しかし、どうしたらその経歴を孫たちに知られないようにできるかを考えているくらいだ。 高等教育の目的は、物事を合理的に考え、論理的思考を培い、疑問を抱き、創造性を発揮するための知識と方法を学生に提供することである。学生は教授と討論し、博士論文の承認を申請すれば、自分の論文の正しさを証明することが求められる。 医学部はそうではない。医学生は議論したり疑問を抱いたりすることなく、思考停止状態で医学理論を鵜呑みにし、指導教官の言葉に条件反射的に紋切り型の答え方をするよう指導される。 たとえば「連鎖球菌」と聞けば、「ペニシリン」と答える。教授が「右下腹部の痛み」と言えば、「アッペ (虫垂切除手術)」と答えるように教え込まれるのだ。(中略) 要するに、医学部は独断と偏見に満ちた医学体系を教え込み、医学生が判断力を行使する権利をごく狭い範囲に限定するのである。 医学生はどの百日咳ワクチンを使用するかについて議論することは許されても、そもそも百日咳ワクチンを使用すべきかどうかについて議論することは許されない。中耳炎の治療にどの抗生物質を使用するかについて検討することは許されても、感染症の標準的治療として抗生物質を使用することに疑問を抱くことは許されない。 医学部でおこなわれる主な試験は、ほとんどすべて選択式である。したがって、医学生は単語はおろか、文あるいは@い文章を書くことすらなく、ましてや一ページもの文章を書かされることはまったくない。医者の処方箋に書かれている字が読みづらい原因はここにある。薬剤師は処方箋の字を判読できないことがあり、たとえば痛風患者に降圧剤を渡したりすることがある。 なぜ医学部は、判読不能な字を書くことを医学生に徹底的に教え込むのか。わたしは以前この謎が解けなかった。 医者が看護婦に理解できる字で投薬指示書を書き、薬剤師に理解できる字で処方箋を書くのが望ましいことは言うまでもない。 最近、わたしはその謎解きに成功している。 病院のカルテに残っている判読不能ななぐり書きを時間が経過してから調べると、どの医者が指示や記録を書いたかを割り出すことはほぼ不可能だ。ねらいはそこにある。 医者はなぐり書きをしておけば、不正医療の訴訟が起きた際に責任を負わなくてすむのだ。 教えられた内容を疑問視するような医学生は、医学部を卒業する見込みが薄くなるだけでなく、たとえ卒業しても、良い研修医制度と専門医学実習制度に参加しにくくなり、医師免許試験に合格することもむずかしくなる。 波風を立てるような言動は、それどころではすまないことがある。わたしは自分の担当していたある医学生のことが今でも忘れられない。彼は産科学を専攻しようと考え、授業を受けていたのだが、・・・ (中略) 教えられた産科特有の愚劣な医療処置すべてに納得できず、産科の指導教官たちに質問をしたのだ。 「産婦の両足が上げた状態で支脚器で固定されるのはなぜですか?」「なぜ麻酔分娩をするのですか?」「陣痛の初期段階で分娩誘発をするのはなぜですか?」「明確な必要性がないのに、帝王切開がおこなわれているのはなぜですか?」 結局、彼が得たのは、回答ではなく処分だった。 彼は医学部長に呼び出され、精神鑑定を受けることになった。医学部では、敵意のこもった質問をする医学生はすべて 「精神障害者」と見なされるのである。 こういった独断と偏見に満ちた医学教育の弊害は、思考力に富む、知性豊かで、確固たる倫理観を持つ医学生を排除し、愚劣な伝統をかたくなに維持するというだけではない。 このような体質は、無駄な治療をおこなわない画期的な医療体制の確立を阻止することになるのだ。 この点についてロジャー・ウィリアムズ博士は、『病気に打ち勝つ栄養』 という著書のなかで次のように指摘している。 「現在、アメリカの医学部は画一化(均質化ではない)されている。 いったんある信念が正統派として確立されると、それに異議を唱える世代は抑圧される。 われわれは一種類の医学、つまり近代医学しか知らないので、すべての医学部が基本的に同じことを教えている。カリキュラムは必要と考えられていることで飽和状態になっているために、新しいアプローチを試みる時間も余裕もほとんどない。 その結果、 医学は、すでに受け入れられていることが不変の真理であるとする因習に縛られやすくなる。科学が正統派として不動の地位を築くと、それはもはや科学ではなくなり、真理の探求をやめ、過ちを犯しやすくなる」 (中略) top |
