4月前半 逗子通信



4月1日(土)
朝6時起きでランニングをするつもりで目覚ましをかけたが、若干二日酔いのうえ、眠くてたまらず断念。二度寝。8時ホテルを出て、渋滞もなくサーキットへ。駐車場に着いて歩き出したところ、一人の片に声を掛けられた。わたしのBBSに出入りしてくださっていた「レーシングオヤジ」さんであった。ゆっくりお話しする時間があれば良かったけれど、こちらも出勤途中だったので立ち話で終わってしまった。また今度。

プレスルームに着くとじき編集部員たちも集まりだし、仕事が始まった感じ。打ち合わせにあれこれ情報交換。

FN公式予選は、案の定トヨタ勢が圧倒的優勢で進む。この事態をどうするつもりなのかなあ…。F3予選決勝は、トヨタ勢のスーティル、大嶋の速さが予想以上なのでびっくり。塚越開幕戦で2位入賞は健闘か。ストレートスピードの伸びの差がかわいそうだった。

暗くなってからサーキットを出て沼津へ。眠いし、ホテルそばの昨日満席で入れなかった店に行ってみると、スレスレで空席があり、すわれた。何を飲もうかなとメニューをみているうち「爆弾ハナタレ」があるのを発見。話には聞いていたがお目にかかるのは初めて。

グラスでも飲ますとメニューに書いてあるので聞いてみるとやっぱりボトル売りしたいという。でもひとりで1本飲むわけにもいかないしなあと躊躇したら「キープもするし持ち帰ってもいい」と言うので勢いで1本購入。1杯だけチビリとなめる。特殊な甘くも刺激的な香り(同席M氏はエーテルの匂いと言った)がして楽しめた。残りは包装し直して持ち帰る。

お刺身、串焼き、天ぷら、揚げ物とあれこれつまんだがおいしかった。人気店なのがわかる感じがした。

4月2日(日)
早寝したので6時には気持ちよく目覚めたのだが、窓の外では雨の音がしたのでランニング断念、二度寝。シャワーを浴びて8時ホテルをチェックアウト。大した渋滞もなく小雨の中サーキットに着き、Fニッポンのフリー走行に間に合った。
そこまでは良かったが、あっという間に午後は霧が出てF3第2戦はスタートディレイに。雨と霧できわどい状況。改装以来はじめてこんな雨と霧を見た。そりゃそうだよなあ、コースを改修したって気候は変わらないよなあ、と妙な納得。

レースは雨の中で行われ、トヨタ勢の速さが目立ち、童夢・ホンダ勢はストレート、コーナーともにサエがなかった。で、大嶋が初優勝。そんな中、レース中盤で接触からリヤウイングをなくしたスーティルが素晴らしい健闘を見せ4位に入ったのは拍手。ただ、リヤウイングがなくなったことについては「レース中の不可抗力」だとしても、テールライトがなくなってしまったことについてオレンジボールが出なかったことについては疑問は残る。

レースとレースの合間に、某誌の企画の下ごしらえやら打ち合わせを進める。取材の打診をいくつか。雨はどんどん激しくなり、FN開幕戦はスタートディレイ。新しい富士のグランドスタンドの屋根は、デザイン優先でちっとも役割を果たしておらず、お客様の居場所がないのでかわいそうだ。

スタートディレイの結果、SC先導スタートをするが3周(実質周回数2周)で赤旗。その後やはりSC先導スタートするが1周で赤旗。その後、レースは打ち切りとなる。お客様には本当に気の毒な日になってしまった。しかし、確かにレースを強行するには微妙に無理があっただろう。レースを強行しなかった判断をわたしは支持する。残念ながら自動車レースはこういう形で中止になりうる競技である。

ただし、楽しみにしていたメインイベントをほとんど見ることが出来なかったお客様に対するサービスは、富士のみならず各サーキットとももっと厚く用意しておくべきだろう。今回はというと、とってつけたようにパドックを解放していたが、あの時点でパドックを解放したところでチームは撤収に入っているわけだし、選手たちとあらかじめ打ち合わせた上でサイン会なり交流会なりする用意をしておかなければ、お客様は翻弄されるだけだ。

