おっちゃんがのけぞった!?〜嬉しい誤算〜わんど塾を支援してくれている、ある芸能人から、大阪講演のチケットが手に入った。
おっちゃんは、がんばっている塾生たちにプレゼントしようと、電話をかけてみた。
<実例9 社会人としての責任>
わんど塾設立当初から関わっている彼女は、おっちゃんとの約束を破ることはショッチュウ、
その期待を裏切ることも数限りなく、そのたびに、自分でも自分が嫌になるらしく、
家出を繰り返しては、音信不通になることも二度三度ではなかった。
が、19歳の誕生日を迎えるこの夏に就職をし、3ヶ月の試用期間中、真面目にがんばった結果、
つい最近、正社員となり、年金手帳と健康保険証をもらったばかりだ。
彼女のように「素行不良」というレッテルを貼られ、中途採用で、
しかもアルバイトとなれば、世間は冷たい。
いつまでもつやら・・・という疑心暗鬼な好奇の目の中、彼女はよくがんばった。
そんな彼女が、社会人として認められた証としての年金手帳や保険証でもある。
「これ、なに?」という彼女に、おっちゃんは、社会人としての権利が認められたことだけでなく、
同時に責任を負わされたことも、抜かりなく教えた。
そして、本当にがんばったご褒美に、チケットの件を切り出したのだ。
ところが、「おっちゃん、その(土曜)日は、仕事になるかもしれんから、返事でけへん・・・。」
“う、うそやろ。この子の口から、こんなことばがでてくるなんて・・・!”
彼女が喜んで、「うん!」といってくれるものと確信していたおっちゃん、思わずのけぞり、
“また、裏切られたぁ〜!”そして、じわじわ嬉しさがこみあげてくるのだった。
思えばこの3ヶ月、毎朝のモーニングコールで励まし、帰社後はわんど塾で夕食をともにし、いろいろ話を聞き、
経済的にはかなり苦しい家計の足しにと、何がしかの野菜などを持たせ、帰宅させることもあった。
初めての給料をもらってまもなくの夏の終わり、彼女が末の弟をわんど塾に連れてきた。
弟は、経済的理由から、生まれてまもなく施設に預けられ、この春、高校生になったが、
そのまま施設から通学している。
さまざまな理由から施設に預けられる子はいても、彼のように、長期間施設にいる子は珍しい。
おっちゃんが、彼が卑屈になってないかと、その胸のうちを懸念して聞いてみると、
「いじめられたときは、兄弟がうらやましくて、親に腹も立ったけど、今はなんとも思ってへん。」という。
イジメは、年下の子がパシリに使われるくらいで、陰湿なものではなく、それよりむしろ、
悪いことをしたとき、ボイラー室に閉じ込められることのほうが、よほど効いたそうだ。
また、施設から高校へ通うことについても、
高校は、広範囲から学生が集まるので、中学のときのように諸事情を知る人はむしろ少なく、
「友達もできたし、野球もやってる。楽しいよ。」というので、安心した。
夕食前に、いただきものの大粒のブドウを4房ぜんぶ平らげ、ご飯も大盛り4杯をおかわりした。
おねえちゃんである彼女が気を遣い、「ほんまに、よう食べるな〜。おっちゃん呆れたやろ。」というので、
「若いときはそんなもんや!」といったものの、おっちゃんも正直びっくりした。
心配して聞いてみると、たまに家に帰っても、「なんとなく気を遣うから、ごはんのおかわりはしない。」という。
そんなことならと、漬物やら、残り物やらで、でっかいおにぎりを作らせた。
ふたりは「はだかの大将みたいや。」と笑って、嬉しそうに持って帰った。
貧乏を恥じたり、卑屈になることもなく、明るく自然に振舞う姿が実にすがすがしく、頼もしささえ感じられた。
厳しい家庭環境ゆえに、家族が支えあい、そこに、いたわり合いや人を思いやる心が育つ。
彼女も、自分が家計を助け、早く弟を施設から引き取り一緒に暮らしたいと望んでいる。
これまで何度も約束事を途中で放り出し、期待を裏切り続けてきた彼女だが、就職後、確実に成長してきている。
不良品の検査をするのが彼女の仕事だが、その不良品の多さを心配し、社長に直訴したり、
納期のことを視野に入れ、残業も進んで受け入れ、せいいっぱい責任を果たそうとしている。
チケットの話から、そんな彼女の成長を実感できて、おっちゃんは、ほんっっとに、嬉しい。
次に電話をかけたのが、いわゆる“金属バット少年”。
他校へ殴りこむほど、さんざん大暴れしていたが、
この17歳の春、急に高校へ行きたいと言い出し、今は、働きながら定時制高校へ通っている。
働くといっても、「土日は絶対、働かへん。」とダタをこねる、あの少年である。<実例4>
「おっちゃん、その日ィな、バイトが入りそうやねん。」
なにィ?土曜日も働くんかいな。そうか、そうか。ほんまかいな・・・。そうか、そうか。
おっちゃん、彼の変わりように、すっかりパニクっている。
彼も当初から、塾生となり、おっちゃんは振り回された。何をやっても長続きしない。
周りを敵とみなし、攻撃する。半端じゃなかった。
それでも、ずっと塾生として関わりつづけた結果、高校入学も全面的にバックアップできた。
彼は、掛け算も知らないくらいだったので、受験の準備は算数から始まった。
熱心な支援者が個人教授を引き受けてくれて、彼も時間を見つけて、がんばって勉強した。
合格したことを知った中学の先生が、絶句し、目を回すくらいびっくりしたのも十分うなずける。
その彼が、仕事を理由に、誘いを断ることなど、思いも寄らなかった。
またもや、おっちゃん、のけぞった!
