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<2002年 わんど塾のできごと(抜粋)>


 おっちゃんがのけぞった!?〜嬉しい誤算〜

                               2002.10.24

わんど塾を支援してくれている、ある芸能人から、大阪講演のチケットが手に入った。
おっちゃんは、がんばっている塾生たちにプレゼントしようと、電話をかけてみた。


<実例9 社会人としての責任>

わんど塾設立当初から関わっている彼女は、おっちゃんとの約束を破ることはショッチュウ、
その期待を裏切ることも数限りなく、そのたびに、自分でも自分が嫌になるらしく、
家出を繰り返しては、音信不通になることも二度三度ではなかった。
が、19歳の誕生日を迎えるこの夏に就職をし、3ヶ月の試用期間中、真面目にがんばった結果、
つい最近、正社員となり、年金手帳と健康保険証をもらったばかりだ。
彼女のように「素行不良」というレッテルを貼られ、中途採用で、
しかもアルバイトとなれば、世間は冷たい。
いつまでもつやら・・・という疑心暗鬼な好奇の目の中、彼女はよくがんばった。
そんな彼女が、
社会人として認められた証としての年金手帳や保険証でもある。
「これ、なに?」という彼女に、おっちゃんは、社会人としての権利が認められたことだけでなく、
同時に責任を負わされたことも、抜かりなく教えた。
そして、本当にがんばったご褒美に、チケットの件を切り出したのだ。
ところが、「おっちゃん、その(土曜)日は、仕事になるかもしれんから、返事でけへん・・・。」
“う、うそやろ。この子の口から、こんなことばがでてくるなんて・・・!”
彼女が喜んで、「うん!」といってくれるものと確信していたおっちゃん、思わずのけぞり、
“また、裏切られたぁ〜!”そして、じわじわ嬉しさがこみあげてくるのだった。



思えばこの3ヶ月、毎朝のモーニングコールで励まし、帰社後はわんど塾で夕食をともにし、いろいろ話を聞き、
経済的にはかなり苦しい家計の足しにと、何がしかの野菜などを持たせ、帰宅させることもあった。
初めての給料をもらってまもなくの夏の終わり、彼女が末の弟をわんど塾に連れてきた。
弟は、経済的理由から、生まれてまもなく施設に預けられ、この春、高校生になったが、
そのまま施設から通学している。
さまざまな理由から施設に預けられる子はいても、彼のように、長期間施設にいる子は珍しい。
おっちゃんが、彼が卑屈になってないかと、その胸のうちを懸念して聞いてみると、
「いじめられたときは、兄弟がうらやましくて、親に腹も立ったけど、今はなんとも思ってへん。」という。
イジメは、年下の子がパシリに使われるくらいで、陰湿なものではなく、それよりむしろ、
悪いことをしたとき、ボイラー室に閉じ込められることのほうが、よほど効いたそうだ。
また、施設から高校へ通うことについても、
高校は、広範囲から学生が集まるので、中学のときのように諸事情を知る人はむしろ少なく、
「友達もできたし、野球もやってる。楽しいよ。」というので、安心した。

夕食前に、いただきものの大粒のブドウを4房ぜんぶ平らげ、ご飯も大盛り4杯をおかわりした。
おねえちゃんである彼女が気を遣い、「ほんまに、よう食べるな〜。おっちゃん呆れたやろ。」というので、
「若いときはそんなもんや!」といったものの、おっちゃんも正直びっくりした。
心配して聞いてみると、たまに家に帰っても、「なんとなく気を遣うから、ごはんのおかわりはしない。」という。
そんなことならと、漬物やら、残り物やらで、でっかいおにぎりを作らせた。
ふたりは「はだかの大将みたいや。」と笑って、嬉しそうに持って帰った。
貧乏を恥じたり、卑屈になることもなく、明るく自然に振舞う姿が実にすがすがしく、頼もしささえ感じられた。
厳しい家庭環境ゆえに、家族が支えあい、そこに、いたわり合いや人を思いやる心が育つ。
彼女も、自分が家計を助け、早く弟を施設から引き取り一緒に暮らしたいと望んでいる。

これまで何度も約束事を途中で放り出し、期待を裏切り続けてきた彼女だが、就職後、確実に成長してきている。
不良品の検査をするのが彼女の仕事だが、その不良品の多さを心配し、社長に直訴したり、
納期のことを視野に入れ、残業も進んで受け入れ、せいいっぱい責任を果たそうとしている。
チケットの話から、そんな彼女の成長を実感できて、おっちゃんは、ほんっっとに、嬉しい。


次に電話をかけたのが、いわゆる“金属バット少年”。
他校へ殴りこむほど、さんざん大暴れしていたが、
この17歳の春、急に高校へ行きたいと言い出し、今は、働きながら定時制高校へ通っている。
働くといっても、「土日は絶対、働かへん。」とダタをこねる、あの少年である。
<実例4>
「おっちゃん、その日ィな、バイトが入りそうやねん。」
なにィ?土曜日も働くんかいな。そうか、そうか。ほんまかいな・・・。そうか、そうか。
おっちゃん、彼の変わりように、すっかりパニクっている。

彼も当初から、塾生となり、おっちゃんは振り回された。何をやっても長続きしない。
周りを敵とみなし、攻撃する。半端じゃなかった。
それでも、ずっと塾生として関わりつづけた結果、高校入学も全面的にバックアップできた。
彼は、掛け算も知らないくらいだったので、受験の準備は算数から始まった。
熱心な支援者が個人教授を引き受けてくれて、彼も時間を見つけて、がんばって勉強した。
合格したことを知った中学の先生が、絶句し、目を回すくらいびっくりしたのも十分うなずける。
その彼が、仕事を理由に、誘いを断ることなど、思いも寄らなかった。
またもや、おっちゃん、のけぞった!

