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きままなコラム〜でも、ちょっと辛口?〜

(その9) これからのエネルギー    2003.2.20(木)

福井県敦賀市の若狭湾で、原子力発電所を見学してきた。
最初は、核燃料サイクル開発機構(JNC)の高速増殖原型炉「もんじゅ」。
1995年12月にナトリウム漏洩事故を起こし、
2002年12月に原子力安全委員会の答申を受け、経済産業省が改造工事計画を許可したが、
2003年1月、名古屋高裁金沢支部で、「もんじゅ」設置許可無効の行政訴訟判決が出たばかりだ。
ナトリウム漏洩事故の際、防護服を着た作業員の映像が何度も放映されたので、
放射能が漏れたものと、わたしは勘違いしていたが、
実は、あの時漏れたナトリウムは、放射能物質とは関係のない2次系伝熱用のものだった。
ナトリウムは、空気や水と激しく反応し、すぐに水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)などに変化する。
あのときの堆積物は、放射能物質ではなく、それらナトリウムの化合物で、
強アルカリのナトリウム化合物から、(弱酸性の)肌を守るための防護服だったようだ。

次に見学したのは、車で10分もかからないところにある関西電力美浜原子力発電所。
ここではナトリウムの代わりに高圧の水(157気圧、320度)を使っており、
この(1次系の)高圧の水が沸騰しないまま2次系の水に熱を伝えるため、
2次系の水が蒸気となり、その蒸気によってタービンを回し発電させている。
ここでは余った蒸気を冷却して、再び2次系の水として循環させているが、
その冷却用に多量の海水を利用している。
もともと福井県敦賀市は若狭湾国定公園に指定されているリアス式海岸で、入り組んだ海岸線だ。
美浜発電所のある丹生(にゅう)湾は、もともと海水の流れがあまりなかったが、
海水を冷却水として利用することによって、1秒間に数十トンという大量の海水が循環するようになり
丹生湾内ではイケスや網を使わない魚の養殖(海洋牧場)などが行われるようになったそうだ。
実際、海底が見えるくらいの美しい蒼い海が広がり、魚たちの群れも見ることができた。

原子力発電は、燃料としてウランを使う。
ところが燃えるウラン(ウラン235)はわずかで、ウラン全体の0.7%ほど。
そこで、残りの燃えないウラン(ウラン238)に中性子を当て、燃えるプルトニウムに変え、
それも燃料として再利用しているのが原子力発電だ。
燃料としての石油や石炭、天然ガスなどの資源は、埋蔵量に限りがあり枯渇寸前。
ウランをプルトニウムとして再利用することにより、原発ならば今後の安定供給が可能だという。
関西電力によると、現在すでに関西の半分の電気を原発が支えているらしい。
また、残りカスである放射性廃棄物についても、低レベルであり、安全性に問題はない。
つまり、原発は、燃料をリサイクルするため効率的で、安全にも十分配慮し、
第一、地球温暖化の原因となる二酸化炭素を出さないので、地球環境にもやさしく、
安定した電気エネルギーを供給するためにはなくてはならないもの・・・と言いたいわけだ。

しかし、その前に、まず考えなければならないのは、エネルギーの使用量を減らすことだ。
日本中の自動販売機を無くすことができたら、原発が1基不要になるという。
すぐ近くのスーパーが年末から24時間営業になったが、完全に時代に逆行していると思う。
せっかくトレーやパックなどの回収をしたり、買い物袋持参を奨励したりしているのに、残念なことだ。
日本中のコンビニが無くなれば、あるいは、夜間営業だけでも止めてくれたら・・・と思う。
また、エアコンの使用も、ほどほどにして欲しい。
家庭でもそうだが、バスや電車、会社、病院、飲食店も含めて、冷房は寒すぎる。
電車の設定温度を、制服を着たJR職員に合わせる必要は無いはずだ。
そんな制服なら地球のためにやめて、お揃いのTシャツを制服にすればよい。
本来、寒暖に合わせて、自身の体温調節と、服装で調整すれば済むことだ。
ちなみに、うちには、使えるエアコンは無い。もう、十何年もそれで済ませている。
どうしてもエアコンが手放せないなら、設定温度や使用時間を考えて使って欲しい。
それが健康のためにもいいことは、本当はみんな知っているはずだ。