三番目に電話したのは、母子家庭にもかかわらず、仕事も勉強もがんばっている少年だ。
「おっちゃん、その日、野球の試合があるねん。準決勝やから、抜けられへん。」
チームメイトと地道に戦い、順々に勝ち進んでの準決勝だという。
断られても、おっちゃんはウキウキだ。こんなに嬉しいことはない。
三人三様の成長は、おっちゃんにとって、なによりのプレゼントだ。
「そんなわけで、芝居を見に行くメンバーがなぁ、なかなか決まらへんのや。」
電話の向こうで、おっちゃんが、にやけている。
夜遊びのススメ!? 2002.10.2ってなわけ、ない!と思うのが、素人の浅はかさ。
おっちゃんは・・・、たとえば、「夜釣り」の楽しさを教えてしまうのだ。
<実例8 どしゃ降りの中の夜釣り>
天気予報では、雨になるのが予測できたが、
先生(自由参加)も一緒の夜釣りなので、休みの前夜しか予定が立てられない。
働いている塾生のスケジュールは、もちろん最優先だ。
それに、おっちゃん自身も、なかなか忙しい。
そんなこんなで、天気のことなんぞ、知ったこっちゃない!といった状況で決行された。
夕方、5時。一応、天気の心配をしながら、期待を胸に出発する。(ドキドキ、わくわく)
途中で、お弁当を仕入れる。
季節だし、ちょっと贅沢をして(プラス200円程度)、ホカホカの“マツタケ弁当”にした。
(おいしそう、わくわく)
釣り場に到着すると、やっぱり、パラパラ小雨が降りだす。
“釣れるかなぁ・・・” (はらはら、ドキドキ)
大降りになったら避難しつつ、雨が止んだら夢中で釣りに専念する。(いけ、いけぇ〜)
数時間粘って、まずまずの成果が得られた。
そして、帰り支度を整えたとたん、どしゃ降りだ。(やったね!どんぴしゃジャン!)
こんな調子で、雨に遭ったことまでが、いい思い出、いい時間になった。
なんでも楽しんでしまうのが、若さの特権。
おっちゃんは、こうして彼らの日常に、まったく違った時間を提供することで、
“いい夜遊び?”を体験させる。
バイクを乗り回したり、カラオケやったり、たむろしたりするより、“おもしろい!”と感じてくれれば大成功。
「おっちゃん、また連れてってな!」
彼らは、実にかわいい、無邪気な子供たちなのだ。
その反面、やっとの想いで軌道修正したり、手助けしようとしていた子供たちを、
最後まで見届けることができず、否応無く、縁が切れることも多い。
たとえば、<実例7>で紹介した“妊娠した中学生”だが、その後、やむなく中絶したあと、
本人の希望もあり、学校に戻ったものの、たった1時間授業に出ただけで、帰宅してしまったという。
彼女にしてみれば、1年も休学していたわけで、知っているクラスメイトも無く、居たたまれなかったに違いない。
彼女はもう二度と、学校へは行きたがらないだろう。なにしろ、そこに、彼女の居場所が無いのだから・・・。
こんなとき、おっちゃんなら数々の経験から、その辺の彼女の気持ちが手にとるようにわかってあげられる。
だから、こんな場合は、おっちゃんなら、まず、先生と学校に頭を下げ、重々頼み込んだうえで、
友達になってくれそうな子とコンタクトを取り、彼女をクラスになじませて(守って)もらえるよう、配慮する。
そして、じらす訳でもないが、彼女には、「今日は1時間だけ、ほな、明日は2時間な・・・」というふうに、
リハビリ的に学校(授業)に慣らしていくはずだ。
でも、親は、聞きかじりの助言だけで、
子供の希望(復学)が、自分にとっても「願っても無いもの」だったためか有頂天となり、
つい、自分だけで先走ってしまったようだ。
先生にだけは相談し、お願いもしたらしいが、友達までは気が回らなかったらしい。
それとも、娘を信じ?学校にさえ行けばなんとかなる!と期待していたのだろうか。
結局は、せっかくの彼女の「願い」と「きっかけ」を、思いがけずも、ぶっつぶしてしまったのだ。
おまけに、おっちゃんに連絡してきたのは、ことが全部終わってから、というお粗末さ。
そんなつもりはなかったにしろ、これでは、問題が難しくなってしまうばかりだ。
「子供たちが親のエゴに振り回されている」と、おっちゃんは嘆く。
それでも頼まれれば、おっちゃんは全力でことに当たるだろう。
が、哀しいことに、事態が一歩でも好転しそうになると、
親が、おっちゃんの助言を拒否してくる(油断してしまう)ことが往々にしてあるのも事実なのだ。
狼少女に学ぶ 狼に育てられた二人の少女は、救出後、「アマラ」「カマラ」と名づけられたが、姿形は人間でも、
彼女たちの考え方や行動は、狼そのものだった。
昼間は部屋の隅でうずくまり、近づく者には歯を剥き出し唸り声をあげて威嚇し、
暗闇の中を四つんばいで行動し、生肉を食いちぎる・・・。
およそ、人間としての意識や心は覚醒しておらず、“人間の形をした狼”そのものだったという。
これは、人間が「人間」として成長するためには、「教育」が欠かせないことを証明する実話といえる。
では、おとなしく読み書きができれば人間といえるのだろうか?