三番目に電話したのは、母子家庭にもかかわらず、仕事も勉強もがんばっている少年だ。
「おっちゃん、その日、野球の試合があるねん。準決勝やから、抜けられへん。」
チームメイトと地道に戦い、順々に勝ち進んでの準決勝だという。
断られても、おっちゃんはウキウキだ。こんなに嬉しいことはない。

三人三様の成長は、おっちゃんにとって、なによりのプレゼントだ。
「そんなわけで、芝居を見に行くメンバーがなぁ、なかなか決まらへんのや。」
電話の向こうで、おっちゃんが、にやけている。




 夜遊びのススメ!?           2002.10.2

ってなわけ、ない!と思うのが、素人の浅はかさ。
おっちゃんは・・・、たとえば、「夜釣り」の楽しさを教えてしまうのだ。


<実例8 どしゃ降りの中の夜釣り>

天気予報では、雨になるのが予測できたが、
先生(自由参加)も一緒の夜釣りなので、休みの前夜しか予定が立てられない。
働いている塾生のスケジュールは、もちろん最優先だ。
それに、おっちゃん自身も、なかなか忙しい。
そんなこんなで、天気のことなんぞ、知ったこっちゃない!といった状況で決行された。

夕方、5時。一応、天気の心配をしながら、期待を胸に出発する。
(ドキドキ、わくわく)
途中で、お弁当を仕入れる。
季節だし、ちょっと贅沢をして(プラス200円程度)、ホカホカの“マツタケ弁当”にした。
(おいしそう、わくわく)
釣り場に到着すると、やっぱり、パラパラ小雨が降りだす。
“釣れるかなぁ・・・” (はらはら、ドキドキ)
大降りになったら避難しつつ、雨が止んだら夢中で釣りに専念する。(いけ、いけぇ〜)
数時間粘って、まずまずの成果が得られた。
そして、帰り支度を整えたとたん、どしゃ降りだ。
(やったね!どんぴしゃジャン)


こんな調子で、雨に遭ったことまでが、いい思い出、いい時間になった。
なんでも楽しんでしまうのが、若さの特権。
おっちゃんは、こうして彼らの日常に、まったく違った時間を提供することで、
“いい夜遊び?”を体験させる。
バイクを乗り回したり、カラオケやったり、たむろしたりするより、“おもしろい!”と感じてくれれば大成功。
「おっちゃん、また連れてってな!」
彼らは、実にかわいい、無邪気な子供たちなのだ。

その反面、やっとの想いで軌道修正したり、手助けしようとしていた子供たちを、
最後まで見届けることができず、否応無く、縁が切れることも多い。
たとえば、<実例7>で紹介した“妊娠した中学生”だが、その後、やむなく中絶したあと、
本人の希望もあり、学校に戻ったものの、たった1時間授業に出ただけで、帰宅してしまったという。
彼女にしてみれば、1年も休学していたわけで、知っているクラスメイトも無く、居たたまれなかったに違いない。
彼女はもう二度と、学校へは行きたがらないだろう。なにしろ、そこに、彼女の居場所が無いのだから・・・。
こんなとき、おっちゃんなら数々の経験から、その辺の彼女の気持ちが手にとるようにわかってあげられる。
だから、こんな場合は、おっちゃんなら、まず、先生と学校に頭を下げ、重々頼み込んだうえで、
友達になってくれそうな子とコンタクトを取り、彼女をクラスになじませて(守って)もらえるよう、配慮する。
そして、じらす訳でもないが、彼女には、「今日は1時間だけ、ほな、明日は2時間な・・・」というふうに、
リハビリ的に学校(授業)に慣らしていくはずだ。

でも、親は、聞きかじりの助言だけで、
子供の希望(復学)が、自分にとっても「願っても無いもの」だったためか有頂天となり、
つい、自分だけで先走ってしまったようだ。
先生にだけは相談し、お願いもしたらしいが、友達までは気が回らなかったらしい。
それとも、娘を信じ?学校にさえ行けばなんとかなる!と期待していたのだろうか。
結局は、せっかくの彼女の「願い」と「きっかけ」を、思いがけずも、ぶっつぶしてしまったのだ。
おまけに、おっちゃんに連絡してきたのは、ことが全部終わってから、というお粗末さ。
そんなつもりはなかったにしろ、これでは、問題が難しくなってしまうばかりだ。
「子供たちが親のエゴに振り回されている」と、おっちゃんは嘆く。
それでも頼まれれば、おっちゃんは全力でことに当たるだろう。
が、哀しいことに、事態が一歩でも好転しそうになると、
親が、おっちゃんの助言を拒否してくる(油断してしまう)ことが往々にしてあるのも事実なのだ。