わたしは中学生の頃、かなり激しい雨の中GCを見に行ったことがあるが、雨中でのレース観戦がファンにとってどれほどハードなものか知らない人が、内側には多すぎるのではないか。レース打ち切りの決断と、その後の明快な対メディア事情説明会は非常に高く評価するけれども、ファンサービスには大きな課題が残ったとわたしは思う。

で、レース後、某A氏を逗子まで送ることになり、A氏を待つと遅くなりそうなので、行きにピックアップしたM氏を某編集部のクルマに乗せて帰京させる。わたしとA氏はほぼ最後にプレスルームを出て、高速は渋滞だというのでナビの指示する足柄峠越えを含む裏道をひた走り11時前にA氏を自宅へ送り届け、帰宅。ビールで遅い夕食。

4月3日(月)
9時までぐっすり寝た。週末から眠くて仕方がなかった、締めくくりか。目覚めると比較的頭がすっきりしていて仕事が進む。どうやら今のわたしは非常に厳しいスケジュールの中に呆然と立ちつくしていたようで、改めて編集部員にいろんな締め切りを確かめて慌てている。

だが気持ちは前向きだ。頭の具合がどんどん良くなっているような気がする。午後、歯医者。一応3か月、様子をみようという段階にまでこぎつけた。帰宅後ランニング。仕事の続き、と思ったが夕食にワインなど飲んだら眠くなって早寝。

4月4日(火)
午前中のうちに取材テープ起こしを終える。いつもながら「なぜあの質問をしなかったんだろう」とか「あれ?これはなぜなんだろう」という後追いの疑問がいくつも浮上。

さらに新しい疑問も生まれて、まず関連するY社の元プロジェクトリーダーに久しぶりのメールを送る。それならT氏の方が知っているかもと言うのでT氏の連絡先を教えてもらいT氏にメール。早速返事が返ってきて、ただいま企画進行中の記事の新しい切り口の糸口をつかんだような気がする。

あれこれ快調に仕事が進んだのでお昼(週末からカロリーメイト+牛乳ダイエット開始)を食べた後、取材の予習と準備をして、1時半からランニング。その間に我が家を建てたキリガヤが来て、ウッドデッキの修理…が始まるのかと思ったら傷みが予想以上に深く、大工事になることに。工法の問題らしいので修繕は向こう持ちになりそうだが。

4時にT社へクルマで出向き、取材。特別に新しい事実は出てこなかったが、SC430に適用された「パーツ特認」、すなわちZやNSXのように特殊な公認車両を制作販売せずとも、パーツのみ特別にGTAの特認を得て、特認車両にならないままで前後オーバーハングを延長したり変形させたりしてよいという「(SC430のためにできたかのような)新しい規則」についてその背景を探ることは出来た。帰宅後夕食、雑務後、早寝。

4月5日(水)
朝一番で雨の中、逗子病院へ出かける。2か月ぶりの定期血液検査のつもりだったが、少し出遅れたら待合室がいっぱいで、しかも駐車場には主治医のクルマがない。「K先生お休み?」と受付で聞くとそうだというので、そのまま帰宅した。

で、ひたすら原稿書き。レギュラーの原稿が遅れていた。とにかくはじから片付けていかなければ、進行中の企画にじっくりとりくめない。だが追いつめられると筆がというより指が進むもので、案外納得いく原稿がぞろぞろとできあがった。で、いつもながら思う、これでなぜ倉が建たないのだ、と。

原稿の直し、雑務等を済ますと、早起きしなくてはいけないのにあまり早寝ではなくなってしまった。

4月6日(木)
7時に起き、出張準備をしたら早すぎて時間が余ったので、ランニングしておくことにした。8時から走り始め、いつものコースで、今季81kg級最高記録。体調は良さそうだ。

はしっているうちに、我が家のウッドデッキの修復工事が始まっていた。雨水で傷んだ箇所を修復する工事が、予想以上に大規模なものへなった。その間に女房の運転で逗子駅へ。9時半は早すぎなので、初めてJRのプリペイドカード(というのか?)Suicaを買ってみた。最近は、Suicaでないと横須賀線のグリーン券がホームで買えなくなってきたのだ。なんだかいやらしいやり口だが仕方がない。