そして、これからは原発ではなく、お金がかかってもいいから、自然エネルギーを利用すべきだ。
風力も太陽光も自然条件に左右されるが、そのくらい、我慢しよう。
地熱発電、波力発電、潮力発電などの開発研究になら、どんどんお金をかけて欲しい。
最近は、バイオマスも盛んになっているらしい。地球人なら、それが一番自然だ。
農林業のモミガラ、畜産業の糞尿、家庭からの生ゴミなどが生物資源として役に立つ。
自然を利用するから、もちろん、地球環境問題もいっしょに解決できる。
無いものを無理やり作り出して、そのゴミ処理を未来に先送りするというのは、あまりにも勝手だ。
たしかに当面は便利だが、罪悪感を閉じ込め、心の中にもゴミを溜め込んでいるようなものだ。
これからは、あるものを有効利用するのが知恵。そうすれば感謝の気持ちも養われると思う。
前に、“美しい地球を子供たちに(残そう)”から一歩進んで、
“地球は祖先から受け継いだものではなく、子孫からの預かりもの”という気持ち(加害者意識)が
大切!と訴えたが、この原発見学のあとは、人間だけのことを考えていてはいけないと強く思った。
表現の仕方より、小さなことでもいいから実行することの方が、より大切だと思うが、あえて言いたい。

“地球は過去から受け継いだものではなく、未来からの預かりもの”だと。


(その8) 需要と供給       2002.12.20(金)

動物保護施設のNPO法人『アニマルメリーランド』から、会員へのクリスマスプレゼントとして、
カレンダーが送ってきた。
手紙には、約120匹の犬猫たちの世話に物資が不足しており、協力を呼びかけていた。
「古くても助かる」とのことだったので、さっそくバスタオルを20枚ほど送ってきたところだ。
いつも思うことだが、ペットショップやブリーダーの存在には(個人的に)疑問がある。
なぜ、わざわざ動物を売買しなければならないのだろう。
どうせなら、殺処分されたり、保護されている動物をかわいがってくれればいいのに。
(もちろん本人たちにとってみれば、「野良のまま放っておいて」というかもしれないが・・・)
室内飼いにしたいために小型犬がいいのなら、猫を飼ってあげて欲しい。
人間の都合やわがままで、尻尾を切り落としたり、足を短くしたり、体毛を無くしたり・・・、
数々のリスクを彼らに背負わせるのは、もうやめて欲しい。
このコラムの最初も、アメリカの大草原から連れてこられたプレーリードッグのことだった。
環境のまったく違うところに、ましてや、仲間から引き離して連れてこないで欲しい。

それでも、需要があるから、商売は成立している。
環境に悪い合成界面活性剤が横行し、遺伝子組替や農薬まみれの野菜が氾濫するのも同様で、
これは、利益を求める企業の「供給」と、それを欲しがる消費者の「需要」が一致した結果だ。
中国野菜に残留農薬が検出され問題になったが、安価な土地と安価な賃金を求め、
日本の業者が農薬使用を指導したものとばかり思っていたのだが、もうそれが時流なのか、
中国人(自国)向けの野菜にも、どんどん農薬が使われているのが現状らしい。
そこで、中国のテレビでは、そんな野菜を
『毒菜(どくさい)』と呼び、家庭で使用の際は、
「@よく流水で洗う Aなるべく加熱する」よう、呼びかけるCMを流しているそうだ。
このままでは、中国がいかに広大な土地を有していても、
子孫を含めた人間の体が蝕まれる前に、化学肥料と農薬のために土地が痩せ砂漠化し、
森林が消えることによって海は養分不足となり、陸から海から食料がなくなってしまう。
それはもちろん中国だけの食糧不足や環境問題ではすまされず、
異常気象のため地球環境は劣悪化し、かわりに見たこともない細菌類が増殖したりして、
あらゆる生命体は地球上から消え失せることになるだろう。

需要があるから供給される。
自然界でいえば、条件が整えば、それに適応したものが発生するのと同じだ。
しかし、われわれの需要には、「欲」や「わがまま」が絡むことが多い。
本当に必要なものなのか、身近で代用できるものはないのか、
子孫から預かっている地球(環境)に、なるべく負担をかけないよう、本気で自戒したい。

(その7) 世界に一つだけの花       2002.11.11(月)

