| わたしんちの医学革命 表紙 病気症状の解剖より 口語体変更 解説付
前のページに戻る 2004年6月16日初版 後日順次改訂予定 |
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| 病気症状の解剖 以下は○○の論文より選択してみたものですが、その論文は昭和20年代のものですので、これをそのままだと、ちょっと難しい文体だと思いましたので、最近の中学生でも読めるように改訂してあります。かつ、私の考えも付け加えてあります。 そこでこの内容の責任は私が持っています。 内容については中心となるものはできるだけそらさない様に気を付けたつもりですが、至らない所はご容赦ください。(himaari) 追記 ○○と伏せたのは、理由があります。 知っている人は判るでしょうが、この論の出所が判断の基準になるといけないからです。論の主旨を捉えて欲しいからです。そして、決して鵜呑みにする必要はありません。どこを取り入れても、否定しても、それがこれを読んだ人の自由なのです。 ということで、各自の自由な取捨選択が必要であり、まだ結論としてでなく、研究課題として参考にされて下さい。 2004年6月16日 ーーーーーーーーーーーーーー 病気症状の解剖 注;これは昭和二〇年代であろうと、ずっと大昔であろうと、おそらく病気の症状というのはほとんど変わっていないものと思いますので、これから将来においても同様な症状が病気においての症状の主な内容だと思います。 そこで、論文から取り出して見たのが以下です。予めお断わりしました様に原文ではありません。私が取捨選択したもので、しかも口語体に改訂してあります。詳細についてはお尋ね下されば元論文を明らかに致します。骨子はほとんど変えてありませんが、今の私なりの解釈なども独善ではありますが付け加えたりしてあります。 以下、論文に入ります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 下記に病気の症状というものを大きくわけてみました。 発熱、痛苦、掻痒苦、不快感、嘔吐、下痢、浮腫、盗汗、眩暈、不眠、憂鬱、麻痺、咳嗽(がいそう)、逆上(のぼせ)、耳鳴、冷え、便秘等 これらについて解説をしてみましょう。 発熱 医学上において、発熱の原因として、言われている説は、ご存じかと思いますが、「発熱中枢」とかいう機能が頭脳内にあって、それが何らかの刺激によって発生するとされているようです。 また、運動による疲労のためや、肝臓及び腎臓、胃腸障碍、その他各所からの発熱に対しては、その理由は漫然としているようです。 そこで、「異端の説」から解説致しますと、「発熱中枢」などと言われる機能など、人体内のどこにも無い事は、すでに別項で説きましたが、ここで見逃がす事の出来ない事があります。 それは「体温が食物の燃焼によって発生する」という説です。 この様な馬鹿々々しい事を唱えるのは、たぶん消化機能をストーブであるかのように考え、食物の消化を石炭の燃焼と同様に推理したものでしょう。 ここでの説から得た、「発熱の原因」をご紹介するに当ってあらかじめお断りしておきたい事があります。それは、この説は現代の科学からはあまりに懸け離れている説でありまして、心をいったん白紙にされてからお読み頂くことをお願い致します。 ここで科学的であるとか非科学的であるとかの判断は後々の研究ということで、とりあえずはひとつの論としてお読み頂ければ大意はつかめることと思います。 ーーーーーー そもそも、この宇宙(太陽系内の地球)における森羅万象一切は大別して三つの要素から成立っています。 それを 火、水、土としての三要素に区分させておきます。 すなわち、火であるところの「火素」は太陽の精であり、「水素」は月球の精であり、「土素」は地球の精であります。そうして天界は太陽、中界は月球、下界は地球というように三段階になっています。これは日食の際明らかに見得るのであります。 この事は経(たて)の三段階としてでありますが、これが緯(よこ)の三段階にもなっているのです。すなわち、経緯(たてよこ)交錯の三次元的密合であり、それが人体にも当はまるのです。(注:人は小宇宙と言われる) そうして人体中の重要機関として三つの機能があります。 すなわち、心臓、肺臓、胃の腑です。この三大機能の活動は火素、水素、土素の三原素を吸収し、それによって生命活動が営まれるものであります。 すなわち、心臓は火素を、肺臓は水素を、胃の腑は土素を吸収するのである。 しかしながら今日までの科学は水素及び土素は確実に把握してはいますが、火素などというものは未だ発見されていないものでした。 それには当然その理由があります。 それは、水素は半物質です、土素とはは物質であるのに対しまして、火素とは非物質であるからです。 この理をもう少し奥まで深く掘り下げてみましょう。すなわち非物質である火素は地上の空間に充ち満ちており、これを霊気界と名付けてみました。同じ様に地上空間を充填している水素は空気界を造っています。したがって心臓は霊気界から火素を吸収しており、その運動が鼓動であります。 もちろん肺臓は空気界がら水素を吸収します――――それが呼吸です。 胃の腑は、また、土素がら生産された食物を吸収しています。この事はは誰もが知っているところです。 この様な理由によって「体温」とは心臓の鼓動によって一度も休み無く、たえず霊気界から吸収している火素なのであります。ゆえに発熱とは毒結溶解のため、そのために必要な熱を多量に吸収するからです。 発熱の際に、心臓の鼓動がひんぱんになるのはその為であります。 この理屈によって死後急激に血液が凝結するのは火素が霊気界ヘ還元するからでありまして、死体の乾燥は水素が空気界ヘ還元するからであります。また死骸の土壌化は身体は物質で出来ていますから、元の土素に還元するのであります。 次に注意すべき事としましては、よく発熱の場合に世の多くの人は全身的と思っていますが、実はそのほとんどが局部的なのです。 たとえば高熱の場合、指頭(しとうー指の先)を用い発熱の焦点を探り当てる時、指頭位の小さな塊を発見するのです。 これは火の様に強い熱さなのではっきりと判るのです。 それを溶解すると、たちまち全身的に下熱するのです。 (注;浄霊するときにその部分をねらって施術するのだが、浄霊とは治療名の事。詳しくは別項で解説以上) このことによってみても発熱中枢なる機関などどこにも無い事は余りも明らかなのです。