もちろん、NOだろう。人間が「人間」であるためには、学問(知識)より心(道徳)の成長が不可欠である。
では、なにが善で何が悪かを知れば、「人間」になれるのかといえば、そこにも多少、疑問が残る。
たとえば、われわれは時として、“自分が正しい”ことを主張するために、相手を非難する傾向がある。
しかし、見方を変えれば、また、習慣・風習などを考慮すると、
自分と考え方や感じ方が違うからといって、一概に非難できないものも多い。
そんなことを考えると、他を認めることのできる器をもった、一緒に最善策を探ることのできる心の余裕をもった「人間」、
つまり、どんな状況下においても、自ら判断・決断し、自ら責任を持って行動できる自立した「人間」
となることが望ましい。
おっちゃんがやっている「教育」が、まさに、この「人間教育」。
つまり、“人間として自立させること”をはっきりと最終目的として見据え、
そのための環境を全力で整え、後押しをしているのだ。
暴れる子供たち、脱線する子供たちの多くが、“どうしたらいいのかわからない”ことを理由に、むちゃをやる。
確かに、子供たちを取り巻く環境は厳しい。
親の不仲、果ては離婚、それに伴う経済の不安定さ、人間関係・・・。
これらの問題は、ティーンエイジャーである子供たちには荷が重く、
どうしようもない苛立ちから自暴自棄となることも多い。
狼少女の実話からもわかるように、本来、知識を養うための「学校教育」の前に、
家庭や地域で、道徳の問題を含めた「人格教育・人間教育」が、ある程度培われていることが必要だ。
そういう骨組み、肉付けができていて初めて、スムーズに、頭脳に知識が吸収される。
もちろん、共同生活のルールや、チームワークなどの人格・人間教育も平行して行われることになるが、
それらを受け入れる心構えも、ある程度の人格・人間教育ができていなければ、
とても身につくものではないことは、容易に想像できる。
極論をいえば、現代は、家庭や地域での人格・人間教育がなされないまま、
いわば、「人間」となっていない子供たちが、いきなり、学校に放り込まれ、社会に出て行くようなものだ。
これでは、学級崩壊や頭をひねるような不可解な事件が起こるのも、逆に、当たり前のような気がする。
子供を「人間」として育てることの大切さを思えば、親業の崇高さ、そこに尊厳すら感じられるし、
それに伴う重大な責任があることもわかる。
環境問題もそうだが、教育問題も、言い訳ばかりして被害者ぶるのではなく、
“自分が加害者である”意識こそが、本当に必要なのだとつくづく思う。
<実例7 中学生の妊娠>
わんど塾が抱えている問題に、ある中学生の妊娠がある。
親となるにはあまりに幼く、それを親業(使命としての仕事)として、
社会に対する責任や、ひいては生命に対する尊厳を架すには、あまりにも未熟な中学生の彼女。
自立した人間を育てようとするおっちゃんとしては、方針は決まっている。
彼女に必要なのは、親業の前に、まず、人間教育だ。
肉体的な損傷だけでなく、心の傷も深く大きいはずだが、
その代償を考えても、今は、彼女が学校に戻ることのほうが大切だとおっちゃんは思う。
夏休み前に相談を受け、できれば2学期から学校に復帰できるよう手助けしようとしたが、
彼女の親に理解が得られず、2学期が始まってしまった。
実は、もう二度も面接の機会がドタキャンとなり、おっちゃんが現地に行ったことは、無駄足となった。
おっちゃんの秘密のブレーンリスト?を駆使すれば、会わずに電話だけで事が進むことも、なくはない。
しかし、今回はそういう類の問題ではないだけに、心配だ。
環境を整えてやることができない子供たちも、いる。
そこには、経済的な問題も含めて、原因はいくらでも探せる。しかし、おっちゃんが愚痴に溺れることはない。
おっちゃんを必要とする子供たちが溢れていることも事実だが、おっちゃんには、大切なあの理念があるからだ。
“だれも責めない、だれも見捨てない、ただひたすら待つ”
子供たちのプライドと、大人としての恥。 2002.8.22おっちゃんが、子供たちに教えたいことがある。
それは、子供たちの持っているプライドが、勘違いの産物である可能性があるということ。
もちろん、頭ごなしに、「そんなモン、プライドでもなんでもないわ!」と言ってしまっては、おしまいだ。
たとえば、群れている子供たちの中には、“ひったくり”をやっている連中もいる。
仲間でさえいれば、誰かのお金で、みんなと一緒に行動(遊んだり食べたり)できるし、
“パシリ”などやって、仲間うちに、自分なりの地位?が、確保できている間は、まだいい。
ところが、彼らの中には、家出してきた子供たちも含めて、お金のない子がほとんどだ。
それでも、たまには自分もお金を提供しないと、なんとなく仲間として居ずらくなってくる。
女の子の中には“身売り”する子まで出てくる。そんななか、手っ取り早く“ひったくり”をしてしまうのだ。
こんなことが度重なると、警察も本気だから、グループの指名手配が出てしまう。