狼少女に学ぶ 
    〜人間が「人間」として育つためには〜
 2002.9.12

狼に育てられた二人の少女は、救出後、「アマラ」「カマラ」と名づけられたが、姿形は人間でも、
彼女たちの考え方や行動は、狼そのものだった。
昼間は部屋の隅でうずくまり、近づく者には歯を剥き出し唸り声をあげて威嚇し、
暗闇の中を四つんばいで行動し、生肉を食いちぎる・・・。
およそ、人間としての意識や心は覚醒しておらず、“人間の形をした狼”そのものだったという。

これは、人間が「人間」として成長するためには、「教育」が欠かせないことを証明する実話といえる。
では、おとなしく読み書きができれば人間といえるのだろうか?
もちろん、NOだろう。人間が「人間」であるためには、学問(知識)より心(道徳)の成長が不可欠である。
では、なにが善で何が悪かを知れば、「人間」になれるのかといえば、そこにも多少、疑問が残る。
たとえば、われわれは時として、“自分が正しい”ことを主張するために、相手を非難する傾向がある。
しかし、見方を変えれば、また、習慣・風習などを考慮すると、
自分と考え方や感じ方が違うからといって、一概に非難できないものも多い。
そんなことを考えると、他を認めることのできる器をもった、一緒に最善策を探ることのできる心の余裕をもった「人間」、
つまり、どんな状況下においても、自ら判断・決断し、自ら責任を持って行動できる自立した「人間」
となることが望ましい。

おっちゃんがやっている「教育」が、まさに、この「人間教育」。
つまり、“人間として自立させること”をはっきりと最終目的として見据え、
そのための環境を全力で整え、後押しをしているのだ。
暴れる子供たち、脱線する子供たちの多くが、“どうしたらいいのかわからない”ことを理由に、むちゃをやる。
確かに、子供たちを取り巻く環境は厳しい。
親の不仲、果ては離婚、それに伴う経済の不安定さ、人間関係・・・。
これらの問題は、ティーンエイジャーである子供たちには荷が重く、
どうしようもない苛立ちから自暴自棄となることも多い。

狼少女の実話からもわかるように、本来、知識を養うための「学校教育」の前に、
家庭や地域で、道徳の問題を含めた「人格教育・人間教育」が、ある程度培われていることが必要だ。
そういう骨組み、肉付けができていて初めて、スムーズに、頭脳に知識が吸収される。
もちろん、共同生活のルールや、チームワークなどの人格・人間教育も平行して行われることになるが、
それらを受け入れる心構えも、ある程度の人格・人間教育ができていなければ、
とても身につくものではないことは、容易に想像できる。

極論をいえば、現代は、家庭や地域での人格・人間教育がなされないまま、
いわば、「人間」となっていない子供たちが、いきなり、学校に放り込まれ、社会に出て行くようなものだ。
これでは、学級崩壊や頭をひねるような不可解な事件が起こるのも、逆に、当たり前のような気がする。
子供を「人間」として育てることの大切さを思えば、親業の崇高さ、そこに尊厳すら感じられるし、
それに伴う重大な責任があることもわかる。
環境問題もそうだが、教育問題も、言い訳ばかりして被害者ぶるのではなく、
“自分が加害者である”意識こそが、本当に必要なのだとつくづく思う。


<実例7 中学生の妊娠>

わんど塾が抱えている問題に、ある中学生の妊娠がある。
親となるにはあまりに幼く、それを
親業(使命としての仕事)として、
社会に対する責任や、ひいては生命に対する尊厳を架すには、あまりにも未熟な中学生の彼女。
自立した人間を育てようとするおっちゃんとしては、方針は決まっている。
彼女に必要なのは、親業の前に、まず、人間教育だ。
肉体的な損傷だけでなく、心の傷も深く大きいはずだが、
その代償を考えても、今は、彼女が学校に戻ることのほうが大切だとおっちゃんは思う。
夏休み前に相談を受け、できれば2学期から学校に復帰できるよう手助けしようとしたが、
彼女の親に理解が得られず、2学期が始まってしまった。
実は、もう二度も面接の機会がドタキャンとなり、おっちゃんが現地に行ったことは、無駄足となった。
おっちゃんの秘密のブレーンリスト?を駆使すれば、会わずに電話だけで事が進むことも、なくはない。
しかし、今回はそういう類の問題ではないだけに、心配だ。



環境を整えてやることができない子供たちも、いる。
そこには、経済的な問題も含めて、原因はいくらでも探せる。しかし、おっちゃんが愚痴に溺れることはない。
おっちゃんを必要とする子供たちが溢れていることも事実だが、おっちゃんには、大切なあの理念があるからだ。

  “だれも責めない、だれも見捨てない、ただひたすら待つ




 子供たちのプライドと、大人としての恥。 2002.8.22

おっちゃんが、子供たちに教えたいことがある。
それは、子供たちの持っているプライドが、勘違いの産物である可能性があるということ。
もちろん、頭ごなしに、「そんなモン、プライドでもなんでもないわ!」と言ってしまっては、おしまいだ。

たとえば、群れている子供たちの中には、“ひったくり”をやっている連中もいる。
仲間でさえいれば、誰かのお金で、みんなと一緒に行動(遊んだり食べたり)できるし、
“パシリ”などやって、仲間うちに、自分なりの地位?が、確保できている間は、まだいい。
ところが、彼らの中には、家出してきた子供たちも含めて、お金のない子がほとんどだ。
それでも、たまには自分もお金を提供しないと、なんとなく仲間として居ずらくなってくる。
女の子の中には“身売り”する子まで出てくる。そんななか、手っ取り早く“ひったくり”をしてしまうのだ。
こんなことが度重なると、警察も本気だから、グループの指名手配が出てしまう。