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| 8 第4章 医学界と女性差別 女性に対する医学界の差別 十年くらい前、わたしがある大病院の教育計画責任者だったころ、一人の女子医学生が「指導医の一人がわたしを公平に扱ってくれません」と訴えてきたことがあった。 (中略) 、彼らが世間一般の男性よりも女性差別の傾向が強い理由は十二分にある。 女性は医学部と病院だけでなく、医療現場の至るところで差別されている。たとえば、患者としても差別されて不正医療の餌食になりやすいのは女性である。 (中略) 企業の経営者が女性差別の態度をあらわにすれば、女性は仕事、昇給、昇進の機会を失い、職場での不当な扱いに対して精神的な悩みを抱えることになるだろう。しかしながら、医者が女性差別の態度をあらわにすれば、女性は乳房、子宮、卵巣だけでなく命までも失うことになりかねない。あるいは、薬物依存症に一生苦しむことになったり、妊産婦の場合は赤ん坊が病気になったり死産になったりすることもある。 女性の医療従事者への差別 (中略) ので、このような露骨な女性差別はくなったが、その根底にある考え方は残っている。医者は今でも心のなかで、「看護婦は医者の仕の後始末をする召し使いだ」と思っているし、医療現場でより大きな役割を果たそうと努力してい女性に反感を抱いている。 レントゲン撮影装置とは恐ろしい「被曝装置」のことであり、医療被曝の危険にさらされるのは、たいてい女性の専門技術者と相場が決まっている。 病院におけるもう一つの危険地帯は手術室である。 いくつかの研究で、手術中に使用する麻酔用の亜酸化窒素ガスを繰り返し吸う女性の麻酔科医は、平均的な女性にくらべて乳がんの発生率が五〇倍も高く、流産も多いことが判明している。 彼女たちの子どもをとってみても、がんの発生率は六〇倍、奇形児が生まれる確率は四倍である。麻酔ガスをもっとも多く吸わされるのは誰だろうか。 男性の外科医と麻酔科医ではない。彼らは準備が全部整ってから手術室に姿を現し、手術が終了したとたん足早に去って行く。手術室で準備をするのは女性の麻酔科医と看護婦であり、後片づけで最後まで残らされるのも彼女たちである。 (中略) 男性の医者は女性を弱くてヒステリックで、女性特有の体の構造からくるあらゆる種類の精神的な悩みにさいなまれやすい生き物と見なしてきた。これはそのまま現代医学の女性観でもある。女性医療、あるいは女性に対する不正医療を特徴づけているのは、まさにこのような女性観なのだ。それはまた、男女間の医療格差を生み出すことにもなる。これは、自由民に提侯する医療と奴隷に提供する医療を区別することを盛り込んだ古代ギリシャの哲学者プラトンの法体系に範をとったものかもしれない。 プラトンによると、自由民を診る医者は「心身の不調の性質をさぐり、患者とその友人に話をし患者をまず納得させてからでないと‥治療しない」 のに対し、 奴隷を診る医者は「あたかも正確な知識を持っているかのように患者を診察し、暴君のように命令する」という。この二分法の現代版を紹介しょう。 (中略) まずは麻酔科の研修医。「ラマーズ法で出産しようと考えて分娩室にやって来る女性たちには僕は辛抱できません。麻酔の準備ができているのに 『麻酔はいりません』 なんて言われると、タイミングが狂うんです。あとになって麻酔を要求されても、僕はゆっくり分娩室に向かうことにしています。こっちにだって都合がありますからね」 (中略) 婦人科医療は女性に対する報復? 