2003年5月前半
5月1日(木)
AS仕事で、FN第2戦のSC運用について意見を書かねばならない。自分には自分の意見があったし、MINEで脇阪寿一本人にも取材、その他の情報収集もしてきたが、さらにFIAの国際スポーツ法典H項付則をはじめ、様々な資料をひっくり返して自分の意見を補強。短い原稿なのにかなり時間がかかった。ところが原稿を収めた後で編集長から電話があり、異なる見方もありうると指摘。確かにそういう見方もあるが、解釈の違いを追究するつもりはないので、原稿の方向を修正する。薬の副作用か、夜ベッドに入ると欝症状が出て、悪いことばかり考え精神的に参る。今や睡眠導入剤は必需品だが、それも効きが悪くなってきたかな。

5月2日(金)
今日から富士スピードウェイに入ろうと思っていたが体調不良で無理。朝、隣のO氏に会って立ち話。このところ、向かいの山の整備ですっかりお世話になりっぱなし。少々体調を崩しており、山の斜面で作業の手伝いが出来る状況にはないと釈明。「好きでやってるから気にするな、それよりももっと思い切ってやっていいか」と言ってくれる。こちらの立場を説明したことをいいことに、昼寝をして身体を休める。気分転換に、庭の芝刈り。何もしてこなかったので、もはや草むら状態になっていた。夕食はすき焼きにノンアルコールビール。

5月3日(土)
これまでならば早朝起きて渋滞の前を走ってサーキットに入るところだが、今はとてもそういう気力も体力もない。目覚ましをかけずに寝て、鬱状態の中悶々と悶えてようやく眠り、目覚めたのは7時。身体が重いが、意を決して倉庫から折りたたみ自転車を出し、クルマに積む。その他取材の用意をして出かけたら、東名は比較的空いていて、御殿場出口で2キロ渋滞しているだけ。裾野まで通り過ぎ一般道と裏道を通り9時すぎには富士に着いた。案の定、駐車場はジムカーナ場だったので、自転車が役立った。いつになくよほど調子が悪い顔をしていたのだろう。会う人会う人から「どうしたの?」とか「痩せたな!」と声をかけられる。追加仕事を受けないで本当に良かった。予定通り、ヴィーマックRD350取材に集中できた。相変わらずR&DスポーツのM氏は歯切れがよいコメントをくれる。今年一番の暑さもあって、夕方にはグロッキー。ひとりで沼津東急ホテルへチェックイン。他にも沼津泊まりの友人知人がいたはずだが、簡単に夕食を済ませ早く寝たかったので連絡もとらず。ホテル前の「チャウチャウ」という、いかがなものか系の店名を名乗るラーメン屋さんでタンメンを食べたらおいしかった。ダシは不明。

5月4日(日)
ホテルの石けんを使ったら皮膚に合わず、夜中に痒くなって睡眠がまともに取れなかった。さすがに目覚ましで6時に起きたときには頭がボンヤリして最悪のコンディション。チェックアウト時、駐車料金やらサービス料やら加算されて1万円以上になった宿泊料の請求書を見て、結構な商売に若干驚いた。裾野で下りて、一般道と裏道。ゲート前で渋滞にハマったが、朝のフリー走行前にプレスルームへ入れるとは思わなかった。朝は調子悪かったのに、徐々に快調に。今日は多くの人に「昨日よりも調子良さそうだね」と言われる。昨日のわたしはどんな顔をしていたんだか。ヴィーマック取材を続けつつ、アルテッツァでかつてのチームメイト峰尾恭輔が優勝するのを見る。ただしヴィッツのフロントローに並んだM君は、ジャンピングスタートと黒旗無視(というか気付かず)でレース除外。残念。さすがに夕方へ向けて体力が消耗してきたので、レース後の取材は断念、GT−Rの1−2体制がほぼ固まったところでサーキット脱出。ところが御殿場インター入口が大渋滞しており、箱根を越えることに。そうしたらもっと混んでいてひどい目にあった。西湘バイパス大磯西からいつもの裏道へ入り、高浜台へ抜ける。江ノ島のランドマークでもあった湘南ホテルが廃業しているのを発見、物思いにふける。近年はオフシーズンに部屋の安売りをしていたので、いつぞやは女房と遊びに来て、室内プールで泳いだりしたっけな。まあ、出来た当時からここでこれだけの格、こんな室数のホテルを成り立たせるのは大変だぞ、とは思っていた。それにしても湘南は恐ろしい勢いで変わりつつある。家に着いたのは9時。5時間近くかかった。女房が麻婆茄子を作って待っていてくれたので、ノンアルコールビール。