SMAPの新曲「世界に一つだけの花」の歌詞が、とってもいい。
“みんなが持ってる種はそれぞれ違うけど、それぞれの花を精一杯咲かせようよ!”
という内容だ。その世界で、トップの人たちから、そう言われてもねぇ・・・って気はするけど。

♪・・・ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリーワン! で終わる。

なにかにつけ、ナンバーワンを目指して競争してきた結果が、現状なら、
逃げや言い訳なんかじゃなく、それぞれがオンリーワンに成れる努力をする方がいいに決まっている。
オンリーワンってことは、自分の置かれた立場で、きちんと役目を果たすことだと思う。
そして、自分以外の人の立場を認めることでもあるだろう。
なろう!たって、憧れの誰かにとってかわることはできないし、
別に有名にならなくても、賞なんかもらわなくても、居場所(責任範囲)は、あるはずだ。
そういえば、かのベッカム様は、23億も稼ぐ代わりに、警備費用に2億円も支払うとか。
ピストル所持も認められたらしいが、それで安心か?といえば、これまたキリがない。
また、フィクション・ノンフィクションを問わず、遺産が有ったら有ったで、骨肉の争いも話題に上る。
いっそのこと、なにもかも手放して、一人の人間になったとき(もしかしたら死の直前で?)初めて、
やるべきこと、いや、“やるべきだったこと”が見えてくるのかもしれない。

でもそれならそれで、せいいっぱい悪戦苦闘しておいて、「やるだけやったぜぃ!」と高笑いして(死んで)、
閻魔さま?にゴチン!とやられた方が、ずっといいよなぁ・・・。
“なにもかも手放す”ことを実践しているのが、わんど塾のおっちゃんだ。だから、常に、方向を見誤らない。
たとえば、何かコトを起こそうとするとき、不足しているものを探したがるのが我々だとしたら、
おっちゃんは、持っていきたい方向を見定め、手駒を使って確実に誘導しようとする。
だから、条件が変わっても、修正が効くが、
先に道具を手にしようとする我々は、また一からやり直さなくてはならなくなる。

“なにもかも手放す”真似は、なかなかできないが、
せめて自分に責任を持って、まわりに迷惑をかけないようにしたいものだ。
環境問題が、まさにソレ。よく“美しい地球を子供達に残そう!”という言い方をするが、
先人達の中には、謙虚で、すばらしい人がいたものだ。

“地球は、先祖から受け継いだものではなく、子孫からの預かりもの”

たまたまTVでチラッと見たのだが、知らない人だったので、名前を忘れてしまった。
でも、これくらいの“加害者意識”が、現代人には必要なのではないだろうか。



(その6) 心を見失う 〜一連の不祥事と不可解な事件〜 2002.9.3(火)

雪印食品の牛肉不正買い上げ、ミスドおよび協和香料化学の無認可化学物質使用、
間違えて?娘を刺した父親、車中での熱中症や虐待による子供たちの死・・・、
公僕(公衆に奉仕する人)であるはずの政治家は、私利私欲に走り、
関東圏を独占していた東京電力は、責任上、原発事故を未然に防いだ?ものの、
報告する義務は怠った(隠した)・・・。
(もちろん、ごく少数の確信犯以外は、企業人はみな、すごく善良で真面目な一般人だ。)
今に始まったことではないが、“心”を無くした人(特に幹部)や企業は、ジコチュウで、
金儲けさえできれば、他人(自分以外の肉親をも含む?)のことなんて、
まったくおかまいなし!のようにみえる。

『悪』という字には『心』がある。
不思議に思えて、『亜』の意味を調べてみると、“次にくるもの、準ずるもの”とある。
まさか『悪』が、『心』の次にくるものとか、『心』に準ずるもの、という意味ではないだろう。
たぶん、名誉やお金という“欲”の次に『心』がくる・・・というより、事態はさらに悪く、
“欲”に隠されて、“心”が忘れ去られた状態を『悪』と表現したのだろう。

家族(自分)の生活を守るために、“やむなく、悪いこととは知りつつ、目をつぶった”
のかもしれない。
しかし、政治(家)や企業(家)は、もともと社会に奉仕してこそ、存在価値がある。
その源になるのが、“心(想い)”だと思う。
モットー(精神)や企業理念と言い換えてもいいだろう。
そんな“社会(人)へ奉仕する”という本来の目的を忘れてしまえば、当然、間違いも起こる。
我が身かわいさに、他人には毒(不祥事)を盛り、お金や名誉を手に入れる。
本末転倒なのだから、仕方ない?のかもしれないが、よくよく考えてみると、
そんじょそこらの怪談より、ずっと、うすら寒い話である。