医療史研究家のパーカー・ベンフィー〜ドは、「婦人科は女性に対する報復と支配の手段として開発された診療科である」と論じている。産業革命の際に労働市場に参入し、女性権利運動によって新しい自由を獲得しようとする女性たちを見て医者は反感を抱き、自らの権力を行使して、男社会に挑戦した女性たちに報復し、彼女たちを支配しようとした。クリトリス切除術や卵巣摘出術のような過激な手術は、誰が真の支配者なのかを女性たちに思い知らせるのが目的だったというのである。婦人科の草創期に開発された過激な手術が、今日の外科のあらゆる分野に広く見られる不要な手術の先駆けとなった。しかし、不要な手術に関するかぎり、外科医よりも長い間にわたってそれをおこなってきた婦人科医こそ最低の連中である。 そんな婦人科医の一人マリオン・シムズ医師は、今日の婦人科医の間で「婦人科の父」として敬愛されている人物である。わたしはこれを適切″な評価だと思い、かねがね興味を抱いてきた。 シムズがこれほどまでに高く評価されている理由は三つある。 (中略) では、この 哀れみ深い天才″はどのような人物だったのだろうか。 (中略) シムズは奴隷たちに手術を繰り返しおこなった。麻酔こそ使わなかったが、その代わりにアヘンを大量に使った。彼女たちが逃げ出さかったのは、おそらくそのためだろう。(中略) シムズのおこなった行為は「人道的な偉業」として今日でもなお称賛されている。一方、麻酔なしで三〇回もの手術を受けさせられた気の毒な女性アナーチャはずっと忘れられたままである。 今なおつづく壮大な人体実験 今日の産婦人科で広くおこなわれている無謀な医療処置を綿密に検証すると、なるほどシムズこそ「婦人科の父」と呼ばれるにふさわしい人物だと言える。手術への執着心と、自分がこうむらせた想像を絶する肉体的苦痛に耐え忍んだ女性たちに対する思いやりの欠如は、婦人科を専門とする多くの医者の行動様式に今もなお見られる特徴だからである。 女性を実験台として使ったシムズの行為は、当時に限ったことではない。医学界と製薬業界は結託して、疑うことを知らない数百万人、数千万人の女性を使って人体実験をおこなっている。彼女たちの多くは投与された薬によって体をむしばまれ、場合によっては命を落とすことすらある。 この大規模な人体実験を批判するイリノイ州オークパーク公衆衛生局元主任ハーバートニフトナー医師は、痛烈な皮肉を込めてこう語っている。 「女性は、現代医学にとって最高の実験動物だ。女性は何も質問せずにピルを欠かさず飲み、しかもそれを特権と勘違いしてお金まで払ってくれる。さらに、自分で食事をこしらえて食べ、住んでいる場所をきれいに掃除する。こんな重宝な実験動物は、ほかにどこを探しても見当たるまい」 女性がそれほど協力的であるのは当然だ。医者が慎重で良心的で患者のことを気づかってくれている信頼のおける人物だと思い込んでいるのだから。しかし、この信頼はどれくらい妥当なのだろうか。グルコンシールドとDES(ジュチルスチルベストロール) の事例について考えてみよう。 (中略) 今なお残る医療被害 一九四〇年から七〇年代前半にかけて、DESという合成女性ホルモン剤が流産を予防する目的で多くの妊婦に投与された。DESが流産を予防するのかどうか、長期的副作用がどのようなものか、誰も知らなかった。それを見極めるための臨床試験が十分におこなわれていなかったからである。しかし、それでも製薬会社はこの未知の薬を販売し、医者は数百万人の女性に投与した。 やがて (中略) 研究の結果、以前から疑惑を持たれていたことが確認された。DESには流産を予防する効果はなかったのだ。しかし、この事実が発覚したあとでも、製薬会社は製造を停止しなかったし、医者は処方をやめようとしなかった。 一九七二年までに、DESの長期的副作用が現れ始めた。投与された女性たちの一部に乳がん、彼女たちが産んだ女の子たちの一部に膣がん、男の子たちの一部に生殖障害がそれぞれ発生したのだ。 (中略) この薬を服用した患者を見つけ出し、その女性とその子どもに危険を知らせる道義的責任がある。しかし、それをするにはかなりの経費がかかることと、警告を発すれば医療訴訟を招くおそれがあることから、医者が自分の医療行為の被害者を救済するために身銭を切るようなことは考えられない。 医学界に利用される女性たち 疑うことを知らない女性たちを実験台にする卑劣な手口。その最悪の例は産児制限の新しい方法と関係があるが、これは決して偶然ではない。数年前、アメリカ上院の小委員会が、(中略) 「医学界は五〇〇〇万人もの女性を実験台に使ってピルを十年以上も投与し、大規模な二重盲検法による人体実験をおこなってきた」と証言している。 ジョンズ・ホプキンス大学医学部婦人科助教授のヒユー・デイビス博士は、ピルを服用する女性がリスクについて適切な警告をして有らっていない現状を憂慮している。博士は「多くの診療所では、ピルがまるで窒ロなチューインガムのように処方されている」と語っている。 医者は女性患者をなぜこのような危険にさらすのだろうか。読者はそういう疑問を抱くことだろう。妊娠を予防すれば産科医の収入がかなり減るのだから、ピルの処方は不合理なように思えるかもしれない。この点について、ボール医師は上院で次のように証言している。「聖なる避妊薬であるピルは、急激な人口増加という大きな社会問題を管理する薬という栄誉に輝いたのだ。ピルの処方の対象となったのは、避妊とは何なのかということをほとんど知らない貧乏で無知で読み書きもできない女性である」 ピルに関してこれと同様の見解を持つラトナー医師は、ピルがアメリカ人女性に押しっけられてきた理由について、「発展途上国の人口問題だけでなく、深刻化するアメリカの福祉問題に対する解決策としてピルが選ばれたのだ」と説明する。 (中略) わたしはラトナー医師の見解に同感である。 「患者に害を及ぼすな」という無害優先の鉄則こそが、伝統的な医の倫理なのだが、現代医学はそれを顧みず、人口抑制を達成するための社会工学としての機能を重視する傾向がある。 医者は女性の妊娠を予防するためならほとんどどんなことでもする。その女性が黒人、ヒスパニック系、低学歴、貧困であればなおさらだ。医者は人口抑制の熱烈な提唱者たちにすっかり洗脳されているから、国内の生活保護を受けている女性と発展途上国の女性の出生率を下げるためなら、たとえ数百万人あるいは数千万人の女性が被害を受けても、一向に意に介さない。 だから、医者は「ヒポクラテスの誓い」を破り、慈善病院での不本意な不妊手術、不要な子宮摘出手術、発がん性のあるホルモン剤、安全性に問題があり臨床試験が十分におこなわれていないIUD、医者と製薬会社が開発するありとあらゆる避妊法を正当化するのだ。 このような見境のない人口抑制という考え方に少しでも共鳴する女性は、医者が神の領域に踏み込んでもいいのかどうかを問うてみるべきである。出産を予防するために一部の女性を死に至らしめて、人口爆発を二重に防止しようとする現代医学の行為は許されていいのだろうか。すべての女性はこの問いに答える前に、自分の命も現代医学の攻撃対象に入っているとすれば、この命題を受け入れることができるかどうかを答えなければならない。 (中略) ・・・・てきた人体実験が、究極的には富裕者層を含めすべての人間を対象におこなわれることを、現代医学は何度も実証しているのである。 現代医学のもっともおぞましい手術のいくつかが、富裕者層、あるいは少なくとも生活保護を受けなくてすむだけの経済的余裕のある人たちを対象に開発されてきた。 (中略) top |