おっちゃんは、犯罪については、断固、罪を自覚させ、それを償うことを勧める。
悪いことをしたら、「ごめんなさい」をちゃんと言おう!という、当たり前のルールを教えているのだ。
<実例6 逮捕の朝〜彼女のプライド(けじめ)〜>
家出をして、ひったくりで指名手配された彼女に、おっちゃんの話が通じて、
「おっちゃんがそこまで言うなら、自首してもええわ!」ということになった。
彼女にとっては、あくまで、ビビってゲロしたんではなく、
「おせっかいなおっちゃんがあんまり言うから」という、
彼女なりの言い訳(きっかけ)が必要だったのだ。
ところが、彼女が自首したのは、深夜1時。
当直の警察官は、こともあろうに、「明日9時に、また来なさい」と言って、彼女を帰してしまった。
要するに担当(少年課)がいないから、指名手配のこともわからないまま、
変な言いがかり?でもつけられたら・・・と思ったかどうかはわからないが、
せっかくの機会をつぶしてしまったのだ。
その後の説得で、なんとかまた自首することになったが、あいかわらず行くのは深夜だ。
このときばかりは、おっちゃんから警察に電話をして、
「世間話でもしながら、とにかく引き止めておいて、翌朝、担当者に引き渡してください」
と頼み込んだ。
なんでここまでせなあかんのか、とも思うが、“彼女のため”と思えばこそだ。
とにかく、ここからしか、彼女のやり直しは効かない。
心から「ごめんなさい」を言わないと始まらない。
もちろん、翌朝は、少年課の刑事の手で、即“逮捕”となった。
この“逮捕”が、彼女にとって、ひとつのショック(きっかけ)を与えてくれたことを信じたい。
子供たちは、売られたケンカは、買ってしまう。そうじゃないと、仲間から臆病者とみなされるからだ。
しかし、しょーもないことで、売られたケンカに、乗ってしまうことこそ、恥ずかしいことだと教えてやると、
子供たちは、よくわかってくれる。
誰かが疑いをかけても、「あいつだけは、そんなバカなこと(おとなげないこと)は、やらないはずだ!」
と思われることが“カッコええんとちゃうか!”それが、ホンとのプライドだと、子供たちはちゃんと理解する。
“おとなげない”を変換すると“大人気ない”となる。おとなげない人は、友達から人気もないに違いない。
種まきをして1年で実をつける作物もあれば、10年経って木になるものもある。
その間、よかれと思っていじくりまわして、かえって余計なことをしてしまうこともある。
時代ごとに常識で固められた人間を教育しなおすのに、だいたい100年はかかるという。
おっちゃんの種まきは、それくらいのスパンを覚悟で行われている。
収穫の頃は、もちろん、おっちゃんは生きてはいない。
でも、その精神だけは、子供たちの心に浸透しているはずだ。
立派な大人として、人格者として、人間が成長すれば、いい世の中になるに違いない。
おっちゃんは、小さな種をまきながら、誰よりもでっかい夢を見続けている。
子供たちから、「戦争」について、真正面から質問されたとき、あなたなら、どんなふうに答えますか?
戦争を繰り返してはならない。戦争は悲惨だ。罪もない人が犠牲になる。勝っても負けても何も解決しない・・・。
なら、どうして、大人は、今でも戦争を続けているの?
子供たちは、ある意味、大人(親、先生)や学校や社会を、「良識あるもの」として認めている。
だからこそ、“こうあるべきだ、こうあるはずだ”という想いが強い。
そして、その想いが強ければ強いほど、現実とのギャップに、「怒り」が爆発してしまうのだ。
つまり、大人も社会も、本音ではなく、建前で生きていて、子供たちから見れば、「ウソ」が横行しているということだ。
“言ってることと、やってることが違うじゃないか!”
これが、子供たちの「怒り」の原因であり、大人や社会の「正体」だ。
おっちゃんは、子供たちに、こんな風に答える。
『自分が、加害者の立場で、ものごとを考えてごらん。
そうすると、本質が見えてくることがあるよ。』
戦争も、環境破壊も、われわれは、つい、自分を「被害者の立場」で考えようとする。
国が始めた戦争だから、金儲け優先の企業がどんどん「もの」を作るから・・・、
それは、自分をかばおうとする「本能」かもしれない。でも、実際には、「責任転嫁」以外の何者でもない。
企業にしろ、国にしろ、人間がやっていることだ。
それでも、われわれは、自分で責任をとろうとせず、社会に責任転嫁してしまう。
公害、エイズ、ダイオキシンに代表される環境ホルモン、BSE(狂牛病)、遺伝子組替作物、農薬を含む食品添加物・・・、
誰も、本気で、責任をとろうとはしない。“自分こそが、加害者だ!”という意識に、欠けているからだ。
戦争も同じで、いつまでも、被害者意識では、問題解決にはならない。
南京大虐殺、731部隊の人体実験、特攻隊・・・、
原子爆弾で、一度に大量の死者が出たから、悲惨なのではなく、
孤島で餓死した兵士達ひとり、ひとりが、悲惨なのだ。戦争には、正義もへったくれもない。
世界中の人々が、“武器を持たない、戦争をしない!”