また世の人の多くが信じて使っている体温計なるものは正確とはいえない事になります。。 なぜなら、発熱中心部が腋の下に近い場合は高熱が体温計に現れますが、腋の下に遠い場合、頭脳とか或いは脚などの場合は、それほど体温計に高熱は現われないのです。 この事はすなわち、発熱中心部から遠ざかるにしたがって、放射状的に低熱化するからです。この証明として、人により左右の腋の下の熱を計測する場合、五六分(ぶ)位の差を発見する事があります。 次に高熱に対して、氷冷法(水や氷で身体を冷やす事)を行うが、これは最もいけないと思うのです。それは人体にとって適正の体温は三十六度台であるという事は、その程度がひとの機能活動に一番適しているからです。 それなのに、氷冷は零度であるから氷冷を受ける局部の機能は、その活動をいちじるしく阻害(そがい)され、はなはだしい時は活動が不能になります。 それは凍結して麻痺する様な状態になるからです。 したがいまして、古い方の経験上、脳溢血、肺炎、チブス、その他高熱病の場合、その本来の病患の為ではなく氷冷の為に死を招くという事実がすくなからずあると申せます。 その例として ーー以前私は、大学生の患者某病院に入院、重態の故を以て招かれた事があった。入院当時の病症は激しい下痢で他に疾患は無かったとの事である。然るに私が診査の際、極度の脳貧血で頭脳朦朧とし、頻繁なる嘔吐あり食欲皆無、著るしい衰弱を来たし危篤状態であった。ーー 以上、それを説明して見るとこういう事であります。 最初、腸カタルによる高熱のため、医療は頭脳の氷冷を行い、持続すること二十日間にも及んだので、それが為に強度の脳貧血を起したのです。 ゆえに当初の入院の目的であった下痢はすでに治癒していましたのに、今は誤った治療のために作った病気に悩まされていた訳です。 私は家人にその訳を話したのですが、医学に迷信している為氷冷(ひょうれい)をやめられないというので、止むなく私は帰ったのです。しかる後にして、三日後に死亡したとの通知があったのです。 ああ、医学の誤謬による氷冷のいかに恐るべきかを歎かざるを得ないのです。 次に、発熱に対しての解熱剤の連続服用の恐るべき事も知らねばなりません。普通、解熱剤を一週間以上持続するにおいて、多くは徐々としてその反動作用が表われ始めるものです。これは非常に執拗である為、医家はよく原因不明の熱というのであります。 ーーーーーーーーー (注himaari;原文を口語体に直したのと、私の分を加えたりしてかえって意味がよく分からない所もあるでしょうが、大意をくみ取って頂けるとありがたいと思います。以上) 以上の様に発熱とは身体自身の生命力によって起こるものですから、これを冷やして止めるという事は自然の理に反するものだというのです。 最近は現代医学でもむやみに熱を下げるのは良くないという事を言うお医者さんも出てきたようですので、いずれはこの発熱の原理も理解される医師が増える事と思われます。 現時点では、ごく高熱以外は解熱しない方が良いという見解ですが、最終的には高熱でさえも、解熱は結果が良くないという事が判ってくると思われます。 この発熱の原理から言うと、逆の考え方になる様です。つまり、高熱の時の方が解熱による悪影響が大きいという事になり、比較的低い発熱の場合は氷令しても、高熱の場合よりも影響が少ないというのが原理になるようです。 それは、高熱ほど生命力が大きく働いているのと、毒素の溶解量も大きいという状態であって、その溶解毒素を抑え込むのは、相当な生命力に抗するからです。生命力を弱めるというのが反生命力なので、それだけ危険度が高いという理屈です。 (注himaari;発熱でさえも間違った治療が大きな禍根を残すという論説ですが、最初から鵜呑みにする事はありません。やはり確かめて行くという段階的な進み方でやるのが安全かと思います。 わたしんちではすでに鵜呑みにしてますので、いくら高熱でも解熱の処置はしません。今までの経験では自然に解熱するものでしたから、必要あって発熱する反面、必要なくなれば放って置いても解熱するようです。 どの場合も自分で納得の上、自己責任で行なうのが必要です。これは薬剤使用や氷冷で解熱する処置でも同じ事です。自己の責任で取捨選択が絶対に必要ですから、これからの論説にしても同じですから、心してお読み下さる様にお願い致します。以上) 痛苦 痛苦、すなわち痛みなるものは、別項にて前にも述べました。 発熱によって固結毒素が溶解され液体化され、それが何れかに出口を求め、その方向に進もうとする運動が筋肉の神経を刺激する為です。 痛みの症状としては、盲腸炎、急性腹膜炎、急性腎臓炎、胃及び腸の痙攣(けいれん)、頭痛、歯痛、中耳炎、リュウマチ、各種の神経痛等、実に多種多様でありますが、多くは上記の理由によるものです。 また骨膜炎、骨髄炎、肋骨カリエスに関する痛みの原因は骨膜に凝結した毒素が浄化溶解によって表面ヘ滲出されようとして、骨そのものに無数の極微な穿孔をするものです。その為の激痛であります。 (注;穿孔ーーー穴をあける) 歯根膜炎、中耳炎等もそうです。これらの穿孔の穴は病気治癒後に速かに原形に修復するものです。この場合、医師は「だんだんと骨が腐る」と言いますが、これは誤りであります。 次にヒョウ疽及び脱疽の激痛があります。これは患部が暗紫色に腫脹し、段々と拡充するものです。その状態がちょうど腐って行くかの様に見えるので、医師は腐敗と思い、一刻も速く切断する事が必要としますが、この事も大きな誤りだと思うのです。 なぜなら、この様な状態はなるほどある程度まで拡充しますが、必ず停止するものでありますから、これによって見ても腐敗ではない事は明らかです。 その他、火傷、刀傷、打撲傷等もあるが、これらは病気と異なり自然治癒するものです。しかし、これらに対して消毒薬の塗布等を行う為に容易に治癒し難くなる例は非常に多いのです。この場合、薬剤を廃し、患部を清水で洗うだけで自然によく治癒するものです。 (注;この事は最近の医学でも気づいてきた医師が増えているようです。消毒薬を使うのは傷の回復に悪影響を与えるという事実がその事に気づかせている様です。が、全体として公に医学の教えに取り入れられないのか、依然として傷に薬剤使用している医師が多いので、早くこの事を認識できる日が待ち遠しいものです。himaari) 以上記した様に痛苦の原因はことごとくが薬毒(やくどくーー薬の毒性を言う)によるのですから、多種多様の痛みは、多種多様の薬剤があるからです。 (注;一般に激痛は西洋薬が多いという、漢方などの自然生薬は鈍痛に多いといわれる。消毒薬は激痛の原因となるそうだ。himaari) 本医術による時、痛苦は速やかに治癒する。特にヒョウ疽、脱疽等の如き激痛と雖も一回乃至三回位にて無痛となり、患者は驚喜するのである。 (注himaari;;これは論説を書いた人物が創生した医術論から言っているので、現在はその効力は判定できないし、保証できるものではない。その当時の治療法の効力であって、現在に適用できるかは不明。himaari) 掻痒苦 痒み(かゆみ) 掻痒苦は痛みに比して侮り難い苦痛である事は誰も知ることです。原因はもちろん薬毒、然毒および食餌中毒の三種でありまして、一般に知られているものとしては疥癬および蕁麻疹(ジンマシン)でしょう。 この原因は主に前者(疥癬)は然毒、後者はカルシューム注射、ヨード剤等です。 疥癬は種痘よる陰化然毒の浄化作用であるから、天然痘が急性であるのに反し、この疥癬は慢性天然痘ともいうべきもので、短いものは数カ月、長きものは数カ年にも及ぶものさえあります。 (注himaari;;然毒とは親から子へと遺伝される毒素の事であり、それが連鎖しているので先祖を通じての古い毒素という意味です。それが未だ肉体上の現われない状態であって、潜んでいる毒素を陰化然毒と呼んでいるようです。世界の医師たちの間に、天然痘予防接種が後世に重病の原因を造ってしまったという説を唱える者がいますが、この事の意味は浄化する毒素を天然痘という形で排毒する時期を先延ばししたために、別の形で浄化(病気)しなければならなくなったという事でしょう。 さらに天然痘予防接種自体が毒素を身体に入れるというものですから、浄化先延ばしにプラスして病気の材料をさらに増加しているという事です。この事が知れると人類が病気を予防し停止してきたことがいかに根本的なズレがあったと判る時が来るのでしょう。himaari) またジンマシンに対し、よくカルシュームの注射を行ないますが、これは効果はあるのですが、時を経て必ず憎悪再発するものです。 また他の目的によってカルシューム注射を行なう場合も、時を経れば必ずジンマシンが発生するのですが、この病気は放任しておけば必ず治癒するのであります。 ジンマシンにも種類があり、普通は無数の微粒が皮膚面に表われるのですが、斑点、地図型等のものもあり、最初は紅色を呈しますが、治癒するに従い黒色に変ずるのであります。 もちろん紅色時に掻痒苦があり、黒色になるに従い、掻痒苦は消滅します。これは疥癬も同様です。 次に、ある種の注射及びアンチピリン中毒、魚肉中毒等いずれもジンマシン的症状が現われますが、これらは一時的で軽いものは一、二日で、重く共、数日にして治癒するものです。ただし、アンチピリン中毒のみは予後黒色の斑点を残して、それが数年にも及ぶものさえあります。 (注himaari;皮膚炎とか、いろいろな発疹などの治癒後に痕跡が残ることがありますが、これも毒素の影響が強い場合です。それほど毒素の影響は強いものがあります。以上) 不快感及び嘔吐 不快感といっても一様ではありません。重なる症状を記せば、はき気、痙攣、船や車の酔、憂欝感などでしょう。そうして最も多いのははき気です。この原因は脳貧血による胃の反射作用と高熱、食物中毒、溜飲、幽門狭窄、妊娠の場合等であります。 脳貧血が強度に発生する時必ず嘔吐を伴うものです。この際、額に掌を触れると氷の如く冷えて、あぶら汗をかき、顔面蒼白を呈するので、脳貧血を確認するのです。この際、頸部及び延髄部を探れば必ず固結があります。 その固結を溶解施術すれば速かに快癒します。 (注;施術するとは毒素の消滅、もしくは軽減することだからです。himaari) その訳は固結の圧迫が消え、血液が頭脳に流通し得るようになるからです。毒素による血流の阻害が消えるからで、すべて血液の流れが悪い時に症状が現われるためです。 (注himaari;また高熱による頭脳浄化の場合、脳貧血と等しく胃の反射作用を起し嘔吐の原因となる事もあります。これは脳と胃が天地の合わせ鏡のごとく作用するからです。脳の方で苦悶したりすると胃にその症状が反応するのはそのためなのです。悩み事が食欲不振として影響することがよくみられます。以上) 食物中毒は食物中の毒素を体外に排泄すベき浄化作用であり、多くは下痢が伴うものです。 薬剤中毒は、年月を経て一旦吸収された薬剤が、胃内に還元します。その場合、ー種の毒素となり嘔吐するのでありますから、この様な場合、服用した薬剤の臭いがする事があります。 溜飲は胃内に流入せる胆汁が胃弱の為嘔吐(おうと)するものです。 幽門狭窄による嘔吐は、胃によって消化せる食物が幽門狭窄のため下降し難いから逆流しようとする為です。 ゆえにこの場合、柔軟食、または流動食に切り替えると狭窄している幽門も通過し易いので、はき気は起らないのです。 悪阻(ツワリ)は胃の外部に滞溜凝結した毒素が子宮の膨脹によって外部ヘ排泄され様とする為ですから、この毒素を溶解排除する事によって容易に治癒するのであります。 痙攣には霊的な原因と高熱発生時の悪寒との二つの原因がありますが、霊的説明は最後の附録中に詳説します。 船、車の酔は、胃の外部に毒結があり、それが動揺によって少しづつ溶解し、胃内に滲透する為です。 憂欝感は霊的の場合と、または胃の不活発、黄疸、脳貧血、または肩、および首周辺部の凝り等が原因です。 (注himaari;ここで「霊的」という表現がありますが、現代人は物質科学一辺倒で教えられて来ておりますから、「霊」という言葉は即、非科学的と判断されるでしょうが、よく「気の世界」とか「波動の世界」という言葉で表現する者もいますから、「霊」という言葉が気に入らない様でしたら、ご自由に判断されてください。以上) 下痢 下痢は最も多い症状で、まず急性と慢性とに区別されます。急性は飲食物による中毒です。すなわち食あたりのことです。 世間では、よく寝冷えによって起こると言いますが、これは誤りで、冷えによる下痢はごく稀なのです。食あたりによる下痢の際、薬によって止めたり、反対にひまし油等によって排泄を促進させる事を良しとするのですが、これらは勿論いけないのでありまして、治癒を長引かせるのみです。これは自然治癒が最も良いのです。 右の外、食中り以外、突然として猛烈に発生する下痢症があります。一日十数回ないし数十回に及ぶものさえあります。 