おっちゃんは、犯罪については、断固、罪を自覚させ、それを償うことを勧める。
悪いことをしたら、「ごめんなさい」をちゃんと言おう!という、当たり前のルールを教えているのだ。


<実例6 逮捕の朝〜彼女のプライド(けじめ)〜>

家出をして、ひったくりで指名手配された彼女に、おっちゃんの話が通じて、
「おっちゃんがそこまで言うなら、自首してもええわ!」ということになった。
彼女にとっては、あくまで、ビビってゲロしたんではなく、
「おせっかいなおっちゃんがあんまり言うから」という、
彼女なりの
言い訳(きっかけ)が必要だったのだ。
ところが、彼女が自首したのは、深夜1時。
当直の警察官は、こともあろうに、「明日9時に、また来なさい」と言って、彼女を帰してしまった。
要するに担当(少年課)がいないから、指名手配のこともわからないまま、
変な言いがかり?でもつけられたら・・・と思ったかどうかはわからないが、
せっかくの機会をつぶしてしまったのだ。

その後の説得で、なんとかまた自首することになったが、あいかわらず行くのは深夜だ。
このときばかりは、おっちゃんから警察に電話をして、
「世間話でもしながら、とにかく引き止めておいて、翌朝、担当者に引き渡してください」
と頼み込んだ。
なんでここまでせなあかんのか、とも思うが、“彼女のため”と思えばこそだ。
とにかく、ここからしか、彼女のやり直しは効かない。
心から「ごめんなさい」を言わないと始まらない。
もちろん、翌朝は、少年課の刑事の手で、即“逮捕”となった。
この“逮捕”が、彼女にとって、ひとつの
ショック(きっかけ)を与えてくれたことを信じたい。


子供たちは、売られたケンカは、買ってしまう。そうじゃないと、仲間から臆病者とみなされるからだ。
しかし、しょーもないことで、売られたケンカに、乗ってしまうことこそ、恥ずかしいことだと教えてやると、
子供たちは、よくわかってくれる。
誰かが疑いをかけても、「あいつだけは、そんなバカなこと(おとなげないこと)は、やらないはずだ!」
と思われることが“カッコええんとちゃうか!”それが、ホンとのプライドだと、子供たちはちゃんと理解する。
“おとなげない”を変換すると“大人気ない”となる。おとなげない人は、友達から人気もないに違いない。

種まきをして1年で実をつける作物もあれば、10年経って木になるものもある。
その間、よかれと思っていじくりまわして、かえって余計なことをしてしまうこともある。
時代ごとに常識で固められた人間を教育しなおすのに、だいたい100年はかかるという。
おっちゃんの種まきは、それくらいのスパンを覚悟で行われている。
収穫の頃は、もちろん、おっちゃんは生きてはいない。
でも、その精神だけは、子供たちの心に浸透しているはずだ。
立派な大人として、人格者として、人間が成長すれば、いい世の中になるに違いない。
おっちゃんは、小さな種をまきながら、誰よりもでっかい夢を見続けている。



 広島、長崎、沖縄・・・
  大人は、僕たちに、なにを見せたいの? 
2002.8.17

子供たちから、「戦争」について、真正面から質問されたとき、あなたなら、どんなふうに答えますか?
戦争を繰り返してはならない。戦争は悲惨だ。罪もない人が犠牲になる。勝っても負けても何も解決しない・・・。
なら、どうして、大人は、今でも戦争を続けているの?

子供たちは、ある意味、大人(親、先生)や学校や社会を、「良識あるもの」として認めている。
だからこそ、“こうあるべきだ、こうあるはずだ”という想いが強い。
そして、その想いが強ければ強いほど、現実とのギャップに、「怒り」が爆発してしまうのだ。
つまり、大人も社会も、本音ではなく、建前で生きていて、子供たちから見れば、「ウソ」が横行しているということだ。
“言ってることと、やってることが違うじゃないか!”
これが、子供たちの「怒り」の原因であり、大人や社会の「正体」だ。

おっちゃんは、子供たちに、こんな風に答える。
『自分が、加害者の立場で、ものごとを考えてごらん。
そうすると、本質が見えてくることがあるよ。』


戦争も、環境破壊も、われわれは、つい、自分を「被害者の立場」で考えようとする。
国が始めた戦争だから、金儲け優先の企業がどんどん「もの」を作るから・・・、
それは、自分をかばおうとする「本能」かもしれない。でも、実際には、「責任転嫁」以外の何者でもない。
企業にしろ、国にしろ、人間がやっていることだ。
それでも、われわれは、自分で責任をとろうとせず、社会に責任転嫁してしまう。
公害、エイズ、ダイオキシンに代表される環境ホルモン、BSE(狂牛病)、遺伝子組替作物、農薬を含む食品添加物・・・、
誰も、本気で、責任をとろうとはしない。“自分こそが、加害者だ!”という意識に、欠けているからだ。