もうそろそろ、そんな本音を、本気で、語り合う時期なのではないだろうか。
そして、ひとりの大人として、“決して責任逃れをしない人格者”としての意地?を、
子供たちに見せることこそ、ほんとうの教育「人格教育」だと、おっちゃんは信じ、
今日も、子供たちと、彼らを取り巻く環境(学校、親、社会)と、本気で向き合っている。
復学や就職をさせてしまうと、親や先生は、正直、やれやれ・・・と、思うらしい。気持はわかる。
でも、決してそうではないことを、経験上、おっちゃんは、よく知っている。
美容室に就職した少年も、なかなか、職場になじめず、その後、転々と職を変えていたらしい。
親からは、美容室に勤め始めた頃は、何度か連絡があったものの、
そこを辞めて以来、ぷっつりと連絡が途切れていた。
そして、どうにもこうにも仕方なくなって、また、連絡してきたのである。
途中経過を聞いていれば、いくらでも打つ手はあったものを、
どうにもこうにもならなくなって連絡されても、ことは、難しく、複雑に入り組んでしまっている。
今回、おっちゃんは、このあまりにも無礼!?な依頼に、まず、親御さんに教育的指導をしたという。
「うまくいっているときには連絡はいりません。どう、対処したらいいのかわからなくなったら、
たとえば、恥ずかしいことや困ったこと、聞かれたくないことが起こったら、すぐに連絡するようにしてください。」
少年が、もう一度、美容師を目指すというので、なんとか就職させたものの、イジメにあっているらしい。
ハサミを壊されたり、クシを隠されたり、モデルの人形の髪がズタズタにされたこともあったという。
おっちゃんは少年に、イジメっ子を相手にせず、逆によく観察してみることを勧めている。
イジメられっ子には、本人にはかわいそうだが、いじめたくなるタイプというのも確かにあるし、
どれくらい、我慢できるか、試されているケースもある。
また、本人にそんな気はなくても、知らずに相手を刺激している場合もある。
いずれにしても、反応すればするほど、イジメがエスカレートするのは目に見えているので、
無視するのがいちばんだ。
本人にも、イジメという行為に反応せず、観察することで、その本質を見抜く力を養って欲しい。
もともと、学校という小さな社会の共同生活にさえ、同調できなかった子供たちが、
もっと荒々しい実社会で、就職するのだから、問題が起きないほうがおかしい。
どんなに小さなことでも相談に乗り、見守っている大人がいることを実感してもらうことから、人格教育は始まる。
おっちゃんが関わってきた150人弱の塾生たち、彼らが本当にわんど塾を卒業するのは、人格者になったときだ。
おっちゃんは、人格者となった彼らが大人になったとき、きっと世の中は変わると信じて、
今日もコツコツ、「種まき」を続けている。
暴れる子供達、彼らが、なぜ暴れるのか、その原因を探っていくと、数々のストレスが見えてくる。
複雑にいりくんだストレスを、うまく言葉にできず、聞いてくれる人もなく、結果として暴れてしまう。
つまり、暴れることは、彼らの過激な「SOS」であると同時に、ストレス発散の手段でもある。
ストレスなら、誰だって、売るほど持っている。
だから、「それくらい?」のことで、暴れるのは、甘えん坊だ。
赤ん坊が、おなかが減った、暑い、気持ち悪い、と言って、ぐずっているのと、かわらないじゃないか!
やっぱり、暴れる方が悪い。とりあえず暴れないよう、押さえつけてしまえ!
しかし、これでは問題は解決しない。
「わかってもらえない」反動から、もっと過激な行動に出るか、逆に、ひきこもってしまうか・・・、
いずれにしても、そうなってからでは、原因を探ることは、より難しくなってしまう。
<実例 その4> 就職したけれど・・・
どうにか中学卒業まで、こぎつけた少年を、あるプレス工場に就職させることができた。
ところが、この少年、8時始業にもかかわらず、「9時からしか働かれへん」と言い出した。
さらに、隔週土曜休みがイヤだと言って、「完全週休2日制」のアルバイト扱いに変更してもらった。
おまけに、彼の友達は、みな高校生。彼らと遊ぶために、こんどは「夏休みが欲しい」ときた。
ここで堪忍袋の尾を切るのは、時期早々と、おっちゃんは言う。
なぜなら、友達の高校生が卒業すると、彼らも就職するから、自然と遊ぶ相手がいなくなる。
つまり、これから、せいぜい3年間のわがまま(少年にとってのストレス)を、
回りの大人たちが受け止め、我慢できるかどうかが問題なのだそうだ。
たとえば、子育て。子供たちは、遅くとも二十歳前後までで、イヤでも親ばなれしてしまう。
長い人生から見れば、親を頼ってくれるのは、ほんの20年足らずといえる。
だったら、その間、イヤというほど、子供達と真剣に関わっていくべきではないのか。
その絆があればこそ、その後の付き合いも、スムーズにいくはずだ。
わんど塾の子育ては、子供達を遊び疲れるまで、遊ばせて、まずストレスを発散させることから始まる。
そのかわり、気づけば、「そういえば、わんどがあったなぁ」と、思わせることが大事だ。
ストレスのなくなった子供達は、気持ち悪いくらい?素直に聞く耳を持っているという。
そうなって初めて、次の段階の(社会)教育が始められる。それからでも、決して遅くはない。
押さえつけられ、さらに過激になって、手のつけられない状態になってしまうことに比べれば。
もちろん、SOSを出せずに、ストレスと戦っている普通の子供達はたくさんいる。
そうやって、みんな頑張っているんだから、やっぱり暴れる子は悪い!と決めつけてしまわずに、
せめて、SOSと言っているのだから、助けてあげたい!