もちろん水便でありますが、血液の混入する事もあり、甚だしいものは腐肉とも見られるものが下る場合があります。これらは膿および毒血(どっけつ)の固結したものが猛烈な浄化作用を起こすためです。 もちろん肉や臓器の一片と雖も排出される訳はありません。その様な下痢症は青少年に多くて、老人は稀であります。 これらも放任しておけば必ず治癒するのであるにも係わらず、多くの人は驚ろいて医療を加えるのですが、それが却って悪化の因となり、永引いたり、死を招いたりする事さえあるのです。 次に、慢性下痢は数ケ月或いは数ケ年に及ぶものさえあります。医学の診断では大抵は腸結核としますが、これは既に説いた様に化膿性腹膜の浄化作用であって、原因は賢臓萎縮による尿毒が常に腹膜に溜結する為です。 (注himaari;下痢をすると尻の穴の周囲がひりひりする事がありますが、これは便の中に含まれている毒素が皮膚細胞の神経を刺激するからです。ただれるのも毒素が強い場合に細胞が痛められるからです。なお、風邪をひいた時に鼻がひりひりするのも同様な意味です。 また、下痢を停めることは毒素排泄を邪魔することになりますから、最近のSARSやO−157などで下痢止めの薬剤が悪影響を与えていたのではないかと思っています。 いつまでも激しい下痢が続くと身体全体が衰弱する様で怖ろしくなるのも無理はないでしょうが、原理としては「身体の中に毒素がある内は何らかの形で浄化して出そうとする」のが浄化作用なのです。以上) 浮腫及び盗汗(ねあせ) 浮腫はその原因として二種類あります。普通は賢臓萎縮、または膀胱の支障であって、腎臓萎縮は一般的浮腫の原因となっています。 重症は全身的であり、軽症は局部的です。たとえば左右いずれかの半身、または下半身というような事もあります。 しかしながら局部的といえども顔面、または片腕、脚等の場合は萎縮腎でなく、その浮腫部にあった固結毒索の浄化溶解の為です。 (注;萎縮腎とは腎臓の周囲に毒素が集溜して固結している状態であって、腎臓が圧迫されるので働きが衰えている状態のことです) ここで注意すべき事は、種々の病気が重症に進む場合、脚の甲に浮腫発生する事がありますが、これは死の信号ともいう様に、まず快復困難と見るべきでしょう。 また脚気の浮腫は膝下に限るものとみていいので、医師の診断は足部に浮腫さえあれば、無差別的に脚気と断定するのですが、軽卒も甚だしいのであります。 (注himaari;足の甲の浮腫が死の信号かどうかは病状(浄化の形態)によっても異なるので断定は出来ません。しかし絶対に人は永遠に生存出来ないことを前提とするならば、ある程度の覚悟も必要な時があるものです。死への不安から逆療法を盲目的に行なうのは考え物でしょう。以上) 次に医師も一般人も全然気付かない浮腫があります。これは女学生に最も多い症状ですこぶる肥満し、俗に言う固肥りという訳でして、一見非常に健康そうに見えるのですが、健康でない証拠は常に疲労し易く、動悸、息切、身体重量感等、種々の支障が起り易いのです。この原因としては、萎縮腎による余剰尿が全身的に少量づつ溜積し、それが長時日にわたり固結するのであって、もちろん本人は気付かないのであります。ゆえに少量の食事を摂るにも拘わらず肥満する人がいますが、それは以上の様な人であります。 また膀胱と尿道との境に結石、または膿結がつかえて、その為尿の流下が妨害され、浮腫の原因となる事もありますが、これらも本医術によれば容易に治癒するのです。 (注;本医術とは治療法の事で毒素溶解の方法の施術法です。himaari) 盗汗(ねあせ)は結核の項目に述べましたから、ここでは局部的発汗を説明します。よく頭脳、顔面、腋下等何れかの衝動によって発汗する人がありますが、これはその部に尿毒があり、その浄化としての発汗です。 (注;つまり、尿毒が汗に混じって排泄される浄化作用ということです。) そうして健康者は常に全身的に発汗し易いのが普通で、健康そうに見えても局部的発汗又はあまり発汗のない人は、何れかに故障があるとみるべきです。 (注himaari;汗をあまりかかない人がいますが、汗によって体内毒素が排泄されないので、本当は汗をかく人の方が少しずつ浄化力が勝っているのです。夏に汗をかくのはとても良いことで、一年間のうちで毒素排泄をこの期間で行なうのですから、現代の様なクーラー生活は健康上あまりお奨め出来ないものでしょう。よく、流れる様な汗をかいた後、下着が黄色に変色することがありますが、それだけ汚濁物質が排泄されているわけです。もっとも、体内がきれいな人は別でしょうが。以上) 眩暈(めまい)及び不眠 眩暈(めまい)も多い病気ですが、医学では不明とされているようです。しかしその原因はすこぶる簡単なのです。 原因として最も多いのは、右側延髄部に固結があり、それが眼球ヘ送血する血管を圧迫する為で、その圧迫が波状的のためであって、視神経が動揺することからのものです。 次は高熱の場合、眼球附近にある毒結(毒素が凝縮して固結したもの)の浄化作用によるので、ちょうど酒に酔った時や、ストーブの火に直面した時等と同様の理由です。 不眠症は眩暈(めまい)の原因とほとんど同一で、右側延髄部の固結による血管圧迫のため、一種の脳貧血を起すからです。その結果として神経過敏症となり、それからそれヘと物を考えがちになるのであります。 その他、脳の前部および中心部にある毒結浄化の場合もあります。 (注himaari;不眠の原因としてはいろいろ解釈があるようですが、この論によると首の周囲、また後頭部の延髄、特に右側に固結があるとことが影響するとなっています。これは自分でも他人でも手で探ってみると判ると思います。結局、血液の流れが悪いということで、血液の流れを邪魔するのが固結した毒素というわけです。精神が肉体に影響を与えるという説も妥当ですが、逆に肉体の状態が精神に影響を与えるのですから、どちらも影響しあっていると考えです。) ● 憂鬱症(ゆううつしょう)及び麻痺 憂鬱症の原因として最も多いのは頭部および肩の凝りであります。ことに面白いのは嬰幼児の場合です。これは常に機嫌悪く憤かるが、医学では全然判らないでしょう。よく虫気の為などといい、虫下しや禁厭など行いますが、これ等は迷信にすぎないのであります。 私の経験によれば大部分は肩の凝りからであります。嬰児のくせに肩が凝るとは不思に思うが事実なのです。なぜならば肩の凝りを解消するや、たちまち機嫌が治り普通状態になるからであります。 