消費者も、企業や社会を批判ばかりしていないで、自分を見つめなおす必要がある。
たとえば、24時間オープンしているコンビニは、本当に必要なのか?
また、日本中にある自動販売機のコードを全部引き抜けば、
原発を1基、廃棄できるくらいの電気の節約ができるという。
虫も食べないような“美しい”農作物(もちろん農薬つき!)を欲しがったり、
いつまでも腐らないような“保存料”入りの食品を食べ続けていれば、
自ら、肉体的な病気の原因を作っているようなものだろう。
また、精神的にも、“やむなく”不祥事をやっていれば、ストレスもたまるだろう。
そうして、肉体的にも精神的にも病んで、高額な医療費を払って、
種々の薬(化学物質)に頼ることになってしまう。

よくよく考えてみると、なんか、ばっかみたい!
こうなったら、自分の身は自分で守るしかない。
そのためには、まず、“心”を見失わないようにする必要があると思う。
せめて、他へ害を及ぼさないように気をつける。
無理やり自分の味方に引き込むことなく、お互いに存在を認めあい、
できれば仲良くしていく・・・。
なぁ〜んだ、これって、けっこう、カンタン(アタリマエ)なこと、なんじゃないの?!


(その5) 激安バーガー  2002.8.8(木)

100円ショップが成長し、電化製品が安値で販売され、バーガーは、数十円になった。
消費者は、経済不況の中、安いものに、どうしても手が出る。
しかし、ユニクロや家電メーカーの赤字決算など、予想される事態は、確実に起こっている。

1kgの牛肉を作るためには、まず、牛を育てるための穀物が7kg必要とされ、
7kgの穀物を収穫するためには、その穀物を育てるための水が7000kg(7t)も、必要なのだという。
たくさんの牛を飼うには、飼育のためのえさが必要で、その穀物を作るために、たくさんの水がいる。
つまり、安いバーガーを作るためには、安い土地と、大量の水が必要なのだ。
たとえば、安い土地を求め、アジアや南アメリカの森の木が伐採され、地球温暖化が促進される。
さらに、たくさんの水をくみ上げるため、井戸が枯れ、川が干あがり、旱魃となり、土地は砂漠化する。
という、
環境破壊の構図が完成する。

また、これらのことは、いわゆる途上国の飢餓・貧困を招いている。
収穫しても自分で食べずに、輸出して、お金に換える作物のことを「換金作物」という。
自給率(30%足らず)の極端に少ない日本は、牛肉に限らず、タバコ・コーヒー・紅茶・エビなど、
諸外国から多くの換金作物を輸入しているのが現状だ。
それでも、現地で働く人たちに、確実にお金が入れば、まだよい。
ところが、売れることがわかると、彼らは生産量を増やそうとする。
そうなると、今以上に土地もいる、人手もいる。
仕方なく、自給自足していた畑までも、換金作物のために使用する。
また、人を雇うお金がないから子供を増やす。
しかし、大量生産してみると、作物の値段は下がり、当てにしていたお金が手に入らない。
そのとき「しまった!」と思っても、すでに農地は換金作物の畑と化し、
結果としてお金も食料も手に入らず、飢えた子供達や家族と、
化学肥料の使用で、やせた畑(砂漠)が残るのみだ。

先進国は、たとえば、アマゾンの奥地で、森林伐採をし、
タダ同然の牧草地を作り、タダ同然の給料で現地人を雇い、牛を飼う。
だから、
タダ同然のバーガーを作ることができるのだ。
確かに、生物は、他の生物の命をもらいながら、生きていくしかない。
しかし、タダ同然のバーガーは、明らかに、飢餓・貧困で苦しむ人間の命と、
環境破壊で苦しむ他の生物達、そして地球の命をも、食い尽くしているように見える。

自戒の意味をこめ、消費者なら、せめて、ほんとうに必要な分だけ、適正価格で購入し、
それらに関わる「すべてのもの」に感謝して、食したり、使ったりしたいものだ。


(その4) 必要以上の殺菌・除菌  2002.7.23(火)