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| 9 美容外科が生み出す悲劇 主に女性を対象とし、乱診乱療に満ちている診療科がもう一つ存在する。美容外科である。 けがによる変形を治療する場合を除いて、多くの美容整形は医療現場における最大の詐欺行為だとわたしは思っているからだ。 (中略)」 たいていの場合、高額な美容整形の対象となるのは、手術によって自分の容姿を変えるだけでなく、人生の危機から救ってくれるという期待を抱いている女性たちである。しかし、美容整形は許しがたい悲劇を生み出している。 もし美容外科医が高い治療代に心を奪われずに、患者が手術を受けに来た動機をしっかりと把握すれば、手術のあとで彼女たちが幻滅し、強い精神的ショックを受けることくらい当然予測できるはずである。美容整形を受けた女性たちは、手術を受ける前よりも深刻な抑うつ状態に陥っているのが実情だ。 医者を畏敬の対象にしてはいけない 医療における女性差別について話していたとき、ある女性が自分の体験に基づいてこんなふうに信念を語った。 「医者は女性差別の思想で凝り固まっていますが、それは患者の姿勢をそのまま反映したものにすぎません。つまり、医者は自分が患者から期待されていることを肌で感じ、それに応じて医療行為をしているのです。 したがって、患者は医者に診てもらうときは、自分の健康管理は医者とのパートナーシップに基づく合意であり、決定権を握っているのは自分なのだということを最初に明確にしておく必要があります」 患者は医者におどかされて強引に同意させられないように気をつけなければならない。患者が遠慮していると、医者はますます自分が全能者であるかのように錯覚する。警戒心を解いてはいけない。医者がくだすすべての診断、処方するすべての薬、勧めるすべての手術について説明を求め、根拠を示すように要請すべきだ。 医者を畏敬の対象にしてはいけない。医者と患者は対等の立場にあることを医者にわからせることだ。患者が医者に敬意を払うのと同じように、医者も患者に敬意を払うべきなのだから。 健康診断は患者の 青田買い 女性であれば、目玉商品という言葉を聞いたことのない人はいないだろう。特売品を用意して「お買い得です」と宣伝することによって客を店に引き寄せ、それ以外にもいろいろな商品を買わせる商売のやり方のことだ。 この数十年間、医学界も目玉商品と同じ原理で客を集めてきた。 定期健康診断がそれである。 健康診断とは、体のどこにも異常のない健康な人を引き寄せて検査をし、病気と診断して顧客を獲得するために医者が使う常套手段なのだ。 このやり方が功を奏してきたことは間違いない。高圧的な売り込みに毅然として断ることのできる人でないかぎり、ほとんどの人が健康診断は健康維持のために必要だと信じ込んでいる。 当然だろう。医学界はこの考え方を世間の人びとに広めるために、アメリカがん学会などの組織の協力を得てあらゆる手をつくしてきたのだ。 その典型的な例が「がん検診を繰り返し受けて、がんと闘いましょう」というスローガンである。 わたしは定期の健康診断と検診が無効であることをずっと以前から主張し、非難を浴びてきた。 しかし、アメリカ医師会とアメリカがん学会は最近になってようやく、無症状の受診者にとって健康診断と検診は不利益が利益を上回るおそれがあることを認めるようになった。 とはいえ、これらの組織がこの心変わりを大々的に公表することを期待してはいけない。 しかしながら、アメリカ医師会は定期健康診断の受診を勧めなくなったし、アメリカがん学会も毎年のマンモグラフィー、子宮頚部の細胞診、胸部レントゲン検査といった定期検診を推進しなくなった。遅きに失したといった感があるが、医学界がついに折れざるをえなくなったのだ。その理由は明らかである。 これらの検査はたんに無効であるというだけでなく、実際に危険であるという確証がいくらでもあるのだ。 定期健康診断が時間と経費の無駄づかいであることは、この十数年来、多くの研究によって立証されている。 もっとも詳細な研究の一つは、カリフォルニアのカイザー健康保険が十年間にわたっておこなった研究である。 保険に加入している三十五歳から五十四歳までの経済的・社会的に似通った地位にある人びとを対象に、定期健康診断を半年ごとに受ける群とまったく受けない群に分けて七年間調査した。 