その他頭脳の一部又は全部に浄化熱がある事もあり、霊的原因による事もあります。 (注himaari;霊的原因は、あまりこれに固執すると悪影響が大きいので身体的な原因として見た方が無難かも知れません。) 麻痺は種々あるのですが、最も多いのは脚気で、これは脚気の項に譲る事にします。その他麻痺としては手指、および足指足の甲が多いですが、これは主に注射の薬毒のためです。 又手術による予後、その局部に長年月にわたり麻痺が続く事がありますが、これは自然に治癒するものです。中風の麻痺はその項目で説明します。 (注himaari;肩の柔軟度でその人の健康度が判ると言いますが、体内毒素が特に神経の使う所として、頭脳が上げられますので、そこをめがけて常に毒素が移動するわけです。そして途中経過場所として、肩や首の周囲に集まり、固結しますから、肩凝りはそのためです。からだ全体の毒素が多いと肩へ集まる毒素も多いというわけです。健康そうに見えても肩が固い人は毒素が多いので、いざ浄化の時にはそれだけ重度になるという意味です。そういう意味で常に肩は柔軟であるか気をつけて見る必要があります。しかし、薬では解消できない事と、強く揉んだり、叩いたりするのは刺激ですから再び毒素を誘因しますから、逆効果になりやすいのです。よく言われるもみ返しが来るとか、叩いた直後は良くとも後で再び凝りが出てくるのです。肩凝り解消は自身の自然治癒力が最善であり、肉体的には腕を振ったり、まわしたりする運動くらいに下方が良いと思います。他に治療法としてはここで紹介してある、自分で肩に手を当てる事でしょう。以上) ●咳嗽(せき)および逆上(のぼせ)と耳鳴 咳嗽(せき)は既に詳しく説明しましたが、なお二、三補遺する事があります。 咳漱発生の原因は実に身体あらゆる局部がらであって、医学でいう様な咽喉が原因とする事は問題にならならない錯誤であります。意外と思うのは頭脳、顔面、歯牙、手足の指、特に股間陰部等にある固結毒素を溶解施術するや、間髪をいれず咳嗽し吐痰をするのであります。 (注himaari;ここが人体の不思議たるところでしょう。物質面だけで考えるとあり得ない現象ですが、手足や股間などの毒素が一瞬にして霊化して移動して、物質化された痰となって排泄されるというのです。人は小宇宙と言われますが、その神秘に見える現象が体内で起こるというのです。 ここで言う施術とは手かざし治療のことですが、この効果とは肉体的には毒素の溶解、消滅を意味しますが、霊的に説明すると物質の概念では理解できない気や波動の世界ですから、物質などは自由に透過してしまうというのです。身体を細胞程度で限定すると、とても起こりえない現象が非物質面の世界で見ると自由自在に移動してしまうというものです。 今の科学で言えば、原子、電子のその奥の研究に入っている量子学の世界ということでしょうか。 その事を以下で説明しています。以上) 私は以前弟子である某医学博士の股間を施術した事がある。その都度咳嗽吐痰をするので、その博士日く仮に毒結が溶解排除されるとして、問髪を入れず喀痰が咽喉部に移動するのは如何なる脈管を通過するのであるか不可解極まる。というのであるが、それに対し、私はこう説明したのである。 人体内の整理作用は、不要物排除するば場合、筋肉も臓器も難なく一瞬にして透過するので、此の理は霊と物質の関係を知るに於て容易理解し得るのである。と。霊と物質との関係は附録中に詳説する。 (注himaari;霊と言うとどうしても迷信視されるのが現状なので、これを微細な粒子と波の世界とでも理解してもよいでしょうが、参考として今の量子物理学の先端をのぞくのがよいかと思います。以上) 逆上(のぼせ)は、世の中の人の考えるような、血液が上昇するのでありません。顔面または額部(ひたい)に溜結した毒素の浄化作用であって、紅潮をあらわすのはその熱の為です。 耳鳴は耳下腺に溜結している毒素および、内耳近接部および延髄部に溜結している毒素が浄化の為溶解する音響でありますから、それらの毒結を溶解排除するに於いて容易に治癒するのです。 (注himaari;耳鳴りでも人によってはかなりしつこい様で、長期間かかる人もいますので、容易に治るかどうかは人によるようです。どちらにしても自然浄化で毒素が溶けて排除される過程だと考えると気も楽になると思いますが。以上) ●冷えと便秘 冷えの原因は局部的発熱による悪寒、又は局部的毒よる血液不循環の為です。多くは腰、下腹部、足の甲および指先等で、特に婦人に多いですが、これ等は毒結を解除すれば下熱および血液が循環するから簡単に治癒するのであります。 (注himaari;局部的発熱の一例としては風邪をひいた初期によくみられるでしょう。まずゾクゾクする悪寒がして、まもなく今度は全身に熱がまわる現象です。 また、局部にある固結毒素が血液の循環を悪くする時も当然の結果として冷えの症状が出るものです。薬などの使用はこれらの毒素を溶かす事は不可能であり、かえって毒素追加で血流を悪くします。その例としてステロイドなどは知られるところです。この薬に限らず薬剤自体が毒素の元ですから、すべての薬剤が血流を阻害するものと思われます。以上) 便秘は非常に多い症状で、かつ長期にわたって苦しむのですが、この原因は腹膜部に毒結があり、それが直腸を圧迫すします。その為糞便が直腸管を通過し過し難い為で、これ等も毒結溶解によって容易に治癒するのです。 (注himaari;「毒結溶解する」方法はこの場合施術する事を言っていますが、その方法を採らない場合は身体に備わっている自然良能力に任せる事ですが、それは一見放って置くかの様に思えるので「何かしないと気が済まない」と思う人は、自然治癒力を極力邪魔しない療法を選ぶ事が大切でしょう。以上) そうして便秘症の人は常に下剤を服用して、からくも目的を達するが、この方法は非常によくないのです。なぜならば、これが習慣となり、便秘はだんだんと悪化し、下剤服用に頼らなければ排便が困難となるからです。 長年月にわたるにしたがい増悪し、ついには下剤の量を多くするか、又は異る下剤によらなければならない事になります。 しかもそれが下剤の毒が累積して、他の種々の病原となるものです。 (注himaari;薬剤の効果と習慣性は麻薬の例でよく理解できると思います。最初の効果と後々の害作用を考慮しなくては、薬の本当の性質を理解する事はできないでしょう。