やれることから、せいいっぱいやる!それが、わんど塾の姿勢だ。
でも、甘やかすばかりじゃない。
おっちゃんが、就職した子供達に、実行させることが二つある。
一つ目は、最初のお給料は、全額、貯金させること。
最初だから、回りも何とか認めてくれる。子供達には、余裕ができる。
できれば、貯金することに興味を持たせ、数年経てば、資金(100万円単位)ができることを教えてあげる。
二つ目は、モーニングコールをさせること。
生活のリズムが狂いがちな子供達に、会社へ行く前にワンコールさせ、こちらから電話をかけなおし、声をかける。
生活リズムを作り、環境を作ってあげることは何より大切。子供達のようすもわかる。
なるほど・・・しかし、これをアフターケアだと思ったら、大間違い。
子供達はいつでも進行形で、いつでも簡単に現状を放棄し、勝手に「ふりだし」へ戻ってしまう。
モトノモクアミなんて、ショッチュウ。やってられないぜ!こっちのストレスの方が爆発しそうだ。
そんなとき、基本理念が呪文のように、よぎる。
「だれも責めない、誰も見捨てない、ただひたすら待つ。」
わんど塾の信念は、絶対だ。 ね、おっちゃん!
どんな問題を持ち込まれても、おっちゃんのスタンスは変わらない。
問題の起こっている今を最悪として、絶対に、これより悪い状況だけは作らないようにする。
中学の頃から、家出を繰り返す彼女が、泣きながら電話をしてきた。
めったなことで泣くようなタマ(失礼!)じゃない。
「あんな店で働きたくないねん。おっちゃん、助けて!」
いわゆる水商売の店で働くよう、母親に言われているらしい。
おそらく母親は、わずかながらも、その知り合いの店から支度金をもらっているのだろう。
「どうしても、そこで働かなあかんのやったら、家出する!」と彼女は必死だ。
「わかった。とにかく、わんど塾においで。」
おっちゃんは、こう、考えた。
「まず、しばらくは、母親と距離をおき、その間に、職安に連れて行って、
早く就職させなあかん。一度、店も訪ねて(飲みに行って)みんとな。」
相応な覚悟がなければ、支えることなど、できるはずもない。
そして、さっそく実行。
ちょうど、彼女から、交通事故で入院している友達を見舞いに行こう!と提案があった。
最近ちょっと、わんど塾から足が遠のいていたため、自分からは連絡しにくかったらしく、
電話してみると、「おっちゃん、いつ来てくれるん?」と、嬉しそうに返事が返ってきた。
関わっている問題は山のようにある。今日しかないと判断し、さっそく彼女と共に見舞いに行く。
見舞いといっても、おっちゃんが、花とか、ケーキとか、買っていくはずもない。
「なにか、困ってることないか?」と、おっちゃん。
「ケイタイの料金払ってないから、とめられてん。銀行に連れってって!」
とりあえず銀行へ行く。支払いは、ショップでしか受け付けられないらしい。
病院の近く(高槻市)でショップを探すが見つからない。
大阪なら知ってるショップがあるというので、大阪市内へ。
やっと、ケイタイが使えるようになり、彼は嬉しそうだ。
見舞いの帰路、彼女がおっちゃんに聞いた。
「なんで、おっちゃんは、そこまで、できるん?」
冗談じゃない。中学時代から、おっちゃんをさんざん振り回してきたのが、おまえやないか!
そう思いながらも、おっちゃんは答える。
「本当のお見舞いは、本人の希望するものを、本人の欲しい形であげることやろ。」
見舞いのあと、彼女のために職安に行くつもりだったが、ショップ探しで時間がかかり、行けなかった。
あしたは彼女も、愛知県の「知多わんど」(定例懇談会)へ、連れて行ってみよう。
そう、とりあえず、彼女を守りつつ、他の問題も、ひとつずつ着実に解決していく。
「一生懸命やっとったら、天も味方してくれる。うまいこと、なんとか、なるもんや!」
やっぱり、おっちゃんは、ピコピコピー(時間制限)のない、ウルトラマン?かもしれない・・・。
キャッチボールのススメ 2002.7.16球技の苦手なわ・た・しは、ボールに対するセンスが欠如している。
だから、キャッチボールもまるでヘタクソだった。
飛んでくるボールに向かっていくから、ボールを弾いてしまって、うまく取れない。
「ボールを迎えるつもりで、とにかくすべて受け入れてあげるんだよ!」
そんな“引いて取る”コツを教わって初めて、なぁ〜るほど!となるわけだ。
続き始めると、これがけっこう面白い。
続けることが目的だから、お互いに、相手が受け取りやすいよう、投げる強さや方向に気をつける。
“話のキャッチボール”というが、うまい表現だと思う。
まずは、相手の考えをよく聞いてあげることで、こちらの意向も伝えられる。
相手を責めているうちは、問題解決には決してならない。
わんど塾の基本理念にも、いちばん最初に掲げてある。「誰も責めない」と。
<実例 その2> そんな、当たり前のこと!