それによると、健康診断を受ける受けないに関係なく、両群の人びとの死亡率と有病率を含めて全般的な健康状況は同じだったことが判明した。 わたしががん検診とそれに付随するさまざまな検査に疑念を抱くのは、それがほとんど無意味であるというだけでなく、受診者に肉体サメージを負わせ、死に至らしめることがあまりにも多いからである。 その典型は子宮頚部の細胞診である。この検査はその有効性を証明する十分な研究がおこなわれていないにもかかわらず、子宮頸がんの画期的な検査法として医学界でもてはやされている。ある研究では、アメリカの十人歳以上の女性の半分以上が前年にこの検査を受けたと報告されている。 *訳注 日本では、旧厚生省が健康政策を推進し始めた一九六五年から健康診断と人間ドックが急速に普及した。さらに八二年に老人保健法が成立して以来、全国の市町村が実施する検診(一般検診とがん検診)が盛んになり、アメリカがん学会が提唱した「早期発見」という考え方をもとにした「病気の早期発見・早期治療」というスローガンが国民の間に定着した。 婦人科医がこの検査を歓迎したのは言うまでもない。細胞診が導入されたおかげで毎年少なくとも一回は患者と接触する機会ができたからである。数多くの研究でこの検査の有効性が疑問視されているが、医者がこの検査を受けないように呼びかけることはない。 そんなことをすれば、受診者に医療処置を押しつける絶好の機会を逸してしまうからである。もしこの検査の有効性について質問されたら、医者は「この検査の有効性は、子宮頸がんによる死亡率の減少によって裏づけられています」と答えるはずだ。 細胞診の有効性を疑問視する十年来の研究報告があるが、医者はこの検査を正当化するためにそれを無視している。 実は、その研究報告のなかで、C・L・シャープとハリー・キーンという二人の医師が次のように指摘しているのだ。 「子宮頸がんによる死亡率が減少していることがいくつかの研究で明らかになっているが、その傾向は細胞診が広く実施される前から顕著だった。したがって、この種の検査が死亡率を減少させるのに有効であるという確証はない」 ニューヨーク大学のアンマリー・フォルツ博士とエール大学医学部の疫学者ジェニファー・ケルシー博士という二人の女性研究者は、毎年数百万人から数千万人の女性を対象におこなわれている集団検診は、子宮頸がんによる死亡率を減少させているという確証がないと報告している。さらに、細胞診がひどく不正確で、その有効性を裏づけるための比較試験がまったくおこなわれていないことも指摘している。 むしろ受診者に大きなダメージを及ぼし、死亡の原因にすらなっているということである。 (中略) ほとんどの医者は、現代医学がつくり出した神話を信じている。 (中略) だから、この医者がわたしのアドバイスを無視して奥さんに生検の手順に従うよう勧めたのは驚くことではない。 わたしの予想どおり、検査結果は陰性だった。しかし、検査を受けたために出血がひどく、緊急の子宮摘出手術を受けるはめになった。その手術を受けていたとき、体がショックを起こし、数リットルの輸血をしなければならなかった。さらに、輸血が原因で六週間後に血清肝炎にかかり、そのために危うく命を落とすところだった。 不要で不正確ながん検診を受けたためにこんなひどい目にあうとは、あまりにも高い代償であると言わざるをえない。 (中略) 医者はひどくいいかげんな検査結果をもとに過剰な投薬や大手術をしがちである。このことはまた、医者が検査値に振り回されて、慎重な診察や的確な判断を怠るずさんな医療にもつながっている。 (中略) 細胞診は間違って陰性と判定される確率が約二倍もあり、その場合、子宮頸がんなのにそうではないと医者も患者も安心してしまうことがある。その反対に、間違って陽性と判定される確率は五パーセントから一〇パーセントで、子宮摘出手術の施行数が激増している原因の一つになっている。 