下剤だけでなく、頭痛薬なども同様であり、一時的な効果だけを求めていては、後に来る反作用があるのが忘れてしまうので、「薬とは毒そのもの」だという認識がないと薬害は後を絶たないでしょう。以上) 元来人体は上から食物を入れ下から糞便が出るのは自然であって、自然はその様に造られたのに如何なる人間といえども食餌を入れる以上、糞便は排泄するに決っているのです。ただ人により一日一回もあれば、二日に一回もあり、一週間に一回の人もありますから、それでいいのです。 しかるに医学に於いては便秘は健康に害があるかの様に誤った認識で、毎日便通がなければならぬ様に宣伝するので、一般人は便秘を恐れるあまり便秘すれば神経に不快を感ずるものですから、下剤使用となるのです。 しかしながら下剤によって排便する以上、俳便機能は退化するから便秘する。便秘するから下剤を使用する、という悪循環となります。 そして、ついに下剤なしでは生きてゆかれないようになるのであります。 よく発熱時便通を付ければ下熱すると言い下剤を用いますが、これ等もかえって本当の治癒の妨害となりますから、全治を遅らす結果となるのです。 また、ある種の病気は反対に下剤によって高熱に導く事さえあります。 (注himaari;便秘については諸説ある様ですが、尿の停止と異なって人体への悪影響は少ないという考え方です。しかし便通のために自然な食べ物(肉類を減らし、穀物、野菜中心の食生活とある程度の運動は基本として必要かも知れません。しかし、以上の理由から便秘を非常に悪く思う考えは改めてみてもよいかと思います。 便秘のために薬剤を使用するのは、便秘解消よりもその薬剤の悪影響の方が怖いと思います。下記は便秘についての実例を紹介していますが、半世紀前の話ですが、参考になるかと思います。以上) 便秘が何等懸念すべきでない事の実例を示してみよう。 私が以削胃癌の患者を全取扱った際、便秘二八日間に及んだが病気には何等影響が無かった。それは全治し、数年後農業に従事し、健康である事の報告があったにみても明らかである。 又私が扱ったた患者の中で、二ケ月の人と六ケ月問便秘の経験を待った人の談によれば、どれも便秘による何等の影響もなかった事である。 その後婦人雑誌に掲載されてあった実例に、二ケ年の便でこれもその為の異常のない事が書かれてあった。 又医学に於ては、便秘を放任しておくと、自家中毒なるものを発生するというが、これ等も誤謬である。この説は多分便毒が血液中にでも混入するよように想像したのであろうが、この様な事はあり得べかざる事で、事実は宿便は時日を経るに従い増々硬化するだけの事であるから悪影響などはないのである。 浣腸 次に乳幼児に対する浣腸で、これは恐るべきことであります。嬰児のうちから灌腸(かんちょう)する結果、一種の浣腸中毒となり、浣腸に依らないと排便不能となる例がよくあります。その結果として、三、四歳頃になると、少し便が溜まると腹部膨満し苦るしむので止むなく浣腸して一時的緩和を計るのですが、結局は死にまで到るのはいうまでもありません。 これによってみても、浣腸などの不自然極まる人為的方法は断然廃めるベきでしょう。 [ 既存療法 ] ここで既存療法の重なるものについて一通り説明します。 あらゆる既存療法が浄化停止である事は読者は充分諒解された事と思います。 しかし、いま一層徹底的に説いてみましょう。 私が幾多の経験上最も恐るべきは彼の六百六号(サルバルサン)の注射であります。これは周知のごとく駆黴療法として一時は実に救世主の如く思われたのすが、何ぞ知らん事実はこの反対なのであります。 この薬剤の原料は耳かき一杯で命を落すという程の砒素剤でありますから、この毒作用によって一時的浄化停止の効果は顕著であるのです。 すなわち梅毒性発疹や腫脹に対し、同剤を注射するやたちまちにして消滅するから治癒したように見えるのですが、実は浄化作用によって、潜伏毒素が皮膚面に押し出されたのが注射によって還元したまでのことです。 しかしそれだけならいいが、ヒ素毒という別な猛毒が追加されたのであります。しかもそれは黴毒よりも数倍恐るべきもので、この砒毒(ヒ素毒)はあらゆる病原となるのです。 特に最も多いのは精神病、偏盲目又は悪性腫物、種々の結核等ありますが、何れも悪質にして執揚極まるものであります。 したがって私は六百六号の注射を五、六本以上受けた患者は何病にかかわらず回復困難と見るべき事を弟子に注意している位であります。 (注himaari;サルバルサンの毒性について述べているのですが、これは丁度今から半世紀も前の時点でこの論が書かれているものです。その当時はまだサルバルサンが使用される初期の頃だと思いますが、既にその重大な危険性を述べています。一度入れた薬毒はその質や量によっては致命的となる事を指摘したものですが、この薬剤に限らず、登場したばかりの薬剤は初めは救世主のごとく言われ、これで病気の解決が成されたかの様に大々的な賞賛でもって報道がされていたと思います。しかし、今から振り返ってみるとほとんどの効果あると思われた薬剤がその毒性ゆえに消え去って行った事実が判ります。あの夢の特効薬と言われたインターフェロンなどもそのよい例でしょうし、他にも数多くの特効薬が本来の薬の性質である毒性を現して来ているのは、半世紀前の警告がようやく事実として認識される時期となったのは、あまりにも時間が懸りすぎた思いがあります。以上) 次に利尿剤の逆作用も注意すべきものであります。 かの腹膜炎患者の腹部膨満に対し、医療は必ず利尿剤を用いるのですが、一時は尿量を増し膨満は減退し、軽快又は殆んど治癒したとさえ思う程になるのですが、それは一時的であって、例外なく再び膨満するものです。 また利尿剤を用うると軽快する、再び悪化する、又用うるという訳で漸次利尿効果は薄らぎ、ついには薬効は皆無となり、すこぶる頑固なる腹水病となりえるのです。 これについて医療は腹部穿孔排水を行ないますが、これ等も一時的な萎縮であって、再び膨満するものです。また穿孔排水させるという事を繰返すにおいて、漸次、腹水集溜の速度と量を増し、最後に到ってはその膨満著るしく臨月よりも巨大となり、間もなく死に到るのであります。 また畢丸水腫という畢丸の膨脹する病気や排尿閉止等も利尿剤の逆効果による事が多いのであります。 次に、各種神経痛の強烈なる痛みに対し、モヒの注射をなし、一時的苦痛を免れさせるがこれ等も繰返す場合食欲の減退甚だしく、進むに従って嘔吐頻繁となり食欲不振から衰弱死に到る事も稀ではないのです。 