10時半に品川に着いたので、コーヒーを飲んで編集部員T氏とT氏を待つ。11時20分ののぞみで新大阪へ。地下鉄に乗り換えて某N社へ。ペイドパブのための取材。非常に興味深い話が聞けたのだが、これもまた「記事さえ書かないですむならば本当にためになって楽しいのだがなあ」という仕事である。

もう締め切りが山ほど重なり絡み合ってどこからほぐせばいいのかわからないので、深く考えないことにした。というわけで、わたしの鬱病は治ったようだ。

なんだか11日からまた京都か米原へ行かねばならないようだし、(どちらにせよ12日には米原へ行かねばならなかったのだが)その週末には珍しい人から飲みの誘いが入るし、忙しいときというものはこういうものだなあ。仕事が終わった後、新大阪の駅で編集部員と別れ、女房を遠隔操作して岡山のホテルをさがしてもらう。

こっちはその間、スケジュールのことやこの週末にやらねばならないことを必死で整理。岡山までの切符を買ったはいいが、上りのホームで東京行きの列車を待つ。はっと気づいて慌てて下りのホームへ走り、本来私がのるはずだった博多行きに飛び乗る。スレスレでセーフ。もううわけわかんなくなっている。

ようやく新幹線の中でビールにトンカツ弁当を胃に入れて落ち着き、ホテルへたどりついてネットにつなぐと、ヴィッツ1000ccレース耐久に出ませんかとの誘いのメールがかつてのチームメイトK氏から。「出る出る!」とお返事。忙しいときというのは本当にこういうもんだ。

4月7日(金)
週末は現場のレースそこそこにいろいろ別件取材したり原稿書いたりしなければ事態に対応できない状況だったので、ゆっくり眠ろうと思ったら、岡山の駅前にはいまどき暴走族のお兄さんが出没するらしく排気音でうるさくて目が覚める。こちとら明朝からもっととんでもない排気音の中で仕事をしなくちゃならないのに勘弁してくれよ、と気を静めながら、火炎瓶を作って暴走車の中に投げ込む物騒な妄想に遊ぶうち眠った。

それでも7時前に目が覚め、案外さわやかな気分で、眠り直そうと思っても眠くないし、身体が何か運動を欲しているように感じたので走ることにした。桃太郎大通りに面したホテルから少し走れば岡山後楽園があることに気づいたこともある。

で、朝からクルマを借りることになっているレンタカー屋(何度も使っているのに何度も場所を間違える)の位置を確かめながら走る。岡山後楽園に周回路があるのかどうか不明だったが行ってみたら存在して、桜が見物できたりして気分が良かった。体調も良く、いつまでも走っていられそうな気分だったが、仕事にも出かけなければならず7.5kmほど走って帰り、お風呂に入ってチェックアウトした。

岡山駅で帰りの新幹線の切符を買い、レンタカー屋へ。場所を確かめたばかりなのに迷った。バカだ。

一路TI改め岡山国際サーキットへ。ナビゲーションに頼って難なく到着。早速レースとは関係ない話題でM氏取材。たまっている原稿をプレスルームで書き、午後はY氏インタビュー。これもGTとは関係なし。いや、紫電が今日走らない理由がアメリカ仕様のセルモーターの故障だと知ったからGTの仕事もした。「子紫電」開発中という話も聞いた。

なかなか連絡のつかなかったY社広報のS氏とようやく電話がつながる。10年以上ぶりなのに憶えていてくださって、最大限の協力をいただいたが、取材はさらに混迷へ。ただしT氏の取材に関してはY社としては問題ないとの言質をとれたので、T氏に再びメールを送ると、取材に応じてくれるという話になった。果たして取材の行方はどうなるのか。非常におもしろい局面なのだが時間が足りない。なにしろ11日から12日にかけて米原へ行け水曜日には横浜でアポを取ったとか、無茶を言う編集部がいる。

そこそこまでたまった原稿を書いて、赤穂のホテルへ。今日は同行者はいないし、同じホテルに関係者がいる様子だが時間がもったいなくて外で食事する気にもならず、こそこそ「横須賀海軍カレー」をコンビニで買って暖めてもらってホテルの部屋にこもるわたしがそこにいた。逗子から来たのに全国名物祭りの横須賀だ。バカだ。