たとえ検査そのものが有効であっても、検査室が結果を取り違える可能性はきわめて高い。一般に、受けた検査室に関する全国調査では次の事とが明らかになっている。 ・細菌検査の一〇〜四〇パーセントが不正確.血液型検査の三十八パーセン下が不正確 ・ヘモグロビン、血清電解質の検査で二〇〜二6パーセントが不正確 ・全検査の二五パーセントが不正確 これだけずさんな検査結果を判断材料にしているために、必要な医療処置をおこなわなかったり不要な医療処置をおこなったりするという混乱を招き、多大な苦しみと年間二五〇億ドルの経済損失という被害が発生している。 (中略) 簡単な検査にも問題がある たとえ検査室が正確な検査をおこなったとしても、高額な検査の多くはほとんど何の有効性もない。入院時に必ずおこなわれる二〇種類の血液検査についての研究で、検査の有効性が認められたのは一〇〇〇人の患者のうちわずか一人だけだった。 カナダの定期健康診断対策委貞会は定期健康診断に反対の姿勢をとっている。 同委員会は、心電図と血液生化学検査はもとより、尿検査ですら無意味であると判断している。 どの検査もごく一部の受診者には有効かもしれないが、不正確な結果が出るために大多数の受診者にとってはむしろ有害なのだ。健康診断で必ずおこなわれる検温も、受診者に害を及ぼすおそれがある。熱が出ていると、医者はそれを下げるために解熱剤を処方する。この処置は、わたしが高校二年のときに習った基礎的な生理学の原理に反している。 どうやら医学部では、生理学の原理がまだ理解されていないようだ。 発熱は白血球による食菌活動を活発にし、病原菌をのみ込む働きを促進している生理作用である。 したがって、体温が危険域にまで上昇していないかぎり、わざわざ熟を下げて体の防御反応を抑えることは理にかなった処置ではない。 緊急を要するかなり特殊な場合を除いて、わたしはめったに解熱剤を処方しない。症状が出たからといって、あわてふためく必要はない。 (中略)。 医学的見地からすると、子どもの体温がわかったところでたいして役に立たないのだが、母親にはこれを役立てる方法があるかもしれない。 小児科の予約を取りつけにくいときは、医者が体温を重視するよう信じ込まされていることを利用するのだ。 もちろん、医者自身、どうして体温を知ることが重要なのか理解できていない。 すぐに子どもを診てもらいたいなら、「お子さんの体温は?」という医者の質問に、「四〇度です」と答えるといい。診察室で疑われても、「家で測ったときは確かにそれくらいありました」とでも言っておく。そのあとでようやく、医者は子どもがなぜ病気なのかを考えるようになる。 子どもを小児科に連れて行くもっとも一般的な理由の一つは、たんなるのどの痛みである。世間の人びとは、のどの痛み (咽頭炎) は連鎖球菌感染症によるものであり、やがてリウマチ熟を起こしかねないと医学界に教え込まれているはずだ。 しかし、連鎖球菌うんぬんというのは幻想にすぎない。わたしは以前、その幻想を「一〇〇ドルの病気」と呼んでいた。今ではたぶん「二〇〇ドルの病気」と呼んだほうがいいかもしれない。 なぜ幻想か? 理由が二つある。 第一に、連鎖球菌がリウマチ熱を引き起こすという十分な科学的根拠がないということだ。リウマチ熱というのは、極貧にあえぐわずかな人たち以外にはめったに見られない病気なのである。 第二に、これはほとんどの母親は知らなくても医者は知っておくべきことなのだが、冬の間の何週間かは全体の二割の子どもが無症状の状態でのどに連鎖球菌を持っているということだ。しかし、これは連鎖球菌感染症に冒されていることを意味しない。有能な医者なら、患者が本当に連鎖球菌感染症に冒されているかどうかは臨床的に診断できる。その主な兆候は三つある。高熱、疾、甲状腺の大きな腫れだ。 しかし、母親がのどの痛みを訴える子どもを連れて小児科を訪れると、どうなるか。医者は何でもないことにすぐに過剰反応してしまうのだ。のどの粘液を採取して培養皿に入れて検査をすると、その二割に連鎖球菌が発見される。