| 【牛山なんでも事典】 |
丹羽仁右衛門【にわじんうえもん】(歴史・人物)覚明霊神の俗名。
【略歴】
享保4年(1719) 3月3日牛山村にて丹羽清兵衛妻千代の子として誕生、幼名源助
同12年(1726) 土器野村へ養子に出される
同13年(1727) 枇杷島村松峯山清音寺法周和尚の弟子となり道生と号す
同19年(1734) 還俗して養家にもどる、養父死す
元文1年(1736) 養母死す
同3年(1738) 仁右衛門と改名
延享1年(1744) 梅と結婚
寛延1年(1748) 梅と離婚、再度清音寺に入門
宝暦2年(1752) 清音寺を出て修行の旅に出る
同5年(1755) 第1回四国八十八ヶ所巡拝
同8年(1758) 第2回四国八十八ヶ所巡拝
同9年(1759) 第3回四国八十八ヶ所巡拝
同11年(1761) 第4回四国八十八ヶ所巡拝
同13年(1763) 第5回四国八十八ヶ所巡拝
明和1年(1764) 第6回四国八十八ヶ所巡拝
同3年(1766) 第7回四国八十八ヶ所巡拝の途中、4月18日蹉詑山中に於て神託を受け、覚明と号す
同4年(1767) 4月中旬、恵那山開山。その後槙坂にて3年間、衆生済度、布教
安永1年(1772) 黒沢村庄屋原家に御嶽山開山の助力を求めるが断られる
天明1年(1781) この年まで10年間登山道の調査、各地を回り衆生済度、布教
同2年(1782) 御嶽神社神官武居若狭守に軽精進登拝を願い出断られる。木曽福島代官山村伊勢守に同様願い出をするが断られる。単身登山道開削にかかり捕らわる。
同5年(1785) 無断で8人の信者を連れ登拝。開山の糸口となる。この年から庄屋を始め村人の協力を得登山道開削にかかり完成
同7年(1787) 7月23日御嶽山中において大往生
嘉永3年(1850) 上野東叡山日光御門主より菩薩の称号を賜る
明治15年(1882) 埋葬地を9合目現在地に移転
→ 覚明霊神 参照