コマーシャルによる洗脳は、おそろしい。
合成界面活性剤の恐怖は、坂下栄氏の「恐怖の生体実験!」を見ればわかる。
純せっけんと違って、合成界面活性剤(合成洗剤)は、分解されることがないので、
いつまでも、界面活性作用が続く。
皮膚から進入し、内蔵まで侵す。皮膚はただれ、内臓もただれ、徐々に機能を失う。
つまり、最終的には、まちがいなく死だ。(ただし、影響は徐々に徐々に・・・)
そんな合成界面活性剤は、原料の油脂として、石油じゃなく植物油を使っても、
いとも簡単に、作り出されてしまう。
それを、CMでは、「植物生まれだから、肌にやさしい」と、うたう。
いかにもそれっぽい緑の風景に、幸せそうな家族、真っ白い洗濯物、さわやかな歌声、
実によくできたCMだ。
そうそう、むかし、ねずみはせっけんをかじった。しかし、今の
化粧せっけんは毒だと
いうことを知っているから、ねずみたちは決してせっけんをかじらなくなったそうだ。

最近は、消毒用アルコールを含む除菌・殺菌効果をうたった商品も多い。
病院など、特殊な場所では、確かに必要かもしれない消毒も、
日常生活で過度に使用すれば、
大切な常在菌を殺してしまい、
かえって無防備となり、(病原)菌の侵入を阻止できない。
おまけに、体内は、合成界面活性剤や防腐剤、保存料などの化学薬品で、ぼろぼろ。
これでは、
病気にならないほうがおかしい
殺菌しなくても、まめに掃除をすればよい。
手間隙惜しみたいから、楽したいからこその、浅知恵だ。
汗をかいた帽子にシュ!クッションやカーテンにシュ!
・・・あぁ、気持ち悪!脳天かち割って、シュ!してあげたい。

季節柄、電子蚊取のお世話になる。
エアコン嫌いで、十数年、エアコンは(壊れたまま)なしの生活を送っている。
とうぜん、窓は全部開けっ放しだ。
それでも、電子蚊取のコードを入れてまもなく、蚊がポトン!と落ちる。
どれだけ強い薬(ほとんどがピレスロイド系)なのか、よくわかる。
そこで我が家では、なるべく、“昔ながら”の
除虫菊の蚊取線香を炊く。
(市販の蚊取線香のほとんどは、電子蚊取と同じ成分の化学薬品が含まれるので注意)
ところが、この“昔ながら”の除虫菊の蚊取線香は、煙たくて・・・。
これでは蚊も、たまったものじゃない。
そう、本来は、こうやって
「虫除け」が目的で、決して「殺虫」では、なかったのだ。
そうやって住み分け、共存共栄をしてきた。
ところが現代人は、それを許さない。安易な即効性と確実性を求め、
小さきものたちが、体現してくれている恐怖(死)を見ながら、自分達だけは別だと思っている。
しかし、小さきものたちは、耐性菌、突然変異という形で、復讐を始めつつある。
また、環境ホルモンなどの化学物質は、生物濃縮を繰り返しつつ、
最終的には、必ずわれわれの「食物」として戻ってくる。
それは、復讐というよりも、
自然の理(自業自得)といえるかもしれない。


(その3) 長蔵(ちょうぞう)小屋の不法投棄 2002.7.11(木)

今朝、モーニングショー『とくダネ!』を見ていたら、目を疑いたくなる映像が
飛び込んできた。とんでもないゴミの山だ。
尾瀬の環境保護の象徴ともいえる「長蔵小屋」自身が、旧館あと地に、
“ゴミを不法投棄し、埋め立てていたという事実が、従業員の声で発覚したという。
跡地を掘り起こしたところ、旧館を壊したときの廃材や、押しつぶした缶類、
ガラスの破片などが、ごっそり出てきたそうだ。

戦前、ダム建設の話が持ち上がり、この湿原を、ダムの底に沈めてなるものか!と
立ち上がった(平野)長蔵氏の遺志を継ぎ、戦後は長エイ氏が、
そして3代目の長靖氏のときは、湿原を通り抜ける道路建設工事反対と、
三代にわたって、尾瀬の湿原を守ってきたらしい。
3代目の長靖氏が志半ばで遭難死したあと、道路建設工事は中止され、
その後、この長蔵小屋は、4代目を長靖氏夫人、5代目を息子のタロウ氏が継いだという。