次に、ヂフテリヤの注射は卓効ありとされ予防に治療に大いに推奨されていますが、これ等も考慮の余地があります。私の経験によれば、この注射による悪影響はあまりにも多い事です。甚だしきは死を招くものさえあります。また中には一週問位昏睡状態に陥ってのち精神変質者となった者や、胃腸障碍、神経衰弱等、種々の病患の原因となり、しかも何れも悪性なのであります。 ゆえにヂフテリヤに対する効果と悪結果を考え合わす時、私は後者が勝っているとみるのであります。本医術によればヂフテリヤの大抵は数十分の施術によって全治するのである。 右のほか、最近行われている結核療法にセファランチンの注射および服用がある。これ等も悪性逆結果となり、治癒は頗る困難である。私は弟子に対しセファランチンの多量使用者に対しては生命の保証は為さざる事を注意するのであります。 その他糖尿病に対するインシュリン注射が脳疾患の原因となり、又沃度剤が種々の病原又は虚弱の原因となる等も看過出来ないものがあります。 (注himaari;この論を読むと薬剤は効かないというのではありません。しかしその効き方は初めは良いと見えますが、段々とその反作用が現われて来て、結局は最後に使うよりも悪い結果が出るという指摘です。 当時これほどの事を医学者以外の者が発表しているのは大変な反発があったと思います。しかもまだその頃は薬剤の効果が顕著であり、とても今の様な薬害などという訴訟などのほとんど少なく、世間一般の人からもおかしな論だと否定されていた様です。 なお、ここで言う「私の弟子」というのは施術の方法を習った者を指しています。簡単に言えば医学の薬剤に対し否定論であり、反対に身体から薬毒を取り除く施術方法のことでした。 この方法であっても多量の薬剤を入れた病者には全面的な効果が発揮できないとい注意を与えているのですから、いかに特効薬と言われたものほど強力な毒性があるという意味でしょう。以上) 次に、外科的に用いる消毒剤として沃度ホルムがありますが、これは特に恐るべきものであって、よく手術による患部が治癒し難く長時日を要する場合がある。医家も不可解に思うが、これは全く消毒薬中毒であるから、その場合薬剤を落し、清水をもって洗うだけで順調に治癒に向うのであります。 沃度ホルムの悪作用としてはこの薬が患部の筋肉から浸透し、その近接部に膿色斑点が出来それが漸次拡充する事があります。その場合医師は腐りゆくと思い、手足の切断を奨めるのですが、それは猛烈な堪え難き痛苦もあるからです。 以上の様に黴菌(ばいきん)の侵入を恐れるために用いる消毒薬が黴菌よりも数倍恐るべき結果を招来する訳なのです。それに就いて例を挙げてみましょう。 ここに何ら健康に異常のない一個の人間があるとします。たまたま何かの予防注射を受けたとします。しばらくして多くは足部、膝下に腫物を生じます。病院に行きます。切開手術をします。消毒剤を用います。それが浸透し中毒を起し激痛します。いかにしても治りません。 やむを得ず足首または膝関節から切断します。不具になります。しかるに最も不幸なものは切断手術の際の消毒薬中毒によって、まもなく股間に腫物を生じます。これも激痛に堪えぬのですが場所が悪いから切断しか兼ねるのです。そこでやむなくモヒの注射によって痛みを緩和するのですが、結局モヒ中毒となり、食欲不振、衰弱死に到るというのが経路であります。 この様にして何ら異常もない健康人が医学の犠牲者になる事実は非常に多いのであります。 (注himaari;消毒薬は医学上では常識ですから、ほとんどの傷や手術に使われているでしょう。この消毒薬を否定する論はまさに現代医学に対する反逆する思考でしょうから、当然受け入れられなかったのは想像できます。今でさえも創傷治療に消毒薬は不可欠だと思われているのですが、一部の医師がその誤りを指摘している時期になりましたので、最後にはこの消毒薬の怖ろしさが事実として認識されることでしょうが、その前に黴菌の働きの真相を知らなければならないでしょう。 黴菌が怖いから消毒薬を用いるのであって、この黴菌悪玉説を逆転する論も早急に検討する必要があるようです。しかし医学は長年にわたって積み上げられてきた科学そのものであるという一種の信仰がある限り、この様な論は否定され続けるかも知れません。事実を事実として伝える難しさを筆者は以下の様に嘆息をこめて書いています。以上) 「鳴呼、憐れなる小羊を如何にすベきや」 (中略) 次に、湿布についてです。 これは皮膚による呼吸を停止し、又は薬毒を浸透させ、その部面の浄化停止を行うのでありますから一時的苦痛は軽減するのですが、その方法および薬毒の残存が種々の悪影響を及ぼすのであります。 次に膏薬(こうやく)または塗布薬(湿布薬)ですが、これも良くないのです。 これについて二、三の例を挙げてみましょう。 ある中老の男子、脊部が凝るので、数年にわたってある有名な膏薬を貼用持続したのである。然るにその薬毒が漸次脊柱附近に溜着し、凝りの外に激しい痛みが加わったが、これは本療法によって短時日に治癒した。 次に中年の男子、顔面に点々としてニキビより稍々大きい発疹が出来、十数年に渉って種々の療法を施すも治癒しないとの事である。 それは最初普通のニキビを治そうとして種々の薬剤を塗布したが、それが浸潤してニキビが増大、頑固性となったもので、これは二、三ケ月にして全治した。 次に最初脚部に湿疹が出来、それヘ塗布した為、薬毒性湿疹となり、漸次蔓延しつつ終に全身にまで及んだのである。それに気の付かない医療は相変らず塗布薬を持続するので極端に悪化し、皮膚は糜爛(びらん)し紫黒色を滞び患者はその苦痛に呻吟しつつ全く手がつけられなかったので断った。 私は医学の過誤に長大息を禁じ得なかったのである。 (注himaari;以上は筆者自身の治療法をもって体験した事実から症例を解説したものです。しかしこの治療法を用いなくとも自然治癒の力で治るものがあると思います。というのはこの治療法を主体にしてみなくとも人体の働きから病気の治癒の方向が見えるものだからです。 この治療法を否定するのでなく、自然治癒力を主体として考える資料としてみるのが大切で、「この方法だけが唯一・・」という狭い主張を避けるために詳しい方法は紹介しないのです。逆にこの治療法が効を失った時点でさっぱりと忘れて元の対症療法に戻った人を多く知っているからでもあります。一番大切なことは病気とは浄化作用であり、その浄化を停める薬剤がそもそも浄化の原料となる事を理解できれば良いのです。