そこで、医者は論理を無視して、「陽性反応が出たということは、のどの痛みが連鎖球菌によるということだ」と早合点するのである。 医者の頭には、連鎖球菌すなわちペテンリンの処方という図式がこびりついている。だから、「お子さんにはこの薬を十日間飲ませてください。そうしなければ症状は改善されません」と母親に指導するのだ。さらに、子どもが腎炎を起こしていないかどうかを調べるために、尿検査をおこなう。そして、最後に「十日ほどしたらもう一度お子さんを連れて来てください。のどの粘液を検査してペニシリンが効いたかどうかを確認します」と母親に告げる。 (中略) いずれにせよ、子どもののどの痛二回の診察の代金を支払い、本当は無かったかもしれないが、リウマチ熱や腎炎のような重篤な合併症はに消える。母親は二つの培養皿と十日分のペニシリンと なかった 子どもを治療した医者に感謝する。 「うちの子どもは先生のおかげでたいへんよくなりました」と。 検査漬け医療はなぜ危険なのか 検査の乱発は患者の医療費の負担増を招きはするが、健康にはそれほど害を及ぼさないこともある。しかし、医者が臨床的判断を怠って検査の指示を出すだけですまそうとすると、患者に害を及ぼす場合がよくある。 「検査漬け医療」といっても、もしすべての検査が科学的に有効で、検査結果が正確であるなら、過剰検査はそれほど問題ではない。 しかし、実際にはそうでないことがあまりにも多いのだ。医者が臨床的判断を怠って検査に依存しすぎると、不正確な検査結果をもとに診断することになる。これが危険なのである。治療されないままになっている病気があるかもしれない一方で、不要な投薬や手術の犠牲になる可能性もあるからだ。 検査漬け医療が日常化すると、医者は検査に依存するあまり思考停止状態に陥る。そしてついに、自分の仕事は検査の指示を出したときに完了したと思い、検査結果にすら留意しなくなる。 そんなことは信じられないと思う人もいるかもしれない。 では、検査室が血清検査で梅毒の陽性反応を数百件も報告してきた場合でも、医者が再検査を求めたのはそのうち三、四件しかなかったという事実はどう説明すればいいのか。 大多数の医者は検査報告書に目を通していないか、患者に対する医療者としての責任と保健所に検査結果を報告する法的義務を果たすために所定の手続きをなぞっているだけである。 わたしの見るところでは、医者の診断能力と検査への依存度はほぼ反比例の関係にある。現代の医者の多くは患者の病歴をおおざっぱに問診し、診察をさらにおおざっぱにおこない、検査の指示を乱発する。これは悲劇である。もっとも信頼できる診断方法が無視されているからだ。 わたしとわたしの尊敬するすべての医者の経験では、全患者の七五パーセントは病歴だけで、一五パーセントは実際に体を調べることで病気の有無を診断できる。検査で診断できるのは全体の五パーセントにすぎない。 残りの五パーセントはどの方法を用いても診断できない病気である。 以上の割合を考慮すれば、医者は伝統的な診断方法に最大の信頼を寄せるべきだ。 では、なぜそうしないのか? その理由は明らかだろう。 病歴を細かく問診し、実際に体を調べる診察を徹底しておこなうことは、もっとも時間がかかり、もっとも診療報酬の少ない診断方法だからである。要するに、そんなことをしていては割に合わないのだ。 自分の時間を節約し最大の利益を得ようとする医者は、ハイテク検査機器を数多く設置し、低賃金で一連の臨床検査をおこなってくれる女性の臨床検査技師を雇う。たとえば、脳波計を設置している@@0なっているが、医者はこの機械をフル稼動させて脳波検査をおこなっている。 全米の開業医が年間八〇億回も検査の指示を出しているのは不思議ではない。それだけで、検査料としてなんと総額一五〇億ドルもの診療報酬が見込めるのだ。 top |
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