ビールに酒を飲みつつコンビニご飯をたべ、原稿を書く。実はチェックイン前にクルマで明朝ランニングする場所の目星を付けておいた。早寝して、明日は早起きしてランニングして、ホテル併設の温泉に浸かって、岡山空港へ向かいR編集部に合流するつもり。

4月8日(土)
朝6時に目覚ましをかけておいたら、それまで目覚めなかった。要するに身体はもっと眠りたがっているのだが、ホテルの窓から外を見ると良い天気だし、無理矢理起きてヴァームゼリーを飲み、ストレッチをしているうちにその気になってきた。ホテルから周回路まで数分、ゆっくりウォームアップをして走り出したのは6時半頃。7.5kmほど走って帰るとK氏のクルマが止まっていた。なんだ、ともだちもこのホテルに泊まっていたのか、と思うが、もし前夜夕食をともにしていたら原稿は書けなかっただろうし飲み過ぎて朝ランニングできなかったかもしれない。またの機会があるだろう。

わたしはそこからシャワーを浴び、ゆっくり荷造りしてサーキットではなく岡山空港へ向かう。この日からR編集部に合流してレンタカー料金を浮かす算段。わざと有料道路を使わず走ってちょうど10時すぎに岡山空港へ。レンタカーを返却し空港の到着ロビーへ。R編集部F氏、U氏と合流、改めて
サーキットへ。

午前中の予選が終わった頃に到着、仕事開始。今季のSC430に与えられている「部品公認」という特別措置についてGTAの公式見解を聞き、パリから帰ったN社広報のI氏と久しぶりに立ち話。その後ヴィーマックのバリエーションについてR&DスポーツのM氏に取材、空いた時間はたまった原稿を書いて半日フルに働いた。

暗くなってからR編集部のクルマで相生のホテルへチェックイン、駅前の居酒屋でF氏、U氏とバカ話。これもとても大切な仕事だ。タケノコの刺身と焼きビーフンが妙においしかった。あまり早寝せず。

4月9日(日)
さすがに決勝日は早起きしてランニングしているヒマはない。8時に相生のホテルを出発。多少は渋滞するかなと思ったらあっけなく現場へたどりつき、フリー走行に間に合った。

と言ってもこちらは宿題の原稿を書き、金曜、土曜と現場で取材したGTとは関係ない音声を文字に起こす作業に専念。でもさすがにレースは観た。NSXがポールトゥウインし、しかも1−2フィニッシュだったことは、今後のGTを考えるととても素晴らしい結末だったと思う。と書くとGTの場合は皮肉に聞こえてしまうのが困るなあ。わたしはこういう形式の自動車レースはあってしかるべきだと信じているから。実際、おもしろいからね。

レース後はそのレースの結果を週末書いていた原稿にわずかながら反映させる作業。帰路は、AS誌のクルマに便乗させてもらい、岡山駅へ。到着したのは8時。8時30分の最終のぞみの指定券を買っていたが8時9分にものぞみがあったので慌てて指定変更し、列車に飛び乗る。

乗ってから車内販売で福岡のちらし寿司を買って、ビールを飲みながら食べた。で、休む間もなくフル回転の週が明日から始まる。家でビールを飲み直して寝る。

4月10日(月)
遅寝遅起き。書いておかねばならない原稿が山ほどあるのに、雑務に追われて手がつかない。腹立ちまぎれにお昼ご飯前にランニング。

お昼を食べた後、心療内科に電話して1日速く診断、処方を受けることに。急いでクルマを走らせ病院へ行き、ついでに頭を新逗子駅構内の1000円床屋で刈る。

帰宅後も、頭をまとめるのに時間がかかって原稿の文字数は増えない。某社T氏と再度メールのやりとりをして、明日米原へ出かける前に会って、取材をすることに。取材は濃くなっていくが、果たしてこれをまとめきれるのか>オレ。

これで明日は早朝出となり、早寝をしなくちゃならなくなった。女房の居酒屋メニューで夕食。出張の準備を含む雑務を片付けて早寝。

4月11日(火)
6時起き、30分間違えた女房にせかされるように、クビをひねりながら慌てて家を7時に出たら、30分早く新横浜に着いた。R誌K氏を待ち、合流してこだまに乗り、掛川へ。