戦争も同じで、いつまでも、被害者意識では、問題解決にはならない。
南京大虐殺、731部隊の人体実験、特攻隊・・・、
原子爆弾で、一度に大量の死者が出たから、悲惨なのではなく、
孤島で餓死した兵士達ひとり、ひとりが、悲惨なのだ。戦争には、正義もへったくれもない。
世界中の人々が、“武器を持たない、戦争をしない!”
もうそろそろ、そんな本音を、本気で、語り合う時期なのではないだろうか。

そして、ひとりの大人として、“決して責任逃れをしない人格者”としての意地?を、
子供たちに見せることこそ、ほんとうの教育「人格教育」だと、おっちゃんは信じ、
今日も、子供たちと、彼らを取り巻く環境(学校、親、社会)と、本気で向き合っている。


<実例 その5> “復学や就職”は、終わりではなく、始まり。

復学や就職をさせてしまうと、親や先生は、正直、やれやれ・・・と、思うらしい。気持はわかる。
でも、決してそうではないことを、経験上、おっちゃんは、よく知っている。


美容室に就職した少年も、なかなか、職場になじめず、その後、転々と職を変えていたらしい。
親からは、美容室に勤め始めた頃は、何度か連絡があったものの、
そこを辞めて以来、ぷっつりと連絡が途切れていた。
そして、どうにもこうにも仕方なくなって、また、連絡してきたのである。
途中経過を聞いていれば、いくらでも打つ手はあったものを、
どうにもこうにもならなくなって連絡されても、ことは、難しく、複雑に入り組んでしまっている。

今回、おっちゃんは、このあまりにも無礼!?な依頼に、まず、親御さんに教育的指導をしたという。
「うまくいっているときには連絡はいりません。
どう、対処したらいいのかわからなくなったら、
たとえば、恥ずかしいことや困ったこと、聞かれたくないことが起こったら、
すぐに連絡するようにしてください。

少年が、もう一度、美容師を目指すというので、なんとか就職させたものの、イジメにあっているらしい。
ハサミを壊されたり、クシを隠されたり、モデルの人形の髪がズタズタにされたこともあったという。
おっちゃんは少年に、イジメっ子を相手にせず、逆によく観察してみることを勧めている。
イジメられっ子には、本人にはかわいそうだが、いじめたくなるタイプというのも確かにあるし、
どれくらい、我慢できるか、試されているケースもある。
また、本人にそんな気はなくても、知らずに相手を刺激している場合もある。
いずれにしても、反応すればするほど、イジメがエスカレートするのは目に見えているので、
無視するのがいちばんだ。

本人にも、イジメという行為に反応せず、観察することで、その本質を見抜く力を養って欲しい。


もともと、学校という小さな社会の共同生活にさえ、同調できなかった子供たちが、
もっと荒々しい実社会で、就職するのだから、問題が起きないほうがおかしい。
どんなに小さなことでも相談に乗り、見守っている大人がいることを実感してもらうことから、人格教育は始まる。
おっちゃんが関わってきた150人弱の塾生たち、彼らが本当にわんど塾を卒業するのは、人格者になったときだ。
おっちゃんは、人格者となった彼らが大人になったとき、きっと世の中は変わると信じて、
今日もコツコツ、「種まき」を続けている。



 問題解決の第一歩は、原因を取り除くこと。
〜問題行動(現象)を押さえ込んでも、決して問題は解決しない。〜  2002.7.25

暴れる子供達、彼らが、なぜ暴れるのか、その原因を探っていくと、数々のストレスが見えてくる。
複雑にいりくんだストレスを、うまく言葉にできず、聞いてくれる人もなく、結果として暴れてしまう。
つまり、暴れることは、彼らの過激な「SOS」であると同時に、ストレス発散の手段でもある。

ストレスなら、誰だって、売るほど持っている。
だから、「それくらい?」のことで、暴れるのは、甘えん坊だ。
赤ん坊が、おなかが減った、暑い、気持ち悪い、と言って、ぐずっているのと、かわらないじゃないか!
やっぱり、暴れる方が悪い。とりあえず暴れないよう、押さえつけてしまえ!
しかし、これでは問題は解決しない。
「わかってもらえない」反動から、もっと過激な行動に出るか、逆に、ひきこもってしまうか・・・、
いずれにしても、そうなってからでは、原因を探ることは、より難しくなってしまう。


<実例 その4> 就職したけれど・・・

どうにか中学卒業まで、こぎつけた少年を、あるプレス工場に就職させることができた。
ところが、この少年、8時始業にもかかわらず、「9時からしか働かれへん」と言い出した。
さらに、隔週土曜休みがイヤだと言って、「完全週休2日制」のアルバイト扱いに変更してもらった。
おまけに、彼の友達は、みな高校生。彼らと遊ぶために、こんどは「夏休みが欲しい」ときた。
ここで
堪忍袋の尾を切るのは、時期早々と、おっちゃんは言う。
なぜなら、友達の高校生が卒業すると、彼らも就職するから、自然と遊ぶ相手がいなくなる。
つまり、これから、せいぜい3年間のわがまま(少年にとってのストレス)を、
回りの大人たちが受け止め、我慢できるかどうかが問題なのだそうだ。



