広瀬友利子

『Letter From New York』は、New Yorkとその隣の州、New Jerseyより、こちらの身近な事、医療制度や介護問題等をお伝えする ページです。

私はアーティスト(絵と彫刻)です。木野先生の友人です。

2002年にアメリカの永住権を取得して、ここマンハッタン、ハドソンリバーのすぐ近くのCliffside Park, New Jersey州に愛犬と移住して来ました。

18階のテラスから見える風景は、右にマンハッタンとジョージ・ワシントン・ブリッジ、ハドソンリバー、左にはNew Jerseyの豊かな自然が見えてとてもきれいです。

 何故、私が永住権を取って、こちらでアートの活動をしようと思ったかというと、1つは各国から優秀なアーティストが集まって来るNew Yorkで、自分の作品が通用するのかトライしてみたかった事。

2つめは、日本にいるとどうしても狭くなってしまうアートの世界を飛び出して、もっと自分の可能性を引き出してみたかった事です。

以前にもロサンゼルスで展覧会等活動していた事もあり、New Yorkになると、とても大変で苦労するだろうな!と覚悟はしていましたが、まあ、ロサンゼルスでも活動していたしとその延長上に考えていました。

ところが、ロサンゼルスとNew Yorkでは、まるで別の国の様。 大変な苦労が待ち構えていました。

ロサンゼルスでは、ビザは持っていなかったので、住まいも借りていた訳ではありませんでしたが、 New Yorkでは、日本から住まいを決めて行きました。

アメリカに向けて出発する飛行機には、24個の荷物(パソコン、取りあえずの生活用品等)と愛犬と一緒に乗り込みました。まるで民族大移動です。愛犬サモンがいるので、着いた日から新しい住まいに住もうと思ったからです。

もちろん家具等はないので、しばらくは段ボールテーブル生活です。翌日さっそくした事は、この国でまずしなければいけない事は、セキュリティ・ナンバーを取りに行く事です。

 この国では、このセキュリティ・ナンバーがないと何も出来ません。 銀行の口座も開く事ができないし、車の免許を取る、車の保険に入る、クレジット・カードを作る、全てこのナンバーが必要です。 他の事でも日本では、簡単に出来る事もこちらでは、なかなか大変な事ばかりです。

最初の1年はクレジットカードは作れないとか、車の保険もすごく高いとか、最初の年はダメがやたら多いのです。 これもとても不便でした。 それに手続きを待っていると『コンピュターがダウンしました!』と何時間も待たされたりと、 日本の様に『サービス』なんてあったものではありません。

『何でこんなに大変なの?』と生活の基盤を作る前に疲れてしまいました。 それに担当の係の人が、スパニッシュ系の人だと英語の発音が独特なので、耳が慣れるまで仲なか聞き取れません。 まったくやれやれです。

どうにか、車の免許を取る所までこぎつけ、その週から、買った車にやっと乗れるぞ!とホッとしていた所、『父の死』の連絡が入りました。

広小路クリニックと同じ三島市にある病院です。 一刻も早く帰りたかったのですが、その時私は気管支炎にかかり、ベットから起き上がれない状態で、告別 式にも行けませんでした。 アメリカには来たばかり、その上予想外の『父の死』。正直な所、しばらくは何も手がつきませんでした。

 こちらは、梅雨がないので、6月から夏です。冬が長いので、若い人からお年寄りまで、Tシャツにショートパンツ姿を楽しみます 私も元気を出して、アートをどういう風に進めて行ったらいいのか、関係者にアドバイスしてもらったり、自分で色々調べました。

こちらは、まず何でもweb siteで調べる、 問い合わせるというのが一般的で、英語のweb siteを読むだけで一苦労です。意味は解っても、やはり微妙なニュアンスというのが解りません。しばらくの間はパソコンとにらめっこの毎日が続きました。

galleryに作品ファイルを送ったりしている内に、最初の展覧会の話が来ました。 準備に余り時間がなかったので、暑い中毎日制作に励みました。

オープニング・レセプションにも多くの人が来てくれ、始めてNew Yorkで作品が売れたのは、嬉しかったものです。 が、それで順調にアートの仕事が進んで行くというものではなく、いつも情報を 得て、新しい所にトライして行かなければいけません。

 いつも、トライ、トライ、トライです。 日本の様にそれぞれの世界が狭く小さくなく、広すぎて把握するのも大変だし、色々解ってくると、New Yorkはアメリカの特別区で、アートの世界も全米でみるともっと広いのです。

 
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