80年代終わりごろから、不法投棄は始められていたらしい。
登山の経験から、山小屋に物資を運ぶことやゴミ処理がどんなに大変か、実感としてわかる。
だからこそ、市価の3倍の値段にも納得できるし、
礼儀として、せめてゴミを出さずに持ち帰ることもやってきた。
ほとんどの登山者はそうしているはずだ。それでも、確かにゴミは出る。
ゴミ処理の運搬や労働力、その費用はわれわれの想像を超え、
小屋の経営を圧迫することは、想像に難くない。

しかし、小屋の経営が大事なのではなく、
尾瀬の自然を守ることが第一義だったはずだ。
その
心を忘れてしまった時点で、すでに「長蔵小屋」は、消滅していたといえないだろうか。


手前味噌だが、「わんど塾」のおっちゃんが「何よりも大切にしたいもの」が、まさに、この「心」。
まだ読んでなかったら、「わんど塾」のページも見てくださいね。


(その2) 健康第一! 2002.7.8(月)

また、また、重たい話題になってしまうかもしれませんが、
臓器移植について、みなさんはどう思われますか?
アンビリーバボーなどで、心臓を移植したあと、生前の方の記憶が残っていて、
本来なら、遭うはずのない、海を隔てた二家族が涙の対面をした、
という(たぶん、感動的な)体験談を聞いたりもします。

その一方で、インド、エジプトなどで、子供達が臓器移植のために売買されたり、
血液を売るよりお金になるということで、自ら臓器を売る人までいるという話も聞きます。
いずれにせよ、医療の進歩で、そういう手段で生き残る道はできたにせよ、
ややもすると高額な費用がかかることから、助かるのはいわゆるお金持ち、
提供者は、ともすると、そうではない人たちだったりする。

でも、大切な人が、もし、そういう方法でしか延命の方法がなかったとき、
果たして、わたしに、善意のカンパなどを集め、その方法を選択できるのだろうか?
また、逆に、提供者として・・・同意しておけるのだろうか???

ときどき、知人との話で、そんな話題に触れる機会がある。
賛成する人、反対する人、わたしを含めて疑問を持っている人、・・・
結局、あまりにも重い話題に、“やっぱ、つくづく
健康第一だよね”で終わるのだが。


「週間金曜日」に臓器移植に関する投書があり、
つい、最近も知人とその話をしたばかりだったので、載せてみました。

また、「どう生きるかは、動物達に学べても、たぶん、どう死ぬかを考えられるのは、
人間だけだろうね、結局、ある意味いっしょなんだけど。」という話も、別の知人から聞きました。
ようするに、“わたしらしくしか生きられない”(自分にウソはつけない)という意味では、
ちょっと、疑問が解けた?というか、トロけた?というか・・・。

それから、別に不満じゃないのですが、「週間金曜日」はずっと年間購読していますが、
土曜日にしか届かないので、うちでは「週間土曜日」と呼んでいます。


(その1) 連れてくるなよ! 2002.7.6(土)

こんな話題から、始めたくはなかったけど、「珍獣ペット」には、胸をいためます。
美容室のドアを叩いたという「アリゲーター」や、
家の前の川を泳いでいたとう「ワニガメ」など、
「誰が捨てたんだ!最後まで飼えないなら・・・」と言う前に、
「連れてくんなよ〜!」というのが正直な気持ちです。

今日の朝日の夕刊には、プレーリードッグのことが、写真つきで載っていました。
“見わたしても仲間の姿なく”というタイトルです。涙なくしては語れません。
アメリカ中部のプレーリー(大草原)に群れで生息しているはずの彼らが、
日本にペットとして持ち込まれ、
たぶん、臭いとか、大きくなったとか、勝手な理由で捨てられて
そのうちの1匹のメスが、長野県東部の河川敷に住みついているという。
近くの鉄橋を電車が通るたびに、巣穴のそばで、じっと見つめているらしい。
電車の音が、仲間が群れて帰ってくる足音に似ているのかなぁ・・・。
なんで、
だれが、異境の地で、彼女を独りぼっちにしたんだ!
仲間達と引き離して連れてくるなよ〜!さみしすぎるじゃん。




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