以上) その他、頭痛に鎮静剤、不眠に睡眠薬、鼻孔閉寒にコカイン等ももちろん不可であります。また漢方薬持続者は多く青膨れとなり勝ちでなのです。洋薬多用者は皮膚に光沢なく弾力衰え若くて老人のようになるのです。 従って薬剤を廃止すれば皮膚は漸次若返えるのであります。 (注himaari;ここで西洋薬は害があるが漢方薬は害が無い」と思われている人に対して、漢方薬でさえも薬毒があると指摘しているものです。なかなか納得出来ないことかも知れませんが、これも漢方薬と言っても自然の中の毒性物を薬剤として使用している事実を知れば納得できるものでしょう。「自然の生薬だから安全」だという神話は勝手に人が思い込んでいるだけで、薬の専門家なら周知の事実です。 この様に筆者は西洋薬も漢方薬の様な自然薬も否定しているのですから、世の中に受け入れられないで来たのも当然だったのでしょう。 しかし、事実は必ず情報として知られてきますから、現代では「毒でなければ薬にならない」というのが本当の事として認識されて来ました。 ここまで来るのに大変な時間が必要だったのは残念ですが。以上) 次に、電気および光線療法であるが、この原理も薬毒をより固結さすのであるから不可であります。 次に、咳に対する吸入療法は見当違いであるから無効果であります。温める温熱療法も一時的軽快療法で、真の療法ではないのです。また感冒の際に温めて発汗さす事を良いとしますが、これも誤りで自然放置の方がより速く治るのであります。 次にラヂューム放射は病原破壊の目的であるのですが、これは病原と共に組織をも破壊するから行えば必ず病状は悪化するのであります。 レントゲン放射は毒素を非常に固めるのみで、病気に対しては一時的効果でもちろん有害であります。 (注himaari;医学の常識に対してよくもこれだけ否定の連続をしたものですが、おそらくこの内容では当時としてはまったく受け入れられないものだったでしょう。それがこの21世紀になった今、多くの医師たちが上記の中で論を肯定する説が多数出されるようになりました。海外の医師たちも相当以前から上記の様な指摘をしていた情報も出てきました。日本でも医師が同様な事を言われています。しかし、まだまだ絶対多数になるほどでなく少数派であり、現状では未だに医師も一般人も既成の医学論から抜け出せないでいるのです。筆者がこの当時「長嘆息を禁じ得ない」と嘆いたのも無理からぬことと実感しますし、そして今この時点においてもやはり同じ様に、事実を伝える難しさにため息が漏れることの様です。以上) 近来流行するものに炎点療法がある。多くは西洋医学に愛想を尽かした人か、又は嫌いな人が受療するのであるが、これは無害で幾分の効果はあります。 灸点法の原理は、人体は火傷すると大抵は化膿するが、それと同様の理です。すなわち大火傷では苦痛だから小火傷を分散的に行うのです。それによって病原である深部毒素が、小火傷部に分散的に誘致されるから病苦は軽減するのであります。 しかしそれは一時的で、再び還元するから、灸を据え初めたら毎月か又は一ケ月おき位に持続しなければならないというのはその為であります。 これについて弘法灸といって特別大きな灸を据えるのですが、これは毒素を多量に吸引するから効果は大きいのでする。弘法様はなかなか利巧であります。 しかし困ることには灸療法は皮膚に醜痕を胎す事です。元来人体は造物主の最高の傑作品で、美の極致であります。特に女性の如きはその皮膚美の魅力は他に比較すべきものはないでしょう。日本でも昔から玉の膚と言い、西洋では女性の裸体を最高の美としているくらいです。 それに対して人為的に火傷の後を残し、一生涯消えないという事は皮膚の不具者となるのでありますから、造物主(自然)に対する冒涜とも言えます。 また鍼療法は血管を傷付け内出血起こさせその凝結によって一時的浄化停止を行うので真の療法ではないのです。 (注himaari;ここで灸も針治療も対症療法的であると指摘していますが、これには異論もあるかと思いますが、将来その可否が自然に判ってくると思いますのでここでは断定でなく、論として紹介してあります。ただ、私の情報では昔は針治療で優秀な成績を上げていられた方が、針治療は対症療法であったので、自分自身の自然治癒力を引き出す方法へと転換して良好な成績を現している事を知っています。 つまり針治療とかの刺激は命を太くするもので無かったと覚ったのでしょう。これも多くの専門でやっていられる方の反論もあるかと思いますので、決定的な判断はしません。以上) [病患と医学の誤謬] 現代医学に於ける誤謬並びに治療の無能なる事は、医家と雖もよく認識している筈である。内料的病患が診断と解剖との相違の、大学に於ける統計のあまりに多い事は世人は知らないであろう。又西洋医学の冶病成績の統計を作ったなら想像もつかない程の不成績に驚ろくであろう。これ等は何れも研究という幕に蔽われて世人には見えないのである。 (注himaari;今話題の養老孟司さんも東京大学で解剖学の大家であったそうです。おそらく上記のような論を納得できるのではないでしょうか。生活や権威などの世俗上の条件を無くしたら、冷静に見つめて医学の誤りを事実として認めざるを得ないのではないかと思います。これが成されないのは医師自身が「医学」という縛りから抜け出せない環境にあるからだと思います。以上) 凡ゆる病患は医学の進歩によってのみ解決せらるベきものとの根強い迷信によって徒労に等しき努力を続けつつある―――これが医師および医学者であるのです。 そうして医学に於けろ誤謬はあらゆる面から説いたつもりでありますが、なお個々の病患に就て概略説明してみましょう。 (注himaari;この様に半世紀以上も前に医学の進歩の否定論を出していた人物とはいかなる者か興味あるところですが、ここではその人物紹介は要らざる誤解とうむかと思いますのと、肝心なのはこの論説の内容が事実と一致しているかどうかということですので、後々に紹介という事で次に進みます。 また全面的に信用できるものなのかも断定するのも間違いです。捨てて捨てて、それでも捨てきれないものが本当のものですから、まず以上の論を冷静に批判することも大切です。他の情報も加えてみて総合的に判断する必要があります。以上) TITLE:病気症状の解剖 DATE:2004/06/12 |
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