たとえば、子育て。子供たちは、遅くとも二十歳前後までで、イヤでも親ばなれしてしまう。
長い人生から見れば、親を頼ってくれるのは、ほんの20年足らずといえる。
だったら、その間、イヤというほど、子供達と真剣に関わっていくべきではないのか。
その絆があればこそ、その後の付き合いも、スムーズにいくはずだ。

わんど塾の子育ては、子供達を遊び疲れるまで、遊ばせて、まずストレスを発散させることから始まる。
そのかわり、気づけば、「そういえば、わんどがあったなぁ」と、思わせることが大事だ。
ストレスのなくなった子供達は、気持ち悪いくらい?素直に聞く耳を持っているという。
そうなって初めて、次の段階の(社会)教育が始められる。それからでも、決して遅くはない。
押さえつけられ、さらに過激になって、手のつけられない状態になってしまうことに比べれば。

もちろん、SOSを出せずに、ストレスと戦っている普通の子供達はたくさんいる
そうやって、みんな頑張っているんだから、やっぱり暴れる子は悪い!と決めつけてしまわずに、
せめて、SOSと言っているのだから、助けてあげたい!
やれることから、せいいっぱいやる!それが、わんど塾の姿勢だ。

でも、甘やかすばかりじゃない。
おっちゃんが、就職した子供達に、実行させることが二つある。
一つ目は、最初のお給料は、全額、貯金させること。
最初だから、回りも何とか認めてくれる。子供達には、余裕ができる。
できれば、貯金することに興味を持たせ、数年経てば、資金(100万円単位)ができることを教えてあげる。
二つ目は、モーニングコールをさせること。
生活のリズムが狂いがちな子供達に、会社へ行く前にワンコールさせ、こちらから電話をかけなおし、声をかける。
生活リズムを作り、環境を作ってあげることは何より大切。子供達のようすもわかる。

なるほど・・・しかし、これをアフターケアだと思ったら、大間違い。
子供達はいつでも進行形で、いつでも簡単に現状を放棄し、勝手に「ふりだし」へ戻ってしまう。
モトノモクアミなんて、ショッチュウ。やってられないぜ!こっちのストレスの方が爆発しそうだ。
そんなとき、基本理念が呪文のように、よぎる。
「だれも責めない、誰も見捨てない、ただひたすら待つ。」
わんど塾の信念は、絶対だ。 ね、おっちゃん!



 いつも、シビア〜最悪からのスタート! 2002.7.18

どんな問題を持ち込まれても、おっちゃんのスタンスは変わらない。
問題の起こっている今を最悪として、絶対に、これより悪い状況だけは作らないようにする。


<実例 その3> おっちゃん、助けて!(彼女からのSOS)  

中学の頃から、家出を繰り返す彼女が、泣きながら電話をしてきた。
めったなことで泣くようなタマ(失礼!)じゃない。
「あんな店で働きたくないねん。
おっちゃん、助けて!

いわゆる水商売の店で働くよう、母親に言われているらしい。
おそらく母親は、わずかながらも、その知り合いの店から支度金をもらっているのだろう。
「どうしても、そこで働かなあかんのやったら、家出する!」と彼女は必死だ。
「わかった。とにかく、わんど塾においで。」

おっちゃんは、こう、考えた。
「まず、しばらくは、母親と距離をおき、その間に、職安に連れて行って、
早く就職させなあかん。一度、店も訪ねて(飲みに行って)みんとな。」
相応な覚悟がなければ、支えることなど、できるはずもない。


そして、さっそく実行。
ちょうど、彼女から、交通事故で入院している友達を見舞いに行こう!と提案があった。
最近ちょっと、わんど塾から足が遠のいていたため、自分からは連絡しにくかったらしく、
電話してみると、「おっちゃん、いつ来てくれるん?」と、嬉しそうに返事が返ってきた。
関わっている問題は山のようにある。今日しかないと判断し、さっそく彼女と共に見舞いに行く。
見舞いといっても、おっちゃんが、花とか、ケーキとか、買っていくはずもない。

「なにか、困ってることないか?」と、おっちゃん。
「ケイタイの料金払ってないから、とめられてん。銀行に連れってって!」

とりあえず銀行へ行く。支払いは、ショップでしか受け付けられないらしい。
病院の近く(高槻市)でショップを探すが見つからない。
大阪なら知ってるショップがあるというので、大阪市内へ。
やっと、ケイタイが使えるようになり、彼は嬉しそうだ。

見舞いの帰路、彼女がおっちゃんに聞いた。
「なんで、おっちゃんは、そこまで、できるん?」
冗談じゃない。中学時代から、おっちゃんをさんざん振り回してきたのが、おまえやないか!
そう思いながらも、おっちゃんは答える。
「本当のお見舞いは、本人の希望するものを、本人の欲しい形であげることやろ。」

見舞いのあと、彼女のために職安に行くつもりだったが、ショップ探しで時間がかかり、行けなかった。
あしたは彼女も、愛知県の「知多わんど」(定例懇談会)へ、連れて行ってみよう。
そう、とりあえず、彼女を守りつつ、他の問題も、ひとつずつ着実に解決していく。
一生懸命やっとったら、天も味方してくれる。うまいこと、なんとか、なるもんや!

