【牛山なんでも事典】

覚明霊神【かくめぃれぃじん】(人物)
覚明霊神銅像と覚明堂

 御嶽山開山の先駆者覚明霊神を町内の人たちは「覚明さま」と親しみを込めて呼んでいます。 覚明霊神産湯の井戸 昭和55年(1980)に、天神社西側の現在地に新覚明堂と覚明霊神像が建立されるまでは、天神社東側に隣接してお堂があり、お堂の前には覚明霊神が産湯を使ったと言われている手掘りの井戸がありました。 お堂は、現在無く、塚が造られ覚明霊神誕生の地の碑が建てられています。産湯の井戸は現在も残っており、危険防止のために柵で囲われ蓋がしてあります。この井戸の水は霊験あらたかな霊水として、飲めば万病覚明霊神誕生の地碑
に効くと言われており、信者の中には汲んで持ち帰る人も沢山あります。また、覚明霊神の菩提寺は、覚明堂を西に天神橋を渡り数分の所にある麟慶寺であり、位牌と墓碑が現在も残されています。
 毎年3月には恒例の大祭が行われ、神事の他、餅投げなどが行われ、たいへんな賑わいをみせます。また、御嶽山の信仰者は50万人、行者は1万2千人と言われ、春日井市内の史跡の一つでもあることから、訪れる人が絶えることはありません。現在この史跡の管理や諸行事の運営は覚明霊神史跡保存会が中心になって行っています。

覚明霊神顕彰碑
 木曽御嶽開山大先達覚明行者は、享保3年尾張国春日井郡牛山村皿屋敷住農丹羽清兵衛妻千代 の子としてこの地に誕生した。幼名源助通称仁右衛門覚明は修験道の法号である。幼時故あって生家を離れ 、同郡土器野新田貧農の家に養われたが、やがて枇杷島村清音寺の徒弟となり道生と号した。後医師井上 竜正の箱持ちとなる。児玉村より妻お梅を娶り、中河原阿弥陀堂前に住み、米屋伊助方に雇われ、妻と餅 粥を商っていた。時に赤貧洗うが如く生活苦に喘いでいた。一夜彼は決然として妻を離別し、単身四国八十八個所7回巡拝の途に就いた。満願の日土佐国蹉陀山中夢想に覚明の二字を授かり、汝木曽御嶽を開山せよの神託をを蒙り、先ず美濃国恵那山を開き、ついで天明初年御嶽山麓黒澤村に到り、庄屋田中新左衛門のその旨を懇請したが許さず却って彼を福島番所に拘禁するに至る。やがて出所万難を排し村民の協力を得遂に天明7年6月23日登頂二之池畔において立往生を遂げた。
 嗚呼覚明行者資性温良信心堅固、自然を尊び人間を愛し未踏の霊峯を大衆の手に開放した。没後行者の遺徳を偲んで霊神の尊号を贈った。

 丹羽仁右衛門 参照

1999/08/01