小学生の子供同士で、いざこざが起こり、
加害者となった子供の親が、学校から呼び出しを受けた。
初めは、被害者意識を捨てきれず、言い訳ばかりしていた母親。
学校が悪い、先生が悪い、○○ちゃんが悪い、なんでうちの子が・・・
先生とも、相手とも、敵対するばかりで、問題は、どんどん、こじれていく。
これが最後の話し合いというときに、おっちゃんに連絡があったらしい。
かなり怒っているようすの母親から、よ〜く話を聞いたうえで、おっちゃんは言った。
「立場を変えて考えてみてください。あなたが先生だったら?あなたが被害者の親だったら?
文句ばかりいわれていても、腹が立つだけでしょう。
加害者である以上、先生には、とにかくお願いをする。被害者には、とにかく謝り倒す。
それができない限り、どうにもなりませんよ。」 「そんなこと、できません!」
でも、おっちゃんの言ったことが引っかかっていたのか、後で電話がかかってきた。
「学校の先生に、協力してもらえることになりました。」
「言いたいことは山ほどあるでしょうに、今日は、ずいぶん抑えておられましたね。
私共も、できるだけ協力させていただきます。」
と、先生から労(ねぎら)いのことばをもらったという。
「やっと、第1ラウンドや。もう少しで、試合もできず、決裂するとこやった。」
と、おっちゃんは笑う。
「忙しいといっている父親にも謝ってもらわんとな。」おっちゃんの第2ラウンドは始まっている。
誠心誠意、親が問題を処理する姿、一緒に謝ってくれる姿を見て、子供は学ぶのだという。
自分が起こした事件の重さ、親の気持ち、自分の気持ち、
そして、いつか自分が親になったとき、どうやって問題を解決すればいいのか、まで。
これは、まさしく親が子に示す教育だとおっちゃんはいう。
そのうち、お互いに気づくのかもしれない。本気で謝っている自分に。
親は、子供がこんな事件を起こすまで、わかってあげられなかった、自分自身の不甲斐なさに。
子は、親にこんな思いをさせてしまった、自分のわがままに。
キャッチボールをしていて、ボールを返すことを忘れてしまったとき、そのボールはストレスになる。
たとえば約束を忘れてしまった、守らなかった、ちゃんと謝りもしない、そんなことが続くと、
子供達は、ボールをもったまま、どうせ無駄だとあきらめて、返そうとしなくなる。
そんな時、「なぜ、返さないの?」とその行為を責める前に、
「なぜ、返さなくなったのか?」その原因を解決しないと、ボールは、もう二度と、返ってこない。
家庭で、会社で、社会全体で、楽しくキャッチボールを続けたいものだ。
おっちゃんが「何よりも大切にしたいもの」 2002.7.10それは、とことん、助けを求める子供達と向き合うこと。
山小屋の鉄則は、訪れた登山者を決して拒まないことだ。
悪天候でキャンプが張れず、駆け込む登山者に、「定員オーバーですから」などといって断われば、
その登山者は、死をも含む危険に遭遇してしまうことになる。
他の登山者も、それは百も承知だから、たとえ、「タタミ1畳に二人」という待遇をも甘んじて受け入れる。
実は、わ・た・しも、北アルプス(白馬)で経験したことがある。
あの時は大雨のため、持ち物はびちょびちょで、湿気が多く、実に寝苦しかった。
「わんど塾」とは、そんな山小屋に似ている。
ところが、このおっちゃん、そんな「わんど塾」の存続より、もっと大事にしているものがあるのだ。
それが、spirit(スピリット、精神・心)、つまり、基本理念だ。
“誰も責めない、誰も見捨てない、ただ、ひたすら待つ”
これは、おっちゃんの信念でもあり、存在価値でもある。
そもそも、「わんど塾」は、寄付金(一口、千円)によって成り立っている。
もちろん、強制力など何もなく、まったくの善意による寄付なので、不確かこのうえない。
講演会などで、おっちゃんの話を聞き、「わんど塾」に賛同し、会員になってくれても、
それが継続される保証など、どこにもないのだ。
「わんど塾」を求めてくる子供達がいる限り、「わんど塾」は確かに必要だ。
でも、そのことと、「わんど塾」存続の必要性は別だと、おっちゃんは言う。
たとえば、「わんど塾」存続(資金集め)のために、おっちゃんが講演会や執筆活動などに、かまけたとしよう。
そしたら、いつ来るかわからない、子供達の対応を、いったい誰がするのだろう。
第一、子供達と向き合うこともなしに、講演会で話したり、ものを書いたり、できるはずもない。
つまり、資金集めに奔走するくらいなら、「わんど塾」は要らないのだ。
そんな場所がなくても、おっちゃんなら、イス一つあれば、いや、イスなんかなくても、
駅構内や河川敷で、ダンボール製の看板かなんか首から吊り下げて?