やっぱり、おっちゃんは、ピコピコピー(時間制限)のない、ウルトラマン?かもしれない・・・。



 キャッチボールのススメ  2002.7.16

球技の苦手なわ・た・しは、ボールに対するセンスが欠如している。
だから、キャッチボールもまるでヘタクソだった。
飛んでくるボールに向かっていくから、ボールを弾いてしまって、うまく取れない。
「ボールを迎えるつもりで、とにかくすべて受け入れてあげるんだよ!」
そんな“引いて取る”コツを教わって初めて、なぁ〜るほど!となるわけだ。
続き始めると、これがけっこう面白い。
続けることが目的だから、お互いに、相手が受け取りやすいよう、投げる強さや方向に気をつける。

“話のキャッチボール”というが、うまい表現だと思う。
まずは、相手の考えをよく聞いてあげることで、こちらの意向も伝えられる。
相手を責めているうちは、問題解決には決してならない
わんど塾の基本理念にも、いちばん最初に掲げてある。「誰も責めない」と。


<実例 その2>  そんな、当たり前のこと!

小学生の子供同士で、いざこざが起こり、
加害者となった子供の親が、学校から呼び出しを受けた。
初めは、被害者意識を捨てきれず、言い訳ばかりしていた母親。
学校が悪い、先生が悪い、○○ちゃんが悪い、なんでうちの子が・・・
先生とも、相手とも、敵対するばかりで、問題は、どんどん、こじれていく。
これが最後の話し合いというときに、おっちゃんに連絡があったらしい。
かなり怒っているようすの母親から、よ〜く話を聞いたうえで、おっちゃんは言った。
立場を変えて考えてみてください。あなたが先生だったら?あなたが被害者の親だったら?
文句ばかりいわれていても、腹が立つだけでしょう。
加害者である以上、先生には、とにかくお願いをする。被害者には、とにかく謝り倒す。
それができない限り、どうにもなりませんよ。」 「そんなこと、できません!」

でも、おっちゃんの言ったことが引っかかっていたのか、後で電話がかかってきた。
「学校の先生に、協力してもらえることになりました。」
「言いたいことは山ほどあるでしょうに、今日は、ずいぶん抑えておられましたね。
私共も、できるだけ協力させていただきます。」
と、先生から労(ねぎら)いのことばをもらったという。
やっと、第1ラウンドや。もう少しで、試合もできず、決裂するとこやった。」
と、おっちゃんは笑う。



「忙しいといっている父親にも謝ってもらわんとな。」おっちゃんの第2ラウンドは始まっている。
誠心誠意、親が問題を処理する姿、一緒に謝ってくれる姿を見て、子供は学ぶのだという。
自分が起こした事件の重さ、親の気持ち、自分の気持ち、
そして、いつか自分が親になったとき、どうやって問題を解決すればいいのか、まで。
これは、まさしく親が子に示す教育だとおっちゃんはいう。

そのうち、お互いに気づくのかもしれない。本気で謝っている自分に。
親は、子供がこんな事件を起こすまで、わかってあげられなかった、自分自身の不甲斐なさに。
子は、親にこんな思いをさせてしまった、自分のわがままに。

キャッチボールをしていて、ボールを返すことを忘れてしまったとき、そのボールはストレスになる。
たとえば約束を忘れてしまった、守らなかった、ちゃんと謝りもしない、そんなことが続くと、
子供達は、ボールをもったまま、どうせ無駄だとあきらめて、返そうとしなくなる。
そんな時、「なぜ、返さないの?」とその行為を責める前に、
「なぜ、返さなくなったのか?」その原因を解決しないと、ボールは、もう二度と、返ってこない。
家庭で、会社で、社会全体で、楽しくキャッチボールを続けたいものだ。



おっちゃんが「何よりも大切にしたいもの」   2002.7.10

それは、とことん、助けを求める子供達と向き合うこと。

山小屋の鉄則は、訪れた登山者を決して拒まないことだ。
悪天候でキャンプが張れず、駆け込む登山者に、「定員オーバーですから」などといって断われば、
その登山者は、死をも含む危険に遭遇してしまうことになる。
他の登山者も、それは百も承知だから、たとえ、「タタミ1畳に二人」という待遇をも甘んじて受け入れる。
実は、わ・た・しも、北アルプス(白馬)で経験したことがある。
あの時は大雨のため、持ち物はびちょびちょで、湿気が多く、実に寝苦しかった。
「わんど塾」とは、そんな山小屋に似ている。
ところが、このおっちゃん、そんな「わんど塾」の存続より、もっと大事にしているものがあるのだ。
それが、spirit(スピリット、精神・心)、つまり、基本理念だ。
“誰も責めない、誰も見捨てない、ただ、ひたすら待つ”
これは、おっちゃんの信念でもあり、存在価値でもある。

そもそも、「わんど塾」は、寄付金(一口、千円)によって成り立っている。
もちろん、強制力など何もなく、まったくの善意による寄付なので、不確かこのうえない。
講演会などで、おっちゃんの話を聞き、「わんど塾」に賛同し、会員になってくれても、
それが継続される保証など、どこにもないのだ。