5月5日(月)
病院へ行き注射を打たなければいけない日だが、GWで外来は休み。前もって入院病棟の看護婦(正確には看護師だと?)さんに処置してもらうよう手配しておいた。初めて逗子病院の入院病棟(と言っても、ただの2階だが)へ入った。そしたら看護婦というか看護師が心許なくて「え?あ、そうなの?」から始まり、「え〜と、注射するのはペギミンHね。これ何の薬かな…」と独り言言うし、結局どこに薬が保管してあるかわからないし、そこにいた老医師に相談すると老医師も老医師で「外来にあるんじゃないか」と言い、結局いつもの外来へ下りたら下りたで、そこでも看護婦というか看護師はペギミンHを見つけ出せない。しかたがないので「ペギミンHは、南極に生息するコケの一種から抽出した薬品で、ペギラの弱点で…」とわたしが説明。「あ、それならここかな」と言った先に見つかった。頼むよ、大怪獣ですら煙吐きつつ空飛んで逃げ出すくらいの劇薬なんだからさ〜。思わず注射前に薬のパッケージを確かめちゃった。投与後の調子は比較的いいが、副作用で頭がボンヤリするので、本日は溜まった事務仕事に専念。夕方、気分転換にテラスで食事しようとあれこれセッティング。ところが途中から急に体調悪化。結局完食できないままダウン。体温が38度3分へ急上昇。注射が何か副作用のツボを突いたらしい。自分の体調に対する情けなさでいっぱいになる。すべてを放り出し、解熱剤を飲んで寝た。

5月6日(火)
体調不良につき、事務仕事をコチョコチョ片づけるだけで精一杯。初期型タイガー計算機は、案の定オークション終了直前に激戦に突入、頑張ってはみたが3万円を越える気配になり、さすがにもったいなくなって最後の最後に勝負を下りた。わたしがマニアになりきれない所以がこのあたりの貧乏根性にある。

5月7日(水)
病院に行き、身体の痒みに効く薬を新たに出してもらった。人体の神秘というか何というか、薬品に反応していろんなことが身体各所に起きる。痒みの質もここへ来て変化を見せているが、根本的な事態が好転しているのかどうかは、シロウトには何とも判断しようがない。ただ痒みを止めて、夜しっかり眠りたいと思った。欝症状が出ているのか、どうしても後ろ向きの考え方になっていけない。

5月8日(木)
後回しになっていたWEB関係の仕事を進める。昼過ぎ、レギュラー仕事。午後は気分転換に買い物にでかけようかとも思った、様々なオフィスサプライを補充したかったのだが、どうしても気力が出ず、逆に力尽きて午後はほとんど昼寝。焦る気持ちでいっぱいだが、身体が着いてこない。夜、生き返ってからは週末の取材の準備。

5月9日(金)
朝、逗子病院で注射を打ってから旅立つ。あれこれ時刻表をひっくりかえしてみたが、この時間は連絡がことのほか悪く、逗子駅を9時13分に出ても、新横浜10時9分発ののぞみにしか乗れない。ハタと気付いたら、注射後に飲まなくちゃいけないいつもの解熱剤を持ってくるのを忘れた。しかたがないので白子で軽のレンタカーをピックアップ後、薬局に寄ってバファリンを買い、間に合わせた。鈴鹿サーキットに着いたら13時。すでに先乗りしていたMが仕事を進めていてくれた。FDは1年ぶりの現場仕事、いつものペースが取り戻せず苦労した。気温は思ったより上がっていない。夕食はMと破天荒へ。ホテルサンルーツ鈴鹿にチェックインしたらぼろぼろに疲れていて、お風呂にも入らず倒れた。