掛川で10年ぶり以上のT氏に会い、いままで謎だった事実を確認する。ただ内容が微妙すぎて原稿に使えるかどうか悩む。が、いつか世には出す。

その後米原へ。カメラマンのS氏と合流、某社H氏の取材。ところが社屋付近は暴風が吹き荒れており、明日の新社屋披露に向けての準備どころか大騒動。その中、H社長は半日以上も時間をかけて我々の取材につきあってくれた。ありがたい。

仕事を終え彦根への道すがら近江牛の焼き肉を食べ、少々不思議な雰囲気のただよう彦根ステーションホテルへK氏とチェックイン。お酒を飲んで寝る。

4月12日(水)
昨日は、700人収容という巨大テントを見てびっくりしたと思ったら、その直後から天変地異のような強風が吹き荒れ、あろうことかその巨大テントが崩壊していく様子を、目の前の社長室の窓というそれ以上はない特等席から眺めさせていただいて、興奮さめやらぬわたしだが、工業団地の丘を下りると風が嘘のようにおさまるのを確かめ、今回D社が建設した新社屋は、隣にすでに建設済みの風洞施設と合わせると、地形的にきわめて危険な空力効果を生む形状なのではないか、と余計な心配をしつつ、ぐっすり眠った。

朝、7時に起きて桜咲く彦根城周辺をランニング。(詳しくは走行日誌参照)そこからD社新社屋竣工レセプションへ出席のため、再び米原工業団地へ。1日見物し直し、旧友やら仕事の関係者に挨拶&仕事の根回し。

4時半に現場を辞し、新幹線で帰路へ。自宅で夕食。ただし夕食前に予定外の原稿催促のメールが入っており、調整に緊迫。なんとか調整をつけ、倒れて寝る。

4月13日(木)
少々疲れ気味か。朝9時まで目覚めなかった。慌ててひたすら原稿書き。R誌の特集に集中するために、その他の仕事を片付けたい。ただ頭の調子が良いのが救いで、比較的快調に原稿が進む。

午後、R誌特集のため追加取材で長津田へ。現場で担当編集K誌と合流、M氏取材。なかなか興味深い話が聞けた。だが特集をまとめるのはますます大変な状況に。帰りK氏とファミレスで構成について打ち合わせ。そのまま西大井へ送ってもらう。

そこから八丁堀の料理屋へ。大昔一緒に仕事をしていたS氏主宰の同窓会的飲み会。O氏に久しぶりに会う。F1フォトグラファーH氏、A氏も登場。おいしい刺身を食べる。その後、八重洲のバー、オーシャンへS氏、H氏、A氏と行き、話の続き。そもそも昨年末、オーシャンでS氏と接近遭遇したのがきっかけだ。

終電に飛び乗って帰宅。なんだか調子が良くなって女房とビールにウイスキーを飲んで気絶。

4月14日(金)
ひたすら原稿書き。夕方ランニング。その他には何もせず。

4月15日(土)
6時過ぎに起き、女房の運転で新横浜へ出て7時32分ののぞみに乗った。名古屋から白子へ行きタクシーで鈴鹿サーキットに到着、午前の部に間に合った。

だが今回は書かねばならない原稿が山ほどあり、プレスルームから出るヒマはなく、ただひたすら状況を確かめつつ原稿書き。この土日でかなり書き進まなければ某誌が出なくなってしまう。

だがウェットからドライへ路面が微妙に変化したフォーミュラ・ニッポンの公式予選は最初から最後までタイムアタック状態で十分堪能した。一方楽しみにしていたF3第3戦はなんだかなあという展開と結末。

その後I氏のクルマでT氏、M氏と四日市のホテルへ。わたしはT氏と同宿であった。たまゆらで食べ、飲む。帰り道、M氏を除く3人で「麗夜」へ。某T氏のボトルから内緒で少しいただいちゃいましたよ。I氏は小夜ママが本当に女性なのか?と繰り返しながら沈没。ふだんどんな店に通っているのかなあ。1時半に寝床へ入る。