「わんど塾」を求めてくる子供達がいる限り、「わんど塾」は確かに必要だ。
でも、そのことと、「わんど塾」存続の必要性は別だと、おっちゃんは言う。
たとえば、「わんど塾」存続(資金集め)のために、おっちゃんが講演会や執筆活動などに、かまけたとしよう。
そしたら、いつ来るかわからない、子供達の対応を、いったい誰がするのだろう。
第一、子供達と向き合うこともなしに、講演会で話したり、ものを書いたり、できるはずもない。
つまり、資金集めに奔走するくらいなら、「わんど塾」は要らないのだ。
そんな場所がなくても、おっちゃんなら、イス一つあれば、いや、イスなんかなくても、
駅構内や河川敷で、ダンボール製の看板かなんか首から吊り下げて?
どこでも相談コーナーを作ってしまうに違いない。
それが、おっちゃんの生き方、覚悟なのだ。

「そんな、しんどいこと、頼まれても、よ〜せんわ!」普通は、そうだろう。
だからこそ、そんなことを、率先してやってくれる「おっちゃん」を、「わんど塾」を、つぶすまいとして、
いつのまにか、寄付が集まる。(もちろん十分なはずはなく、いつもピーピーらしい・・・)
それでもおっちゃんは、へーきなものだ。
なぜなら、「必要なら、きっと続けられる!」その自信の裏に、並々ならぬ覚悟を秘めているから。



 「わんど塾」のご紹介   2002.7.9 開始

子供達と、うまくコミュニケーション、とれていますか?
家庭や学校で、子供達との間にイザコザが持ち上がったとき、
もしかしたら、解決してくれるかもしれない、おせっかいなウルトラマン?がいてくれたら、
相談してみますか?

このおせっかいなウルトラマンは、通称「おっちゃん」と呼ばれています。
そう、ほんまは、ウルトラマンとは似ても似つかない、ちょっと癖のありそうな、
どっちかというと、最後に、「ワシが犯人の宇宙人や!」といって登場しそうな人?なのです。(^^;)

でも、おっちゃんの解決の仕方は、とことん誠心誠意です。
それは、わ・た・しが保証します。(どんな保証やねん・・・うぅ〜ん)
とにかく、一度、付き合ってみればわかりますって。
おっちゃんの守備範囲はかなり広く、特にティーンエイジャーには目がない、
いや、変な意味じゃなく、ホンとに、つねに真剣勝負です。
その辺のレポート(実例)は、追い追い紹介していきますので、
読者?である、あなた自身で判断し、その気になったら、直接、ご相談ください。
紹介者である、わ・た・しは、一切の責任を持ちません。(なんやねん、それって・・・)


<実例 その1> ある母親からの電話(相談?) 

この人からの電話は、初めて、ではない。
娘さんが
プチ家出を繰り返すので、たぶん、そのたびに電話をしてくる。
誰かに話を聞いてもらいたいのだ。それで、少しは安心したいのかなぁ。

しかし、この日の電話は、出て行ったのではなく、帰ってきたという電話である。
「数日前、男の子と帰ってきました。いつもの彼ですわ。で、娘の部屋にいっしょに泊まってます。
いま、二人で、祭りに出かけていったところです。」
母親は、彼と娘さんを引き離したくて仕方がない。
でも、おっちゃんは、
「小遣い、渡してあげましたか?」と、こうだ。
「えっ?」 母親だけでなく、あなたもわたしも、きっと、そう思うだろう。

おっちゃんは、「娘さんが家出しても、いつも連れ戻してくれるのが彼ですよ。
彼と一緒なら、もっと性質(たち)の悪い連中に、からまれることもないし、
第一、あてもなく、おかあさんが娘さんを探すこともないわけでしょう。
だったら、機嫌よく、お小遣い握らせて、楽しんでおいで!と言って、送り出してあげるんですよ。
その方が、万が一にも、万引きみたいなことも、しなくて済むでしょう。」

母親は、「そうですね。なんで、お小遣い、あげへんかったんやろう。今度からそうします。」
といって、電話を切ったそうだ。



普通なら、叱りたくて、非難したくて、たまらないだろう。
でも、それをすると、さらに事態が悪化することは、誰の目にも明らかだ。
おっちゃんは、まず、子供たちと話のできる状態を作ろうとする。
そのためには、北風より、太陽だ。最低でも、今よりマイナスにしてはいけない。
現状維持しつつ、だんだんこっちの話も聞いてもらい、お互いに歩み寄る。
それは決して、妥協やコビ(媚び)ではない。
問題解決は、お互いに理解しあうこと。
その手助けをしてくれるのが、まったくの第三者、(おせっかいな)おっちゃん、なのだ。

おっちゃんは言う。
家庭は、巣穴と一緒。本来、出てけ!といわれても出て行きたくないくらい
あったかい場所であるべきところ。それなのに、そうでないから、さまざまな問題が起こる。
家庭だけではなく、学校も、地域社会も、本当は、そういう、あったかいところであるべきだ。
巣穴のない、居場所のない子供達があふれている。
「わんど塾」は、そんな居場所のない子供達に、いつでも集える場所(巣穴)を提供したいと思っている。
そして、親、先生、地域の大人たちを巻き込んで、みんなで、子供達を守ってやりたい、
それが、「わんど塾」の、わたしの目指す、『基本理念』です。
つまり、“誰も責めない、誰も見捨てない、ただ、ひたすら待つ”
「わんど塾」には、どんな状況下であろうとも、変えてはならない信念があるのです。


いかがでしょう。
少しは、おっちゃんが、ウルトラマンらしく見えてきましたか?(^O^)/

わんど塾 塾長 山藤(さんとう)忠雄   TEL&FAX 072-871-7277


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