5月10日(土)
ほぼ1年ぶりにS耐の現場に来たが、シリーズはさらに膨張して大変な盛況になっていた。ハコレースは人気があるなあ、とつくづく思う。今回のレースには、いつもMINEのレースでお世話になっているテツ清水氏がS耐デビューしているので挨拶に行ったら乗りこなしたシビックと、出来上がったばかりのインテグラの操縦性の違いに悩んでいた。一昨年の暮れ、わたしが初めてレビンでMINEのレースに出たとき、そもそものきっかけを作ってくれたのが、知る人ぞ知るシビック乗りの長老である清水氏だった。練習で前をシビックで走ってくれて、必死で追いかけて走ったら、帰って来るなり「第2ヘアピンの舵角がまだ大きすぎる」と、アドバイスをくれた超大ベテラン。前を走って、後ろのクルマの微妙な舵角を見取ったかと、言われたわたしは慌てたものだ。それほどの選手が、インテグラでこんなに悩むか…。自動車レースは難しい。昨年ヴィッツに乗っていた今村も今年はS耐を闘う。こちらもタイヤの使い方に悩んでいたが、ガンバレ。FD第1戦は、なかなか良いレースだった。参加選手のレベルが上がったのかと思っていたら、どうやら03仕様のF3タイヤが非常にコントローラブルな特性を示すらしく、「タイヤに乗せられている」面もあるようだ。夜、FD関係者と食事会。ホテルに帰ってから残っていた仕事の仕上げ。ダウン。


水面下で、予想だにしない大物議を醸し出すこととなったFDクマ。
また、どこかで会えるかな。

5月11日(日)
朝から頭痛がして調子が悪い。でも午前中から仕事が立て込んでいる。鈴鹿は雨。ポカポカ春の陽気の中で仕事するつもりの週末だったのに。プレスルームにはいろんな知り合いがいて、あれこれしなければいけない話もあったのだが、仕事が忙しいのと具合が悪いのとで会話をするのが億劫で目を合わさず仕事に集中した。お昼抜き。カロリーメイト囓りながら原稿書き。午後は寒気までしてきて(実際、雨が降って気温も低かった)自分の仕事を終えた段階で帰宅を決意。仕事が残っているMを残してS耐フィニッシュ前にサーキットを出る。うまくいけば途中の電車の中でMからのメールを受け取って、続きの仕事ができると思ったがMも難航したようで、結局そのまま8時すぎに帰宅。仕事の仕上げを自分のデスクで進める。その後、9時半から今日初めてのまともな食事をする。付け汁そうめん。頭痛と寒気が激しく、11時前にありとあらゆる薬を飲んで寝る。

5月12日(月)
身体の状況は悪化しないで済んだ。なんだかやたらと忙しい。一方で体調不良により気持ちが滅入る。しかたがないので、午後から上京。延期を続けていた様々なオフィスサプライ類の購入…と思ったが、渋谷東急ハンズの7階から地下2階まであれこれ眺め買い物しながら下りたらそれだけで体力が燃え尽きた。気晴らしになるようななにか趣味のものも買おうと思っていた。でも物事を楽しもうという気力が出ない。エナメル塗料を2びんと筆を買った。先日とある編集部から送られてきた食玩戦車模型の組み立てでもしよう。秋葉原にも行きたかったが断念しトンボ返りで夕刻帰宅。夕食前、女房に頭を短く刈ってもらった。薬の副作用で頭の中に湿疹が出て、脱毛も始まった。それなら思い切って短くして頭皮をよく乾かした方がいい…が、かなり外見はかなり怖くなった。夜中まで原稿。仕事を断り比較的楽にしたはずの5月前半なのに、次から次から締め切りが押し寄せてくる。これでまた滅入る。

5月13日(火)
あれこれだらだら仕事。資料の整理。合間に、食玩戦車を組み立てる。といってもパーツ数は7つ。ただモールドが非常に良いので、塗装のしがいがある。一部、合わせを修正し、重ね塗り。よい気分転換ではある。

5月14日(水)
だらだら仕事、続く。薬の副作用か頭痛がする。このところ、この頭痛が顕著だ。お昼に今季初めての冷やし中華そば。頭痛と倦怠感で夕寝。夜、明日の取材のための予習をする。改めてJAFの国内競技車両規則を読む。JGTCにおける特認車両の位置づけが今ひとつ理解できないからだ。既存の車両を流用するための特認ならわかるが、ヴィーマックのように新たに設計開発する場合、特認という扱いをどう受け入れるべきなのか。一応、結論を出し、取材のときに確認するつもり。

5月15日(木)
朝7時に起き、7時半に出た。悠々9時には間に合って、朝ご飯でも食べられるかと思ったら、平塚市内が混んでいて、結局R&Dスポーツに到着したのは9時だった。そこからRD350撮影。本島氏取材。今ひとつわざわざ特認としてしか出場できない車両を作ってJGTCに参戦する意味がわからなかったが、納得できた。ためになる取材だった。お昼過ぎに編集部員と別れ帰宅。帰宅後はだらだらと仕事。合間に戦車。