どこでも相談コーナーを作ってしまうに違いない。
それが、おっちゃんの生き方、覚悟なのだ。
「そんな、しんどいこと、頼まれても、よ〜せんわ!」普通は、そうだろう。
だからこそ、そんなことを、率先してやってくれる「おっちゃん」を、「わんど塾」を、つぶすまいとして、
いつのまにか、寄付が集まる。(もちろん十分なはずはなく、いつもピーピーらしい・・・)
それでもおっちゃんは、へーきなものだ。
なぜなら、「必要なら、きっと続けられる!」その自信の裏に、並々ならぬ覚悟を秘めているから。
子供達と、うまくコミュニケーション、とれていますか?
家庭や学校で、子供達との間にイザコザが持ち上がったとき、
もしかしたら、解決してくれるかもしれない、おせっかいなウルトラマン?がいてくれたら、
相談してみますか?
このおせっかいなウルトラマンは、通称「おっちゃん」と呼ばれています。
そう、ほんまは、ウルトラマンとは似ても似つかない、ちょっと癖のありそうな、
どっちかというと、最後に、「ワシが犯人の宇宙人や!」といって登場しそうな人?なのです。(^^;)
でも、おっちゃんの解決の仕方は、とことん誠心誠意です。
それは、わ・た・しが保証します。(どんな保証やねん・・・うぅ〜ん)
とにかく、一度、付き合ってみればわかりますって。
おっちゃんの守備範囲はかなり広く、特にティーンエイジャーには目がない、
いや、変な意味じゃなく、ホンとに、つねに真剣勝負です。
その辺のレポート(実例)は、追い追い紹介していきますので、
読者?である、あなた自身で判断し、その気になったら、直接、ご相談ください。
紹介者である、わ・た・しは、一切の責任を持ちません。(なんやねん、それって・・・)
<実例 その1> ある母親からの電話(相談?)
この人からの電話は、初めて、ではない。
娘さんがプチ家出を繰り返すので、たぶん、そのたびに電話をしてくる。
誰かに話を聞いてもらいたいのだ。それで、少しは安心したいのかなぁ。
しかし、この日の電話は、出て行ったのではなく、帰ってきたという電話である。
「数日前、男の子と帰ってきました。いつもの彼ですわ。で、娘の部屋にいっしょに泊まってます。
いま、二人で、祭りに出かけていったところです。」
母親は、彼と娘さんを引き離したくて仕方がない。
でも、おっちゃんは、「小遣い、渡してあげましたか?」と、こうだ。
「えっ?」 母親だけでなく、あなたもわたしも、きっと、そう思うだろう。
おっちゃんは、「娘さんが家出しても、いつも連れ戻してくれるのが彼ですよ。
彼と一緒なら、もっと性質(たち)の悪い連中に、からまれることもないし、
第一、あてもなく、おかあさんが娘さんを探すこともないわけでしょう。
だったら、機嫌よく、お小遣い握らせて、楽しんでおいで!と言って、送り出してあげるんですよ。
その方が、万が一にも、万引きみたいなことも、しなくて済むでしょう。」
母親は、「そうですね。なんで、お小遣い、あげへんかったんやろう。今度からそうします。」
といって、電話を切ったそうだ。
普通なら、叱りたくて、非難したくて、たまらないだろう。
でも、それをすると、さらに事態が悪化することは、誰の目にも明らかだ。
おっちゃんは、まず、子供たちと話のできる状態を作ろうとする。
そのためには、北風より、太陽だ。最低でも、今よりマイナスにしてはいけない。
現状維持しつつ、だんだんこっちの話も聞いてもらい、お互いに歩み寄る。
それは決して、妥協やコビ(媚び)ではない。
問題解決は、お互いに理解しあうこと。
その手助けをしてくれるのが、まったくの第三者、(おせっかいな)おっちゃん、なのだ。
おっちゃんは言う。
家庭は、巣穴と一緒。本来、出てけ!といわれても出て行きたくないくらい
あったかい場所であるべきところ。それなのに、そうでないから、さまざまな問題が起こる。
家庭だけではなく、学校も、地域社会も、本当は、そういう、あったかいところであるべきだ。
巣穴のない、居場所のない子供達があふれている。
「わんど塾」は、そんな居場所のない子供達に、いつでも集える場所(巣穴)を提供したいと思っている。
そして、親、先生、地域の大人たちを巻き込んで、みんなで、子供達を守ってやりたい、
それが、「わんど塾」の、わたしの目指す、『基本理念』です。
つまり、“誰も責めない、誰も見捨てない、ただ、ひたすら待つ”
「わんど塾」には、どんな状況下であろうとも、変えてはならない信念があるのです。
いかがでしょう。
少しは、おっちゃんが、ウルトラマンらしく見えてきましたか?(^O^)/
わんど塾 塾長 山藤(さんとう)忠雄 TEL&FAX 072-871-7277